「風の又三郎」は、転校生高田三郎を迎える小学校の子供たちを描き、転校生への興味と不安が生み出す心模様が中心となっています。「風野又三郎」が、小学校にやってくる風の精「又三郎」と子供たちとの交流を描くのとの相違点です。
「九月二日」の章には
「短い木ペン」の部分が、「九月四日」の章には短篇「種山ヶ原」、「九月八日」の章には、短篇「さいかち淵」が組み入れられます。「短い木ペン」では、転校生の三郎が困った子供に取る都会的な素早い行動を、短篇「さいかち淵」では、川での風雨の底知れぬ恐ろしさを、「種山ヶ原」では高原の風雨の恐ろしさ、を描くための構成と思います。この作品すべてが風を描くために作られているのかも、とさえ思われます。今後考察していきます。
前稿「風野又三郎」では、吹く風の表現の種類によって考察しましたが、この稿では、一章ずつ、心の中に生じる風景としての風を検討していきたいと思います。
「又三郎」が何者であったかについては、たくさんの論考がありますが、そのことについては稿をあらため、ここでは、賢治は「又三郎」をあくまで転校生高田三郎として描いている、と言う立場で書き進めます。文中子供らが「又三郎」と呼ぶのは、綽名のようなものと思います。嘉助が「風の精又三郎」を感じ取る感受性は最後に一郎にも伝わります。そこにある、賢治の風への思い、なぜ賢治は、風の精を子供の姿にして、学校に出現させたか、については、後の稿で考察したいと思います。
一、「九月一日」
どっどどどどうど どどうど どどう、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんもふきとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
さはやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでし
た。
冒頭部分は象徴的な挿入歌があり、風の吹きぬける背景を演出します。挿入歌は部分的な違いあっても「風野又三郎」と同様な形式と内容を持っています。この歌は二作に共通する、風への賛歌と捉えてもよいのではないでしょうか。そして青空を吹き抜ける爽やかな風が描かれます。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもは何だかにやっとわらってすこしうごいたやうでした。すると嘉助がすぐ叫びました。
「ああわかったあいつは風の又三郎だぞ。」
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた云はせうしろの山の萱をだんだん上流の方へ青じろく波だてて行きました。
現実の話として教室が描かれます。風は窓ガラスをならし、うしろの山の栗の木や萱を青白くします。突然現れた「不思議な子供」三郎、子供たちの心のなかに生まれる不安を演出しています。子供たちの目に映る「三郎」は誰もいない教室に忽然と座っている赤毛のこどもでした。そしていつの間にかいなくなっているのです。見知らぬ子供の描き方としては秀逸です。「変てこな鼠いろのだぶだぶの上着を着て白い半ずぼんをはいてそれに赤い革の半靴をはいて」いるのは田舎風でない都会の身なりを表しているのでしょう。
子供の姿は突然消えて、次には先生とともに出てきて、転校生で高田三郎であることが分かります。その恐怖に近い心情を表すのは風です。
心情的に行動する子供として描かれる嘉助は、「ああわかったあいつは風の又三郎だぞ。」と叫びます。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り雑巾を入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
そして始業式が終り、子供たちがバラバラに去った後、がたがた言う窓ガラスとバケツにたつ黒い波は、子供たちの心に残った不安を象徴する風と言えます。
二、九月二日、
「九月二日」は始まった三郎との子供たちとの交わりが描かれます。
谷川はそっちの方へきらきら光ってながれて行きその下の山の上の方では風も吹いてゐるらしくときどき萱が白く波立っていました。
子供たちの心の変化の記述の先には必ず風の描写があります。転校生高田三郎への疑念を風の吹く風景で表しています。これは、登校を待つ子供たちの目に映る三郎の来る方向の景色です。
それをバックに、登校してきた三郎はみなに「おはよう」と声をかけます。子供同士で挨拶する習慣のなかった子供たちは少しどぎまぎし会話はなり立たず、不自然な空気が流れます。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり運動場のまん中でさあっと塵があがりそれが玄関の前まで行くときりきりとまはって小さなつむじ風になって黄いろな塵は瓶をさかさまにしたやうな形になって屋根より高くのぼりました。すると嘉助が突然高く云いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいつ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
