……
丘の窪みや皺に、一きれ二きれの消え残りの雪が、まっしろにかゞやいて居ります。
木霊はそらを見ました。そのすきとほるまっさおの空で、かすかにかすかにふるえてゐるものがありました。
「ふん。日の光がぷるぷるやってやがる。いや、日の光だけでもないぞ。風だ。いや、風だけでもないな。何かかう小さなすきとほる蜂のやうなやつかな。ひばりの声のやうなもんかな。いや、さうでもないぞ。をかしいな、おれの胸までどきどき云ひやがる。……
木霊(こだま)は、樹木にやどる精霊で、日本だけでなく諸民族に言い伝えられていて、山中を自在に駆け回り、樹木を切り倒そうとすると祟るなどと言われています。
すでに『古事記』には「ククノチノカミ」の名で木の神としての記述があり、『
和名類聚抄』には「古多万」と記されています。また山や谷に音が反射して遅れて聞こえる現象「山彦」も、この精霊のすることと考えられていました。鳥山石燕『画図百鬼夜行 前篇 陰』(1776)では、年老いた男女として描かれているほか、『源氏物語』では「鬼か神か狐か木魂か」という記述があり、その当時から妖怪に近いもの、不思議な力を持つもの、という観念があったようですが、賢治が描く木霊は若く、どちらかというと子供の雰囲気を持った木の精です。背景の春になったばかりの野山に相応しい形として、この生まれたばかりの「木霊」を設定したのでしょうか。
木霊は森の中を駆け回り、風や日光の動きを見つけてはしゃぎます。風の中で揺れている日光を見て、そこに蜂の羽音、ヒバリの声、という音を感じます。これは純粋な子供のみが風に感じ取れる共感覚だと思います。なぜか胸がときめいています。
……
若い木霊はずんずん草をわたって行きました。
丘のかげに六本の柏の木が立ってゐました。風が来ましたのでその去年の枯れ葉はザラザラ鳴りました。
若い木霊はそっちへ行って高く叫びました。
「おゝい。まだねてるのかい。もう春だぞ、出て来いよ。おい。ねばうだなあ、おゝい。」
風がやみましたので柏の木はすっかり静まってカサっとも云ひませんでした。若い木霊はその幹に一本ずつすきとほる大きな耳をつけて木の中の音を聞きましたがどの樹もしんとして居りました。……
木霊は、次に風に鳴る柏の枯れ葉に出会います。柏の木は新しい芽が出るまでは枯葉を落としません。風によって鳴る柏の木は、風が止んだので、何も応えてくれません。
木霊は「すきとおる大きな耳」を持っていることが書かれます。その耳で樹木の中の音を聞くのですが、風という外部のもの拠って鳴るだけで、この木にはまだ春は来ていないようです。
……
そして又ふらふらと歩き出しました。丘はだんだん下って行って小さな窪地になりました。そこはまっ黒な土があたゝかにしめり湯気はふくふく春のよろこびを吐いてゐました。
一疋の蟇がそこをのそのそ這って居りました。若い木霊はギクッとして立ち止まりました。
それは早くもその蟇の語を聞いたからです。
「鴾の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧くはないんだ。
桃色のペラペラの寒天でできているんだ。いい天気だ。
ぽかぽかするなあ。」
若い木霊の胸はどきどきして息はその底で火でも燃えてゐるように熱くはあはあするのでした。木霊はそっと窪地をはなれました。次の丘には栗の木があちこちかがやくやどり木のまりをつけて立ってゐました。……
次の窪地で地面はもう春でした。その湿り気のある土の上に「蟇」が現れ、暗示的な言葉を吐き、木霊はなぜか恐くなり逃げ出します。
……
「ふん。お前のやうな小さなやつがおれについて歩けると思ふのかい。ふん。さよならっ。」
やどり木は黄金色のべそをかいて青いそらをまぶしさうに見ながら
「さよなら。」と答えました。
若い木霊は思はず「アハアハハハ」とわらひました。その声はあをぞらの滑らかな石までひゞいて行きましたが又それが波になって戻って来たとき木霊はドキッとしていきなり堅く胸を押さえました。……
次にはヤドリギをつけた栗の木のところにやってきます。ここでもまだ栗の木は眠っていました。一緒にいきたいというヤドリギをからかいます。小さな子供同士の無邪気な会話が愉快です。でもその後に響く自分の声のエコーには、次に来る世界を予測させるような見えない不安があります。
