「さいかち淵」の制作は1924(大正13)年ころと推定されます。この作品の「創作メモ」は残っていません。
改稿されて、「風の又三郎」の九月七日、九月八日の章に組み込まれます。
「風の又三郎」との相違点は、章題が「八月一三日」、「八月一四日」、「ぼく」という第一人称で語られ、主な登場人物は「しゅっこ」です。「しゅっこ」は通称で、本当の名前は「舜一」です。「三郎」も登場しますが子供たちの一人です。下級生の「ペ吉」は同じ役割で登場します。
子供たちが、「さいかち淵」に水遊びに行き、「八月十三日」の章では、発破で魚を捕る大人に混じって魚を捕り、さらに、賢治を彷彿とさせる「変な人」に会います。
八月十四日の章では、しゅっこが毒もみの丹礬を持ち込んで、子供たちを誘って魚を捕りますが、思わしくなく、みんなで川遊びや鬼ごっこをします。争ううちに、夕立となり、風雨の中で不気味な歌声を聞きます。
豊沢川と北上川の合流点から西に3キロ遡ったところに道地橋があります。その橋のすぐ下流の北にあった川原小屋淵と、100メートル下流の南側のまごい淵を、賢治は「さいかち淵」と名づけたようです。当時子供たちの遊び場でサイカチの大木があり、1940(昭和15)年の映画「風の又三郎」のロケ地に使われました。
花巻市石神町の住宅地の中に「さいかち淵」の石碑があります。現在は川筋が変わってしまいましたが当時はこの近くまで流れが来ていたそうです。
1989年「風の又三郎 ガラスのマント」のロケ地は、新しい川筋の道地橋下流で行われ、今はサイカチの大木などもある公園となっています。
サイカチはマメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属落葉高木で、樹高は10メートルから20メートルにも達します。枝や幹に大きな棘があり、葉は羽状偶数複葉で日陰を作り、風に吹かれると、さやさやと鳴ります。秋には10〜20センチの鞘状の実をつけます。莢にはサポニンが含まれ、石けんの代用になります。
「さいかち淵」には1回だけですが、「風の又三郎」では子供たちがサイカチの木に登る場面が4回あります。棘のある木に子供たちがどうやって登ったのか疑問です。棘無しサイカチが自生していたとは考えにくいので、棘を避けて登ることも技の一つだったのでしょうか。
……
そのうちに、いきなり林の上のあたりで、雷が鳴り出した。と思ふと、まるで山つなみのやうな音がして、一ぺんに夕方がやって来た。
風までひゅうひゅう吹きだした。淵の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまった。河原にあがった子どもらは、着物をかかへて、みんなねむの木の下へ遁げこんだ。ぼくも木からおりて、しゅっこといっしょに、向うの河原へ泳ぎだした。そのとき、あのねむの木の方かどこか、烈しい雨のなかから、
「雨はざあざあ ざっこざっこ、風はしゅうしゅう しゅっこしゅっこ。」といふやうに叫んだものがあった。しゅっこは、泳ぎながら、まるであわてて、何かに足をひっぱられるやうにして遁げた。ぼくもじっさいこはかった。やうやく、みんなのいるねむのはやしについたとき、しゅっこはがたがたふるへながら、
「いま叫んだのはおまへらだか。」ときいた。
「そでない、そでない。」みんなは一しょに叫んだ。ペ吉がまた一人出て来て、「そでない。」と云った。しゅっこは、気味悪そうに川のはうを見た。けれどもぼくは、みんなが叫んだのだとおもふ。(八月十四日)
嵐のなかから聞こえる声は、「風の又三郎」では「風はどっこどっこ又三郎」ですが、ここでは、登場人物「しゅっこ」からの音愉で、「風はしゅうしゅう しゅっこしゅっこ。」となっています。
この声については、「毒もみ」という禁忌を犯したものへの恐ろしい声、鬼ごっこで少し乱暴な手を使って子供たちを川に落として捕まえた、しゅっこへの子供たちの報復の声(注1)とする説があります。
「「そでない、そでない。」みんなは一しょに叫んだ。ペ吉がまた一人出て来て、「そでない。」と云った。」という言い方は、いかにも子供の言い訳らしく聞こえ、子供たちの声だと言うことを証明しているようでもあります。
現実の子供たちの仕返しの声に、得体の知れない声を感じさせ、物語の方向性を変える手法は、見事だと思います。「風の又三郎」では、さらに伝説の風の又三郎への恐怖と転校生への不信を重ねます。
不気味さを描くのは川の流れや雨で、風の描写は最後の二例のみです。ただし突然聞こえてきて、決定的に子供たちを恐怖の底に陥れて、「風」の魔性の暗喩となっているようです。
賢治が「風の又三郎」の制作に関するメモを残しているのは、1931(昭和六)年一月以降使用の「MEMO印手帳」の3〜26ページです。「さいかち淵」制作期と推定される1924(大正十三)年には、既に子供と風、風の精と子供、という関係に注目し始めていたと言うことでしょうか。
ほとんどの部分は子供たちの川遊びを描くこの作品を、「風の又三郎」に組み込んだのは、この最後の、風の中から誰の声ともなく聞こえる声を、作品に登場させるためだったのではないでしょうか。
注1秋枝美保「さいかち淵」論 『近代文学試論 第18号』 1979、11 『日本文学研究資料叢書 宮沢賢治U』有精堂 1983再録
参考文献:天沢退二郎『謎解き・風の又三郎』 丸善ライブラリー33
1991