世良田東照宮の脇には新田荘歴史資料館もあり、義貞公の像が佇む。
周辺の遺跡としては、隣接する長楽寺の目玉の模様が特徴的な太鼓楼門・新田氏縁の開山堂・勅使を迎える格式高い赤門の勅使門など保存状態も良く残っている。
暑くてシャツの袖を腕まくりして撮影していると、私の後ろを下校途中の小学一年生ぐらいの子供たちが通り過ぎざまに「あの人なにやってるのぉ〜」なんて言われちゃいました(汗)。怪しい者ぢゃぁござーせん(笑)
しかし、この付近一帯はよく整備されており、過度な観光演出もないため景観も損なってはおらず、厳粛な歴史の名残を今に留めている。
拝殿移築時に日光東照宮奥社神廟前にあった唐門を潜り本殿へ。
門に付随し透塀が本殿を一周している。 重要文化財の「本殿」は日光東照宮造営に携わった名工達によって当地で造営されたとあり左甚五郎の作と伝わる彫物が美しい。
しかし人がいない事もあり、境内は静寂そのものです。
元和の東照宮造営には、当家二代祖も造営奉行として携わった。 時を経て同じものを見ているのだという感慨に駆られ、そういう意味ではまた訪れたい場所のひとつでもあります。
つづく
重要文化財「拝殿」は元和3年に将軍家の拝礼する社殿として造営。
見事な彩色は幕府御用絵師の狩野探幽が携わったという。 拝殿内部には後水尾天皇から下賜された「東照大権現」の勅額と金の幣(ぬさ)が見受けられる。この金幣は江戸時代を通して毎年、朝廷より例弊使が日光東照宮に奉納するに至り、栃木も例弊使道の宿場町として栄えた歴史があるが、勅使である公卿はこれを京より携えて来た訳です。 余談だが、金幣奉納を終えた例弊使は、去年奉納した旧金幣を細切れにして帰路の江戸で大名家や大身旗本家に売り捌き、京に帰ったという。その額で公卿は一財産築けたというから驚きです。
境内脇には二葉葵が植えられている。確か前回ここへ訪れた時は10年前で、当時よりも増殖していますね。我が家の茶庭にも二葉葵を植えてありますが、この時期が見頃です。 拝殿から裏へまわり、奥宮である「本殿」へ。
世良田という地をご存知だろうか。
世良田は新田源氏の荘、また徳川氏発祥の地でもあり群馬県の国指定重要文化財の世良田東照宮がある。 日光にある絢爛豪華な東照宮はご存知のことと思うが、実は今の日光東照宮は三代将軍徳川家光の命により、造営されたもので、それ以前の日光東照宮、つまり二代秀忠造営の東照宮が、ここ世良田に移築されたものなのです。 家光の華麗なる東照宮と秀忠の厳かなる東照宮。相対する建築様式の違いようは、この父子の確執によるところも影響していると推察する。
幼少より秀忠に疎んじられていた家光は、秀忠の遺構を否定、排除するかのように日光東照宮の大造営に着手し、寛永21年(1644)に徳川氏発祥の世良田の地に日光東照宮(元和元年造営の奥宮)を移築し、家康を祀ったのである。 とはいっても、造営当初の日光東照宮の姿であり極めて貴重な遺構です。 早速、拝殿料を納め境内を見ていくことに。