宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2015年3月上旬
 
10日
 雨がようやく上がりましたが、強風の予報が出ていました。
 風が時折強くなり、鳥たちも姿を見せませんが、上人橋上の川岸の草むらから、アオジが2羽飛びだし、そのあとを追ってモズが出てきました。モズに追われていたのです。
 赤津川との合流点近くの田で、今季初ヒバリの囀りが聞こえました。このところ、いろいろ雑念が多くて、鳥のことを考えられないうちに、季節はどんどん変化していました。
 小さめのハシボソカラスが電線に留っていて、嘴が白いのが目立ち、他の種類?とも思いましたが、声はハシボソガラスそのものでした。
 
 新井町の田で、ヒバリが囀りながら舞いあがり、眼でも確認できました。その後もあちこちで4羽の囀りが確認できました。
 バンが2羽ずつ2回、トビがなぜか川岸近くまで低空で飛び舞い降りました。
 川岸の草むらから、カシラダカより少し大きめでちょっと違う鳥が2羽飛びだし、対岸の草むらに入りました。風で冠毛が立っていましたが、声はチイ、チイという少し伸ばす声で、オオジュリンです。姿は再び見ることは出来なかったのですが、対岸で何度も鳴いていてくれたので、今季初のオオジュリンを確認できました。もう季節も終わりと、諦めていたので、とても嬉しいことでした。
 ここは小さな川で、植生もそれほど豊かにも見えませんが、鳥種が多いのだとあらためて思います。
 
 大岩橋上の河川敷林でカシラダカ3羽。混群ではなく良く見えました。土手の胡桃の樹にもカシラダカ2羽。これも混群ではありませんでした。
 公園内の河川敷で、でセグロセキレイに混じって、珍しくキセキレイ、しばらく川を遡って移動していました。
 調整池のヒドリガモ西側に34羽、東側にも3羽。今季最大です。永野川のマガモは5羽になっていました。
 永野川の第五小付近で、たった一声、おずおずとウグイスが囀りました。初鳴きです。強風にもあおられましたが、やはり今日来てよかったと思います。先ほど公園のなかで、もうウグイスは鳴いていますか、と尋ねられたばかりでした。
 季節が変わって行きます。もうじきツバメが来るころです。眼を離せない時期になりました。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、イカルチドリ、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、ツグミ、スズメ、ウグイス、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、シメ、カシラダカ、アオジ、ホオジロ、オオジュリン
 

 
 







永野川2015年2月下旬
 
27日

 まだ風は冷たいのですが、日差しが明るくなってきました。
 上人橋から赤津川を遡りました。上人橋上の川岸の草むらで、今日はホオジロが時々姿を見せ、アオジが1羽現れました。河川敷にイカルチドリ1羽、やっと見分けられる色と大きさです。。
 赤津川に入ると、今日最大のカワラヒワの20羽の群れに会いました。いつもながら川岸から見下ろす羽の黄色い模様がきれいです。
 新井町で、バンが5羽揃って泳いでいました。これだけまとまるのは珍しいことです。額板がいくらか赤くなり始めました。カルガモ17羽の今日一番の群れが寝ていた。
 公園に入ると、先週は無かったオオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウが咲き始めていました。
 滝沢ハムの草むらで、ウグイス1羽、珍しく姿を見せてくれました。かなり緑色に見えました。
 滝沢ハムの雑木林と公園両側からコゲラの声、ギイギイという声と、コゲラ特有のキッキッキという声と。残念ながら姿は見えませんでした。
 大岩橋上の川岸から対岸を見るとダイサギ1羽、飾り羽が見え、嘴が白っぽいものでした。
 公園の調整池ではヒドリガモ31羽、カルガモ7羽。
 公園内の川岸の草むらには、シジュウカラ、カワラヒワ、ホオジロ、イカルチドリ、ハクセキレイとセグロセキレイは同率くらいで現れました。
 上空で珍しくトビ1羽舞いました。。
 大岩橋下の草地のスズメの50羽くらいの群れ、いっせいに飛び立った後、カシラダカが2羽残っていました。やはり一緒に行動するものではないのですね。
 永野川では、コガモ16羽、カルガモ14羽、マガモ13羽、あまり大きな群れには会えませんでした。そこが特別な場所とも思われませんが、マガモが何時も群れているのはなぜでしょうか。
 今日はツグミやホオジロやセキレイなどがたくさん出てきました。正確にカウントしているか気になるところです。
 また、何人かの人に鳥のことを尋ねられました。鳥のことを話し合うことができるのは楽しいですね。たくさんの人が、興味を持ってくれるといいのですが。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、イカルチドリ、トビ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ムクドリ、ウグイス、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、カシラダカ、アオジ、ホオジロ
 