また風が吹きます。嘉助は三郎が「風の又三郎」だと思い始めます。
授業が始まります。途中で「みぢかい木ペン」の挿話が入ります。「みぢかい木ペン」は、学校で木ペンを友達に取られてしまったキッコが森の中で不思議な老人にもらった木ペンを使うと、計算もうまく行き、絵も上手に描けます。そのためにだんだん傲慢になり、弱いものいじめまで始めますが、あるとき、木ペンを無くしてしまって、その力を失います。そこから先の原稿が失われているのでその続きは分かりません。内容の共通点は木ペンを奪われる、ということだけですが、感じられるのは、素早く奪う意地悪と、当時木ペンが貴重なものだったとうことでしょうか。
兄に木ペンを奪われて泣き出す下級生を見ていた三郎は素早く兄に一本しかない自分の鉛筆をあげてしまい、その後は消し炭を使っています。見ていたのは最上級生の一郎一人でした。その素早さはやはり都会的なことを感じさせます。また自分では家に帰れば複数を持っていたのかも知れず、都会の豊かさも感じさせます。これを目撃した一郎は「まるで何と云ったらいいかわからない変な気持ちがして歯をきりきり云わせ」ます。これは自分たちとは違う処し方を感じ取ったことの表れかと思います。
三、「九月四日」
「種山ケ原」からの転用の部分です。風の吹くのは同じ場面ですが、微妙に違いがあります。
「種山ヶ原」には存在しない、空を飛ぶ「高田三郎」が登場します。〈どんどんどんどん〉吹いてくる風の中に、ガラスのマントを羽織った「三郎」が空を飛んでいます。「種山ヶ原」で耕一にとっての怖さは、山男にさらわれることでしたが、ここでは嘉助の心の中にある「三郎」への疑念が怖さとなっています。
物語は実在と嘉助の心のなかの二つの舞台を巧みに描き出し、「風の又三郎」はファンタジイとして成立します。短い中に、「風」という言葉を使った表現だけでも七例あります。そのほか、空の色、音など独特な表現が、子供の不安を表します。
「あゝ暑う、風吹げばいいな。」
「どごがらだが風吹いでるぞ。」
「又三郎吹がせだらべも。」
子供たちは連れだって上野の原に馬の放牧をしている一郎の兄を訪ねて遊びに行きます。ここでは風が快く吹くことを願っています。嘉助は、三郎が風の精又三郎という意識が強いのでこんな発言をします。
みんなが又あるきはじめたとき湧水は何かを知らせるやうにぐうっと鳴り、そこらの樹もなんだかざあっと鳴ったやうでした。
空にはうすい雲がすっかりかかり、太陽は白い鏡のやうになって、雲と反対に馳せました。風が出て来てまだ刈ってない草は一面に波を立てます。
途中で、後の嵐を予感させる事実が書き込まれています。上の野原では、牧場内で遊ぶよう云われていたのですが、三郎の発案で、馬を走らせようと云うことになり、そのうち柵の壊れ目から馬が逃げてしまいます。嘉助と三郎は必死で追いますが、嘉助ははぐれてしまい、嵐がやってきます。予感を描くのも風です
嘉助は、仰向けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走ってゐいます。そしてカンカン鳴ってゐます。
迷った嘉助は草の中に倒れ込みます。そこでは風は感じられません。白い空、カンカンなる雲など、通常の感覚とは違う描き方は、不安を表します。
空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっと霞んで来ました。冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。(ああ、こいつは悪くなって来た。みんな悪いことはこれから集ってやって来るのだ。)と嘉助は思ひました。全くその通り、俄に馬の通った痕は、草の中で無くなってしまひました。(ああ、悪くなった、悪くなった。)嘉助は胸をどきどきさせました。 草がからだを曲げて、パチパチ云ったり、さらさら鳴ったりしました。霧が殊に滋くなって、着物はすっかりしめってしまひました。 黒板から降る白墨の粉のやうな、暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、あたりが俄にシインとして、陰気に陰気になりました。草からは、もう雫の音がポタリポタリと聞えて来ます。 薊があんまり沢山ありましたし、それに草の底にさっき無かった岩かけが、度々ころがってゐました。そしてとうとう聞いたこともない大きな谷が、いきなり眼の前に現われました。すすきが、ざわざわざわっと鳴り、向うの方は底知れずの谷のやうに、霧の中に消えているではありませんか。 風が来ると、芒の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、忙しく振って、「あ、西さん、あ、東さん。あ西さん。あ南さん。あ、西さん。」なんて云ってゐる様でした。 嘉助はがっかりして、黒い道を又戻りはじめました。知らない草穂が静かにゆらぎ、少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでも居るように、一面の草が、それ来たっとみなからだを伏せて避けました。 空が光ってキインキインと鳴ってゐます。