宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2021年8月下旬
29日 5:30〜7:30 曇 25℃

 朝5時の段階で薄曇り程度、上空に青空があり朝焼けかなという空でした。大平山はくっきりと姿を見せていたのですが、永野川に着いたころは完全な曇りになりました。このごろ晴天に恵まれません。
 錦着山裏の田でサギ2羽、少し遠くて種は見分けられませんが、恐らくダイサギだと思います。。
 赤津川で、泳ぐカルガモ3羽、少し小さめなので今年生まれの若鳥かも知れません。まだまだカモは少ないです。
 川岸の草むらからキジの♀、飛び出して田の畦の草むらに消えました。小さめなので若鳥と思いますが、♂の兆しは見えていませんでした。
 電線でモズが小鳥の鳴き真似をしていましたが、田んぼへ消えました。その他にも、電線で3羽のモズが鳴いているのに会いました。大岩橋でも2カ所で鳴き声が聞こえました。そろそろ高鳴きが始まるのでしょうか。未だにはっきり区別が付きません。
 ツバメが田んぼの上を、2羽、2羽、と行き交いました。そろそろ渡りは終わっているのでしょうか。
 セッカの鳴き声が聞こえました。
 アオサギが2羽、合流点で1羽、滝沢ハムの池でも1羽、ここにはダイサギも1羽来ていました。
 滝沢ハム林付近で、かなり上空を、東の方向へ、スズメ大の30羽の群れがいました。同時に南に向かうヒヨドリ大の10羽群れを見ました。
 スズメ大は、スズメがネグラに向かっているか、カワラヒワか、小型のシギ、チドリ、ヒヨドリ大は、ムクドリが採食場へ向かうのでは、というお話でした。いずれにしても、もう少しはっきりその場で見極められないと、と思います。
 滝沢ハム近く、野良猫に餌を撒く人がいる場所に、ハシボソカラスが10羽ほど群れていました。小さめだったから、今年うまれの若鳥かも知れません。いつも思いますが、カラスは猫を襲うこともあることを、餌を撒く人は知っているのでしょうか。
 ここでは、あまり聞いたことがなかったガビチョウの声が聞こえました。

 大岩橋河川敷近くの電線でキジバト1羽、先回と同じ場所にいました。
 大砂橋近くの河川敷で、ホオジロ1羽の声が聞こえていました。暫く粘って、工事現場の草むらのてっぺんで一心になく姿を確認しました。今日はこの1羽のみでした。
 林縁の大木でメジロの声が聞こえました。小さな声です。姿は2羽のみ確認出来ました。
 
 公園の川は、やっと川が普通の状態に戻り、中洲もでき、水かさも減って澄んでいました。
 中洲の少し大きめの石に、じっと動かない影がありました。鳥では無いのかと思ったのですが、双眼鏡に入れると、黒っぽかったのですがカワセミでした。急いで近くまで行くと、背中の青が少なめでしたが確認出来ました。若鳥なのかも知れません。一瞬、フォバリングして水中に飛びこんで向こう岸に上がると、嘴には小指くらいの銀色に光るものを咥えていました。ここには、やはり魚が多いのですね。だからカワセミがよくやってくるのでしょう。
 セグロセキレイが1羽ずつ4カ所で鳴きながら走っているのが見えました。上人橋から下でも、2カ所で確認しました。