 







永野川2015年2月中旬  永野川ビギナー探鳥会報告
まずビギナー探鳥会の報告です。

21日
 風もなく暖かな日でした。
 会員以外の方々が多く、幅広い年齢層の男性、女性、小学生から幼稚園まで、多様な顔ぶれでした。
 まず調整池でヒドリガモ、15日と同様たくさんいて、♂、♀同時に望遠鏡に入れていただき、ゆっくり観察できました。この前の探鳥会ではカワセミがじっと留っていてくれて、皆のムードが盛り上がったのですが、今回は残念ながら遭えませんでした。
 芝生にはツグミが1羽、2羽と次々に現れ、これも望遠鏡でゆっくり見ることができ、普段は見られない眼の愛らしさや、模様や、レンガ色の色彩の美しさを実感できました。♂と♀を区別できるというお話で、また一つの課題が増えました。
 ホオジロも♂、♀で枝に留って、皆で識別できました。
 スズメの群れが枝に留っていて、双眼鏡では分からないふっくらした感じ、羽の色の対比の美しさを知りました。これも探鳥会ならではですね。
 川ではカイツブリやカルガモが見られ、潜水カモのお話もうかがうことができました。
 シメがあちこちにいて繁殖期の嘴の色の違いを教えていただきました。今はまだ繁殖期以外のピンクでなぜか私が見るのはみな嘴を開けていました。
 ダイサギが2羽、今まで気付かなかった飾り羽を知りました。夏季のコサギの飾り羽しか知りませんでした。
 対岸の草むらにはたくさん声が聞こえますが、カワラヒワ、スズメ、がほとんどでした。一瞬アオジが飛び、すぐに消えました。まだ今年はオオジュリンを見ていません。
 かなり離れていましたが、中州にイソシギとイカルチドリを見つけていただき、皆で確認でました。
 お目当てのカワセミは出ませんでしたが、普通にいる鳥たちを、ゆっくり望遠鏡で観察でき、喜んでただけたのではないかと思います。
 鳥種は22種類、ここの豊かさを感じたような気がします。
 
探鳥会の鳥リスト
カルガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、イソシギ、イカルチドリ、トビ、モズ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ツグミ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ
 
15日
 強風の予報でしたが、他に時間もとれないので出かけました。
 二杉橋から遡ると、いつものようにハクセキレイ、セグロセキレイが遊び、今日はツグミも加わりました。
 いつもの中州に、マガモ13羽、順光のなかでやはり美しいものでした。
 イカルチドリ、シジュウカラ、ジョウビタキ。まだ地鳴きですがウグイスの声もします。上人橋の山林ではカケスが一瞬ふわふわと姿を見せました。
 調整池にはヒドリガモが33羽、今季最多です。
 公園内ではシメがたくさん飛びかっていました。同じものを数えている危険もありますが、7羽は確実です。大岩橋上の河川敷でも2羽見かけました。
 大岩橋下の草むらは小鳥たちのたまり場のようで、今日もスズメが多かったのですが、カシラダカ6羽は確認できました。そのほかは公園内のヤナギの木で2羽。ミヤマホオジロに見えるものは2羽いましたが、黄色みが今一少ないような気もして自信が持てません。
 カワラヒワは、16羽の群れを最高にして67羽でした。
 公園内では、カワウ1羽、ダイサギ1羽、イソシギ1羽、イカルチドリ1羽、さまざまな鳥がいて、絵本のようです。
 滝沢ハムの植え込みの広葉樹にエナガ5羽、ここはあまり歩かない所でしたが、また来て見たいと思います。
 滝沢ハムの調整池にコガモ4羽、以前はもっといろいろの水辺の鳥がいたのですが、何か変わってしまったようです。何かに遮られよく見えない気もします。
 赤津川の泉橋付近で、アオサギが30センチほどの大きな魚をとらえた瞬間に会いました。鯉のようにも見えたが細い気もします。水の少ない川にこんな大きな魚がいるのです。鳥が多いことももうなづけます。アオサギは魚を咥えて、一つ上の橋までいって、ゆっくりと飲み込もうとしていました。5分程してもまだ半分くらいしか呑めていませんでした。
 栃木窯業の近くで、コガモ6羽川岸でじっとうずくまっていました。やはり気温が低いのでしょうか。二杉橋付近にもカモ類は見当たりませんでした。
 川岸でアオジ2羽、やっと見つけた!という感じです。オオジュリンを探しているのですが今季はまだ会いません。
 赤津川に入ったあたりから時々風が強まり自転車は乗っていられない時もありました。好天と時間の余裕がほしいこのごろです。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、イソシギ、イカルチドリ、カラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、エナガ、ムクドリ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、カシラダカ、ミヤマホオジロ、アオジ
 