それからすぐ眼の前の霧の中に、家の形の大きな黒いものがあらはれました。嘉助はしばらく自分の眼を疑って立ちどまってゐましたが、やはりどうしても家らしかったので、こはごはもっと近寄って見ますと、それは冷たい大きな黒い岩でした。 空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度に雫を払ひました。 空が旗のやうにぱたぱた光って翻へり、火花がパチパチパチッと燃えました。嘉助はたうとう草の中に倒れてねむってしまひました。 体を湿らせる霧や風が揺らすススキが不安に追い打ちをかけます。畳かけるような描写はそれをよく表現しています。眼前に現れる大きな岩や谷底に続く崖は、現実の恐怖を描きます。キインキインとなる空、旗のようにぱたぱた光って翻えり、火花がパチパチパチッと燃える空、、これらも通常の感覚ではない捉え方をすることで、不安を象徴します。嘉助は失神してしまいます。
いつかいつもの鼠いろの上着の上にガラスのマントを着てゐるのです。それから光るガラスの靴をはいてゐるのです。
又三郎の肩には栗の木の影が青く落ちてゐます。又三郎の影はまた青く草に落ちてゐます。そして風がどんどんどんどん吹いてゐるのです。又三郎は笑ひもしなければ物も云ひません。ただ小さな唇を強さうにきっと結んだまま黙ってそらを見てゐます。いきなり又三郎はひらっとそらへ飛びあがりました。ガラスのマントがギラギラ光りました。ふと嘉助は眼をひらきました。灰いろの霧が速く速く飛んでゐます。
失った意識の底で、ガラスのマントを羽織り、ガラスの靴を履いた三郎を上空に見つけます。そして三郎はそれを光らせて飛び去っていきます。
霧がふっと切れました。陽の光がさっと流れて入りました。その太陽は、少し西の方に寄ってかかり、幾片かの蝋のような霧が、逃げおくれて仕方なしに光りました。 草からは雫がきらきら落ち、総ての葉も茎も花も、今年の終りの陽の光を吸っています。 はるかな西の碧い野原は、今泣きやんだようにまぶしく笑い、向うの栗の木は、青い後光を放ちました。みんなはもう疲れて一郎をさきに野原をおりました。湧水のところで三郎はやっぱりだまってきっと口を結んだままみんなに別れてじぶんだけお父さんの小屋の方へ帰って行きました。 帰りながら嘉助が云いました。「あいづやっぱり風の神だぞ。風の神の子っ子だぞ。あそごさ二人して巣食ってるんだぞ。」「そだなぃよ。」一郎が高く云いました。 そして気づくと馬と三郎がいました。みんなも助けに来てくれました。嵐の風景とともに嵐の去った後の風景も見事です。
嘉助が「あいづやっぱり風の神だぞ。風の神の子っ子だぞ。あそごさ二人して巣食ってるんだぞ。」と確信するのに対して「そだなぃよ。」とここではまだ否定する一郎の対比も象徴的です。
四、「九月五日」
雨上がりの放課後、耕助は自分で見つけた山葡萄の穴場に嘉助を誘います。でも、誰かが一郎、佐太郎、悦治、三郎を誘って、結局6人になりました。
途中で三郎は知らずに栽培されている煙草の葉を取ってしまいます。誘いたくない大勢が来て面白くなかった耕助は、意地悪いことを三郎に言って脅かします。
その後、三郎は木に登って何回も耕助に雨の雫をかけて仕返しし、風のせいにします。ここから耕助との風の有効性論争が始まります。
「うわい、又三郎風などあ世界中に無くてもいな」は、耕助が三郎を風の精と認識していると言うよりは、意地悪するための言葉でだと思います。
三郎の巧みな言葉に乗って、耕助は風が傘、電柱、家……、と様々なものを壊すと言い、最後には風車を壊す、と言ってしまいます。双方、みんなも笑い合い、三郎も謝って、和解しました。
ここでは都会からの転校生の優位を描いています。しかし、賢治それを描こうとしたのではなくて、最後には笑い合って和解する子供を描きます。一郎はリーダーらしく皆に葡萄を分け、三郎は都会から来て何も知らない子供らしい思いやりで、未熟な白い栗を分けます。
五、「九月七日」
この章では、子供たちが川遊びに行きます。
川では「発破」をかけて魚を捕る人に出会います。子供たちは流れてくる魚を拾って生け簀を作って遊んでいます。三郎一人が罪悪感を感じたのか発破をかけた大人に魚を返します。
一人の不審な人物が現れて、その辺を調べるように突いたり生け簀をかき回したりします。ここでまた子供たちは、前章で知らずに煙草の葉を取ってしまった三郎を専売局の人が捕まえに来たと思い、みんなで三郎を隠します。
この章では風の表現はありません。
風のない蒸し暑い川原での、発破という犯罪や、川を濁して歩き回る不審な人物に対峙しての子供らの行動を通して、子供らの大人社会との一つのつながりを描いているのだと思います。
六、「九月八日」
風までひゅうひゅう吹きだしました。淵の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまひました。……すると誰ともなく
「雨はざっこざっこ雨三郎
風はどっこどっこ又三郎」
と叫んだものがありました。みんなもすぐ声をそろへて叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎
風はどっこどっこ又三郎」