 池には鳥はいませんでした。少しゴミが固まって浮いているところがあり、カイツブリが来れば浮巣となるでしょうか。

 永野川の睦橋付近も本格的工事が始まり、岸の植物は全くなくなって、中洲も全く変わってしまいました。少し残った水辺からカワウが3羽、上流に飛んでいきました。

 公園の法面は綺麗に刈り取られましたが、キツネノカミソリの根は、残してくれたでしょうか。ついでの盗掘など、絶対にしないでほしいです。
 
 先回みた「ツリガネニンジン」は、ほとんど枯れかかっていましたが、花の付き方、葉の付き方から見て「ツリガネニンジン」と確認しました。来年を楽しみにしています。
 
キジ: 赤津川岸で♀若鳥1羽。
カルガモ:赤津川3羽。
カワウ: 大岩橋付近で3羽上流に向かう。
キジバト:大岩橋付近電線に1羽。
アオサギ: 合流点1羽。赤津川1羽、公園池に若鳥1羽、永野川1羽、計5羽。
ダイサギ: 滝沢ハム池に1羽。
サギSP: 錦着山裏の田で2羽。
モズ: 赤津川岸1羽鳴き真似、電線に3羽、大岩橋河川敷林に1羽、1羽、計6羽。
カワセミ:公園川に1羽。
ハシボソカラス、滝沢ハム付近芝生で10羽。
ハシブトカラス:目立つ群れはなかった。
ツバメ:赤津川で2羽、2羽、計4羽。
セッカ:赤津川で鳴き声1羽。
セグロセキレイ:公園川で1羽、1羽、1羽、1羽、永野川1羽、1羽、計6羽。
メジロ: 大岩橋付近林縁で2羽。
ホオジロ:,大岩橋河川敷1羽。
ガビチョウ:滝沢ハム付近で1羽。
 







記憶のなかのイーハトーブ
 イーハトーブを訪ねることは、しばらくできそうにありません。その間、少しずつ記憶を呼びもどし、その時を忘れない様にしたいと思います。

1、イーハトーブでは風が息をしている。
 一人で初めてイーハトーブを訪れたのは、1996年、賢治生誕百年の年でした。もっとも、そのことは意識の中にはなかったのです。賢治のゆかりの地を訪ねてみたい、何年も前から思っていたことですが、旅行など滅多にしないのが普通の世代としては、思い切るまでに時間がかかりました。
 賢治特集の雑誌や、旅行案内を見て、「小岩井農場」、「七ツ森」、「岩手大学」などを地図上で思い浮かべ、ついでに昔から心にあった中尊寺も、と欲張って出かけました。
 盛岡からバスで一番遠距離の網張温泉を目指しました。イーハトーブを見渡せる、と解説書にあったのですが、バスの終点は高地でも何でもなくそれは不可能でした。折り返しのバスで小岩井農場に戻りました。
 多分そこは、賢治が歩いた小岩井にはほど遠い「観光地」だったのでしょうが、日頃目にする風景とは全く違って緑が広がっていて、ベンチの傍らには大木が風に揺れていたのです。
 そこで聞いた風の音は、今まで全く聞いたことのないものでした。吹いてきては一瞬止まり、また大きな風となって吹き抜けるのです。旅の途中でじっくり考える暇もなく、次の目的地、七ツ森へタクシーで行きました。
 その音のことが分かったのは、暫くしてからでした。麦田譲「風の証言」(『火山弾』第42号火山弾の会1997年5月)による、花巻地方を吹く風は、風の息(瞬間風速の最大値と、吹き始めの値、最小値との差)が大きい割合が多いという情報を得ました。
 それが、あの時感じた風だったのです。それは「風の又三郎」の風の音、「どっどど どどうど どどうど、どどう」につながり、さらに賢治のオノマトペ全体に感じられるシンコペーションのリズムのもとにもなっているのだと。 あの時の私の感覚は間違っていなかったのだ、初めての旅で私は飛びきりの経験をしたのだ、と、感動しました。
 その後何度となくイーハトーブへ行っているのですが、その風に出会っていません。いろいろ興味を惹かれるものが多すぎるのかも知れません。
 自由に旅に出ることができるようになったら、あらためて風の音に耳を澄まし、風に包まれ、いろいろな風を体験したいと思います。
 