 







永野川2015年2月上旬
 
4日
 明日は雪の予報なので、11時になっていましたが出かけ、二杉橋の第五小側から遡りました。
 第五小付近の河川敷で、クサシギ1羽、イソシギの首の白い切れ込みは無く、少し大きめ、嘴長めで、尾の先が僅かに白くその上が僅かに黒い部分がありました。先日見たものと同じだと思いましたが、飛んでくれなかったので、尾全体の白さは確認できませんでした。図鑑では幼鳥に一番近いようでした。
 キセキレイが2羽戯れるように動き、ハクセキレイも1羽2羽と歩き、セグロセキレイが囀っています。
 カワラヒワが10羽、草むらから飛び出し、ツグミも1羽2羽と飛び、シメ、シジュウカラも混じってにぎやかでした。以前は、大岩橋付近にしかいなかったシメですが、行動範囲が広くなっている気がします。
 中洲に、マガモが7羽、順光を浴びて、頭部の青が輝いて見えました。カ イツブリも1羽浮いています。
 高橋近くの屋敷林で、高い樹のてっぺんにアオサギが留って頭部のみ見えていました。塒でしょうか、個人の家なので、いつまでいられるか心配です。
 別のアオサギがコンクリートブロックに留っていると、ハシボソカラスが後ろに密着しているような姿勢でした。アオサギが、根負けして1、2歩ずつ前に避けていく感じでした。
 栃木工業高校のポプラの大木にカワラヒワ41羽、久しぶりの群れです。
 公園の調整池には、カルガモが4羽のみ、カワウが悠々と泳いでいました。芝生ではツグミ、ハクセキレイが度々顔を見せます。
 公園の川岸で、小さな黄色が眼に飛び込んできました。ガク片を確かめると何と日本タンポポです。刈り取りや除草剤で処理されている川岸のせいか、直径2センチほどでしたが、その混じりけのない鮮やかさは、救いのように見えました。
 対岸の草むらで、どう聞いてもエナガの声がしてしばらく探すと草むらの中に5羽見つけることができました。木の枝にいる印象が強かったので、良い場面を見たと思います。川の中にイソシギ1羽、ダイサギ1羽、常連です。
 大岩橋下の草むらで、大群のカシラダカ、と思ったら、ほとんどがスズメでした。混じってしまっていたので、カシラダカを何とか4羽、ミヤマホオジロ?と思われるもの2羽もやっと確認しました。
 大岩橋上では、いつもシジュウカラが多く、今日は7羽が鳴きながら飛びまわっていました。
 滝沢ハム側から公園を見ると、キジバトが4羽、3羽とあちこちいました。全部で15羽、ここでは珍しいことです。大きな鳥なので、ちょっと不気味にさえ感じます。
 滝沢ハムの草地でジョウビタキ1羽とアオジ1羽、調整池にはカルガモ2羽のみでした。
 新井町ではカワラヒワ28羽の群れがいました。カワラヒワが大群で移って来たのでしょうか。
 今日は少ないカルガモが14羽、みな寝ていました。
 二杉橋まで戻りましたが、珍しくカモが1羽もいませんでした。モズ、ムクドリは目立ちましたが、カモの少ない日でした。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、マガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、バン、イソシギ、クサシギ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、エナガ、ムクドリ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ、ミヤマホオジロ
、アオジ
 
 
 







心を吹く風 『春と修羅』から(四) 「風の偏倚」 
風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜や
  (虚空は古めかしい月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる……中略……

 
 
