宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2022年3月上旬
永野川緑地公園 5日 13:50〜15:30 晴13℃
 もう一度ワンド跡等を見たくて、午后行ってみました。幾分風がありましたが、暖かでした。
 まず合流点から公園に入ります。合流点の堰の水たまりでコガモが4羽泳いでいました。ここで鳥を見るのは久しぶりです。工事が少しずつ落ち着いてきたのかも知れません。
 滝沢ハム付近の草地でムクドリ37羽が群れていました。
 滝沢ハムの池は、鳥影が少なく見えたのですが、なんとオカヨシガモが9羽、今冬最多、この場所では初めてです。他にはコガモが3羽、カワウが1羽。カワウがこの頃ここによくいます。
 林からカワラヒワ11羽が飛び立ち、羽の模様が綺麗に見えました。
 ワンドに近い川縁に行ってみましたが、オオバンは見えなくて、コガモが6羽、ここは以外と広く流れの緩い浅瀬がありました。
 滝沢近くの植え込みと芝生にハシブトカラス30羽、ハシボソカラス10羽が飛び回っていました。原因は何でしょうか。トビも1羽混じっていました。そのせいか鳥類は見えません。今年はイカルには会えないのかも知れません。
 滝沢近くのハリエンジュの林にシジュウカラが2羽、今日は目視出来ました。
 大岩橋の皆川側の土手の草地にアオジ1羽発見。ここは2年ほど前にすっかり草や低木が刈られてしまい、足を向けなかったのですが、今また戻りつつあって、鳥も増えているようです。
 ダイサギが2羽、1羽は川を上り、1羽は下って行きました。
 河川敷林の林縁にカシラダカが1羽、ホオジロが2羽でてきました。
 公園の川はウイークデイなので静かでしたがセグロセキレイ、ハクセキレイ1羽ずつのみでした。
 逆側からワンド跡の縁に近づいてみましたが、急斜面で降りにくく、少し草地の中にいると、綺麗な小鳥のさえずりが聞こえました。声は細く、カシラダカかも、と思って帰って確認、やはりカシラダカのぐぜりに一番近いものでした。
 帰り際、オオジュリンがチーという声を出し1羽て飛び上がってきました。
公園の西池に溢れるようにカモが見えました。ヒドリガモ84羽、今季最多でした。オカヨシガモは、ここにも4羽いました。
 東池にカルガモ48羽、オカヨシガモ2羽。アオサギが1羽、ヒドリガモ、オカヨシガモともに今季最多でした。
 いつ違う違う時間帯でしたが、たくさんの鳥に出会えました。
 
カルガモ:公園東池で48羽。
コガモ:合流点で4羽、滝沢池で3羽、公園ワンド裏の川で6羽、計13羽。
ヒドリガモ:公園西池84羽。
オカヨシガモ:滝沢ハム池で9羽、公園西池で4羽、東池で2羽、計15羽。
カワウ: 滝沢ハム池1羽。
キジバト:滝沢ハム林の中3羽。
アオサギ:東池1羽。
ダイサギ:大岩橋付近上空1羽、1羽。
トビ: 滝沢ハム林付近上空1羽。
スズメ:特に目立った群れは見えない。
ムクドリ:滝沢ハム林の草地37羽。
ハシボソカラス、滝沢林付近に10羽
ハシブトカラス: 滝沢林付近に30羽
ヒヨドリ: 数は増えているが目立った群れはなかった。
ハクセキレイ:滝沢ハム付近1羽、公園川1羽、計2羽。
セグロセキレイ:滝沢ハム付近1羽、公園川1羽、計2羽。
カワラヒワ: 滝沢ハム林11羽、公園で3羽、計14羽。
シジュウカラ: 滝沢ハム付近ハリエンジュ林で2羽。
ホオジロ:大岩橋河川敷林の林縁2羽。
アオジ: 大岩橋皆川側土手の草地に1羽。
カシラダカ:大岩橋河川敷林林縁1羽、公園ワンド跡にぐぜりの声。
オオジュリン: 公園ワンド跡に1羽。[俊子1] 
 
7日 永野川赤津川 9:30〜10:00 晴 13℃ 
 出かけたときは寒いくらいでしたが、風もなく帰りは汗ばむようでした。
 二杉橋から入ると、工事は全力展開の様子です。岸はすべてコンクリート護岸で覆われていきます。
 上人橋まで、ホオジロ1羽囀り、セグロセキレイ1羽、1羽、電線にムクドリ8羽のみでしたが、逆にこんな中でも諦めない鳥は強いと思います。
 公園の東池にはカルガモ4羽のみでした。
 西池にカルガモ31羽、ヒドリガモ57羽、オカヨシガモ4羽、アオサギが1羽、日により場所を変えているようです。
 ワンド跡に少し入ってみたら、草の中にキジ♂1羽が潜んでいました。思えば一昔前は芝生以外はほとんど草むらで、あちこちにキジが潜んで鳴いていたのでした。ワンド影の川にコガモ1羽のみ、今日もオオバンは見えません。
 今日もさえずりが聞こえましたが、カシラダカではないもう少し大きな声でした。セグロセキレイだったかも知れません。
 公園の中洲にイカルチドリが1羽、少し遠く、間に草むらがあってよく見えませんでしたが、この季節まだイカルチドリだと思います。ハクセキレイも1羽見えました。
大 岩橋の河川敷林でウグイスの地鳴き2カ所で聞こえました。シジュウカラの声も聞こえた。
 大岩橋の上から河川敷林を覗いてみました。ちょうど順光で、風もなく、少し留まったらカシラダカ4羽姿を見せました。カワラヒワも二羽、林の底に動きが有りアオジ2羽を確認出来ました。こんな場所で永くじっとしていると怪しまれそうな気もします。
 滝沢ハムの池にカルガモ4羽、コガモ1羽、林にムクドリ4羽。ツグミ1羽でした。
 赤津川の岸の草むらに雀の群れ31羽、20羽見えました。寒さが戻り冬の状態になったせいかヒバリの声は聞こえませんでした。
 陶器瓦店下の水域でカルガモ4羽、8羽、コガモ6羽でした。
 バン1羽、かなり額板が赤くなってきました。
 陶器瓦店の上の橋の水域の岸でカワセミ1羽、久しぶりです。普通もう少し下流で見るのことが多く、ここでは珍しいことです。少しして下って行きました。
 瓦店の前の道路でハクセキレイが4羽一緒に歩いていました。
 寒暖の差が激しく、鳥たちどうやって適合していくのか心配です。囀りを始めてしまった鳥はどうするのでしょう。
 公園の早咲きの紅梅に継いで、黄色いサンシュユも満開になり、田ではナズナやタンポポも花を開きました。咲ける場所を見つけて咲く野草のたくましさ、すがすがしさを、大規模工事を眺めながら思いました。
 
