一〇八三 〔南からまた西南から〕一九二七、七、一四、
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹く
七日に亘る強い雨から
徒長に過ぎた稲を波立て
葉ごとの暗い露を落して
和風は河谷いっぱいに吹く
この七月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
異常な気温の高さと霧と
多くの稲は秋近いまで伸び過ぎた
その茎はみな弱く軟らかく
小暑のなかに枝垂れ葉を出し
明けぞらの赤い破片は雨に運ばれ
あちこちに稲熱の斑点もつくり
ずゐ虫は葉を黄いろに伸ばした
今朝黄金のばら東もひらけ
雲は騰って青ぞらもでき
澱んだ霧もはるかに翔ける
森で埋めた地平線から
たくさんの古い火山のはいきょから
風はいちめん稲田をゆすり
汗にまみれたシャツも乾けば
こどもの百姓の熱した額やまぶたを冷やす
あゝさわやかな蒸散と
透明な汁液の転移
燐酸と硅酸の吸収に
細胞膜の堅い結束
乾かされ堅められた葉と茎は
冷での強い風にならされ
oryza sativaよ稲とも見えぬまで
こゝをキルギス曠原と見せるまで
和風は河谷いっぱいに吹く (「詩ノート」)
この詩は、前回取り上げた「青い槍の葉」(一九二二、六、一二)の五年後に書かれました。ここで描かれる稲は、学校の農園ではなく、賢治が農業者となり、指導や助言をした農家の稲です。
直前の〈十二の赤い朝焼け〉、〈湿度九〇の六日〉〈異常な気温の高さと霧〉で、伸びすぎ倒れた稲ですが、この日、〈河谷いっぱいに吹く〉〈和風〉は、に乾かされ、見事に立ちあがって、田一面の揺れて大きな風景となりました。
〈和風〉は風力を表す気象用語です。1806年、イギリス海軍のF.ボーホートが提唱したもので、風力を13の階級に分け、それに対応した海上の様子を表に作成しました。1964年、世界気象機関が、風力の標準的な表現法ビューホート風力階級表として採択しました。
和風(moderate breeze) はその5番目、5.5〜7.9m/s 11〜16ノットで、砂埃が立ち小さなごみや落ち葉が舞う程の風です。和風という言葉から感じられるよりは少し強い気がしますが、埃や砂がなければ、この風に向かって立つのは快いのではないでしょうか。
まだ露を含んで倒れている稲を見廻っていた作者に、快い程度に強い風が〈河谷いっぱい〉に吹き、稲の露を瞬く間に払って稲は起き上がります。稲の青々した香りや生き生きとした樹液の動きも満ちています。
作者は自分の汗と同時に、働く子供にも優しい目を向けています。
起き上がって風に吹かれる一面の稲は強く、作者は、かねてから関心のある中央アジア、キルギスの草原を連想します。
天候や病害虫への心配など、それまでの労力や憂いを、風はすべて吹き流して行くのです。
「一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く」は、この詩の発展形で、「春と修羅第三集」に収められています。長いですが次に記します。
一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く 一九二七、八、二〇、
たうたう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる
雨のあひだまってゐた穎は
いま小さな白い花をひらめかし
しづかな飴いろの日だまりの上を
赤いとんぼもすうすう飛ぶ
あゝ
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹いて
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分蘖し
豊かな秋を示してゐたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
茎稈弱く徒長して
穂も出し花もつけながら、
ついに昨日のはげしい雨に
次から次と倒れてしまひ
うへには雨のしぶきのなかに
とむらふやうなつめたい霧が
倒れた稲を被ってゐた
あゝ自然はあんまり意外で
そしてあんまり正直だ
百に一つなからうと思った
あんな恐ろしい開花期の雨は
もうまっかうからやって来て
力を入れたほどのものを
みんなばたばた倒してしまった
その代りには
十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
わづかの苗のつくり方のちがひや
燐酸のやり方のために
今日はそろってみな起きてゐる
森で埋めた地平線から
青くかゞやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗の葉をかゞやかし
いまさわやかな蒸散と
透明な汁液の移転
あゝわれわれは曠野のなかに
芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のやうに
べんぶしてもべんぶしても足りない
稲は無事花をつけました。稲の開花にその先の実りを予測して作者の心は高揚します。〈たうたう稲は起きた/〈まったくのいきもの/まったくの精巧な機械/稲がそろって起きてゐる〉は、長い憂いの時から一転した良い結果への驚きの言葉です。そこに〈風〉の吹き渡る心地よい風景が加わり、最終章〈素朴なむかしの神々のやうに/べんぶしてもべんぶしても足りない〉で、育てたものの喜びが最大の言葉で書かれます。
作者は7月の時点の稲の起き上がった情景と8月の稲の開花の情景を、風を背景に組み立て直し、詩は人間の心の詩になりました。
でも二つを比べた場合、私は前者の方が好きです。
〈十二の赤い朝焼けと……〉、〈稲熱の斑点〉、〈ずゐ虫は葉を…〉、〈汗にまみれたシャツ…〉、〈こどもの百姓の熱した額…〉と、短い具体的な事実を並べ稲作の労苦を描き、そこに、〈和風は河谷いっぱいに吹く〉が3回配置され、風の心地よさと恩恵が描かれます。ここにあるのは作者の体感した純粋な感動そのものです。
それを原点にして、稲作の成功を目前にした喜びを、みなと分かち合うような気持ちで描いたのが、後者だと思います。