 一九二三、九、一六の日付を持つこの詩は、タイトルが〈風の偏倚〉です。この〈偏倚〉という言葉は、私にとっては聞き慣れない言葉でした。
『日本国語大辞典 第二版』によれば、二字とも偏りを意味し、熟語〈偏倚〉でも@偏り、中正を失うA数値的な偏り、一定基準や平均からのずれを表すとあり、@の用例としては1346年「宝覚真空禅師録」、1413年「懶空漫考」、1530年清原国賢写「荘子抄」、1775年「十善法語」、1891年「真善美日本人」など、ほとんどが宗教的、道徳的な意味合いを持つものでした。
 「十善法語」は 江戸時代後期の僧、慈雲飲光(1728-1805)によって著されました。仏教の十善戒―不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不綺語戒、不悪口戒、不両舌戒、不慳貪戒、不貪慾戒、不邪見戒という、十の戒めについて解き、一つ一つの戒を通じて、人間の存在そのものを問うことと、人として生きることの根本を考えることがテーマになっています。用例によれば、その(一)に〈本性平等にして偏倚なけれども〉と使われています。(まだ「十善法語」のその部分の原文を読むことができません。)
 慈雲はその学識と徳の高さから、「尊者」と敬称を付けられます。〈慈雲尊者〉はこの詩の19日前の日付を持つ「不貪慾戒」に、稲の緑色に育った姿について、〈慈雲尊者にしたがへば/不貪慾戒のすがたです〉と使われます。他の詩でも深くかかわる記述があり、賢治はこの日付から近い過去に 「十善法語」を読んでいたと思われます。〈偏倚〉は、この著作の記憶から使われたのではないでしょうか。とすれば、単なる風の風景の記述ではなく、特別な意味を持たせているのかもしれません。
 トシへの挽歌詩群のあとの「風景とオルゴール」の章の、最初の6篇には、共通する言葉、潜在意識が散見できます。

8月28日 「不貪欲戒」 〈慈雲尊者〉
8月31日 「雲とはんのき」 〈男らしい償い〉 〈葬送行進曲〉
9月16日 「宗教風の恋」〈偏って尖った心の動きかた〉 関東大震災
      「風景とオルゴール」〈クレオソート〉 伐採
      「風の偏倚」  〈偏倚〉  〈クレオソート〉
      「昴」    関東大震災 〈善逝〉 伐採

 まず、あまり社会的な事件を詩に読みこまない賢治が、〈風はどうどう空で鳴ってゐるし/東京の避難者たちは半分脳膜炎になって/いまでもまいにち遁げて来るのに〉(「宗教風の恋」)、〈東京はいま生きるか死ぬかの堺なのだ〉(「昴」)と、2作で「関東大震災」に触れ、それも被害に深く心を痛めていることがうかがわれます。
 これはまさに挽歌詩群で表明された、〈一人をかなしんではいけない〉ということの、現実の課題となっているのではないでしょうか。
 「風景とオルゴール」の〈(しづまれしづまれ五間森/木をきられてもしづまるのだ)、「昴」の〈山へ行って木をきったものは/どうしても帰るときは肩身がせまい〉という記述、これも、「種山が原の夜」や、「かしはばやしの夜」などに明確に示される、木を切ってはいけない、という賢治の信念ですが、心ならずもそれを通せない現実が少なからず存在したのでしょう。
 16日の日付の4作は、薄明どきの、松倉山周辺の風景が描かれます。
松倉山は、全国に13山あり、岩手県に4山、うち2山が花巻市にあります。登場する〈松倉山〉は志戸平温泉と大沢温泉の間にあり、384mの低山です。地図を見ると、江釣子森山の林道が、山頂から東1kmほど、標高300メートルのところを通過しています(注1)。
 描かれる電車は、花巻と西鉛温泉を結んでいた花巻電気軌道鉛(なまり)線で、大正12年5月には大沢温泉まで開通していました。 
 この日賢治は、豊沢川沿いを歩いて、五間森(ごけんもり)に木を切りに行き、花巻電気軌道の松原駅まで歩きそこから電車で帰花しています (注2)。
 「風の偏倚」は、松倉山付近を過ぎ、道が南に大きくカーブし、志戸平温泉付近を通過するころの様子が描かれています(注2)。
 〈五日の月はさらに小さく副生し〉と記述されるように、その日、月齢は5.5日で、日の入りは17時36分、薄明終了19時16分、月の入り21時36分です(注3)。
 日の入りから薄明までの間の風景が詠まれたと思われます。「風景とオルゴール」では〈六日の月〉とされますが、賢治の意識が、確実な月齢よりは風景や色彩を重視した表現となっているせいかもしれません(注3)。
 

