「風」を真正面から取り上げた「風の又三郎」に向き合うために、少しずつ考察していこうと思い、今回は、童話「種山ヶ原」を読んでみました。「風の又三郎」の「九月四日」に組み込まれる作品です。
主人公達二は、「上の原」の牛の放牧場で草刈りをしている祖父と兄に弁当を届けるために出かけます。放牧中の牛が逃げたのを追っているうちに天気が悪くなり迷い、倒れて風雨の中で見た夢が描かれます。
達二の遭難を描きながら、種山ヶ原の自然や嵐の様が中心に描かれ、究極には
「風」と人との関わりを描き、そのことが、「風の又三郎」の重要な部分として取り入れられた理由と思われます。
実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来るのでした。
達二の道すがらの描写で、種山ヶ原の地理と天候の関係が描かれます。種山ヶ原に何度も足を運んでいた賢治が体験から感じ取った風の流れが、気候や地理の専門知識をもとに描かれます。風を感じたくて足を運んだのか、そこに行ったので風を感じ取るようになったのか、謎です。
風景を描くごとに、また物語の進行の節目で「風」が現れます。
青い仮面このこけおどし
太刀を浴びてはいつぷかぷ
夜風の底の蜘蛛おどり
胃袋はいてぎつたぎた
達二が、自分が踊った剣舞を思い出している場面で、詩「原体剣舞連」(『春と修羅』)の一部です。
「剣舞」は岩手県の民俗芸能で、「鹿踊り」とともに賢治が好んで作品に取り入れたものです。県下に約120の伝承団体があるといわれます。
念仏風流踊りの一種で、面をつけるものとつけないものに大別され、念仏剣舞、ひな子剣舞、鎧剣舞、大念仏(本剣舞)などの種類があり、「けんばい」の語源は、刀を持って激しく躍ることから、あるいは大地を踏みしめる動作「反閇(へんばい)」からなど諸説あり、盂蘭盆に祖先の霊を慰めるのが主な目的で、悪霊退散、衆生済度などの意味があります。鬼剣舞も念仏剣舞の一種で、一般的には「さるこ」や「かっかた」と呼ばれる仏の化身(地域によっては道化面や狐面の場合もある)が「いかもの」などと呼ばれる忿怒面の怨霊(または亡魂)を打ち払う様子が描かれ、ひな子剣舞は女児を中心とした華やかな舞踊と太鼓の曲打ちが特徴です。(HP いわての文化情報大事典)
詩「原体剣舞連」(『春と修羅』)は賢治が1917年(大正6)年8月28日から江刺郡土性調査の折り見た剣舞の感動を詩にしたものといわれます。タイトル「上伊手剣舞連」として、歌稿593「うす月に/かゞやきいでし踊り子の/異形を見れば こゝろ泣ゆも」、594「うす月に/むらがり踊る剣舞の/異形きらめき小夜更けにけり」があります。9月3日付け保阪嘉内宛て書簡40にも同時に書かれた短歌4首があります。
また、タイトル〔原体剣舞連〕が付けられた、歌稿604〔さまよへるたそがれ鳥に似たらずや青仮面(仮面にルビ、めん)つけて踊る若者〕(削除・雑誌掲載)、歌稿605わかものの/青仮面の下に付くといき/ふかみ行く夜をいでし弦月があり、より詩に近い印象が描かれます。
原体剣舞は、今も奥州市江刺区田原で、盆の8月13日から16日、寺の境内、街路、民家の庭などで行われています。
二村とも江刺郡のなかに近接していて、原体は田原となり、昭和30年、近接九村とともに、江刺町となり、江刺市を経て、2006年奥州市江刺伊手、江刺田原となります。
原体剣舞連
(mental sketch modified)
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手たちよ
鴇いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生しののめの草いろの火を高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
青らみわたる灝気をふかみ
楢と椈とのうれひをあつめ
蛇紋山地に篝をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
月月に日光と風とを焦慮し敬虔に年を累ねた師父たちよ肌膚を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗び
こんや銀河と森とのまつり
准平原の天末線に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をどよませ
Ho!Ho!Ho!
