宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川ビギナー探鳥会のお知らせ・永野川2014年12月上旬
永野川ビギナー探鳥会
日 時  12月13日(土) 9時集合 12時解散
場 所  栃木市岩出町 永野川緑地公園西駐車場
見どころ 初心者向け、カワセミ、セキレイ類など水辺の 鳥のほかツグミ、ジョウビタキなどに冬鳥。
今年はカラ類、シメが多く、楽しめそうです。
双眼鏡の貸し出しあり。
 
 10日午後
日差しは薄く温度も低かったのですが、風がほとんどないので楽でした。
カルガモは、赤津川との合流点近くの31羽を始めとして、あちこちで群れとなっています。あとは多かったのが二杉橋下流で21羽でした。ここではコガモ8羽見られ、赤津川の1羽単独のものと合わせて9羽でした。
赤津川では、バンも1羽、2羽と姿を見せ、カイツブリも冬羽で登場しました。
 スズメが50羽単位の群れが2か所、100羽単位の群れ一か所、あとは10羽単位だあちこちで動きます。空き地の草―セイタカアワダチソウやイネ科の雑草が実をつけていて、そこから群れをなして飛び立ちます。
滝沢ハムの草地でジョウビタキ、シメ、声はたくさんしますが、現れたのはこれだけでした。
 公園内のハリエンジュでカラ類がにぎやかです。シジュウカラ、コゲラのみ確認でしたが、動きが速くて賑やかです。
大岩橋上の河川敷林で、カシラダカまず2羽、木の梢で今季初確認です。なぜかホッとします。ミニゴルフ場の近くまで行くと、そこにも2羽、声はもっとするようです。
 そして、シメが一緒に3羽留っていました。ここではしばらくぶりのことです。以前、「シメのアパートのよう!」と喜んで下さった方もいらしたのですが、ここしばらくは、1、2羽でした。そのほか公園の川岸でも1羽、2羽と枝を渡っていました。
 調整池のヒドリガモは28羽になりました。今までで最大です。何が原因で増えたり減ったりするのでしょう。カワウが1羽飛びこんで仲間入りしました。
 カワラヒワも10羽単位の群れで飛びました。
 中洲では、セキレイも数を増し、イソシギ、イカルチドリもやって来ました。
 ヒヨドリも騒がしいほどに飛び、とても数えられません。
 風景は一段と冬の色を増すなか、鳥たちの動きが色を織りこんでいるような気がします。声の賑やかさもそれを増幅しているようです。
 
 
鳥リスト
キジ、カイツブリ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、イソシギ、イカルチドリ、キジバト、カワウ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、モズ、カワセミ、コゲラ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、シジュウカラ、ウグイス、ツグミ、スズメ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ

 
 
 
 







永野川、2014年11月下旬
 
28日
  雨の日に挟まれて、ようやく太陽が少し見えました。
おそらく明日も雨なので、出先から廻り、赤津川から下ることにしました。
カルガモ、コガモが小さな群れを作り、川岸で丸くなっている場面にたくさん出会いました。
  そして周囲でなんとなく鳥の声がしています。カワラヒワが一瞬黄色い羽を閃かせて5、6羽で飛んだり、ホオジロが川を渡って向こう岸に飛んだり、カワセミの声も一瞬聞こえます。
  泉川町の川の堰で久しぶりにイソシギも見ました。
  公園に近づくと、まずシメがクワの大木の梢に止り、やはりいろいろな声が聞こえます。滝沢ハムの草地で待つとヒヨドリが飛び、キジバトが飛び、ホオジロが来て梢に留ったり、アオサギが電柱の上に留っていたり、にぎやかです。ジョウビタキの声も聞こえました。
  公園内の、大岩橋近くのトチやハリエンジュの大木が残されているところで、一瞬赤い色が目に飛び込んできました。何とアカゲラです。コゲラのように幹を廻りながら数分留まってくれました。お腹の赤が深紅ではなく少し薄く、緋色がかっているのも初めて知りました。帰って図鑑で見ると、全体に白い部分が多く、♀だったのかもしれません。
  他の地区では珍しいものではないかもしれないのですが、ここでは探鳥を始めて16年あまり立ちますが、2度目です。今も来ていたことに感動しました。やはりここはよい探鳥地ではないでしょうか。同じ個体だと思いますが、十数分後、公園中央のヤナギの大木でも見ることができました。
  公園にはシメが多くて、あちこちで独特の鳴き声がして5羽確認できました。
  公園の調整池では東と西合わせてヒドリガモは18羽に増えていました。マガモの姿はありませんでした。
  高橋の近く、
鳥の声につられて見ると民家の中に広葉樹の大木で、シジュウカラ、コゲラ、エナガに交じって、ここでは珍しいヤマガラが見えました。動きが速いので、数を確認するのは難しかったのですが、2羽はいたと思います。先週と同様にカケスの声も聞こえました。
 睦橋の下流で、セグロセキレイに交じってキセキレイが2羽、これもここでは珍しいことです。しばらく飛び去らず川岸の水辺を走っていました。
 滅多にいない、アカゲラ、ヤマガラ、キセキレイをまとめて見られ、お天気を心配していましたが、今日出かけて良かったと思います。
 こんなにたくさんの鳥たちの来る場所を、大切にしたい、どうやったらいいのか、考えていかねばならなりません。
 山々も本格的に色づいてきました。このあたりは深紅のものは少ないのです が、オレンジから黄色までのグラデーションが美しく暖かな空気を送ってくれました。
 
鳥リスト
キジ、カイツブリ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ダイサギ、イソシギ、キジバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、モズ、カワセミ、アカゲラ、コゲラ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、ウグイス、ツグミ、スズメ、カケス、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、ホオジロ

 
 







永野川 2014年11月上旬 ・中旬
(今月から、永野川の記録を10日に1度、更新したいと思います。今回は上旬と中旬を載せます。)
 
