宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
心を吹く風 『春と修羅』から(四) 「風の偏倚」 
風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜や
  (虚空は古めかしい月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる……中略……

 
 
 一九二三、九、一六の日付を持つこの詩は、タイトルが〈風の偏倚〉です。この〈偏倚〉という言葉は、私にとっては聞き慣れない言葉でした。
『日本国語大辞典 第二版』によれば、二字とも偏りを意味し、熟語〈偏倚〉でも@偏り、中正を失うA数値的な偏り、一定基準や平均からのずれを表すとあり、@の用例としては1346年「宝覚真空禅師録」、1413年「懶空漫考」、1530年清原国賢写「荘子抄」、1775年「十善法語」、1891年「真善美日本人」など、ほとんどが宗教的、道徳的な意味合いを持つものでした。
 「十善法語」は 江戸時代後期の僧、慈雲飲光(1728-1805)によって著されました。仏教の十善戒―不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不綺語戒、不悪口戒、不両舌戒、不慳貪戒、不貪慾戒、不邪見戒という、十の戒めについて解き、一つ一つの戒を通じて、人間の存在そのものを問うことと、人として生きることの根本を考えることがテーマになっています。用例によれば、その(一)に〈本性平等にして偏倚なけれども〉と使われています。(まだ「十善法語」のその部分の原文を読むことができません。)
 慈雲はその学識と徳の高さから、「尊者」と敬称を付けられます。〈慈雲尊者〉はこの詩の19日前の日付を持つ「不貪慾戒」に、稲の緑色に育った姿について、〈慈雲尊者にしたがへば/不貪慾戒のすがたです〉と使われます。他の詩でも深くかかわる記述があり、賢治はこの日付から近い過去に 「十善法語」を読んでいたと思われます。〈偏倚〉は、この著作の記憶から使われたのではないでしょうか。とすれば、単なる風の風景の記述ではなく、特別な意味を持たせているのかもしれません。
 トシへの挽歌詩群のあとの「風景とオルゴール」の章の、最初の6篇には、共通する言葉、潜在意識が散見できます。

8月28日 「不貪欲戒」 〈慈雲尊者〉
8月31日 「雲とはんのき」 〈男らしい償い〉 〈葬送行進曲〉
9月16日 「宗教風の恋」〈偏って尖った心の動きかた〉 関東大震災
      「風景とオルゴール」〈クレオソート〉 伐採
      「風の偏倚」  〈偏倚〉  〈クレオソート〉
      「昴」    関東大震災 〈善逝〉 伐採

 まず、あまり社会的な事件を詩に読みこまない賢治が、〈風はどうどう空で鳴ってゐるし/東京の避難者たちは半分脳膜炎になって/いまでもまいにち遁げて来るのに〉(「宗教風の恋」)、〈東京はいま生きるか死ぬかの堺なのだ〉(「昴」)と、2作で「関東大震災」に触れ、それも被害に深く心を痛めていることがうかがわれます。
 これはまさに挽歌詩群で表明された、〈一人をかなしんではいけない〉ということの、現実の課題となっているのではないでしょうか。
 「風景とオルゴール」の〈(しづまれしづまれ五間森/木をきられてもしづまるのだ)、「昴」の〈山へ行って木をきったものは/どうしても帰るときは肩身がせまい〉という記述、これも、「種山が原の夜」や、「かしはばやしの夜」などに明確に示される、木を切ってはいけない、という賢治の信念ですが、心ならずもそれを通せない現実が少なからず存在したのでしょう。
 16日の日付の4作は、薄明どきの、松倉山周辺の風景が描かれます。
松倉山は、全国に13山あり、岩手県に4山、うち2山が花巻市にあります。登場する〈松倉山〉は志戸平温泉と大沢温泉の間にあり、384mの低山です。地図を見ると、江釣子森山の林道が、山頂から東1kmほど、標高300メートルのところを通過しています(注1)。
 描かれる電車は、花巻と西鉛温泉を結んでいた花巻電気軌道鉛(なまり)線で、大正12年5月には大沢温泉まで開通していました。 
 この日賢治は、豊沢川沿いを歩いて、五間森(ごけんもり)に木を切りに行き、花巻電気軌道の松原駅まで歩きそこから電車で帰花しています (注2)。
 「風の偏倚」は、松倉山付近を過ぎ、道が南に大きくカーブし、志戸平温泉付近を通過するころの様子が描かれています(注2)。
 〈五日の月はさらに小さく副生し〉と記述されるように、その日、月齢は5.5日で、日の入りは17時36分、薄明終了19時16分、月の入り21時36分です(注3)。
 日の入りから薄明までの間の風景が詠まれたと思われます。「風景とオルゴール」では〈六日の月〉とされますが、賢治の意識が、確実な月齢よりは風景や色彩を重視した表現となっているせいかもしれません(注3)。
 