むかし達谷の悪路王
まつくらくらの二里の洞
わたるは夢と黒夜神
首は刻まれ漬けられ
アンドロメダもかゞりにゆすれ
青い仮面このこけおどし 太刀を浴びてはいつぷかぷ
夜風の底の蜘蛛おどり
胃袋はいてぎつたぎた
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
さらにただしく刃を合はせ
霹靂の青火をくだし
四方の夜の鬼神をまねき
樹液もふるふこの夜さひとよ
赤ひたたれを地にひるがへし雹雲と風とをまつれ
dah-dah-dah-dahh
夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
太刀の軋りの消えぬひま
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻萓穂のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
詩の発想年月日は1922(大正11)年8月3日です。夜空の下に繰り広げられる剣舞の動きや、夜空のもとに輝く光の怪しさを描き出しています。アルファベット表記のオノマトペは、体に響くリズムを感じさせます。動きには光とともに踊り手を包む「風」が描かれます。
詠いだしは朝の風、「草色の火」です。
生しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
そして踊り手たちの身体に刻まれた「風」です。
月月に日光と風とを焦慮し
敬虔に年を累ねた師父たちよ肌膚を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗び
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲と風とをまつれ
次は舞手を包む風です。
青い仮面このこけおどし
太刀を浴びてはいつぷかぷ
夜風の底の蜘蛛おどり
胃袋はいてぎつたぎた
詩は、少し変化しながら童話中に取り入れられています。まず回想している場面で
夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
青い仮面このこけおどし
太刀を 浴びては いつぷかぷ
夜風の 底の 蜘蛛をどり
胃袋ぅはいてぎつたりぎったり
これは、遭難した折の幻想の中で聞こえる歌です。
夜風さかまき ひのきはみだれ
月は射そゝぐ 銀の矢なみ
種山ヶ原と剣舞、詩「原体剣舞連」が密接に結びつき、剣舞もまた風の中で舞われていることを感じさせます。
放牧場に到着するまでにも、周囲を見ると、どこかからいつも風は吹いているのです。
雲がちぎれ、風が吹き、夏の休みももう明日だけです。
又、時々、冷たい風が紐のようにどこからか流れては来ましたが、まだ仲々暑いのでした。
兄と別れ、自分と牛だけになった時、事件の始まりを告げる風が吹きます。
太陽は白い鏡のやうになって、雲と反対に馳せました。風が出て来て刈られない草は一面に波を立てます。
牛が逃げ、追いかけているうち草の中に倒れててしまいます。見上げた空も〈まっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走ってゐます。そしてカンカン鳴ってゐま〉した。気を取り直して進みますが、それを遮るかのように風が吹き、風は周囲の草とともに迷いの世界を作ります。
冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。
風が来ると、芒の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、忙しく振って、「あ、西さん、あ、東さん。あ西さん、あ、東さん。」なんて云っている様でした。
少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでも居るように、一面の草が、それ来たっとみなからだを伏せて避けました。
黒い路が俄に消えてしまひました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹いて来ました 。
空が旗のやうにぱたぱた光って翻へり、火花がパチパチパチッと燃えました。
やはり夢だかなんだかわりませんでした。風だって一体吹いていたのでしょうか
幻想の中で剣舞をしています。そこでも風は吹きます。
「夜風さかまき ひのきはみだれ、」
山男がすっかり怖がって、草の上を四つん這いになってやって来ます。髪が風にさらさら鳴ります
幻想の中で学校の先生と話したり、女の子と会って小鳥をあげたり、山男ら会ったりします。
山男の髪の毛も風に揺れます。小さな風も見逃していません。その描き方が本当に夢の中の風景ピッタリで、支離滅裂に繋がって不安が増幅していくのが分かります。風が吹くと同時に空も不思議に音を立てて動きます。
空が光ってキインキインと鳴っています。
空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度に雫を払ひまし
た。
風が吹き、空が暗くて銀色です。……空がミインミインと鳴りまし
た。
空の異変は、ひときわ恐怖を感じさせると思います。身体の上に被さって、鳴るはずのない空からの音、キインキインは引き裂くような金属音、ミインミインは、得体の知れない生ぬるい音です。
雷と風の音との中から、微かに兄さんの声が聞えました。
牛も見つかり、探しに来てくれた兄さんの声を運んでくるのも風でした。
風以外にも霧や雫や太陽の光が、不安や喜びを演出しています。特に最後に光の描写は達二の辛い経験を暖かく包み込み輝かせて、これからも山に生きる子供への贈り物しているようです。
草からは雫がきらきら落ち、総ての葉も茎も花も、今年の終りの陽の光を吸ってゐます。
はるかの北上の碧い野原は、今泣きやんだやうにまぶしく笑ひ、向ふの栗の木は、青い後光を放ちました。
童話「種山ヶ原」は、賢治の種山ヶ原体験を余すところなく綴っている気がします。そこでは風の動きに敏感に反応する作者の心が感じられます。
賢治が「風の又三郎」を作った狙いは、「風」を描くためだったと仮定してみると、そこに住む人びとと、やってくるもの、去って行くものの、微妙な気持ちを描くにも、風は重要な役割を持ってくると思われます。次章で検討します。