 
8日
  薄晴れでしたが、気持ちのよいお天気です。二杉橋から入ってみました。
二杉橋下流に、カルガモ44羽と、コガモが9羽、集まっていました。いよいよ冬カモのシーズンです。
  そこにダイサギ11羽の群れが北に向けて飛びました。ここはサギ類の多い所ですが、ダイサギの群れを見たのは初めてです。
  水量も減ってきたので、セグロセキレイがたくさんいます。
  公園の土手上のサクラにシジュウカラの声とともに、エナガが6羽、コゲラ1羽が現れ、シメも混じっていました。シメはその後公園内の草むらや雑木を飛んで、4羽確認できました。
  そして同じ木の上部にツグミ、今年初確認です。しばらくして、公園の中の川を横切って3羽確認できました。
  調整池にヒドリガモのペア一組、こちらも今季初確認です。冬鳥のオンパレードです。反対側の池にここでは珍しくカワセミも一瞬飛びました。
  大岩橋上流の山林でカケスの声、確かに3羽は動きました。
  山裾で、聞いたことのないけたたましい声がして、そのうち聞き慣れたコジュケイの声になり、褐色の2羽が争いながら行ったり来たりしているのが見えました。しばらく、けたたましい声とコジュケイの声を繰り返していましたが、今の時期、ここでも生息しているのが分かり、嬉しい限りでした。
  滝沢ハムの敷地の大木に、今日はダイサギ4羽がとまっていました。ここはサギたちの休憩地か、他の種類のサギもみかけます。
赤津川で、バンが2羽、向かい合ってじっとしていました。初めて見る光景です。繁殖期ではないのでしょうけれど。
  永野川高橋付近で、ウグイスの地鳴き、2、3声でしたが、これも今季初です。
  二杉橋に戻ると、先ほどのカルガモ、コガモの群れの中に、マガモの♂1羽、混じっていました。ここではマガモは少なく、いても1羽です。
  またカルガモ風の嘴で、胸が黄色っぽいもの1羽、これも年1度ほど1羽来ます。交雑種と思うのですが、図鑑のマガモとカルガモの交雑種とは違うようです。
  何とか、お天気も持ち急に増えて来た冬鳥たちに会え幸せな探鳥でした。
 
鳥リスト
コジュケイ、カイツブリ、カルガモ、コガモ、マガモ、交雑カモ、ヒドリガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、キジバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、モズ、オオタカ、カワセミ、ヒヨドリ、シジュウカラ、エナガ、ウグイス、ムクドリ、ツグミ、スズメ、カケス、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、ホオジロ
 
永野川 2014年11月中旬 

21日
  風邪をひいてしまい、中旬には行けませんでした。暖かかったので11時半ころから、出先から廻り、赤津川上流から下ってきました。
  まだ双眼鏡をセットできないうちに、カワセミ1羽、川岸にとまり、すぐ川下に向かって飛びました。その後会えるかと思っていましたが駄目でした。遥か遅れて、二杉橋付近で声のみ聞きましたが違う個体だと思います。
  泉川町まで下ってきたところで、田にケリ4羽、今季初めてです。羽を広げると白さが目立ちます。
  近くに、頭が黒く胸がエメラルドグリーンに輝くようなハト1羽、図鑑で調べたのですが、やはりドバトの青系のものの変色だったようです。
  滝沢ハムの草地では、しきりにチッチという声や、動き感じられるのですが、見つけることができたのはホオジロ♀と、ジョウビタキ♂のみでした。
  公園の調整池には、ヒドリガモが10羽揃いました。今度はそこにマガモの♂1羽が加わりました。いつもはカルガモと居ることが多いのですが。
  コガモも、二杉橋下の岸に16羽が固まっていました。ここは第五小近くですが、意外と鳥が多いのです。ウグイスの地鳴き、シジュウカラ2羽、カワセミの声も聞こえました。このあたりの川岸は比較的手が入っていないせいかもしれません。
  カケスは、大岩橋上の山林で盛んに声がし、また上人橋から睦橋の間の、大木でも姿が見え隠れしていました。また姿をはっきり見ることができますように。
 
  公園の法面は、やはり刈られてしまいました。少し高刈りのようにも見え、考慮されているのかとも思いますが、単に刈りにくかっただけかもしれません。9月中に刈り、有害な雑草の除去をやって、その後は刈らない方がよい塒ができたのではないかと思いますが、いまだにそんな指針も規制もないのでしょうか。川沿いの草地だけが頼りになってしまいました。
  ツグミやシメも元気で、あとは、アオジ、カシラダカやオオジュリンを待つばかり、そしてもしかしたら、ベニマシコも来るかもしれません。
  今日はカラスも多かったのですが、スズメが20羽単位であちこちで群れ、暖かな日差しの中で豊かな気分の探鳥でした。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、ケリ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、モズ、カワセミ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、シジュウカラ、ウグイス、ツグミ、スズメ、カケス、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、ホオジロ

 
 
 
 
 

 







宮沢賢治の直喩T 『春と修羅』、「小岩井農場」を中心に―人間への思い―
  この稿は、2014年9月23日の宮沢賢治学会イーハトーブセンター研究発表会(花巻市)での発表原稿を、会場でご教示いただいた点などを訂正し、加筆して、まとめたものです。
  多くの問題を抱えるこのタイトルの、序章としたいと思います。
  
一、直喩について 
直喩の認定
  以下、言語学上の事項の典拠を国語学会編『国語学大辞典』(1979東京堂出版)とする。
  比喩(ある表現対象を他の事柄を表す言葉をもちいて効果的に表そうとする表現方法)には、直喩、暗喩、諷喩、提愉、換愉等がある。
直喩とは、喩えられる対象を(本義)と喩える言葉を(喩義)を、はっきりと区別して〈ようだ〉、〈如し〉などの説明語句をもちいて喩えを喩えとして明示する方法で、〈まるで〉〈あたかも〉などの副詞を関することができるものである。以下喩えられる対象を本義と呼び、喩える言葉を喩義と呼ぶ。
  賢治の場合、〈まるで〉を使って、〈ようだ〉等の説明語句を省略する場合がある。
本義と喩義の類似性
  直喩は、本義と喩義の類似性によって成り立つが、その類似性が常識的な意味合いを越えたところに文学的な独自性が生まれ、読み手の受け取りかたで、その評価は決まる。また類似性にとどまらず、象徴の域にまで高めることもできる。賢治の直喩は、言葉の含む意味の多様性を使ってそれを実現している。この問題については、次稿で詳考したい。
直喩と感覚
  直喩は作者の五感―視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚(体感も含める)、からの刺激、感情からの影響などによって生まれる。
  また共感覚を基として、二つの感覚にわたるもの、感覚で感情を表現するものがある。このことについても次稿で詳考したい。
〈心象スケッチ〉のなかで表現という意識はいかに働くか。あえて直喩を検討する意味は何か。
  直喩は喩義と本義が明示されるので表現者の意識を確実に知ることができるが、逆に無意識に使われる場合も多く、表現者の心に潜むものも知ることができる。
  加えて賢治が〈心象スケッチ〉とした詩で、直喩をいかに表現法として活用しいていたかを考えたい。
 
