城あとのおほばこの実は結び、赤つめ草の花は枯れて焦茶色になり、畑の粟は刈られました。
「刈られたぞ。」と云ひながら一ぺん一寸顔を出した野鼠がまた急いで穴へひっこみました。
崖やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立ってゐます。
その城あとのまん中に、小さな四っ角山があって、上のやぶには、めくらぶだうの実が、虹のように熟れてゐました。
さて、かすかなかすかな日照り雨が降りましたので、草はきらきら光り、向ふの山は暗くなりました。
そのかすかなかすかな日照り雨が霽れましたので、草はきらきら光り、向ふの山は明るくなって、大へんまぶしさうに笑ってゐます。
そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたやうに飛んで来て、みんな一度に、銀のすゝきの穂にとまりました。
めくらぶだうは感激して、すきとほった深い息をつき葉から雫をぽたぽたこぼしました。
東の灰色の山脈の上を、つめたい風がふっと通って、大きな虹が、明るい夢の橋のやうにやさしく空にあらはれました。
そこでめくらぶだうの青じろい樹液は、はげしくはげしく波うちました。
さうです。今日こそ、ただの一言でも、虹とことばをかはしたい、丘の上の小さなめくらぶだうの木が、よるのそらに燃える青いほのほよりも、もっと強い、もっとかなしいおもひを、はるかの美しい虹に捧げると、ただこれだけを伝へたい、ああ、それからならば、それからならば、実や葉が風にちぎられて、あの明るいつめたいまっ白の冬の眠りにはひっても、あるいはそのまま枯れてしまってもいゝのでした。……(「めくらぶだうと虹」)
(以下引用文のルビは省略します。)
「めくらぶだうと虹」は生前未発表で、大正10年秋頃執筆と推定されます。賢治の童話集構想、「花鳥童話集」にも入っています。
〈めくらぶだう〉は、標準和名ノブドウ、ブドウ科ノブドウ属の蔓性植物で、畑や河岸、林縁などに自生し、9月下旬から10月初旬に、直径5mmほどの、青、水色、白、紫、の実をたくさんつけます。近くで見ると実は少しいびつなものもあり、細かい斑点もありますが、樹木があれば、蔓は絡んで高く伸び、その青系のグラデーションは美しいものです。賢治が〈虹のやう〉と形容するのが分かります。
〈めくらぶだう〉は、自分の美しさには気づかず、虹への崇敬を、風に声を遮られながら必死の思いで訴えます。その会話は、お互いの美しさを周囲の空や星に喩えながら讃え、ひとつの絵模様のようです。
……「虹さん。どうか、一寸こっちを見て下さい。」めくらぶだうは、ふだんの透きとほる声もどこかへ行って、しはがれた声を風に半分とられながら叫びました。
やさしい虹は、うっとり西の碧いそらをながめてゐた大きな碧い瞳を、めくらぶだうに向けました。
「何かご用でいらっしゃいますか。あなたはめくらぶだうさんでせう。」
めくらぶだうは、まるでぶなの木の葉のやうにプリプリふるへて、輝いて、いきがせはしくて思うやうに物が云へませんでした。
「どうか私のうやまいを受けとって下さい。」
虹は大きくといきをつきましたので、黄や菫は一つづつ声をあげるやうに輝きました。そして云ひました。
「うやまひを受けることは、あなたもおなじです。なぜそんなに陰気な顔をなさるのですか。」
「私はもう死んでもいゝのです。」
「どうしてそんなことを、仰っしゃるのです。あなたはまだお若いではありませんか。それに雪が降るまでには、まだ二ケ月あるではありませんか。」
「いゝえ。私の命なんか、なんでもないんです。あなたが、もし、もっと立派におなりになる為なら、私なんか、百ぺんでも死にます。」
「あら、あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、たとえば、消えることのない虹です。変らない私です。私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分のいのちです。ただ三秒のときさへあります。ところがあなたにかゞやく七色はいつまでも変りません。」
「いゝえ、変ります。変ります。私の実の光なんか、もうすぐ風に持って行かれます。雪にうずまって白くなってしまひます。枯れ草の中で腐ってしまひます。」
虹は思わず微笑ひました。
「ええ、さうです。本たうはどんなものでも変らないものはないのです。ごらんなさい。向うのそらはまっさおでせう。まるでいい孔雀石のやうです。けれども間もなくお日さまがあすこをお通りになって、山へお入りになりますと、あすこは月見草の花びらのやうになります。それも間もなくしぼんで、やがてたそがれ前の銀色と、それから星をちりばめた夜とが来ます。
その頃、私は、どこへ行き、どこに生れてゐるでしょう。又、この眼の前の、美しい丘や野原も、みな一秒づつけづられたりくづれたりしてゐます。けれども、もしも、まことのちからが、これらの中にあらわれるときは、すべてのおとろえるもの、しわむもの、さだめないもの、はかないもの、みなかぎりないいのちです。わたくしでさえ、ただ三秒ひらめくときも、半時空にかかるときもいつもおんなじよろこびです。」
「けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌ひます。」
「それはあなたも同じです。すべて私に来て、私をかゞやかすものは、あなたをもきらめかします。私に与へられたすべてのほめことばは、そのままあなたに贈られます。ごらんなさい。まことの瞳でものを見る人は、人の王のさかえの極みをも、野の百合の一つにくらべやうとはしませんでした。それは、人のさかえをば、人のたくらむやうに、しばらくまことのちから、かぎりないいのちからはなして見たのです。もしそのひかりの中でならば、人のおごりからあやしい雲と湧きのぼる、塵の中のただ一抹も、神の子のほめ給うた、聖なる百合に劣るものではありません。」……
虹は天上にあって大きく優しく気高い存在ですが、短時間で消えていくものです。 〈めくらぶだう〉は地上に根を張って生き、枯れて醜さを残しますが、一つの季節を彩ります。
二つとも周囲の状況―虹は空気や、風や湿度、そして太陽光など、〈めくらぶだう〉は気候や土や太陽光など―にゆだねられて輝くものであることに変わりはないのです。
〈めくらぶだう〉と虹、二つの心の中では、その美は永遠なのです。賢治はそこに〈まことの瞳〉、〈まことのちから〉を見出し、それを虹に語らせます。
一方、風は、〈めくらぶだう〉の輝きと死、そして虹の出現と消滅にも関わって、その存在の根底となっています。やはり、自然の具現としての風です。賢治は物語の根底に自然の法則をきちんと書きこんでいます。
……「私を教へて下さい。私を連れて行って下さい。私はどんなことでもいたします。」
「いいえ私はどこへも行きません。いつでもあなたのことを考えてゐます。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすむ人は、いつでもいっしょに行くのです。いつまでもほろびるということはありません。けれども、あなたは、もう私を見ないでしょう。お日様があまり遠くなりました。もずが飛び立ちます。私はあなたにお別れしなければなりません。」
停車場の方で、鋭い笛がピーと鳴りました。
もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違ひになったばらばらの楽譜のやうに、やかましく鳴きながら、東の方へ飛んで行きました。
めくらぶだうは高く叫びました。
「虹さん。私をつれて行って下さい。どこへも行かないで下さい。」
虹はかすかにわらったやうでしたが、もうよほどうすくなって、はっきりわかりませんでした。
そして、今はもう、すっかり消えました。
空は銀色の光を増し、あまり、もずがやかましいので、ひばりも仕方なく、その空へのぼって、少しばかり調子はずれの歌をうたひました。
太陽は移り虹は消えていきました。
虹の言葉は〈めくらぶだう〉には理解されることありませんでした。鳥たちの営みだけが変わりなく続いています。それもまた永遠ではないのですが、そこに描かれるものは変わりなく繰り返される日常のような気がします。
この物語を、改作したものが、「マリヴロンと少女」です。
文体はデスマス体からデアル体に変わっていますが、少し混在しています。
また〈「けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌ひます。わたくしはたれにも知られず巨きな森のなかで朽ちてしまふのです。」〉の部分は、虹と〈めくらぶだう〉の描写そのままで、人間の比喩としては成熟していないと思います。
原稿にも、「要三考」と記されていて、賢治の中でも未完の作品だったことが窺えます。改稿の意図も明確には感じられません。
〈めくらぶだう〉はアフリカに行く宣教師の娘〈ギルダ〉に、〈虹〉は市庁で歌うことになっている声楽家〈マリヴロン〉になり、人間の物語となりますが、めくらぶだう、虹は背景として存在し、その他の風景もほとんど変わりません。風は背景の一つとして描かれます。
レコードなどによる賢治との明確な接点は不明ですが、〈マリヴロン〉のモデルは、フランスの著名なオペラ歌手、マリア・マリブラン(1808〜1836)と推定されます。
賢治が中学2年時に学習したと思われる英語教科書『ニュー・ナショナル・リーダー』に、「マリブランと若き音楽家」 が載っていました。マリブランは、貧しく才能のある少年を見出し、演奏会でその作品を取り上げて歌い、さらに楽譜の出版の手筈もとり、少年の作曲家への道を開きました。そして若くして臨終の床に就いたマリブランを看取ったのも彼だった、というストーリーです。少年のマリブランへの崇拝と憧れ、マリブランの少年への言葉など、「マリヴロンと少女」の出会いを彷彿とさせます(注1)。
さらにその後の第12課に、「ベートーベンのムーンライト・ソナタ」があり、ベートーベンと盲目の少女の逸話の中で、ムーンライト・ソナタを弾いていた少女がベートーベンとこの曲の美しさへの憧れを込めて「私を教えて下さい。私を連れて行って使って下さい。私はどんなことでもいたします。」という会話があって、この二つの記憶が、ギルダの美や尊敬するものへの憧れの描写となっていったのではないかと推定されます(注2)。
また関登久也『宮澤賢治素描』には、昭和二年頃、当時その生き方などから社会的にも賛美されていた声楽家の立松房子のコンサートが花巻で開かれ、感動した賢治が、自分の手作りの花束を少女に頼んで秘かに贈呈してもらった、という記述があって、賢治の声楽へ興味の深さと憧れを実証しているとも言われます(注3)。ただ改稿の時期との関わりなどの詳しいことは不明です。
