宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2015年7月中旬
19日
 台風による豪雨がようやく上がりました。今日から早朝探鳥を目指し、5:45くらいに家を出ました。休日のせいもあって、車も人通りもありません。
 上人橋から入ると、やはり定位置でホオジロ囀っていました。ウグイスも2か所で鳴いています。今年初めてミンミンゼミが鳴きました。我が家では2日前が初鳴きでした。公園の桜並木では先回とおなじにニイニイゼミが鳴いていました。
 赤津川、泉橋上で、カワセミが1羽、上流へ向かって飛びました。3月の下旬以来です。もうこの辺にはいなくなったのか、と心配していました。これは今日最大のご褒美です。
 ツバメも少なくて、時折1羽ずつ舞ってきます。子燕らしい一回り小さく声が何か上ずっている感じのものもいました。もうじき連れだって南へ帰るのでしょうか。
 瓦工場付近で、イソシギが川を下降していきました。水量が増えていて鳥のいる場が無いようです。
 新井町付近の田でヒバリが2羽、囀らず休耕田を低く飛んで行きました。
 大岩橋上で、向こう岸の山から飛び立って旋回するもの1羽、とても姿がよかったので何かと期待したのですが、キジバトでした。今日はその後も3羽確認出来ました。
 公園内の川もほとんど中州がなかったのですが、セグロセキレイが水面を3羽飛んでいきました。その後も計6羽確認出来ました。ハクセキレイは、睦橋下の中州で3羽が戯れるように飛んでいました。水量が多い割にセキレイ類が多かったと思います。
 ハシボソカラスが公園の芝生で7羽が群れていたほか、ハシブトカラスも山林で群れて鳴いていました。この辺にしては目立つ数です。
 ヤブカンゾウはそろそろ終わりで、アレチマツヨイグサの黄の純色が美しかったのですが、昨年よりもめっきり減って、2、3か所のみでした。昨年は大岩橋下の草地にはオオマツヨイグサもあったのですが、今年は見当たりません。
 先日除草剤が撒かれた場所の反対側の草地にも立て看板があったので、また除草剤をまくのかもしれません。この法面のあたりにも赤いポールがところどころ立っていて、ここにも撒かれるのでしょうか。明日、行政は休みで訴える間もなく、火曜日あたりには撒かれそうです。一体どんなビジョンと美意識を持って公園管理にあたっているのでしょうか。
 公園の調整池にホテイアオイを入れたようです。ひょっとして善意の市民がやったことなのかもしれないのですが、これは繁殖力が強く環境的にはどうなのでしょう。
 7時過ぎると少し暑くなりましたが、早朝の川はここちよく、晴天を待ってまた出かけたいと思います。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、イソシギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ

 
 







永野川2015年7月上旬
10日
 今週に入って雨の日が続き、やっと出かけることが出来ました。この時間しかとれず、出先からまわり、12:00〜13:30の真昼の探鳥となりました。
 さすがに人の姿はなく、風があるのでさほど暑くは感じませんが、色濃い緑に太陽が降り注いでいます。熱中症は恐いので日陰を探しつつ歩きまし た。
 インター近くの橋か南下しました。この暑さで鳥も動かないらしく水だけが豊富に流れています。
 新井町付近で水辺の木陰に、カルガモが3羽、少し小さいのもいるので、ヒナが育ってしまったのかもしれません。今年は一度もヒナを見られませんでした。少し先で久しぶりにカイツブリが1羽潜水を繰り返していました。
 大砂橋から少し下ったヨシ原付近ではホオジロが囀っていました。ここは上人橋付近とともに定位置のようです。鳴き声だけですが、違う鳴き方のウグイスも2羽いました。
 ゴルフ練習場付近で、セグロセキレイの幼鳥2羽と成鳥1羽、公園内の中州ではセグロとハクセキレイ3羽、久しぶりのように思えます。
 先回と同様、虫を咥えたスズメが3例、暑い路上で、咥えた餌をもう1羽に食べさせようとするペアに2度出会いました。
 公園の桜並木で、蝉が鳴いたようでした。周辺はキリギリスの声がうるさいほど鳴き、それにかき消されるくらいの声で、アブラゼミではないようです。もしかするとニイニイゼミかもしれません。ネットでニイニイゼミの声を確認すると確かにこの声のようです。もう一度確認出来れば確実ですが。
 公園では、オハグロトンボが足元に、シオカラトンボ、ギンヤンマが自転車のハンドルに次々にやってきました。ほんの10分くらいの間にこれだけ見つかるのは、やはりここは自然観察地と言えるのかもしれません。
 法面のオレンジ色の花は、やはりヤブカンゾウのようです。花茎の傍には、カンゾウ独特の葉が残っていたし、花の形がキツネノカミソリではありませんでした。ただ背丈は低く花も小さいようです。カンゾウはユリ科、キツネノカミソリはヒガンバナ科なので、交配はありえませんね。キツネノカミソリも、もう少し遅い時期に、確かにここでも咲いていたので、また注意深く見ていこうと思います。ただ、この後伐採があると見られなくなりますが。
 公園では、ホトトギスの声が聞こえました。水道山方面からかもしれません。まだこのあたりに確かにいるのがわかり、ほっとしました。
 公園の北側の草地にかなり広い範囲で除草剤が撒かれたようです。道を挟んで川側には撒かれていないようですが、何故この場所なのでしょう。黒く枯れて見苦しいとは思わないのでしょうか。枯れているのは小さい雑草だけで、背の高い、種をつけたイネ科の雑草は残っています。公園には薬剤アレルギーの市民だって来ると思います。そのうち法面にも撒かれるのでしょうか。やはり今度は環境課に行ってみるべきかもしれません。
 鳥種は少なかったのですが、とりあえず常連さん一通りには会えたひとときでした。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、ホトトギス、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、スズメ、カワラヒワ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ

 
 







永野川2015年6月下旬
28日
 梅雨の晴れ間のよい天気です。
二杉橋から遡ってみました。二、三日雨が続いたせいで川の水が増え、中州は消えてダイサギが一羽水中を歩いていました。
 さくら保育園付近で、公園の方角からホトトギスの声が聞こえました。公園の中に来ているようで、滝沢ハムに近づいた時も少し声が大きくなりましたが、それ以上には接近できませんでした。
 カワラヒワ、ウグイス、ホオジロが囀っています。
 赤津川との合流点近くで、合流点で胸の黄色の強いカルガモが3羽、赤津川でも4羽の群れの中にも1羽いました。遠くでは見えなかったのかもしれませんが、いても1羽で、ここ2、3年は見かけなかった気がします。
 ツバメも多く、赤津川泉橋近くの電線で4羽並んで留っていました。以前は、もっとたくさん電線に留っている光景をよく見かけましたが、この頃珍しいことです。イワツバメは確認できませんでした。
 今日も餌をくわえているヒバリやスズメを見かけました。ヒナが育っているのでしょう。
 公園の中では、コゲラが1羽飛び過ぎ、20分後くらいに、公園の桜並木のはずれで、低い枝に飛び移って来たので、細かく観察できました。風に頭の羽が逆立っていましたが、赤い斑点は見えませんでした。
 公園内の川で、イソシギが1羽鳴きながら飛び、永野川の睦橋近くの河川敷で、イカルチドリが2羽争うように飛びました。ここまでくると中州が増えてきます。
 公園の法面に、一面にキツネノカミソリかと思われるものが蕾をつけていました。こんなに広範囲に広がっているのは今年が初めてです
でも蕾の付きかたや背丈3〜40cmなのは、キツネノカミソリのようですが、二つ三つ咲きはじめた花は、小さいけれどヤブカンゾウのように花びらが広く赤みがあります。もっと咲けば、見わけがつくかもしれません。あるいは交配してしまったのかもしれません。ヤブカンゾウは、永野川の岸では咲きはじめていました。
 公園の滝沢ハム近くを歩いていると、ほのかに花の香りが漂ってきました。近くの休耕田にヒメジョオンが一面に咲き、そろそろ咲き終わりの時期でした。少し歩いて道端のヒメジョオンを嗅いでみると、確かにさっきと同じ香でした。ヒメジョオンに香りがあることを初めて知りました。花の終りには、香りが一段と強くなるので、私にも気付けたのかもしれません。
 オオヨシキリの声は、聞こえませんでした。あらためて伸びはじめたヨシをみると、植生が豊かで鳥の多い場所にはヨシが多いようです。ススキは荒野にもあるけれど、ヨシは少し恵まれた所にあるのでしょうか。ヨシを育成することは自然の再生でもあるのかもしれません。
 アレチウリが伸び始めましたが、今年は勢いがまだ少ないようで、木まで一面を覆い尽くす、といところまでは来ていません。公園のワンドでは除去してくれたのでしょうか。
 そろそろ暑くなり、早朝の探鳥に切り替えなくてはなりません。鳥が少ないのも一つの現象とみて、また観察を続けていきましょう。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カルガモ交雑種、アオサギ、ダイサギ、イカルチドリ、イソシギ、コゲラ、ホトトギス、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、カワラヒワ、ホオジロ

