宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2022年10月中旬
 15日 6:00〜8:00 薄曇 19℃

 このところ夜明けが遅く、加えて曇りだったので、6時少し前まで待って出かけました。暗いうちに出た方がいいのかも知れませんが、やはり遅くなってしまいます。
 二杉橋から入ります。二杉橋から上人橋まで、セグロセキレイが2羽、2羽、3羽、と多かったのですが、他の鳥は見えませんでした。睦橋から高橋まで東岸が通れず、西岸に廻ると、ホオジロのさえずりが聞こえました。
 公園の東駐車場のサクラで、シジュウから4羽、今日は混群ではなく、ヤマガラも見えませんでした。
 公園の東池に、カルガモ7羽、西池に46羽、カルガモは増えていますが、先回見たヨシガモ♀と思われるものはいませんでした。
 公園上空をヒヨドリ7羽が通り過ぎました。少数ながら移動しているようです。16日出かけた、田園地帯の都賀町八幡宮の境内で30羽近くのヒヨドリが群れて高木の上を飛んでいましたが、環境の違いを感じます。
 公園のワンド跡の高い草のてっぺんにモズが2カ所留って鳴いていました。それから岸の大木にも1羽、大岩橋に河川敷林と電線、滝沢ハム近くの電線にも1羽、赤津川電線に2カ所、全部で9羽、今日は、すべて高いところに1羽ずつ留って鳴いていました、高鳴き?というほど、激しい声ではなかったのですが、すべてが高い所にいたのが印象的でした。
 公園の川でアオサギ1羽、川岸の草むらで今季初ウグイスの地鳴きを聞きました。昨年は、二杉橋付近が多かったので、やはり護岸工事でヤブが無くなって、大分違う場所に移っていると思いました。
 大砂橋手前の田が広がっている近くまで行って見ました。ここだと、川が高い位置から見えます。セグロセキレイが1羽見えたところで、今季初キセキレイが2羽、双眼鏡に入れてゆっくり見ました。いけないことですが、やはり綺麗なものは嬉しく、ご褒美だと思います。その後、声がして、カワセミが遡っていき、一瞬ですが、背中の青が見えました。二つ目のご褒美です。
 近くの山林でカケスの声がしました。しばらく探して、鳥影は掴めたのですが移動していてはっきりとは見えませんでした。その後、大岩橋の方に下りてくると、ここでも山林ではっきりと声を聞きました。少なくとも2カ所にはいるようです。
 赤津川では、先述のモズと、カルガモ4羽、ダイサギ1羽のみでした。稲も刈られたので、もっといろいろ見えるはずなので、次は、もう少し注意深く見たいと思います。一瞬ケリの声が聞こえたように思いましたが少し残っているイネの蔭だったようで確認出来ませんでした。次を期待します。
 合流点の中洲を、通れるようになった道路からみると、ダイサギが1羽、セグロセキレイが点々と見え、7羽まで数えました。カワウも1羽飛んでいきました。
 陽射しがなく眩しくはなかったのですが、やはり見えやすさには影響するようです。視力、注意力が欲しいところです。いろいろの可能性と手が届かないもどかしさを感じながら、やはり、今後に期待する毎日です。
 工業高校裏の秋咲きのサクラが五分咲きになっていました。
 
カルガモ:公園東池で7羽、西池で46羽、赤津川で4羽、計57羽。
カワウ: 合流点で1羽。
アオサギ:公園、川で1羽。
ダイサギ:合流点で1羽、赤津川で1羽、計2羽。  
モズ: 公園ワンド跡草むら1羽、1羽、1羽、大岩橋河川敷林1 
 羽、1羽、1羽、赤津川電線で1羽、1羽、計8羽。
カワセミ: 大砂橋近く中洲で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはなかった。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはなかった。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはなかった。
カケス:大岩橋付近山林1羽、大砂橋山林で1羽、計2羽。
ヒヨドリ: 公園上空7羽。
ウグイス:公園、川岸の草むらで1羽地鳴き
セグロセキレイ:二杉橋〜上人橋2羽、2羽、1羽、公園で1羽、1 
 羽、合流点で7羽、大砂橋近く中洲で1羽、計15羽。
キセキレイ: 大砂橋近く中洲で2羽。
シジュウカラ:公園東駐車場で4羽、公園サクラ並木3羽、 滝沢ハムサクラ並木で2羽。計9羽。
ホオジロ: 永野川高橋付近電線で囀り1羽。
ガビチョウ:公園内、川の草むらで1羽。