 
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一万の硜花流紋擬灰岩の弾塊があり
川尻断層のときから息を殺してしまってゐて
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる……中略……
 
 この記述は、やはり地震から連想される脅威が心にあったことを表すと思います。〈川尻断層〉は、1896年(明治29年、賢治誕生4日後)秋田、岩手県境で発生した陸羽地震によって生じた和賀郡沢内村(現西和賀町)の川舟断層の誤記のようです(注3)。
 これらの不安、後ろめたさ、恐れが、「十善法語」の教えを思い起こし、または頼り、〈偏倚〉という言葉を選んだのではないかというのは深読みでしょうか。
 
 この詩では、月の表情、雲の描写が細かく、それに付随して、風の描写も精緻です。
 

 
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる……中略……
 
風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある……中略……
 
月あかりがこんなにみちにふると
      まへにはよく硫黄のにほひがのぼつたのだが
      いまはその小さな硫黄の粒も
      風や酸素に溶かされてしまつた)……中略……
 
 〈風と嘆息〉は、風が呼吸するように、吹いたり止んだりすることと思います。風は空の風景だけでなく、歴史をも動かしているのではないか、という思いに駆られ、あるいは、そのような歴史の転換がこの現在の状態をも変えてくれるのかもしれないという想いがあったのでしょうか。
 

 
どうしてどうして松倉山の木は
  ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
  あのごとごといふのがみんなそれだ)
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを超える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊……中略……
 
 松倉山は風に吹きさらされています。今日の伐採のことが心の底にあります。でも帽子は飛ばされることなく、風はかたまりとなって先へ行ったのでしょうか。
 
 ―風が偏倚して過ぎたあとでは―風は一瞬、賢治の前を過ぎ、一面の雲や煩わしい風景を過去のものとしています。ここでは〈偏倚〉は偏るというよりも、一瞬、強く吹いたことを表すのではないでしょうか。文献にあるような否定的な意味をそこには感じられません。賢治は、やはり風を一つの現象として眼の前にある姿をとらえながら、その先に救いや宗教的な意味をもとめていたのかもしれません。
 
注1 HPあかりんの岩手低山奇行
2 栗原敦『宮沢賢治透明な軌道の上から』新宿書房1992
3 HP加倉井厚夫氏「賢治の事務所」

 
「風の偏倚」全文

風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜や
  (虚空は古めかしい月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる
五日の月はさらに小さく副生し
意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲
月の尖端をかすめて過ぎれば
そのまん中の厚いところは黒いのです
風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある
きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ断雲と
星雲のやうにうごかない天盤附属の氷片の雲
  (それはつめたい虹をあげ)
いま硅酸の雲の大部が行き過ぎやうとするために
みちはなんべんもくらくなり
   (月あかりがこんなにみちにふると
    まへにはよく硫黄のにほひがのぼつたのだ  が
    いまはその小さな硫黄の粒も
    風や酸素に溶かされてしまつた)
じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で
月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる
   (山もはやしもけふはひじやうに峻儼だ)
どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく
ひるまのはげしくすさまじい雨が
微塵からなにからすつかりとつてしまつたのだ
月の彎曲の内側から
白いあやしい気体が噴かれ
そのために却つて一きれの雲がとかされて
  (杉の列はみんな黒真珠の保護色)
そらそら、B氏のやつたあの虹の交錯や顫ひと
苹果の未熟なハロウとが
あやしく天を覆ひだす
杉の列には山鳥がいつぱいに潜み
ペガススのあたりに立つてゐた
いま雲は一せいに散兵をしき
極めて堅実にすすんで行く
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一万の硅化流紋凝灰岩の弾塊があり
川尻断層のときから息を殺してまつてゐて
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる
空気の透明度は水よりも強く
松倉山から生えた木は
敬虔に天に祈つてゐる
辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ
  (どうしてどうして松倉山の木は
   ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
   あのごとごといふのがみんなそれだ)
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを超える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊
いまくらくなり電車の単線ばかりまつすぐにのび
 レールとみちの粘土の可塑性
月はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになつてゐる

 
 







永野川2015年1月下旬・永野川ビギナー探鳥会のお知らせ
 永野川ビギナー探鳥会
日時 2月21日(土) 9時集合 12時解散 雨天中止
集合 永野川緑地公園西駐車場(栃木市岩出町 栃木工業高校 西)
担当 事業企画委員会
見どころ 初心者向け カワセミ、セキレイなど水辺の鳥、ツグミ、ジョウビタキ、カシラダカなどの冬鳥。うまくいけばベニマシコ、ミヤマホウジロなど。貸出双眼鏡あり。
問い合わせ 日本野鳥の会栃木 рO28−625−4051 
                                             http://wbsj-tochigi.jimdo.com/ 

25日
 19日に見たミヤマホオジロがみられるかも、という期待もあって出かけました。上人橋から公園に入り、調整池にはヒドリガモが、西と東の池に分かれて8羽づつ戻っていました。なぜかいつもコガモが1羽います。
公園の芝生にハクセキレイ4羽、ツグミが2羽、その後もツグミはあちこちで19羽見られました。
 公園内の川でカルガモ16羽に混じってマガモが1羽。池のコガモもそうですが、こういう行動を共にするという基準は、どんなことにあるのでしょう。
 イソシギ、イカルチドリ、セグロセキレイとともに、キセキレイが2羽、今年は多いようです。
セグロセキレイの囀りが何箇所かで聞こえてきました。これは華やかな声ですね。
 少し上にダイサギ2羽、時に、嘴を鳴らすような音が聞こえました。
 大岩橋下の草むらではカシラダカ6羽、これは群れのようで、一本の木の周辺にいて木と草むらを往復していました。今日は、アオジもマヒワもミヤマホオジロもみられず、判断に苦しむことはありませんでした。
 大岩橋上の河川敷ではカワラヒワとシジュウカラ、シメ、相変わらず小さな声はたくさんするのですが、その他の鳥は姿を見せなかった。
 森からカケスが2羽一瞬姿を見せました。
 滝沢ハム側の公園で、鋭い鳴き声がして、見ると、モズがツグミを追っていました。捕獲する、というのではなく、追い散らしていたようですが、2、3分続いたように思えます。それから珍しくムクドリ25羽の群れ、今日はムクドリが多くあちこちで42羽見かけました。
 滝沢ハムの調整池で、コガモ8羽、ここはカモたちにとって居心地がよいのでしょうか。
 赤津川の合流点を入ったところで、輝くような青が目に入って来ました。しばらくぶりで、肉眼で見える場所のカワセミです。少しして対岸に移り、そこでは横向きになってしまいましたが、背の美しさには息をのむ思いでした。
 やはりカワラヒワは、赤津川で多く、今日の最大25羽の群れが電線に留っていました。
 上人橋まで下りてくると、近くの山林からカケスが2羽姿を見せました。大岩橋上、上人橋上それぞれ山林がありますが、双方に生息しているようです。
 永野川、高橋下の河川敷では、今日もマガモ11羽、定着したようです。
第五小付近で、カワラヒワの囀りを2か所で聞きました。もうそんな時期なのでしょうか。ここでもキセキレイの姿が見えました。
今年は、確かに鳥の数も鳥種も増えていると思います。期待した珍しい鳥には会えませんでしたが数は多く、豊かな気分になれました。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、イカルチドリ、イソシギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ、

 