 







風―1922年5月 (4) 「小岩井農場」―歩行と幻想  ・(5)1922年5月の風
 一九二二、五、二一、の日付を持つ「小岩井農場」は、パート一〜パート九(パート五、六、八を除く)まで、計591行の長詩です。パート五、六は草稿のみ残りますが、パート八はタイトルも実体もありません。
 「真空溶媒」と異なり、〈わたくし〉が〈小岩井農場〉を歩行しているのは確かです。歩行しながら、描き出される風景の底深く、作者の人間への想いがあるように思われます(注1)。そんななかで風はどのように描かれるでしょうか。
 〈風〉の文字で表現されているのは、パート一に1例、パート四に1例、パート七に2例で、詩の量に比して少ないと思われます。
まず1例ずつ考察していきます。
 
1、パート一
 
……前略
山ではふしぎに風がふいてゐる
嫩葉がさまざまにひるがへる
ずうつと遠くのくらいところでは
鶯もごろごろ啼いてゐる
その透明な群青のうぐひすが
 (ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
  ハンスがうぐひすでないよと云つた)
馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に濾された日光のために
いよいよあかく灼けてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雲が展けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草
松木がおかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰欝にふるびて見える
 
 詩では、〈わたくし〉が、橋場線小岩井駅で汽車を降りて、鞍掛山をめざして小岩井農場を歩き眼にする風景や心象が断片的に次々に描かれながら繋がっていきます。
  パート一では、いっしょに列車を降りた人たちの行く方向や、知り合いに似た人の乗って行った馬車のことを気にかけながら〈歩測〉の時のように早足で進みます。〈こここそ畑になつてゐる〉は賢治の望みが農耕地等の自然にあったのを感じさせます。
  そこから目を転じた山は穏やかな〈ひわいろ〉で、そこだけ風が吹いて若葉は揺れ、心地よい風景です。でも、また去って行った馬車が気になります。
  賢治は「屈折率」(一九二二、一、六、)を残しています。それに呼応して、〈わたくし〉は、冬ここへきたときの思い出のうえに、今、この同じ場所で動きだした春の息吹を深く享受して、続いて行く〈小岩井のきれいな野はらや牧場〉に心休めています。〈風〉の言葉はないのですが、風を感じる心躍る表現です。それは季節を動かしているものに風を感じるからかもしれません。
  そこからまた歩行は続いて行きますが、風は一瞬の目の移動や心の高揚によって、現実にも心の中にも吹いて、作者の心の安らぎを感じさせ 表現上でも転換点となっています。
 
2、パート四
 
……前略……
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
往つたりきたりなんべんしたかわからない
   (四列の茶いろな落葉松)
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
風やときどきぱつとたつ雪と
どんなによくつりあつてゐたことか
それは雪の日のアイスクリームとおなし
 (もつともそれなら暖炉もまつ赤だらうし
  muscoviteも少しそつぽに灼けるだらうし
  おれたちには見られないぜい沢だ)
                ……中略
  ここでも、〈わたくし〉は、冬来た時を思い出しています。風はその思い出の中に吹いて、雪を吹きあげている馬車や、〈ひと〉の口笛のセレナーデのメロディと〈よくつりあって〉、それは〈雪の日のアイスクリームとおなし〉素敵な贅沢でした。でも暖炉のそばのアイスクリームとは違うと〈おれ〉は思っています。ここで主体の表現がなぜか〈おれ〉に変わっています。ちなみにmuscoviteは白雲母で、耐熱材としてストーブの覗き窓に使われます。
 
