切り抜きの紙の十字架壁にとめて讃美歌教えてといふ妹よ
指先の不器用なる妹と思いつつ土産に赤きビーズなど買ふ
姉の最初の歌集『ともしび』(短歌研究社 平成三年二月)に載った、これらの短歌は私のことを詠んだものです。
この歌集を手に取るまで、自分が詠まれて活字となっていることは知りませんでした。
姉は、十五歳年上、物心ついたときには、母のような存在でした。細かく気のつく人で、私の雑煮のお餅を箸で八分の一にしてくれたのを覚えています。
また小学校入学の時も、細かい持ち物にすべて名前を書いてくれたのも姉でした。
「賛美歌」も、姉に贈られた本の影響でした。
小学生の時、L.M.オルコット『若草物語』を買ってもらいました。初めて読んだ長い物語でした。
一冊にまとめられた翻案物で、美しい四姉妹の挿絵が載っていて、綺麗な巻き毛にする苦労や、貧しさの中でも着飾って教会に行く話があり、戦後の農村で育ち、おしゃれや美しい衣服という概念を持っていなかった私にとっては憧れの本となりました。
キリスト教は、宗教とは別に、美しいもの、ハイカラなもの、として映ります。教会で歌う賛美歌にも憧れました。ただ、その時讃美歌を覚えた記憶はなく、姉も宗教的なものへの警戒もあり、教えてくれなかったのかもしれません。
ビーズのことは覚えている気がしますが、何を作ったかは思い出せません。そして今でも私は不器用です。
姉は、私が九歳の時、農家に嫁いでいきました。
父母にとっても私たち兄妹にとっても、初めての別れでした。一番幼かった私にとって喪失感、空虚感は大きく、姉が訪れてくれるのをひたすら待っていた気がします。この短歌が書かれたのが結婚まもなくのようですので、そんな私に、姉はいろいろお土産を持ってきてくれたのでしょう。
その後の姉の生活も、短歌のことも、この歌集で初めて詳しく知りました。
初めて経験する厳しい農村生活、教師を続けた義兄を支え、二人の子供を育て、家を守ってきました。そのなかで自分を支えるものとしてあった短歌で、先生やお友達との縁が結ばれていったようです。
姉の短歌は、日常の暮らしや風景を、時には枕詞や古語も取り込んで描き、言葉を選んで紡がれる世界は、リズムや響きが美しいものです。
姉の所属していた短歌の結社は結成40年の節目に先生が主催者を退き終了、姉はその後も作歌を続けていますが、新たに他の結社には所属せず、発表することはないようです。できればどこかに発表の場があれば、その後の生活や心境を、美しい言葉で読ませてもらい、私の世界も拡がったでしょう。何よりも姉自身の大きな生きがいとなったと思います。
姉は、義兄を九十二歳で看取り、息子とお嫁さんに支えられて、もうじき九十六歳となり、姉妹の中で一番元気です。
お互いに老齢となると、それぞれに環境が変わり、会いに行くのも、電話するのも、なかなかできず、今となっては何をしてあげられるのか難しいですが、姉よりもずっと若い私自身が元気でいて、心配をかけず、できることはしてあげたいと思います。