宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2024年6月中旬
16日 9:00〜11:00 曇 25℃
 日差しが少なかく、歩きやすい日でした。
 二杉橋から入るとウグイスの声が飛び込んできました。久しぶり、戻ってきているようです。
 ツバメが1羽で飛び、スズメが草むらを2羽行きかい、上空をダイサギが過ぎていきました。 
 公園の池にはキジバト1羽飛び立っただけでした。
 公園のパークハウスのツバメの巣では、巣には親鳥の頭と尾だけが見えました。近くの電線に1羽留まっていました。おそらくは親鳥の1羽だと思います。
 公園にある桑の大木、2本に、アメリカシロヒトリがたくさん発生しています。ふと気づくととたくさんのシジュウカラの声がしていて、2本の木の間を行き来してしていました。豊富な餌に集まっているようです。
 小さ目で少し黄色みがかった、おそらく幼鳥も混じっていました。またメジロも1羽見え、混群のようですが、ほとんどはシジュウカラのようで、ヒナの姿は確認できませんでした。餌(アメリカシロヒトリ)と 鳥の関係がこんなにはっきり見えたのは初めてです。
 今季初、ホトトギスの声を聞きました。いつもより近い場所、水道タンクの付近かもしれません。昨年は聞けなかったので嬉しいことでした。
 公園の芝生をハシボソカラスが5羽が散らばっていました。少し小さめの3羽がいて家族か、と思い、よく見ていると1羽が餌をもらっていました。初めて見る光景です。離れ離れにいた5羽は一緒に飛び立っていき、やはり家族だったようです。
 大岩橋を上ると、ワシタカ?と思える声がしたのですが、比較的変化のない声です。以前も聞いたような気がします。不明種にしていましたが、コジュケイが盛んに鳴いていたので帰って調べると、コジュケイの地鳴きでした。間違いを犯さず済みました。
 河川敷でホオジロが囀っていました。大砂橋近く、お気に入りの取水口の鉄筋でも囀っていました。
 中州でチュウサギ2羽。嘴は黄色くて先だけ黒く、背に飾り羽がついていました。嘴の位置は何とかチュウサギと確認できました。
トビが山林の上を鳴きながら旋回していました。モズも電線に一羽、狩りの季節です。
 公園の草むらに入るとキジが鳴いていました。久しぶりです。
 滝沢ハムの林、ムクドリの動きが激しく7羽、別の木にも12羽見えました。
 ハシブトカラスガ2羽、鳴きながら飛んで行きました。嘴も、鳴き声も確かにハシブトガラスです。
 赤津川に入るとヒバリ健在で2か所で囀りました。
 ツバメが川面をかすめながら6羽。スズメも5羽飛び立ちました。
 合流点にはアオサギが中州の草陰に1羽、カワウがいくらもない水たまりで泳いでいました。
 ここは草むらや浅瀬もあり、もっと豊富な鳥種がいてほしいところです。
 珍しい鳥種にはあえませんでしたが、エサとなる虫に集まる鳥の姿や給餌するハシボソカラスの姿が見られて幸いでした。
 