……中略……
春のヴアンダイクブラウン
きれいにはたけは耕耘された
雲はけふも白金と白金黒
そのまばゆい明暗のなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
  (雲の讃歌と日の軋り)
それから眼をまたあげるなら
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
亜鉛鍍金の雉子なのだ
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一疋が飛びおりる
山鳥ではない
 (山鳥ですか? 山で? 夏に?)
あるくのははやい 流れてゐる
オレンヂいろの日光のなかを
雉子はするするながれてゐる
啼いてゐる
それが雉子の声だ
いま見はらかす耕地のはづれ
向ふの青草の高みに四五本乱れて
なんといふ気まぐれなさくらだらう
みんなさくらの幽霊だ
内面はしだれやなぎで
鴇いろの花をつけてゐる
  (空でひとむらの海綿白金がちぎれる)
それらかゞやく氷片の懸吊をふみ
青らむ天のうつろのなかへ
かたなのやうにつきすすみ
すべて水いろの哀愁を焚き
さびしい反照の偏光を截れ
いま日を横ぎる黒雲は
侏羅や白堊のまつくらな森林のなか
爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
水は濁つてどんどんながれた
いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けやうか
大びらにまつすぐに進んで
それでいけないといふのなら
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
そんなさきまでかんがへないでいい
ちからいつぱい口笛を吹け
口笛をふけ 陽の錯綜
たよりもない光波のふるひ
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
またほのぼのとかゞやいてわらふ
みんなすあしのこどもらだ
ちらちら瓔珞もゆれてゐるし
めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
緑金寂静のほのほをたもち
これらはあるひは天の鼓手、緊那羅のこどもら
 (五本の透明なさくらの木は
  青々とかげらふをあげる)
わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
きままな林務官のやうに
五月のきんいろの外光のなかで
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい
  (コロナは八十三万二百……)
あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
  (コロナは八十三万四百……)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
  (コロナは七十七万五千……)
どのこどもかが笛を吹いてゐる
それはわたくしにきこえない
けれどもたしかにふいてゐる
  (ぜんたい笛といふものは
   きまぐれなひよろひよろの酋長だ)
 
みちがぐんぐんうしろから湧き
過ぎて来た方へたたんで行く
むら気な四本の桜も
記憶のやうにとほざかる
たのしい地球の気圏の春だ
みんなうたつたりはしつたり
はねあがつたりするがいい
 
  周辺の現実の溢れる春の風景は、まばゆく白金、金に輝く雲、〈雲の讃歌と日の軋り〉を歌うヒバリやオレンジ色の日光の中流れるキジの出現に、くらめきながら桜並木に至ります。サクラは〈幽霊〉です。日の光を遮る黒雲には〈侏羅や白堊のまつくらな森林のなか/爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ〉風景を見ます。幻想の始まりです。その中で、煩悶を振り切るように、〈一人で歩いて行く〉という信念がに至ります。透明な子どもたちの群れの幻想、さらに高揚した心は、農学校の実習で聞こえた〈太陽マジック〉のうた(コロナは八十三万二百……)を聞きます。サクラは〈記憶の中に遠ざかり〉幻想も消え、やっとたのしい地球の春を、体の内から感じるのです。  〈風〉の代わりにあふれるものは光と幻想でした。
 
3、パート七
 
……前略……
シヤツポをとれ(黒い羅沙もぬれ)
このひとはもう五十ぐらゐだ
 (ちよつとお訊ぎ申しあんす
  盛岡行ぎ汽車なん時だべす)
 (三時だたべが)
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
博物館の能面にも出てゐるし
どこかに鷹のきもちもある
うしろのつめたく白い空では
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
雨をおとすその雲母摺りの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕麦なのだ
  (燕麦播ぎすか)
  (あんいま向でやつてら)
この爺さんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない厩肥車と
けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼鉛の労働なのか
  (こやし入れだのすか
   堆肥ど過燐酸どすか)
  (あんさうす)
  (ずゐぶん気持のいゝ処だもな)
  (ふう)
この人はわたくしとはなすのを
なにか大へんはばかつてゐる
……中略……
 
  パート七では、雨の中、人間と直接にコンタクトを取る〈わたくし〉がいます。他のパートでは見られないことです。
  まず農夫をみかけ、列車の時間を聞きます。〈ずゐぶん悲しい顔〉で、〈博物館の能面にも出てゐるし/どこかに鷹のきもちもある〉農夫に、近寄りがたさと同時に尊敬の念も抱いています。〈どこかに鷹のきもちもある〉から繋げて、風の表現〈うしろのつめたく白い空では/ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る〉が出てきます。
  人との関わりに少しためらいを感じている〈わたくし〉の一瞬の安らぎのようにある自然描写です。農夫と話を続けながら、やはりそこに〈蒼鉛の労働〉を感じずにはいあられません。
  幻視かと思われる〈くろい外套の男〉や、〈Miss Robin〉と名付けた若い娘たち、彼女らをからかう〈セシルローズ型〉の〈石臼のやうに〉笑う若い農夫も描かれます。〈セシルローズ〉はJ・セシル・ローズ(1853〜1902)で、イギリスの政治家で、南アフリカの政治と経済を一手に握り、ケープ植民市の首相にまでなった、どちらかと言えば征服者で恰幅の良い写真が残っています。 少し人間的な気持ちを取り戻した作者、そんな中、二つ目の風の表現も鳥に関わります。
 