キジ:ワンド跡の草むらに♂1羽。
バン: 赤津川、陶器瓦店下の水域に1羽。
カルガモ:公園東池で4羽、西池31羽、滝沢ハム池4羽、赤津川4羽、8  
 羽、計51羽。
コガモ:滝沢池で1羽、公園ワンド裏の川で1羽、赤津川で6羽、計8羽。
ヒドリガモ:公園西池で57羽。
オカヨシガモ:公園東池で4羽。
アオサギ:公園西池1羽、ワンド裏で1羽、計2羽。
ダイサギ:公園上空1羽、滝沢ハム池1羽、計2羽。
イカルチドリ:公園川の中洲に1羽。
モズ: 公園1羽、滝沢ハム林1羽、赤津川1羽、計3羽。
カワセミ: 赤津川、瓦店上の水域で1羽。
スズメ:赤津川岸で31羽、20羽計50羽の群れ。
ムクドリ:永野川第五小付近樹木で8羽、滝沢ハム林で4羽、計12羽。
ハシボソカラス:特に目立った群れはない。
ハシブトカラス:特に目立った群れはない。
ヒヨドリ: 数は増えているが目立った群れはなかった。
ウグイス: 大岩橋河川敷林で1羽、1羽、計2羽。
ハクセキレイ:公園で1羽、赤津川陶器瓦店前の道路で4羽、計5羽。
セグロセキレイ:永野川二杉橋から上人橋まで1羽、1羽、ワンド跡で1羽(囀り)、公園で1羽、1羽、2羽(囀り)計7羽。。
カワラヒワ: 大岩倍河川敷林1羽、1羽、赤津川岸で21羽、6羽、計29羽。
シジュウカラ:大岩橋河川敷林1羽、
ツグミ: 滝沢ハム林で1羽、1羽、赤津川で1羽、1羽、計4羽。
ホオジロ:〜上人橋まで1羽(囀り)、大岩橋河川敷林3羽、1羽、1羽、赤津川1羽、計7羽。
アオジ: 大岩橋河川敷林で1羽。
カシラダカ: 大岩橋河川敷林4羽。







永野川2022年2月下旬
27日 9:30〜11:30 晴 13℃
 
 風も幾分ありましたが、暖かくて、出かける気分になれました。
 赤津川から入ります。
 入ったところで、賑やかな囀りの声が聞こえ、しばらくして枝にホオジロ1羽を確認出来ました。囀っていないものが2羽、もう時季がきたのです。季節のめぐる早さに驚かされるこのごろです。
 間もなくコガモ2羽を岸辺で見つけました。
 その後、泉橋の架橋の下で、小ぶりのサギを見つけました。嘴も黒く顔つきもコサギです。しばらく待って、脚先の黄色が確認出来ました。もはや絶滅危惧種のコサギに会えるのは幸いなことです。
 遡って行く途中で、ムクドリ4羽、モズ1羽、セグロセキレイ1羽、そして水辺にバン1羽、健在でした。
 田の縁にツグミ1羽、1羽、岸辺の木にカワラヒワ18羽、少し下ったところで25羽、カワラヒワのこの数は近頃では多いほうです。
 そして川辺の草むらにカシラダカ2羽、久しぶりで、思いがけないところでの出会いでした。
 そして、まさに季節!ヒバリの囀りが左右の田、2カ所で聞こえました。よいチャンスに巡り会えて嬉しいことでした。
 合流点の川の流入口で、ゴイサギの幼鳥1羽、ここでは何年ぶりでしょうか。今日は運のよい日です。
 滝沢の池にはカワウ1羽、コガモ12羽、カルガモ10羽、オカヨシガモ♀1羽、でした。
 思いがけず、ワンド跡の奥を見えるスポットを見つけました。そして、本当に幸いなことに、草むらから飛び出したのはオオジュリン2羽でした。5,6年前、洪水のずっと以前、赤津川岸の大規模な刈り取りがあってから、ほとんど見ることはありませんでした。
 公園側からではよく見えない水辺にカイツブリ1羽、そして何と、前も何度か見たオオバンが、水辺の湿地を何か突きながら歩いていました。今までは時折迷って来るものと思っていましたが、棲み着いているではないかと思います。秘密の場所としてまた来たいところです。
 大岩橋の河川敷林にはカワラヒワ8羽見えたのみ、どこかでシジュウカラとエナガ混群の声がしましたが、確認出来ませんでした。
 チョウゲンボウが公園から飛んできて山林に消えていきました。
 公園の西池にカモが集まっていて、ヒドリガモ50羽、カルガモ44羽、オカヨシガモ2羽、今日は皆一緒にいて、やはり集まっていると確認が不確かになります。
  西池の片隅でカルガモ2羽が、首を上下し続けていました。帰って確かめて、求愛行動と確認しました。鳥見歴20余年にして初めて出会いました。
  東池にはアオサギ1羽のみでした。
 永野川は日曜日で工事はお休みだったのに、高橋付近にハクセキレイとセグロセキレイのみでした。
 季節の変わり目の出来事にたくさん出会い、またよい探鳥スポットを見つけ、よい日でした。
 
