宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
映画「風の又三郎」について
 この映画が制作されたのは昭和15年、監督、島耕二、主な出演者は、片山明彦(高田三郎)、大泉滉(一郎)、中田弘(嘉助)、風見章子(嘉助の姉)です。
  宮沢賢治作品を初めて映像化したことで知られ、また優れた児童向き映画として、当時子どもだった人たちから、親に連れて行ってもらった話をよく聞きます。
  最近、市の主催する映画祭で、思いがけずこの映画を見ることができました。家庭用ビデオや放送などテレビ画面で見たことはありましたが、大きい画面で見るのは初めてでした。
 画面が大きいということは、制作者が伝えたいことが、はっきりするようです。今まで気付かなかった、画面いっぱいに映し出される空の広さ、林や野原を渡る風の動きは、美しく迫力がありました。
  映画化された賢治作品、絵本、朗読などには、あまり興味が持てません。なぜなら、それは、「制作者の作品」であり、賢治とは常に離れていると思うからです。感じ方その人の自由と思っても、自分の感覚からかけ離れている作品には耐えられないので、避けてしまいます。 
  そんな中でこの映画は、最初に見た時から、唯一賢治の作品を忠実に映像化していると感じられ、機会があれば見るようになりました。
  それは、まず制作された時代が賢治の時代に最も近く、子どもたちの遊ぶ川や森や山の映像も、恐らく賢治の時代のものなのでしょう。原作には無い、嘉助の姉が登場したり、高田三郎が村へ豆腐を買いに来る場面があったりしても、あまり違和感なく受け入れられました。
 
  昭和58年、賢治生誕50年を記念し、当時の映画出演者へのインタビューをまとめた資料をいただきました。まとめられた方が不明なので公表するのも迷ったのですが、とても貴重なものだったので、少しご紹介します。
  なぜこの作品が映画化されたか、監督のご子息でもある、三郎役の片山明彦さんはこうおっしゃっています。
  監督は、子どものころから賢治に憧れていたメルヘン好きで、当時の日活では理解されなかったこの作品の映画化を、大変苦労して実現しました。それはこの一本を撮るために監督になったのだとも思えるほどだったそうです。
  その想いを汲みとって、賢治の弟清六さんも、この後永く「風の又三郎」の再映画化を許可されなかったということでした。
   昭和15年、戦争の影が近づいてくる中で、撮影地では東京にはないサイダーや鉛筆をもらい嬉しかったこと、そして、そろそろ子どもの好きなものが無くなって行く前兆のような時代だったからこそ、一層この映画は貴重だったのではないか、とおっしゃっています。
 
  監督のお話では、シナリオ担当の永見隆二さんと毎晩「風の又三郎」の話になって、ついにシナリオ化の運びとなったこと、賢治作品の現実を越えた面白さや、子どもたちの友情や別離の悲しみは現在にも通じるものであることが、制作の大きな動機だったようです。
  賢治については、空想の世界を描けるセンスと、都会育ちの自分とは反対の田園育ちで、そこから感じられる土や緑や森や作物の匂い、などに心魅かれたそうです。その想いも込めて、映画には、同じ地球に生きているものとして40以上もの動物を描き込んだそうです。
  そしてもう一度大きな画面で、カラーで「風の又三郎」を作りたい、そうすればもっと素晴らしいものができそうだ……と。
  一郎役の大泉滉さんは、当時の自然の中での遊び場、遊びの豊富さ、夢見ることの楽しさ、などをいまの子どもたちにも感じてほしいとおっしゃっています。
  風見章子さんも花巻ロケでの自由な楽しさや、作品の夢のような楽しさを語ってくれています。
  このような制作者全体の志向があってこそ、今も感動を呼ぶ作品として残っているのだと思います。
  