 







「いてふの実」一、旅立ちの風の吹き方
   そらのてっぺんなんか冷たくて冷たくてまるでカチカチの灼き  
   をかけた鋼
です。
 そして星が一杯です。けれども東の空はもう優しい桔梗の花びらのやうにあやしい底光りをはじめました。
 その明け方の空の下、ひるの鳥でも行かない高い所を鋭い霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。
 実にその微かな音が丘の上の一本いてふの木に聞える位澄み切った明け方です。いてふの実はみんな一度に目をさましました。そしてドキッとしたのです。今日こそはたしかに旅立ちの日でした。みんなも前からさう思ってゐましたし、昨日の夕方やって来た二羽の烏もさう云ひました。
 
 「いてふの実」は、子供)(イチョウの実)の自立と母親(イチョウの木)との別れを描く物語です。
 「ひるの鳥でも行かない高い所を鋭い霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。」は秋の終りを象徴する言葉です。子供たちは、その音で今日が旅立ちの日であることを知ります。お母さんも、「それをあんまり悲しんで扇形の黄金の髪の毛を昨日までにみんな落してしま」っています。子供たちは、母の元にいたい気持ちや先の不安を抑えて、水筒に水を詰めたりして準備しています。
 そして北風や鳥が空に連れて行ってくれると信じています。子供の一人は空で「黄金色のお星さま」になることを夢見ます。
 もう一人は、杏の王様のお城に行って化物を退治することを想像します。そのやり方は化物を欺して体の中に入って暴れて病気にさせる、というもので、日本昔話の「一寸法師」を思わせます。
 さらに王女様を助け結婚したら、他の兄弟にも領土を分けてあげ、母親には「毎日お菓子やなにかたくさんあげる」と言う夢は、民話によくある出世譚です。これらは、昔話のパターンを、賢治が「子供のために童話を作る」といことを意識して取りいれているのだと思います。
 出発間近、靴が小さくなってしまう子供や、コートが見つからなくなってしまう子もいますが、補い合い助け合って旅立つことが語られ、あるべき兄弟姉妹の姿が書き込まれています。ここにも、「子供のためのお話」を作ろうとした意図があったのではないかと思います。
 人の心の弱さや滑稽さなどを、どきりとするくらいの真実感で描く初期童話―「蜘蛛となめくじとたぬき」、「よだかの星」、「貝の火」などもあるなかで、特殊と言ってもよいのかも知れません。
 また「おきなぐさ」では、季節は夏の始まりと冬の始まり、空に舞い上がるオキナグサと地上に落ちるイチョウと、背景は違いながら同じように種子の旅立ちを描きますが、種子は風に乗って舞い、魂が天に昇り変光星となります。あくまで自然の摂理の中の大きな風景の一つとして創作されていると思います。
 童話「おきなぐさ」裏表紙に「虹とめくらぶだう」、「ぼとしぎ」、「ひのきとひなげし」、「せきれい」、「まなづるとダアリヤ」、「いてふの実」、「やまなし」、「畑のへり」、「黄いろのトマト」、「蟻ときのこ」と列記したあとに「花鳥童話集」というメモがあり、童話集としてまとめたいという意図があったとみられます。同じような列記が、「ひのきとひなげし」〔初期形〕表紙余白に、「童話的構図」というメモと共に残され、そこにも「いてふの実」は入っています。
 童話集『注文の多い料理店』の作品は作品の意図や童話としての構成を練り上げた作品群です。「花鳥童話集」は計画された段階という違いはあり、それだけの成熟はありませんが、自然の成り立ちの中で繰り広げられるものたちの営みが美しく描かれています。
 そのなかで「いてふの実」が、なかにおとぎ話の匂いや道徳的なお話しを盛り込んでいるのは異質とも思えます。賢治がイチョウの実に見たのは、普通の子供たちだったのかも知れません。
 