バン: 赤津川で1羽。
オオバン: 公園のワンドの奥、川沿いの湿地に1羽。
カイツブリ:公園川の最下流、ワンドの川沿いに1羽。
カルガモ:赤津川で7羽、2羽、滝沢ハム池10羽、公園西池で44羽、計63羽。
コガモ:赤津川で2羽、滝沢池で12羽、公園で3羽、計17羽。
ヒドリガモ:公園西池50羽。
オカヨシガモ:滝沢ハム池で♀1羽、公園西池で♂2羽。
カワウ: 滝沢ハム池で1羽。
キジバト:滝沢ハム林の中2羽。
アオサギ: 公園川に1羽、公園東池1羽。
ダイサギ:赤津川1羽。
ゴイサギ: 合流点川の流入孔で幼鳥1羽。
コサギ: 赤津川泉橋下で1羽。
チョウゲンボウ:公園から 大岩橋山林に向かって1羽。
モズ:公園の低木に1羽、赤津川に1羽、計2羽。
スズメ:特に目立った群れは見えない。
ムクドリ:公園川岸の木に10羽、赤津川4羽、計14羽。
ハシボソカラス、特に目だった群れはない。
ハシブトカラス: 特に目だった群れはない。
ヒヨドリ: 数は増えているが目立った群れはなかった。
ハクセキレイ:永野川高橋付近1羽。
セグロセキレイ:赤津川1羽、永野川高橋付近1羽、滝沢ハム付近1羽、計3羽。
カワラヒワ: 赤津川18羽、25羽、公園で3羽、大岩橋8羽、計54羽。
ツグミ:赤津川1羽、1羽、計2羽。
ホオジロ:赤津川泉橋下流3羽、1羽囀り。
カシラダカ: 赤津川川岸の草むらから飛び出して3羽。
オオジュリン: 公園ワンド跡に2羽。
 
 







永野川2022年2月中旬
11日 晴 6℃  
錦着山14:15〜14:30    
  時間を変えて登って見ましたが、結果としては先日と変わらず、ほとんど鳥には会えませんでした。
 永野川付近の工事で居場所がなく、こちらに移っているかと思ったのですが、そうではなく、工事で遮断されて、飛来しないのでしょうか。以前は、公園方面から飛び移るカケスの群れなど見たのですが。
 
永野川緑地公園14:30〜15:40
 ゆっくり歩いたつもりですが、あまり成果はありませんでした。
 滝沢ハム付近でモズ1、ムクドリ2、サクラ並木に来てエナガが5羽。
 河川敷林から大岩橋を越えて、カシラダカが1羽、公園のほうにに飛んで行きました。
 ただ公園の調整池には、たくさんのカモが戻っていました。西にヒドリガモ68羽、東にカルガモ56羽、オカヨシガモ♀2羽、♂2羽、今季初です。やはり数が多いのは圧巻です。オカヨシガモの特徴がよく分かってきました。また時間をとって来るようにしたいと思います。
 
永野川赤津川
17日 9:30〜11:30 晴 4℃
 風の気配がありましたが、今旬中は都合がつきにくく、日曜日は天候が悪そうなので、出かけることにしました。
 風は時折強くなりましたが、なんとか普通に進みました。二杉橋に着くと、左(西)から時折強く吹き、自転車が横に流れます。不安でしたが行けるところまで、と思い進みました。
 川は工事車両がたくさん動いていて、鳥の気配もありません。護岸が整然としてきて、何か胸が詰まりました。それでも上人橋までにセグロセキレイが2羽見られました。
 公園の調整池では東池にカルガモが43羽、オカヨシガモ3ペア、はっきりと見分けることが出来ました。
 西池には、住み分けるようにヒドリガモが61羽カウントできました。オカヨシガモをきちんと確認出来たのはそのせいかもしれません。
 公園のワンド跡の草むらの動きがありましたが、出てきたのはモズ1羽、ツグミが1羽のみでした。川岸にもツグミが1羽、川沿いの低木モズ1羽来ていました。
 川岸の倒れた木の根のところには、アオサギがひっそりと動きませんでした。
 シメが1羽、対岸に飛び移りました。シメが見られたので、ひとまず安心しました。
 セグロセキレイも1会いました会いました。川原でイカルチドリの声がしました。定番は皆揃ってはいるのですが、数が少ないのです。ムクドリが対岸の木に11羽飛び移りました。自転車を止めておくと倒されてしまうので気が抜けません。
 大岩橋上から川の上空を見ているとチョウゲンボウが1羽、北から南に飛び移りました。
 滝沢ハム付近の田にハクセキレイが1羽、もう少し進んだところの芝生にも1羽見えました。
 滝沢ハムの池にも鳥影があまりなく、池の中央の土手のところの2羽のコガモとダイサギが1羽のみでした。
 川岸の風が恐いので、赤津川は後にしようかと思いましたが、行けるところまで行こうと決行しました。風は最初より幾分弱まり、なんとか進むことができました。
 田圃にツグミが1羽、ムクドリが電線に11羽留まっていました。
 陶器瓦店の下の橋の下流は、いつも鳥が多く、カルガモ2羽、9羽、カイツブリが1羽、少し離れたところの川岸に小ガモが4羽、隠れるようにしていました。
 帰り際に錦着山裏に錦着山からチチチという声とともにホオジロが1羽飛び出して田圃に入っていきました。
 本当に鳥が少なかったのですが、定番の鳥たちがいたので安心しました。
 工事は見事に川岸をコンクリートで埋めていきます。でも前回の洪水のように、土手を越えて溢れる水には対抗できるのか少し不安です。
 