  この作品の主題歌として歌われたのが作品中の挿入歌です。
 
        どっどどどどうど どどうど どどう、
   青いくるみも吹きとばせ
   すっぱいかりんもふきとばせ
   どっどどどどうど どどうど どどう
 
  「風の又三郎」というと、このメロディーだけ覚えている人が多く、リアルタイムでこの映画を見た人たちも、このメロディーの印象は強烈だったようでよく話してくれます。
  私は挿入歌からは、風の激しさの中に、何か底抜けの明るさを感じていたのですが、今回あらためて聴いて見て、なにか暗く不気味なものを感じ、調べて見ました。
  作曲者は杉原泰蔵さんという、ピアニスト、編曲家、作曲家です。上海帰りのジャズピアニストでもあり、1930年代から、当時の最先端の歌手古賀政男などの歌の編曲も手掛けていて、この歌もその多忙な中での仕事の一つでした。挿入歌から感じられる、リズムの烈しさとは正反対で、半音進行の静かなものになっています。
  傍観者である私達が感じることの無い、本当の風の怖さを、賢治は感じていたのかもしれない―それを作曲者は感じてとっていたのか、あるいは近づいてくる暗い時代を曲に乗せたのか……。まだ疑問です。
 
 もうひとつ、この映画の中で、最も美しかったのは、子どもたちの眼の輝きだったと思います。
 じっと空をみつめる三郎の眼、去って行った三郎を思って、並んで遠くを見つめる子どもたちの眼―賢治も描きたかった子どもへの思いを、この映画は最も効果的な方法で表しているのかもしれません。
 
参考 『歌曲の部屋 杉原泰蔵「風の又三郎」』
(浜垣誠司氏HP 「宮沢賢治の詩の世界」) 

 







8月の永野川
7日
  室内に比べると朝の外気は涼しく爽やかです。
  川は水かさが減って、少し中州が見えるようになりました。今日は先に公園へ行きました。
  先回は目立たなかったアレチウリが繁茂始め、ヤナギやヨシは覆われてしまうかもしれません。これも何か対策はないのでしょうか。
 公園内の川に、ヒヨドリくらいに成長した幼鳥7羽を連れたカルガモに会いました。幼鳥はもう自分で懸命に餌をとりながら、親鳥についていき、親は何かと目を配りながら進んでいるようで何とも心温まる風景でした。
  大岩橋の上のゴルフ場の境目の草むらを出たり入ったりする、ハト大のキジの幼鳥3羽、もうこちらは自立したのか親の姿は見えませんが、全部♀の色でした。幼鳥はどの鳥でも文句なしに可愛くおもちゃのように見えます。
  赤津川新井町付近で、川の中にじっと動かないゴイサギの若鳥、ここではゴイサギは滅多に見ません。目も黄色くて親鳥のような不気味さが無く、ササゴイかと一瞬思いましたが、背の模様などを図鑑で確認,ゴイサギでした。
  久しぶりで電柱に並んでとまるツバメ13羽、もう集まって、南へ帰るのでしょうか。オハグロトンボが飛び、モズがあちこちでギチギチと鳴いて、  新しい季節が始まりかけているようです。
 
16日
  二杉橋から川岸に入りました。水量はかなりありましたが水は澄んできました。
  二杉橋近くで、カイツブリの繁殖声を久しぶりで聞きましたが姿は見えません。まだ目覚めたばかりのようなウグイスも鳴きました。
高橋付近の水門で、イカルチドリ3羽、多分幼鳥で、幾分小ぶりで動きが早く、2羽が戯れるように争っていました。
  河原や中洲が少し現れたので、セグロセキレイが元気で、ここにも幼鳥がいます。
  泉橋付近で幼鳥5羽連れたカルガモに会いました。もしかして先日の7羽から減ってしまったのでしょうか。
  赤津川新井町で、短い声で、確かにオオヨシキリの声がしました。
  二杉橋上流では、平井町の方角からコジュケイの声が聞こえました。少し西の林の方に行けば、かなりの種類の鳥がいるのかもしれません。
  ハシボソカラスが目立ちます。稲が実り始め、スズメ除けの鳥の声の放送が流れ始めたのですが、そのせいではなくスズメがめっきり少なく、大きい群れでも7羽程度、後は2羽、1羽で飛んでいた。数えるほどしかいません。
  第五小の対岸の民家でエナガ5、6羽とシジュウカラの混群が一瞬飛んだのですが、民家を早朝覗くわけにいかず残念でした。久しぶりです。もうすぐたくさんのカラ類に会えると思うと嬉しくなります。
 