東の空が白く燃え、ユラリユラリと揺れはじめました。おっかさんの木はまるで死んだやうになってじっと立ってゐます。
 突然光の束が黄金の矢のやうに一度に飛んで来ました。子供らはまるで飛びあがる位輝やきました。
 北から氷のやうに冷たい透きとほった風がゴーッと吹いて来ました。
「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」子供らはみんな一度に雨のやうに枝から飛び下りました。
 北風が笑って、
「今年もこれでまずさよならさよならって云ふわけだ。」と云ひながらつめたいガラスのマントをひらめかして向ふへ行ってしまひました。
 お日様は燃える宝石のやうに東の空にかかり、あらんかぎりのかゞやきを悲しむ母親の木と旅に出た子供らとに投げておやりなさいました。
 
 旅立ちの時―子供たちは〈突然光の束が黄金の矢のやうに一度に飛んで来〉た太陽光に〈まるで飛びあがる位輝やき〉、〈氷のやうに冷たい透きとほった風〉に乗って旅立ちます。太陽は〈燃える宝石のやうに東の空にかかり、あらんかぎりのかゞやきを悲しむ母親の木と旅に出た子供らとに投げて〉くれます。
 輝きの表現が次々に重ねられ、新しい命の誕生を祝福しているようです。実際はイチョウの実は地面に落ちてしまうことで再生するのですが、太陽と風と共に描くことで、大きな世界への輝かしい旅立ちを感じさせます。
 
 







永野川2022年10月上旬
4日 5:40〜8:00 晴 17℃
  よく晴れて、5時には明るくなり始めたのですが、結局5:40ころ出かけることになりました。
  今日は、赤津川から廻る日なのですが、少し河川敷を見たいと思い、公園に向かいました。
 気がつくと、公園東側の駐車場からの入り口がは入れるようになっていたので、そこから入ってみました。
 駐車場の大きな広葉樹のなかで動きがあり、一瞬数羽のヤマガラを見ました。何年ぶりでしょうか。活発に動き、たくさんいるのが嬉しく、7羽まで数えました。あとエナガ10羽、シジュウカラ3羽、メジロ3羽、コゲラ1羽まで数えましたが、サクラ並木の方へ行ってしまいました。混群らしい混群を見たのは初めてです。
 公園の川をコガモが1羽流れに乗って下って行きました。これも今季初です。
 一瞬の動きでカワセミがこちらから対岸に飛び移りました。少しの間近くにいたので、よく見ると下嘴が赤でした。♀! 宮沢賢治が名づけた雌のカワセミ、私のハンドルネームの由来です。こんなによく見えたのは久しぶりです。
 その後、公園の池に戻ると東池に8羽、西池に5羽のカルガモ、アオサギ1羽が来ていました。
 カルガモに混じってカルガモより小さく、嘴が黒く、脇腹の白斑と青斑が見えるものがました。オカヨシガモ♂かとも思いましたが、小さい感じがして、図鑑から、ヨシガモ雌でカウントしました。両方とも昨年までに飛来しているので、可能性はありますが、こんなに早く飛来しているとは。また次の機会に確認出来ることを祈ります。
 大砂橋近くの河川敷で、あちこちでホオジロが地鳴きしいて、6羽まで見えました。他の渡りの鳥は確認出来ませんでした。
 河川敷を鳴きながら下るイソシギ一羽、この声はチドリではないと思いました。合流点で同じ動きと声を持つ鳥をようやく眼で捉えてイソシギと確認できました。合流点ではイカルチドリ幼鳥も1羽、歩いているのが確認出来ました。
 大岩橋を渡っていると、北岸から、独特の飛び方をする鳥が川を渡ってきました。3羽、カケスでした。羽のブルーが少し見えて胸が弾みました。カケスの繊細な青い模様が好きです。
 滝沢池はでは、ダイサギ1羽、はっきり識別できる嘴でした。アオサギも一羽いました。
 合流点にはアオサギ1羽、先述のイソシギとイカルチドリがいました。ここは砂地が広がりよく見ないと目立たない鳥を見落としてしまいますが、よい中洲だと思います。これからゆっくり時間をとるようにしたいと思います。
 赤津川に入ると、カルガモ5羽、カイツブリが1羽戻っていました。田にはチュウサギが1羽、嘴確認できました。
 ヒヨドリが11羽、25羽の群れで飛んでいて季節と思いますと思います。
 ガビチョウは今日は公園内のワンドの奥の方で鳴いていた。かなり生息場所を広めています。
 