……その窪地はふくふくした苔に覆はれ、所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せはしくあらわれて又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。
「はるだ、はるだ、はるの日がきた、」字は一つづつ生きて息をついて、消えてはあらはれ、あらはれては又消えました。
「そらでも、つちでも、くさのうへでもいちめんいちめん、もゝいろの火がもえてゐる。」
若い木霊ははげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押へながら急いで又歩き出しました。
……
次の窪地では、カタクリの花が咲いていました。葉には紫色の文字が現れては消えるのを繰り返していました。木霊は何故か胸が高まり急いでその場を離れます。
賢治は作品中に度々カタクリを描きます。「山男の四月」、「おきなぐさ」では、花についてのみですが、他の作品では、カタクリの葉の模様に字を読み取り、そこには賢治の心象が隠されています。
外山の四月をあなたは見なかったでせう。
ゆるやかな丘の起伏を境界線の落葉松の褐色の紐がどこまでも縫ひ、黒い腐植のしめった低地にはかたくりの花がいっぱいに咲きその葉にはあやしい斑が明滅し空いっぱいにすがるらの羽音大きな蟇がつるんだまゝのそのそとあるく。すこしの残雪は春信の版画のやうにかゞやき、そらはかゞやき丘はかゞやき、やどりぎのみはかゞやき、午前十時ころまでは馬はみなうまやのなかにゐます。……
これは、書簡162 (1920(大正)9年4月)、盛岡高等農林の同級生、保阪嘉内あての書簡です。嘉内の入営生活をいたわる文の後に綴られます。カタクリの葉についての最も早い記述で、「若い木霊」の風景そのままです。
……かぐはしい南の風は
かげらふと青い雲滃を載せて
なだらのくさをすべって行けば
かたくりの花もその葉の斑も燃える……
賢治は外山高原を愛し、頻繁に歩き、外山詩群といわれる一連の詩を残しています。その中の「七五 北上山地の春」一九二四、四、二〇(「春と修羅第二集」)関連作品ではカタクリについての部分は共通していて、花と同時に葉の模様にも言及しています。
……木霊はまっすぐに降りて行きました。太陽は今越えて来た丘のきらきらの枯草の向ふにかゝりそのなゝめなひかりを受けて早くも一本の桜草が咲いてゐました。若い木霊はからだをかゞめてよく見ました。まことにそれは蛙のことばの鴾の火のやうにひかってゆらいで見えたからです。桜草はその靱やかな緑色の軸をしづかにゆすりながらひとの聞いてゐるのも知らないで斯うひとりごとを云ってゐました。
「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。
そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。
さあ、鴾の火になってしまった。」
若い木霊は胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出しましたのでびっくりして誰かに聞かれまいかとあたりを見まわしました。その息は鍛冶場のふいごのやう、そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れないのでした。
その時向ふの丘の上を一疋のとりがお日さまの光をさえぎって飛んで行きました。そして一寸からだをひるがへしましたのではねうらが桃色にひらめいて或いはほんたうの火がそこに燃えてゐるのかと思はれました。若い木霊の胸は酒精で一ぱいのやうになりました。そして高く叫びました。「お前は
鴾といふ鳥かい。」……
……若い木霊はそれを追ひました。あちこち桜草の花がちらばってゐました。そして鳥は向うの碧いそらをめがけてまるで矢のように飛びそれから急に石ころのように落ちました。そこには桜草がいちめん咲いてその中から桃色のかげらふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって居りました。そのほのほはすきとほってあかるくほんたうに呑みたいくらゐでした。
若い木霊はしばらくそのまわりをぐるぐる走ってゐましたがたうとう
「ホウ、行くぞ。」と叫んでそのほのほの中に飛び込みました。
