宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
風―1922年5月 (3)  農場―幻想のなかで―
          
融銅はまだ眩めかず
白いハロウも燃えたたず
地平線ばかり明るくなつたり陰つたり
はんぶん溶けたり澱んだり
しきりにさつきからゆれてゐる
おれは新らしくてパリパリの
銀杏なみきをくぐつてゆく
その一本の水平なえだに
りつぱな硝子のわかものが
もうたいてい三角にかはつて
そらをすきとほしてぶらさがつてゐる
けれどもこれはもちろん
そんなにふしぎなことでもない
おれはやつぱり口笛をふいて
大またにあるいてゆくだけだ
いてふの葉ならみんな青い
冴えかへつてふるえてゐる
いまやそこらはalcohol瓶のなかのけしき
白い輝雲のあちこちが切れて
あの永久の海蒼がのぞきでてゐる
それから新鮮なそらの海鼠の匂
ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた
こんなににはかに木がなくなつて
眩ゆい芝生がいつぱいいつぱいにひらけるのは
さうとも 銀杏並樹なら
もう二哩もうしろになり
野の緑青の縞のなかで
あさの練兵をやつてゐる
うらうら湧きあがる昧爽のよろこび
氷ひばりも啼いてゐる
そのすきとほつたきれいななみは
そらのぜんたいにさへ
かなりの影きやうをあたへるのだ
すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けて
たうたういまは
ころころまるめられたパラフヰンの団子になつて
ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ 
……
  5月18日の日付を持つ、「真空溶媒」は、248行の長詩で、副題(Eine Phantasie im Morgen)が表すように、幻想という設定の風景です。背景は農場ではないかと思います。詩の冒頭から、明けはじめた空を〈融銅はまだ眩めかず/白いハロウも燃えたたず〉と否定形で表現されるので、一瞬ネガティブな雰囲気になります。
 でも〈おれ〉は、芽生えたばかりのイチョウ並木を心地よく歩いて行きます。〈いてふの葉ならみんな青い/冴えかへつてふるえてゐ〉て、青さは心を澄ませてくれるようです。
 賢治は電信柱の列を好みました。それは、『注文の多い料理店』の広告チラシには〈深い椈の森や、風や影、肉之草や、不思議な都会、ベーリング市迄続々電柱の列、それはあやしくも楽しい国土である〉が示すように、広い世界や未来へのつながりを感じさせるものだったのでしょう。童話「月夜の電信柱」も創られました。同様に並木、雲の列、人の列、等含めて、『春と修羅』同補遺で14例、「春と修羅第二集」、同補遺で10例あり、ほとんどが好意的な描き方をしています。〈あさの練兵をやつてゐる〉イチョウ並木には、整然とした美しさ、その先に続く、果てなく拡がって行く空間に心が躍ったのかもしれません。
 透明感を増す風景の中で、ヒバリも〈氷ヒバリ〉になります。風は〈すきとほつたきれいななみ〉となって、〈そらのぜんたいにさへ〉ています。
風が雲を〈ころころまるめられたパラフヰンの団子にして動かし、地平線がゆれると、幻想の風景に入って行きます。
 
……
むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
あるいてゐることはじつに明らかだ
(やあ こんにちは)
(いや いゝおてんきですな)
(どちらへ ごさんぽですか
  なるほど ふんふん ときにさくじつ
  ゾンネンタールが没くなつたさうですが
  おききでしたか)
 (いゝえ ちつとも
  ゾンネンタールと はてな)
 (りんごが中つたのださうです)
 (りんご、ああ、なるほど
  それはあすこにみえるりんごでせう)
はるかに湛へる花紺青の地面から
その金いろの苹果の樹が
もくりもくりと延びだしてゐる
 (金皮のまゝたべたのです)
 (そいつはおきのどくでした
  はやく王水をのませたらよかつたでせう)
 (王水、口をわつてですか
  ふんふん、なるほど)
 (いや王水はいけません
  やつぱりいけません
  死ぬよりしかたなかつたでせう
  うんめいですな
  せつりですな
  あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)
 (えゝえゝ もうごくごく遠いしんるいで)
いつたいなにをふざけてゐるのだ
みろ、その馬ぐらゐあつた白犬が
はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
いまではやつと南京鼠のくらゐにしか見えない
 (あ、わたくしの犬がにげました)
 (追ひかけてもだめでせう)
 (いや、あれは高価いのです
  おさへなくてはなりません
  さよなら)
苹果の樹がむやみにふえた
おまけにのびた
おれなどは石炭紀の鱗木のしたの
ただいつぴきの蟻でしかない
犬も紳士もよくはしつたもんだ
東のそらが苹果林のあしなみに
いつぱい琥珀をはつてゐる
そこからかすかな苦扁桃の匂がくる
すつかり荒さんだひるまになつた
どうだこの天頂の遠いこと
このものすごいそらのふち
愉快な雲雀もたうに吸ひこまれてしまつた
かあいさうにその無窮遠の
つめたい板の間にへたばつて
瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない
もう冗談ではなくなつた
画かきどものすさまじい幽霊が
すばやくそこらをはせぬけるし
雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる
それからけわしいひかりのゆきき
くさはみな褐藻類にかはられた……
 