永野川2021年8月中旬
19日 5:00〜7:00 霧 22℃
 
 降り続いていた雨が、ようやく上がったので勇んで出かけましたが、うっすらと霧が巻いていました。そのために、二杉橋から入り、睦橋を過ぎた辺りで西の霧がかった空に、うっすらとかなり大きな虹が見えました。
 まだ東には太陽が出ていましたが、典型的な「朝の言葉通りの言葉通り、公園につくころには霧が小雨になってしまいました。暗くはなく、大平山も半分ほどは見え、限りなく晴れに近いと思ったので、進んでしまいました。「霧が小雨に変わる」という状景が宮沢賢治の作品にはよく登場するのですが、経験したのは初めてかも知れません。
 二杉橋の近くの工事は進んで西岸の植物はほとんどなくなりました。どこかでコジュケイ、セキレイ類の声がしましたが、ウグイスの声は全く聞こえなくなりました。
 公園の池で、カワセミが対岸に飛んで留まりました。対岸にもう1羽いたようで、さっと草むらに隠れたのが分かりました。
池にはホテイアオイ等の植物は浮いていませんが、カイツブリの巣は今年は見られません。
 公園の川岸でガビチョウの声を聞きました。
 大岩橋近くの電線に、格好良く留まっている鳥影が1羽、キジバトでした。河川敷林では、シジュウカラの声が聞こえ、ホオジロが、河川敷林を登るにつれて3カ所で囀っていました。
 大砂橋近くの河川敷でイカルチドリが2羽、あちこち歩いていたし、カワウが1羽飛び立ちました。永野川の下流の鳥が居場所を移しているようです。
 林縁の大木で、確かにメジロの声が聞こえました。見ると30羽くらいの鳥影が次々と飛びかっていました。カラ類の声は聞こえず、小さなメジロの声ばかりです。姿はなんとか4羽くらいまで確認出来ましたが、次に確認出来たのはエナガでした。はっきりしないのですが、メジロ15+、エナガ15+、ということにしました。もう、ここまで小鳥たちが下りてきたのかと思うとわくわくします。
 ここは、工事現場に近く車は通行止めになっています。この林と続く山と河川敷は、しばらくは、私の探鳥のスポットになります。
 合流点で、チュウサギが20羽、こんどは全部纏まっていたようです。ここは工事半ばの河川敷ですが、もう鳥の居場所になっています。アオサギが堰のすぐ下に1羽じっとしていました。
 滝沢ハム付近林では、モズが鳴き出しました。赤津川東岸で、調査期間中は見えなかったオナガが4羽来ていました。民家の近くでした。
 
 前回から二週間近くたって、もう日の出が遅くなり、4時ではまだ薄暗く、5時になってようやく明るくなる状態です。川岸では、コオロギのような秋の虫の声がしました。季節は早くまわり、探鳥の季節がやってきます。
 公園の法面のキツネノカミソリが株は小さいけれど5カ所くらいになっていました。このまま増えてくれるといいのですが。近くに園芸種のリコリスが一株ありましたが、善意の行為なのでしょうが、自然の均衡を破るような気がします。
 錦着山の北面の道路際に、ツリガネニンジンを見つけました。高山の花、とう認識だったのですが、調べるとかなり広範囲に分布しているようです。輪生する葉は確かだったのですが、もう一度よく確かめようと思います。この辺りは、やはり貴重な自然が残っているのだと思います。

コジュケイ: 二杉橋付近で声。
カルガモ:赤津川3羽。
カワウ: 大砂橋付近で、1羽上流に向かう。
キジバト:大岩橋付近電線に1羽。
アオサギ: 合流点1羽。
チュウサギ: 合流点工事現場に20羽。
サギSP: 大砂橋付近上空1羽。
イカルチドリ:大砂橋近く河川敷で2羽。
モズ: 滝沢ハム付近林で1羽。
カワセミ: 公園池に2羽、公園川に1羽、計3羽。
ハシボソカラス、ほとんど見かけなかった。
ハシブトカラス: 永野川畔に20羽ほどの群れ。
オナガ:赤津川東岸で4羽。
ツバメ:大岩橋付近で2羽、赤津川で4羽、計6羽。
ムクドリ:赤津川田で4羽。
セグロセキレイ:二杉橋付近で1,大岩橋2,公園川で1、1、合流点で1,赤津川で1(囀り)計7羽。
シジュウカラ: 大岩橋河川敷林1
メジロ: 大岩橋付近林縁で15+
エナガ: 大岩橋付近林縁で15+
ホオジロ:,大岩橋河川敷林1羽、1羽、1羽、計3羽。
ガビチョウ:公園で1羽。
 
 







「風の又三郎」に向かってT 童話「種山ヶ原」―「風の又三郎」の生まれるところ―
 「風」を真正面から取り上げた「風の又三郎」に向き合うために、少しずつ考察していこうと思い、今回は、童話「種山ヶ原」を読んでみました。「風の又三郎」の「九月四日」に組み込まれる作品です。
 主人公達二は、「上の原」の牛の放牧場で草刈りをしている祖父と兄に弁当を届けるために出かけます。放牧中の牛が逃げたのを追っているうちに天気が悪くなり迷い、倒れて風雨の中で見た夢が描かれます。
達二の遭難を描きながら、種山ヶ原の自然や嵐の様が中心に描かれ、究極には  
 「風」と人との関わりを描き、そのことが、「風の又三郎」の重要な部分として取り入れられた理由と思われます。
 
実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来るのでした。 
 
 達二の道すがらの描写で、種山ヶ原の地理と天候の関係が描かれます。種山ヶ原に何度も足を運んでいた賢治が体験から感じ取った風の流れが、気候や地理の専門知識をもとに描かれます。風を感じたくて足を運んだのか、そこに行ったので風を感じ取るようになったのか、謎です。
 風景を描くごとに、また物語の進行の節目で「風」が現れます。
 