キジ:公園草むらで1羽、赤津川河畔で♀1羽、計2羽。
コジュケイ:大岩橋付近山林で2羽、1羽囀り、1羽地鳴き。
カワウ: 合流点に1羽。
キジバト: 公園池に1羽、赤津川に1羽、計2羽。
カルガモ:合流点に2羽、公園川に1羽、大砂橋付近中州に1羽、計4羽。
ダイサギ: 二杉橋上空1羽。
チュウサギ:大砂橋中州で2羽。
アオサギ:二杉橋〜上人橋に1羽、合流点に1羽、計2羽。
ホトトギス: 水道タンクの森付近で声。
トビ: 大岩橋付近山林の上空1羽。
モズ: 大岩橋付近電柱で1羽、赤津川で1羽、計2羽。
スズメ:二杉橋〜上人橋2羽、公園で5羽、3羽、 赤津川5羽、計15羽。
ムクドリ:滝沢ハム林で7羽、12羽、計19羽。
ハシボソカラス:公園池に1羽、 公園芝生に5羽、滝沢ハム林に2羽、計8羽。
ハシブトカラス:滝沢ハム林に2羽。
ヒバリ:赤津川2か所。
ツバメ:〜上人橋2羽、公園巣に1羽、近くに1羽、赤津川で6羽、計10羽。
ヒヨドリ: 公園1羽、滝沢ハム林2羽、計3羽。
ウグイス:二杉橋付近1羽、公園で1羽、1羽、大岩橋河川敷林で1羽、1羽、計5羽
セグロセキレイ:公園1羽、赤津川2羽、計3羽。
ハクセキレイ:合流点1羽。
シジュウカラ: 公園桑の大木に15羽
メジロ: 公園桑の大木にシジュウカラと混じって1羽。
ホオジロ:大岩橋河川敷で1羽、大砂橋付近取水口で1羽、計2羽。
ガビチョウ:〜上人橋で1羽、合流点で1羽、公園で1羽、計3羽。

 







永野川2024年6月上旬
6日 
9:00〜11:30 曇 23℃
 
 晴れに近い曇で風もなく、探鳥日和です。
 上人橋東岸から赤津川へ向かいます。
 中州に白いサギ、のちに近くで確認すると嘴の根元が黄色いチュウサギでした。チュウサギはいつもは群れで見るのですが、今季はまだこの一羽しか確認できません。
 錦着山の裏の田でもヒバリが鳴いていました。
 合流点のすぐ下にアオサギ1羽。上空をキジバトが飛びました。
 赤津川に入るとムクドリが5羽電線に留まっていました。
 スズメが1羽、3羽、3羽と飛びます。草むらにはもっといる気配がして気になりますが、とりあえず見えた分をカウントすることを心がけたいと思います。
 ヒバリもいつもの3か所で鳴き、セッカの声も一か所で聞こえます。
 ハシブトカラスガ水田のなかを1羽で歩いていました。少し上でハシボソカラスが1羽こちらは鳴いて上空を飛んでいました。
 セグロセキレイ1羽、今日はセキレイ類が少ない気がします。
 突然のようにカルガモが1羽、川の中に現れます。
 
 公園に入るとウグイスの声、もう少し中でも一か所で聞こえます。
滝沢ハムの林でヒヨドリ7羽、留まるものが多いですね。
 大砂橋付近中州で、アオサギ1羽、セグロセキレイが1羽、1羽、少し違いのあるもの、図鑑で確認して、ハクセキレイの幼鳥2羽と確認しました。
 大岩橋付近山林と河川敷を往復してヒヨドリ9羽、3羽、1羽飛びました。

 ガビチョウも2か所で元気な声を上げています。ほんとは、もっと違う鳥種の声が聴きたいのですが。
 公園の草むらでホオジロ1羽囀り。ツバメが1羽、2羽と飛び交います。曇っている割には低空を飛ぶツバメが少ない気がします。
 パークハウスのツバメの巣は、前回は壊されかけてツバメはいなかったのですが、今日は、その部分がきちんと修復されていて、ツバメが1羽入っていました。誰が壊したのか腹立たしかった分、新しい出発は嬉しいことでした。
 公園の池には鳥はいませんでした。
 上人橋から永野川を下ります。
 上人橋下にカルガモ3羽、睦橋付近中州に5羽、少し安心します。
ハシボソカラスが2羽、鳴きながら川を渡っていきました。
 セグロセキレイが1羽、1羽、1羽と現れました。ここはセキレイの川でした。
 二杉橋近くの護岸に、ツバメに見えるものが17羽、散らばっていました。よく見ると尾は短く、腹部は真っ白で、小さい個体でした。一瞬ショウドウツバメを思ったのですが、季節が違い、色ももう少し褐色が強いようです。飛んでいないせいか、イワツバメの特徴、白い腰がみえません。バードリサーチにお聞きして、一番近いイワツバメに入れました。
 最後に珍しい光景にあえて嬉しい探鳥になりました。
 護岸工事で覆われた岸、水かさを増した川、でもやはり鳥は生きています。
 