 最初の人物―〈鼻のあかい灰いろの紳士〉が〈うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて〉登場です。
 ここで〈おれ〉はそれを〈じつに明らかだ〉と、現実であると確認しようとしていますが広がるのは幻想の世界です。
 〈ゾンネンタール(太陽の谷)氏〉の死を巡って、劇薬の王水を医薬品として飲ませるなど、不気味な不可解な世界が広がりますが、紳士は犬を追って去ります。
 周辺が巨大になり〈おれ〉は一匹の蟻になったような錯覚に落ちて、天頂は遠くなり、ヒバリは吸い込まれて、〈画かきどものすさまじい幽霊〉が出現、〈雲はみんなリチウムの紅い焔をあげ〉ています。
 
……
こここそわびしい雲の焼け野原
風のヂグザグや黄いろの渦
そらがせわしくひるがへる
なんといふとげとげしたさびしさだ
 (どうなさいました 牧師さん)
あんまりせいが高すぎるよ
 (ご病気ですか
  たいへんお顔いろがわるいやうです)
 (いやありがたう
  べつだんどうもありません
  あなたはどなたですか)
 (わたくしは保安掛りです)
いやに四かくな背嚢だ
そのなかに苦味丁幾や硼酸や
いろいろはいつてゐるんだな
 (さうですか
  今日なんかおつとめも大へんでせう)
 (ありがたう
  いま途中で行き倒れがありましてな)
 (どんなひとですか)
 (りつぱな紳士です)
 (はなのあかいひとでせう)
 (さうです)
 (犬はつかまつてゐましたか)
 (臨終にさういつてゐましたがね
  犬はもう十五哩もむかふでせう
  じつにいゝ犬でした)
 (ではあのひとはもう死にましたか)
 (いゝえ露がおりればなほります
  まあちよつと黄いろな時間だけの仮死 ですな
……
 

 
  幻想から立ちかえった現実の中で描かれる風は、「おきなぐさ」などの場合と同様、雲の形容ですが、夜明けの光に照らされる雲を描きながら、〈わびしく〉、〈ヂグザグ〉に、また〈渦〉まいて、すっきりとは吹きません。
  次の瞬間、新しい幻想が始まって、〈おれ〉は〈保安掛り〉を名乗るものから〈牧師さん〉と呼ばれています。 
 
……
ううひどい風だ まゐつちまふ
まつたくひどいかぜだ
たほれてしまひさうだ
沙漠でくされた駝鳥の卵
たしかに硫化水素ははいつてゐるし
ほかに無水亜硫酸
つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
しやうとつして渦になつて硫黄華ができる
    気流に二つあつて硫黄華ができる
        気流に二つあつて硫黄華ができる
 (しつかりなさい しつかり
  もしもし しつかりなさい
  たうたう参つしてしまつたな
  たしかにまゐつた
  そんならひとつお時計をちやうだいしますかな)
おれのかくしに手を入れるのは
なにがいつたい保安掛りだ
必要がない どなつてやらうか
         どなつてやらうか
            どなつてやらうか
               どなつ……
水が落ちてゐる
ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ
悪い瓦斯はみんな溶けろ
 (しつかりなさい しつかり
  もう大丈夫です)
何が大丈夫だ おれははね起きる
 (だまれ きさま
  黄いろな時間の追剥め
  飄然たるテナルデイ軍曹だ
  きさま
  あんまりひとをばかにするな
  保安掛りとはなんだ きさま)
いゝ気味だ ひどくしよげてしまつた
ちゞまつてしまつたちいさくなつてしまつた
ひからびてしまつた
四角な背嚢ばかりのこり
たゞ一かけの泥炭になつた
ざまを見ろじつに醜い泥炭なのだぞ
背嚢なんかなにを入れてあるのだ
保安掛り、じつにかあいさうです
カムチヤツカの蟹の缶詰と
陸稲の種子がひとふくろ
ぬれた大きな靴が片つ方
それと赤鼻紳士の金鎖
……
 
