宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2015年11月上旬
6日
  日差しが暖かでした。
  二杉橋から入りました。まずセグロセキレイとハクセキレイが、一羽ずつ飛びました。
  河畔の藪でウグイスの地鳴き、今季初でした。帰りに通った対岸でも別個体と思える声がありました。藪が減ってしまいましたが、このあたりはウグイスのお気に入りのようです。
 キジが対岸の護岸を登っていました。あり得ないことではないのですが珍しい光景にみえました。
  水道庁舎のサクラでシジュウカラ1羽、私にとっては嬉しい出会いです。
草むらで、ホオジロらしい声が3度ほど聞こえました。先日のカシラダカらしい声と同様、いつ姿を見られるでしょう。
  全体にハシブトカラスの声がにぎやかです。普段は少ないのですが、時として群れをなして舞います。今日は声の方が多く、姿はバラバラでした。
  栃木陶器瓦の前の岸の低木下に、カイツブリの幼鳥2羽とバン1羽。カイツブリは、以前からいる個体のようで、だんだん成長しているような気がします。今日はかなり成鳥に近く、成鳥よりは少し小柄で顔が細い感じです。
  滝沢ハムの横のヨシ原を横切って、シメが鳴きながら飛び、今季初めて姿を見ました。
  大岩橋上の山林で、カケスの声が複数して、しばらくすると樹間を出入りし始め、白い羽などが確認出来ました。少し待つと、田に3羽が出てきて採餌を始め、ゆっくり観察できました。毎年この場所に来ているようです。9月の下旬に一度は確認したのですが、その後は会えないでいました。
  公園の桜並木に、エナガの声がして、よく見ると12羽が一本の木を駆け回っていました。木の下でゆっくり双眼鏡に入れて観察できました。
  公園の調整池には、ヒドリガモが23羽、今季初飛来です。数年前は5、6羽でしたから、数が年々増えて行くようです。ヒドリガモは泳ぎまわり、いっしょにいたカルガモは7羽全部寝ていて、面白い光景でした。
  睦橋付近で、ジョウビタキの声、ここでは今季初です。このあたりではなぜか少ないようです。
  冬鳥の季節です。あとは木の葉が散って、よく見えるようになるの待つのみです。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、ダイサギ、アオサギ、バン、モズ、カケス、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ジョウビタキ、シメ、ホオジロ

 
 
 







永野川2015年10月下旬
24日
 穏やかな天気です。9:30ころ、上人橋から入りました。
 セグロセキレイの声がしますが、ほとんど鳥は見えません。
 泉橋付近でカルガモ3羽、今日は全体的に少なく、二杉橋付近でも13羽のみ、全体でも32羽ににとどまりました。いつも不思議に思うのですが、鳥はどうやって居場所を決め、移動しているのでしょうか。
 ヒヨドリがにぎやかで、3羽、4羽の群れで飛び、21羽確認出来ましたが、樹木の間などにもいるようです。前回みたような大きな群れはいませんでした。
 栃木陶器瓦付近の草むらで、カワラヒワ2羽、久しぶりです。いつかまた大きな群れにも会うことができるでしょうか。
 モズは相変わらず元気です。そちこちで鳴き声とともにスピードを持って滑空して行きます。
 合流点付近で、川沿いからに西の田んぼに向かってキジ♂が滑空していきました。公園でも川から民家に向かって滑空するキジ♂に会いました。今日は特別ななにかがあるのでしょうか。
 公園の中の歩道はまだ崩れたままで、川には近づけないので、かなり遠い土手の上で見なければなりません。河川敷をイカルチドリが鳴きながら飛び、さらに川ではカイツブリが1羽潜水を繰り返していました。
加えて、ハクセキレイやセグロセキレイがたくさん戻ってきました。た。その上、今季初のキセキレイも確認できました。
 アオサギが岸辺の低木の上にいたのは、ここでは珍しい風景です。
 工業高校裏手のサクラ林で、エナガの声が聞こえ、しばらく待つと12羽の群れが飛びました。 コゲラも1羽、こちらは飛び立たないでしばらく幹を廻りながら鳴いていました。
 もうじき、本格的な鳥のシーズン、そんな予感をさせる日でした。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カイツブリ、ダイサギ、アオサギ、イカルチドリ、イソシギ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒヨドリ、エナガ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ
 