 
キジバト: 合流点に1羽。
カルガモ:赤津川に1羽、永野川二杉橋〜上人橋3羽、5羽、計9羽。
チュウサギ:合流点に1羽。
アオサギ:合流点に1羽、大砂橋中州1羽、永野川1羽、計3羽。
スズメ: 赤津川1羽3羽、公園3羽3羽、滝沢ハム林1羽、大岩橋
 河川敷林に2羽、計13羽。
ムクドリ:赤津川5羽。
ハシボソカラス: 赤津川田に1羽、永野川で2羽、計3羽。
ハシブトカラス:赤津川田に1羽。
ヒバリ: 錦着山裏田1か所、赤津川3か所、計4か所。
ツバメ:公園1羽、2羽、パークハウス巣に1羽、〜二杉橋1羽、
 計5羽。
イワツバメ: 二杉橋上護岸に17羽。
ヒヨドリ: 滝沢林で7羽、1羽、大岩橋河川敷林で9羽、3羽、
 計20羽。
ウグイス:公園で1羽1羽、大岩橋河川敷林で1羽、計3羽
セッカ: 赤津川1羽。
セグロセキレイ:赤津川1羽、大砂橋中州1羽、1羽、永野川1羽、1羽、1羽、計5羽。
ハクセキレイ:大砂橋中州に幼鳥2羽。
ホオジロ:公園草むらで1羽。
ガビチョウ:公園で1羽、大岩橋河川敷林で1羽、1羽、計3羽。

 
 







永野川2024年5月下旬
 25日 8:30〜11:00 晴22℃

 よく晴れて気持ちのいい探鳥日和です。
 二杉橋から入ります。水かさが多く、鳥の姿は見えません。
 少し上ったところの中州にアオサギ1羽、もう一つ上の中州にも1羽見えました。
 ハシブトカラスが2羽、川を東から西に横切って行きました。
 ツバメが5羽まとまって飛び交い、もう少し上でも2羽見えました。
 睦橋を過ぎてセグロセキレイが2羽、カルガモ2羽、ウグイスも1羽囀りました。上人橋付近でもう1羽囀りがきこえました。
 公園の東池では全く鳥影がなく西池でやっとカルガモが1羽見えました。
 池の中に、突然背の高い植物の群落ができています。アヤメ科らしいのですが、公園課で植えたものでしょうか。昨年までの一面の浮草よりは綺麗な景観になるでしょうが、そのほかに影響はでないのでしょうか。
 公園の芝生でハシブトカラス2羽が歩いていました。ガビチョウも鳴いています。
 ヒヨドリが3羽、1羽と飛び交いました。この辺ではヒヨドリは渡らないようです。
 公園の川でハクセキレイ1羽。草むらからスズメ数羽、シジュウカラの声も聞えました。  
 大岩橋際の民家のヒノキ、今日もカワラヒワが1羽留まっていましたが囀っていませんでした。
 大砂橋付近中州で、一瞬ダイサギか、と思うものが2羽いて、嘴を見たら根元がはっきり黄色で、チュウサギでした。今季初飛来、その後ダイサギが3羽、離れ離れに飛んでいました。
 キセキレイが1羽、先回以来、この周辺に落ち着いているようです。
 中州の上をトビが旋回していて、かなり低空、目の前まで降りてきて少し怖いくらいでした。
 ホオジロが川辺で囀って、林では地鳴きしていました。戻りの山林近くの電線で1羽、綺麗に姿を見せて囀っていました。
 滝沢ハム近く桜並木で、モズが鳴きながら木の中に入っていきました。滝沢ハム近くの樹木でシジュウカラ1羽見えました。
 滝沢ハム池は水が減っていますが、アオサギが1羽、奇妙な首をすくめた格好でたたずんでいました。
 赤津川に入ると、今日はヒバリもセッカも鳴いていませんでした。
 電線にカワラヒワ2羽、囀りではありませんでした。
 いつもの橋で、イワツバメ5羽、今日も健在でした。
 合流点ではムクドリ1羽、季節的に単独行動です。
 少し下ったところで,護岸をよちよち歩くコチドリ幼鳥1羽見つけました。もう巣立ったのでしょうか。成鳥も見ていないのにこの出会いはラッキーでした。
 
