宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
「青い槍の葉 」ー働くものへの賛歌の風ー
「青い槍の葉 」(mental sketch modified) 
 
 
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲は来るくる南の地平
   そらのエレキを寄せてくる
   鳥はなく啼く青木のほづえ
   くもにやなぎのかくこどり
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲がちぎれて日ざしが降れば
   黄金(キン)の幻燈 草(くさ)の青
   気圏日本のひるまの底の
   泥にならべるくさの列
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲はくるくる日は銀の盤
   エレキづくりのかはやなぎ
   風が通ればさえ冴(ざ)え鳴らし
   馬もはねれば黒びかり
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲がきれたかまた日がそそぐ
   土のスープと草の列
   黒くおどりはひるまの燈籠(とうろ)
   泥のコロイドその底に
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   りんと立て立て青い槍の葉
   たれを刺さうの槍ぢやなし
   ひかりの底でいちにち日がな
   泥にならべるくさの列
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲がちぎれてまた夜があけて
   そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ
   風に霧ふくぶりきのやなぎ
   くもにしらしらそのやなぎ
      (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   りんと立て立て青い槍の葉
   そらはエレキのしろい網
   かげとひかりの六月の底
   気圏日本の青野原 
      (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) (『春と修羅』)
 
 この作品の作者の発想日付は「一九二二、六、一二」です。1923年8月16日付、国柱会(注1)の機関紙「天業民報」に、「青い槍の葉(挿秧歌)」として発表されています。「挿秧」とは「田植え」のことで、「青い槍の葉」とは、稲の苗の葉先が尖った様子を表しています。
 この詩には、大正時代の歌謡曲を思わせる曲が伝えられていて、その他の賢治や歌曲とは雰囲気が違います。佐藤成『教諭宮沢賢治:賢治と花巻農学校』(花巻農業高等学校同窓会 1982)の記載よれば、「田植は、農家はもちろん農学校にとっても秋の取り入れと並ぶ二大行事で、全職員全生徒総出で行われた。水田担当だった賢治は、すべてを掌握し「青い槍の葉」も田植歌として全生徒に歌わせ、力強い歌声があたり一面にこだました。」とあります。この詩のリズム、合の手、なども納得できます。「ひでりあめ」まで降る暑さのなか、一面の「どろのスープ」の中での「槍の葉」との格闘です。
 でも、そこには、風や、揺れる風景が描かれ、詩として輝き、1924年年4月20日、賢治の生前唯一出版された『春と修羅』に所収されました。
 エレキ―宇宙からの電波でしょうか―も感じられる地平線から寄せてくる雲、そして人びとが立っているのは「気圏の底」という大きな風景です。ヤナギのそよぎ、カッコウの声、雲の流れ、日照り雨さえ「黄水晶(シトリン)」と表現され、作者の労働へのエールが感じられます。挿入句の「ゆれるゆれるやなぎはゆれる」は、暑く苦しい田植の作業に吹き渡る救いのようなものです。そして最終章の
 
りんと立て立て青い槍の葉
そらはエレキのしろい網
かげとひかりの六月の底
気圏日本の青野原 
 
で思いは最高潮に達します。
 
 ヤナギは、ヤナギ科ヤナギ属の樹木の総称で世界に350種以上あります。枝が垂れ下がる種類には「柳」、枝が立ち上がる種類には「楊」の字が使われます。
 詩中にある「かはやなぎ」が標準和名カワヤナギであれば、北海道南部〜本州の河原に自生する落葉小高木の「楊」で、高さ3〜6m、直径3〜30cmになり、葉は長さ7〜16cm、幅8〜20mmの線形で、ふちに浅い波状の鋸歯があり、裏面は白緑色で無毛です。葉裏の白は風に翻ると、硬質な音がするように感じられ、また電気仕掛けにも思えます。
 賢治は白い葉裏が風に揺れる風景が好きで作品に多く読み込まれます。(注2)
 この作品から5年後の作品に、 一〇七六 「囈語 」一九二七、六、一三、 (「詩ノート」)があります。
罪はいま疾にかはり
わたくしはたよりなく
河谷のそらにねむってゐる
 
