「天の下」と「気圏の底」で (6月21日修正しました。)
四〇
烏
一九二四、四、六、
水いろの天の下
高原の雪の反射のなかを
風がすきとほって吹いてゐる
茶いろに黝んだからまつの列が
めいめいにみなうごいてゐる
烏が一羽菫外線に灼けながら
その一本の異状に延びた心にとまって
ずゐぶん古い水いろの夢をおもひださうとあせってゐる
風がどんどん通って行けば
木はたよりなくぐらぐらゆれて
烏は一つのボートのやうに
……烏もわざとゆすってゐる……
冬のかげらふの波に漂ふ
にもかかはらずあちこち雪の彫刻が
あんまりひっそりしすぎるのだ
よく晴れた空のもと、高原の雪は輝いて美しく、そこから風は透き通って吹いてきます。
まだ芽吹かないカラマツはゆっくりと動いています。
その一本に留まったカラスは紫外線を浴び、「ずゐぶん古い水いろの夢をおもひださうとあせってゐ」ます。カラスからも、そんな古代を思い起こすような、平和な風景なのでしょう。
烏は一つのボートのやうに
……烏もわざとゆすってゐる……
カラスは風の動きに乗って遊んでいるようです。以前、野鳥の会で聞いたお話では、実際にカラスは枝を振り回したりして遊ぶことがあるそうです。
亀田恭平「ネイチャーエンジニアいきものブログ」によると、カラスには遊ぶという感覚があり、「風に乗って遊ぶ」、「電線にぶら下がる」、「滑り台を滑る」など、生きるために必要とは言えない「遊び」のような行動を取ることがあるといいます。
孵化してすぐに人間が育てたカラスは、すべて人間から学ばなくてはなりませんが、自然界で育つカラスは生きるに必要な知識―敵となるものはなにか―などは、本能的に知るものはなく、年長の、経験ある仲間から教わるといいます(注1)。
また、 カラスの「遊びと学びの関連性」について、スウェーデンのルンド大学でのランバート教授の実験によると、道具を使って餌を取るという課題に当たって、事前に道具で遊ぶグループと遊ばないグループに分けて比較すると、事前に道具で遊んでいたグループの方が良い結果になったといいます。また「全ての鳥が同じようにおもちゃを道具として使えるのではなく、行動には個体差が大きい」ということも示されています。
4月上旬のこの時期は繁殖期です。多くの若いカラスが自然界に踏み出しています。様々な遊びを通して、実はいろいろなことを学んでいたのかもしれません。
いつも周囲の自然をじっくり見ていた賢治はそんなカラスの習性も繁殖期のこともしっていたと思います。そのようなカラスの行動も、風と光の中で、自由で軽く見えたのかもしれません。
賢治が空を描くときしばしば「底」という言葉が使われますが、この詩では「底」ではなく「天の下」とされています。はるかな高原の雪の反射までが「まばゆく」、そのなかで風が吹いています。
次の詩は、この二日前の作品「二九 休息 一九二四、四、四、」です。
中空は晴れてうららかなのに
西嶺の雪の上ばかり
ぼんやり白く淀むのは
水晶球の滃りのやう
……さむくねむたいひるのやすみ……
そこには暗い乱積雲が
古い洞窟人類の
方向のないLibidoの像を
肖顔のやうにいくつか掲げ
そのこっちではひばりの群が
いちめん漂ひ鳴いてゐる
……さむくねむたい光のなかで
古い戯曲の女主人公が
ひとりさびしくまことをちかふ……
氷と藍との東橄欖山地から
つめたい風が吹いてきて
つぎからつぎと水路をわたり
またあかしやの棘ある枝や
すがれの禾草を鳴らしたり
三本立ったよもぎの茎で
ふしぎな曲線を描いたりする
(eccolo qua!)(注2)
風を無数の光の点が浮き沈み
乱積雲の群像は
いまゆるやかに北へながれる
同様に「底」という言葉はありません。山の雪と風とが交響して作り出す景色、風には無数の点が浮き沈み、モナドが見えるよう、そしてオペラの歌声(注)も聞こえるようです。
なぜ、そこには「底」という意識はないのでしょうか。あるいは景色は「底」の描かれる作品に比べて、賢治の目線は高いのかもしれません。また賢治の心象は強く押し出されてはいなくて、大きな風景の中を自由に描き出している賢治を感じます。
一方、「底」という意識は、「気圏の底」、「ひかりの底」「風の底」等、賢治が自分の存在を覆う宇宙を感じ取っていたのではないか、といつも感動する語です。詩作品では44例に上ります。
初出は「冬のスケッチ」(推定1919年年以前起稿)の4例、最も多いのは『春と修羅』(1924年4月20日刊))14例、「春と修羅補遺」3例、「春と修羅第二集」(1924年〜1925四年頃)12例、「東京」(推定1928年〜1930年)2例、「春と修羅第三集」(1926年4月〜1928年7月)、「詩ノート」(推定1926年〜1927年)、「口語詩稿」、「装景手記」(推定1927年〜1930年)「文語詩稿一百篇」(1933年)、それぞれ1例ずつと制作年代を追って次第に少なくなります。
よく知られているのは「春と修羅」(『春と修羅』)です。
春と修羅
(mental sketch modified)
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいらうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