 鳥種は少なかったのですが、チュウサギやコチドリ幼鳥を確認できてよかったと思います。
 もうヨシキリは鳴きませんでした。
 公園のユリノキ、大々的伐採の後、3年、ようやく花が咲きました。
 
カルガモ:公園西池1羽、永野川二杉橋〜上人橋2羽、計3羽。
ダイサギ:大砂橋1羽、1羽、1羽、計3羽。
チュウサギ:大砂橋中州で2羽。
アオサギ:二杉橋〜上人橋2羽、大砂橋付近2羽、滝沢ハム池1羽、
 計5羽。
コチドリ: 合流点護岸で幼鳥1羽。
トビ: 大砂橋付近中州上空を1羽。
モズ: 滝沢ハム付近並木で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ: 合流点1羽、赤津川4羽、計5羽。
ハシボソカラス: 公園芝生に3羽。
ハシブトカラス:永野川二杉橋〜上人橋で2羽。
ツバメ:二杉橋〜上人橋5羽、2羽、公園で5羽、1羽、1羽、
 3羽、1羽、計18羽。
イワツバメ: 赤津川陶器瓦店上の橋で5羽。
ヒヨドリ: 公園で3羽、1羽、大岩橋河川敷林〜山林3羽、1羽、
 3羽、計10羽。
ウグイス:二杉橋〜上人橋2羽、公園1羽、1羽、大岩橋1羽、
 滝沢ハム付近1羽。計6羽。
セグロセキレイ:永野川2羽。
ハクセキレイ:赤津川1羽。
キセキレイ:大砂橋近く中州に1羽。
カワラヒワ: 大岩橋近く民家の大木で1羽、赤津川2羽、計3羽。
シジュウカラ:公園内大木で1羽、滝沢ハム付近1羽、計2羽。
ホオジロ:大砂橋林で1羽地鳴き、川岸で1羽、大岩橋付近電線で1羽 
 囀り、計3羽。
ガビチョウ:公園で1羽、大岩橋河川敷林で1羽、1羽、計3羽。
 

 