せめてもせめても
この身熱に
今年の青い槍の葉よ活着(つ)け
この湿気から
雨ようまれて
ひでりのつちをうるおほせ
 
 この時も、思うのは「青い槍の葉」でした。熱を雨に変えて雨を降らせてという、切なすぎる願いです。
「ヒデリ(旱害)にケガチ(凶作)なし」という言葉が東北にはあるのですが、賢治が体験した凶作は、1924年はじめとして、ほとんどが旱害によるものでした。
 賢治の農村体験は、1922年大正10年12月稗貫郡立稗貫農学校(後に花巻農学校)の教諭となってからです。1926年退職するまでの4年間を、賢治は「この四ヶ年はわたくしにとって/じつに愉快な明るいものでありました」(「春と修羅第二集」序)と記しているよう  徒たちと自作の演劇を上演するなど充実したものでした。
 しかし生徒たちを通じて農村の窮状を知って、教室の中だけで行う活動に負い目を感じ、1926年4月に農学校教諭を退職し、実践によって農村に寄与したいという思いから、市内下根子の別宅で農耕生活に入ります。労働即芸術の生活を理想とし、教え子を中心にした共鳴者と「羅須地人協会」を発足させ、レコードコンサートや農業技術の学習を行います。しかし、周囲の無理解、激しい労働による心身の消耗から、1928年8月病床につきます。
 1930年、小康状態の中で花巻温泉の花壇設計の指導などに従事します。1931年1月、東北砕石工場鈴木東蔵の石灰による農地の改良に共鳴し技師となりますが、宣伝や販売にも奔走し、9月上京中の旅館で発熱、以後1933年9月の臨終までほとんど病床にありました。
 そのなかで、「文語詩稿五十篇」、「文語詩稿一百篇」、などの詩の推敲や、童話「風の又三郎」、「ポラーノの広場」、「銀河鉄道の夜」、「グスコーブドリの伝記」などの完成に向けた活動は行われます。絶筆は以下の二首です。
 
方十里稗貫のみかも/稲熟れてみ祭三日/そらはれわたる
病(いたつき)のゆゑにもくちん/いのちなり/みのりに棄てば/うれしからまし
 
 絶筆にいたっても、稲への思い―そこに働くひとへの思い―が、溢れていて胸が痛みます。或いはそれは、農学校における四年間に生徒たちと共に汗を流した輝く風景があったからかも知れません。
  

注1:国柱会(こくちゅうかい 國柱日蓮宗僧侶日蓮宗僧侶・田中智学  
   によって創設された法華宗系在家仏教団体。純正日蓮主義を奉じ  
   る右派
として知られる
   賢治は1914年(大正3年)9月、18才で島地大等著『和漢
   対照妙法蓮華経』を読んで深い感銘を受け生涯の信仰を法華経と 
   し、浄土真宗の篤信家だった父と対立することになる。1920
   年国柱会に入会し、1921年1月から8月にかけては、東京本
   部で奉仕活動を行った。
注2:ヤナギ科ヤマナラシ属ギンドロ(別名「ウラジロハコヤナギ」)
   は、賢治が愛した植物として、花巻市のぎんどろ公園をはじめ多
   くの場所に見られる。またヤナギ科ヤマナラシ属ドロノキ、同ヤ 
   マナラシも葉裏が白く葉柄の構造上風に揺れやすく、賢治は詩に
   読み込んでいる。また、豆畑で一斉に葉裏が白く翻る風景も賢治
   は心惹かれていた。
 ドロノキ
  「どろの木の下から/いきなり水をけ立てて/月光のなかへはねあ  
  がったので」(六九〔どろの木の下から〕)
  「いま来た角に日本の白楊(ドロ)が立っている」(〔一七一〕  
  〔いま来た角に〕一九二四、四、一九、
 ヤマナラシ
  「ドイツ唐檜にバンクス松にやまならし/やまならしにすてきにひ 
  かるやつがある」(一七「丘陵地を過ぎる」一九二四、三、二四)
 豆畑
  「トンネルヘはいるのでつけた電燈ぢやないのです/車掌がほんの 
  おもしろまぎれにつけたのです/こんな豆ばたけの風のなかで」
  (「電車」一九二二、八、一七)、
  「見たまへこの電車だつて/軌道から青い火花をあげ/もう蝎かド 
  ラゴかもわからず /一心に走つてゐるのだ/  (豆ばたけのそ 
  の喪神のあざやかさ)/どうしてもこの貨物車の壁はあぶない」  
  (「昴」一九二三、九、一六、)、
  「こんなにそらがくもつて来て/山も大へん尖つて青くくらくなり
  /豆畑だつてほんたうにかなしいのに/わづかにその山稜と雲との
  間には/あやしい光の微塵にみちた幻惑の天がのぞき
  (「雲とはんのき」一九二三、八、三一)
 