「そして思わず眼をこすりました。そこは全くさっき蟇がつぶやいたやうな景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いてゐました。その向うは暗い木立で怒鳴りや叫びががやがや聞えて参ります。その黒い木をこの若い木霊は見たことも聞いたこともありませんでした。木霊はどきどきする胸を押えてそこらを見まわしましたが鳥はもうどこへ行ったか見えませんでした。……
木霊はトキに「鴾の火」を求め、トキを追っていくと桜草の咲いている野原につきました。しかしそこは、妖しい世界に変わりトキの姿も見えません。黒い森の中からは大きな黒い木霊が迫ってきました。
木霊が更に進んでいくと 桜草が咲いていてここにも桃色の世界がありました。胸が高まります。そして、本当にトキが現れます。
「
鴇」、「桃色」、「桜草」は、賢治にとって特別なものでした。
鴇(トキ)はペリカン属トキ科、全長約77センチ、学名「ニッポニア・ニッポン」、特別天然記念物、国際保護鳥、絶滅危惧種TA類です。江戸時代までは普通に棲息していましたが、明治25年には既に保護鳥になっていました。昭和2年刊の内田清之助他著『動物圖鑑』(北隆館)では、「我国ニテハ維新前迄ハ各地ニ多ク棲息セシモ、現時ハ全ク其跡ヲ止ズ」とあり、賢治の時代には既に「滅びの鳥」だったのです。
昭和56年野生種絶滅、平成15年に絶滅しました。佐渡島で中国種を使って人工繁殖を行った結果、平成20年放鳥開始、現在では自然繁殖も見られるようになりました。
トキの羽は、白色で翼の下面や風切り羽が黄みがかった優しいピンクです。トキ色はその羽由来の色名で薄い紫味の赤です(注1)。『万葉集』では、「一二・二九七〇」「桃花鴇(つきそめ)の淺らの衣淺赤に思いて妹に逢はむものかも〈作者不詳〉」が見られます。
「トキ色」という語も江戸時代には普通に使われていて、若向きの和服の色として欠かせなかった反面、肌襦袢などにも使われ、少し性的な意味も感じさせたのではないでしょうか。
賢治が卒業した盛岡高等農林学校の後身、岩手大学の農業教育資料館には現在トキの剥製標本がありますが、賢治の時代、どこかで目にしていたのでしょうか。仮に何らかの理由で剥製を目にしていても、ここに描かれるトキは、やはり自然の中で希少種に遭遇し、太陽の下に煌めく羽のトキ色を目の当たりにした驚きの感情があると思います。
賢治作品では トキは「魔界」の出現と結びつく化け鳥として捉えられています(注2)。この作品では、「鴇」の後をついて行くと「ペラペラのもゝ色の火がもえ」「ペラペラの桃色の寒天で空が張られ」ています。
〔桃いろの〕(詩ノート)、その文語詩化された「田園迷信」下書稿一には、「桃の花」、「ピンクの春」とからませて「化の鳥」が登場し、商工業の発展によって駆逐される農林業が暗示されます。桃色の羽を持ち、別名「桃花鳥」とも呼ばれたトキを示すと考えてもいいと言います。
「蒼穹への嫉妬」では明け方の空の「鴇いろ」が夜の星を消していくことを「滅びの鳥」の提喩として使っているとし、「若い木霊」では、まだ若い木霊の意識下にある性意識を誘発する鳥、として描くといいます(注2)。
さらに賢治作品で「ももいろ」は、性を象徴する色です(注3)。特に「石竹いろ」は、「小岩井農場」(『春と修羅』)で性的なものの象徴として「石竹いろのはなのかけら」とサクラを表現しています。さらに
「七五 北上山地の春」一九二四、四、二〇(「春と修羅第二集」)関連作品では「しかもわたくしは このかゞやかな石竹いろの時候を 第何ばん目の辛酸の春に数へたらいゝか 」、「三三六 春谷暁臥」一九二五、五、一一(「春と修羅第二集」関連作品では、鳥の生殖行動を「石竹いろ」と表し、「夜通しぶうぶう鳴らした鳥が/いま一ぴきも居ないのは/やっぱりどうも石竹いろの原因らしい/……それに佐一もさうらしい」があります。佐一は少し年下の友人、森佐一で、むしろ苦しみとしての性衝動が綴られます。
時を経て「一〇八六 ダリア品評会席上」一九二七、八,十六(詩ノート)では、「西暦一千九百二十七年に於る/当イーハトーボ地方の夏は/この世紀に入ってから曾って見ないほどの/恐ろしい石竹いろと湿潤さとを示しました/為に当地方での主作物 oryza sativa/ 稲、あの青い槍の穂は/ 常年に比し既に四割も徒長を来し」と、徒長を促す否定的なものとして捉えています。
……