永野川2015年1月中旬
 
19日
昨日の風が嘘のように穏やかなお天気です。二杉橋の第五小側から川岸を遡りました。
対岸に、アオサギ1羽、岸の草むらで、シジュウカラやアオジの声、中洲に、イソシギ、セグロセキレイ、イカルチドリ、少し遡って、対岸にキジ1羽、常連さんたちです。
高橋付近の中州に、一目でわかるマガモ♂7羽、よく見るとの他のカモもマガモ♀7羽でした。計14羽、ここでは初めての記録です。この冬は何かが違っているのかもしれません。
公園の調整池はほとんど結氷していたましたが、中央の解けた部分に、ヒドリガモ11羽戻っていました。
芝生にツグミ4羽、ムクドリ2羽、今日はツグミの姿が目立ちます。
公園内の永野川に、コガモ4羽、オオバンは12月27日一度だけ、その後は姿を見せません。シメは草むらやヤナギの枝、手前のエノキの枝などに計6羽、今年は多くてほんとうに嬉しいことです。コゲラも一羽確認できました。
大岩橋下の草むらでは、小さな声がたくさん聞こえ、カシラダカ、アオジ、が姿を見せました。
カシラダカとは、少し違うのでは?と思えるもの3羽見つけました。少し大きく、眉班が目立って黄色、咽喉の黒が目立ちます。帰って図鑑で確認すると、やはりミヤマホオジロに一番近いようでした。バードリサーチのお教えでは、ミヤマホオジロで間違いないだろう、ということ、また、ベテランさんのお話では、カシラダカのいるところにミヤマホオジロは普通にいるということでした。ここでは初めてで、私としては、以前、長野県の八ヶ岳周辺で一度見ただけだったので、すごい経験でした。
大岩橋上でも全体黒っぽくて、脇がオレンジ色がかっていて、白い斑があるもの、これもアトリとしていいでしょうか。マヒワと思われるもの3羽、アオジ2羽、今日は、判断がとても難しい鳥たちに会って、しばらく留まることが多くなりました。
その間に、カシジュウカラ3羽とエナガ9羽も発見、カケスも森林から出てきて川を渡り、また森林に戻っていったので久しぶりに姿を見ることができ、コジュケイが鳴き声をあげていました。
滝沢ハムの草むらで、ジョウビタキ1羽、シメ1羽、滝沢ハム側の公園の草地でツグミ単独で7羽、ここでもツグミが目立ちます。
赤津川、新井町では、カイツブリ3羽、コガモ10羽の群れ、カワラヒワ少なく13羽の群れが最大でした。
二杉橋下まで戻ると、カルガモが30羽、ここではみな顔をうずめて寝ていました。
好天だったせいか、鳥種も数も多く、時間に追われなければもっとゆっくりしていたかったのですが……。
近いうちに、ミヤマホオジロをもう一度確認出来ればいいと思っています。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、イカルチドリ、イソシギ、トビ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ムクドリ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、マヒワ、シメ、アトリ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ、ミヤマホオジロ、
 

 







心を吹く風 『春と修羅』から(三) 「オホーツク挽歌」の章―北への旅

 1923年7月31日、賢治は青森、北海道を経て樺太への旅に出ます。教え子の就職を、盛岡中学校、盛岡高等農林の同窓生で、樺太、豊原市の王子製紙の細越健に依頼するためでした。
 この旅で残された「オホーツク挽歌」の章には5篇の詩が収められています。「白い鳥」が書かれてから、2か月近くの空白のあとでした。

1、「青森挽歌」
 その第一篇が、252行の長詩、「青森挽歌」です。以下部分的に引用します。
 
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
   乾いたでんしんばしらの列が
   せはしく遷つてゐるらしい
   きしやは銀河系の玲瓏レンズ
   巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしつてゐる 
 
(中略)
 
あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか
(草や沼やです
  一本の木もです)
 (ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ)
 (こおんなにして眼は大きくあいてたけど
  ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ)
 (ナーガラがね 眼をぢつとこんなに赤くして
  だんだん環をちいさくしたよ こんなに)
 (し、環をお切り そら 手を出して)
 (ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ)
 (鳥がね、たくさんたねまきのときのやうに
  ばあつと空を通つたの
  でもギルちやんだまつてゐたよ)
 (お日さまあんまり変に飴いろだつたわねえ)
 (ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの
  ぼくほんたうにつらかつた)
 (さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ)
 (どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう
  忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに)
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通つて行き
それからさきどこへ行つたかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じやうとするときは
たれだつてみんなぐるぐるする
 (耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい)
さう甘へるやうに言つてから
たしかにあいつはじぶんのまはりの
眼にははつきりみえてゐる
なつかしいひとたちの声をきかなかつた
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた

 
けれどもたしかにうなづいた 
 
 
 この詩で初めて賢治はトシの死を現実として受け止め、夜汽車の暗い風景のなかに自分の心をみつめ、トシの行方を必死に考えます。そして、なおも死に瀕した場面や、くらい幻想に悩まされます。
そのなかで、風は、〈たのしい根源〉の一つとしてとして捉えられています。それは臨終のトシの顔を美しいものとして、眼前に運んでくれます。そして、
 
いつぴきの鳥になつただらうか
l´estudiantinaを風にききながら
水のながれる暗いはやしのなかを
かなしくうたつて飛んで行つたらうか
中略
 
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
わたくしはその跡をさへたづねることができる


と離れていく妹を確実に感じながらも、〈大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた〉トシをようやく実感できることになります。風はやはり〈さはやか〉なもの、賢治があとを辿ることができるものでした。
 
 
 
(もひとつきかせてあげやう
      ね じつさいね
      あのときの眼は白かつたよ
      すぐ瞑りかねてゐたよ)
まことはたのしくあかるいのだ
     (みんなむかしからのきやうだいなのだから
      けつしてひとりをいのつてはいけない)
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一たりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます

 
 
 その後も執拗に聞こえる悪魔のささやきのような声、トシの死の現実に耐えながら、〈まこと〉の世界に救いを求めます。
それは、自分一人のかなしみにとらわれることなく、人すべてのことを祈らなければならない、ということでした。そうすることで、耐えがたい想いから救われることができたのだと思います。
 
2、「青森挽歌 三」
 詩集『春と修羅』には収録されなかった作品に、同じ一九二三、八、一、の日付を持つ「青森挽歌 三」があります。
 

 
その右側の中ごろの席
青ざめたあけ方の孔雀のはね
やはらかな草いろの夢をくわらすのは
とし子、おまへのやうに見える。
「まるっきり肖たものもあるもんだ、
法隆寺の停車場で
すれちがふ汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。」
父がいつかの朝さう云ってゐた。
そして私だってさうだ
あいつが死んだ次の十二月に
酵母のやうなこまかな雪
はげしいはげしい吹雪の中を
私は学校から坂を走って降りて来た。
まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
その藍いろの夕方の雪のけむりの中で
黒いマントの女の人に遭った。
帽巾に目はかくれ
白い顎ときれいな歯
私の方にちょっとわらったやうにさへ見えた。
( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)
私は危なく叫んだのだ。
(何だ、うな、死んだなんて
いゝ位のごと云って
今ごろ此処ら歩てるな。)
又たしかに私はさう叫んだにちがひない。
たゞあんな烈しい吹雪の中だから
その声は風にとられ
私は風の中に分散してかけた。

 
 
 詩は列車の中から見た夜明けの風景に始まります。明け方の月の明かりは〈苹果の匂〉を運び、列車のなかに差し込むなかに、賢治はトシの幻影を見ます。
 それは父が旅先で追ったトシに似た姿の女性や賢治が花巻の吹雪の中で見たトシを思い出させます。賢治たちの、「トシが生きている」ことを信じたい気持の現れですが、花巻でそれを見せたのも、〈( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)〉というように、風が運ぶものでした。また、トシにかけた言葉をもぎ取るのもやはり風でした。賢治は〈風の中に分散して〉切れ切れになる心とともに駆け出すのです。

 
 