 テキストは『新校本宮澤賢治全集』による。

 
 







永野川2022年5月下旬
25日  8:30〜11:00 晴 20℃
 
 まずサギのコロニーへ行ってみました。林の中の声はますます賑やかですが、一人で中をのぞく勇気は出ません。あふれ出したように、ゴイサギ、アオサギが飛び出し、また中に入っていきます。声はほんとに騒音ですが、周辺の人達は皆理解してくれているのでしょうか。
 二杉橋から登り始めると、全く手前に予告なく途中で通行止めでした。また二杉橋に戻って反対側を登りました。少し前の雨のせいで、水量が多く、中洲にも草丈の高い草が生え、水辺にセグロセキレイ2羽のみでした。ウグイスが一カ所で囀っていました。
 少し曇り気味なのでツバメは低く降りてきていて5羽に会えました。   
 ガビチョウの声がこのあたりでも聞こえるようになりました。
 公園の池には浮き草が一面に生え、アオサギが1羽のみ岸辺にいました。
 公園にも草刈りと除草剤散布が入ったようで、あまり鳥がいません。ガビチョウがここでも頑張って鳴いていました。
 公園の川の中の草地でホオジロが2カ所で囀る声が聞こえました。
 キジが川岸の草地で1羽、何故か大きく感じました。
 大岩橋から大砂橋間も工事の車が出入りしていて、通るのがやっとでした。それでもホオジロが大砂橋近く、流入口の鉄の囲いの上で1羽囀っていたのは幸せでした。
 仕方ないので大砂橋まで登って、対岸を下りました。途中で、カルガモ2羽、5羽アアオサギ1羽、ダイサギ2羽、見えたのは幸運でした。
 滝沢ハム近くの植え込みでシジュウカラ2羽が枝から枝へ移って行きました。
 滝沢ハムの池沿いの広葉樹林で、ムクドリの声がたくさん聞こえ、枝のなかで動き回っていました。数えきれず100羽+としました。
 赤津川ではヒバリは2カ所のみでしたが。セッカの上昇の声と下降の声を聞きました。今季初、きちんと季節の声が聞こえて嬉しいことです。見えないのが残念です。今までに一度だけ、作物に留っているのを見たことがありました。図鑑通り、足を大きく広げていました。上昇中のものには何度か会うことが出来ましたが。
 イワツバメ3羽だけですが会えました。
 そしていつも歩く川岸の少し草が豊かに生えている場所で、オオヨシキリの声を聞きました。今年はここで3カ所目です。あちこちで営巣していることを知り、嬉しいことでした。
 いつもの鳥が、きちんときてくれること、何よりも大切にしたいと思います。
 
キジ:公園の川岸で1羽、滝沢ハム池付近で1羽、計2羽。
コジュケイ: 二杉橋近く山林で1羽。
カルガモ:二杉橋近く1羽、大砂橋下で7羽、計8羽。
ダイサギ:永野川二杉橋近くで1羽、公園川で1羽、大砂橋近くの中洲で2羽、合流点水場で2羽、計6羽。
コサギ: 大砂橋近く1羽、赤津川田で1羽、計2羽。
アオサギ:公園池で1羽、大砂橋下で1羽、赤津川で2羽、計4羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ:滝沢ハム池付近広葉樹で、100羽+。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
ヒバリ:赤津川2カ所、
ツバメ:永野川3,2羽、公園7羽、計12羽。
イワツバメ: 赤津川陶器瓦店上の橋近く3羽。
ヒヨドリ: 特に目立った群れはない。
ウグイス:二杉橋付近で1カ所、公園で3カ所、計4カ所。
セッカ:. 赤津川田で上昇声1、下降声1
オオヨシキリ: 赤津川岸の草むらで一カ所。
セグロセキレイ:二杉橋近く2羽。
カワラヒワ:大岩橋河川敷林1羽。
シジュウカラ:滝沢ハム近く植え込みで2羽。
メジロ:大砂橋付近山林に囀り1羽。
ホオジロ:公園草地で2所囀り。大砂橋近く、流入孔の鉄く柵の上で1 
 羽、計3羽。
ガビチョウ:二杉橋近くで1羽、公園で1羽、計2羽。

