宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2015年5月下旬
26日
心地よい初夏の空気です。
二杉橋上流では、この時期ほとんど水の流れありません。
ツバメが1羽、2羽、イカルチドリらしいピキッという感じの声、ダイサギが1羽悠然と歩いているだけでした。
今日もホトトギスの声が聞こえます。太平山方面からのようです。
カワラヒワが2羽、珍しく川を渡って飛びました。ペアでしょうか。
赤津川との合流点近くの川岸で、ホオジロより少し細めで、頭部の色が少し白っぽく灰色にみえる鳥を3羽見つけました。図鑑で見るとシラガホオジロにそっくりですが、この場所、この時期にいるはずがないので、ホオジロの幼羽かと思います。
赤津川で、久しぶりにカイツブリの繁殖声を聞きました。姿は見えませんでしたが、もう少ししたら浮巣が見られるかもしれません。
コガモが1羽、川岸の草むらから出てきて一瞬見えなくなりました。渡らなかったのでしょうか。
 
今日は、大岩橋から南側の岸を少し遡ってみました。針葉樹林―植生されたスギ林―、広葉樹林―栽培している栗林―があり、シジュウカラの声がよく響きました。川にはかなり広いヨシ原がありました。もしかしたら、ここにもヨシキリが来るかもしれません。公園と違ってゆっくり見ていられる場所ではないかもしれませんが、ここをフィールドに加えてみようかと思います。
公園内の川にカルガモのペアがひっそりとしていました。もうヒナがどこかにいるのでしょうか。
公園の調整池の排水溝に、石と見まがうウシガエル、かなり大きく、方向を変えるくらいで、ほとんど動きませんでした。
公園全体、草刈りの真っ盛りです。まだ法面は刈られていないのですが、時間の問題かもしれません。合流点近くの浚渫工事は止まること知らずという感じで、このごろ無力感の方が大きく、〈あまり目にしたくない〉と思う日が続きそうです。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、ホトトギス、イカルチドリ、コゲラ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ

 
 
 







風―1922年5月 (2)オキナグサ
  
風はそらを吹き
そのなごりは草をふく

おきなぐさ冠毛の質直(しつぢき)
松とくるみは宙に立ち
  (どこのくるみの木にも
   いまみな金のあかごがぶらさがる)
ああ黒のしやつぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸の雲
 