青い仮面このこけおどし
     太刀を浴びてはいつぷかぷ
     夜風の底の蜘蛛おどり
     胃袋はいてぎつたぎた
 
 達二が、自分が踊った剣舞を思い出している場面で、詩「原体剣舞連」(『春と修羅』)の一部です。
 「剣舞」は岩手県の民俗芸能で、「鹿踊り」とともに賢治が好んで作品に取り入れたものです。県下に約120の伝承団体があるといわれます。
 念仏風流踊りの一種で、面をつけるものとつけないものに大別され、念仏剣舞、ひな子剣舞、鎧剣舞、大念仏(本剣舞)などの種類があり、「けんばい」の語源は、刀を持って激しく躍ることから、あるいは大地を踏みしめる動作「反閇(へんばい)」からなど諸説あり、盂蘭盆に祖先の霊を慰めるのが主な目的で、悪霊退散、衆生済度などの意味があります。鬼剣舞も念仏剣舞の一種で、一般的には「さるこ」や「かっかた」と呼ばれる仏の化身(地域によっては道化面や狐面の場合もある)が「いかもの」などと呼ばれる忿怒面の怨霊(または亡魂)を打ち払う様子が描かれ、ひな子剣舞は女児を中心とした華やかな舞踊と太鼓の曲打ちが特徴です。(HP いわての文化情報大事典)
 詩「原体剣舞連」(『春と修羅』)は賢治が1917年(大正6)年8月28日から江刺郡土性調査の折り見た剣舞の感動を詩にしたものといわれます。タイトル「上伊手剣舞連」として、歌稿593「うす月に/かゞやきいでし踊り子の/異形を見れば こゝろ泣ゆも」、594「うす月に/むらがり踊る剣舞の/異形きらめき小夜更けにけり」があります。9月3日付け保阪嘉内宛て書簡40にも同時に書かれた短歌4首があります。
 また、タイトル〔原体剣舞連〕が付けられた、歌稿604〔さまよへるたそがれ鳥に似たらずや青仮面(仮面にルビ、めん)つけて踊る若者〕(削除・雑誌掲載)、歌稿605わかものの/青仮面の下に付くといき/ふかみ行く夜をいでし弦月があり、より詩に近い印象が描かれます。
 原体剣舞は、今も奥州市江刺区田原で、盆の8月13日から16日、寺の境内、街路、民家の庭などで行われています。
 二村とも江刺郡のなかに近接していて、原体は田原となり、昭和30年、近接九村とともに、江刺町となり、江刺市を経て、2006年奥州市江刺伊手、江刺田原となります。
原体剣舞連
     (mental sketch modified)
 
   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手たちよ
鴇いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
青らみわたる灝気をふかみ
楢と椈とのうれひをあつめ
 蛇紋山地に篝をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
   dah-dah-sko-dah-dah
月月に日光と風とを焦慮し
敬虔に年を累ねた師父たちよ肌膚を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗び
 
こんや銀河と森とのまつり
准平原の天末線に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をどよませ
  Ho!Ho!Ho!
     むかし達谷の悪路王
     まつくらくらの二里の洞
     わたるは夢と黒夜神
     首は刻まれ漬けられ
アンドロメダもかゞりにゆすれ
     青い仮面このこけおどし
     太刀を浴びてはいつぷかぷ
     夜風の底の蜘蛛おどり
     胃袋はいてぎつたぎた
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
さらにただしく刃を合はせ
霹靂の青火をくだし
四方の夜の鬼神をまねき
樹液もふるふこの夜さひとよ
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲と風とをまつれ
  dah-dah-dah-dahh
夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
太刀の軋りの消えぬひま
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻萓穂のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
 
 詩の発想年月日は1922(大正11)年8月3日です。夜空の下に繰り広げられる剣舞の動きや、夜空のもとに輝く光の怪しさを描き出しています。アルファベット表記のオノマトペは、体に響くリズムを感じさせます。動きには光とともに踊り手を包む「風」が描かれます。
 詠いだしは朝の風、「草色の火」です。
 
生しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
 
 そして踊り手たちの身体に刻まれた「風」です。
 
月月に日光と風とを焦慮し
敬虔に年を累ねた師父たちよ肌膚を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗び
 