永野川2024年5月中旬
17日 9:00〜11:00 晴 22℃
 
 少し風がありましたが、晴れて気持ちのいい探鳥日和でした。
上人橋上の中州近くで、ダイサギ1羽、カルガモ3羽、アオサギ1羽。ツバメが3羽遡っていきました。
 赤津川も水がたっぷりでした。田にダイサギ1羽、アオサギ1羽。ツバメが3羽下って行きました。
 ヒバリは暖かくならないと鳴かないのか、セッカの上昇音と下降音のみを聞きました。およそ15分後、川を下るころになって、ヒバリが3か所で鳴き始めました。
 川でハクセキレイが1羽、ここでハクセキレイは珍しいことです。大体この頃、セキレイ類をあまり見ません。
 いつもの橋で、イワツバメが複数出入りしているのに会いました。7羽以上はいたと思います。ここに巣があるのは確かですが、タイミングが合わないと、なかなか会えません。
 公園入口の桑の大木に桑の実が豊作です。ムクドリ2羽が出入りしていました。もしかして繁殖?と思いましたが、巣は見つかりませんでした。
 合流点の少し上の岸では、オオヨシキリが健在でした。以前よりも声も大きく、数も多いようです。ヨシもよく茂ってきました。このままの状態が続くことを祈ります。
 滝沢ハムの池では水がなくなっていくようで、アオサギが1羽、岸にたたずんでいました。林にはキジバト1羽が鳴いていました。
 公園に入るとガビチョウの声が飛び込んできました。公園内で2か所聞こえました。
 大岩橋際の民家のヒノキのてっぺんでカワラヒワが囀っていました。久しぶりに双眼鏡に入れて羽の色や模様を確かめてみました。
大 砂橋付近の山林で、ニイニイ、という声が聞こえ、一瞬途切れた記憶のなかからヤマガラを引き出しました。出てきてくれませんでしたが、ずっとその声で鳴いていました。帰って調べるとヤマガラの声は多様で、囀り、地鳴きとも何種類もあることがわかり、他の鳥と間違えたこともあるのでは、と不安になりました。
 大砂橋付近の川の流入口の鉄柵で、ホオジロが囀っていました。双眼鏡でみると、順光の中、典型的な姿勢と声でずっと囀ってくれました。人工物なのにホオジロの好きな環境なのか、よくこの場所で囀っています。
 セキレイ類が1羽、中洲の上を飛び回って鳴いていました。声がセグロセキレイとも違うようでした。追いかけて目の前に留まったところで、キセキレイと確認しました。めったに会えないキセキレイ、順光の中で見た黄色は鮮やかでした。
 公園の川にはほとんど鳥はいません。土手の大木でシジュウカラと、コゲラが飛び回っていました。しばらくぶりです。
 公園の池には西にカルガモが2羽、アオサギが1羽のみ。カイツブリは見えませんでした。
 
 永野川も水はゆったり流れ、中洲もほとんどありませんでした。睦橋付近でカルガモ2羽とカイツブリが1羽、少し下って冠毛がきれいにそろったコサギ1羽、岸でカワラヒワ1羽囀りました。二杉橋近く、カワウ1羽、今日初めて見るセグロセキレイが水面近くを遡っていきました。
上空を舞う鳥、ワシタカのように悠々としていましたが、低空にきたのをよく見るとアオサギでした。
 
 公園のエゴノキがたくさんの白い花を散らしていました。秋にはまた鳥たちの御馳走になるでしょう。
 ノバラは数がめっきり減りましたがいつも通りに咲いて、5月の日差しの中で、小さく輝く新しい季節の始まりです。
 
カワウ:永野川二杉橋付近で1羽。
カイツブリ:永野川睦橋付近1羽。
キジバト: 滝沢ハム林1羽。
カルガモ:合流点1羽、赤津川2羽、大砂橋付近3羽、公園西池2羽、永野川二杉橋〜上人橋
2羽、1羽、3羽、計14羽。
ダイサギ:合流点1羽、赤津川1羽、大砂橋1羽、計3羽。
コサギ: 永野川睦橋付近1羽。
アオサギ:赤津川1羽、合流点1羽、滝沢ハム池1羽、公園意見1羽、二杉橋付近1羽、
計5羽。
コゲラ: 公園内大木で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ: 公園入口桑の木に2羽。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
ヒバリ:赤津川3か所。
ツバメ:合流点3羽、赤津川3羽、永野川上人橋〜二杉橋3羽、計9羽。
イワツバメ: 赤津川の橋で7羽。
ウグイス:公園1羽、大岩橋〜大砂橋1羽、1羽、1羽、1羽、計5羽。
セッカ: 赤津川田に2羽。
オオヨシキリ: 合流点に3羽。
セグロセキレイ:永野川1羽。
ハクセキレイ:赤津川1羽。
キセキレイ:大砂橋近く中州に1羽。
カワラヒワ: 大岩橋近く民家の大木で1羽。
シジュウカラ: 公園内大木で1羽。
ヤマガラ: 大砂橋近く山林で1羽。
メジロ: 大岩橋付近山林2羽。
ホオジロ: 大砂橋近く川の流入口で1羽。
ガビチョウ:公園で1羽、1羽、大岩橋河川敷林で1羽、計3羽。