 ここでまた、現実の〈ううひどい風だ まゐつちまふ〉という強風に〈おれ〉は〈保安掛〉の怪しさに気づきます。〈黄いろな時間の追剥め/ 飄然たるテナルデイ軍曹だ〉という追求に、〈保安掛〉は〈泥炭〉のかけらとなってしまいます。
 〈テナルデイ軍曹〉は、ユーゴ「レ・ミゼラブル」に登場する、元軍曹で戦場の戦死者から盗んだものを元手に宿屋を開き、少女コゼットを酷使するテナルディエを表しています。作者ユーゴから〈最も救われぬ悪党〉と評される人物です。
 「レ・ミゼラブル」は、黒岩涙香による翻案が『噫無情』(ジー・ミゼラブル ああむじゃう)の題で、1902年(明治35年)10月8日から1903年(明治36年)8月22日まで『萬朝報』に連載されたのち、すぐ刊行され広まりました。また、1918年〜1919年、豊島与志雄の訳で新潮社から『レ・ミゼラブル』」として刊行されました。
 ただし、『噫無情』は翻案ですから、登場人物は日本名で漢字表記され、ジャン・バル・ジャンは〈戎瓦戎〉、少女コゼットは〈小雪〉、テナルディエは〈手鳴田〉です。賢治の表記は〈テナルデイ〉なので、おそらく豊島与志雄の訳のものに触れたのだろうと思います。
そのコソ泥のイメージは、行方不明の赤鼻紳士の持ちものを隠し持つ保安掛にぴったりです。ここでも風は場面の転換点となります。
 
……
どうでもいゝ 実にいゝ空気だ
ほんたうに液体のやうな空気だ
 (ウーイ 神はほめられよ
  みちからのたたふべきかな
  ウーイ いゝ空気だ)
そらの澄明 すべてのごみはみな洗はれて
ひかりはすこしもとまらない
だからあんなにまつくらだ
太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
おれは数しれぬほしのまたたきを見る
ことにもしろいマヂエラン星雲
草はみな葉緑素を恢復し
葡萄糖を含む月光液は
もうよろこびの脈さへうつ
泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる
 (もしもし 牧師さん
  あの馳せ出した雲をごらんなさい
  まるで天の競馬のサラアブレツドです)
 (うん きれいだな
  雲だ 競馬だ
  天のサラアブレツドだ 雲だ)
あらゆる変幻の色彩を示し
……もうおそい ほめるひまなどない
虹彩はあはく変化はゆるやか
いまは一むらの軽い湯気になり
零下二千度の真空溶媒のなかに
すつととられて消えてしまふ
それどこでない おれのステツキは
いつたいどこへ行つたのだ
上着もいつかなくなつてゐる
チヨツキはたつたいま消えて行つた
恐るべくかなしむべき真空溶媒は
こんどはおれに働きだした
まるで熊の胃袋のなかだ
それでもどうせ質量不変の定律だから
べつにどうにもなつてゐない
といつたところでおれといふ
この明らかな牧師の意識から
ぐんぐんものが消えて行くとは情ない
……
 
 意識から強引に〈保安掛〉を消し去ると、空気は〈液体のやう〉―冷たく澄んで重い感じでしょうか―、太陽の真下で見える〈マジェラン星雲〉、〈天の競馬のサラブレット〉の雲、〈零下二千度の真空溶媒〉という幻想が始まり、〈おれ〉のステッキやチョッキも奪われています。〈質量不変の定律〉、という意識を持ちながら幻想に勝つことができません。
 
