先日アップした同題の文で、採譜者について誤りがありましたので削除いたしました。訂正の上、新たに分かった事実を書き加え、改めてアップいたします。
弓のごとく
鳥のごとく
昧爽(まだき)の風の中より
家に帰り来たれり (「文語詩未定稿」)
賢治は晩年、自分の生涯を振り返るように文語詩の制作を始めます。
まず、表紙に賢治自筆で「文語詩篇」と記された「文語詩篇ノート」と呼ばれるものがあり、1909(明治42)年の「四月盛岡中学に入る」から始まり、年譜のようにメモが記されます。最後に記述された年月日が昭和5年で、このころから文語詩の制作が始められたと推定されます。
制作した文語詩には、まず、死の1か月前の自筆清書稿が二集あります。その一つ「文語詩稿五十篇」表紙には
本稿集むる所、想は定まりて表現未だ足らざれども現在は現在の推敲を持って定稿となす。昭和八年八月十五日 宮澤賢治
他の「文語詩稿一百篇」表紙には、
「文語詩稿一百篇」 昭和八年八月廿二日、本稿想は定まりて表現未だ足らず。
唯推敲の現状を以てその時々の定稿となす。
の表記があり、賢治の文語詩への思いを感じ取ることが出来ます。
それ以外に、全集編集者が「文語詩未定稿」と名づけたものが102篇あります。
文語詩として制作された作品のほか、それまでに制作した短歌、詩を推敲、表現をそぎ落として、文語詩化したものもあります。
〔弓のごとく〕は、短唱「冬のスケッチ」第一五葉の第一章から文語詩として独立したものです。この詩の下書稿(二)の裏面には
7121|17,7121(7)|76,1232|21……
という、不可思議な数字がありました。 これは不完全な西洋音楽の数字譜を思わせます。
賢治が最初に西洋音楽のレコードを聴いたのは、1918(大正7)年ごろ、従弟の岩田豊蔵所蔵のモーツアルト作曲「フィガロの結婚」などで、ヴェルディ作曲「アイーダ」は特に気に入っていたそうです。その後、花巻農学校の教諭となった1922(大正11)年春ころから、給料のほとんどを洋楽のレコードの蒐集に当て、当時の花巻一のレコードコレクターとなりました。隣接する花巻高等女学校の教諭、藤原嘉藤治と音楽を通じて友人関係を結び、周囲の音楽ファン、生徒たちを集めて、レコードを聴く集いが始まります。次第に岩手軽便鉄道駅上のレストラン精養軒支店や、親しかった花巻共立病院でも開かれるようになりました。そこでは賢治の視覚的解説と藤原の技法上の説明が噛み合って興味を沸き立たせたといいます。お互いのレコードを持ち寄っての交換会もありました(注1)。
賢治は自作の詩に曲をつけ、また自作の詩を既成の曲に合わせて、教え子や身近な人達と歌っていました。残された賢治の自筆楽譜は「耕母黄昏」、〔弓のごとく〕、「“IHATOV” FARMERS’SONG」のみですが、弟清六氏を始めとする周辺の人達の記憶により採譜され、27曲が残っています。
〔弓のごとく〕の下書稿(二)の裏面にあった数字は、ベートーヴェンの第六交響曲「田園」の第二楽章(Andante molto mosso、変ロ長調、8分の12拍子)の主題で、総譜(スコア)から転じた数字譜が不完全ながら記されていました。時期は不明ですが、総譜が示されていたことで、変ロ長調の曲、「田園」第二楽章の主題であることが判明しました。
賢治のレコードコレクションは、レコード交換会の「レコード交換規定」用紙の記載のものや、遺品から知ることが出来、ベートーヴェン作曲、交響曲第六番「田園」もそこに含まれています。
「田園」はベートーヴェンによって、標題が付けられた唯一の交響曲で、初演時のヴァイオリンのパート譜に、ベートーヴェンの自筆の「シンフォニア・パストレッラ (Sinfonia pastorella) あるいは田舎での生活の思い出。絵画描写というよりも感情の表出」という表記があります。これはベートーヴェン主義的作曲理念から音楽のより高い次元の描写語法をめざしたことを表すといわれます。
さらに楽章ごとに標題がつけられ、第二楽章は、「Szene am Bach(小川のほとりの情景)」 と名づけられています。ソナタ形式で、弦楽器が小川のせせらぎのような音型を表し、展開部では第一主題を転調しながら木管楽器が美しく響きます。またヴァイオリンのトリルで小鳥の囀りを表し、さらにフルートがナイチンゲール、オーボエがウズラ、クラリネットがカッコウの声を表して鳴き交わすことで終結します。愛する自然がそのまま飛びこんでくるような楽曲に、賢治は魅了されたのではないでしょうか。
この数字譜について、資料の出版年順に記すと、まず『校本宮澤賢治全集 第六巻』校異篇(1976 筑摩書房)、992〜994ページ には以下の記載があります。