カイツブリ:赤津川で1羽、
カルガモ:赤津川で2羽、9羽、公園東池で43羽、計54羽。
コガモ:赤津川で4羽、滝沢池で2羽、計6羽。
ヒドリガモ:西池61羽。
オカヨシガモ:公園東池で♂3羽、♀3羽。計6羽。
アオサギ: 公園川に1羽。
ダイサギ:滝沢ハム池に1羽。
イカルチドリ: 公園川に1羽。
チョウゲンボウ: 大岩橋付近の川の上空を1羽。
モズ:公園のワンド跡に1羽、低木に1羽、赤津川に1羽、計3羽。
スズメ:特に目立った群れは見えない。
ムクドリ:公園川岸の木に11羽、赤津川電線に11羽、計22羽。
ハシボソカラス、特に目だった群れはない。
ハシブトカラス: 特に目だった群れはない。
ヒヨドリ: 数は増えているが目立った群れはなかった。
ハクセキレイ: 赤津川1羽、1羽、計2羽。
セグロセキレイ:永野川上人橋付近2羽、公園川で1羽、滝沢ハム付近1羽、 
 計4羽。
ツグミ:公園ワンド後から1羽、対岸の木に1羽、滝沢ハム林に1羽。
ホオジロ:に錦着山裏の田に、錦着山から飛び出して1羽。
シメ:公園対岸に飛び移って1羽。
 
20日 晴 10℃
 思いがけず暖かく時間も空いたので、どちらかというと運動のために出かけました。 
2:00〜2:10
 錦着山に登りました。頂上でエナガ20羽、コゲラ1羽、シジュウカラ2羽の混群が見られました。 
2:10〜3:30
 公園を歩きました。
 滝沢ハム池には、コガモ20羽、オカヨシガモ3羽、ダイサギ1羽、カワウ2羽、賑やかでしたが、しばらくして皆飛び立ってしまいました。1カ所に見られるコガモの数は今季最多でした。
 滝沢ハム林
カワラヒワ3、シジュウカラ2羽、シジュウカラよりも一回り小さく胸の黒斑も小さいものが1羽、ヒガラかも知れませんが確定は出来ませんでした。その他ムクドリ13羽でした。 
 公園の西池ヒドリガモ1羽、カルガモ10羽、東池ヒドリガモ59羽、カルガモ46羽、オカヨシガモ3羽、滝沢ハム池に3羽移ったということでしょうか。 
 公園の川には鳥影が見えませんでした。 
 風が強くなってきて、番外の鳥見は終了です。よい環境は短いものでした。お目当てのイカルは見えませんでした。
 
 
 







永野川2022年2月上旬
6日  10:00〜12:00 晴4℃
 
9:40分ころ
久しぶりに錦着山に登ってみましたがカラスが2、3羽見えたのみで、ヒヨドリもいませんでした。午后の方がよいのかも知れません。
次の機会には、別の時間帯で決まった時刻に登って見ようとおもいます。
 
 二回続けて赤津川から廻ることになりました。思ったよりも風が強くなりました。
 
 入ったところで、川岸からホオジロが4羽飛び立って、公園の方に向かいました。久しぶりにホオジロを見ました。4羽一緒というのもこの辺では珍しいことです。
 ダイサギが1羽上空を舞いました。
 中程で、上空をハトよりも少し大きめのワシタカが旋回して遠くに去りました。下面は白く、尾が細く長かった。羽の形は鋭角ではなかった。このあたりではチョウゲンボウだと思う。
 少し行くとコガモが15羽、いつもより少し多めです。
 陶器瓦店付近でカルガモが20羽とカイツブリが1羽、纏まっていました。カイツブリは幼鳥のように見えました。ハクセキレイも2羽、赤津川は順調に以前に戻りつつあると思います。
 