二、『春と修羅』における直喩
○『春と修羅』に登場する直喩は圧倒的に視覚からの刺激によるものが多い。
○喩義はほとんどが一文節で長くても三文節である。
○人の属性、職業を喩義とすることが3例ある。今回参照した「春と修羅第二集」、北原白秋『東京景物詩及其他』、萩原朔太郎『月に吠える』、草野心平『第百階級』には見いだせなかった。
○人を本義とする例が多い。
『春と修羅』では、妹トシの死を題材にした挽歌群があり、人間の内面の追及と、妹への追慕の気持ちの記述が多く、人への直喩が多いのはそのためで、24例中15例がここにある。
単純に同じものとして比べるのは難点があるが、それに次いで多いのが「小岩井農場」である。
以上の点で『春と修羅』と「小岩井農場」の直喩を同傾向にあると仮定し、「小岩井農場」を中心に検討し、『春と修羅』の特性を理解したい。
 
三、作品に即して考える
  「小岩井農場」では、そこにある現実の風景、自己の内面、さらには幻想の世界、と重層的に重なり直喩は変化して行く。前記『春と修羅』における特性とともに列記すると、次の特性があった。
 
1、本義を人とする場合が多い。
2、〈記憶〉、〈忘れた〉など人の営み、〈歩測〉等の動作、特に学生・教師としての賢治の体験を感じる言葉を、喩義として使うことが多い。
4、動作による直喩では、速度によって感情を表現して効果的である。
5、上記とも関連するが、鉱物、金属など具体的な物質を人、感情の喩義に使う。
6、現実の風景の描写では、鳥、特に雲雀の直喩が多く、季節感、作者の自然への対し方を感じさせる。
7、幻視への直喩は作者の心―憧れや崇拝の念―を映し出すものである。
以下作品に沿って検討する。
なお、問題がない限り引用文のルビを省略する。
 
1、本義を人とする場合。
1―1紳士 
 
わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
けれどももつとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖たひとだ
あのオリーブのせびろなどは
そつくりをとなしい農学士だ
 
(中略)
 
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ(後略)
 
  パート一に登場する紳士、〈化学の並川さんによく肖たひと〉は、宮沢家本では〈化学の古川さん〉に訂正されている。〈古川さん〉は盛岡高等農林学校教授古川仲右衛門(明治11年〜昭和36年)と推定される。出版時には、現存人物の名前を避けていた結果と思われる。
  古川は、大正3年から10年まで在職し、担当科目は、土壌、肥料、化学、分析化学、同実験、食品化学、農学大意だった。
  大正4年〜7年に在校した賢治は、指導を受け、得業論文の終りに古川の名前をあげて次のような謝辞を述べている。(注1)
  〈終リニ臨ミテ本論ヲ草スルニ際シ、終始指導ノ労ヲ執ラレタル古川教授、並ビニ多クノ注意ヲ賜ハリタル関教授ニ深謝ス。〉
  この詩のほかに、歌稿A546に〈ゆがみたる青ぞらの辺に仕事着の古川さんはたばこふかせり〉(歌稿B〈ゆがみたる蒸溜瓶の青ぞらに黒田博士はたばこふかせり〉)がある。
  古川は大正10年同校を退職して大垣に帰り、サツマイモからのアルコールの抽出などの実験、トマトの栽培の普及、電線の敷設や、医師の招聘、土壌調査、天然ガスの採掘など、農村振興に寄与した(注2)。在任中からの姿勢も同様であれば、賢治のその後の農業への姿勢は、古川の教育の影響とも言える。
  盛岡駅で乗車した時からその紳士のことは気になっていたが、小岩井駅で下車した時、〈黒塗りのすてきな馬車〉に一人乗って先に行ってしまった。恩師への敬意やよい思い出があり、もしかしたら乗せてくれるか、という期待を抱いたのかもしれない。
  一人、馬車に乗って行く紳士が、馬車が揺れるので体が跳ね上がる危うさの形容である。〈青ぐろいふち〉は深い水をたたえた淵とおもわれる。
 「あおぐろい」の表記は5種ある。
 詩では、全14例、青黝い1例(「冬のスケッチ第三九葉」)、蒼黝い1例(「東京」)、蒼ぐろい1例(「春光呪阻」)、青ぐろい4例(小岩井農場2例、〔地蔵堂の五本の巨杉が〕、「法印の孫娘」)、青黒い7例(小岩井農場2例、〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕、「山火」、「憎むべき「隈」弁当を食ふ」、「病」、〔朝は北海道の拓植博覧会へ送るとて〕)である。表記による内容の厳密な区別はないようだが、山火」、「〔朝は北海道の拓植博覧会へ送るとて〕をのぞいては、すべて心の描写か、心を通して描いた事象である。(注3)
  概して、『春と修羅』、冬のスケッチなど、初期と言える作品に7例が集中している。
  「小岩井農場」には、表記は2通り、4例も使われる。
童話での例では、暮れかかった空や深い水の色を表すことが多く、不安を感じさせるものとして描かれている。(注4)
 〈黝〉は、『大鉱物学中巻』佐藤傳蔵(1915 六盟館)によると、本来金属色で英語ではGrayである。steal gray は、鋼鉄の新鮮なるものとある。〈青黝い〉は灰色がかって、なおかつ暗い青、ということであろう。
  同書は、賢治在学中、盛岡高等農林学校に蔵書があり、賢治も手に取っていた可能性があり、平仮名表記の中には、〈黝〉を意識していたものもあるかもしれない。
  この場合、〈青ぐろい〉は、対象を見て使った形容ではない。深い淵を意味し、危険性・不安定な状態という類似で繋がっている直喩である。
  〈このひとはもうよほど世間をわた〉っているので、〈すましてこしかけてゐる〉という言葉は、感じないのか、という揶揄にも聞こえるが、この紳士への思いが、恩師〈古川さん〉に重なっているとすれば、危険をものともしないのか、という、尊敬の念なのだろうか。
  パート2では、遥かかなたに去った馬車の航跡を何時までも気に掛け、〈しかし馬車もはやいといったところで/そんなにすてきなわけではない〉と言う少し負け惜しみのような言葉。パート4では〈さつきの光沢消しの立派の馬車は/いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。〉〈忘れたやうに〉という比喩は、忘れることなく、パート1で現れた馬車が心のどこかでずっと思っていることの表れである。
  恩師に似た紳士への印象は、この詩の成り立ちと深く関わっていると思われるが、その想いは何だろうか。
 
1―2農夫
農夫1
   第五、第六綴では、賢治は歩きながら農学校の同僚堀籠との、職場や、かつて列車に乗り合わせたときの心の行き違いを考え続けている。
  そこで時間を訪ねた農夫の言葉は〈オペラのやうに〉荘重で、〈彫像のやうに〉静かでゆっくりである。
  非人間的なものに喩えているが、オペラも彫像も、周囲の風景には溶け込で、〈しづかにこっちを見やりながら/正しくみんな行きすぎ〉端正で〈希臘彫刻〉を感じさせる好ましい存在であった事を感じさせる。これは賢治自身の心の平明さを物語るものであろう。日の光は静かであることを書き添える。
  ちなみに第二集では、「発動機船第二」において、見知らぬ船上の人を木彫り、石彫と喩えている。

農夫2
  パート七は雨の中を歩き、そろそろ引き返すかと思い迷いながら歩くなかで多くの人間が登場する。
  〈まるで行きつかれたたび人だ〉は、年とった農夫の動きの速度についての直喩である。その後の記述からても疲れた感じは少ない。
〈博物館の能面にも出てゐるし/どこかに鷹のきもちもある〉という形容は、無表情で厳しい感じのなかに、賢治は好ましい感情も含ませている。

農夫3
   同じくパート七で、〈まつ赤になつて石臼のやうに笑ふ〉のは若い粗野な農夫の直喩である。
 〈臼〉の実際の機能や堅さや色や用途ではなく、大きさ、強さ、田舎の象徴に使う。
  同時にけらを来た若い女性はその愛らしさを暗喩〈Miss Robin〉、農夫のいでたちを〈農夫は富士見の飛脚のやう〉と例える。
  雨の農場の風景を中心として多様な人間が描かれ、それぞれの人間にそれぞれの比喩で飾られる。
 
2、喩義が職業であるとき
2―1飛脚
  パート7の一連の農夫の形容の中の一つで、〈農夫は富士見の飛脚のやうに/笠をかしげて立って待ち/白い手甲さへはめてゐると農夫のいでたちの直喩である。
  歌川広重、保栄堂版東海道五十三次「平塚縄手道」には富士を遠望して行く飛脚が描かれるが、衣服はつけておらず、もちろん笠、手甲はない。飛脚という職業からの比喩で、きちんとした身支度の直喩であろう。

2―2林務官
  パート4では〈冬きた時〉―「屈折率」「くらかけの雪」の発想された1922年1月6日の記憶―子どもの嘲笑や雪の中の彷徨、黒いコートの男―が蘇り、詩は心の内面へと向かう。
  交互して描かれる現実の牧場の風景は、耕された〈キルギス式の耕地〉やヒバリ、キジと明るい。少し明るさを取り戻した作者は〈きままな林務官のやうに/五月のきんいろの外光のなかで/口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか〉という。
  林務官は、農商務省が国有林の管理のために設置した林区署に配置された職員で明治23年、大正12年の発布の刑事訴訟法で、ともに司法警察県も与えられていた。
 〈森の中で権力をもつもの〉としての意味、同時にアウトサイダーの気楽さ、の意味を込めた直喩で、自分も少し春を満喫し、自己解放を試みようとしている。
  以上は職業―人間の属性―に一つの性格を見出し、それを自分への喩義に使っているもので、ある。
  この詩の中で〈冬きた〉と記される時の詩、「屈折率」の比喩〈郵便脚夫のやうに〉、〈アラヂンランプ取り〉も人間や職業に関するものであることは注目できる。
  自分への喩義が、職業であるということは、賢治が自分の職業について何らかの思いを、抱いていた、ということではないだろうか。
 
3、人の行為などを作者の喩義に使う。
3―1〈歩測のときのやう〉
  パート一で、駅付近の風景や温泉に行く人々などとは別方向に歩きだすことを、歩測―一定の歩幅で歩いてその歩数で距離を測ること―に喩える。同じ姿勢で正確な歩幅で歩くことの直喩で、風景を次々後にして行く姿が補足される。
  これも、詩の中に一貫している、人間への関心だったようにも思える。何の関係もない人々ではあっても一抹の孤独を感じ、それを振り切っている。

3―2〈忘れたやうに〉
  パート4に冒頭に、パート1で描かれた、作者を置き去りにするように紳士を載せて行った馬車が、また思いだされる。
〈さつきの光沢消しの立派の馬車は/いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。〉
 〈忘れたやうに〉という比喩は、作者の心の中で、忘れることなく、馬車が心のどこかでずっと思っていることの強調であろう。本来なら〈忘れられたやうに〉というべきところを、〈忘れたやうに〉というのは、思っている相手―紳士が、作者や過ぎた時間のことなど忘れた、という意味なのかもしれない。
3―3〈記憶のやうに〉
  同じくパート4の最終章では、〈むら気な四本の桜も/記憶のやうにとほざかる〉は〈記憶〉という人間の行為に属する言葉を、風景の喩義に使う。
本当は、遠ざかる記憶について書こうとして、〈風景のように遠ざかる記憶〉なのではないか。この記述によって、風景にまぎれて行く、サクラに象徴される重い記憶を一層鮮明にしているように思える。
 
4鉱物、金属、光を人、感情の喩義に使う。
4―1磁石
  パート四で、〈林務官のやうにきままに〉歩けるやうになった作者は、農学校の授業での液肥運びを思い起こす。太陽の恵みを受けた、大切な液肥は〈磁石のやうに〉迅速に確実に人から人へと移って行った。磁石との類似性は、早さ、確実さ、仕事の見事さであろう。ここでは自分の職業への誇りの部分を感じさせる直喩である。
 
4―2銅版
  パート九で、幻視に心を奪われている自分への直喩で、〈…さっきからの考えやうが/銅版のやうなのに気づかないか〉という。
 〈銅版〉は印刷技法のひとつ、銅板の表面を凹版にしてインクを流して印刷する方法で、直接画像を描くエングレービング、ドライポイント、メゾチメントなどと、防食剤をコーティングした銅板に酸を使って描くエッチングがある。エッチングは薬剤の調節により一層精密な線を描くことができる。
わが国の銅版画の始まりは近世初頭キリシタンによる彫刻銅版画だった。
日本で最初の銅版画(エッチング)家は司馬江漢(1747〜1811)で、1783(天明3)年に「三囲景図(みめぐりけいず)」の制作に成功した。これは色彩が施された美しいものである。
  流れをつぐ亜欧堂田善(1748〜1822)の「銅版画東都名所図」、「コロンブス謁見図」、「江戸名所」なども彩色画として流布した。
  明治期には、銅版画家ハインリッヒ、フォーゲラーへの関心が高かった白樺派同人が、文芸誌『白樺』(1910〜1923)の創刊間もないころからその銅版画を表紙絵として使った。
  賢治がこれらを眼にした可能性は高いが特定はできない。これらの絵画は美しく〈銅版のやうな〉〈考えよう〉とは結びつかない気がする。
  賢治の時代は、銅版画と言えばエッチングが主流であったと思われ、前述の絵画は別として、一般にエッチングによる銅版画は無彩色で精密なものが多いという。
  幻視の世界に心奪われている不自由さ、を表そうとしているとすれば、あるいは銅版原版そのものの暗さ、硬さを指すのか、細密な絵画を見るような息詰まりそうな思いを描こうとしたのか、宗教画の内容の発想の不自由さをいうのか、さらなる検討が必要である。
 
4―3〈烈しい白びかりのやうなものを…どしゃどしゃ投げつけてばかり居る〉
  第五綴で、心ならずも攻撃してしまう同僚〈堀籠〉への言葉の形容で、冷たさ、激しさの直喩である。
  それに対して、堀籠への直喩、〈 つめたい天の銀盤を喪神のやうに望んでゐた。〉は作者の激しさと対極的なものとなっている。
 
4―4〈かたなのやうにつきすすみ〉
  パート四で、青葉を茂らせ始めているサクラにも〈鴇いろ〉の幽霊―性的な葛藤―を見るが、その自身の内面を振り切るよう歩むことの直喩でる。
  〈かたな〉の形状、切るものとしての役割を介して、心象のなかの人間の行為の形容である。〈さびしい反照の偏光を截れ〉を導き出すための言葉でもある。
 
5、自然への比喩 
5―1ヒバリ
〈甲虫のやうに四枚ある〉
  ほとんどが風景描写のパート二では、飛翔するヒバリが様々に描かれる。
〈ひばり ひばり/銀の微塵のちらばる空へ/たったいまのぼったひばりなのだ/くろくてすばやくきんいろだ/そらでやるBrownian movement/  おまけにあいつの翅ときたら/甲虫のやうに四枚ある/飴色のやつと硬い漆ぬりの方と/たしかに二重にもっている〉は、視覚でとらえた、ヒバリが高空で飛翔する際のはばたきの速さ、回数の多さの直喩である。
  鳥の翼は、前足が進化した結果で2枚、はっきりと分かれた4枚の翅はない。〈飴色のやつと硬い漆ぬりの方と/たしかに二重にもっている〉はそのまま甲虫の翅についての記述だが、ヒバリへの温かい目とユーモアが感じられる。
  さらに雲雀の動きの暗喩〈そらでやるBrownian movement〉が加えられる。Brownian movementは、液体(固体・気体もありうる)のような溶媒に浮遊する微粒子が不規則に運動すること。1827年ロバート・ブラウンが顕微鏡下で発見し、1905年アインシュタインによって、熱運動をする媒質の分子の不規則衝突によって引き起こされる運動であると原因が明らかになった。これによって、原子・分子の存在が初めて確認された。1921年、「光量子仮説による光電効果の理論的解明」によって、ノーベル賞を受賞したアインシュタインに関心を強くしていた賢治が、その不規則に続けて飛びまわるヒバリの愉としたのである。
  詩の冒頭の遠雷の暗喩〈たむぼりん〉も効果的である。
〈鳥の小学校にきたやうだ〉
  パート三も、主に風景描写で、やはりヒバリの声に迎えられる。ヒバリの声の形容で数少ない聴覚からの直喩である。しかし〈鳥の小学校〉は、音というよりむしろ「小学校」という子供の声の数の多さ騒がしさを介した直喩ではないだろうか。
〈雨のやうだし、湧いてるやうだ〉
  これも、聴覚というよりも、終わることない継続を表している。
さらに前例と同じに、〈なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く/Rondo Capriccioso/ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく〉が加えられる。
  Rondoは音楽用語、同じ旋律が違う旋律を挟みながら何度も繰り替えされる形式である。Capriccioso(カプリチオーソ)は幻想的な、気まぐれなの意で、〈Rondo Capriccioso〉はサンサーンス作曲「序奏とロンドカプリチオーソ」を連想しているものであろう。
  動詞の繰り返し、繰り返しの暗喩で、鳥の声の継続の表現を一層に効果的にしている。
 
5―2 ボトシギ
〈遠くのそらではそのぼとしぎどもが/大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り〉
  多くの人間の登場するパート七の、背景としての鳥は〈ボトシギ〉(オオジシギ)である。
  ガラス瓶を風にかざすと音が出るように、口いっぱいあけて、そこに空気を取り込むように見えることの直喩であろう。音と同時に見た眼からの類似点でもある。ここでも〈ぼとしぎはぶうぶう鳴り〉、〈ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす〉と加えられていく。
 
5―3馬
〈おい ヘングスト しつかりしろよ/三日月みたいな眼つきをして〉
  パート三で、〈ヘングスト〉は種牝馬を意味するドイツ語で、今は轢き馬となっても由緒ある馬への敬意を込めたものである。〈三日月〉という形の中に、人間を描くのと同様な現在の老いと落魄ぶりへの揶揄の意味が込められるが、同時に温かな眼も感じられる。
 
6、幻視
6−1仏のすがた
〈ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り〉
  パート四で、内面と向き合って、孤独のなかで進む時、幻視―天の鼓手、緊那羅のこどもらが現れる。緊那羅はインド神話に登場する音楽の神で、仏教では天竜八部衆のひとつである。ちなみに奈良興福寺所蔵の像は、少年のおもざしを持つ。すきとほる、ひかり、かがやく、瓔珞―これらは、賢治のイメージでは仏の世界のものである。〈うたふやうに〉その音楽との関わりや良きものとしての意味をも含む。
〈その貝殻のやうに白くひかり/底の平らな巨きなすあしにふむのでせう。〉
  パート九で、心象風景と幻視の世界が交錯するなかで、〈わたくしの遠いともだち〉と定義づけられるユリアとペムペルという子供の姿を見る。
〈底の平らな巨きなすあし〉は、仏の身に備わる32の優れた吉相の一、足下安平立相〈土ふまずがないこと〉、四、足跟広平相(踵がおおきくてしっかりしている) (「大智度論」四)後秦の鳩摩羅什が講師四年〜七年に訳した「大品般若経」の釈論)を意味するもので、仏の世界の幻視である。
  ユリアとペムペルの〈大きな紺いろの瞳をりんと張つて〉、も同書、二九、真青眼相(瞳は青蓮華のように青い)も同様である。
 〈瓔珞をつけ〉は仏の衣装、〈紅い瑪瑙の棘でいっぱいな野ばらを〉は地獄の暗喩であろう。
 〈貝殻のやうに〉は白さへの最大の賛辞で、透明感やなめらかさに加えて希少価値を感じさせる。視覚比喩だが、より感情の比重が多い。ユリアはジュラ紀(一億数千年前)、ペムペルはぺルム紀(二億数千年前)に由来している。賢治のその時代への憧れも込められている。この二人は深い崇敬の象徴である。
 
四、他の詩集との比較
1「春と修羅第二集」の直喩
  「春と修羅第二集」では、聴覚からの刺激による比喩が18例、周辺の風景の音に敏感に反応した記述が多い。人を本義とするもの13例、うち主体を本義とするもの4例で少ない。
  喩義もすぐれた情景描写の言葉が多い。これは「第二集」が、自己の内面よりも、眼が外部の社会や風景に向けられていったことに関係すると思われる。「春と修羅第二集」については次稿に詳考したい。
 
2、他の作者の詩と比較して 
  賢治への影響が強いと言われる、北原白秋、萩原朔太郎、続くものとして草野心平を管見する。
2―1北原白秋
  春と修羅以前に出版され、自序に〈「邪宗門」以後の詩を集めて〉というように、多様な詩が含まれ、その頃の白秋の詩風を幅広く収録していると思われるものとして『東京景物詩及其他』の直喩表現を、抽出してみると直喩をほとんどの詩で使っているが、総じて喩義が長く、6文節に及ぶものがある。
 
幽かな囁き…(中略)…幽かなミシンの針の薄い紫の生絹(きぎぬ)を縫ふて刻むやうな、
(「雪」(『東京景物詩及其他』1913)
 
肥満(ふとり)たる、頸輪をはずす主婦(めあるじ)の腋臭の如く蒸し暑く
(「雑艸園」『東京景物詩及其他』1913)
 
  次の詩では、第2〜第7行までが、ほとんどが喩義の言葉で埋められる。
 
        わが寝ねたる心のとなりに泣くものあり――
夜を一夜、乳をさがす赤子のごとく
光れる釣鐘草のなかに頬をうづめたる病児のごとく、
あるものは「京終」の停車場のサンドウヰツチの呼びごゑのごと、
黄にかがやける枯草の野を幌なき馬車に乗りて、
密通したる女のただ一人夫の家に帰るがごとく、
げにげにあるものは大蒜の畑に狂人の笑へるごとく、
「三十三間堂」のお柳にもまして泣くこゑは、
ネル着けてランプを點す横顔のやはらかき涙にまじり
理髪器の銀色ぞやるせなき囚人の頭に動く。
そのなかに肥満りたる古寡婦の豚ぬすまれし驚駭と、
窓外の日光を見て四十男の神官が
死のまへに啜泣せるつやもなく怖しきこゑ。

ああ夜を一夜、
わが寝たる心のとなりに泣くもののうれひよ。
(「心とその周辺V 泣きごゑ」 『東京景物詩及其他』1913)


次の詩では、まったく直喩を使っていない。
 
あかしやの金と赤とがちるぞえな。
かはたれの秋の光にちるぞえな。
片恋の薄着のねるのわがうれひ
「曳舟」の水のほとりをゆくころを。
やはらかな君が吐息のちるぞえな。
あかしやの金と赤とがちるぞえな。(「片恋」『東京景物詩及其他』1913)
 
  長い直喩は全体で雰囲気を作ることができるが、喩義の意味を理解することにも一呼吸の時が必要で、リズム感は消える。類似性を共有できないものもある。
  一概に比較できないが、直喩を使わない詩の方が、リズミカル、簡潔で、暗喩表現がきいている。
 
2−2萩原朔太郎
  朔太郎は、直喩に大きな期待を込めている。時代が『春と修羅』より下るが、「青猫スタイルの用意に就いて」(『日本詩人』1926,11)において、直喩への時代遅れ、幼稚という批判(佐藤惣之助)にたいして、直喩を単に文法上の解釈で無く、その詩全体を象徴するものとしようとしたと述べている。そこであげている例では、
 
地獄の鬼がまはす車のやうに
冬の日はごろごろとさびしくまはって
輪廻の小鳥は砂原の蔭に死んでしまった
ああ こんな陰鬱な季節がつづくあひだ
私は幻の駱駝にのつて
ふらふらとかなしげな旅行にでようとする。
どこにこんな荒寥の地方があるのだらう!
年をとつた乞食の群は
いくたりとなく隊列のあとをすぎさつてゆき
禿鷹の屍肉にむらがるやうに
きたない小蟲が焼地の穢土にむらがつてゐる。
なんといふ傷ましい風物だらう!
どこにも首のながい花が咲いて
それがゆらゆらと動いてゐる。
考へることもない かうして暮れ方がちかづくのだらう。
戀や孤獨やの一生から
はりあひのない心像も消えてしまつて ほのかに幽靈のやうに見えるばかりだ。
どこを風見の鶏が見てゐるのか
冬の日のごろごろと廻る瘠地の丘で 
もろこしの葉つぱが吹かれてゐる。(「輪廻と転生」『青猫』)

 
 
 
  喩義〈地獄の鬼がまはす車のやうに〉は冬の日にかかるだけでなく、詩全体にも影響を与え、輪廻における地獄の心像を描くものであるという主張である。
『春と修羅』以前のもので、賢治が読んでいたという『月に吠える』の後期作品にすでに、この考えが生まれ、『青猫』で実現されたとすれば、賢治への影響も考えられる。小関和弘氏は、影響関係だけでなく、同時代の言語意識・空間体験によるものとも言えるとする。(注5)
他の喩義にも、直喩でありながら、そこに含むものが大きく暗喩のような効果を出して、感情を感じさせるものがある。
 