この章は童話「さいかち淵」からの転用です。「さいかち淵」とほとんど同じですが、挿入歌部分が「さいかち淵」では、主人公の名前「しゅっこ」からの音愉で、「風はしゅうしゅうしゅっこしゅっこ」になっています。
佐太郎が、さいかち淵で、毒もみで魚を捕ろうと子供たちを誘って行きます。しかしうまくいかず、皆は川の中で鬼ごっこを始めます。三郎は巧みな方法で子供らを皆捕まえてしまい、自分だけが川に取り残されたとき、雷鳴とともに風雨が烈しくなり、誰の声ともなく聞こえてくる歌です。子供らが後に続いてもう一度叫びます。三郎は誰が叫んだのか、恐怖に駆られています。子供たちは皆否定します。
先駆形「さいかち淵」でも同様な場面があり、しゅっこも誰が叫んだのか追求し、皆否定しますが、しゅっこは子供が叫んだのだと自身では納得しています。
叫んだのは誰か、そして三郎は何故そんなに恐怖に駆られるのか、様々な解釈がなされていますが、後の稿で触れます。ここでは作者賢治は高田三郎はあくまで子供として描き、風の精「風の又三郎」と言う疑いが子供の心に残っていく姿を描き出すために、ここに「さいかち淵」を転用したのではないかという立場を取ります。
七、 九月十二日、第十二日
「どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも、吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう」
先頃又三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中で又きいたのです。
びっくりして跳ね起きて見ると外ではほんたうにひどく風が吹いて林はまるで咆えるやう、あけがた近くの青ぐろい、うすあかりが障子や棚の上の提灯箱や家中一っぱいでした。一郎はすばやく帯をしてそして下駄をはいて土間を下り馬屋の前を通って潜りをあけましたら風がつめたい雨の粒と一諸にどうっと入って来ました。
馬屋のうしろの方で何か戸がばたっと倒れ馬はぶるるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底まで滲み込んだやあうに思ってはあと強く息を吐きました。そして外へかけだしました。外はもうよほど明るく土はぬれて居りました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えてそれがまるで風と雨とで今洗濯をするとでも云う様に烈しくもまれてゐました。青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけはしい灰色に光りどんどんどんどん北の方へ吹きとばされてゐました。遠くの方の林はまるで海が荒れているようにごとんごとんと鳴ったりざっと聞えたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられた風に着物をもって行かれさうになりながらだまってその音をきゝすましじっと空を見上げました。
すると胸がさらさらと波をたてるやうに思いました。けれども又じっとその鳴って吠えてうなってかけて行く風をみてゐますと今度は胸がどかどかなってくるのでした。昨日まで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が今朝夜あけ方俄かに一斉に斯う動き出してどんどんどんどんタスカロラ海床の北のはじをめがけて行くことを考えますともう一郎は顔がほてり息もはあ、はあ、なって自分までが一諸に空を翔けて行くような気持ちになって胸を一ぱいはって息をふっと吹きました。
「九月十二日」の章は「風野又三郎」の「九月十日」の章に対応します。ここには、「風野又三郎」と違って、一郎と風の精又三郎と別れの場面は描かれません。一郎は吹きすさび、移動していく風に三郎との別れを感じ取ります。
学校に駆けつけると、先生は、淡々と高田三郎の転校を知らせます。
いつでもある風雨が一夏の三郎の存在によって、特別な風の風景を作り出していたのだと思います。この章に描かれる一郎の見た、感動的な風の風景はそれを象徴するものではないでしょうか。
風はまだやまず、窓がらすは雨つぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。
最後のこの風は、三郎が去った後の風景としての風雨です。
賢治はあくまでも転校生高田三郎と子供たちの交流を描き、子供たちの心の中に生まれる、知らないものへの疑念や憧れの象徴として、「風の精」又三郎を設定したのではないでしょうか。
賢治の書簡、377(1931年8月13日)、379(1931年8月18日沢里武治宛)、に「谷川の岸の小学校を題材とした百枚ぐらいのものを書いてゐますので、ちゃうど八月の末から九月上旬へかけての学校や子供らの空気にもふれたいのです。」があり、実際の子供らの風景を書き、少年小説として成立させるのが、賢治の本当の狙いだったと思います。子供の心と風、そして風の中の子供、風の持つ大きな力を、物語を通じて少年たちに伝えようとしたのだと思います。
テキストは『新校本宮澤賢治全集』に拠ります。
引用文中の振仮名は省略しました。