 
 
 







永野川2023年5月中旬
16日 9:30〜12:00 晴 25℃
 気温は高くなったのですが、湿度は低く、風もなくて歩きやすい日でした。
 赤津川から入ろうと思い合流点をのぞきました。中洲は草が大分高く、見通しが悪くなりました。その中を大きな雄のキジが、のんびり歩き回っていました。
 カルガモ4羽が少し離れた水の中、ハクセキレイは水辺を歩いていました。錦着山裏の田ではヒバリの囀りが聞こえました。
 今日のトピックスは、イワツバメです。陶器瓦店の上の橋付近に4羽。腰の白さをはっきり確認出来ました。ツバメと違って1羽ではなく数羽で舞っている感があります。いつもこの橋のあたりで見かけるのは、どこかに営巣しているのでしょうか。私には今季初、変わることなく会えることが何よりも嬉しいことです。
 赤津川では上空をゴイサギが飛び、アオサギも2羽、瓦店よりも下の川岸でイソシギ1羽、コガモが1羽、この周辺は鳥種が豊富です。
 もう一つのトピックス、オオタカの鳴き声です。
大岩橋付近の山林で、ワシタカの声らしいものが聞こえました。ピーピーと繰り返す声、ヒヨドリとは違っていると思いました。帰宅して鳴き声図鑑で調べると、オオタカの幼鳥の声に似ていました。もう一つ、ワシタカと思われる声、キューイ、キューイと繰返す声が聞こえました。図鑑で似ているのはオオタカの餌乞いでした。いずれも100メートルくらい離れた高さのある山林なので、ここまで聞こえるか、という疑問が残りますが、滅多に聞こえない声なので貴重な経験でした。
 もう一つ、オオヨシキリ。公園の川岸のヨシの茂った場所で2羽、良い場所に出てきた感じで嬉しいことでした。
 大岩橋河川敷でホオジロが草のてっぺんで囀っていました。大砂橋少し下の林で、よく似た声がしたのですが、鳥影は見えず、ホオジロとも少し違う気がします。アオジと確認も出来ないので、ホオジロ2羽でカウントしました。
 永野川では、二杉橋近く山林でコジュケイの声がしました。夏が来る知らせです。
 下ってくるとダイサギ2羽、アオサギ2羽、上空ゴイサギ1羽、カワラヒワの囀り二カ所でした。
 
 全体に鳥が少なかったのは、気温が高くなったせいかもしれません。次からは早朝に切り替えようかと思います。
 
キジ:合流点中洲1羽。
コジュケイ: 二杉橋近く山林で1羽。
カルガモ:合流点水場で4羽。
コガモ:合流点水場で1羽。
ダイサギ:永野川睦橋付近2羽、大砂橋付近中洲で1羽、計3羽。
コサギ: 大砂橋付近1羽。
アオサギ:赤津川2羽、大砂橋付近1羽、永野川睦橋付近2羽、計5羽。
イカルチドリ:大砂橋近く中洲1羽。
コチドリ:大砂橋付近1羽。
イソシギ: 赤津川陶器瓦店下流1羽。
オオタカ: 大岩橋近く山林、幼鳥の声、餌乞いの声、2羽か?
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ: 赤津川で1羽。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
ヒバリ:合流点近く2カ所、赤津川3カ所、計5カ所。
ツバメ:永野川1羽、合流点1羽、計2羽。
イワツバメ: 赤津川陶器瓦店上の橋近く、3羽、1羽、計4羽。
ヒヨドリ: 特に目立った群れはない。
ウグイス:合流点1カ所、公園草地2カ所、大岩橋河川敷林2カ所、計5カ所。
オオヨシキリ: 公園内川岸のヨシの中に2羽の声。
ハクセキレイ:合流点中洲に1羽、赤津川1羽、計2羽。
カワラヒワ:二杉橋付近1羽、赤津川1羽、計2羽。
メジロ:大砂橋付近山林に囀り1羽。
ホオジロ: 大砂橋近く川岸で囀り1羽、大岩橋付近河川敷の草むら1羽。計2羽。
ガビチョウ:公園草むらで1羽。

 