28日
  毎日続いた雨がやっと止み、それでも今にも降りそうな中、出かけました。暗い上、気温が低く、鳥がいません。
公園内のダイサギ一羽を合流点あたりから見ました。赤津川を遡って行くと、新井町付近の田でチュウサギ5羽に会い、季節なのだな、と思います。
  公園の上空で、イワツバメの15羽ほどの群れが突然現れて消えて行きました。今年はほとんど見られなかったのですが、渡りに備えて、集まったのでしょうか。
  おそらく幼鳥のカルガモ、3羽、4羽と見られました。二杉橋の上の水門にカルガモ8羽、親1、幼7でしょう。以前の家族が無事成長しているようです。
  赤津川との合流点付近の水門近くで、珍しくカワセミ一羽一瞬美しい背を見せて飛び、公園のヤナギの付近でも声のみ聞こえました。
  今日もハシボソカラスが目立ちました。キリギリスよりもコオロギが鳴くようになった気がします。雨と時間に追われましたが、久しぶりの鳥たちに会えて幸いでした。
 
  今年は草刈りを控えている感じですが、私の好きだった公園内の土手の法面と大岩橋の下の河川敷は、いったん刈ってしまったあと、予想通りエノコログサやイラクサ等が繁り、以前はあったオオマツヨイグサやコマツナギなどは無くなってしまいました。
  加えて、除草剤がまた撒かれていますが、背の高い草はほとんど枯れておらず、まだら模様のように枯れて、とても見苦しく、刺激臭もあるような気がします。
  行政はいくら話しても業者任せのまま、もともとはっきりした理念がないので、方針も決めていないのです。もう一度行政に申し出たいのですが、来年度の方針を決める前に、と思いながら、いつも時期を逃しています。上旬にはキツネノカミソリがひと株残っていて、花をつけていたのが救いでした。さらに保護の方針が進むことを祈っています。
 
鳥リスト
コジュケイ、キジ、カイツブリ、アオサギ、ゴイサギ、チュウサギ、コサギ、バン、カルガモ、イカルチドリ、キジバト、カワウ、シジュウカラ、ツバメ、イワツバメ、ウグイス、エナガ、セグロセキレイ、オオヨシキリ、モズ、ホオジロ、スズメ、ヒヨドリ、ハシボソカラス、ハシブトカラス

 







7月の永野川
6日
 相変わらず雨が多く、濁ってはいないものの、川の水量は増えています。
上人橋付近でカルガモ9羽、久しぶりで大きな群れのような気がします。
 栃木工業高校の近くの桜の並木で、複数のシジュウカラ、コゲラの鳴き声のみ聞くことができました。ここはよく見ると、高校のポプラ属の大木と公園の並木が連なって意外に大きな木立となっています。
 公園では、モズの若鳥や、小ぶりでいかにも幼い感じのするスズメなど目立ちます。また第五小の対岸のクルミの木で、ずっと同じ調子で鳴き続ける個体がいて、やっと双眼鏡に入ったのはヒヨドリの巣立ち間もないヒナでした。ほとんど灰色一色で、嘴は黄色く、いくらか咽喉に模様が見えました。〈嘴の黄色い奴〉という語にぴったりでした。巣立ちの季節ですね。
 アオサギが多く、そこここで10羽、他のサギ類はいませんでした。
 ヤブカンゾウの花が一斉に咲き始めました。今年は、ヨシを始め野草の生育がよいような気がします。
 キリギリスも鳴き始め、なにかよい声の虫?(蛙ではないようです)が聞こえました。虫の声も知っていると面白いのでしょうね。
 
