宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2023年6月下旬
25日 5:30〜7:30 晴 23℃
 
 うまく目覚めることができ、5:30には出られました。
 赤津川へ行くまえに合流点を見ました。
 水かさが多くて鳥は見えませんが、イカルチドリの声が2カ所で聞こえて、1羽、2羽、と現れました。その後、コチドリの声が慌ただしく響き、2羽が飛んで行きました。
 岸辺にアオサギが1羽見えました。中洲も草丈が高くて見にくいのですが、多分もっとたくさんの鳥種がいるのではないでしょうか。
 公園の手前でガビチョウの声が響きます。
 赤津川に入ると、カルガモが3羽、先々週あたりからコガモが1羽いるのが気にかかります。
 ツバメは2羽、6羽飛びます。低く飛ぶのは空は晴れていても曇りに向かうのでしょうか。
 アオサギだけが1羽、1羽と眼につきました。
 ヒバリは元気で5カ所で聞こえました。
 公園に入ると、ウグイスが滝沢ハム付近と公園の川の草むら2カ所で囀っていました。永野川から場所を移してくれたのは嬉しいことです。
 滝沢ハムの池手前は、草丈が高くて近づけないのですが、アオサギが1羽見えました。この頃、この池には鳥が少なくなりました。
 ガビチョウの声が公園でも3カ所で聞こえました。今日は随分あちこちで聞こえ、繁殖力の強さを感じます。
 大岩橋付近で、電線に3羽のハシブトカラスがとまっていました。遠くてよく見えませんでしたが、ニャーという感じの声なのでハシブトカラスとしました。小さめなのが2羽、何か羽繕いをしてもらっているように見え、ヒナ2羽、親鳥1羽かと思います。カラスはここでは少なめで、こんな光景は珍しいことです。
 大岩橋付近で、鳥がもつれる姿があり、1羽はキジバトでした。近くの山林でも二カ所で見え、鳴き声が遠くからも響いていました。
ホオジロは大岩橋河川敷で草のトップと、草陰で囀りました。大砂橋近くの流入口の柵でも1羽、ここも定位置のようです。
 セグロセキレイ幼鳥が2羽、成鳥が1羽、少し離れたところでも成鳥1羽、幼鳥が2羽、子育ての季節のようです。
カルガモが5羽固まっていました。もしかすると成長した子連れのファミリーかも知れません。今年はまだヒナの行列を見ていません。
 ここでもガビチョウが2カ所で聞こえたほか、1羽が目の前に飛び出して鳴きました。
 山林でワシタカらしい声が響くのですが、特定できず、不明種としました。記憶にはあるのですが、名前が浮かびません。
 山林から田へモズが1羽飛び出しました。
 公園の川縁に行くと、大木で動きがあってカワセミの声がしきりにしていました。動きが速くはっきりと捉えられませんが、カワセミだと思います。川は水かさが増しているので、近寄れないのかもしれません。
 ムクドリが芝生で5羽歩いていました。
 上人橋近くでハクセキレイ1羽、ツバメ3羽、睦橋近くでイカルチドリが1羽、遡って行きました。
 
 定位置ので、定番の鳥に会えてよかったと思います。
 
 いつも歩いているという年配の男性にカッコウのことを聞くことができました。やはりこの何年か聞かないといいます。やっと宿題を果たせたような気がします。今年はホトトギスも聞き逃してしまいました。
 
 キリギリスが鳴き始め、夏の始まりです。
 
カルガモ:赤津川で3羽、2羽、1羽、大砂橋付近で1羽、1羽、5 
 羽、2羽、計15羽。
コガモ:赤津川で1羽。
アオサギ:合流点に1羽、赤津川に1羽、1羽、滝沢ハム池に1羽、
 永野川に1羽、計5羽。 
イカルチドリ:合流点で1羽、2羽、睦橋付近で1羽、計4羽。
コチドリ: 合流点で2羽。
タカ不明種:大岩橋付近山林で鳴き声。
モズ:大岩橋付近田で1羽。
カワセミ:公園、エノキの大木で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ:公園芝生で5羽。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。大岩橋付近電線で親1羽、 
 巣立ちヒナ2羽。
ヒバリ:赤津川4カ所声を聞く。
ツバメ:赤津川2羽、6羽、永野川3羽、合流点1羽、計12羽。
ウグイス:公園草地で1羽、1羽、1羽、大岩橋河川敷で2羽、
 計5羽。
ハクセキレイ:合流点で1羽。
セグロセキレイ:大砂橋付近、1羽、1羽、幼鳥2羽、合流点付近で
 幼鳥2羽、成鳥1羽、計7羽。
ホオジロ:大岩橋河川敷草地で2羽、大砂橋付近流入口で1羽、計3
 羽。
ガビチョウ:公園で1羽、1羽、1羽、大岩橋山林で2羽、1羽、
 計6羽。