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲と風とをまつれ
 
次は舞手を包む風です。
 
青い仮面このこけおどし
     太刀を浴びてはいつぷかぷ
     夜風の底の蜘蛛おどり
     胃袋はいてぎつたぎた
 
 詩は、少し変化しながら童話中に取り入れられています。まず回想している場面で
 
夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
 
青い仮面このこけおどし
太刀を 浴びては いつぷかぷ
夜風の 底の 蜘蛛をどり
胃袋ぅはいてぎつたりぎったり
 
 これは、遭難した折の幻想の中で聞こえる歌です。
 
夜風さかまき ひのきはみだれ
月は射そゝぐ 銀の矢なみ
 
 種山ヶ原と剣舞、詩「原体剣舞連」が密接に結びつき、剣舞もまた風の中で舞われていることを感じさせます。
 
 放牧場に到着するまでにも、周囲を見ると、どこかからいつも風は吹いているのです。
 
雲がちぎれ、風が吹き、夏の休みももう明日だけです。
 
又、時々、冷たい風が紐のようにどこからか流れては来ましたが、まだ仲々暑いのでした。
 
 兄と別れ、自分と牛だけになった時、事件の始まりを告げる風が吹きます。
 
太陽は白い鏡のやうになって、雲と反対に馳せました。風が出て来て刈られない草は一面に波を立てます。      
 
 牛が逃げ、追いかけているうち草の中に倒れててしまいます。見上げた空も〈まっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走ってゐます。そしてカンカン鳴ってゐま〉した。気を取り直して進みますが、それを遮るかのように風が吹き、風は周囲の草とともに迷いの世界を作ります。
 
冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。      
 
風が来ると、芒の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、忙しく振って、「あ、西さん、あ、東さん。あ西さん、あ、東さん。」なんて云っている様でした。
      
少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでも居るように、一面の草が、それ来たっとみなからだを伏せて避けました。
             
黒い路が俄に消えてしまひました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹いて来ました 。
空が旗のやうにぱたぱた光って翻へり、火花がパチパチパチッと燃えました。
 
やはり夢だかなんだかわりませんでした。風だって一体吹いていたのでしょうか
 
 幻想の中で剣舞をしています。そこでも風は吹きます。
 
「夜風さかまき ひのきはみだれ、」
 
山男がすっかり怖がって、草の上を四つん這いになってやって来ます。髪が風にさらさら鳴ります      
 
 幻想の中で学校の先生と話したり、女の子と会って小鳥をあげたり、山男ら会ったりします。
 山男の髪の毛も風に揺れます。小さな風も見逃していません。その描き方が本当に夢の中の風景ピッタリで、支離滅裂に繋がって不安が増幅していくのが分かります。風が吹くと同時に空も不思議に音を立てて動きます。
 
 空が光ってキインキインと鳴っています。
 
 空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度に雫を払ひまし 
 た。
 
 風が吹き、空が暗くて銀色です。……空がミインミインと鳴りまし   
 た。
 
 空の異変は、ひときわ恐怖を感じさせると思います。身体の上に被さって、鳴るはずのない空からの音、キインキインは引き裂くような金属音、ミインミインは、得体の知れない生ぬるい音です。
 
雷と風の音との中から、微かに兄さんの声が聞えました。
 
 牛も見つかり、探しに来てくれた兄さんの声を運んでくるのも風でした。
風以外にも霧や雫や太陽の光が、不安や喜びを演出しています。特に最後に光の描写は達二の辛い経験を暖かく包み込み輝かせて、これからも山に生きる子供への贈り物しているようです。
 
草からは雫がきらきら落ち、総ての葉も茎も花も、今年の終りの陽の光を吸ってゐます。
はるかの北上の碧い野原は、今泣きやんだやうにまぶしく笑ひ、向ふの栗の木は、青い後光を放ちました。
 
 童話「種山ヶ原」は、賢治の種山ヶ原体験を余すところなく綴っている気がします。そこでは風の動きに敏感に反応する作者の心が感じられます。
 賢治が「風の又三郎」を作った狙いは、「風」を描くためだったと仮定してみると、そこに住む人びとと、やってくるもの、去って行くものの、微妙な気持ちを描くにも、風は重要な役割を持ってくると思われます。次章で検討します。
 
  
 
 
 