 
 







「天の下」と「気圏の底」で吹く風  
「天の下」と「気圏の底」で (6月21日修正しました。)
 
 四〇
     烏
                   一九二四、四、六、
 
水いろの天の下
高原の雪の反射のなかを
風がすきとほって吹いてゐる
茶いろに黝んだからまつの列が
めいめいにみなうごいてゐる
烏が一羽菫外線に灼けながら
その一本の異状に延びた心にとまって
ずゐぶん古い水いろの夢をおもひださうとあせってゐる
風がどんどん通って行けば
木はたよりなくぐらぐらゆれて
烏は一つのボートのやうに
  ……烏もわざとゆすってゐる……
冬のかげらふの波に漂ふ
にもかかはらずあちこち雪の彫刻が
あんまりひっそりしすぎるのだ
 

 
 よく晴れた空のもと、高原の雪は輝いて美しく、そこから風は透き通って吹いてきます。
 まだ芽吹かないカラマツはゆっくりと動いています。
 その一本に留まったカラスは紫外線を浴び、「ずゐぶん古い水いろの夢をおもひださうとあせってゐ」ます。カラスからも、そんな古代を思い起こすような、平和な風景なのでしょう。

 
烏は一つのボートのやうに
  ……烏もわざとゆすってゐる……
 
 カラスは風の動きに乗って遊んでいるようです。以前、野鳥の会で聞いたお話では、実際にカラスは枝を振り回したりして遊ぶことがあるそうです。
亀田恭平「ネイチャーエンジニアいきものブログ」によると、カラスには遊ぶという感覚があり、「風に乗って遊ぶ」、「電線にぶら下がる」、「滑り台を滑る」など、生きるために必要とは言えない「遊び」のような行動を取ることがあるといいます。
 孵化してすぐに人間が育てたカラスは、すべて人間から学ばなくてはなりませんが、自然界で育つカラスは生きるに必要な知識―敵となるものはなにか―などは、本能的に知るものはなく、年長の、経験ある仲間から教わるといいます(注1)。
 また、 カラスの「遊びと学びの関連性」について、スウェーデンのルンド大学でのランバート教授の実験によると、道具を使って餌を取るという課題に当たって、事前に道具で遊ぶグループと遊ばないグループに分けて比較すると、事前に道具で遊んでいたグループの方が良い結果になったといいます。また「全ての鳥が同じようにおもちゃを道具として使えるのではなく、行動には個体差が大きい」ということも示されています。
 4月上旬のこの時期は繁殖期です。多くの若いカラスが自然界に踏み出しています。様々な遊びを通して、実はいろいろなことを学んでいたのかもしれません。
 
 いつも周囲の自然をじっくり見ていた賢治はそんなカラスの習性も繁殖期のこともしっていたと思います。そのようなカラスの行動も、風と光の中で、自由で軽く見えたのかもしれません。
 
 賢治が空を描くときしばしば「底」という言葉が使われますが、この詩では「底」ではなく「天の下」とされています。はるかな高原の雪の反射までが「まばゆく」、そのなかで風が吹いています。 
  次の詩は、この二日前の作品「二九 休息 一九二四、四、四、」です。
               