永野川2023年5月上旬
5日 
9:30〜12:00 晴 25℃
 
 サギのコロニーは声がだんだん大きくなってきて、サギの種類もダイサギ、アオサギ、コサギ、ゴイサギと、揃ってきました。
周囲の方たちが協力してくれているのか、無関心なのか、でも存続できているのは珍しいと思います。
 
 二杉橋から入るとウグイスの囀りが聞こえました。上人橋までの間で三カ所確認出来ました。
 遡って行くと、カワラヒワの囀り、ツバメが2羽、5羽です。
 睦橋付近の、まだ工事が完了してない感じの浅瀬に、ダイサギがやってきました。下りたところが深かったようで飛び上がり、三回くらい降り直してやっとよいところに降りられたらしく、盛んに歩き回って、獲物を捕られていました。少し上にももう1羽のダイサギが見えました。アオサギが上空を飛んでいきます。
 浅瀬で暫くぶりにハクセキレイ1羽確認、イカルチドリらしい声もして、浅瀬が戻って来た感じです。
 少し上にコサギが2羽、少し離れた場所にいました。暫くして1羽だけ上流に飛んでいったのでツガイではないようです。
 ワンド跡の近くから合流点を見ていると、合流点の岸の草むらで今季初オオヨシキリの声が聞こえました。まだ1羽か2羽程度、ヨシもまだ枯れ葉を隠すほどは伸びていません。無事に営巣できるでしょうか。でも来てくれてとても嬉しいことです。こんどは反対側の岸から見るようにすればもう少し離れてよく見られるかも知れません。
 公園の西池、コガモ6羽、東に2羽でした。この2羽は両方とも雌のように見えましたが、1羽が眼や羽の模様がはっきりしていて、雌雄で、エクリプス?と思ったのですが、渡りの前にはエクリプスはならないということなので、やはり♀2羽、光線の関係か、近距離で見たせいで違って見えたのかも知れません。コガモと並ぶようにして、コガモと見まがうほど大きなウシガエルが顔を見せ、太い声を出していました。
 大岩橋河川敷の草むらでホオジロが上に出てきて囀っていました。進んでいくと大砂橋付近までの間に計3カ所で囀っていました。ウグイスも一カ所で囀りました。
 メジロと思われる囀りも二カ所、以前ここで、オオムシクイの声をきいたので、家に帰って鳴き声図鑑で聞きましたが、やはりメジロのようでした。
 ゴイサギ1羽が上空を飛んで行きました。ここでのゴイサギは珍しいですが、コロニーが出来たせいかもしれません。
 公園の草むらの方でガビチョウが復活、サクラ並木ではモズのひと声。ウグイスも三カ所で鳴きました。
 滝沢ハムの池ではコガモが6羽、カルガモが2羽、林でムクドリが1羽動いていました。
 赤津川では陶器瓦店の少し下の川岸で、バン1羽確認できました。額板が赤くなり始めています。上流にはコサギが1羽でいました。
 ヒバリの囀りは二カ所のみ、時季のせいか気温のせいか、この頃少なくなりました。
 帰りに公園近い位置で、カワセミが1羽、下って行きました。小さなご褒美です。
 帰りに見た合流点の浅瀬に、コチドリが1羽。貌の模様で確認できる位置でした。アイリングを確認出来ず、残念でした。
 
 気温は高くなりましたが、まだまだ過ごしやすい日々です。工事関係の車はありませんでしたが、行楽の家族で賑やかで、少し鳥が少なかったかも知れません。でも、公園で過ごす人達が増えるのはとても嬉しいことです。いつか自然を大事に思う人が増えてくるかも知れません。
 
バン:赤津川、陶器瓦店の二つ下の橋付近で1羽。
カルガモ:合流点3羽、大砂橋近く6羽、滝沢ハム池2羽、計11羽。
コガモ:公園西池6羽、東池2羽、赤津川2羽、2羽、計12羽。
ダイサギ:睦橋付近2羽。
コサギ: 睦橋付近2羽、赤津川1羽、計3羽。
アオサギ:睦橋付近1羽、大砂橋近くの浅瀬1羽、計2羽。
イカルチドリ:大砂橋近く中洲1羽、
コチドリ:合流点1羽。
モズ:赤津川田に1羽、公園サクラ並木に1羽、計2羽。
カワセミ:赤津川、泉橋下流に1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ: 滝沢ハム池1羽、赤津川に2羽、計3羽。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
ヒバリ:赤津川2カ所。
ツバメ:永野川2、5羽、赤津川3羽、計10羽。
ヒヨドリ: 特に目立った群れはない。
ウグイス:二杉橋から上人橋まで3カ所、公園草地に3カ所、大岩橋河川敷1カ所、計7カ所。
オオヨシキリ: ワンド跡近く川岸に1羽。
ハクセキレイ:永野川睦橋付近1羽。
セグロセキレイ:赤津川2羽。
カワラヒワ:二杉橋付近1羽、公園草むら1羽、計2羽。
メジロ:大砂橋付近山林に囀り2羽。
ホオジロ: 大砂橋近く川岸で囀り2羽、大岩橋付近河川敷の草むら1羽。計3羽。
ガビチョウ:公園草むらで1羽。

 
 







鳥の声――賢治とW.H.ハドソン――
 三三六 春谷暁臥  一九二五、五、一一、(「春と修羅第二集」)
 
  酪塩のにほひが帽子いっぱいで
  温く小さな暗室をつくり
  谷のかしらの雪をかぶった円錐のなごり
  水のやうに枯草をわたる風の流れと
  まっしろにゆれる朝の烈しい日光から
  薄い睡酸を護ってゐる
    ……その雪山の裾かけて
      播き散らされた銅粉と
      あかるく亘る禁慾の天……
  佐一が向ふに中学生の制服で
  たぶんはしゃっぽも顔へかぶせ
  灌木藪をすかして射す
  キネオラマ的ひかりのなかに
  夜通しあるいたつかれのため
  情操青く透明らしい
    ……コバルトガラスのかけらやこな!
      あちこちどしゃどしゃ抛げ散らされた
      安山岩の塊と
      あをあを燃える山の岩塩……
  ゆふべ凍った斜子の月を
  茄子焼山からこゝらへかけて
  夜通しぶうぶう鳴らした鳥が
  いま一ぴきも翔けてゐず
  しづまりかへってゐるところは
  やっぱり餌をとるのでなくて
  石竹いろの動因だった
    ……佐一もおほかたそれらしかった
      育牛部から山地へ抜けて
      放牧柵を越えたとき
      水銀いろのひかりのなかで
      杖や窪地や水晶や
      いろいろ春の象徴を
      ぼつりぼつりと拾ってゐた……
        (蕩児高橋亨一が
         しばし無雲の天に往き
         数の綵女とうち笑みて
         ふたたび地上にかへりしに
         この世のをみなみな怪しく
         そのかみ帯びしプラチナと
         ひるの夢とを組みなせし
         鎖もわれにはなにかせんとぞ嘆きける)
      羯(ぎや)阿(あ)迦(ぎあ)居る居る鳥が立派に居るぞ
      羯阿迦 まさにゆふべとちがった鳥だ
      羯阿迦 鳥とは青い紐である
      羯阿迦 二十八ポイント五!
      羯阿迦 二十七!
      羯阿迦 二十七!
  はじめの方が声もたしかにみじかいのに
  二十八ポイント五とはどういふわけだ
  帽子をなげて眼をひらけ
  もう二里半だ
  つめたい風がながれる
 
 『新校本全集』年譜によると、このとき賢治は29才、この前日、盛岡に18才の森佐一(注1)を誘って、岩手山に向かいます。まず、小岩井駅まで列車で行き、小岩井農場、姥屋敷(地名)を抜けて夜通し歩き、岩手山神社柳沢社務所で仮眠を取りました。翌朝、高原と谷間を歩いき、焼走り溶岩流、大更を経て、列車で好摩に向かいました。
 この詩に前後して、三三五「つめたい風はそらで吹き」一九二五、五、一〇、三三七「国立公園候補地に関する意見」 一九二五、五、一一、が作られています。
 この詩では、早朝の岩手山麓を、眠気に包まれながら、水のようにつめたくさわやかに流れる風の中、太陽光を浴びています。
 夜間、ずっと飛び続けていた鳥がいなくなったのに気づき、夜の行動が、「石竹いろの動因」――繁殖活動――だったと思い当たります。石竹いろ」は賢治の作品では、性を象徴するものです。その後、若い佐一もまたその衝動に揺れていたことを温かく思いやっています。そんな二人を包むものは、またたくさんの鳥です。鳥の鳴き声は「羯阿迦」を6行書き連ねることで表します。
 
    羯(ぎや)阿(あ)迦(ぎあ) 居る居る鳥が立派に居るぞ
    羯阿迦 まさにゆふべとちがった鳥だ
    羯阿迦 鳥とは青い紐である
    羯阿迦 二十八ポイント五!
    羯阿迦 二十七!
    羯阿迦 二十七!
 