 モズの高鳴きを探していたのですが、上人橋近くの電線で、やっと高鳴きらしい声でないているモズを発見、その後、工業高校の校庭北の大木、大岩橋付近民家の大木でも聞きました。でも初認とは言えない時季になっていたようで、最初に聞いた9月7日の高い木での声が初認と言うことになりました。来年はもう少し確実に聞き取れるようにしたいと思います。
 
 観察できる場所が増えて、少し回り方や時間を変えなくてはならないと思います。でも、晴天のもと、これからの希望が見えて、晴れた空が一層輝いているようでした。
 
カイツブリ: 赤津川で1羽。
カルガモ:公園池で5羽、8羽、赤津川で5羽、計18羽。
コガモ:公園川で1羽。
ヨシガモ:公園池で♀2羽。
キジバト:公園で1羽。
アオサギ:公園池で1羽、滝沢ハム池で1羽、合流点で1羽、計3羽。
ダイサギ:滝沢ハム池で1羽。
チュウサギ:赤津川田で1羽。
イカルチドリ: 合流点で1羽。
イソシギ: 大砂橋中洲で1羽、合流点で2羽、計3羽。
モズ: 上人橋近く電線、工業高校北側フェンス、大岩橋付近民家の大木、高鳴き。赤津川3羽、大岩橋河川敷林に1羽、1羽、1羽、計9
 羽。
カワセミ:公園内川で♀1羽。
コゲラ:公園東駐車場で混群のなか1羽。
スズメ: 特に目立った群れはなかった。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはなかった。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはなかった。
ヒヨドリ: 大岩橋河川敷林3羽、赤津川11,25羽の群れ、計39  
 羽。
セグロセキレイ:公園で1羽、4羽、大砂橋2,4羽、永野川二杉橋〜上人橋で3羽、計14羽。
シジュウカラ:公園東駐車場で混群の中に3羽。
ヤマガラ:公園東駐車場で混群の中に7羽。
メジロ: 公園東駐車場で混群の中に3羽。
エナガ: 公園東駐車場で混群の中に10羽。
ホオジロ:大砂橋河川敷に6羽。
ガビチョウ:公園ワンド跡草むらの中に1羽。

 
 
 







音楽に乗って流れる風―〔弓のごとく〕
先日アップした同題の文で、採譜者について誤りがありましたので削除いたしました。訂正の上、新たに分かった事実を書き加え、改めてアップいたします。
 
弓のごとく
鳥のごとく
昧爽(まだき)の風の中より
家に帰り来たれり     (「文語詩未定稿」)
 
 
  賢治は晩年、自分の生涯を振り返るように文語詩の制作を始めます。
 まず、表紙に賢治自筆で「文語詩篇」と記された「文語詩篇ノート」と呼ばれるものがあり、1909(明治42)年の「四月盛岡中学に入る」から始まり、年譜のようにメモが記されます。最後に記述された年月日が昭和5年で、このころから文語詩の制作が始められたと推定されます。
 制作した文語詩には、まず、死の1か月前の自筆清書稿が二集あります。その一つ「文語詩稿五十篇」表紙には
 
本稿集むる所、想は定まりて表現未だ足らざれども現在は現在の推敲を持って定稿となす。昭和八年八月十五日 宮澤賢治
 
他の「文語詩稿一百篇」表紙には、
 
「文語詩稿一百篇」 昭和八年八月廿二日、本稿想は定まりて表現未だ足らず。
唯推敲の現状を以てその時々の定稿となす。
 
の表記があり、賢治の文語詩への思いを感じ取ることが出来ます。
 それ以外に、全集編集者が「文語詩未定稿」と名づけたものが102篇あります。
 文語詩として制作された作品のほか、それまでに制作した短歌、詩を推敲、表現をそぎ落として、文語詩化したものもあります。
 
