追悼
5月末、姉妹の中で一番元気だった長姉キク子が96歳で亡くなりました。昨年12月には電話で元気な声を聞かせてくれていました。その後施設の関係で電話も難しく、そのままになっていました。
5月初めに、絵葉書を出しました。お嫁さんから電話があって姉が喜んでいて「返事を書きたい」と言っていることを聞きました。
そのとき、今年に入って転んで大腿骨骨折し車椅子生活となり施設も変わり、すっかり元気が無くなったようだとのことでした。私はいつもの悪い癖で、そんな重大なこととは考えず、自身の手術を控えていたこともあって、落ち着いたら行きたい、と思っていました。 そして訃報、もう一度会えるとばかり思っていたのに……。
葬祭はいつもあわただしく過ぎます。
葬儀場に着いたとき、フルートとピアノの生演奏で迎えられました。音楽好きだった義兄や甥の想いが伝わる気がしました。
棺の中で、姉は一回り小さくなったようでしたが安らかでした。そして棺に入りきれないほどたくさんの花が用意されていて姉を包みました。祭壇よりも何よりもこの豪華さが一番の手向けだった気がします。
甥の話では、最後に施設を訪ねたときは普通に元気だったのですが、その2日後に施設から息を引きとった旨知らせを受けたとのことでした。
姪から死の3日前に面会に行った時の写真を送ってもらいました。最後まで、きちんと生きた証拠と思い写真を保存しました。
姉は、大塚布見子氏主催の短歌結社「サキクサ」に結社終了まで所属し、第一歌集『ともしび』(平成3年)に続いて第二歌集『雨夜の花火』(平成11年)を上梓しました。第一歌集については、「姉たち一」にも触れたので、ここでは、第二歌集を少し読んでみたいと思います。
第一歌集が若き日から綴られた日記のようなものであったのに対して、第二歌集は、充実した日々を描いた余裕あるものだと思いました。家庭裁判所の調停員をしていた時の逸話や大病を克服した折の歌もありますが、多くが旅行の折に書かれた優れた羇旅歌でした。私自身は旅先ではなぜか詩作も文章も書けないことを思うと、やはり姉は優れた歌人だったのだと思います。
巧みに風景を映しとった短歌のなかで、津和野を訪れた際のこの歌は
この町に住むはどの人殿町を歩めるはなべてよそびとと見ゆ
違った面を鋭く突いた歌です。
姉は晩年、住まいが近かった群馬県立土屋文明記念文学館でボランティアをしていました。一度私も訪ねたことがあり、真新しい施設の豊富な資料の中にいる姉が、誇らしくもあり羨ましかった気もします。そこに訪れる子供らや知り合いとの交流の短歌とともに
閲覧室の大き窓より見ゆるもの古墳ゴルフ場遠き山脈(やまなみ)
は、記念館の風景を一筆で描いています。最初に私が惹かれた文明の短歌
故郷の山の写真を引きのばし雲ある空にこひつつぞ居る(『小安
集』)
の現在を描いていると思います。
私の思い出と重なるのは、
烏瓜の花
幼な日の遠き記憶に咲く花の烏瓜は白しまぼろしに似て
学校の長き生垣に連なりて夜目にしろしろ咲く烏瓜
実家のそばの小学校だと思います。ここの生垣は長くて烏瓜がたくさん絡まり、私が幼いころにも夕方家族で見に行った覚えがあります。きっと姉の幼少のころからの記憶の中にも、残っていたのでしょう。それだけ烏瓜の花の闇に咲く白さ、はかなさは飛びぬけていたのだと思います。姉は自宅にも烏瓜を植えていたと思われ、
ゆふべ見し烏瓜の蕾忘れゐて駈けゆけどすでに花の萎るる
今日こそと夕闇の庭に出で見れば今し開きたるからすうりの花
かそか震ふはなびらの先は糸のやう薄絹のやうに烏瓜咲く
姉が詠った美しいものは、たくさん私の中に残っています。でももう思い出として語り合うことはできなくなったのだという事実を突きつけられます。
この先を生きる者としては、今と未来の中にさらに美しいものを探していくことが、姉にもらった数々の恩恵に応えることになるでしょうか。