15日
 朝も6時近くなると日差しもかなり強くなります。
 新井町でチュウサギ1羽、黄色くて先の黒い嘴で確認しました。またひとつ季節が進みました。
 赤津川の合流点付近のカルガモの9羽の群れは、遠かったのですが、幾らか小さめのものもいるので一つの家族かもしれません。新井町の水田では、 19羽で採餌中の群れにも会いました。
 永野川の睦橋下の河川敷でアオサギが羽を乾かしていました。羽を広げているのではなく、体の前方に合わせている感じで、ほとんど動かず、最初見た時は、一瞬、ゴミかと思い、次にはデコイかと思いましたが、いくらか首を動かしたので、やっと確認できました。10分後に見たときも全く同じ姿勢でした。
 アブラゼミが鳴き始め、キツネノカミソリが蕾をつけました。
今年はヨシの生育がよく緑が美しく嬉しいのですが、管理者には頭痛のタネとなってしまうのでしょうか。それとも、少し考えて管理してくれているのでしょうか。
 あまり鳥種が出ませんでしたが、面白いものを見た日でした。
 
26日
 5時半には川に着いて、さすがに涼しかったのですが、鳥の姿がありません。ツバメも1羽ずつ時々やってくる程度です。
 新井町の田で、サギ4羽、3羽は大きさから、チュウサギだと思うのですが、夏羽では黒いはずの嘴がすべて黄色です。1羽は小ぶりで嘴は黒く、コサギと思えますが、冠毛はありませんでした。季節による変化はどのように進むのか、まだまだ勉強不足です。
 ホオジロの囀りは2度ほど、キジもカワセミも見えず、スズメさえも少ないようでした。
 新井町の作業場らしいところで、野焼きの大きな煙が広がり、眼に沁みました。何を燃やしているのか、木や草だけならよいのですが。
 ヨシも茂りましたが、クズが勢いを持ち始めました。在来種であり、蔓も葉もきれいで、花の香りも良いのですが、困りものになりつつあるようです。何とかうまい共存法はないのでしょうか。
 季節が変わって、もっとたくさんの鳥に出会える時が来るのを待っています。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カワウ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ、アオサギ、カルガモ、キジバト3、イカルチドリ、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、セグロセキレイ、モズ、ホオジロ、カワラヒワ、シジュウカラ、コゲラ、スズメ、ムクドリ、ヒヨドリ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、
 

 
 
 







和風は河谷いっぱいに吹く
    
一〇八三  〔南からまた西南から〕一九二七、七、一四、
 
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹く
七日に亘る強い雨から
徒長に過ぎた稲を波立て
葉ごとの暗い露を落して
和風は河谷いっぱいに吹く
この七月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
異常な気温の高さと霧と
多くの稲は秋近いまで伸び過ぎた
その茎はみな弱く軟らかく
小暑のなかに枝垂れ葉を出し
明けぞらの赤い破片は雨に運ばれ
あちこちに稲熱の斑点もつくり
ずゐ虫は葉を黄いろに伸ばした
 
今朝黄金のばら東もひらけ
雲は騰って青ぞらもでき
澱んだ霧もはるかに翔ける
森で埋めた地平線から
たくさんの古い火山のはいきょから
風はいちめん稲田をゆすり
汗にまみれたシャツも乾けば
こどもの百姓の熱した額やまぶたを冷やす
 あゝさわやかな蒸散と
 透明な汁液の転移
 燐酸と硅酸の吸収に
 細胞膜の堅い結束
乾かされ堅められた葉と茎は
冷での強い風にならされ
oryza sativaよ稲とも見えぬまで
こゝをキルギス曠原と見せるまで
和風は河谷いっぱいに吹く (「詩ノート」)

 
 