 
中空は晴れてうららかなのに
西嶺の雪の上ばかり
ぼんやり白く淀むのは
水晶球の滃りのやう
  ……さむくねむたいひるのやすみ……
そこには暗い乱積雲が
古い洞窟人類の
方向のないLibidoの像を
肖顔のやうにいくつか掲げ
そのこっちではひばりの群が
いちめん漂ひ鳴いてゐる
  ……さむくねむたい光のなかで
    古い戯曲の女主人公が
    ひとりさびしくまことをちかふ……
氷と藍との東橄欖山地から
つめたい風が吹いてきて
つぎからつぎと水路をわたり
またあかしやの棘ある枝や
すがれの禾草を鳴らしたり
三本立ったよもぎの茎で
ふしぎな曲線を描いたりする
     (eccolo qua!)(注2)
風を無数の光の点が浮き沈み
乱積雲の群像は
いまゆるやかに北へながれる
 
 
 同様に「底」という言葉はありません。山の雪と風とが交響して作り出す景色、風には無数の点が浮き沈み、モナドが見えるよう、そしてオペラの歌声(注)も聞こえるようです。
 なぜ、そこには「底」という意識はないのでしょうか。あるいは景色は「底」の描かれる作品に比べて、賢治の目線は高いのかもしれません。また賢治の心象は強く押し出されてはいなくて、大きな風景の中を自由に描き出している賢治を感じます。
 
 一方、「底」という意識は、「気圏の底」、「ひかりの底」「風の底」等、賢治が自分の存在を覆う宇宙を感じ取っていたのではないか、といつも感動する語です。詩作品では44例に上ります。
 初出は「冬のスケッチ」(推定1919年年以前起稿)の4例、最も多いのは『春と修羅』(1924年4月20日刊))14例、「春と修羅補遺」3例、「春と修羅第二集」(1924年〜1925四年頃)12例、「東京」(推定1928年〜1930年)2例、「春と修羅第三集」(1926年4月〜1928年7月)、「詩ノート」(推定1926年〜1927年)、「口語詩稿」、「装景手記」(推定1927年〜1930年)「文語詩稿一百篇」(1933年)、それぞれ1例ずつと制作年代を追って次第に少なくなります。
 
 よく知られているのは「春と修羅」(『春と修羅』)です。
 
春と修羅
     (mental sketch modified)
 
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいらうの天の海には
 聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN春のいちれつ
    くろぐろと光素を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげらふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
   修羅は樹林に交響し
    陥りくらむ天の椀から
    黒い木の群落が延び
      その枝はかなしくしげり
     すべて二重の風景を
    喪神の森の梢から
   ひらめいてとびたつからす
   (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)
 
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
 
 「四月の気層のひかりの底を」、「ああかがやきの四月の底を」、「まばゆい気圏の海のそこに」と3例の「底」があります。
 風は「聖玻璃」、「かげらふ」のまばゆい光の中で吹きますが、主体は「修羅」の心を抱いて地上を歩いています。光に満ちた四月の「気圏」、その一番下を、心に修羅を抱えて歩く人の姿が、「底」を歩く」と表現することで増幅されています。

 一九二四、一〇、二九、」(「春と修羅第二集」)では、寒さの近づくなか、の曇天の空の下を描きます。三二四  郊外「底」は春ばかりでなく、秋の、それも不作にあえぐ農民の生活をとらえた「青い槍の葉」(『春と修羅』)は田植え歌として賢治が作った詩です。「底」も 「気圏日本のひるまの底の/泥にならべる草の列」と少し概念的です。「コロイドの底」「ひかりの底」「かげとひかりの六月の底」とここでは作者の視線は現実に下に向いています。 「
   
 ……
鷹は鱗を片映えさせて
    まひるの雲の下底をよぎり
    ひとはちぎれた海藻を着て
    煮られた塩の魚をおもふ
……
 
 また、暗い心情の中の旅立ちを描く、「三三八 異途への出発 一九二五、一、五、」(「春と修羅第二集」)では、冷たい空の下の心境を記します。
 
……
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
   ……底びかりする水晶天の
     一ひら白い裂罅のあと……
雪が一さうまたたいて
そこらを海よりさびしくする
……
 