 合流点近くで、ダイサギが2羽飛び上がりました。小学生が、「わあ、白鳥だ」と叫んで走り去りました。その驚きと喜びが反映されるといいのですが、ここには説明板もありません。
 以前、公園の問題について話し合ったとき、説明板を設置したら、と言う意見もありましたが、そういう仕事をどう進めていくか全く分からなかったし、他の方も全く動かなかったのです。その時は、他のこと―公園のなかの自然環境―に眼を向けていたので、積極的に動くこともしませんでした。賛同のある所で何か動けば実現したのかも知れず、自然環境保護という目的にもつながったかもしれませんが、考えが早急すぎました。
 滝沢ハムの池でカワウが1羽。コガモが11羽、ここは依然として貴重な水場です。
 クヌギ林でコゲラ1羽、確認出来ました。シメも1羽、今日はここで確認、シジュウカラは声のみ確認できました。
 大岩橋上は鳥がほとんど見えませんでした。冷たい風のせいと思いますが、自身の寒さのせいもあって、ゆっくり観察しなかったためかもしれません。
 公園の川の対岸の木にムクドリが群れて31羽、シーズン特有の風景です。
川の東端にカイツブリの小さな影が2羽見えました。ここは別の場所からは見えないところなので、いつも必死の思いで遠くから見ています。
 公園で川岸の木でカワセミ1羽いました。この前2羽見えたところですが、今日は1羽のみでした。そこから少し下ったやはり木が川に張り出しているところでもう1羽みえました。或いはそれぞれが別の相手と営巣しているのでしょうか。
 ここでやっとセグロセキレイ2羽登場、その後永野川で1羽だけでした。
 公園の池、西側ではカルガモ2羽のみでした。
 東池に行くとヒドリガモ34羽、カルガモ19羽、戻っていました。そして、オカヨシガモ♂3羽、♀1羽、戻ってくれました。雌の橙色の嘴はとても目立ち、何か滑稽な顔に見えます。♂も黒い嘴が特徴なのですが、寒さで嘴を埋めていることが多いので、うっかりすると見落としてしまうことになります。
 上人橋から下ると、やはり鳥影は見えず、高橋付近まできてハクセキレイが2羽、セグロセキレイ1羽歩いているのみでした。睦橋下で、カルガモ2羽、鳥たちも、豊かな水が戻るのを待っていることでしょう。
 
カイツブリ:赤津川で1羽、公園川で2羽 、計3羽。
カルガモ:赤津川で20羽、公園東池で19羽、西池で2羽、永野川睦橋付近   
 2羽、計4羽。
コガモ:赤津川で15羽、滝沢池で11羽、計27羽。
ヒドリガモ:公園東池34羽。
オカヨシガモ:公園東池で♂3羽、♀1羽。計4羽。
カワウ:滝沢ハム池1羽。
ダイサギ:赤津川で1羽。合流点付近で2羽、計3羽。
チョウゲンボウ: 赤津川田圃上空で1羽。
モズ:赤津川岸の草むらで2羽。
カワセミ:公園の川で対岸の低木に1羽、1羽、計2羽。
コゲラ: 滝沢ハムのクヌギ林で1羽。
スズメ:特に目立った群れは見えない。
ムクドリ:赤津川田4羽、公園低木に31羽、計35羽。
ハシボソカラス、特に目だった群れはない。
ハシブトカラス: 特に目だった群れはない。
ヒヨドリ: 数は増えているが目立った群れはなかった。
ハクセキレイ: 赤津川2羽、永野川睦橋2羽、計4羽。
セグロセキレイ:永野川睦橋付近1羽、公園川で2羽、計3羽。
カワラヒワ:公園川岸の低木で9羽、1羽、計10羽。 
シジュウカラ: 滝沢ハム林で1羽 
ホオジロ:赤津川岸から飛び立って4羽。
シメ:滝沢ハムクヌギ林1羽。
 







「風の又三郎」に向かってW―童話「風の又三郎」の風
  「風の又三郎」は、転校生高田三郎を迎える小学校の子供たちを描き、転校生への興味と不安が生み出す心模様が中心となっています。「風野又三郎」が、小学校にやってくる風の精「又三郎」と子供たちとの交流を描くのとの相違点です。
 「九月二日」の章には「短い木ペン」の部分が、「九月四日」の章には短篇「種山ヶ原」、「九月八日」の章には、短篇「さいかち淵」が組み入れられます。「短い木ペン」では、転校生の三郎が困った子供に取る都会的な素早い行動を、短篇「さいかち淵」では、川での風雨の底知れぬ恐ろしさを、「種山ヶ原」では高原の風雨の恐ろしさ、を描くための構成と思います。この作品すべてが風を描くために作られているのかも、とさえ思われます。今後考察していきます。
 前稿「風野又三郎」では、吹く風の表現の種類によって考察しましたが、この稿では、一章ずつ、心の中に生じる風景としての風を検討していきたいと思います。
 「又三郎」が何者であったかについては、たくさんの論考がありますが、そのことについては稿をあらため、ここでは、賢治は「又三郎」をあくまで転校生高田三郎として描いている、と言う立場で書き進めます。文中子供らが「又三郎」と呼ぶのは、綽名のようなものと思います。嘉助が「風の精又三郎」を感じ取る感受性は最後に一郎にも伝わります。そこにある、賢治の風への思い、なぜ賢治は、風の精を子供の姿にして、学校に出現させたか、については、後の稿で考察したいと思います。
 
一、「九月一日」
 
どっどどどどうど どどうど どどう、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんもふきとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
 
さはやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでし
た。
 
 冒頭部分は象徴的な挿入歌があり、風の吹きぬける背景を演出します。挿入歌は部分的な違いあっても「風野又三郎」と同様な形式と内容を持っています。この歌は二作に共通する、風への賛歌と捉えてもよいのではないでしょうか。そして青空を吹き抜ける爽やかな風が描かれます。
 
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもは何だかにやっとわらってすこしうごいたやうでした。すると嘉助がすぐ叫びました。
「ああわかったあいつは風の又三郎だぞ。」
 
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた云はせうしろの山の萱をだんだん上流の方へ青じろく波だてて行きました。
 