  この詩は、前回取り上げた「青い槍の葉」(一九二二、六、一二)の五年後に書かれました。ここで描かれる稲は、学校の農園ではなく、賢治が農業者となり、指導や助言をした農家の稲です。
 直前の〈十二の赤い朝焼け〉、〈湿度九〇の六日〉〈異常な気温の高さと霧〉で、伸びすぎ倒れた稲ですが、この日、〈河谷いっぱいに吹く〉〈和風〉は、に乾かされ、見事に立ちあがって、田一面の揺れて大きな風景となりました。
  〈和風〉は風力を表す気象用語です。1806年、イギリス海軍のF.ボーホートが提唱したもので、風力を13の階級に分け、それに対応した海上の様子を表に作成しました。1964年、世界気象機関が、風力の標準的な表現法ビューホート風力階級表として採択しました。
  和風(moderate breeze) はその5番目、5.5〜7.9m/s 11〜16ノットで、砂埃が立ち小さなごみや落ち葉が舞う程の風です。和風という言葉から感じられるよりは少し強い気がしますが、埃や砂がなければ、この風に向かって立つのは快いのではないでしょうか。
  まだ露を含んで倒れている稲を見廻っていた作者に、快い程度に強い風が〈河谷いっぱい〉に吹き、稲の露を瞬く間に払って稲は起き上がります。稲の青々した香りや生き生きとした樹液の動きも満ちています。
  作者は自分の汗と同時に、働く子供にも優しい目を向けています。
  起き上がって風に吹かれる一面の稲は強く、作者は、かねてから関心のある中央アジア、キルギスの草原を連想します。
  天候や病害虫への心配など、それまでの労力や憂いを、風はすべて吹き流して行くのです。 
 「一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く」は、この詩の発展形で、「春と修羅第三集」に収められています。長いですが次に記します。
 
一〇二一  和風は河谷いっぱいに吹く  一九二七、八、二〇、
 
たうたう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる
雨のあひだまってゐた穎は
いま小さな白い花をひらめかし
しづかな飴いろの日だまりの上を
赤いとんぼもすうすう飛ぶ
あゝ
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹いて
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分蘖し
豊かな秋を示してゐたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
茎稈弱く徒長して
穂も出し花もつけながら、
ついに昨日のはげしい雨に
次から次と倒れてしまひ
うへには雨のしぶきのなかに
とむらふやうなつめたい霧が
倒れた稲を被ってゐた
あゝ自然はあんまり意外で
そしてあんまり正直だ
百に一つなからうと思った
あんな恐ろしい開花期の雨は
もうまっかうからやって来て
力を入れたほどのものを
みんなばたばた倒してしまった
その代りには
十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
わづかの苗のつくり方のちがひや
燐酸のやり方のために
今日はそろってみな起きてゐる
森で埋めた地平線から
青くかゞやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗の葉をかゞやかし
いまさわやかな蒸散と
透明な汁液の移転
あゝわれわれは曠野のなかに
芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のやうに
べんぶしてもべんぶしても足りない
 
   稲は無事花をつけました。稲の開花にその先の実りを予測して作者の心は高揚します。〈たうたう稲は起きた/〈まったくのいきもの/まったくの精巧な機械/稲がそろって起きてゐる〉は、長い憂いの時から一転した良い結果への驚きの言葉です。そこに〈風〉の吹き渡る心地よい風景が加わり、最終章〈素朴なむかしの神々のやうに/べんぶしてもべんぶしても足りない〉で、育てたものの喜びが最大の言葉で書かれます。
  作者は7月の時点の稲の起き上がった情景と8月の稲の開花の情景を、風を背景に組み立て直し、詩は人間の心の詩になりました。
   でも二つを比べた場合、私は前者の方が好きです。
  〈十二の赤い朝焼けと……〉、〈稲熱の斑点〉、〈ずゐ虫は葉を…〉、〈汗にまみれたシャツ…〉、〈こどもの百姓の熱した額…〉と、短い具体的な事実を並べ稲作の労苦を描き、そこに、〈和風は河谷いっぱいに吹く〉が3回配置され、風の心地よさと恩恵が描かれます。ここにあるのは作者の体感した純粋な感動そのものです。
  それを原点にして、稲作の成功を目前にした喜びを、みなと分かち合うような気持ちで描いたのが、後者だと思います。
 

 







ゆれるゆれる……
  
  青い槍の葉 (mental sketch modified)
 
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲は来るくる南の地平
そらのエレキを寄せてくる
鳥はなく啼く青木のほづえ
くもにやなぎのかくこどり
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がちぎれて日ざしが降れば
黄金の幻燈 草の青
気圏日本のひるまの底の
泥にならべるくさの列
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲はくるくる日は銀の盤
エレキづくりのかはやなぎ
風が通ればさえ冴え鳴らし
馬もはねれば黒びかり
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がきれたかまた日がそそぐ
土のスープと草の列
黒くおどりはひるまの燈籠
泥のコロイドその底に
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
りんと立て立て青い槍の葉
たれを刺さうの槍ぢやなし
ひかりの底でいちにち日がな
泥にならべるくさの列
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がちぎれてまた夜があけて
そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ
風に霧ふくぶりきのやなぎ
くもにしらしらそのやなぎ
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
りんと立て立て青い槍の葉
そらはエレキのしろい網
かげとひかりの六月の底
気圏日本の青野原
  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)   (『春と修羅』)
 