太洋を見はらす巨きな家の中で
仰向けになって寝てゐたら
もしもしもしもしって云って
しきりに巡査が起してゐるんだ。」
その皺くちゃな寛い白服
ゆふべ一晩そんなあなたの電燈の下で
こしかけてやって来た高等学校の先生
青森へ着いたら
苹果をたべると云ふんですか。
海が藍靛に光ってゐる
いまごろまっ赤な苹果はありません。
爽やかな苹果青のその苹果なら
それはもうきっとできてるでせう。

 
 そんな思いをかき消すように、唐突に、車中の幻想が書かれ、青い海のひかり―トシの色―、〈爽やかな苹果青のその苹果〉―トシの思い出―などを綴って詩はおわっています。
 
3、「オホーツク挽歌」
一九二三、八、四〉の日付を持つ「オホーツク挽歌」は樺太、栄が浜の朝の風景が描かれます。
 

 
海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた
緑青のとこもあれば藍銅鉱のとこもある
むかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい瑠璃液だ
チモシイの穂がこんなにみぢかくなつて
かはるがはるかぜにふかれてゐる
  (それは青いいろのピアノの鍵で
   かはるがはる風に押されてゐる
あるひはみぢかい変種だらう
しづくのなかに朝顔が咲いてゐる
モーニンググローリのそのグローリ
 
 
白い片岩類の小砂利に倒れ
波できれいにみがかれた
ひときれの貝殻を口に含み
わたくしはしばらくねむらうとおもふ
なぜならさつきあの熟した黒い実のついた
まつ青なこけももの上等の敷物と
おほきな赤いはまばらの花と
不思議な釣鐘草とのなかで
サガレンの朝の妖精にやつた
透明なわたくしのエネルギーを
いまこれらの濤のおとや
しめつたにほひのいい風や
雲のひかりから恢復しなければならないから

 
 緑青や瑠璃液と喩える海や、風に吹かれるチモシイ、ハマナスの匂いに少し明るくなった賢治を感じます。香りのよい風のなかで妖精と交歓しています。
 

 
わびしい草穂やひかりのもや
緑青は水平線までうららかに延び
雲の累帯構造のつぎ目から
一きれのぞく天の青
強くもわたくしの胸は刺されてゐる
それらの二つの青いいろは
どちらもとし子のもつてゐた特性だ
 
中略
 
海がこんなに青いのに
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ
 
中略
 
いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
あんなにかなしく啼きだした
なにかしらせをもつてきたのか
わたくしの片つ方のあたまは痛く
 
中略
 
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
五匹のちいさないそしぎが
海の巻いてくるときは
よちよちとはせて遁げ
 (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
浪がたひらにひくときは
砂の鏡のうへを
よちよちとはせてでる

 
 雲間から覗く小さな青空に〈とし子の特性〉を見て、またトシのことばかりを思っている自分を責めながらもなお、飛ぶ鳥に妹の影を追います。しかし、(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)〉(南無妙法蓮華経)が、記され、次第に救われていく心を予感させます。ここでなぜ唐突な感じでこの言葉が記されたのか、不明ですが、深い逡巡のあとで生まれたものであることは実感できます。
 この詩の関連作品として童話「サガレンと八月」があります。そこでは、風はいい匂いを伝え、ひっきりなしに作者に語りかけ、風の物語を聞かせて行き、それが真実のお話として、読者に伝わるように、と祈るような気持ちが書かれています。(当ブログ「風に包まれてPt       3―「サガレンと八月」」 2013、8)
 風はまず、賢治を体から安らかにし、浮かぶトシへの思いを和らげ、究極には、仏の世界への救いを見せてくれたのではないかと思います。
 