 







「めくらぶだうと虹」と「マリヴロンと少女」―風の中に輝く―
 
 城あとのおほばこの実は結び、赤つめ草の花は枯れて焦茶色になり、畑の粟は刈られました。
「刈られたぞ。」と云ひながら一ぺん一寸顔を出した野鼠がまた急いで穴へひっこみました。
 崖やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立ってゐます。
 その城あとのまん中に、小さな四っ角山があって、上のやぶには、めくらぶだうの実が、虹のように熟れてゐました。
 さて、かすかなかすかな日照り雨が降りましたので、草はきらきら光り、向ふの山は暗くなりました。
 そのかすかなかすかな日照り雨が霽れましたので、草はきらきら光り、向ふの山は明るくなって、大へんまぶしさうに笑ってゐます。
 そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたやうに飛んで来て、みんな一度に、銀のすゝきの穂にとまりました。
 めくらぶだうは感激して、すきとほった深い息をつき葉から雫をぽたぽたこぼしました。
 東の灰色の山脈の上を、つめたい風がふっと通って、大きな虹が、明るい夢の橋のやうにやさしく空にあらはれました。
 そこでめくらぶだうの青じろい樹液は、はげしくはげしく波うちました。
 さうです。今日こそ、ただの一言でも、虹とことばをかはしたい、丘の上の小さなめくらぶだうの木が、よるのそらに燃える青いほのほよりも、もっと強い、もっとかなしいおもひを、はるかの美しい虹に捧げると、ただこれだけを伝へたい、ああ、それからならば、それからならば、実や葉が風にちぎられて、あの明るいつめたいまっ白の冬の眠りにはひっても、あるいはそのまま枯れてしまってもいゝのでした。……(「めくらぶだうと虹」) 
(以下引用文のルビは省略します。)
 
 「めくらぶだうと虹」は生前未発表で、大正10年秋頃執筆と推定されます。賢治の童話集構想、「花鳥童話集」にも入っています。
 〈めくらぶだう〉は、標準和名ノブドウ、ブドウ科ノブドウ属の蔓性植物で、畑や河岸、林縁などに自生し、9月下旬から10月初旬に、直径5mmほどの、青、水色、白、紫、の実をたくさんつけます。近くで見ると実は少しいびつなものもあり、細かい斑点もありますが、樹木があれば、蔓は絡んで高く伸び、その青系のグラデーションは美しいものです。賢治が〈虹のやう〉と形容するのが分かります。
 〈めくらぶだう〉は、自分の美しさには気づかず、虹への崇敬を、風に声を遮られながら必死の思いで訴えます。その会話は、お互いの美しさを周囲の空や星に喩えながら讃え、ひとつの絵模様のようです。
 