 『春と修羅』初版本目次のこの詩のタイトルの下には、(一九二二、六、一二)の日付があります。
  田一面に揃う早苗―〈青い槍の葉〉を描いています。
  『春と修羅』出版以前にも、大正12 (1923)年、賢治の信奉していた日蓮宗、国柱会の機関紙『天業民報』に「青い槍の葉」(挿秧歌)として発表されました。挿秧は田植えを意味します。
  花巻農学校でも、田植えは稲刈りと共に農業の二大行事で、全校総出で終日行われ、賢治は水田の担当で、「青い槍の葉」を田植え歌として全生徒に歌わせ、作業を進めたと言われています(注1)。
  作曲者は不詳です。佐藤泰平氏(注2)の採譜したメロディはハ短調、民謡風で、科学用語や気象用語も多く明るい詩からは少し離れた感じですが、田植え歌としてなら納得できます。
  一面にそよぐ早苗は、これから米となり人の糧となり、未来への希望だったと思います。また育ちゆく命の象徴です。賢治にとってかけがえのない大切なものだったのでしょう。
  雲、エレキ、黒光りの馬、光、黄金の幻燈、と輝く言葉で飾られ、カッコウの声に包まれ、広大な〈気圏の底〉の、〈泥のスープ〉という好ましい土壌で、〈りん〉と育つよう祈りが込められるのです。
  それらを取り巻くものはやはり風です。風という文字は〈風が通ればさえ冴え鳴らし〉、〈風に霧ふくぶりきのやなぎ〉の二か所しかありませんが、 この詩は風がたくさん吹き渡っている感があります。
  それは〈ゆれるゆれるやなぎはゆれる〉を8回詩の中に組み込んでいるからでしょうか。民謡の合いの手のような役目で、全体が五拍七拍のリズミカルな詩のなかに、六拍七拍で詩全体のアクセントともなっています。
  カワヤナギとよばれるものは、ヤナギ科ヤナギ属のナガバカワヤナギ、ネコヤナギがあります。ネコヤナギが低木なのに対してナガバカワヤナギは小高木になり、この詩に描かれるように風に揺れる大きな風景となるのはナガバカワヤナギだと思います。川沿いに自生し、葉裏は粉白色で、風に葉が裏がえる様は、ギンドロやタバコと同様、賢治の好きな風景でした。
  「鳥をとるやなぎ」でも、〈にはかにさっと灰色になり、その葉はみんなブリキでできてゐるやうに変わってしまいました。そしてちらちらちらちらゆれたのです。〉と描かれています。〈煙山にはエレッキの柳の木があるよ〉は、木に吸い込まれるように一斉に飛びこむ鳥の群れを不思議に思う子供の言葉で、賢治はそこに電気を感じ、さらに磁力を連想しています。
  〈エレキづくりのかはやなぎ〉から感じられるのは、ヤナギに電気を感じた賢治が、空中の窒素が雷など自然放電によって酸化され雨水に溶けて土壌に固定されることを連想し、豊かな肥料をもたらしてくれることも夢見たのではないでしょうか。
  風は、雲を運び、空中のエレキを集め、陰や日なたを作り、シトリンの様な日照り雨を降らせ、ヤナギを揺らし、風景を次々に変えていきます。ヤナギは風を受けてせっせと肥料を作ります。そのなかで大切な〈青い槍の葉〉は〈りん〉と並びます。
  賢治の風は、ただ吹き抜けるだけのものではありませんでした。
 
1佐藤成『教諭 宮沢賢治』(岩手県立花巻農業高等学校同窓会 1982)
2佐藤泰平『宮沢賢治と音楽』(筑摩書房 1995)