 5月17日の日付の「おきなぐさ」です。
 冒頭から〈風はそらを吹き/そのなごりは草をふく〉と、風は読む者の眼を上下に、広い空間に向けさせています。賢治も風を追って見ているのだと思います。
 〈質直(しつぢき)〉は地味で生真面目、という意味合いですが、オキナグサの冠毛が〈質直〉だったということは、飛散する前の繊細な糸の様がその時の賢治の眼にはそう映ったのでしょうか。
 また賢治の眼は上方に転じて、クルミやマツを見ています。クルミは〈金のあかご〉をつけ次世代への準備をしています。クルミやマツなどあまり大きくないものが〈宙に立ち〉ということは、賢治は野原に寝転び、下から見上げているのでしょう。
 ここで大きな疑問は〈黒のしやつぽ〉がなぜ〈かなし〉いのか、〈黒のしやつぽ〉とは何かです。5月14日の日付の詩「休息」に〈帽子をとつてなげつければ黒のきのこしやつぽ〉があり、時間的、位置的にも近いので、同じ帽子と見て良いと思います。これは、風景にそぐわない帽子―すなわち自分という繋がりでしょうか。
 賢治は終生帽子を愛用していたようです。よく知られているのは、ベートーヴェンを真似たという写真で着用している、ボーラーハット―山高帽―で盛装用です。これは黒色ですが〈きのこしやつぽ〉とは言えない気がします。2000年7月24日岩手日報記事によると、父政次郎氏が賢治に買い与えたものらしいという茶色のフェルト帽が見つかりましたが、これも山高帽型です。
 佐藤隆房『宮沢賢治素顔のわが友』(冨山房)に出て来る帽子は、麦わら帽子、鉋屑帽子、黒い帽子、パナマの帽子などでした。(ちなみに鉋屑帽子(かんながらぼうし)は鉋屑で編みあげた帽子で、1924年農学校の生徒たちと土質調査に行った時に着用していたとされます。現在も存在するもので、ヒノキなどで編めば心地よい香りに包まれそうです。)
 1922年当時、あるいは賢治は身だしなみを意識して黒いお洒落な帽子を着用して野原を歩き、この帽子の違和感を持ち始めたのかもしれません。〈かなしさ〉という言葉は、賢治のそんな心の動きを表現しようとしたものでしょうか。
 空の底に横たわった賢治は、その帽子とオキナグサを一つの絵として捉えて後、そのまま眼を空に向けます。ここでも手元の〈黒のしやつぽ〉から上方の〈雲〉への視線の変化があります。
 〈光酸〉という語は、管見した限りではみつかりませんでしたが、『標準化学用語辞典』(丸善 1991)によると〈光酸化〉は「光の吸収によって起こる酸化反応の総称。光を吸収した物質の酸化から光励起種が酸性物質を活性化して起こす酸化までを含む」とあり、他の辞典で光による退色等も含むとあります。賢治が何を意図して〈光酸〉という語を使ったかは不明ですが、雲が太陽光によって、化学変化を起こしたような色彩に変化していることだと思います。
 同じような感覚の言葉として翌日18日の日付の「真空溶媒」(『春と修羅』)、に〈こここそわびしい雲の焼け野原/風のヂグザグや黄いろの渦/そらがせわしくひるがへる/なんといふとげとげしたさびしさだ〉、では風の形容にからませながら雲の様子を記述しています。
 童話「おきなぐさ」で、オキナグサのみつめる雲の姿を思い出します。そこでは、雲は切れ切れに飛ぶのですが、〈山脈の雪はまっ白に燃え、眼の前の野原は黄いろや茶の縞になってあちこち堀り起された畑は鳶いろの四角なきれをあてたやうに見えたりしました。/ おきなぐさはその変幻の光の奇術の中で夢よりもしづかに話しました。〉と、雲によって変化するのは地上の風景です。〈風〉を視覚から描くとき、多くの場合、雲の描写でした。
 
かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子
 
 同じ日付の「かはばた」です。
 カッコでくくられた(われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)は、過去の事実か心象風景です。童話「おきなぐさ」には〈小岩井の野原には牧草や燕麦がきんきん光って居りました。〉とあり、燕麦はこの時期には成長しています。
  〈せきばらひ〉は誰でしょうか。風の音とも考えられますが、あるいは人恋しく、風の音が咳払いに聞こえたのでしょうか。
 「鈴谷平原」(一九二三、八、七)にも同じような表現がありました。この時は〈サガレンの古くからの誰かだ〉とそこの歴史のことを考えています。
 風の音のなかに潜むものまでを聴きとれる、静寂の中で、〈伴奏をつゞけ〉るオキナグサとは、そろって風に揺れている姿の形容です。あるいは賢治はそこから何か音を聞き取っているのかもしれません。
 賢治は本質的に子どもが好きだったのだと思います。詩の中の多くの場合、肯定的な暖かな眼が注がれています。ここで子どもは光に包まれていました。
 風と光と雲と、切り取られた風景の中で、輝いています。
 