一方、少女がマリヴロンに「つれて行って下さい」、「どうか私を教へてください」ということは、アフリカに行くことを断念し、また、「たった一人の師」として、キリストではなくマリヴロンを選ぶことになります。
マリヴロンが少女の願いを聞き入れなかったのは、「マタイ福音書」30にみられる、自分に従うことの意味を確認する言葉、39の「敬いを受けるものは自分ではなく自分を遣わした神である」という思想の反映も見られると言われます(注4)。
もうひとつの主題は芸術と仕事です。
…前略…
「先生どうか私のこころからうやまひを受けとって下さい。」
マリヴロンはかすかにといきしたので、その胸の黄や菫の宝石は一つずつ声をあげるやうに輝きました。そして云ふ。
「うやまひを受けることは、あなたもおなじです。なぜそんなに陰気な顔をなさるのですか。」「私はもう死んでもいゝのでございます。」
「どうしてそんなことを、仰っしゃるのです。あなたはまだまだお若いではありませんか。」
「いゝえ。私の命なんか、なんでもないのでございます。あなたが、もし、もっと立派におなりになる為なら、私なんか、百ぺんでも死にます。」
「あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、立派なおしごとをあちらへ行ってなさるでせう。それはわたくしなどよりははるかに高いしごとです。私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分か声のひびきのあるうちのいのちです。」
「いいえ、ちがいます。ちがいます。先生はここの世界やみんなをもっときれいに立派になさるお方でございます。」
マリヴロンは思わず微笑ひました。
「ええ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよさうでしょう。正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向ふの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじやうにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」 …中略… (「マリヴロンと少女」)
〈正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。〉は、〈働くことの中に芸術を見出そうとした、「農民芸術概論綱要」などにみられる思想を描きこもうとしていたとも思われます。
…… 停車場の方で、鋭い笛がピーと鳴り、もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違ひになったばらばらの楽譜のやうに、やかましく鳴きながら、東の方へ飛んで行く。
「先生。私をつれて行って下さい。どうか私を教へてください。」
うつくしくけだかいマリヴロンはかすかにわらったやうにも見えた。また当惑してかしらをふったやうにも見えた。
そしてあたりはくらくなり空だけ銀の光を増せば、あんまり、もずがやかましいので、しまひのひばりも仕方なく、もいちど空へのぼって行って、少うしばかり調子はづれの歌をうたった。
ノブドウの輝きに魅せられた賢治が、その気持ちを、手の届かない遠い虹への憧れに昇華し、さらに、現実の美としての音楽や音楽家への叶わぬ思いの具現として描いたのが、この二つの物語ではないでしょうか。
「めくらぶだうと虹」の場合と同様、少女はマリヴロンの心を受け入れることは描かれません。
先に書いた「ひのきとひなげし」のひなげしも、「二十六夜」のフクロウも、賢治の思うところを受け入れるようには書かれていませんでした。ここに賢治が込めた思いは何だったのでしょう。
課題として、ゆっくり考えて行きたいと思います。
注1、高木栄一「マリブロン」(『賢治研究11』 宮沢賢治研究会 1972、8)
注2、高木栄一「マリヴロンとムーンライト・ソナタ」(『賢治研究18』 宮沢賢治研究会
1975、12)
注3、関登久也『宮澤賢治素描』(真日本社 1947)
浜垣誠司「立松房子女史とマリブラン」(同氏HP「宮沢賢治の詩の世界」2009、4)
注4、会田捷夫『私の読んだ「マリヴロンと少女」』 『賢治研究90』
宮澤賢治研究会2003、5
付記
写真は庭のノブドウです。
以前、石垣の上の高い塀いっぱいにノブドウを這わせたお家を訪ねたことがありました。そこで戴いた実を蒔いて10年ほど経ちます。道路事情もあって塀に這わせることは困難になり、幸い枯れた樹木や花のつかない庭木があったので、思い切ってそこに伸ばしてみました。
気温や土の関係か色づきは今一ですが、太陽の中ではとてもきれいです。残念ながらどんなに美しいと思っても、部屋に飾ると輝きを失ってしまいます。やはり、風や太陽光や露の中でこそ、地上の虹となることができるのかもしれません。
いままで、ごく普通に畑や河原に生えてきたノブドウが減っているそうです。自然の状態を保ちながら、保護していかねばならない生物がたくさんあるのかもしれません。