……「虹さん。どうか、一寸こっちを見て下さい。」めくらぶだうは、ふだんの透きとほる声もどこかへ行って、しはがれた声を風に半分とられながら叫びました。
 やさしい虹は、うっとり西の碧いそらをながめてゐた大きな碧い瞳を、めくらぶだうに向けました。
「何かご用でいらっしゃいますか。あなたはめくらぶだうさんでせう。」
 めくらぶだうは、まるでぶなの木の葉のやうにプリプリふるへて、輝いて、いきがせはしくて思うやうに物が云へませんでした。
「どうか私のうやまいを受けとって下さい。」
 虹は大きくといきをつきましたので、黄や菫は一つづつ声をあげるやうに輝きました。そして云ひました。
「うやまひを受けることは、あなたもおなじです。なぜそんなに陰気な顔をなさるのですか。」
「私はもう死んでもいゝのです。」
「どうしてそんなことを、仰っしゃるのです。あなたはまだお若いではありませんか。それに雪が降るまでには、まだ二ケ月あるではありませんか。」
「いゝえ。私の命なんか、なんでもないんです。あなたが、もし、もっと立派におなりになる為なら、私なんか、百ぺんでも死にます。」
「あら、あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、たとえば、消えることのない虹です。変らない私です。私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分のいのちです。ただ三秒のときさへあります。ところがあなたにかゞやく七色はいつまでも変りません。」
「いゝえ、変ります。変ります。私の実の光なんか、もうすぐ風に持って行かれます。雪にうずまって白くなってしまひます。枯れ草の中で腐ってしまひます。」
 虹は思わず微笑ひました。
「ええ、さうです。本たうはどんなものでも変らないものはないのです。ごらんなさい。向うのそらはまっさおでせう。まるでいい孔雀石のやうです。けれども間もなくお日さまがあすこをお通りになって、山へお入りになりますと、あすこは月見草の花びらのやうになります。それも間もなくしぼんで、やがてたそがれ前の銀色と、それから星をちりばめた夜とが来ます。    
その頃、私は、どこへ行き、どこに生れてゐるでしょう。又、この眼の前の、美しい丘や野原も、みな一秒づつけづられたりくづれたりしてゐます。けれども、もしも、まことのちからが、これらの中にあらわれるときは、すべてのおとろえるもの、しわむもの、さだめないもの、はかないもの、みなかぎりないいのちです。わたくしでさえ、ただ三秒ひらめくときも、半時空にかかるときもいつもおんなじよろこびです。」
「けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌ひます。」 
「それはあなたも同じです。すべて私に来て、私をかゞやかすものは、あなたをもきらめかします。私に与へられたすべてのほめことばは、そのままあなたに贈られます。ごらんなさい。まことの瞳でものを見る人は、人の王のさかえの極みをも、野の百合の一つにくらべやうとはしませんでした。それは、人のさかえをば、人のたくらむやうに、しばらくまことのちから、かぎりないいのちからはなして見たのです。もしそのひかりの中でならば、人のおごりからあやしい雲と湧きのぼる、塵の中のただ一抹も、神の子のほめ給うた、聖なる百合に劣るものではありません。」……
 

 
 虹は天上にあって大きく優しく気高い存在ですが、短時間で消えていくものです。 〈めくらぶだう〉は地上に根を張って生き、枯れて醜さを残しますが、一つの季節を彩ります。
 二つとも周囲の状況―虹は空気や、風や湿度、そして太陽光など、〈めくらぶだう〉は気候や土や太陽光など―にゆだねられて輝くものであることに変わりはないのです。
 〈めくらぶだう〉と虹、二つの心の中では、その美は永遠なのです。賢治はそこに〈まことの瞳〉、〈まことのちから〉を見出し、それを虹に語らせます。 
 一方、風は、〈めくらぶだう〉の輝きと死、そして虹の出現と消滅にも関わって、その存在の根底となっています。やはり、自然の具現としての風です。賢治は物語の根底に自然の法則をきちんと書きこんでいます。
 
……「私を教へて下さい。私を連れて行って下さい。私はどんなことでもいたします。」
「いいえ私はどこへも行きません。いつでもあなたのことを考えてゐます。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすむ人は、いつでもいっしょに行くのです。いつまでもほろびるということはありません。けれども、あなたは、もう私を見ないでしょう。お日様があまり遠くなりました。もずが飛び立ちます。私はあなたにお別れしなければなりません。」
停車場の方で、鋭い笛がピーと鳴りました。
 もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違ひになったばらばらの楽譜のやうに、やかましく鳴きながら、東の方へ飛んで行きました。
 めくらぶだうは高く叫びました。
「虹さん。私をつれて行って下さい。どこへも行かないで下さい。」
 虹はかすかにわらったやうでしたが、もうよほどうすくなって、はっきりわかりませんでした。
 そして、今はもう、すっかり消えました。
 空は銀色の光を増し、あまり、もずがやかましいので、ひばりも仕方なく、その空へのぼって、少しばかり調子はずれの歌をうたひました。
 