 現実の話として教室が描かれます。風は窓ガラスをならし、うしろの山の栗の木や萱を青白くします。突然現れた「不思議な子供」三郎、子供たちの心のなかに生まれる不安を演出しています。子供たちの目に映る「三郎」は誰もいない教室に忽然と座っている赤毛のこどもでした。そしていつの間にかいなくなっているのです。見知らぬ子供の描き方としては秀逸です。「変てこな鼠いろのだぶだぶの上着を着て白い半ずぼんをはいてそれに赤い革の半靴をはいて」いるのは田舎風でない都会の身なりを表しているのでしょう。
 子供の姿は突然消えて、次には先生とともに出てきて、転校生で高田三郎であることが分かります。その恐怖に近い心情を表すのは風です。
心情的に行動する子供として描かれる嘉助は、「ああわかったあいつは風の又三郎だぞ。」と叫びます。
 
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り雑巾を入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
 
 そして始業式が終り、子供たちがバラバラに去った後、がたがた言う窓ガラスとバケツにたつ黒い波は、子供たちの心に残った不安を象徴する風と言えます。
 
二、九月二日、
 
「九月二日」は始まった三郎との子供たちとの交わりが描かれます。
 
谷川はそっちの方へきらきら光ってながれて行きその下の山の上の方では風も吹いてゐるらしくときどき萱が白く波立っていました
 
 子供たちの心の変化の記述の先には必ず風の描写があります。転校生高田三郎への疑念を風の吹く風景で表しています。これは、登校を待つ子供たちの目に映る三郎の来る方向の景色です。
 それをバックに、登校してきた三郎はみなに「おはよう」と声をかけます。子供同士で挨拶する習慣のなかった子供たちは少しどぎまぎし会話はなり立たず、不自然な空気が流れます。
 
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり運動場のまん中でさあっと塵があがりそれが玄関の前まで行くときりきりとまはって小さなつむじ風になって黄いろな塵は瓶をさかさまにしたやうな形になって屋根より高くのぼりました。すると嘉助が突然高く云いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいつ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
 
 また風が吹きます。嘉助は三郎が「風の又三郎」だと思い始めます。
 授業が始まります。途中で「みぢかい木ペン」の挿話が入ります。「みぢかい木ペン」は、学校で木ペンを友達に取られてしまったキッコが森の中で不思議な老人にもらった木ペンを使うと、計算もうまく行き、絵も上手に描けます。そのためにだんだん傲慢になり、弱いものいじめまで始めますが、あるとき、木ペンを無くしてしまって、その力を失います。そこから先の原稿が失われているのでその続きは分かりません。内容の共通点は木ペンを奪われる、ということだけですが、感じられるのは、素早く奪う意地悪と、当時木ペンが貴重なものだったとうことでしょうか。
 兄に木ペンを奪われて泣き出す下級生を見ていた三郎は素早く兄に一本しかない自分の鉛筆をあげてしまい、その後は消し炭を使っています。見ていたのは最上級生の一郎一人でした。その素早さはやはり都会的なことを感じさせます。また自分では家に帰れば複数を持っていたのかも知れず、都会の豊かさも感じさせます。これを目撃した一郎は「まるで何と云ったらいいかわからない変な気持ちがして歯をきりきり云わせ」ます。これは自分たちとは違う処し方を感じ取ったことの表れかと思います。
 
三、「九月四日」
 
 「種山ケ原」からの転用の部分です。風の吹くのは同じ場面ですが、微妙に違いがあります。
 「種山ヶ原」には存在しない、空を飛ぶ「高田三郎」が登場します。〈どんどんどんどん〉吹いてくる風の中に、ガラスのマントを羽織った「三郎」が空を飛んでいます。「種山ヶ原」で耕一にとっての怖さは、山男にさらわれることでしたが、ここでは嘉助の心の中にある「三郎」への疑念が怖さとなっています。
 物語は実在と嘉助の心のなかの二つの舞台を巧みに描き出し、「風の又三郎」はファンタジイとして成立します。短い中に、「風」という言葉を使った表現だけでも七例あります。そのほか、空の色、音など独特な表現が、子供の不安を表します。
 
「あゝ暑う、風吹げばいいな。」
「どごがらだが風吹いでるぞ。」
「又三郎吹がせだらべも。」
 
 子供たちは連れだって上野の原に馬の放牧をしている一郎の兄を訪ねて遊びに行きます。ここでは風が快く吹くことを願っています。嘉助は、三郎が風の精又三郎という意識が強いのでこんな発言をします。
 
みんなが又あるきはじめたとき湧水は何かを知らせるやうにぐうっと鳴り、そこらの樹もなんだかざあっと鳴ったやうでした。
 
空にはうすい雲がすっかりかかり、太陽は白い鏡のやうになって、雲と反対に馳せました。風が出て来てまだ刈ってない草は一面に波を立てます。
 
 途中で、後の嵐を予感させる事実が書き込まれています。上の野原では、牧場内で遊ぶよう云われていたのですが、三郎の発案で、馬を走らせようと云うことになり、そのうち柵の壊れ目から馬が逃げてしまいます。嘉助と三郎は必死で追いますが、嘉助ははぐれてしまい、嵐がやってきます。予感を描くのも風です
 
嘉助は、仰向けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走ってゐいますそしてカンカン鳴ってゐます。
 
 迷った嘉助は草の中に倒れ込みます。そこでは風は感じられません。白い空、カンカンなる雲など、通常の感覚とは違う描き方は、不安を表します。
 
空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっと霞んで来ました。冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。
(ああ、こいつは悪くなって来た。みんな悪いことはこれから集ってやって来るのだ。)と嘉助は思ひました。全くその通り、俄に馬の通った痕は、草の中で無くなってしまひました。
(ああ、悪くなった、悪くなった。)嘉助は胸をどきどきさせました。
 草がからだを曲げて、パチパチ云ったり、さらさら鳴ったりしました。霧が殊に滋くなって、着物はすっかりしめってしまひました。
 
