三五〇 図案下書 一九二五、六、八、
高原の上から地平線まで
あをあをとそらはぬぐはれ
ごりごり黒い樹の骨傘は
そこいっぱいに
藍燈と瓔珞を吊る
Ich bin der Juni, der Jüngste.
小さな億千のアネモネの旌は
野原いちめん
つやつやひかって風に流れ
葡萄酒いろのつりがねは
かすかにりんりんふるえてゐる
漆づくりの熊蟻どもは黒いポールをかざしたり
キチンの斧を鳴らしたり
せわしく夏の演習をやる
白い二疋の磁製の鳥がごくぎこちなく飛んできて
いきなり宙にならんで停り
がちんと嘴をぶっつけて
またべつべつに飛んで行く
ひとすじつめたい南の風がなにかあやしいかほりを運び
その高原の雲のかげ
青いベールの向ふでは
もうつゝどりもうぐひすも
ごろごろごろごろ鳴いてゐる
年表などには、この詩の背景となる事実は見つかりませんでした。
ただ5月中には、5月7日に、生徒を連れて小岩井農場を訪れ、三三三「遠足統率」一九二五、五、七、が書かれます。つつどり、ウグイスが詠みこまれ、「ウグイスの折れ線グラフ」という語が登場します。
5月10日、11日、森佐一と共に小岩井農場から岩手山に登り、一泊します。同じ日付を持つ詩に、
三三五〔つめたい風はそらで吹き〕一九二五、五、一〇、三三六「春谷暁臥」一九二五、五、一一」、三三七「国立公園候補地に関する意見」一九二五、五,一一があります。
〔つめたい風はそらで吹き〕では、「くらかけ山の凄まじい谷の下で」、「そんな木立のはるかなはてでは/ガラスの鳥も軋ってゐる」という同じ背景を感じさせる表現があります。
この詩は、これらの体験を色濃く受け継いでいるのではないかと思います。種山ヶ原のような、標高の高い場所ではなく、高原から地平線までが見通せる場所で、発想されたと思われます。
5月中の詩としては、三四〇〔あちこちあをじろく接骨木が咲いて〕一九二五、五、二五、三四五〔Largoや青い雲かげやながれ〕一九二五、五、三一、がありますが、平地における風の動きがたくさん見られます。のちに考察したいと思います。
賢治は作品を何度も推敲することで知られています。賢治にとっては、より自分の心象に近い表現を求め、またより完成した作品にするためのもので、定稿を「是」としていたとは思うのですが、詩の背景を考えるため、賢治の思いを壊さない程度に、下書稿に当たってみたいと思います。詩に書き添えられた日時は詩の発想の時と考えられています。賢治が詩を推敲するとき、日時を変えることはありませんので、あくまで発想の時の思いを正確に記そうとする行為であると考え、解釈の助けにすることは出来ると思います。
下書稿一ではタイトルは「蟻」で、「……おれのいまのやすみのあひだに/ Chitin の硬い棒を頭でふりまはしたり/ 口器の斧を鳴らしたりおれの古びた春着のひだや/しゃっぽにのぼった漆づくりの昆虫ども/ 山地のひなたの熊蟻どもはみなおりろ…」と、休憩中に体を這い上る蟻に閉口しいている姿のみ描かれます。
下書稿二では「このおにぐるみの木の下に座ると/ そらは一つの巨きな孔雀石の椀で/ごりごり黒い骨傘には/たくさんの藍燈と瓔珞が吊られる……」と、蟻の記述はなくなり、登場する木がオニグルミであることが書き加えられ、作者が木の下に座って枝を見上げていることが分かります。
下書稿三では、「……漆づくりの熊蟻が/黒いポールをかざしたり/ キチンの斧を鳴らしたり/せわしくそこをゆききする……」と風景の一部として蟻が描かれ、熊蟻だったことも記されます。
定稿では「蟻が演習をする」という表現が加わります。
定稿を最初から辿ってみます。
オニグルミが赤い雌花と黄緑の雄花を咲かせています。オニグルミは雌雄同株で、5〜6月ころ、15cm〜20cmの黄緑の雄花の上に、花穂が直立した雌花が10個ほど上向きに赤い花を付けます。