 太陽は移り虹は消えていきました。
  虹の言葉は〈めくらぶだう〉には理解されることありませんでした。鳥たちの営みだけが変わりなく続いています。それもまた永遠ではないのですが、そこに描かれるものは変わりなく繰り返される日常のような気がします。
  
 この物語を、改作したものが、「マリヴロンと少女」です。
 文体はデスマス体からデアル体に変わっていますが、少し混在しています。
 また〈「けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌ひます。わたくしはたれにも知られず巨きな森のなかで朽ちてしまふのです。」〉の部分は、虹と〈めくらぶだう〉の描写そのままで、人間の比喩としては成熟していないと思います。
 原稿にも、「要三考」と記されていて、賢治の中でも未完の作品だったことが窺えます。改稿の意図も明確には感じられません。
 〈めくらぶだう〉はアフリカに行く宣教師の娘〈ギルダ〉に、〈虹〉は市庁で歌うことになっている声楽家〈マリヴロン〉になり、人間の物語となりますが、めくらぶだう、虹は背景として存在し、その他の風景もほとんど変わりません。風は背景の一つとして描かれます。
 
 レコードなどによる賢治との明確な接点は不明ですが、〈マリヴロン〉のモデルは、フランスの著名なオペラ歌手、マリア・マリブラン(1808〜1836)と推定されます。
 賢治が中学2年時に学習したと思われる英語教科書『ニュー・ナショナル・リーダー』に、「マリブランと若き音楽家」 が載っていました。マリブランは、貧しく才能のある少年を見出し、演奏会でその作品を取り上げて歌い、さらに楽譜の出版の手筈もとり、少年の作曲家への道を開きました。そして若くして臨終の床に就いたマリブランを看取ったのも彼だった、というストーリーです。少年のマリブランへの崇拝と憧れ、マリブランの少年への言葉など、「マリヴロンと少女」の出会いを彷彿とさせます(注1)。
 さらにその後の第12課に、「ベートーベンのムーンライト・ソナタ」があり、ベートーベンと盲目の少女の逸話の中で、ムーンライト・ソナタを弾いていた少女がベートーベンとこの曲の美しさへの憧れを込めて「私を教えて下さい。私を連れて行って使って下さい。私はどんなことでもいたします。」という会話があって、この二つの記憶が、ギルダの美や尊敬するものへの憧れの描写となっていったのではないかと推定されます(注2)。
 また関登久也『宮澤賢治素描』には、昭和二年頃、当時その生き方などから社会的にも賛美されていた声楽家の立松房子のコンサートが花巻で開かれ、感動した賢治が、自分の手作りの花束を少女に頼んで秘かに贈呈してもらった、という記述があって、賢治の声楽へ興味の深さと憧れを実証しているとも言われます(注3)。ただ改稿の時期との関わりなどの詳しいことは不明です。
 
 一方、少女がマリヴロンに「つれて行って下さい」、「どうか私を教へてください」ということは、アフリカに行くことを断念し、また、「たった一人の師」として、キリストではなくマリヴロンを選ぶことになります。
マリヴロンが少女の願いを聞き入れなかったのは、「マタイ福音書」30にみられる、自分に従うことの意味を確認する言葉、39の「敬いを受けるものは自分ではなく自分を遣わした神である」という思想の反映も見られると言われます(注4)。
 
 もうひとつの主題は芸術と仕事です。
 
…前略…
「先生どうか私のこころからうやまひを受けとって下さい。」
マリヴロンはかすかにといきしたので、その胸の黄や菫の宝石は一つずつ声をあげるやうに輝きました。そして云ふ。
「うやまひを受けることは、あなたもおなじです。なぜそんなに陰気な顔をなさるのですか。」「私はもう死んでもいゝのでございます。」
「どうしてそんなことを、仰っしゃるのです。あなたはまだまだお若いではありませんか。」
「いゝえ。私の命なんか、なんでもないのでございます。あなたが、もし、もっと立派におなりになる為なら、私なんか、百ぺんでも死にます。」
「あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、立派なおしごとをあちらへ行ってなさるでせう。それはわたくしなどよりははるかに高いしごとです。私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分か声のひびきのあるうちのいのちです。」
「いいえ、ちがいます。ちがいます。先生はここの世界やみんなをもっときれいに立派になさるお方でございます。」
マリヴロンは思わず微笑ひました。
「ええ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよさうでしょう。正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向ふの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじやうにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」 …中略… (「マリヴロンと少女」)
 