「外種山ヶ原の歌(注2)」、「弓のごとく」、「私は五連隊の古参の軍層」三曲の復元については御園生京子氏のご教示、ご協力を仰いだ。また原曲の調査においては、井上司朗氏(一高寮歌集編集委員会)、海堀昶氏(三高歌集編集委員会)、原恵氏(日本基督教団)、岩田健夫氏(日本聖公会)、いのちのことば社出版部、音楽の友社、東亜音楽社、ビクター音楽産業株式会社、ブリティッシュカウンシル等(順不同)からご教示を得た。
『新校本宮澤賢治全集 第六巻』本文篇、370〜371ページ(1996 筑摩書房)には、前述『校本宮澤賢治全集第六巻』の譜例を参照して佐藤泰平氏が歌詞付けしたものが載りました。同書 校異篇 239〜240ページには佐藤氏の解説があります。
さらに『新校本宮澤賢治全集 第十三巻』(下)校異篇 雑メモ4 115〜116ページ (筑摩書房 1997、11)には、「田園」の原譜と共に、この数字が、「田園」第二楽章の冒頭の数字化の試みであることが記され、「五十嵐毅氏のご教示による」という記述があります。
中村節也先生は、賢治が採譜した方法について、当時オーケストラ曲のレコードを買うと、ミニチュア版の総譜が付いてきたので、それを見て数字譜に書き直したと推定しています。二楽章の総譜のページが変わったところから、段違いに写し取ったミスがあり、その段は木管楽器が移調楽器であることを知らずに書いてしまい、メロディーの不自然さに気づいて中断してしまった、と推定されています。
歌詞があまりにも短すぎて歌曲として構成するには無理がある、といわれていましたが、中村先生は賢治の深い思いをくみ取るべきと、編曲に踏み切られました。
まず、原曲のヴァイオリンのテーマを採用し、メロディーに歌詞をはめ込む方法については、『宮澤賢治全集第十二巻』 (筑摩書房 1967) 「歌曲」の章を参照なさったそうです。
そして、〔弓のごとく〕の楽譜は、中村節也編・曲『宮沢賢治歌曲全集 イーハトーヴ歌曲集2』 (マザーアース 2010)で、3分40分の楽曲として掲載されました。
さらに宮沢賢治記念館を訪れた福井敬さんが楽譜に目を留められ、初めてレコーディングの運びとなりました。(注3)。
曲の流れるようなメロディーに乗って、朝の空気の中を移動する詩人の澄明な心、風の流れが伝わってきます。賢治がどんなに自然を、そして風を愛していたか、敬愛していたベートーヴェンの曲をつけていることでもわかります。
短い歌唱部分を補うピアノによる繊細な旋律が第二楽章をカバーし、原曲の鳥の声もピアノで表現されます。多用されるトリル、ピッチカート、スタッカートが表すのは、朝日のきらめきかも知れませんし、風による快い空気の揺らぎかも知れません。賢治が愛した自然―朝の空気、風の流れを感じさせる、きめ細かな編曲で、4分24秒の歌曲に仕上がっています。
賢治の言葉の世界と音楽とが見事に一致しています。何よりも、風の中の賢治を感じ取れました。このように視覚(風景)と聴覚(音楽)を行き来する感覚が、賢治作品を一層深く魅力あるものにするのだと思います。また福井敬氏の歌唱からは、賢治の音楽の基本となっているものはクラシック音楽なのだということが感じられます。
この文語詩の下書稿となった「冬のスケッチ」は、賢治が短歌制作から詩作に移る前段階の作品で、制作年は1922(大正12)年以前と推定されます。
文語詩に改稿したのは昭和5年以降のことです。表現はほとんど変わっていませんが、文語詩化に際して、賢治は「冬のスケッチ」制作当時の情景を思い起こしていたと思います。その情景に、この曲を組み合わせようと思ったのは、きっと原曲のなかに、自分の心の中の映像を見たのではないでしょうか。音と言葉の意味とが見事に合致したのです。賢治が、音楽に視覚的解説を加えた、という年表の記述を裏付けると思います。この記述の事実関係をもう少し調べてみたいと思います。そして音と言葉の表すものの関係を、もっと具体的に掴めたらと思います。
このCDに出会い、久しぶりで賢治の歌曲を聴き、新たな発見に出会ったのは幸運でした。
中村節也先生は、作曲のお仕事の傍ら、永く賢治の音楽の採譜や作品のなかの音楽性について考察を重ねられ、鋭いご指摘は文学や語学を勉強する私にとっても最高の指針となりました。
このCDは、賢治歌曲の集大成としてだけでなく、先生の賢治に対する深いご理解と愛情の結晶なのだと思います。そして賢治の言葉と音楽の深い結びつきを教えてくれました。
注1:堀尾青史『宮澤賢治年譜』148〜149ページ(筑摩書房
1991、2)
注2:「牧場地方の春の歌」の逐次形のひとつで、幾つかの差異を除い
てほとんど同形である。
注3:CD 福井敬『宮澤賢治歌曲全集 イーハトーヴ歌曲集』
中村節也編曲 (KING INTERNATIONAL 2022、3)
※「“IHATOV” FARMERS’SONG」のIにはウムラウトが付
く。
※「田園」についての記述は「フリー百科事典wikipedia」に拠る。
※テキストは『新校本宮澤賢治全集第七巻』 1996、10 に拠
る。