 「 四一〇  車中 一九二五、二、一五、」(「春と修羅第二集」)では、列車の中の空気にも感じています。
 
……
ここらの水底の窓ぎわに腰かけてゐる
ひとりの鉄道工夫である
   ……風が水より稠密で
     水と氷は互に遷る
     稲沼原の二月ころ……
             ……
 「四一五〔暮れちかい 吹雪の底の店さきに〕一九二五、二、一五、」(「春と修羅第二集」)では吹雪の中の店先のわびしさを描きます。
 
……
暮れちかい
吹雪の底の店さきに
萌黄いろしたきれいな頸を
すなほに伸ばして吊り下げられる
小さないちはの家鴨の子
   ……屠者はおもむろに呪し
     鮫の黒肉はわびしく凍る……
風の擦過の向ふでは
にせ巡礼の鈴の音
 
 「春と修羅第三集」、「詩ノート」、「口語詩稿」では、「底」の出現は、それぞれ一例と数が少なくなります。
 「七四〇  秋 一九二六、九、二三」では、凶作の兆しの中集まる農民を描いて、雲も、「荒んで」います。

 
江釣子森の脚から半里
荒さんで甘い乱積雲の風の底
稔った稲や赤い萓穂の波のなか
そこに鍋倉上組合の
けらを装った年よりたちが
けさあつまって待ってゐる
 
東京での生活で生まれた「東京」では「底」を感じるのは光の中です。

 
「高架線」 一九二八、六、一〇、
かぼそきひるの触手はあがる
      温んでひかる無数のgasのそのひもは
      都会のひるの触手にて
      氷窒素のかゞやく圏にいたるべく
      あまりに弱くたゆたひぬ
  かゞやき青き氷窒素の層のかなたに!
  かゞやく青き氷窒素のかなたより
  天女の陥ちてきたりしに
  そのかげらふの底あたり
  鉄のやぐらの林あり
  そは天上の樹のごとく
  白く熟れたる碍子群あり
 
「光の渣」
コロイダールな風と夜
幾方里にわたる雲のほでりをふりかへり
須達童子は誤って一の悲願を起したために
その后ちゃうど二百生
新生代の第四紀中を
そのいらだゝしい光の渣の底にあてなく漂った
 
  文語詩「二月」(「文語詩一百篇」)では鳴り渡る電線の音を描きます。
 
みなかみにふとひらめくは、  月魄の尾根や過ぎけん。
 
橋の燈も顫ひ落ちよと、    まだき吹くみなみ風かな。
 
あゝ梵の聖衆を遠み、     たよりなく春は来らしを。
 
電線の喚びの底を、      うちどもり水はながるゝ。
 
 
 「電線」は、初期から描かれ、〔冬のスケッチ〕第一六葉、「ぬすびと」(一九二二、三、二)(『春と修羅』)にもみられ、すべて音として聴覚から捉えています。
 
 賢治が若い時代、詩への感興を呼び起こされたのは、広い空を駆け巡る光、風だったのではないでしょうか。その広さ、遠さの中に、自分を感じたときの言葉として、「底」は賢治の心に定着したのでしょう。年齢とともに、天空の広さを感じるよりも風景の中に自然以外の情景を読み込むことが多くなり、「底」も次第に減っていたのでしょうか。
 天空と風、その二つがあれば、それを感じられれば、私などはそれだけで十分楽しいと思うことがあります。詩を読みながら、若くない私も賢治の若い感性の中にひたり、しばし共有することができるのは幸いです。
  
注1 コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪 動物行動学入門』
 82ページ  早川書房  2006

注2 eccolo qua!
 モーツアルト歌劇「ドン・ジョバンニ」第一幕第一五場の召使の言葉「ほら、旦那様がいらっしゃるぞ!」。
 歌劇での急展開する場面とこの語語感を記憶していた賢治は、急に吹き降ろしてきた風の音と情景の形容に使った。