ZYPRESSEN春のいちれつ
くろぐろと光素を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげらふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
「四月の気層のひかりの底を」、「ああかがやきの四月の底を」、「まばゆい気圏の海のそこに」と3例の「底」があります。
風は「聖玻璃」、「かげらふ」のまばゆい光の中で吹きますが、主体は「修羅」の心を抱いて地上を歩いています。光に満ちた四月の「気圏」、その一番下を、心に修羅を抱えて歩く人の姿が、「底」を歩く」と表現することで増幅されています。
一九二四、一〇、二九、」(「春と修羅第二集」)では、寒さの近づくなか、の曇天の空の下を描きます。三二四 郊外「底」は春ばかりでなく、秋の、それも不作にあえぐ農民の生活をとらえた「青い槍の葉」(『春と修羅』)は田植え歌として賢治が作った詩です。「底」も 「気圏日本のひるまの底の/泥にならべる草の列」と少し概念的です。「コロイドの底」「ひかりの底」「かげとひかりの六月の底」とここでは作者の視線は現実に下に向いています。 「
……
鷹は鱗を片映えさせて
まひるの雲の下底をよぎり
ひとはちぎれた海藻を着て
煮られた塩の魚をおもふ
……
また、暗い心情の中の旅立ちを描く、「三三八 異途への出発 一九二五、一、五、」(「春と修羅第二集」)では、冷たい空の下の心境を記します。
……
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
……底びかりする水晶天の
一ひら白い裂罅のあと……
雪が一さうまたたいて
そこらを海よりさびしくする
……
「 四一〇 車中 一九二五、二、一五、」(「春と修羅第二集」)では、列車の中の空気にも感じています。
……
ここらの水底の窓ぎわに腰かけてゐる
ひとりの鉄道工夫である
……風が水より稠密で
水と氷は互に遷る
稲沼原の二月ころ……
……
「四一五〔暮れちかい 吹雪の底の店さきに〕一九二五、二、一五、」(「春と修羅第二集」)では吹雪の中の店先のわびしさを描きます。
……
暮れちかい
吹雪の底の店さきに
萌黄いろしたきれいな頸を
すなほに伸ばして吊り下げられる
小さないちはの家鴨の子
……屠者はおもむろに呪し
鮫の黒肉はわびしく凍る……
風の擦過の向ふでは
にせ巡礼の鈴の音
「春と修羅第三集」、「詩ノート」、「口語詩稿」では、「底」の出現は、それぞれ一例と数が少なくなります。
「七四〇 秋 一九二六、九、二三」では、凶作の兆しの中集まる農民を描いて、雲も、「荒んで」います。
江釣子森の脚から半里
荒さんで甘い乱積雲の風の底
稔った稲や赤い萓穂の波のなか
そこに鍋倉上組合の
けらを装った年よりたちが
けさあつまって待ってゐる
東京での生活で生まれた「東京」では「底」を感じるのは光の中です。
「高架線」 一九二八、六、一〇、
かぼそきひるの触手はあがる
温んでひかる無数のgasのそのひもは
都会のひるの触手にて
氷窒素のかゞやく圏にいたるべく
あまりに弱くたゆたひぬ
かゞやき青き氷窒素の層のかなたに!
かゞやく青き氷窒素のかなたより
天女の陥ちてきたりしに
そのかげらふの底あたり
鉄のやぐらの林あり
そは天上の樹のごとく
白く熟れたる碍子群あり
「光の渣」
コロイダールな風と夜
幾方里にわたる雲のほでりをふりかへり
須達童子は誤って一の悲願を起したために
その后ちゃうど二百生
新生代の第四紀中を
そのいらだゝしい光の渣の底にあてなく漂った
文語詩「二月」(「文語詩一百篇」)では鳴り渡る電線の音を描きます。
みなかみにふとひらめくは、 月魄の尾根や過ぎけん。
橋の燈も顫ひ落ちよと、 まだき吹くみなみ風かな。
あゝ梵の聖衆を遠み、 たよりなく春は来らしを。
電線の喚びの底を、 うちどもり水はながるゝ。
「電線」は、初期から描かれ、〔冬のスケッチ〕第一六葉、「ぬすびと」(一九二二、三、二)(『春と修羅』)にもみられ、すべて音として聴覚から捉えています。
賢治が若い時代、詩への感興を呼び起こされたのは、広い空を駆け巡る光、風だったのではないでしょうか。その広さ、遠さの中に、自分を感じたときの言葉として、「底」は賢治の心に定着したのでしょう。年齢とともに、天空の広さを感じるよりも風景の中に自然以外の情景を読み込むことが多くなり、「底」も次第に減っていたのでしょうか。
天空と風、その二つがあれば、それを感じられれば、私などはそれだけで十分楽しいと思うことがあります。詩を読みながら、若くない私も賢治の若い感性の中にひたり、しばし共有することができるのは幸いです。
注1 コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪 動物行動学入門』
82ページ 早川書房 2006
注2 eccolo qua!
モーツアルト歌劇「ドン・ジョバンニ」第一幕第一五場の召使の言葉「ほら、旦那様がいらっしゃるぞ!」。
歌劇での急展開する場面とこの語語感を記憶していた賢治は、急に吹き降ろしてきた風の音と情景の形容に使った。