『春と修羅』に収録された〈風〉という語を含む詩のなかで、1922年5月の発想日付を持つものが6篇あります。この1カ月間に、微妙に推移する心を読んでみたいと思います。
(1)雲と風と
あゝいゝな、せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
5月10日の日付を持つ「 雲の信号」です。
冒頭〈あゝいゝな、せいせいするな〉を受けて〈風が吹くし/農具はぴかぴか光つてゐるし〉と続き、風は〈いゝ〉ことの事の第一条件です。
山々も歴史のはじまる以前と同じ姿で静まっています。
〈雲の信号〉は作者に何を伝えていたのでしょう。
〈禁欲〉を常に自分に課していた賢治にとって、春、生命の躍動の季節は、辛いものでもあったと思います。〈雲〉は後まで、生々しく性への想いを誘い、賢治に結婚を迫る、という存在だったことを考えると、この〈信号〉もそのような誘惑、あるいはもっと自分を自由にせよ、という呼びかけだったのかもしれません。夜、四本杉に来る鳥には、生物としてありのままに生きているものを感じ、少し救われているのかもしれません。
大正11年当時、現在の花巻文化会館付近が花巻農学校の敷地と決まり、職員と生徒は、毎日その開墾、整地作業に追われたそうです。〈四本杉〉はその近く、現在の市立花巻中学校北側に、昭和52年に落雷のあと伐採されるまで実在した樹齢300年を超える四本立ちの杉でした。当時の地理、賢治の生活を推測できます。
農作業の後の清々しさを、まず〈風〉で感じます。そして、風の力は、自身の葛藤をも、さらりとした表現にしてしまうのかもしれません。
雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
さつきはすなつちに厩肥をまぶし
(いま青ガラスの模型の底になつてゐる)
ひばりのダムダム弾がいきなりそらに飛びだせば
風は青い喪神をふき
黄金の草 ゆするゆする
雲はたよりないカルボン酸
さくらが日に光るのはゐなか風だ
5月12日の日付を持つ「風景」です。
「雲の信号」よりも少し春のうるんだ空気が感じられる詩です。〈また風が来てくさを吹けば/截られたたらの木もふるふ〉と、風はそんな風景を揺らしていきます。
「 雲の信号」と同様、開墾作業で〈さつきはすなつちに厩肥をまぶし〉、疲れが増しているようです。〈気圏の底〉とも表現した周囲の空気は、閉ざされた〈青ガラスの模型の底〉のようで、作者は〈青い喪神〉そのものです。 風は何回もやってきます。
カルボン酸は少なくとも一つのカルボキシ基をもつ有機酸で、無色あるいは白色の結晶または液体です。蟻が生合成するギ酸、食酢の酸味成分である酢酸などがあります。
ギ酸は家畜用飼料の防腐剤や抗菌剤、養鶏業ではサルモネラ菌防除、養蜂業ではダニ殺虫剤として用いる場合があり、農業と深く関わっているもので賢治にとって身近なものだったのでしょうが、ここではその意味ではなく、その〈酸〉
の匂い、色、効果などを、春の雲の喩としたものでしょうか。
〈さくら〉も賢治にとって性の象徴と言われます。雲とさくらの風景は、一層揺れ動く心を表すようですが、〈たよりないカルボン酸〉の雲は、「雲の信号」の場合のように、はっきりとした賢治の躍動する心への応援のメッセージは無かったのかもしれません。
疲れて、明確なときめきを感じられなかった賢治に、雲と桜の風景は漠然としたわだかまりのようにせまっていました。
冒頭に〈雲はたよりないカルボン酸/さくらは咲いて日にひかり〉を、末尾に〈雲はたよりないカルボン酸/さくらが日に光るのはゐなか風だ〉を置いて、一つの心情と風景を切り取って描いているように思います。
2作とも、風は生活に密着し、そして賢治の心の周辺を吹きます。以下次回に続きます。