 〔弓のごとく〕は、短唱「冬のスケッチ」第一五葉の第一章から文語詩として独立したものです。この詩の下書稿(二)の裏面には
 
7121|17,7121(7)|76,1232|21……
 
という、不可思議な数字がありました。 これは不完全な西洋音楽の数字譜を思わせます。
 
 賢治が最初に西洋音楽のレコードを聴いたのは、1918(大正7)年ごろ、従弟の岩田豊蔵所蔵のモーツアルト作曲「フィガロの結婚」などで、ヴェルディ作曲「アイーダ」は特に気に入っていたそうです。その後、花巻農学校の教諭となった1922(大正11)年春ころから、給料のほとんどを洋楽のレコードの蒐集に当て、当時の花巻一のレコードコレクターとなりました。隣接する花巻高等女学校の教諭、藤原嘉藤治と音楽を通じて友人関係を結び、周囲の音楽ファン、生徒たちを集めて、レコードを聴く集いが始まります。次第に岩手軽便鉄道駅上のレストラン精養軒支店や、親しかった花巻共立病院でも開かれるようになりました。そこでは賢治の視覚的解説と藤原の技法上の説明が噛み合って興味を沸き立たせたといいます。お互いのレコードを持ち寄っての交換会もありました(注1)。
 賢治は自作の詩に曲をつけ、また自作の詩を既成の曲に合わせて、教え子や身近な人達と歌っていました。残された賢治の自筆楽譜は「耕母黄昏」、〔弓のごとく〕「“IHATOV” FARMERS’SONG」のみですが、弟清六氏を始めとする周辺の人達の記憶により採譜され、27曲が残っています。
 
 〔弓のごとく〕の下書稿(二)の裏面にあった数字は、ベートーヴェンの第六交響曲「田園」の第二楽章(Andante molto mosso、変ロ長調、8分の12拍子)の主題で、総譜(スコア)から転じた数字譜が不完全ながら記されていました。時期は不明ですが、総譜が示されていたことで、変ロ長調の曲、「田園」第二楽章の主題であることが判明しました。 
 
 賢治のレコードコレクションは、レコード交換会の「レコード交換規定」用紙の記載のものや、遺品から知ることが出来、ベートーヴェン作曲、交響曲第六番「田園」もそこに含まれています。
 「田園」はベートーヴェンによって、標題が付けられた唯一の交響曲で、初演時のヴァイオリンのパート譜に、ベートーヴェンの自筆の「シンフォニア・パストレッラ (Sinfonia pastorella) あるいは田舎での生活の思い出。絵画描写というよりも感情の表出」という表記があります。これはベートーヴェン主義的作曲理念から音楽のより高い次元の描写語法をめざしたことを表すといわれます。
 さらに楽章ごとに標題がつけられ、第二楽章は、「Szene am Bach(小川のほとりの情景)」 と名づけられています。ソナタ形式で、弦楽器が小川のせせらぎのような音型を表し、展開部では第一主題を転調しながら木管楽器が美しく響きます。またヴァイオリンのトリルで小鳥の囀りを表し、さらにフルートがナイチンゲール、オーボエがウズラ、クラリネットがカッコウの声を表して鳴き交わすことで終結します。愛する自然がそのまま飛びこんでくるような楽曲に、賢治は魅了されたのではないでしょうか。
 
 この数字譜について、資料の出版年順に記すと、まず『校本宮澤賢治全集 第六巻』校異篇(1976 筑摩書房)、992〜994ページ には以下の記載があります。
 
「外種山ヶ原の歌(注2)」、「弓のごとく」、「私は五連隊の古参の軍層」三曲の復元については御園生京子氏のご教示、ご協力を仰いだ。また原曲の調査においては、井上司朗氏(一高寮歌集編集委員会)、海堀昶氏(三高歌集編集委員会)、原恵氏(日本基督教団)、岩田健夫氏(日本聖公会)、いのちのことば社出版部、音楽の友社、東亜音楽社、ビクター音楽産業株式会社、ブリティッシュカウンシル等(順不同)からご教示を得た。
 
『新校本宮澤賢治全集 第六巻』本文篇、370〜371ページ(1996 筑摩書房)には、前述『校本宮澤賢治全集第六巻』の譜例を参照して佐藤泰平氏が歌詞付けしたものが載りました。同書 校異篇 239〜240ページには佐藤氏の解説があります。
 