4、「鈴谷平原」
 一九二三、八、一一の日付を持つ「鈴谷平原」では賢治は帰途についています。
 

 
蜂が一ぴき飛んで行く
琥珀細工の春の器械
蒼い眼をしたすがるです
   (私のとこへあらはれたその蜂は
    ちやんと抛物線の図式にしたがひ
    さびしい未知へとんでいつた)
チモシイの穂が青くたのしくゆれてゐる
それはたのしくゆれてゐるといつたところで
荘厳ミサや雲環とおなじやうに
うれひや悲しみに対立するものではない
だから新らしい蜂がまた一疋飛んできて
ぼくのまはりをとびめぐり
また茨や灌木にひつかかれた
わたしのすあしを刺すのです
こんなうるんで秋の雲のとぶ日
鈴谷平野の荒さんだ山際の焼け跡に
わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる
ほんたうにそれらの焼けたとゞまつが
まつすぐに天に立つて加奈太式に風にゆれ
また夢よりもたかくのびた白樺が
青ぞらにわづかの新葉をつけ
三稜玻璃にもまれ
   (うしろの方はまつ青ですよ
    クリスマスツリーに使ひたいやうな
    あをいまつ青いとどまつが
    いつぱいに生えてゐるのです)
いちめんのやなぎらんの群落が
光ともやの紫いろの花をつけ
遠くから近くからけむつてゐる
   (さはしぎも啼いてゐる
    たしかさはしぎの発動機だ)
こんやはもう標本をいつぱいもつて
わたくしは宗谷海峡をわたる
だから風の音が汽車のやうだ
流れるものは二条の茶
蛇ではなくて一ぴきの栗鼠
いぶかしさうにこつちをみる
  (こんどは風が
   みんなのがやがやしたはなし声にきこえ
   うしろの遠い山の下からは
   好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
   すきとほつた大きなせきばらひがする
   これはサガレンの古くからの誰かだ)
 
 この詩の舞台は、日本占領時代の樺太(現ロシア領サハリン州)の中心都市豊原(現ユージノサハリンスク)市街東端の神社山(樺太神社)や玉川苗圃(豊原林務署)辺と推察できます。現在では、サハリン中央低地帯を南流するススヤ川扇状地「ススーヤ平原」です。
周辺は樺太、豊原市・豊栄郡豊北村、大泊郡富内村またがる山地で、鈴谷山脈、1048mの鈴谷岳をふくみ、ブナ林、ハイマツ帯、高山植物帯等があります。
 賢治の作品に登場する蜂は、いつも肯定的な描かれ方をします。「寓話 洞熊学校を卒業した三人」では、三人が競争原理を学習した時と、その結果三人が破滅したそれぞれの時に、蜂の幸せな姿が描かれます。蜜を集めて働き、結果として受粉を助け、木の芽から要らなくなった蜜を集めてせっせと巣を構築することに象徴される共生の原理に基づいた生活で、競争原理とは相反するものです。またその眼は青く「若い木霊」、「タネリはたしかにいちにち噛んでいたやうだった」でも太陽光の中、澄んだ風に乗って働いています。
 ここでも〈琥珀細工の春の器械〉という賛辞が送られます。賢治の心も明るい日差しの中に向けられるようになりました。
でも飛んで行くのは、トシの死を受け入れ、現実に戻ろうと南へ向かっていく〈さびしい未知〉これは賢治の方向でもあったようで、チモシイの穂が青くたのしくゆれていても、〈たのしく〉鈴谷平野に座っていても、白樺やヤナギランが美しくても、心の底の〈うれひやかなしみ〉は続いています。
でも続く未来は、〈標本〉―旅の成果―を確信して、宗谷海峡を渡って帰ることでもありました。
 風の音は〈汽車の音〉となり、人の話し声に聞こえます。賢治はどこかで人間の世界への回帰を感じていたのではないでしょうか。それは、故郷、好摩の冬の青空とサガレンの誰かとを並べて、これから帰る岩手に少しの希望を見出したことを表しているのかもしれません。
 
 「無声慟哭」、「オホーツク挽歌」の章については既出論考も多く、またトシの死という重大な事実と賢治の深い悲しみを描き、短文では語りつくせないと思います。
しかし、〈風〉を追う限りでは、風はいつも賢治に寄り添って、〈まことの言葉〉を伝え、澄んだ空気を運び、救いへと導いて行ったと思います。
 
参考 
黄英「デストピアの様相」、第五節「蜘蛛となめくじと狸」から「寓話 洞熊学校を卒業した三人」へ(『比較社会文化叢書XIV 宮沢賢治のユートピア志向』第2章)(花書院 2009)

 