 童話「おきなぐさ」の一節に、〈それから二ヶ月めでした。私は御明神へ行く途中もう一ぺんそこへ寄ったのでした。〉がありました。〈御明神〉は、現在、岩手県岩手郡雫石町の御明神、上野、橋場一体で、昭和30年まで、御明神村でした。
 そして、そこには盛岡高等農林学校付属の演習林と経済農場があり、果樹や畜産、林業の実習教育が行われ、賢治も実習のためたびたび通っていました。当時の交通手段は全て徒歩で、賢治が周辺の風景や植物や鉱物を、心の糧として蓄積して行ったことは想像できます。
 短歌でも、オキナグサは大正4年〜6年、歌稿AB234、321、453、504、と4回読まれています。主に群れ咲く花の風景ですが、453は、〈ベムベロ〉という呼び方への賛歌で、504は冠毛の飛散の美しさが詠まれていて、オキナグサへの想いが次第に醸成して行ったことが感じられます。                     
 「おきなぐさ」、「かはばた」の2作には、トシの死という不幸に見舞われる以前、賢治がひたすら、風や雲や光の中に心象を溶け込ませた時代を感じることができます。
次回は、小岩井農場を舞台にした風について考えます。

参考 雫石観光協会HP


 







永野川2015年5月中旬
18日
 午後は雨の予報ですが、日差しはありまずまずのお天気です。
 二杉橋から遡り、第五小近くで、まずアオサギ1羽、ウグイスの警戒声、ツバメ1羽、ハクセキレイ1羽が中洲で動く程度、川の水が減って、少し淋しい風景です。
  公園に入るとヤナギの大木あたりで、今季初めてシュレーゲルアマガエルの声がしました。昨年の今頃の探鳥会で教えてもらった声です。
 中洲で、コチドリ一羽、はっきりしたアイリングと、微妙に黒い尾の先です。このあたりはイカルチドリのみか、と思ってよく観察しませんでしたが、季節にはやはり来ているのですね。
 カルガモのペア、これが今日初めてのカルガモです。いつも思うのですが、カルガモやバンやカイツブリが、一斉にいなくなることがあるような気がしますが一体どこに行ってしまうのでしょう。
 森の方で、ホトトギスの声がしました、今季初めてです。
 キリギリスがもう鳴きはじめ、季節がどんどん変わって行きます。
 公園でユリノキが花をつけました。クリームとオレンジのグラデーションがきれいです。
 川岸でノバラが目立ちます。とくに大岩橋上の河川敷は株があちこちにあります。これもブルドーザーにもめげず再生した花です。
 この前疑問だった法面の植物は、やはりヒメジョオンのようです。まだ開かない蕾のさきが白く、茎は充実しています。
 永野川岸でウルシが白い花をつけていました。何回も見た木ですが、花に気づいたのは初めてで、ウルシというイメージから離れて可憐でした。
 鳥の少ない時期になりましたが、一つの発見を目指してがんばりたいと思います。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、ホトトギス、コチドリ、コゲラ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ

 
 
 







永野川2015年5月上旬
8日
 公園も河川敷もハリエンジュが花をたくさんつけました。ヨシも50cmくらいになり、オドリコソウの群落は見えなくなりました。
 土手の法面には、ハナウド、棘のある蔓性のハート形の葉をつけたもの、ハルジオンに似てまだ花のつかない物、など多様です。
 芝生の除草剤撒きが始まっていました。芝生は発芽抑制剤を蒔くのかと思っていましたが、芝生に混じったアカツメクサなどが立ち枯れていました。大変見た目が悪くなっています。
 また注意書きを出してはいますが、〈立ち入りはご遠慮ください〉〈ご協力をお願いします。〉という義務的な感じで、危険性なども書かれていませんし、綱も張っていませんから子供は入ってしまうと思います。
 ヒヨドリがめっきり減り、時々ペアまたは一羽で飛んでいます。
 新井町で、ヒバリに似た声が低い位置で聞こえ、何かと思っていると、やはり低木に留ったモズの鳴き真似でした。この辺で、聞いたことの無い可愛い声、と思うと、ほとんどがモズです。
 パソコンに不具合があり、他の部分は何とか復元できましたが、今日の分は記憶に頼るのみになりました。鳥のリストは、メモが残っていました。次の通りです。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、イカルチドリ、トビ1、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ、アオジ
 

 







風―1922年5月 (1)雲と風と
 
『春と修羅』に収録された〈風〉という語を含む詩のなかで、1922年5月の発想日付を持つものが6篇あります。この1カ月間に、微妙に推移する心を読んでみたいと思います。
 