黒板から降る白墨の粉のやうな、暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、あたりが俄にシインとして、陰気に陰気になりました。草からは、もう雫の音がポタリポタリと聞えて来ます。
 
薊があんまり沢山ありましたし、それに草の底にさっき無かった岩かけが、度々ころがってゐました。そしてとうとう聞いたこともない大きな谷が、いきなり眼の前に現われました。すすきが、ざわざわざわっと鳴り、向うの方は底知れずの谷のやうに、霧の中に消えているではありませんか。
 
風が来ると、芒の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、忙しく振って、
「あ、西さん、あ、東さん。あ西さん。あ南さん。あ、西さん。」なんて云ってゐる様でした。
 
 嘉助はがっかりして、黒い道を又戻りはじめました。知らない草穂が静かにゆらぎ、少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでも居るように、一面の草が、それ来たっとみなからだを伏せて避けました。
 空が光ってキインキインと鳴ってゐます。それからすぐ眼の前の霧の中に、家の形の大きな黒いものがあらはれました。嘉助はしばらく自分の眼を疑って立ちどまってゐましたが、やはりどうしても家らしかったので、こはごはもっと近寄って見ますと、それは冷たい大きな黒い岩でした。
 空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度に雫を払ひました。
 
空が旗のやうにぱたぱた光って翻へり、火花がパチパチパチッと燃えました。嘉助はたうとう草の中に倒れてねむってしまひました。
 
 体を湿らせる霧や風が揺らすススキが不安に追い打ちをかけます。畳かけるような描写はそれをよく表現しています。眼前に現れる大きな岩や谷底に続く崖は、現実の恐怖を描きます。キインキインとなる空、旗のようにぱたぱた光って翻えり、火花がパチパチパチッと燃える空、、これらも通常の感覚ではない捉え方をすることで、不安を象徴します。嘉助は失神してしまいます。
 
いつかいつもの鼠いろの上着の上にガラスのマントを着てゐるのです。それから光るガラスの靴をはいてゐるのです。
又三郎の肩には栗の木の影が青く落ちてゐます。又三郎の影はまた青く草に落ちてゐます。そして風がどんどんどんどん吹いてゐるのです。又三郎は笑ひもしなければ物も云ひません。ただ小さな唇を強さうにきっと結んだまま黙ってそらを見てゐます。いきなり又三郎はひらっとそらへ飛びあがりました。ガラスのマントがギラギラ光りました。ふと嘉助は眼をひらきました。灰いろの霧が速く速く飛んでゐます。
 
 
 失った意識の底で、ガラスのマントを羽織り、ガラスの靴を履いた三郎を上空に見つけます。そして三郎はそれを光らせて飛び去っていきます。
 
霧がふっと切れました。陽の光がさっと流れて入りました。その太陽は、少し西の方に寄ってかかり、幾片かの蝋のような霧が、逃げおくれて仕方なしに光りました。
 草からは雫がきらきら落ち、総ての葉も茎も花も、今年の終りの陽の光を吸っています。
 はるかな西の碧い野原は、今泣きやんだようにまぶしく笑い、向うの栗の木は、青い後光を放ちました。みんなはもう疲れて一郎をさきに野原をおりました。湧水のところで三郎はやっぱりだまってきっと口を結んだままみんなに別れてじぶんだけお父さんの小屋の方へ帰って行きました。
 帰りながら嘉助が云いました。
「あいづやっぱり風の神だぞ。風の神の子っ子だぞ。あそごさ二人して巣食ってるんだぞ。」
「そだなぃよ。」一郎が高く云いました。
 
 そして気づくと馬と三郎がいました。みんなも助けに来てくれました。嵐の風景とともに嵐の去った後の風景も見事です。
 嘉助が「あいづやっぱり風の神だぞ。風の神の子っ子だぞ。あそごさ二人して巣食ってるんだぞ。」と確信するのに対して「そだなぃよ。」とここではまだ否定する一郎の対比も象徴的です。
 
四、「九月五日」
 
 雨上がりの放課後、耕助は自分で見つけた山葡萄の穴場に嘉助を誘います。でも、誰かが一郎、佐太郎、悦治、三郎を誘って、結局6人になりました。
 途中で三郎は知らずに栽培されている煙草の葉を取ってしまいます。誘いたくない大勢が来て面白くなかった耕助は、意地悪いことを三郎に言って脅かします。
 その後、三郎は木に登って何回も耕助に雨の雫をかけて仕返しし、風のせいにします。ここから耕助との風の有効性論争が始まります。
 「うわい、又三郎風などあ世界中に無くてもいな」は、耕助が三郎を風の精と認識していると言うよりは、意地悪するための言葉でだと思います。
 三郎の巧みな言葉に乗って、耕助は風が傘、電柱、家……、と様々なものを壊すと言い、最後には風車を壊す、と言ってしまいます。双方、みんなも笑い合い、三郎も謝って、和解しました。
 ここでは都会からの転校生の優位を描いています。しかし、賢治それを描こうとしたのではなくて、最後には笑い合って和解する子供を描きます。一郎はリーダーらしく皆に葡萄を分け、三郎は都会から来て何も知らない子供らしい思いやりで、未熟な白い栗を分けます。
 