永野川2015年1月上旬 
 
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
1日に、初詣のついでに立ち寄った下野国分寺跡で、アオゲラに会うことができました。アオゲラを見るのは、実は生涯で3度目です。
今年はよい鳥見の年になる予感がします。
この広大な自然林を生かして開発した当局には、感謝したいと思います。
 
7日
風もない良いお天気です。
コースを変えて緑地公園から入りました。
上人橋の上から見ると、中州で、アオサギ1、カワラヒワ5、イカルチドリ1が遊んでいました。この橋から下を眺めるのは意外と少ないのに気づきました。
公園ではシメがあちこちで飛んで4羽、キセキレイ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カルガモ18羽の群れ、ダイサギ4羽と豊富でしたが、以前そこにいたオオバンは見られませんでした。
調整池は結氷していて、ヒドリガモはいませんでした。
大岩橋下の草むらで、アオジ1羽、声はたくさんしていますが、確認はそれだけでした。アオジはその後、大岩橋上、滝沢ハムの草むら、赤津川岸で、計4羽見ることができました。
大岩橋上の草むらで、おそらくノスリと思われるワシタカ1羽、腹面が白っぽく、黒い紋があり、尾がトビとは違っていました。
ここでは前述のアオジのほか、カシラダカ5羽も見つけました。やはり冬のこの場所は鳥の宝庫です。川べりの広い草地を観察出来れば、もっとたくさんの鳥たちに会えそうですが、入れませんし、踏み込んではいけないのかもしれません。山林ではカケスの声もします。
赤津川新井町の田んぼでは、久しぶりにムクドリが22羽田んぼに下りていました。
栃木窯業付近では、カルガモ10羽の群れのほか、バンが2羽3羽、と計7羽見えました。
合流点近くではカワセミのほか、キジ♀が草むらに潜んでいました。
今日は時間が無く気も急いていた割には多くの鳥種に会えました。残念でしたが二杉橋までの区間は次の機会に回しました。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、カワセミ、イカルチドリ、ノスリ、キジバト、カワウ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、モズ、ヒヨドリ、シジュウカラ、ツグミ、スズメ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ
 
9日
7日に廻れなかった、上人橋から二杉橋までの両岸を歩きました。
上人橋から太平山側を下ると、ハクセキレイ、イソシギが、ブロックを伝って歩いていました。睦橋下の河川敷に、コガモ7羽、カルガモ20羽、それと珍しくマガモの♂3羽が一緒でした。
カイツブリも2羽発見しました。
第五小付近で、コガモ26羽、カモたちはみな固まって顔をうずめています。
住宅地のなかの草むらを眺めるとに小さな鳴き声が聞こえ、シメ、カシラダカ、ホオジロが確認できました。この場所は、いつも見落としている気がします。
二杉橋のすぐ手前で、眼の前にジョウビタキ♀が留っていましたが、車が来たので自転車を動かさざるを得なくて、飛び立たせてしまいました。
二杉橋下にはカルガモ20羽やはり顔をうずめて固まっています。
第五小側から川を見ると、アオサギ1羽、やはり悠然としています。岸の草むらから確認できたのはアオジ、ホオジロでした。
第五小脇から反対側の岸のテレビアンテナを見ると、チョウゲンボウ1羽、順光で、色や模様まで良く見え、図鑑と同じ姿勢でしばらく留っていてくれました。
中洲に、イソシギのようで、首に白い切れ込みの無いものを発見、飛んだ時の尾羽の白さは確認できませんでしたが、胸のまだら具合と、尾の先の白からクサシギと思います。ここでは少ない例です。
少し上で、キセキレイとともに、今季初タヒバリを見ました。草地で見ることが多いのですが、羽の色、模様などはタヒバリだと思います。
上人橋まで戻ってきたところで、イカルチドリを2羽発見しました。これで出そろった、という感じです。
短い区間ですが、ゆったりした気持ちで臨むと発見する鳥も多いという実感とともに普段の姿勢を反省しました。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、マガモ、カイツブリ、アオサギ、イソシギ、クサシギ、イカルチドリ、チョウゲンボウ、キジバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、タヒバリ、モズ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、シジュウカラ、ツグミ、スズメ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シメ、ジョウビタキ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