瓔珞は、菩薩や密教の仏の装身具で首飾りや胸飾り、仏壇や仏堂の荘厳具です。垂れ下がる雄花の様子を例えています。
「藍燈」は、管見した限り、この詩以外での使用例や訳語がみつかりませんでしたが、漢字の読み「らんとう」を、灯りの「ランタン」に置き換えた賢治の造語ではないかと思います。ランタンは炎や電球部分をガラスなどで囲って保護して持ち運んだりできるにしたもので提灯も含まれます。こちらは上向きの雌花のたとえです。
熊蟻はクロオオアリの別名、光沢の少ない黒色で、女王蟻は17oと大きく、交尾期の5月〜6月に羽蟻となって飛び立ちます。詩中には、羽蟻の記述はありませんが、交尾期の動きの活発な様を描いたのでしょうか。
突然現れるドイツ語は何を表すのでしょう。Juniは6月、Jüngsteはjung(若い)の最上級です。賢治は時として表現上の技法のように外国語表記を使い、音のみに意味を持たせたり、文字の形を表現に使ったりします。この場合は、「6月」という季節と、自分の若さを感じ高揚する気分を表しているのかも知れません。
「アネモネ」は、ここではオキナグサを差します。賢治が盛岡高等農林学校で学んだころのオキナグサの学名がAnemone
cernua(のち、1940年に牧野富太郎によりPursatilla cernuaとなる。)であったことによります。(注1)。オキナグサを主題にした童話「おきなぐさ」では、オキナグサを「アネモネの従兄」としています。
オキナグサは4月から5月ころ開花し、5月の終りころ花が終わると白くつややかな無数の冠毛をつけ、翁の髭のようなその様がオキナグサの名前の由来となっています。「アネモネの旌(はた)は/野原いちめん/つやつやひかって風に流れ」は、冠毛が風によって飛ばされる様を表して見事です。
「葡萄酒いろのつりがね」はツリガネニンジンではないでしょうか。花は15o〜20oの釣り鐘型花を円錐形の花序に下向きに数個つけます。ただ花期は8月とされるので、その点に疑問が残ります。
釣り鐘型の花としてホタルブクロがあります。花は4〜5センチで、3、4個つきます。花期は6〜8月ですが、この花は大きく梵鐘に似たかたちで、「貝の火」で、「カンカンカンカエコカンコカンコカーン」という見事なオノマトペで表現されます。この作品では、「リンリン」と鳴ると表現されるので、ホタルブクロには相応しくありません。やはりツリガネニンジンだと思います。
「白い二疋の磁製の鳥」は何でしょうか。この詩以外にも、「磁製」という語は3例あり、鳥を表すもの一例、雪の形容1例、人の内面の形容1例です。
「黒い地平の遠くでは/磁製の鳥も鳴いてゐる 」(〔はつれて軋る手袋と〕一九二五、四、二(春と修羅第二集))では鳥の形容ですが鳴き声も含まれています。
「野原はまだらな磁製の雪と/温んで滑べる夜見来川」(「一〇一四春」一九二七、三、二三、(春と修羅第三集)では雪の形容です。
「この県道のたそがれに/ あゝ心象(イメーヂ)の高清は/しづかなな磁製の感じにかはる(〔高原の空線もなだらに暗く〕 「口語詩稿」)では人物の心の形容です。 本質的には白磁の静謐さを感じているのだと思いますが、ここでは、鳥の空に映える白さを表すものかと思います。
では、この鳥は何でしょうか。日本野鳥の会の高松健比古さんに教えていただきました。以下抄録させていただきます。
空中で停まっていること、嘴をぶつけ合ったことは下書稿すべて共通です。これは二羽の鳥が雌雄のつがいが、空中に停飛して求愛給餌 またはそれに近い行為をした、と考えられます。嘴をぶつけ合う、というのは、雄が雌に餌をプレゼントする、その行為か、或いは、すでに営巣・育雛中のつがいが、雄が運んできた 餌(魚や小型哺乳類、鳥類、両生爬虫類など)を雌に空中で渡す、受け渡しの場面、ということも考えられます。いずれにせよ、「何か餌(のようなもの)を片方の鳥から別な鳥に 空中で渡した」ということではないでしょうか。