さらに『新校本宮澤賢治全集 第十三巻』(下)校異篇 雑メモ4 115〜116ページ (筑摩書房 1997、11)には、「田園」の原譜と共に、この数字が、「田園」第二楽章の冒頭の数字化の試みであることが記され、「五十嵐毅氏のご教示による」という記述があります。
 
 中村節也先生は、賢治が採譜した方法について、当時オーケストラ曲のレコードを買うと、ミニチュア版の総譜が付いてきたので、それを見て数字譜に書き直したと推定しています。二楽章の総譜のページが変わったところから、段違いに写し取ったミスがあり、その段は木管楽器が移調楽器であることを知らずに書いてしまい、メロディーの不自然さに気づいて中断してしまった、と推定されています。
 歌詞があまりにも短すぎて歌曲として構成するには無理がある、といわれていましたが、中村先生は賢治の深い思いをくみ取るべきと、編曲に踏み切られました。
 まず、原曲のヴァイオリンのテーマを採用し、メロディーに歌詞をはめ込む方法については、『宮澤賢治全集第十二巻』 (筑摩書房 1967) 「歌曲」の章を参照なさったそうです。
 そして、〔弓のごとく〕の楽譜は、中村節也編・曲『宮沢賢治歌曲全集 イーハトーヴ歌曲集2』 (マザーアース 2010)で、3分40分の楽曲として掲載されました。
 さらに宮沢賢治記念館を訪れた福井敬さんが楽譜に目を留められ、初めてレコーディングの運びとなりました。(注3)。
 曲の流れるようなメロディーに乗って、朝の空気の中を移動する詩人の澄明な心、風の流れが伝わってきます。賢治がどんなに自然を、そして風を愛していたか、敬愛していたベートーヴェンの曲をつけていることでもわかります。 
 短い歌唱部分を補うピアノによる繊細な旋律が第二楽章をカバーし、原曲の鳥の声もピアノで表現されます。多用されるトリル、ピッチカート、スタッカートが表すのは、朝日のきらめきかも知れませんし、風による快い空気の揺らぎかも知れません。賢治が愛した自然―朝の空気、風の流れを感じさせる、きめ細かな編曲で、4分24秒の歌曲に仕上がっています。
 賢治の言葉の世界と音楽とが見事に一致しています。何よりも、風の中の賢治を感じ取れました。このように視覚(風景)と聴覚(音楽)を行き来する感覚が、賢治作品を一層深く魅力あるものにするのだと思います。また福井敬氏の歌唱からは、賢治の音楽の基本となっているものはクラシック音楽なのだということが感じられます。
 
 この文語詩の下書稿となった「冬のスケッチ」は、賢治が短歌制作から詩作に移る前段階の作品で、制作年は1922(大正12)年以前と推定されます。 
 文語詩に改稿したのは昭和5年以降のことです。表現はほとんど変わっていませんが、文語詩化に際して、賢治は「冬のスケッチ」制作当時の情景を思い起こしていたと思います。その情景に、この曲を組み合わせようと思ったのは、きっと原曲のなかに、自分の心の中の映像を見たのではないでしょうか。音と言葉の意味とが見事に合致したのです。賢治が、音楽に視覚的解説を加えた、という年表の記述を裏付けると思います。この記述の事実関係をもう少し調べてみたいと思います。そして音と言葉の表すものの関係を、もっと具体的に掴めたらと思います。
 
 このCDに出会い、久しぶりで賢治の歌曲を聴き、新たな発見に出会ったのは幸運でした。
 中村節也先生は、作曲のお仕事の傍ら、永く賢治の音楽の採譜や作品のなかの音楽性について考察を重ねられ、鋭いご指摘は文学や語学を勉強する私にとっても最高の指針となりました。
 このCDは、賢治歌曲の集大成としてだけでなく、先生の賢治に対する深いご理解と愛情の結晶なのだと思います。そして賢治の言葉と音楽の深い結びつきを教えてくれました。
 
注1:堀尾青史『宮澤賢治年譜』148〜149ページ(筑摩書房 
   1991、2)
注2:「牧場地方の春の歌」の逐次形のひとつで、幾つかの差異を除い  
   てほとんど同形である。
注3:CD 福井敬『宮澤賢治歌曲全集 イーハトーヴ歌曲集』 
   中村節也編曲 (KING INTERNATIONAL 2022、3)
 