 
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一万の硜花流紋擬灰岩の弾塊があり
川尻断層のときから息を殺してしまってゐて
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる……中略……
 
 この記述は、やはり地震から連想される脅威が心にあったことを表すと思います。〈川尻断層〉は、1896年(明治29年、賢治誕生4日後)秋田、岩手県境で発生した陸羽地震によって生じた和賀郡沢内村(現西和賀町)の川舟断層の誤記のようです(注3)。
 これらの不安、後ろめたさ、恐れが、「十善法語」の教えを思い起こし、または頼り、〈偏倚〉という言葉を選んだのではないかというのは深読みでしょうか。
 
 この詩では、月の表情、雲の描写が細かく、それに付随して、風の描写も精緻です。
 

 
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる……中略……
 
風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある……中略……
 
月あかりがこんなにみちにふると
      まへにはよく硫黄のにほひがのぼつたのだが
      いまはその小さな硫黄の粒も
      風や酸素に溶かされてしまつた)……中略……
 
 〈風と嘆息〉は、風が呼吸するように、吹いたり止んだりすることと思います。風は空の風景だけでなく、歴史をも動かしているのではないか、という思いに駆られ、あるいは、そのような歴史の転換がこの現在の状態をも変えてくれるのかもしれないという想いがあったのでしょうか。
 

 
どうしてどうして松倉山の木は
  ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
  あのごとごといふのがみんなそれだ)
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを超える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊……中略……
 
 松倉山は風に吹きさらされています。今日の伐採のことが心の底にあります。でも帽子は飛ばされることなく、風はかたまりとなって先へ行ったのでしょうか。
 
 ―風が偏倚して過ぎたあとでは―風は一瞬、賢治の前を過ぎ、一面の雲や煩わしい風景を過去のものとしています。ここでは〈偏倚〉は偏るというよりも、一瞬、強く吹いたことを表すのではないでしょうか。文献にあるような否定的な意味をそこには感じられません。賢治は、やはり風を一つの現象として眼の前にある姿をとらえながら、その先に救いや宗教的な意味をもとめていたのかもしれません。
 
注1 HPあかりんの岩手低山奇行
2 栗原敦『宮沢賢治透明な軌道の上から』新宿書房1992
3 HP加倉井厚夫氏「賢治の事務所」

 
「風の偏倚」全文

風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜や
  (虚空は古めかしい月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる
五日の月はさらに小さく副生し
意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲
月の尖端をかすめて過ぎれば
そのまん中の厚いところは黒いのです
風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある
きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ断雲と
星雲のやうにうごかない天盤附属の氷片の雲
  (それはつめたい虹をあげ)
いま硅酸の雲の大部が行き過ぎやうとするために
みちはなんべんもくらくなり
   (月あかりがこんなにみちにふると
    まへにはよく硫黄のにほひがのぼつたのだ  が
    いまはその小さな硫黄の粒も
    風や酸素に溶かされてしまつた)
じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で
月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる
   (山もはやしもけふはひじやうに峻儼だ)
どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく
ひるまのはげしくすさまじい雨が
微塵からなにからすつかりとつてしまつたのだ
月の彎曲の内側から
白いあやしい気体が噴かれ
そのために却つて一きれの雲がとかされて
  (杉の列はみんな黒真珠の保護色)
そらそら、B氏のやつたあの虹の交錯や顫ひと
苹果の未熟なハロウとが
あやしく天を覆ひだす
杉の列には山鳥がいつぱいに潜み
ペガススのあたりに立つてゐた
いま雲は一せいに散兵をしき
極めて堅実にすすんで行く
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一万の硅化流紋凝灰岩の弾塊があり
川尻断層のときから息を殺してまつてゐて
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる
空気の透明度は水よりも強く
松倉山から生えた木は
敬虔に天に祈つてゐる
辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ
  (どうしてどうして松倉山の木は
   ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
   あのごとごといふのがみんなそれだ)
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを超える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊
いまくらくなり電車の単線ばかりまつすぐにのび
 レールとみちの粘土の可塑性
月はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになつてゐる