宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
心を吹く風 『春と修羅』から(三) 「オホーツク挽歌」の章―北への旅

 1923年7月31日、賢治は青森、北海道を経て樺太への旅に出ます。教え子の就職を、盛岡中学校、盛岡高等農林の同窓生で、樺太、豊原市の王子製紙の細越健に依頼するためでした。
 この旅で残された「オホーツク挽歌」の章には5篇の詩が収められています。「白い鳥」が書かれてから、2か月近くの空白のあとでした。

1、「青森挽歌」
 その第一篇が、252行の長詩、「青森挽歌」です。以下部分的に引用します。
 
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
   乾いたでんしんばしらの列が
   せはしく遷つてゐるらしい
   きしやは銀河系の玲瓏レンズ
   巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしつてゐる 
 
(中略)
 
あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか
(草や沼やです
  一本の木もです)
 (ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ)
 (こおんなにして眼は大きくあいてたけど
  ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ)
 (ナーガラがね 眼をぢつとこんなに赤くして
  だんだん環をちいさくしたよ こんなに)
 (し、環をお切り そら 手を出して)
 (ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ)
 (鳥がね、たくさんたねまきのときのやうに
  ばあつと空を通つたの
  でもギルちやんだまつてゐたよ)
 (お日さまあんまり変に飴いろだつたわねえ)
 (ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの
  ぼくほんたうにつらかつた)
 (さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ)
 (どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう
  忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに)
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通つて行き
それからさきどこへ行つたかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じやうとするときは
たれだつてみんなぐるぐるする
 (耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい)
さう甘へるやうに言つてから
たしかにあいつはじぶんのまはりの
眼にははつきりみえてゐる
なつかしいひとたちの声をきかなかつた
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた

 
けれどもたしかにうなづいた 
 
 
 この詩で初めて賢治はトシの死を現実として受け止め、夜汽車の暗い風景のなかに自分の心をみつめ、トシの行方を必死に考えます。そして、なおも死に瀕した場面や、くらい幻想に悩まされます。
そのなかで、風は、〈たのしい根源〉の一つとしてとして捉えられています。それは臨終のトシの顔を美しいものとして、眼前に運んでくれます。そして、
 
いつぴきの鳥になつただらうか
l´estudiantinaを風にききながら
水のながれる暗いはやしのなかを
かなしくうたつて飛んで行つたらうか
中略
 
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
わたくしはその跡をさへたづねることができる


と離れていく妹を確実に感じながらも、〈大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた〉トシをようやく実感できることになります。風はやはり〈さはやか〉なもの、賢治があとを辿ることができるものでした。
 
 
 
(もひとつきかせてあげやう
      ね じつさいね
      あのときの眼は白かつたよ
      すぐ瞑りかねてゐたよ)
まことはたのしくあかるいのだ
     (みんなむかしからのきやうだいなのだから
      けつしてひとりをいのつてはいけない)
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一たりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます

 
 
 その後も執拗に聞こえる悪魔のささやきのような声、トシの死の現実に耐えながら、〈まこと〉の世界に救いを求めます。
それは、自分一人のかなしみにとらわれることなく、人すべてのことを祈らなければならない、ということでした。そうすることで、耐えがたい想いから救われることができたのだと思います。
 
2、「青森挽歌 三」
 詩集『春と修羅』には収録されなかった作品に、同じ一九二三、八、一、の日付を持つ「青森挽歌 三」があります。
 

 
その右側の中ごろの席
青ざめたあけ方の孔雀のはね
やはらかな草いろの夢をくわらすのは
とし子、おまへのやうに見える。
「まるっきり肖たものもあるもんだ、
法隆寺の停車場で
すれちがふ汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。」
父がいつかの朝さう云ってゐた。
そして私だってさうだ
あいつが死んだ次の十二月に
酵母のやうなこまかな雪
はげしいはげしい吹雪の中を
私は学校から坂を走って降りて来た。
まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
その藍いろの夕方の雪のけむりの中で
黒いマントの女の人に遭った。
帽巾に目はかくれ
白い顎ときれいな歯
私の方にちょっとわらったやうにさへ見えた。
( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)
私は危なく叫んだのだ。
(何だ、うな、死んだなんて
いゝ位のごと云って
今ごろ此処ら歩てるな。)
又たしかに私はさう叫んだにちがひない。
たゞあんな烈しい吹雪の中だから
その声は風にとられ
私は風の中に分散してかけた。

 
 
 詩は列車の中から見た夜明けの風景に始まります。明け方の月の明かりは〈苹果の匂〉を運び、列車のなかに差し込むなかに、賢治はトシの幻影を見ます。
 それは父が旅先で追ったトシに似た姿の女性や賢治が花巻の吹雪の中で見たトシを思い出させます。賢治たちの、「トシが生きている」ことを信じたい気持の現れですが、花巻でそれを見せたのも、〈( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)〉というように、風が運ぶものでした。また、トシにかけた言葉をもぎ取るのもやはり風でした。賢治は〈風の中に分散して〉切れ切れになる心とともに駆け出すのです。

 
 
太洋を見はらす巨きな家の中で
仰向けになって寝てゐたら
もしもしもしもしって云って
しきりに巡査が起してゐるんだ。」
その皺くちゃな寛い白服
ゆふべ一晩そんなあなたの電燈の下で
こしかけてやって来た高等学校の先生
青森へ着いたら
苹果をたべると云ふんですか。
海が藍靛に光ってゐる
いまごろまっ赤な苹果はありません。
爽やかな苹果青のその苹果なら
それはもうきっとできてるでせう。

 
 そんな思いをかき消すように、唐突に、車中の幻想が書かれ、青い海のひかり―トシの色―、〈爽やかな苹果青のその苹果〉―トシの思い出―などを綴って詩はおわっています。
 
3、「オホーツク挽歌」
一九二三、八、四〉の日付を持つ「オホーツク挽歌」は樺太、栄が浜の朝の風景が描かれます。
 

 
海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた
緑青のとこもあれば藍銅鉱のとこもある
むかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい瑠璃液だ
チモシイの穂がこんなにみぢかくなつて
かはるがはるかぜにふかれてゐる
  (それは青いいろのピアノの鍵で
   かはるがはる風に押されてゐる
あるひはみぢかい変種だらう
しづくのなかに朝顔が咲いてゐる
モーニンググローリのそのグローリ
 
 
白い片岩類の小砂利に倒れ
波できれいにみがかれた
ひときれの貝殻を口に含み
わたくしはしばらくねむらうとおもふ
なぜならさつきあの熟した黒い実のついた
まつ青なこけももの上等の敷物と
おほきな赤いはまばらの花と
不思議な釣鐘草とのなかで
サガレンの朝の妖精にやつた
透明なわたくしのエネルギーを
いまこれらの濤のおとや
しめつたにほひのいい風や
雲のひかりから恢復しなければならないから

 
 緑青や瑠璃液と喩える海や、風に吹かれるチモシイ、ハマナスの匂いに少し明るくなった賢治を感じます。香りのよい風のなかで妖精と交歓しています。
 

 
わびしい草穂やひかりのもや
緑青は水平線までうららかに延び
雲の累帯構造のつぎ目から
一きれのぞく天の青
強くもわたくしの胸は刺されてゐる
それらの二つの青いいろは
どちらもとし子のもつてゐた特性だ
 
中略
 
海がこんなに青いのに
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ
 
中略
 
いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
あんなにかなしく啼きだした
なにかしらせをもつてきたのか
わたくしの片つ方のあたまは痛く
 
中略
 
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
五匹のちいさないそしぎが
海の巻いてくるときは
よちよちとはせて遁げ
 (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
浪がたひらにひくときは
砂の鏡のうへを
よちよちとはせてでる

 
 雲間から覗く小さな青空に〈とし子の特性〉を見て、またトシのことばかりを思っている自分を責めながらもなお、飛ぶ鳥に妹の影を追います。しかし、(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)〉(南無妙法蓮華経)が、記され、次第に救われていく心を予感させます。ここでなぜ唐突な感じでこの言葉が記されたのか、不明ですが、深い逡巡のあとで生まれたものであることは実感できます。
 この詩の関連作品として童話「サガレンと八月」があります。そこでは、風はいい匂いを伝え、ひっきりなしに作者に語りかけ、風の物語を聞かせて行き、それが真実のお話として、読者に伝わるように、と祈るような気持ちが書かれています。(当ブログ「風に包まれてPt       3―「サガレンと八月」」 2013、8)
 風はまず、賢治を体から安らかにし、浮かぶトシへの思いを和らげ、究極には、仏の世界への救いを見せてくれたのではないかと思います。
 
4、「鈴谷平原」
 一九二三、八、一一の日付を持つ「鈴谷平原」では賢治は帰途についています。
 

 
蜂が一ぴき飛んで行く
琥珀細工の春の器械
蒼い眼をしたすがるです
   (私のとこへあらはれたその蜂は
    ちやんと抛物線の図式にしたがひ
    さびしい未知へとんでいつた)
チモシイの穂が青くたのしくゆれてゐる
それはたのしくゆれてゐるといつたところで
荘厳ミサや雲環とおなじやうに
うれひや悲しみに対立するものではない
だから新らしい蜂がまた一疋飛んできて
ぼくのまはりをとびめぐり
また茨や灌木にひつかかれた
わたしのすあしを刺すのです
こんなうるんで秋の雲のとぶ日
鈴谷平野の荒さんだ山際の焼け跡に
わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる
ほんたうにそれらの焼けたとゞまつが
まつすぐに天に立つて加奈太式に風にゆれ
また夢よりもたかくのびた白樺が
青ぞらにわづかの新葉をつけ
三稜玻璃にもまれ
   (うしろの方はまつ青ですよ
    クリスマスツリーに使ひたいやうな
    あをいまつ青いとどまつが
    いつぱいに生えてゐるのです)
いちめんのやなぎらんの群落が
光ともやの紫いろの花をつけ
遠くから近くからけむつてゐる
   (さはしぎも啼いてゐる
    たしかさはしぎの発動機だ)
こんやはもう標本をいつぱいもつて
わたくしは宗谷海峡をわたる
だから風の音が汽車のやうだ
流れるものは二条の茶
蛇ではなくて一ぴきの栗鼠
いぶかしさうにこつちをみる
  (こんどは風が
   みんなのがやがやしたはなし声にきこえ
   うしろの遠い山の下からは
   好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
   すきとほつた大きなせきばらひがする
   これはサガレンの古くからの誰かだ)
 
 この詩の舞台は、日本占領時代の樺太(現ロシア領サハリン州)の中心都市豊原(現ユージノサハリンスク)市街東端の神社山(樺太神社)や玉川苗圃(豊原林務署)辺と推察できます。現在では、サハリン中央低地帯を南流するススヤ川扇状地「ススーヤ平原」です。
周辺は樺太、豊原市・豊栄郡豊北村、大泊郡富内村またがる山地で、鈴谷山脈、1048mの鈴谷岳をふくみ、ブナ林、ハイマツ帯、高山植物帯等があります。
 賢治の作品に登場する蜂は、いつも肯定的な描かれ方をします。「寓話 洞熊学校を卒業した三人」では、三人が競争原理を学習した時と、その結果三人が破滅したそれぞれの時に、蜂の幸せな姿が描かれます。蜜を集めて働き、結果として受粉を助け、木の芽から要らなくなった蜜を集めてせっせと巣を構築することに象徴される共生の原理に基づいた生活で、競争原理とは相反するものです。またその眼は青く「若い木霊」、「タネリはたしかにいちにち噛んでいたやうだった」でも太陽光の中、澄んだ風に乗って働いています。
 ここでも〈琥珀細工の春の器械〉という賛辞が送られます。賢治の心も明るい日差しの中に向けられるようになりました。
でも飛んで行くのは、トシの死を受け入れ、現実に戻ろうと南へ向かっていく〈さびしい未知〉これは賢治の方向でもあったようで、チモシイの穂が青くたのしくゆれていても、〈たのしく〉鈴谷平野に座っていても、白樺やヤナギランが美しくても、心の底の〈うれひやかなしみ〉は続いています。
でも続く未来は、〈標本〉―旅の成果―を確信して、宗谷海峡を渡って帰ることでもありました。
 風の音は〈汽車の音〉となり、人の話し声に聞こえます。賢治はどこかで人間の世界への回帰を感じていたのではないでしょうか。それは、故郷、好摩の冬の青空とサガレンの誰かとを並べて、これから帰る岩手に少しの希望を見出したことを表しているのかもしれません。
 
 「無声慟哭」、「オホーツク挽歌」の章については既出論考も多く、またトシの死という重大な事実と賢治の深い悲しみを描き、短文では語りつくせないと思います。
しかし、〈風〉を追う限りでは、風はいつも賢治に寄り添って、〈まことの言葉〉を伝え、澄んだ空気を運び、救いへと導いて行ったと思います。
 
参考 
黄英「デストピアの様相」、第五節「蜘蛛となめくじと狸」から「寓話 洞熊学校を卒業した三人」へ(『比較社会文化叢書XIV 宮沢賢治のユートピア志向』第2章)(花書院 2009)

 







永野川2015年1月上旬 
 
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
1日に、初詣のついでに立ち寄った下野国分寺跡で、アオゲラに会うことができました。アオゲラを見るのは、実は生涯で3度目です。
今年はよい鳥見の年になる予感がします。
この広大な自然林を生かして開発した当局には、感謝したいと思います。
 
7日
風もない良いお天気です。
コースを変えて緑地公園から入りました。
上人橋の上から見ると、中州で、アオサギ1、カワラヒワ5、イカルチドリ1が遊んでいました。この橋から下を眺めるのは意外と少ないのに気づきました。
公園ではシメがあちこちで飛んで4羽、キセキレイ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カルガモ18羽の群れ、ダイサギ4羽と豊富でしたが、以前そこにいたオオバンは見られませんでした。
調整池は結氷していて、ヒドリガモはいませんでした。
大岩橋下の草むらで、アオジ1羽、声はたくさんしていますが、確認はそれだけでした。アオジはその後、大岩橋上、滝沢ハムの草むら、赤津川岸で、計4羽見ることができました。
大岩橋上の草むらで、おそらくノスリと思われるワシタカ1羽、腹面が白っぽく、黒い紋があり、尾がトビとは違っていました。
ここでは前述のアオジのほか、カシラダカ5羽も見つけました。やはり冬のこの場所は鳥の宝庫です。川べりの広い草地を観察出来れば、もっとたくさんの鳥たちに会えそうですが、入れませんし、踏み込んではいけないのかもしれません。山林ではカケスの声もします。
赤津川新井町の田んぼでは、久しぶりにムクドリが22羽田んぼに下りていました。
栃木窯業付近では、カルガモ10羽の群れのほか、バンが2羽3羽、と計7羽見えました。
合流点近くではカワセミのほか、キジ♀が草むらに潜んでいました。
今日は時間が無く気も急いていた割には多くの鳥種に会えました。残念でしたが二杉橋までの区間は次の機会に回しました。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、カワセミ、イカルチドリ、ノスリ、キジバト、カワウ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、モズ、ヒヨドリ、シジュウカラ、ツグミ、スズメ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ
 
9日
7日に廻れなかった、上人橋から二杉橋までの両岸を歩きました。
上人橋から太平山側を下ると、ハクセキレイ、イソシギが、ブロックを伝って歩いていました。睦橋下の河川敷に、コガモ7羽、カルガモ20羽、それと珍しくマガモの♂3羽が一緒でした。
カイツブリも2羽発見しました。
第五小付近で、コガモ26羽、カモたちはみな固まって顔をうずめています。
住宅地のなかの草むらを眺めるとに小さな鳴き声が聞こえ、シメ、カシラダカ、ホオジロが確認できました。この場所は、いつも見落としている気がします。
二杉橋のすぐ手前で、眼の前にジョウビタキ♀が留っていましたが、車が来たので自転車を動かさざるを得なくて、飛び立たせてしまいました。
二杉橋下にはカルガモ20羽やはり顔をうずめて固まっています。
第五小側から川を見ると、アオサギ1羽、やはり悠然としています。岸の草むらから確認できたのはアオジ、ホオジロでした。
第五小脇から反対側の岸のテレビアンテナを見ると、チョウゲンボウ1羽、順光で、色や模様まで良く見え、図鑑と同じ姿勢でしばらく留っていてくれました。
中洲に、イソシギのようで、首に白い切れ込みの無いものを発見、飛んだ時の尾羽の白さは確認できませんでしたが、胸のまだら具合と、尾の先の白からクサシギと思います。ここでは少ない例です。
少し上で、キセキレイとともに、今季初タヒバリを見ました。草地で見ることが多いのですが、羽の色、模様などはタヒバリだと思います。
上人橋まで戻ってきたところで、イカルチドリを2羽発見しました。これで出そろった、という感じです。
短い区間ですが、ゆったりした気持ちで臨むと発見する鳥も多いという実感とともに普段の姿勢を反省しました。
 
鳥リスト
カルガモ、コガモ、マガモ、カイツブリ、アオサギ、イソシギ、クサシギ、イカルチドリ、チョウゲンボウ、キジバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、タヒバリ、モズ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、シジュウカラ、ツグミ、スズメ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シメ、ジョウビタキ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ

 
 
 







永野川12月下旬
27日
 気温は低いのですが、晴れて風もありません。
 二杉橋から川岸を遡りました。
 幸先よく、中洲にイカルチドリ2羽、イソシギ1羽、キセキレイ1羽がいて、カワセミも上流からきて川岸に留り、ダイサギ、アオサギがじっと動かず佇んでいました。
 土手の草むらで、おそらくアオジと思われる声が聞こえ、1羽だけ飛び立って確認できました。
 その後、アオジは赤津川岸の草むらや、大岩橋上の河川敷林などで総数6羽確認でき、やっとその季節がきたようです。
 ここ第五小学校付近は、このフィールドの中では鳥数が多い場所です。一見何の変哲もない所で、住宅地も近いのですが、結構広い中洲があり、川岸の草むらなどが残されているせいでしょうか。
 赤津川に入って、コガモ5羽、セグロセキレイ、カルガモの少数の群れが次々現れます。
 カワラヒワ25羽の群れが電線に留っていました。そのほかあちこちで黄色い羽をはためかせ、今日は総数84羽になりました。
 滝沢ハムの草むらでシメが1羽、この冬はここで、いつも見かけるようになりました。
 川岸のヤナギの低木で、ヒヨドリが10羽ほど群れているなかで、鮮やかな色を発見しました。ここでは珍しいアカハラで、今日の収穫です。1、2分で山林の方に飛び立っていきました。
 公園中央のハリエンジュにシジュウカラ5羽、元気です。
 大岩橋上の河川敷林では、ジョウビタキ、カシラダカ、シメ、アオジなど数は少ないのですが、常連さんに会えました。山林ではカケスの声が複数聞こえました。

 調整池のヒドリガモは15羽戻っていました。
 公園内の川で、カイツブリ2羽に交じって、オオバン1羽、ここでは初めてです。黒い体、白い額板、首を振りながら泳ぎ、時々潜水していました。これも今日の収穫でした。
 土手のエノキにコゲラが2羽、肉眼で観察できる位置で、枝を伝い、器用に体を曲げながら採餌していて、しばらく見とれていました。
 アカハラ、オオバンと会うことができ、アオジも増え、カワラヒワ、ヒヨドリ、セキレイ類も元気で、充実した冬のひとときでした。
 
鳥リスト
キジ、カイツブリ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ダイサギ、オオバン、カワセミ、イソシギ、イカルチドリ、キジバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、モズ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、シジュウカラ、ツグミ、アカハラ、スズメ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、コゲラ、ジョウビタキ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ
 

 







心を吹く風 『春と修羅』から(二) 「無声慟哭」の章
……前略……
ああおらはあど死んでもい)
(おらも死んでもい)
  (それはしよんぼりたつてゐる宮沢か
   さうでなければ小田島国友
      向ふの柏木立のうしろの闇が
      きらきらつといま顫えたのは
      Egmont Overtureにちがひない
   たれがそんなことを云つたかは
   わたくしはむしろかんがへないでいい)
(伝さん しやつつ何枚、三枚着たの)
せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は
月光の反照のにぶいたそがれのなかに
しやつのぼたんをはめながら
きつと口をまげてわらつてゐる
降つてくるものはよるの微塵や風のかけら
よこに鉛の針になつてながれるものは月光のにぶ
(ほお おら……)
言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
おしまひの声もさびしく反響してゐるし
さういふことはいへばいい
  (言はないなら手帳へ書くのだ)
とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きつとおまへをおもひだす
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ
 (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
  光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
  …………此処あ日あ永あがくて
      一日のうちの何時だがもわがらないで……
  ただひときれのおまへからの通信が
  いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ)
とし子 わたくしは高く呼んでみやうか  
……後略……  (「風林」)

 
  1922年11月17日、賢治は妹トシを失います。『春と修羅』では、「無声慟哭」の章に、臨終の有様と死の衝撃を描いた「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」と、6カ月後の詩、「風林」、「白い鳥」の5篇の詩が括られています。
  死の日付を持つ三篇には風は描かれていません。伝わってくるのは、死によって、もぎ取られるように去って行くていく妹への追いすがるような思いと、自らの心の中の修羅をみつめる二つの悲しみで、読む者の心までしみとおるように痛みます。その後、1923年6月3日の「風林」まで詩作はとだえてしまいます。
 「風林」では、タイトルに〈風〉が使われます。
 「風林」は賢治の造語で、風の吹く林、ということだと思いますが、それだけでは終わらない、ものがあります。〈風〉の持つイメージ、透明なもの、風景を揺らし、何かを語るもの、と〈林〉の持つイメージ、緑、さわやかさが重なるためでしょうか。
  賢治は生徒たちと夜の林の中にいます。林の中にきらめく光にはEgmont Overtureを思い、林をもれてくる月光には〈風のかけら〉を見つけます。
生徒の会話を聞きながら、言いかけてやめた生徒の〈(ああおらはあど死んでもい)/(おらも死んでもい)……(ほお……おら)〉を聞きます。生徒は重い意味もなく発した言葉には、余裕を持って〈言ひかけてなぜ堀田はやめるのか/おしまひの声もさびしく反響してゐるし/さういふことはいへばいい/(言はないなら手帳へ書くのだ)〉と思いやりの言葉をかけています。でも賢治はトシを思い起こしてしまいます。
  後に「噴火湾」(ノクターン)一九二三、八、一一)にも記される、生前のトシの言葉、〈(おらあど死んでもいゝはんて/ あの林の中さ行ぐだい/うごいで熱は高ぐなつても/ あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて)と重なったのです。
 〈巨きな木星のうへ〉、〈鋼青壮麗のそらのむかふ〉、〈光の紐やオーケストラ〉のあるところ、と死後の妹の心地よい居所を願います。現実に戻って、生徒たちの手の冷たさを思いやり、詩は終わっています。
 〈風の中に立てば〉は自然の中にいること、トシが風の吹く林を愛していた、という意味のほかに重要な意味を持ちます。
  賢治作品に頻出する、〈まことの言葉〉は、仏の真言を意味すると同時に、自然の中から伝わるものであった、という指摘は、すでに天沢退二郎氏によってなされています。(注1)
 『注文の多い料理店』序の、〈これらのわたくしのおはなしはみんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。〉や「鹿踊りのはじまり」の〈わたくしがつかれてそこに睡りますと、ざあざあ吹いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行われてゐた、鹿踊りの、ほんたうの精神をかたりました。〉、〈嘉十はにはかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるへました。鹿どもの風にゆれる草穂のやうな気もちが、並になって伝はって来たのでした。〉、「風の又三郎」で、誰がうたうともしれず、また深い意味をも持つ〈雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ風三郎〉など、多くの例があります。   
 賢治は風の中に〈まことの言葉〉としてトシの言葉をもとめていたのでしょう。林を慕っていたトシのことを重ねて、〈風林〉としたのもそれゆえではないでしょうか。
この詩の後ではどうか、重ねて検証してみます。
 
……前略……
二疋の大きな白い鳥が
鋭くかなしく啼きかはしながら
しめつた朝の日光を飛んでゐる
それはわたくしのいもうとだ
死んだわたくしのいもうとだ
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる
 
(それは一応はまちがひだけれども
   まつたくまちがひとは言はれない)
(日本武尊の新らしい御陵の前に
   おきさきたちがうちふして嘆き
   そこからたまたま千鳥が飛べば
   それを尊のみたまとおもひ
   芦に足をも傷つけながら
   海べをしたつて行かれたのだ)
……後略……(「白い鳥」)
 
 翌日6月4日日付の「白い鳥」も同様に生徒たちとの野外活動を描いています。背景は朝の鞍掛山周辺の牧場です。ここでは風は描かれません。同時にトシへの呼びかけもありません。
 かわりに描かれるのは〈白い鳥〉です。トシの身代わりのように賢治は鳥を追い、その鳴き声に胸を引き裂かれます。古事記の日本武尊の話も裏付けとなって、賢治の思いは一層強くなったようです。
 この後二カ月、また賢治は詩を残していません。多作だった賢治の心の傷がいかに深かったかを示すものです。
八月に残された挽歌群については、後の稿にしたいと思います。
 
注 天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』 1968 思潮社

 







永野川12月中旬、永野川ビギナー探鳥会報告
  13日の永野川ビギナー探鳥会は、よく晴れて風も無く絶好の探鳥日和でした。
  まず集合地で、サクラの木のいただきに留るカシラダカを望遠鏡に入れていただきました。この芝生地では初めて見ました。しばらく留まってくれたので、順光でよく見えました。
その場で、ツグミ、ハシブトカラス、シジュウカラまで、これもよく見えました。
池に移動して、ヒドリガモ、カルガモ、コガモを比較して見ることができました。
  ダイサギが一羽、来て池の表面をじっと凝視している姿に、皆、採餌するのを待ちましたが、ついに餌は取れませんでした。
そこにアオサギが来て東の池に移ったので移動しました。取水口の所でじっとしていました、ほとんど正面を向いていて羽の様子などは見ることができませんでした。
  そこに、幸運にもカワセミ♂が飛来して岸の低木に留りました。しばらく動かず、皆感動のうちに観察できました。カワセミが出ると、参加者の志気がいっぺんに高まるようです。
川に向かう途中で、ハクセキレイとセグロセキレイをこれも比較出来ました。
  川に着いた時は、もう時間が半分以上過ぎていました。
下流にカイツブリ、ヤナギの木の下の浅瀬にスズメが10羽ほど群れて水浴びをしていたところに、キセキレイも2羽、イカルチドリが一羽、少し離れた中洲にずっと背中を向けているイカルチドリ1羽、皆プロミナで見せていただきました。
 ヤナギの枝や草むらで、シメが何羽もいて、ツグミやキジバト、カワラヒワもベストショットで見え、空にはトビが飛んで、きれいに腹面のマークを見せてくれました・
ほとんどの鳥を、プロミナで見ることができ、指導員さんに御礼を申し上げるしかありません。
 中学生が8人、小学生低学年の女の子3人、子どもたちが来ると、なんだか未来が明るくなる気がします。一番小さな女の子がとても熱心にプロミナをのぞいて駆け回っていたのも嬉しく、ベビーカーに乗っている頃から参加していた指導員さんのお子さんが、すっかり大きくなって、素敵なアウトドアルックに身を固めていたのも、ほほえましいことでした。
 年配の方と娘さん、お子さんの親御さん、男性一人での参加など、様々な境遇の方たちが来られ、理想的な、楽しいなビギナー探鳥会でした。
 
鳥リスト
ヒドリガモ、カルガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、イカルチドリ、トビ、オオタカ、ノスリ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ツグミ、スズメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、カシラダカ
 
19日
 昨日と比べると風もなく暖かでした。
赤津川上流から入ると、すぐにアオサギが一羽川の中ほどで首縮めているのに会い、幸先のよい出発でした。
 そこから栃木窯業近くでまでの間、バンがそちこちで5羽、初めて鳴き声も聞きました。
 コガモも5羽の群れを始め、2羽、3羽と合わせて13羽、きれいな冬羽になり、晴れた日の澄んだ水に群れている姿は美しく可愛らしく見えます。
少し下って、一瞬アオジの姿がありました。我が家にはもう来ているのですが、ここでは初めてです。
 カワラヒワの31羽の群れが電線に留っていました。バードリサーチへの報告ができそうです。
そのほかは4羽以下の少数の群れでした。
 ダイサギが4羽群れていましたが、1羽と3羽に別れ北と南に飛びさり、その後も公園内、永野川などで1、2羽づつ、合計10羽になりました。同じものを数えている可能性もあり、自信が持てません。
 いつもの田んぼにケリ4羽、ここは決まった場所なのでしょうか。
 滝沢ハム近くの草地でジョウビタキ2羽、今年はここが縄張りのようです。
 大岩橋上の北側の岸の樹木で、シジュウカラ10羽ほどの群れに会い、他のカラ類を探しましたが、分かりませんでした。
南側にまわると、河川敷林にカシラダカが15羽ほど群れていて思わず拍手したくなる気持ちを抑えていると、何とアトリが2羽、ここでは何年振りでしょうか。
 公園の周辺では、シメがあちこちで飛び交い6羽となりました。
ヒヨドリは相変わらず多いのですが、公園の川で水浴びしたり、草地でホバリングしている姿を初めて見ました。 
 調整池は結氷したせいかヒドリガモは6羽になっていました。
 キジの♀を2か所で、草地に飛び込む姿を見ました。
 第五小付近の永野川では、キセキレイ、イソシギ、イカルチドリ、おなじみさんに会ったようで安心します。
 川や池は結氷し鳥も減って行くかもしれませんが、その代わりに小鳥たちがたくさん来ているようで、今はやはり絶好の探鳥シーズンなのでしょう。
 
鳥リスト
キジ、カイツブリ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ダイサギ、バン、イソシギ、イカルチドリ、ケリ、トビ、キジバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、モズ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、シジュウカラ、ウグイス、ツグミ、スズメ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カワラヒワ、シメ、アトリ、ジョウビタキ、カシラダカ、アオジ