 「羯阿迦」には「ぎやあぎあ」と振仮名が付けられているほか、下書稿㈢では「Gyagya」とローマ字表記となっているので、鳥の声を表そうとしているのは確かです。
 漢字表記は、仏教用語を思わせます。管見した限りですが、仏教で心を一つに集中して散乱がない状態を「定(じょう)」といいます。定は、もともと古代インドの宗教的実践として行われてきたものを仏教にも採用したもので、境地の深まりに応じて様々な名称の定が説かれ、異名が存在します。慧沼((648〜714)『『成唯識論了義灯』巻五(大正蔵巻43)には定の異名が七つ挙げられていて、その中の「質多翳迦阿羯羅多」(心一境性)、にこの文字が見えます。賢治がこの教えを知っていたことは推測できますが、この詩の中では、心にあったこの文字、その音を鳥の声のオノマトペに当てたのだと思います。
 もう一つ、「鳥とは青い紐である」は何をさすのでしょうか。 この時、一緒だった森佐一の次の記述はこの時の情景を明らかにしています。
 
笹やいろいろのつる草、若い白樺や、はんの木が、谷間いっぱいに生え、うぐいすが、そっちこっちで鳴いていた。ひとつの谷間に入ろうとしたときだった。ギャーギャーと、突然鳴いて、飛んだ鳥があった。尾の長い大きい鳥である。宮沢さんは、突然、
 ≪トリトハ アオイヒモ デアル≫
と、リンリンとした声を出した。そして手帳に何か書いている。
 光が冷めたい水の層のように気圏の底にみち、鳥の声は、青い長いヒモをなびかせたように流れるのであった。ああそのひもの多いことヒモヒモではありませんか。青い真田紐のよう紐、鳥の声は、ヒモのように波打って空を流れるものではありませんか……。≫ (『宮沢賢治の肖像』 津軽書房 1974 p.276)
 
 確かにその時飛んだ鳥は、尾が長く、季節や声からしてオナガを思わせます。でも賢治が表そうとしたものは、鳥の声という聴覚から、 ≪ヒモでありませんか。青い真田ヒモのようなヒモ、鳥の声は、ヒモのように波打って空を流れるものではありませんか……≫という視覚表現にしているのです。
 また森氏は同書のなかで、賢治が、蜂の方言名「すがる」の「る」は、弧を描いてスーと飛び去っていく感じを表すと話していたことも証言していますし、童話「十力の金剛石」では、ハチスズメが弧を描いて飛ぶ様子を〈ルルルルルルル〉と鳴る青い輪となるとも表現しています。あちこちあを白く説あちこちあをじろく接骨木が咲いて〕(「春と修羅 第二集」)には、次のような表現があります。

 
そらでは春の爆鳴銀が
甘ったるいアルカリイオンを放散し
鷺やいろいろな鳥の紐が
ぎゅっぎゅっ乱れて通ってゆく

 
 このような、耳から聞いた音を目で見たように感じ、また目で見た情景に音を感じる――共感覚――は、賢治の多くの作品に見られ、表現を豊かなものにしています。
 
 W.H.ハドソン(注2)『鳥たちをめぐる冒険』(黒田晶子訳、講談社 1977)、178ページ 第十七章「ハリエニシダムシクイ、またはハリエニシダの小妖精」で同じ感覚を見つけました。
 ハドソンはハリエニシダムシクイ(注3)を求めてイギリス南部の荒野を歩いています。声を求めて3日目に、ハリエニシダ(注4)の繁みのなかに、たくさんのツガイを見つけ、囀りを充分に聞くことができました。メレディスという人物がヒバリの声を「銀の鎖――/無数の音の環の切れ目なくつらなった」と言ったことを引き合いに出して、ハリエニシダムシクイの声を次のように記しています。
 
「一つのふしが非常に速く繰返されるので、一連の囀りは鎖と言うよりはむしろしっかり編まれたひものように思える。さらに比喩を許してもらうなら、それは黒か灰色の地に、輝かしい色を編み込んだ一本のひもである。ひもの両端からは、銀、金、深紅のいとがのぞいている。黒っぽい糸は低いなじるような、うなるような声、はなやかな色の糸は明るくて甲高い繊細な声である。
 