若い木霊は帰らうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙のやうな眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木霊は逃げて逃げて逃げました。
風のやうに光のやうに逃げました。そして丁度前の栗の木の下に来ました。お日さまはまだまだ明るくかれ草は光りました。
栗の木の梢からやどり木が鋭く笑って叫びました。
「ウワーイ。鴾にだまされた。ウワーイ。鴾にだまされた。」
「何云ってるんだい。小っこ(ぴゃっこ)。ふん。おい、栗の木。起きろい。もう春だぞ。」
若い木霊は顔のほてるのをごまかして栗の木の幹にそのすきとほる大きな耳をあてました。
栗の木の幹はしいんとして何の音もありません。
「ふん、まだ、少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな。おい。小こ(ぴゃっこ)、さよなら。」若い木霊は大分西に行った太陽にひらりと一ぺんひらめいてそれからまっすぐに自分の木の方にかけ戻りました。
「さよなら。」とずうっとうしろで黄金色のやどり木のまりが云ってゐました。
小さな木霊は逃げました。「逃げて逃げて逃げました。」は、「逃げて」という言葉の繰り返しによって木霊の恐怖感、焦り、「風のやうに光のように逃げました。」は、風を使った直喩で早さも表します。
ここでも「栗の木の下」に来ると普通の世界に戻ります。胸の鼓動をごまかし、ヤドリギと、また小さな子供らしいやりとり「ウワーイ。鴾にだまされた。ウワーイ。鴾にだまされた。」、「何云ってるんだい。小っこ(ぴゃっこ)。ふん。おい、栗の木。起きろい。もう春だぞ。」で気を取り直し、太陽に煌めきながら自分の木に戻ります。木霊は目に見えぬものですが、透明で太陽の光に煌めくという視覚的な捉え方がされています。
「若い木霊」の先駆形は、「若い研ぎ師」の第一章です。第二章は「研ぎ師と園丁」に発展、さらに「チュウリップの幻術」に発展します。そこでは研ぎ師―鏡研ぎ―が覘く鏡の世界へと発展し、そこに絡む、園丁との世界が描き出されます。
「若い木霊」ではその鏡の世界には立ち入らず、―鴇の火―異界を垣間見て引き返す木霊を描きます。同様に見てはいけないものに遭遇した作品として、「タネリはたしかにいちいち噛んでゐたやうだった」があります。そこでは、異界を見る前に逃げ帰ります。さらに「サガレンと八月」では禁を犯して見てしまい、異界に入り込んだ悲劇が描かれます。
「タネリはたしかにいちいち噛んでゐたやうだった」では子供の暮しのひとこまを描き、「サガレンと八月」では、北方の厳しい自然の中での人間の無力を描いたと思います。賢治が一つの題材から作品の目的に応じて様々な描き方をいていることが分かります。
この作品では、早春の気配が溢れる美しい風景の中、まだ本当に春にならないもどかしさを描き、同時に、春という季節の中に生じてくる胸の高まりを、まだ若く成長過程にある木霊の中に生まれた性的なときめきとそれに対する戸惑いを一つの異界として捉え描き出します。しかし「木霊」という目に見えないものが、風や光の中を駆け回る、という設定は、物語の進展をやさしく暖かくしていると思います。
そこでは風も光や揺らめきや色を持って、心のときめきを象徴し、重要な役割を担っています。風が人に与える身体的、心理的など様々な影響が科学的にも証明されていますが(注4)
ここではあくまで、賢治が描く世界だけを取り上げました。
注
1、尚学図書・言語研究所編『色の手帖』小学館 1986
2、大塚常樹著『宮沢賢治 心象の記号論』 朝文社 1999
164p魔界のイコノロジー、五章 誘惑する桃色―滅びる化け鳥=「鴇」
3、同書229p桃色の花の記号論 二章 石竹の花 ピンクの記号論
4、R.ワトソン著、木幡和枝訳『風の博物誌』 河出書房新社 1986
参考文献
『国文学 解釈と教材の研究 48−3 臨時増刊 宮沢賢治の全童話を読む 』 學燈社 2003
190p鈴木健司〔若い木霊〕・191p〔若い研ぎ師〕・126p〔研ぎ師と園丁〕・116p「チュウリップの幻術」・110p「タネリは確かに噛んでいたやうだった」
80p奥山文幸「サガレンと八月」
テキストは『新校本宮澤賢治全集』に拠り、引用文中の振仮名は原則として省略しました。