永野川2021年8月上旬
6日 5:00〜7:00 曇23℃ 
 
 赤津川から廻ろうと、錦着山北側を通ると、造園会社の植木畑の木の頂上で、ガビチョウがいて囀っていました。ずっと留まっていたので、よく見ることができた。かなり長い尾で、美しかったら人気が出そうですが、少し間抜けな眼の縁どり、あまり美しくはない褐色で、印象を悪くしているのかも知れません。大岩橋河川敷林でも、橋の上から見える位置の木に留まって囀っていたので観察できました。
 ヒバリが1羽、空に舞って、ツバメも2羽往来しました。
赤津川に入ると、田にサギが群れていました。なんとか嘴を観察するとチュウサギ11羽でした。他にも4羽、5羽の群れもいました。季節ですね。上空をカルガモが移動していました。
 セッカの声が聞こえました。確かに上昇時の声ですが姿は見えず、次には下降する時の声に変わりました。暫く見ていましたが、姿は確認出来ませんでした。
 ムクドリとセグロセキレイも田の畔を飛んでいました。
 川岸の木にモズが飛び移りました。尾や特徴的な動作も見せず、別の鳥かと思いましたが、鳴き声で判別しました。
 合流点でチュウサギが14羽、追いこされた記憶はないのですが、さっきの場所から観察の折り返し点に行っている間に移ったのかもしれないので、先ほどの群れが一部移った北と判断しました。
 滝沢ハムの森で何か動き、よく見るとヒヨドリ3羽でした。でも鳴き声も立てず3羽がくっついて移動していました。幼鳥のきょうだいかと思えます。
滝沢の川沿いの木は、害虫にやられたものが半分くらいで、そのせいかスズメたちが活発に動いているようでした。
 大岩橋の養護学校近くの電線で、スズメとは違う声が聞こえました。色彩ははっきりしませんが、黄色の斑紋で、カワラヒワ幼鳥と判断しました。今、雛が成長して動き出す時季なのでしょう。
 大砂橋近くの工事現場でホオジロの声がしましたが姿は見えませんでした。林でも猛禽類の姿も声もありませんでした。
 永野川に入り、睦橋を過ぎたころ、ダイサギが2羽昇って行きました。あらためて先ほどのチュウサギとの違いを確認しました。
 突然黒い鳥の6羽の群れが飛び上がって上流に向かっていきました。カワウです。この辺りではこの数は珍しいことです。
 いつもカワセミがいた、二杉橋上の流入孔は工事が少し進んだせいか何もいませんでした。工事の後はどうなるでしょう。楽しみと不安と入り交じります。
 
 土手の法面のキツネノカミソリが咲きました。昨年より株数が少なく、纏まったのは一株だけです。今年は周囲が刈り取られていなくて、このまま花もろとも刈り取られるかも知れません。
 何十年ぶりかで、錦着山裏で、ヒグラシの声を一瞬聞きました。もっとたくさんいるのでしょうか。子供のころの記憶では、夕暮れの声のイメージがあります。実際には、夜明けのころから夕暮れまで鳴き、曇って暗めの日にも鳴き、夏の初めから秋近くまで鳴くそうです。
 
カルガモ:赤津川上空で3羽、公園の池2羽、計5羽。
カワウ: 睦橋付近で、6羽上流に向かう。
アオサギ: 合流点1羽、赤津川1羽、永野川睦橋付近1羽、計3羽。
ダイサギ:睦橋付近で、上空を、上流へ2羽。
チュウサギ: 赤津川水田に11羽、4羽、5羽、計20羽。
イカルチドリ: 赤津川で上流へ1羽。
モズ: 赤津川川岸の低木に1羽。
ハシボソカラス、ハシブトカラス:目立った群れは見られなかった。
ヒバリ:錦着山裏の田で上空1羽。
ツバメ:錦着山裏の田で上空2羽、赤津川、2羽、1羽、2羽、2羽、永野川1羽、2羽、計12羽。
ヒヨドリ:滝沢ハム林で幼鳥3羽。
ウグイス:大岩橋付近1羽、滝沢ハム付近1羽、計2羽。
ムクドリ:赤津川田で1羽。
スズメ: 目立った群れはなかった。
セグロセキレイ:赤津川1羽、滝沢ハム付近1羽、大岩橋1羽、公園川で1羽、1羽、1羽、1羽、計7羽。
カワラヒワ: 大岩橋付近施設の電線で幼鳥2羽。
シジュウカラ: 大岩橋河川敷林1羽。
ホオジロ:上人橋まで1羽、1 羽、1羽、大岩橋付近1羽、計4羽。
ガビチョウ:錦着山裏の田の樹頂で1羽、大岩橋河川敷林1羽、計2羽。