 
おれは病気の風船のりみたいに/憔悴しきった方角で/ふらふらふらふらあるいてゐるのだ(「危険な散歩」『月に吠える』1917)
わたしは蛇のやうなあそびをしやう(「愛憐」『月に吠える』1917)
地面には春が疱瘡のやうにむっくりと吹き出して居る(「雲雀の巣」『月に吠える』1917)
すべての娘たちは、猿に似たちさな手脚をもつ……白い大きな寝台の上で小鳥のやうにうづくまる(「寝台を求む」 『青猫』)

 
2−3草野心平
  喩義は主に一文節で、含む意味を効果的に使う。
 

 
クラリネットのやうに笑ひ出した「く僂もいる風景」(『第百階級』1928)
電気飴のやうな陽の光がはいってくる「蛙になる」(『第百階級』1928)
 
 
  文学作品の比喩表現を集めた『レトリカ』所収の喩義は、散文の例が多いせいもあるが、管見して長く、喩義そのものにレトリックの意味をもたせているようだが、喩義と本義との関わりが薄くなっているものもある。
 
終りに
  「小岩井農場」の直喩を追ってみて、その喩義、本義が、人間に関するものが多いことに驚く。これは、発想時の賢治が、周囲の人への思いを強く感じ続けていたことの現れであろう。
  まず、一人馬車でいってしまった恩師に似た紳士(青ぐろい淵のような場所に腰掛けている)、の登場は、高等農林学校の記憶を想起させた。それは高等農林学校が充実した希望ある場所としてあったことが推定できる。
  それに相照らすように、現在の農学校の教師としての思いが広がる。同僚堀籠との確執(白びかり)、農学の教師として、近づきたいと思うが近づけない農夫(オペラ・彫像・能役者)、若い農夫(臼)、若い娘(ロビン) 。 農学校の生徒との農作業(磁石)は楽しいものとしてある。
  さらに、昨年の農場での思い出―子どもの嘲笑と冷たく清らかな吹雪のheilige Punkt(聖なる地点)―、鉄砲を構える黒いコートの男の幻視、サクラの幽霊など、自己の内面の影が歩行にそって浮かび上がる。
直喩を表現上の技法として、意識的に使ったのであろうか。
  白秋に見る、多文節の喩義、朔太郎の、詩全体に影響を及ばせる喩義は、はっきり意識して書かれたものと見ることができる。
  賢治の喩義は、直截的でありそれを感じさせない。しかし喩義と本義との間にある類似性の幅を広げ、多様な意味や象徴するものを取り上げて、新鮮な表現となっている。
  自ら〈(すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの)/ここまでたもちつゞけられた/かげと光のひとくさりづつ/そのとほりの心象スケッチです〉と定義づけたこの『春と修羅』で、意識的な技法はないのだろうか。説明語句〈ようだ〉などが省かれることも、心に現れる心象を性急に書きとめようとする結果であろうか。
  しかし、それは大きな感動として読むものに伝わってくる。それは技法としていかになされたか、どんな意味を持つか、今後の課題である。
 
注1「腐植質中ノ無機成分ノ植物に対する価値」
 『新校本宮澤賢治全集 第十四巻 雑纂』
注2「宮沢賢治の恩師 古川仲右衛門と西美濃」
「すいとぴあまっぷ・58」(スイトピア友の会2012)
注3 詩における「あおぐろい」の例
1、青黝い
 

 
 たゞよひてみゆ
 かなしき心象
 なみださへ
 その青黝の辺に
 消え行くらし。(「冬のスケッチ第三九葉」)

 
 2、蒼黝い
 

 
林間に鹿はあざける
  (光はイリヂウムより強し)
げに蒼黝く深きそらかな
却って明き園の塀 (「東京」東京 )
 
3、蒼ぐろい
 

 
…(ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)(「春光呪詛」『春と修羅』)
 
4、青ぐろい
 

 
……このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ((「小岩井農場パート1」『春と修羅』)
 
 
教員室の青ぐろい空間
チョコレートと椅子(「小岩井農場第六綴」『春と修羅』)
 
 
      
そこらあたりで遊んでゐて
あの青ぐろい巨きなものを(〔地蔵堂の五本の巨杉が 〕「春と修羅第二集」)
 
新時代の農村を興しさうにさへ見える
うつくしく立派な娘のなかにも
その青ぐろい遺伝がやっぱりねむってゐて
こどもか孫かどこかへ行って目をさます (「法印の孫娘」 口語詩稿)
 
5青黒い 
 

 
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……(「小岩井農場パート四」『春と修羅』)
 
けれども何だかわからない。
山の方は青黒くかすんで光るぞ。(「小岩井農場第五綴」『春と修羅』)  
 
味のないくらゐまで苦く
青黒さがすきとほるまでかなしいのです。(〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕『春と修羅』)
 
風がきれぎれ遠い列車のどよみを載せて
樹々にさびしく復誦する   
その青黒い混淆林のてっぺんで (「山火」「春と修羅第二集」)
 
大将おそらく興奮して
味もわからずつゞけて飯を食ってゐる
然るにかうきっぱりと勝ってしまふと
あとが青黒くてどうもいけない(「憎むべき「隈」弁当を食ふ」 口語詩稿)
 
ひがんだ訓導准訓導が
もう二時間もがやがやがやがや云ってゐる
その青黒い方室は
絶対おれの胸ではないし
咽喉はのどだけ勝手にぶつぶつごろごろ云ふ  (「病」 疾中)
 
全身洗へるこゝちして立ち
雲たち迷ふ青黒き山をば望み見たり
そは諸仏菩薩といはれしもの
つねにあらたなるかたちして 
うごきはたらけばなり(〔朝は北海道の拓植博覧会へ送るとて〕 補遺詩篇U)

 
 
注4 童話における「あおぐろい」は4種類の表記がある。
〈青ぐろい〉13例
「柳沢」、「あけがた」、「風野又三郎」、「鳥を取る柳」、「よだかの星」、「きいろのトマト」、「双子の星」、「種山ヶ原」、「林の底」、「烏の北斗七星」、「なめとこ山の熊」、「種山が原の夜」、「風の又三郎」
〈青黝い〉4例
「柳沢」、「ガドルフの百合」、「まなづるとダアリア」、「ポラーノの広場」
〈蒼黝い〉3例
「山地の稜」、「風野又三郎」、「鳥を取る柳」
〈蒼ぐろい〉3例
「双子の星」、「学者アラムハラドのみた着物」、「ひかりの素足」
 