 と細かな連想を繰り広げます。さらに個性的な鳥たちの囀りを言葉では表しきれず、イメージを伝えることの難しさを記しています。
 
 賢治が、空の広さや青さや風をバックにして音からの連想を広げていたのとは、少し違うかも知れませんが、鳥類学者でもあるハドソンが、このような美しい連想を繫げていくことを初めて知りました。ハドソンの作品に惹かれるのは、このような、対象への鋭い観察と豊かな感覚のせいなのかも知れません。
 
 一方、浜垣誠司氏は、スペインの写真家シャビ・ボウの作品を紹介しています(注5)。鳥の飛行を撮影した連続写真を1枚に合成することで、空間上にその美しい軌跡を定着するもので、これが賢治の言う「鳥の紐」の具現ではないかとされました。
 また鳥のサイト「e-Bird」では、鳥の声の声紋も知ることができます。これは科学的に証明される音の視覚化です。
 賢治の共感覚的表現はそれとは少し違って、賢治の感覚を通して表現された世界です。私には共感覚はありませんが、すべての対象に向かうときの感覚を大切にして、いろいろなことを感じ取れればよいと思います。
 
注1:森佐一(1907〜1988)、ペンネーム、森荘已池。
 盛岡市生まれ、旧制盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)在学中、『盛岡中学校校友会誌』に北小路幻や青木凶次、畑幻人など様々なペンネームで詩や短歌を投稿し編集にも携った。
 1925年2月に、詩誌『貌』の発刊を計画、賢治に詩の寄稿と同人費の依頼をしてきたことで、親交を結ぶようになる。『貌』は7月に発刊された。賢治はその年発刊した草野心平の『銅鑼』の同人に森を推薦し、森の詩は第8号から掲載される。
 賢治の死後は、1939年から『宮澤賢治全集』(十字屋書店版)の編集に携る。様々な賢治に関する証言を集め、「宮沢賢治氏聴書き」ノートに詳細に書き記し、筑摩書房版『宮沢賢治全集』月報に11回連載、『宮沢賢治の肖像』(1974 津軽書房)にまとめた。
 他に、1940年に、小説集 『店頭(みせさき)』が芥川賞候補となり、1944年には『蛾と笹船』『山畠』で第18回直木賞を受賞、1994年、第4回宮沢賢治賞を受賞。

注2:William Henry Hudson,(1841〜1922)作家、ナチュラリスト、鳥類学者。
 アルゼンチンで生まれ少年時代を過ごした後、イギリスに渡る。その後、アルゼンチンやイギリスの鳥類などに関する優れた著作を残した。『ラ・プラタの博物学者』、『はるかな国 とおい昔』、小説『緑の館』など。 

注3:ハドソンは「オナガムシクイのことである。」と記している。イギリス南部からフランス、スペイン、モロッコ、チュニジアにかけて分布、声は細く囀りは美しく、ハリエニシダの中を好んで営巣することからハドソンが愛して命名したとも推定される。
 オナガムシクイは英名:Dartford Warbler 。del Hoyo ほか『(2006)Handbook of the Birds of the World vol.11』によれば、スズメ目 ヒタキ科 ズグロムシクイ属。全長:12.5cm  体重:6.8-10.5g。
 科名、属名は変更が多く、『日本鳥類目録第7版』(2012)の記述から類推して、ズグロムシクイ科に変更されていると思われる。

注4:マメ科の常緑低木。 南西ヨーロッパ原産で,乾燥した砂地や荒れ地によく生える。日本には明治の初期に渡来し,観賞用として庭園樹や生垣に用いられる。幹は高さ 0.5〜1.5mでよく分枝し多数のとげがある。春から初夏にかけて葉腋にエニシダに似た花を数個つける。
 
注5:HP「宮沢賢治の詩の世界」2018年1月7日)
 
参考文献
中村元『佛教語大辞典』縮刷版 東京書籍 1981
岩本裕『日本佛教語辞典』 平凡社 1988
渡部芳紀編『宮沢賢治大辞典』勉誠出版 2007
インターネット百科事典Wikipedia
 
テキストは『新校本宮澤賢治全集』による。