五、「九月七日」
 
 この章では、子供たちが川遊びに行きます。
 川では「発破」をかけて魚を捕る人に出会います。子供たちは流れてくる魚を拾って生け簀を作って遊んでいます。三郎一人が罪悪感を感じたのか発破をかけた大人に魚を返します。
 一人の不審な人物が現れて、その辺を調べるように突いたり生け簀をかき回したりします。ここでまた子供たちは、前章で知らずに煙草の葉を取ってしまった三郎を専売局の人が捕まえに来たと思い、みんなで三郎を隠します。
 この章では風の表現はありません。
 風のない蒸し暑い川原での、発破という犯罪や、川を濁して歩き回る不審な人物に対峙しての子供らの行動を通して、子供らの大人社会との一つのつながりを描いているのだと思います。
 
六、「九月八日」
 
風までひゅうひゅう吹きだしました。淵の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまひました。……すると誰ともなく
「雨はざっこざっこ雨三郎
風はどっこどっこ又三郎」
と叫んだものがありました。みんなもすぐ声をそろへて叫びました。         
「雨はざっこざっこ雨三郎
風はどっこどっこ又三郎」
 
 この章は童話「さいかち淵」からの転用です。「さいかち淵」とほとんど同じですが、挿入歌部分が「さいかち淵」では、主人公の名前「しゅっこ」からの音愉で、「風はしゅうしゅうしゅっこしゅっこ」になっています。
 佐太郎が、さいかち淵で、毒もみで魚を捕ろうと子供たちを誘って行きます。しかしうまくいかず、皆は川の中で鬼ごっこを始めます。三郎は巧みな方法で子供らを皆捕まえてしまい、自分だけが川に取り残されたとき、雷鳴とともに風雨が烈しくなり、誰の声ともなく聞こえてくる歌です。子供らが後に続いてもう一度叫びます。三郎は誰が叫んだのか、恐怖に駆られています。子供たちは皆否定します。
 先駆形「さいかち淵」でも同様な場面があり、しゅっこも誰が叫んだのか追求し、皆否定しますが、しゅっこは子供が叫んだのだと自身では納得しています。
 叫んだのは誰か、そして三郎は何故そんなに恐怖に駆られるのか、様々な解釈がなされていますが、後の稿で触れます。ここでは作者賢治は高田三郎はあくまで子供として描き、風の精「風の又三郎」と言う疑いが子供の心に残っていく姿を描き出すために、ここに「さいかち淵」を転用したのではないかという立場を取ります。
 
 七、 九月十二日、第十二日
 
「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも、吹きとばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう
 どっどど どどうど どどうど どどう」
 
 先頃又三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中で又きいたのです。
 びっくりして跳ね起きて見ると外ではほんたうにひどく風が吹いて林はまるで咆えるやう、あけがた近くの青ぐろい、うすあかりが障子や棚の上の提灯箱や家中一っぱいでした一郎はすばやく帯をしてそして下駄をはいて土間を下り馬屋の前を通って潜りをあけましたら風がつめたい雨の粒と一諸にどうっと入って来ました。
 馬屋のうしろの方で何か戸がばたっと倒れ馬はぶるるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底まで滲み込んだやあうに思ってはあと強く息を吐きました。そして外へかけだしました。外はもうよほど明るく土はぬれて居りました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えてそれがまるで風と雨とで今洗濯をするとでも云う様に烈しくもまれてゐました。青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけはしい灰色に光りどんどんどんどん北の方へ吹きとばされてゐました。遠くの方の林はまるで海が荒れているようにごとんごとんと鳴ったりざっと聞えたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられた風に着物をもって行かれさうになりながらだまってその音をきゝすましじっと空を見上げました。
 すると胸がさらさらと波をたてるやうに思いました。けれども又じっとその鳴って吠えてうなってかけて行く風をみてゐますと今度は胸がどかどかなってくるのでした。昨日まで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が今朝夜あけ方俄かに一斉に斯う動き出してどんどんどんどんタスカロラ海床の北のはじをめがけて行くことを考えますともう一郎は顔がほてり息もはあ、はあ、なって自分までが一諸に空を翔けて行くような気持ちになって胸を一ぱいはって息をふっと吹きました。
 
 「九月十二日」の章は「風野又三郎」の「九月十日」の章に対応します。ここには、「風野又三郎」と違って、一郎と風の精又三郎と別れの場面は描かれません。一郎は吹きすさび、移動していく風に三郎との別れを感じ取ります。
学校に駆けつけると、先生は、淡々と高田三郎の転校を知らせます。
 
 いつでもある風雨が一夏の三郎の存在によって、特別な風の風景を作り出していたのだと思います。この章に描かれる一郎の見た、感動的な風の風景はそれを象徴するものではないでしょうか。
 
風はまだやまず、窓がらすは雨つぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。
 
 最後のこの風は、三郎が去った後の風景としての風雨です。
 
 賢治はあくまでも転校生高田三郎と子供たちの交流を描き、子供たちの心の中に生まれる、知らないものへの疑念や憧れの象徴として、「風の精」又三郎を設定したのではないでしょうか。
 賢治の書簡、377(1931年8月13日)、379(1931年8月18日沢里武治宛)、に「谷川の岸の小学校を題材とした百枚ぐらいのものを書いてゐますので、ちゃうど八月の末から九月上旬へかけての学校や子供らの空気にもふれたいのです。」があり、実際の子供らの風景を書き、少年小説として成立させるのが、賢治の本当の狙いだったと思います。子供の心と風、そして風の中の子供、風の持つ大きな力を、物語を通じて少年たちに伝えようとしたのだと思います。

テキストは『新校本宮澤賢治全集』に拠ります。
引用文中の振仮名は省略しました。