注5小関和弘「詩の「発見的認識」をめぐる一試論」(『近代のレトリック』有精堂 1995)
 
参考文献
国語学会編『国語学大辞典』1979 東京堂出版
佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社 1987)
「青猫スタイルの用意に就いて」(初出『日本詩人』1926、11 
『萩原朔太郎全集第八巻』筑摩書房)
榛谷泰明『レトリカ』(1994 白水社)
『比喩の日本語』(2002)白水社
畑英理「宮沢賢治論」(『近代のレトリック』有精堂 1995)
大藤幹夫『宮沢賢治童話における色彩語の研究 改訂版』日本図書センター 1993
 
テキスト
『春と修羅』 初版本(『新校本宮澤賢治全集第二巻』) 
「春と修羅第二集」(『新校本宮澤賢治全集第三巻』) 
北原白秋『東京景物詩及其他』(東雲堂 1913)
(明治反自然派文学集一 明治文学全集74 筑摩書房 1966)
萩原朔太郎『月に吠える』(感情詩社・白日社 1917)
(『日本現代詩大系 第六巻 近代詩(三)』 河出書房 1951)
     『青猫』(『萩原朔太郎全集第二巻』筑摩書房 1976)
草野心平『第百階級』(1928)
(『現代日本詩人全集12』創元社 1954)

 







10月の永野川

8日
  前々日の台風で岸のヨシがなぎ倒され水流の烈しさを感じさせます。水量はあまり減らず、中州は一部しか出ていません。
カルガモも増えて来ました。高橋付近の川岸でカルガモ6羽に交じってコガモ1羽だけ今季初確認です。毎年、早い時期に少数だけ飛来するのはなぜでしょうか。
  公園内で、川の方角から、滝沢ハムの草むらに向かって、茶色で、ヒヨドリよりも大きく、尾羽が長く、黒い横斑のあるもの、一瞬飛びました。低い飛行でした。尾羽は細く、尾羽が広がっているキジの♀幼鳥ではないようです。チョウゲンボウ♀? もしかして赤色系カッコウ類? 背面しか見ていないので迷います。赤津川の泉橋付近でも同様の飛行を見ました。確実な眼を養いたいとつくづく思います。
  永野川高橋付近で、イソシギ2羽、戯れるように一緒にいました。単体を見慣れているので、不思議な気もしました。
  あちこちでモズが高鳴きを始めました。空一面にトンボが飛び、もう秋です。何時の間にか、ツバメは消えているし、チュウサギもいなくなり、ヒヨドリが増えています。木の葉がだんだん力をなくして向こう側の風景が見えるようになりました。オナモミが黄色い花をたくさんつけています。オナモミの実で遊ぶ子供は減っているようですが。
  公園内の土手の法面と、大岩橋下の草むらは、まだ刈ってなくて、草紅葉になってきました。このままいけば冬鳥のよい隠れ場所になるのですが。
大岩橋上の山林でカケスが鳴きますが、姿は見えません。この目で見られることを願っています。
 
18日
  久しぶりに晴天でした。
川はまだ澄んではいましたが水が多く、公園内のヤナギが一本倒れて川をふさいでいました。
  モズとヒヨドリとカラス類の天下のようです。少し前 「宇都宮の野鳥を楽しもう」さんの情報にあった、モズの♀の高鳴きが見えました。
  新井町の水田で、ヒバリが2羽、囀りながら舞っていて意外な気もしましたが、青空のヒバリは気持ちがよいものです。
  キジ♂の若鳥2羽、仲のよい雰囲気で歩いていました。まだ成長していない兄弟なのでしょうか。
  大岩橋上の山林でカケスが一瞬10羽ほど舞い、しばらく待ってみましたが、あとは隠れていて出て来ませんでした。
  少し時間をかけましたが、鳥種は少ない探鳥でした。カラスウリが真っ赤に色づいて、ネコジャラシは草紅葉して美しく見えましたが、こう思うのはわたし達だけなのでしょう。冬まで刈り取られないことを祈るばかりです。
 
26日
  久しぶりに気温が20度を超え、動くと汗ばむ日でした。合流点近くでカワセミが川を下って行く姿に一瞬会えました。
  スズメが少なく、ヒヨドリが時々2、3羽の群れで必ず鳴きながら飛びます。モズは先回よりは少なめでした。
  アオサギが時々、忘れられたように田んぼに立っています。
ダイサギが1羽、滝沢ハムの敷地内の大木のてっぺんに留っていました。ここはサギ類の停留点なのか、コサギ、アオサギの群れがとまっているのも見たことがあります。
  公園内のヤナギに、またカッコウ類が一羽きていました。ヒヨドリ大で、尾は灰色に白い横斑、胸は白地に黒い横斑、アイリングある黒い目、黄色い脚、今回は首のあたりが羽がはえかわっているような感じにマダラでした。
  第五小の対岸のウルシの木に、エナガが8羽、人を恐れず、鳴きながら枝の間を飛びかって虫を取っている様子、シジュウカラも一緒でした。
少し下ると、カルガモと一緒にマガモ♂1羽、いよいよ秋です。
  第五小の側を遡っていると、カワラヒワが8羽、川岸から舞いあがり秋の日に照らされて、とてもきれいに見えました。少し先で、また川から6羽が飛び、ピルピルという声と一緒に、囀りのような声も聞こえました。
  公園内の法面の草むらは刈られていなくて草紅葉がきれいです。このまま残してくれるでしょうか。
  以前全く刈られていない時は、もっと低木があり、季節には赤い実をつけて、このような雑然とした感じではありませんでした。つい欲が出て、刈り取りをしなかった時に戻ってほしいと思ってしまいます。
冬鳥の季節は間違いなくやってきました。
 
鳥リスト
キジ、カイツブリ、カルガモ、マガモ、コガモ、アオサギ、ダイサギ、イソシギ、バン、カッコウ類、トビ、キジバト、カワウ、カワセミ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、モズ、チョウゲンボウ、ヒバリ、シジュウカラ、エナガ、ヒヨドリ、スズメ、カケス、オナガ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、カワラヒワ、ホオジロ