 
 







2023/06/30 17:06:00|コミック
ますむらひろし『銀河鉄道の夜』 new version 四次稿編 を読む
 息子から、ますむらひろし『銀河鉄道の夜』 四次稿編 (全4巻 発行 有限会社風呂猫 )の既刊1巻から3巻までをプレゼントされた。
 コミック好きで、このところ飼い猫に夢中の息子は、谷中の「ギャラリー猫町」、「ますむらひろし『銀河鉄道の夜』第三巻 ラフスケッチ展」に出かけたらしい。
 扉裏に、私宛のますむら氏自筆のイラストがある。自分ではとても買えないものである。
 
 私のますむらひろしとの関わりは深くはなく、まず1985年の、アニメ「銀河鉄道の夜」である。宮沢賢治作品の映像化や絵画化などは、自分のイメージが壊されそうで避けてきたが、猫ならばそれはないと思い、自身が猫好きだったことも手伝って、小学生の息子と見に行った。
 画面の色彩が美しく猫は可愛く、西欧風の背景は、なるほどこんなものかな、と思った。息子には、あまり自分の賢治への想いは強制したくないと思っていたので、のんびり楽しもう、と言った。
 その後、何かの機会に、ますむらひろしのコミックを見たとき、映像とかけ離れていて失望した。私は映像化されたものを見ただけであって、ますむらひろしの本質を知っていたわけではなかった。
 
 知り得た限りで、ますむらひろしの賢治関係の出版物を追って見る。
 
1972 「猫の事務所」に登場する「かまねこ」のイメージに惹かれ 
 書いた、「霧にむせぶ夜」で「手塚治虫賞」第二位となり漫画家
 デビュー 
1982 賢治作品を「猫をキャラクターにして漫画化」の企画
1983 3冊本 「KENJI by CATS」 出版(朝日ソノラマ?)
1985 劇場用アニメ「銀河鉄道の夜」公開100万人を動員する作 
 品となる。
1991 1冊本『KENJI by CATS ますむら版 宮沢賢治童話集』 朝日ソノラマ  765ページ
内容「銀河鉄道の夜」(初期形)ブロカニロ博士篇、「雪渡り」、「十力の金剛石」、「猫の事務所」、「風の又三郎」、「どんぐりと山猫」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」(第四次稿)
1998 『イーハトーブ乱入記 』(ちくま新書)
2014〜 『赤旗』日曜版に短編童話を連載。作品は「やまなし」「虔十公園林」「オツベルと象」「ひかりの素足」。
2015 上記作品は3冊本でミキハウスから単行本3冊として発行される。
2020、1〜『赤旗』日曜版で「銀河鉄道の夜」第四次稿、連載始まる
2020、10 『銀河鉄道の夜 new version四次稿編』第一巻 風呂猫
  初出「しんぶん赤旗」日曜版2019年12月29日・2020年1月5日合併号〜2020年6月28日
2021、5 第二巻(初出「しんぶん赤旗」日曜版2020年6月28日〜2020年12月20 

2023、5 第三巻(初出「しんぶん赤旗」日曜版 2022年7月3日〜2022年12月20日
 
 私が手にしたのは、息子にプレゼントされた、1991刊の一冊本『KENJI by CATS ますむら版 宮沢賢治童話集』の古本、次も息子のプレゼントのこの豪華4冊本である。
 
 少し詳しく知りたいと思い、「なぜ、ますむらひろしは宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』を幾度も猫で描くのか」(https://brutus.jp )を拾い読みした。
 ますむらひろしが、賢治に最初に愛着を感じたのが「猫の事務所」の「かまねこ」(竈猫・かまどねこ)だったことを知り、勝手ながら我が意を得たり、と思った。
 賢治作品には、美しい言葉や風景、面白いストーリーがあるが、いつも底に流れているのは、疎外感ではないかと思う。私はそこに惹かれ賢治にのめり込んだのだが、なかなか共感してくれる人には会えなかった。
 農学校時代も凶作の時に描いた詩では、どうしようもない自然の前に無力な自分を歌い、農民のために身を投じた農村の生活の詩では、周囲から理解されていないことの悲しみを歌う。
 私の一番好きな「ポラーノの広場」でも最後には協同組合の仕事に参加出来ず都会の新聞社の輪転機の片隅に働く姿がある。
 「銀河鉄道の夜」は人との永遠の別れがテーマだが、底にジョバンニの抱える周囲からの疎外感がなければ、作品はもっと軽いものになっているのではないだろうか。
 