 〈正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。〉は、〈働くことの中に芸術を見出そうとした、「農民芸術概論綱要」などにみられる思想を描きこもうとしていたとも思われます。
 
 ……
停車場の方で、鋭い笛がピーと鳴り、もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違ひになったばらばらの楽譜のやうに、やかましく鳴きながら、東の方へ飛んで行く。
「先生。私をつれて行って下さい。どうか私を教へてください。」
うつくしくけだかいマリヴロンはかすかにわらったやうにも見えた。また当惑してかしらをふったやうにも見えた。
そしてあたりはくらくなり空だけ銀の光を増せば、あんまり、もずがやかましいので、しまひのひばりも仕方なく、もいちど空へのぼって行って、少うしばかり調子はづれの歌をうたった。
 

 
 ノブドウの輝きに魅せられた賢治が、その気持ちを、手の届かない遠い虹への憧れに昇華し、さらに、現実の美としての音楽や音楽家への叶わぬ思いの具現として描いたのが、この二つの物語ではないでしょうか。
 
 「めくらぶだうと虹」の場合と同様、少女はマリヴロンの心を受け入れることは描かれません。
 先に書いた「ひのきとひなげし」のひなげしも、「二十六夜」のフクロウも、賢治の思うところを受け入れるようには書かれていませんでした。ここに賢治が込めた思いは何だったのでしょう。
 課題として、ゆっくり考えて行きたいと思います。
 
注1、高木栄一「マリブロン」(『賢治研究11』 宮沢賢治研究会 1972、8)
注2、高木栄一「マリヴロンとムーンライト・ソナタ」(『賢治研究18』 宮沢賢治研究会 
1975、12)
注3、関登久也『宮澤賢治素描』(真日本社 1947)
   浜垣誠司「立松房子女史とマリブラン」(同氏HP「宮沢賢治の詩の世界」2009、4)
注4、会田捷夫『私の読んだ「マリヴロンと少女」』 『賢治研究90』
宮澤賢治研究会2003、5
 

 付記
 写真は庭のノブドウです。
 以前、石垣の上の高い塀いっぱいにノブドウを這わせたお家を訪ねたことがありました。そこで戴いた実を蒔いて10年ほど経ちます。道路事情もあって塀に這わせることは困難になり、幸い枯れた樹木や花のつかない庭木があったので、思い切ってそこに伸ばしてみました。
 気温や土の関係か色づきは今一ですが、太陽の中ではとてもきれいです。残念ながらどんなに美しいと思っても、部屋に飾ると輝きを失ってしまいます。やはり、風や太陽光や露の中でこそ、地上の虹となることができるのかもしれません。
 いままで、ごく普通に畑や河原に生えてきたノブドウが減っているそうです。自然の状態を保ちながら、保護していかねばならない生物がたくさんあるのかもしれません。


 