※「“IHATOV” FARMERS’SONG」のIにはウムラウトが付 
  く。
※「田園」についての記述は「フリー百科事典wikipedia」に拠る。
※テキストは『新校本宮澤賢治全集第七巻』 1996、10 に拠
 る。

 
 
 
 
 







永野川2022年9月下旬
26日 6:00〜8:00 晴 17℃
 よく晴れて気持ちのいいお天気でした。
 日の出を待っていたら6:00になってしまいました。5:30でももう明るいかも知れません。
 二杉橋から入ると、一昨日の大雨で水量が増え、川沿いの遊歩道までは水が上がっていたようで濡れていました。3年前と同じだけ降ったら、どの程度まで耐えられるのか不安です。 中洲も無くなって鳥の姿はほとんどありません。
 少し遡ったところ、工事中で中洲が出来ているところで、セグロセキレイ2羽、1羽と飛んでいました。岸の草に色の違ったものが一羽、カワセミでした。すぐ飛び去りましたが背中の青が美しく、ご褒美でした。
 公園の東池にカルガモ3羽、池には表面に水草が生い茂り水も減っていて、他の鳥はいませんでした。公園の川で、さらに7羽、6羽、1羽、水量の増えた川で、流れの速さに乗って下って行くものもいました。
 公園のサクラ並木で、小さな声が聞こえ、エナガの群れでした。今季初、これもご褒美です。人を警戒しなくて、至近距離で可愛い眼や胸も見られました。対岸の滝沢ハムのサクラ並木でも6羽、こちらはコゲラ、シジュウカラが一緒でした。
 大岩橋を越えると、ガビチョウが1羽鳴いていました。
 大砂橋近くの川岸では、大量の水を避けるように、ダイサギ、アオサギが1羽ずつじっとしていました。川辺にはハクセキレイが1羽歩いていました。中洲はなくなっていたので、川辺まで下りるのはやめました。
 滝沢ハムの大木の上の方で、「キョッキョッキョ」と言う声がずっと続いていました。モズとも違う、もう少し大きい鳥の声でした。家で確認するとチョウゲンボウのようです。そういえば対岸から見たとき1羽のワシタカが舞っているのが見えました。
 滝沢池でアオサギ2羽、ダイサギ1羽、アオサギは全く色が違い、1羽はほとんど灰色で黒い斑があります。変化をもう少し勉強しなくてはと思います。
 赤津川も水が増え、カルガモ3羽のほかはほとんど鳥がいなくて、公園の入り口付近で、ホオジロの声が聞こえました。
 鳥種は少なかったのですが、秋がそこまで来ているようです。
 公園の中の川は特に水量が増えていて、遊ぶ場としては、その時の状況を判断することが必要だと思います。
 
カルガモ:滝沢池で3羽、公園7羽、6羽、1羽、公園池で3羽、大砂 
 橋近くで5羽、赤津川で3羽、計25羽。
キジバト:大岩橋付近電線に1羽。
アオサギ:大砂橋付近で1羽、滝沢池で2羽、計3羽。
ダイサギ:滝沢ハム池で1羽、大砂橋付近で1羽、計2羽。
チョウゲンボウ: 滝沢ハム大木で1羽。
モズ: 赤津川1羽、大岩橋河川敷林に1羽、1羽、1羽、計5羽。
カワセミ: 永野川睦橋下流で1羽。
コゲラ:滝沢ハムサクラ並木で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはなかった。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはなかった。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはなかった。
ヒヨドリ: 特に目立った群れはなかった。
ハクセキレイ: 大砂橋河川敷で1羽。
セグロセキレイ:公園で1羽、大砂橋河川敷で1羽、永野川二杉橋〜上人橋で2羽、1羽、計5羽。
シジュウカラ: 滝沢ハムサクラ並木で1羽。
ホオジロ: 赤津川合流点付近川岸の草むら1羽。
ガビチョウ:大岩橋河川敷林で1羽。
 
付記
我が家のキジバトの巣では、新たに抱卵が始まりました。