……
(いやあ 奇遇ですな)
 (おお 赤鼻紳士
  たうたう犬がおつかまりでしたな)
 (ありがたう しかるに
  あなたは一体どうなすつたのです)
 (上着をなくして大へん寒いのです)
 (なるほど はてな
  あなたの上着はそれでせう)
 (どれですか)
 (あなたが着ておいでになるその上着)
 (なるほど ははあ
  真空のちよつとした奇術ですな)
 (えゝ さうですとも
  ところがどうもおかしい
  それはわたしの金鎖ですがね)
 (えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です)
 (ははあ 泥炭のちよつとした奇術ですな)
 (さうですとも
  犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)
 (なあにいつものことです)
 (大きなもんですな)
 (これは北極犬です)
 (馬の代りには使へないんですか)
 (使へますとも どうです
  お召しなさいませんか)
 (どうもありがたう
  そんなら拝借しますかな)
 (さあどうぞ)
おれはたしかに
その北極犬のせなかにまたがり
犬神のやうに東へ歩き出す
まばゆい緑のしばくさだ
おれたちの影は青い沙漠旅行
そしてそこはさつきの銀杏の並樹
こんな華奢な水平な枝に
硝子のりつぱなわかものが
すつかり三角になつてぶらさがる
 
 そこに最初に出現した赤鼻の紳士が登場します。〈おれ〉は紳士から犬を借り受け、犬の背中にまたがって犬神のように東へ向かいます。
目覚めた場所は、〈さっきの〉、若いイチョウの並木でした。ここはどこでしょうか。〈おれ〉は、結局同じ場所にいて、幻想(ファンタジー)の歩行をしていたのです。
 〈犬神〉は、「サガレンと八月」、「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」にも登場します。「サガレンと八月」では、カラフト北方アムール川下流域に住む少数民族ギリヤークの伝説に登場する神で、子どもをさらって海の底につれていきチョウザメの下男にします。「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」では森の奥に子どもを誘いこむ怖いものです。二作とも禁忌を犯した子供への罰として登場します。 西日本に広く伝わる「犬神」のように憑きものとしての性格はありません。この作品でも、ギリヤーク伝説に関心を持っていた賢治が、幻想の中で寓話の小道具のひとつとして使ったのではないかと思います。
 
 この作品の舞台は「おきなぐさ」、「かはばた」とは違って、ある程度人手の加わった農場だと思います。
 農場の先進的経営には傾倒した賢治ですが、そこには必然的に人間が存在し、ある種の葛藤も感じていたのかもしれません。農場で賢治を幻想に導くものは、〈人間〉だったのではないでしょうか。
 〈赤鼻の紳士〉のモデルに会い、あるいは思い起こし、連想は進み、自らを卑小化して蟻となってしまいます。
 一瞬の、現実としての風が生む雲の風景―ジグザグに吹き焼け野原の雲―は、また新たな保安掛の連想を呼びます。これも農場にいそうな人物設定です。さらに、そこから→追剥→泥炭という穏やかでない連想を生みます。
 その後の幻想は、爽やかな周囲の風景のはずが、冷たく重い〈真空溶媒〉の中、チョッキやステッキを奪われる、という、マイナス方向です。
 紳士や保安掛の意味するもの探すのは重要だと思います。でもその現実よりも、そこから生まれた幻想のなかを駆け抜けるように続いていく詩は、周辺の冷たく澄んだ空気の様子の描写とともに、その時代の賢治の心ではないでしょうか。
 風は現実のものとして吹き、雲を描写し、また幻想の転換のために使われています。
 「小岩井農場」にも、賢治の様々な人間への思いが綴られていました(注1)。次章で検討したいと思います。
 
注1 
 拙稿「宮沢賢治の直喩T 『春と修羅』、「小岩井農場」を中心に
   ―人間への思い―」(個人ブログ「宮沢賢治 風の世界」
   2014、11、15)
 
参考 
 伊藤雅子「イーハトーブを荘厳する電柱の列」(『賢治研究48』 
 宮沢賢治研究会 1988、10)
 黒岩周六(涙香)訳『噫無情』第二十版 (扶桑堂 大正七年)
  豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル』新潮社1918-19 
                 現在は岩波文庫所収 全4巻 
 天沢退二郎「真空溶媒」論序説「国文学解釈と鑑賞68−9」03,9

 
 
 







永野川2015年6月上旬
7日
  初夏の気持ちよい気温と日差しに恵まれて出かけました。
 上人橋からはいります。
 浚渫工事は、ほぼ終了なのか、かなり広いヨシ原、中州が埋められて、平坦な盛土となりました。流れも広くなり確かにきれいになりました。でもこの後どうするのでしょうか。また雑草が生えて、削る、という繰り返しでしょうか。目的を考えて―例えば、ヨシ原を育成する、芝生にする、野草・昆虫の生育場所にする……など、今から計画を立てれば無駄な仕事は省けると思います。
 田植えが進み、上人橋付近でもヒバリ、ホオジロの声や、シュレーゲルアオガエルの声も聞こえます。
 合流点と泉橋との間の川辺のススキ(ここにはヨシはありません。)から、今季初、オオヨシキリの声が聞こえました。まだおずおずとした感じで途切れがちでした。少し上流の栃木陶器瓦前の川辺でも、聞こえました。
いずれも昨年とは違う場所です。公園内のヨシ原ではまだ聞こえませんでした。かつて、うるさいほど鳴いていたことを思い出します。場所が増えることは嬉しいのですが、ただ移動しているだけのようで、確実にオオヨシキリの数は減っています。
 大岩橋から上流の大砂橋までを往復してみました。た。公園とは違って、自然が残っている感じですが、植生されたアジサイや梅なども所々にあります。
 ヨシ原にはオオヨシキリの声はありませんでした。中洲があまりないので、セキレイ類、シギ・チドリ類なども見られませんでした。
 ただ、山林と田とソバ畑等が連なっているので、季節が回ればまた違った鳥が現れるかもしれません。いつも聞くホトトギスの声が近くで聞こえ、コジュケイも鳴きました。なぜか鳥の声が大きく響きます。
 でも、やはり公園内の鳥種の多さにはかなわないかもしれません。なぜ公園にこだわるか、と言えば、やはり、安全で身近なところに豊富な鳥や生物がいることだと思います。やはりきちんと考えていかなければ、とあらためて思いました。
 公園土手の法面と大岩橋下の草むらは、刈り取られました。今の時期は仕方ないことかもしれませんが、この一回にしてほしいと思います。よりよい再生を待つしかありません。
 第五小付近で、イカルチドリ、見る方向を変えてゆっくり見ましたが、コチドリのようなアイリングは見られませんでした。
 カルガモが、あちこちで単独で見られました。子育ては終わったのでしょうか。親子に見えるハシボソカラスの3羽連れがいて、こちらはまだ育児中のようでした。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、アオサギ、ダイサギ、ホトトギス、イカルチドリ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、オオヨシキリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ

 
 
 







永野川2015年5月下旬
26日
心地よい初夏の空気です。
二杉橋上流では、この時期ほとんど水の流れありません。
ツバメが1羽、2羽、イカルチドリらしいピキッという感じの声、ダイサギが1羽悠然と歩いているだけでした。
今日もホトトギスの声が聞こえます。太平山方面からのようです。
カワラヒワが2羽、珍しく川を渡って飛びました。ペアでしょうか。
赤津川との合流点近くの川岸で、ホオジロより少し細めで、頭部の色が少し白っぽく灰色にみえる鳥を3羽見つけました。図鑑で見るとシラガホオジロにそっくりですが、この場所、この時期にいるはずがないので、ホオジロの幼羽かと思います。
赤津川で、久しぶりにカイツブリの繁殖声を聞きました。姿は見えませんでしたが、もう少ししたら浮巣が見られるかもしれません。
コガモが1羽、川岸の草むらから出てきて一瞬見えなくなりました。渡らなかったのでしょうか。
 
今日は、大岩橋から南側の岸を少し遡ってみました。針葉樹林―植生されたスギ林―、広葉樹林―栽培している栗林―があり、シジュウカラの声がよく響きました。川にはかなり広いヨシ原がありました。もしかしたら、ここにもヨシキリが来るかもしれません。公園と違ってゆっくり見ていられる場所ではないかもしれませんが、ここをフィールドに加えてみようかと思います。
公園内の川にカルガモのペアがひっそりとしていました。もうヒナがどこかにいるのでしょうか。
公園の調整池の排水溝に、石と見まがうウシガエル、かなり大きく、方向を変えるくらいで、ほとんど動きませんでした。
公園全体、草刈りの真っ盛りです。まだ法面は刈られていないのですが、時間の問題かもしれません。合流点近くの浚渫工事は止まること知らずという感じで、このごろ無力感の方が大きく、〈あまり目にしたくない〉と思う日が続きそうです。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、ホトトギス、イカルチドリ、コゲラ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ

 
 
 







風―1922年5月 (2)オキナグサ
  
風はそらを吹き
そのなごりは草をふく

おきなぐさ冠毛の質直(しつぢき)
松とくるみは宙に立ち
  (どこのくるみの木にも
   いまみな金のあかごがぶらさがる)
ああ黒のしやつぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸の雲
 
 5月17日の日付の「おきなぐさ」です。
 冒頭から〈風はそらを吹き/そのなごりは草をふく〉と、風は読む者の眼を上下に、広い空間に向けさせています。賢治も風を追って見ているのだと思います。
 〈質直(しつぢき)〉は地味で生真面目、という意味合いですが、オキナグサの冠毛が〈質直〉だったということは、飛散する前の繊細な糸の様がその時の賢治の眼にはそう映ったのでしょうか。
 また賢治の眼は上方に転じて、クルミやマツを見ています。クルミは〈金のあかご〉をつけ次世代への準備をしています。クルミやマツなどあまり大きくないものが〈宙に立ち〉ということは、賢治は野原に寝転び、下から見上げているのでしょう。
 ここで大きな疑問は〈黒のしやつぽ〉がなぜ〈かなし〉いのか、〈黒のしやつぽ〉とは何かです。5月14日の日付の詩「休息」に〈帽子をとつてなげつければ黒のきのこしやつぽ〉があり、時間的、位置的にも近いので、同じ帽子と見て良いと思います。これは、風景にそぐわない帽子―すなわち自分という繋がりでしょうか。
 賢治は終生帽子を愛用していたようです。よく知られているのは、ベートーヴェンを真似たという写真で着用している、ボーラーハット―山高帽―で盛装用です。これは黒色ですが〈きのこしやつぽ〉とは言えない気がします。2000年7月24日岩手日報記事によると、父政次郎氏が賢治に買い与えたものらしいという茶色のフェルト帽が見つかりましたが、これも山高帽型です。
 佐藤隆房『宮沢賢治素顔のわが友』(冨山房)に出て来る帽子は、麦わら帽子、鉋屑帽子、黒い帽子、パナマの帽子などでした。(ちなみに鉋屑帽子(かんながらぼうし)は鉋屑で編みあげた帽子で、1924年農学校の生徒たちと土質調査に行った時に着用していたとされます。現在も存在するもので、ヒノキなどで編めば心地よい香りに包まれそうです。)
 1922年当時、あるいは賢治は身だしなみを意識して黒いお洒落な帽子を着用して野原を歩き、この帽子の違和感を持ち始めたのかもしれません。〈かなしさ〉という言葉は、賢治のそんな心の動きを表現しようとしたものでしょうか。
 空の底に横たわった賢治は、その帽子とオキナグサを一つの絵として捉えて後、そのまま眼を空に向けます。ここでも手元の〈黒のしやつぽ〉から上方の〈雲〉への視線の変化があります。
 〈光酸〉という語は、管見した限りではみつかりませんでしたが、『標準化学用語辞典』(丸善 1991)によると〈光酸化〉は「光の吸収によって起こる酸化反応の総称。光を吸収した物質の酸化から光励起種が酸性物質を活性化して起こす酸化までを含む」とあり、他の辞典で光による退色等も含むとあります。賢治が何を意図して〈光酸〉という語を使ったかは不明ですが、雲が太陽光によって、化学変化を起こしたような色彩に変化していることだと思います。
 同じような感覚の言葉として翌日18日の日付の「真空溶媒」(『春と修羅』)、に〈こここそわびしい雲の焼け野原/風のヂグザグや黄いろの渦/そらがせわしくひるがへる/なんといふとげとげしたさびしさだ〉、では風の形容にからませながら雲の様子を記述しています。
 童話「おきなぐさ」で、オキナグサのみつめる雲の姿を思い出します。そこでは、雲は切れ切れに飛ぶのですが、〈山脈の雪はまっ白に燃え、眼の前の野原は黄いろや茶の縞になってあちこち堀り起された畑は鳶いろの四角なきれをあてたやうに見えたりしました。/ おきなぐさはその変幻の光の奇術の中で夢よりもしづかに話しました。〉と、雲によって変化するのは地上の風景です。〈風〉を視覚から描くとき、多くの場合、雲の描写でした。
 
かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子
 
 同じ日付の「かはばた」です。
 カッコでくくられた(われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)は、過去の事実か心象風景です。童話「おきなぐさ」には〈小岩井の野原には牧草や燕麦がきんきん光って居りました。〉とあり、燕麦はこの時期には成長しています。
  〈せきばらひ〉は誰でしょうか。風の音とも考えられますが、あるいは人恋しく、風の音が咳払いに聞こえたのでしょうか。
 「鈴谷平原」(一九二三、八、七)にも同じような表現がありました。この時は〈サガレンの古くからの誰かだ〉とそこの歴史のことを考えています。
 風の音のなかに潜むものまでを聴きとれる、静寂の中で、〈伴奏をつゞけ〉るオキナグサとは、そろって風に揺れている姿の形容です。あるいは賢治はそこから何か音を聞き取っているのかもしれません。
 賢治は本質的に子どもが好きだったのだと思います。詩の中の多くの場合、肯定的な暖かな眼が注がれています。ここで子どもは光に包まれていました。
 風と光と雲と、切り取られた風景の中で、輝いています。
 
 童話「おきなぐさ」の一節に、〈それから二ヶ月めでした。私は御明神へ行く途中もう一ぺんそこへ寄ったのでした。〉がありました。〈御明神〉は、現在、岩手県岩手郡雫石町の御明神、上野、橋場一体で、昭和30年まで、御明神村でした。
 そして、そこには盛岡高等農林学校付属の演習林と経済農場があり、果樹や畜産、林業の実習教育が行われ、賢治も実習のためたびたび通っていました。当時の交通手段は全て徒歩で、賢治が周辺の風景や植物や鉱物を、心の糧として蓄積して行ったことは想像できます。
 短歌でも、オキナグサは大正4年〜6年、歌稿AB234、321、453、504、と4回読まれています。主に群れ咲く花の風景ですが、453は、〈ベムベロ〉という呼び方への賛歌で、504は冠毛の飛散の美しさが詠まれていて、オキナグサへの想いが次第に醸成して行ったことが感じられます。                     
 「おきなぐさ」、「かはばた」の2作には、トシの死という不幸に見舞われる以前、賢治がひたすら、風や雲や光の中に心象を溶け込ませた時代を感じることができます。
次回は、小岩井農場を舞台にした風について考えます。

参考 雫石観光協会HP


 







永野川2015年5月中旬
18日
 午後は雨の予報ですが、日差しはありまずまずのお天気です。
 二杉橋から遡り、第五小近くで、まずアオサギ1羽、ウグイスの警戒声、ツバメ1羽、ハクセキレイ1羽が中洲で動く程度、川の水が減って、少し淋しい風景です。
  公園に入るとヤナギの大木あたりで、今季初めてシュレーゲルアマガエルの声がしました。昨年の今頃の探鳥会で教えてもらった声です。
 中洲で、コチドリ一羽、はっきりしたアイリングと、微妙に黒い尾の先です。このあたりはイカルチドリのみか、と思ってよく観察しませんでしたが、季節にはやはり来ているのですね。
 カルガモのペア、これが今日初めてのカルガモです。いつも思うのですが、カルガモやバンやカイツブリが、一斉にいなくなることがあるような気がしますが一体どこに行ってしまうのでしょう。
 森の方で、ホトトギスの声がしました、今季初めてです。
 キリギリスがもう鳴きはじめ、季節がどんどん変わって行きます。
 公園でユリノキが花をつけました。クリームとオレンジのグラデーションがきれいです。
 川岸でノバラが目立ちます。とくに大岩橋上の河川敷は株があちこちにあります。これもブルドーザーにもめげず再生した花です。
 この前疑問だった法面の植物は、やはりヒメジョオンのようです。まだ開かない蕾のさきが白く、茎は充実しています。
 永野川岸でウルシが白い花をつけていました。何回も見た木ですが、花に気づいたのは初めてで、ウルシというイメージから離れて可憐でした。
 鳥の少ない時期になりましたが、一つの発見を目指してがんばりたいと思います。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、ホトトギス、コチドリ、コゲラ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