(1)雲と風と
 
あゝいゝな、せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
  そのとき雲の信号は
  もう青白い春の
  禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
 
  5月10日の日付を持つ「 雲の信号」です。
冒頭〈あゝいゝな、せいせいするな〉を受けて〈風が吹くし/農具はぴかぴか光つてゐるし〉と続き、風は〈いゝ〉ことの事の第一条件です。
山々も歴史のはじまる以前と同じ姿で静まっています。
〈雲の信号〉は作者に何を伝えていたのでしょう。
〈禁欲〉を常に自分に課していた賢治にとって、春、生命の躍動の季節は、辛いものでもあったと思います。〈雲〉は後まで、生々しく性への想いを誘い、賢治に結婚を迫る、という存在だったことを考えると、この〈信号〉もそのような誘惑、あるいはもっと自分を自由にせよ、という呼びかけだったのかもしれません。夜、四本杉に来る鳥には、生物としてありのままに生きているものを感じ、少し救われているのかもしれません。
  大正11年当時、現在の花巻文化会館付近が花巻農学校の敷地と決まり、職員と生徒は、毎日その開墾、整地作業に追われたそうです。〈四本杉〉はその近く、現在の市立花巻中学校北側に、昭和52年に落雷のあと伐採されるまで実在した樹齢300年を超える四本立ちの杉でした。当時の地理、賢治の生活を推測できます。
  農作業の後の清々しさを、まず〈風〉で感じます。そして、風の力は、自身の葛藤をも、さらりとした表現にしてしまうのかもしれません。
 
雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
 さつきはすなつちに厩肥をまぶし
   (いま青ガラスの模型の底になつてゐる)
ひばりのダムダム弾がいきなりそらに飛びだせば
  風は青い喪神をふき
  黄金の草 ゆするゆする
    雲はたよりないカルボン酸
    さくらが日に光るのはゐなか風だ
 
 5月12日の日付を持つ「風景」です。
「雲の信号」よりも少し春のうるんだ空気が感じられる詩です。〈また風が来てくさを吹けば/截られたたらの木もふるふ〉と、風はそんな風景を揺らしていきます。
「 雲の信号」と同様、開墾作業で〈さつきはすなつちに厩肥をまぶし〉、疲れが増しているようです。〈気圏の底〉とも表現した周囲の空気は、閉ざされた〈青ガラスの模型の底〉のようで、作者は〈青い喪神〉そのものです。   風は何回もやってきます。
  カルボン酸は少なくとも一つのカルボキシ基をもつ有機酸で、無色あるいは白色の結晶または液体です。蟻が生合成するギ酸、食酢の酸味成分である酢酸などがあります。
  ギ酸は家畜用飼料の防腐剤や抗菌剤、養鶏業ではサルモネラ菌防除、養蜂業ではダニ殺虫剤として用いる場合があり、農業と深く関わっているもので賢治にとって身近なものだったのでしょうが、ここではその意味ではなく、その〈酸
の匂い、色、効果などを、春の雲の喩としたものでしょうか。
  〈さくら〉も賢治にとって性の象徴と言われます。雲とさくらの風景は、一層揺れ動く心を表すようですが、〈たよりないカルボン酸〉の雲は、「雲の信号」の場合のように、はっきりとした賢治の躍動する心への応援のメッセージは無かったのかもしれません。
   疲れて、明確なときめきを感じられなかった賢治に、雲と桜の風景は漠然としたわだかまりのようにせまっていました。
  冒頭に〈雲はたよりないカルボン酸/さくらは咲いて日にひかり〉を、末尾に〈雲はたよりないカルボン酸/さくらが日に光るのはゐなか風だ〉を置いて、一つの心情と風景を切り取って描いているように思います。 
  2作とも、風は生活に密着し、そして賢治の心の周辺を吹きます。以下次回に続きます。