 この本で、一番惹かれたのは、ジョバンニの眼の悲しさである。今までになかったくらい悲しい。そして瞳には少女漫画のように星が描かれている。もちろん猫風に。以前の版では、むしろカンパネルラの眼に感じられたが、こちらでは、ジョバンニのほうが、カンパネルラとの永遠の別れを予感しているような悲しさだ。そして半開きの口元も悲しい。
 
 この物語の空には星がない、というのも初めて知った。夕焼け後空は星のない桔梗色という。星も煌めいていない空、それは吸い込まれるように悲しいものだろう。
 この三作の表紙の色の青にも惹かれた。これは鋼青と黒を基調にしているのではないだろうか。「鋼青」は賢治の作品の度々登場する賢治の色である。「銀河鉄道の夜」の、「六、銀河ステーション」にもある。
 
それはだんだんはっきりして、たうとうりんとうごかないやうになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました
 
さらに「インドラの網」でも、
 
それは空気の中に何かしらそらぞらしい硝子の分子のやうなものが浮かんで来たのでもわかりましたが第一東の九つの小さな青い星で囲まれたそらの泉水のやうなものが大へん光が弱くなりそこの空は早くも鋼青から天河石の板に変わってゐたいたことから実ににあきらかだったのです。その冷たい桔梗色の底光りする空間を一人の天が翔けてゐるのを私は見ました。
 
と変わりゆく空の一瞬を捉えている。
 
特に、深い印象を与えるのは、「銀河鉄道の夜」の原点とも言える、亡き妹トシを求める詩「風林」(『春と修羅』)である。
 
  ……
とし子とし子
  野原へ来れば 
  また風の中に立てば
  きっとおまへをおもひだす
  おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
  鋼青壮麗のそらのむかふ
   (ああけれどもそのどこか知れないも空間で
    光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
……
 そのほか「谷」(『春と修羅』)では、「硝子様(やう)鋼青のことばをつかつて」、「東岩手火山」(『春と修羅』)では、「さうだ、オリオンの右肩から/ほんたうに鋼青の壮麗が/ふるえて私にやつて来る」、「空明と傷痍」一九二四、二、一七、(「春と修羅第二集」)では、「……ところがおれの右掌(て)の傷は/鋼青いろの等寒線に/わくわくわくわく囲まれてゐる……」、〔北いっぱいの星ぞらに〕一九二四、八、一七(「春と修羅第二集」)では「東銀河の聯邦の/ダイアモンドのトラストが/かくして置いた宝石を/みんないちどにあの鋼青の銀河の水に/ぶちまけたとでもいったふう」と、冷たい夜空の形容や比喩的な形容に使われている。そしてまた賢治ファンにとっても好きな色なのだ。
 もうひとつ、この改稿で変わったものには、皆が座る列車の座席がある。モデルとなった岩手軽便鉄道は狭軌のため、座席はボックスではなく、ロングシートだったことが分かり、描き直されている。第二巻の跋文にはそれによって解ける謎のことや、また列車の音も賢治の記したように「ごとごと」であることも記される。
 
 この三冊が、胸に重く響くのは、賢治の作品を愛して、長い時間をかけて細かく読み解き、ご自分でも猫も愛し、600頁もの大作に書き上げた、ますむらひろしの心だと思う
 

 







永野川2023年6月中旬
18日 6:00〜8:00 晴 23℃
 
 梅雨晴れ間です。少し出遅れてしまいましたが、6:00に出ました。
 二杉橋から入ると、雨が続いたせいか水量が多くあまり鳥は見ません。カルガモ2羽、ツバメ5羽、ムクドリ5羽、ウグイス囀りが一カ所で聞こえました。上空をダイサギが1羽通過しましたがこの前のように川辺では姿が見えません。
 睦橋付近でハクセキレイが1羽、また1羽、水辺を駆け抜けていきました。
 ガビチョウの声がこの辺でも聞こえるようになりました。
上人橋上の護岸で、コチドリのけたたましい声がして、1羽が川岸に飛び移りました。その後、イカルチドリの声が遡って行きました。
 公園のワンド跡や川岸のヨシは、今年はうまく成長しています。ヨシ原として再生するのも無理ではないと思います。
 ホオジロがニセアカシアの小木のてっぺんで囀っています。ウグイスも草むらで囀っていました。
 大岩橋河川敷林で、珍しくカワラヒワが1羽姿を見せ、囀りでない声で小さく鳴いて、近くの電線で囀っているカワラヒワに、近づいていきました。カップルかも知れません。
 ホオジロが河川敷の草むらの丈の高い草のトップで囀っていました。
 ここでもガビチョウの声が聞こえていました。山林のはざまの平地で、鳴きながら移動している個体にも会いました。近くにもう1羽鳴いていて、こちらもカップルなのでしょう。
 滝沢ハムの近くのサクラに今日もエナガの群れ、10羽確認出来ました。シジュウカラの声、コゲラの声、メジロの声もして、混群となっているようです。ここは、よい雑木林になったのかも知れません。池の方でキジの声もしていました。
 赤津川では、ヒバリがあちこち6カ所で声を確認出来ました。セッカも1カ所、いつもの通りです。上空でヒバリ1羽飛ぶのを見つけました。
 稲の間からカルガモの上体が見え、そばに少し小さい首が1つ見えました。ヒナが大きくなっているようですが、近寄れない場所で、それ以上は見えませんでした。
 川岸と田で、セグロセキレイが2羽、3羽、と移動しているのが見えました。
 全体に水量が多く、鳥たちの姿が少ない日でした。
 やはりもう少し早いほうがよいのかも知れません。ただヒバリなどは温度が上がって来る頃に活発になるような気もします。またよい時を選びたいと思います。
 
キジ:滝沢ハム池付近で1羽声。
カルガモ:二杉橋近2羽、合流点で1羽、公園で2羽、赤津川で5羽、  
 田で2羽(1羽幼鳥)、計12羽。
ダイサギ:永野川上空で1羽。
イカルチドリ:合流点で1羽、上人橋付近で1羽、計2羽。
コチドリ:上人橋付近川沿いで1羽。
コゲラ: 滝沢ハム付近サクラ並木で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ:二杉橋上川岸の民家で5羽。
ハシボソカラス:特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
ヒバリ:赤津川6カ所。
ツバメ:赤津川で5羽、永野川で5羽、合流点で2羽、計12羽。
ヒヨドリ:特に目立った群れはない。
ウグイス:永野川睦橋付近で1羽、公園草地で1羽、大岩橋河川敷で1 
 羽、計3羽。
セッカ:赤津川田で下降声1
セグロセキレイ:赤津川2羽、3羽、計5羽。
ハクセキレイ:永野川睦橋近くで1羽、1羽、計2羽。
カワラヒワ:大岩橋河川敷林1羽、田の電線で1羽、計2羽。
シジュウカラ:滝沢ハム近くサクラ並木で2羽。
メジロ:滝沢ハム近く林で2羽。
エナガ: 滝沢ハム付近サクラ並木で10羽。
ホオジロ:公園草地1羽囀り。大岩橋河川敷草地で1羽、計2羽。
ガビチョウ:永野川睦橋付近川岸で1羽、大岩橋付近山林で1羽、1羽 
 林縁に姿を見せて囀り、計3羽。

 
 







永野川2023年6月上旬
8日 5:30〜7:30 薄曇 19℃ 
 腰痛を起こして10日ほど安静にしていました。天気の具合その他、今日以外に上旬には出かけそうにないので、様子を見ながら出かけることにしました。うまいことに赤津川から入る日だったので、急な永野川は下るコースになります。
 合流点近くに行くと、チドリの声が大きく響き、待っているとコチドリが2羽、3羽、と連れだって跳び回っていました。顔の黒さは確認出来、動きから判断してコチドリ、ラッキーな出会いです。水は豊富に流れながらも澄んでいて、鳥たちも気持ちよいのでしょうか。アオサギも1羽、キジの声も聞こえました。
 赤津川に入ると、ほとんどの田に水が入っていましたが、麦刈りが済んだばかりの田にヒバリの声があちこちで聞こえ、セッカの声も聞こえました。
 珍しく、九反田橋近くで、オナガが1羽、鳴いていました。
 ツバメも動きが盛んで6羽、3羽、やはり曇っているせいで低く飛んでいるようです。電線にキジバト2羽、影絵のように見えました。セグロセキレイも大きな声で鳴いています。
 下ってくると、川岸に小型の水鳥!カイツブリかと思ったら、コガモ♂1羽でした。まだ残っていて大丈夫なのでしょうか。
 公園近くで、聞き慣れたチーチーという声がかなり大きく聞こえました。一瞬分からず、声を追っているとカワセミ2羽、相次いで飛んで、公園の中に入っていきました。いつも水辺で見るので、見落としそうでした。
 滝沢ハムの池近くで、ムクドリ8羽、大群はいませんでした。
公園からウグイスの声、少し行くとホオジロの囀りが聞こえました。
滝沢ハム近くの桜の木にシジュウカラの声がして2羽、コゲラも1羽いました。
 その後も何か聞き覚えのある声、エナガでした。この季節に会うのは初めてです。
 滝沢ハム近くにも田があります。その1枚の田にアオサギが4羽、白くてばさばさした感じの幼鳥1羽、成鳥2羽、若鳥?1羽、と多種のアオサギが集まっていました。
 大岩橋河川敷林でホオジロ1羽、電線に2羽。大砂橋近くに1羽、今日はホオジロも元気です。川辺にセグロセキレイが2羽で二カ所、鳴きながら移動していました。こちらも元気です。繁殖行動でしょうか。
 永野川は少し足腰を休めるように下って行きました。全体に水は澄んで、一定量が流れています。川に下りられる道が出来ていて、完成すれば近くで鳥を見られるかも知れません。コンクリートで固められた川ですが楽しみです。
 途中でイカルチドリが鳴いて中洲に降りていました。ここでカワセミが下って行きました。
 二杉橋付近で、綺麗になった川岸にカルガモが5羽、固まっていて、くつろいでいるように見えました。
 久しぶりの早朝探鳥でしたが、快適でした。何よりも、鳥が「豊富」にいるという感でした。まだホトトギスの声は聞こえませんでした。或いはもういなくなったのかも知れませんが。
 公園のクルミがしっかりとした青い実を付けていました。実りを見るのは嬉しいものです。腰の痛みも出なかったのでまた探鳥を続けられそうです。
 
 その後に立ち寄ったサギのコロニー、樹上に、サギたちの雛と親鳥が何組か見えました。長い首の親鳥、それを囲んで下の方に小さな頭が2,3個、という感じ、初めての光景です。
コサギも一組は確認出来ました。見えないところにもたくさんいるようです。この風景はいつまで見られるでしょうか。また確かめに来たいと思います。
 
キジ:合流点の中洲で1羽。
カルガモ:二杉橋近く5羽、合流点で1羽、滝沢ハム池上空で3羽、計
 9羽。
コガモ:赤津川、水辺で1羽。
アオサギ:合流点で1羽、滝沢ハム近く田で4羽、計5羽。
イカルチドリ:永野川睦橋付近で1羽。
コチドリ: 合流点中洲で6羽。
カワセミ:赤津川で2羽、永野川二杉橋付近で1羽、計3羽。
コゲラ: 滝沢ハム付近サクラ並木で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ:滝沢ハム池付近樹木で8羽。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
オナガ:合流点付近で1羽。
ヒバリ:赤津川2カ所、5羽以上の声を聞く。
ツバメ:赤津川で6羽、3羽、永野川で3羽、計12羽。
ウグイス:公園草地で1羽、大岩橋河川敷で2羽、計3羽。
セッカ:. 赤津川田で下降声1
セグロセキレイ:赤津川1羽、大砂橋付近中洲で2羽、2羽、計5羽。
シジュウカラ:滝沢ハム近くサクラ並木で2羽。
エナガ: 滝沢ハム付近サクラ並木で6羽。
ホオジロ:公園草地で1ヶ所囀り。大岩橋河川敷草地で2羽、大砂橋付  
 近で1羽、計4羽。
ガビチョウ:公園内で1羽。

 







「青い槍の葉 」ー働くものへの賛歌の風ー
「青い槍の葉 」(mental sketch modified) 
 
 
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲は来るくる南の地平
   そらのエレキを寄せてくる
   鳥はなく啼く青木のほづえ
   くもにやなぎのかくこどり
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲がちぎれて日ざしが降れば
   黄金(キン)の幻燈 草(くさ)の青
   気圏日本のひるまの底の
   泥にならべるくさの列
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲はくるくる日は銀の盤
   エレキづくりのかはやなぎ
   風が通ればさえ冴(ざ)え鳴らし
   馬もはねれば黒びかり
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲がきれたかまた日がそそぐ
   土のスープと草の列
   黒くおどりはひるまの燈籠(とうろ)
   泥のコロイドその底に
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   りんと立て立て青い槍の葉
   たれを刺さうの槍ぢやなし
   ひかりの底でいちにち日がな
   泥にならべるくさの列
     (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   雲がちぎれてまた夜があけて
   そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ
   風に霧ふくぶりきのやなぎ
   くもにしらしらそのやなぎ
      (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
   りんと立て立て青い槍の葉
   そらはエレキのしろい網
   かげとひかりの六月の底
   気圏日本の青野原 
      (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) (『春と修羅』)
 
 この作品の作者の発想日付は「一九二二、六、一二」です。1923年8月16日付、国柱会(注1)の機関紙「天業民報」に、「青い槍の葉(挿秧歌)」として発表されています。「挿秧」とは「田植え」のことで、「青い槍の葉」とは、稲の苗の葉先が尖った様子を表しています。
 この詩には、大正時代の歌謡曲を思わせる曲が伝えられていて、その他の賢治や歌曲とは雰囲気が違います。佐藤成『教諭宮沢賢治:賢治と花巻農学校』(花巻農業高等学校同窓会 1982)の記載よれば、「田植は、農家はもちろん農学校にとっても秋の取り入れと並ぶ二大行事で、全職員全生徒総出で行われた。水田担当だった賢治は、すべてを掌握し「青い槍の葉」も田植歌として全生徒に歌わせ、力強い歌声があたり一面にこだました。」とあります。この詩のリズム、合の手、なども納得できます。「ひでりあめ」まで降る暑さのなか、一面の「どろのスープ」の中での「槍の葉」との格闘です。
 でも、そこには、風や、揺れる風景が描かれ、詩として輝き、1924年年4月20日、賢治の生前唯一出版された『春と修羅』に所収されました。
 エレキ―宇宙からの電波でしょうか―も感じられる地平線から寄せてくる雲、そして人びとが立っているのは「気圏の底」という大きな風景です。ヤナギのそよぎ、カッコウの声、雲の流れ、日照り雨さえ「黄水晶(シトリン)」と表現され、作者の労働へのエールが感じられます。挿入句の「ゆれるゆれるやなぎはゆれる」は、暑く苦しい田植の作業に吹き渡る救いのようなものです。そして最終章の
 
りんと立て立て青い槍の葉
そらはエレキのしろい網
かげとひかりの六月の底
気圏日本の青野原 
 
で思いは最高潮に達します。
 
 ヤナギは、ヤナギ科ヤナギ属の樹木の総称で世界に350種以上あります。枝が垂れ下がる種類には「柳」、枝が立ち上がる種類には「楊」の字が使われます。
 詩中にある「かはやなぎ」が標準和名カワヤナギであれば、北海道南部〜本州の河原に自生する落葉小高木の「楊」で、高さ3〜6m、直径3〜30cmになり、葉は長さ7〜16cm、幅8〜20mmの線形で、ふちに浅い波状の鋸歯があり、裏面は白緑色で無毛です。葉裏の白は風に翻ると、硬質な音がするように感じられ、また電気仕掛けにも思えます。
 賢治は白い葉裏が風に揺れる風景が好きで作品に多く読み込まれます。(注2)
 この作品から5年後の作品に、 一〇七六 「囈語 」一九二七、六、一三、 (「詩ノート」)があります。
罪はいま疾にかはり
わたくしはたよりなく
河谷のそらにねむってゐる
 
せめてもせめても
この身熱に
今年の青い槍の葉よ活着(つ)け
この湿気から
雨ようまれて
ひでりのつちをうるおほせ
 
 この時も、思うのは「青い槍の葉」でした。熱を雨に変えて雨を降らせてという、切なすぎる願いです。
「ヒデリ(旱害)にケガチ(凶作)なし」という言葉が東北にはあるのですが、賢治が体験した凶作は、1924年はじめとして、ほとんどが旱害によるものでした。
 賢治の農村体験は、1922年大正10年12月稗貫郡立稗貫農学校(後に花巻農学校)の教諭となってからです。1926年退職するまでの4年間を、賢治は「この四ヶ年はわたくしにとって/じつに愉快な明るいものでありました」(「春と修羅第二集」序)と記しているよう  徒たちと自作の演劇を上演するなど充実したものでした。
 しかし生徒たちを通じて農村の窮状を知って、教室の中だけで行う活動に負い目を感じ、1926年4月に農学校教諭を退職し、実践によって農村に寄与したいという思いから、市内下根子の別宅で農耕生活に入ります。労働即芸術の生活を理想とし、教え子を中心にした共鳴者と「羅須地人協会」を発足させ、レコードコンサートや農業技術の学習を行います。しかし、周囲の無理解、激しい労働による心身の消耗から、1928年8月病床につきます。
 1930年、小康状態の中で花巻温泉の花壇設計の指導などに従事します。1931年1月、東北砕石工場鈴木東蔵の石灰による農地の改良に共鳴し技師となりますが、宣伝や販売にも奔走し、9月上京中の旅館で発熱、以後1933年9月の臨終までほとんど病床にありました。
 そのなかで、「文語詩稿五十篇」、「文語詩稿一百篇」、などの詩の推敲や、童話「風の又三郎」、「ポラーノの広場」、「銀河鉄道の夜」、「グスコーブドリの伝記」などの完成に向けた活動は行われます。絶筆は以下の二首です。
 
方十里稗貫のみかも/稲熟れてみ祭三日/そらはれわたる
病(いたつき)のゆゑにもくちん/いのちなり/みのりに棄てば/うれしからまし
 
 絶筆にいたっても、稲への思い―そこに働くひとへの思い―が、溢れていて胸が痛みます。或いはそれは、農学校における四年間に生徒たちと共に汗を流した輝く風景があったからかも知れません。
  

注1:国柱会(こくちゅうかい 國柱日蓮宗僧侶日蓮宗僧侶・田中智学  
   によって創設された法華宗系在家仏教団体。純正日蓮主義を奉じ  
   る右派
として知られる
   賢治は1914年(大正3年)9月、18才で島地大等著『和漢
   対照妙法蓮華経』を読んで深い感銘を受け生涯の信仰を法華経と 
   し、浄土真宗の篤信家だった父と対立することになる。1920
   年国柱会に入会し、1921年1月から8月にかけては、東京本
   部で奉仕活動を行った。
注2:ヤナギ科ヤマナラシ属ギンドロ(別名「ウラジロハコヤナギ」)
   は、賢治が愛した植物として、花巻市のぎんどろ公園をはじめ多
   くの場所に見られる。またヤナギ科ヤマナラシ属ドロノキ、同ヤ 
   マナラシも葉裏が白く葉柄の構造上風に揺れやすく、賢治は詩に
   読み込んでいる。また、豆畑で一斉に葉裏が白く翻る風景も賢治
   は心惹かれていた。
 ドロノキ
  「どろの木の下から/いきなり水をけ立てて/月光のなかへはねあ  
  がったので」(六九〔どろの木の下から〕)
  「いま来た角に日本の白楊(ドロ)が立っている」(〔一七一〕  
  〔いま来た角に〕一九二四、四、一九、
 ヤマナラシ
  「ドイツ唐檜にバンクス松にやまならし/やまならしにすてきにひ 
  かるやつがある」(一七「丘陵地を過ぎる」一九二四、三、二四)
 豆畑
  「トンネルヘはいるのでつけた電燈ぢやないのです/車掌がほんの 
  おもしろまぎれにつけたのです/こんな豆ばたけの風のなかで」
  (「電車」一九二二、八、一七)、
  「見たまへこの電車だつて/軌道から青い火花をあげ/もう蝎かド 
  ラゴかもわからず /一心に走つてゐるのだ/  (豆ばたけのそ 
  の喪神のあざやかさ)/どうしてもこの貨物車の壁はあぶない」  
  (「昴」一九二三、九、一六、)、
  「こんなにそらがくもつて来て/山も大へん尖つて青くくらくなり
  /豆畑だつてほんたうにかなしいのに/わづかにその山稜と雲との
  間には/あやしい光の微塵にみちた幻惑の天がのぞき
  (「雲とはんのき」一九二三、八、三一)
 
 テキストは『新校本宮澤賢治全集』による。