仮にそうだとすれば、サギ類は、そのような行動はしません。考えられる鳥としては、コアジサシやタカ類・ハヤブサ類ですが、「白い鳥」とするとコアジサシが最も近いでしょうか。ただ、この場所が水辺ではなく、小岩井の近くの高原とすると、開けた環境だとしてもコアジサシコアジサシは、あてはまらないかもしれません。(営巣している水辺が近くにあった可能性はありますが)。また、コアジサシの飛び方を考えると、「ぎごちなく飛んできて」というのも、あてはまらないかもしれませんが、つがいの鳥たちが接近した時は、通常の飛び方ではなかった可能性があります。
なお餌の空中受け渡しの場合、タカ類は多分足を使うと思うので、嘴をふれあうということはないかもしれません。
また、この詩の鳥の動作が、攻撃など敵対行動と考えられるか、というと、それもありません。嘴は翼とともに、鳥にとって最も大事なものであり、それをぶつけ合う などということは直接生命が危険になり、あり得ないからです。
また仮に「嘴をぶつける」ことはなく、ごく接近して二羽が並んで飛ぶ、と考えると、シギ・チドリ類(コチドリ、イカルチドリ、イソシギ、ケリなど)も考えられます。この場合、ケリは水辺から離れた草地や畑で繁殖するので、可能性があります。(「風林」と同時に 書かれた「白い鳥」のモデル候補はケリではないか、と考えています)。「ぎごちない」飛び方も、ケリならそう見えるかもしれません。
いろいろ謎はありますが、この鳥たちの行動は、つがいの絆を強める動作であったことはほぼ確実です。もしかすると、賢治が注目したのはその動きで、実際には鳥は白くなかったこともありうるかもしれません。
賢治の目には、一瞬、「磁製」と映った鳥の生命力が眩しかったのかも知れません。
こんどは、眼は雲の彼方を見ます。「青いベール」は山脈でしょうか。ツツドリの声は「ポポ、ポポ」、ウグイスも「ホーホケキョ」という特徴的な鳴き声で知られているものですが、それを「ごろごろごろごろ」と表すのはなぜでしょうか。もう鳴き声を取り立てていうこともないほど、続けざまに溢れるように鳴いていることを表すのかも知れません。のちにまた述べます。
風の描写は、2例あります。
……
小さな億千のアネモネの旌は
野原いちめん
つやつやひかって風に流れ
葡萄酒いろのつりがねは
かすかにりんりんふるえてゐる
……
ここでは風に乗って野原に舞う、無数のオキナグサの冠毛を描きます。「風に流れ」としたことで、足元の小さな風景が、燦めく大きな風景となり、繋がる命までを感じることができます。
……
ひとすじつめたい南の風が
なにかあやしいかほりを運び
その高原の雲のかげ
青いベールの向ふでは
もうつゝどりもうぐひすも
ごろごろごろごろ鳴いてゐる
ここでは、一瞬流れてくる風の形容です。それは冷たさと同時に、何か胸を突かれるものだったのでしょう。風に「あやしいかほり」を感じ取る、共感覚的な表現ですが、香りに加えて、鳥たちの声が、いつも聞くものと違う、包み込まれるような反響するようなものになったと感じさせるものだったのかもしれません。
風はいつでも、賢治の周囲を包み、一つ一つの風景を、特別なものに仕上げているようにも感じられます。いろいろな作品から、また読み解いていきたいと思います。
注1:三浦修・米地文夫 「宮沢賢治の作品にみられる植物と植物園 総合的学習を目的とした大学植物園の活用について」 (『岩手大学教育学部研究年報第59巻第2号』 1991、12
131ページ〜144ページ )