永野川2015年10月中旬
 不安定だった空模様がようやく安定して、気持ちの良い日となりました。
9:30ころ二杉橋から入りました。
 川はいつもの様子を取り戻し、澄んで水量も少なくなりましたが、鳥の姿はありません。
 ただ、岸の草むらから、ホオジロではないチッチという声が2、3か所で聞こえました。姿は確認できませんでしたが、カシラダカなどが来ているのかもしれません。
 セグロセキレイが飛び、イソシギが1羽、飛んで少し上流の岸辺で採餌していました。
 睦橋の手前で、カルガモ13羽に混じってコガモ1羽、この時期にいつも、迷い込んだように少数のコガモが見られます。
 イカルチドリの幼鳥が水浴びしていました。今日は鳥にとっては暖かだったのでしょう。
 上空をヒヨドリが32羽、東から西へ飛んでいきました。渡って来たのでしょうか。その後も25羽、30羽、の大群がやはり東から西へ大空を飛び、その他も13、10、14、7、5羽とほとんどが群れでした。同じ方角なので、これは違う群れと見て良いでしょうか。
 合流点近くの田で、ひっそりとキジが1羽、採餌中でした。
 川岸からカワセミが2羽一瞬飛んで、川とは反対の公園の草むらの方に消えました。
 栃木陶器瓦の近くでバン1羽、合流点の上流でカイツブリ1羽、両方幼鳥でした。
 公園内の整備が始まったようで、ブルドーザーが2台芝生の広場に止っていました。ワンド跡の近くに土が大量に積まれていて、もしかすると、ワンドを復活させるのかもしれません。今日は日曜なので、工事はお休みですが、もし工事を始めていたら安らかではいられそうにありません。ただ、この状態をそのままにはできないし、どういう方向に行くのか、個人には分からないし決められません。低木と草むらをある程度残し、ヨシを育てることができれば、公園の中の野鳥の観察地、となるのですが。
 滝沢ハムのクヌギ林で、シメに似た硬質な感じの声がして、しばらく追ってみたのですが、姿をとらえることはできませんでした。もう近くまで来ているのかもしれません。
 公園の中で、ハクセキレイが3羽飛びかっていました。
 ホテイアオイが調整池一面を覆って、土手にも登っていました。台風の時流れて来た枯れ草が絡まり、ホテイアオイで下の方は閉ざされている取水口に、アオサギが1羽じっと留っていたのは、なにか痛々しい気がしました。
午後、自宅にジョウビタキが初飛来しました。季節の兆しにたくさん触れた日でした。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、カイツブリ、ダイサギ、アオサギ、バン、イカルチドリ、イソシギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒヨドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ
声 カシラダカ シメ

 
 







永野川2015年10上旬
8日
 よいお天気でしたが、台風の影響で西風が時々強く吹き、鳥の姿はあまり見えません。
 二杉橋から入りました。河川工事は土嚢を積んでひとまず終了したようです。
 睦橋の少し下、イソシギが、腹部が水に触れるくらいの浅瀬を歩いて餌を取っていました。私にはちょっと珍しい光景です。
 イカルチドリが2羽、鳴きながら飛び、セグロセキレイ2羽、ハクセキレイ1羽が飛びました。
 少し登ったところでカルガモ2羽、4羽と続きます。
 高橋際の民家でヒヨドリの声、久しぶりでした。
 上人橋付近でコサギが2羽、コサギもこのところ戻って来ている感じです。
 保育園のサクラにスズメ4羽、その後も、民家などで4羽の群れ2回、単独で1羽。稲に群がるスズメはいませんでした。
 新井町で、カイツブリの幼鳥、まだいくらか顔に白い模様が残っていました。
 額板が赤くなったバン1羽、もうじき季節が変わります。
 合流点付近でツバメが6羽、越冬するのか?一瞬思いました。
 公園に入って、またツバメ3羽に会い、そのうち10羽くらいの群れが来て、よく見るとイワツバメでした。それが、みるみる増えて40羽ほど、公園の空いっぱいになり、10数分後に戻った時もまだ飛び続けていました。公園は、群れる鳥の観察には好適なことを実感しました。広い空いっぱいに拡がる鳥をゆっくり見ることが出来るからです。これだけ多いと、渡りの機会を逃したとは考えにくくなります。バードリサーチのお話では今年最後の渡りではないか、ということでした。
 大岩橋上の河川敷林で、シジュウカラとエナガの声らしいものが聞こえ、待つこと数分、林の奥から、まずシジュウカラが5羽、続いてエナガが4羽見えるところに出てきてくれました。今季初です。破壊された自然の回復は遅いのですが、鳥たちは順調に戻っていてくれているようで、嬉しいひとときでした。
 
鳥リスト
カルガモ、カイツブリ、ダイサギ、コサギ、バン、イカルチドリ、イソシギ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、エナガ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