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
めざましく雨を飛んでゐる
 
  鳥が体に風を入れて〈ビール瓶のやうに鳴り〉る光景は、ヒバリにも使われています。賢治が鳥の鳴き声にも上空にある風も感じとっていたことがわかります。
  〈ぼとしぎ〉・〈ぶとしぎ〉は標準和名オオジシギで、繁殖期のこの季節、上空をはばたきながら大声で鳴く習性があります。鳴きながら降下する時の羽音も〈ザザザザ……〉と大きく、こちらも風の音と言ってもよいものです。ぼとしぎは〈自由射手は銀のそら/ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす〉と書かれるように、その後も空を飛び続けていました。
  〈雨でかへつて燃える〉火に不思議な前向きな力も感じながら、初めて寒さを感じる作者でした。
  地上の世界を少し近寄りがたく見ながら、空を見て、風を感じ歩いて行く〈わたくし〉がいます。
 
 「小岩井農場」はその長さ、下書稿、手入れ稿の多さ、多くの謎を含んで難解で、先行研究も多数あります。パート五、六の削除、パート八の欠落、また小岩井農場の耕耘部作業日誌などからも明らかになった、実際に歩行した日と日付の相違も、作品成立のための虚構を感じさせます。
  歩行しながら、心象や風景をモンタージュの手法で組み上げていき、幻想の世界にまで至るのですが、パート五、六では同僚堀籠との葛藤が主に書かれて〈心象スケッチ〉という意識が一気に下がってしまっていることが、同僚とのことを公表するためらいに加えて、発表が憚られたことの理由としてあげられます。
  またパート七の現実世界からパート九の幻想世界への変化は、パート八の欠落によって、不可解さを増します。
  風は、実際に吹いているのはパート一の1例のみで、あとは、言葉の繋がりの中から生まれた表現です。〈風〉は、組み立てられたモンタージュから少し外れて、断片をつなぐ役割を果たしていると言えないでしょうか。
  また〈風〉という語が使われず、組み立てられた風景の中に隠れているものもありそうです。今後の課題としたいと思います。
 
(5)1922年5月の風

  5月10日日付の「 雲の信号」、12日日付の「風景」では、風は風景の中で主体を包み、よい風景の一つとして爽やかさそのものとして描かれます。
  5月17日の日付の「おきなぐさ」、「かはばた」、では、上空から地上へ、また地上から上空へと意味を持って吹きぬける風で、雲の変化をも表し、ひと声や子どもたちの声を感じさせます。
  5月18日日付の「真空溶媒」では幻想から戻った意識のなかで、風は屈折して〈ジグザグ〉に吹き雲の描写となります。また幻想のなかでは心がすさむような〈ひどい風〉です。
  そして5月21日日付の「小岩井農場」では、断片が組み立てられていく詩の中で、心象や風景というよりは、一つの言葉として使われている傾向があります。
  賢治の詩には日付があるので、つい〈心の記録〉的な捉え方をしてしまいますが、そればかりでなく、表現上の技法としても変化していったのかもしれません。これも今後の課題です。
  詩の主体は、〈おれ〉、〈わたくし〉とさまざま表され、必ずしも作者賢治〉とはいえませんが、まぎれもなく賢治のひとつの時代―青春―があると思います。青春―平板で時には悪意にも聞こえるこの言葉ですが、賢治の詩の中の〈風〉は変化していく青春そのものを表しているような気がします。
 
注1 
拙稿「宮沢賢治の直喩T 『春と修羅』、「小岩井農場」を中心に―人間への思い―」
(個人ブログ「宮沢賢治 風の世界」2014、11、15)

参考文献
島村輝「小岩井農場」(『宮沢賢治大事典』(渡部芳紀編 勉誠出版 2007)
頓野綾子「小岩井農場」(『国文学解釈と鑑賞65−2』 至文堂 2000)

 
 
 







永野川2015年6月中旬
15日
 気温が高くなってきましたが、自転車で風を切ると心地よい程度の暑さです。上人橋から入りました。
 赤津川新井町付近では、ヒバリが何カ所かで囀っていました。一羽が休耕田に下りたので、双眼鏡で追っていると、何かをくわえて飛び立ち、となりの休耕田に下りました。そのあたりに巣があるのでしょう。昨日の集まりで、ヒバリが巣の傍には下りない、という通説のことを話して結局結論が出ませんでしたが、遠くから見守るのが一番でしょう。
 一つの橋でイワツバメが4羽程出入りしていました。以前ここで多数見かけたので、今後注意していきたいと思います。ただ民家の近くなので、あまりゆっくりとした観察はできません。
 公園の北側、滝沢ハムの草むら近くで、至近距離でホトトギスの声を聞きました。そういえば20分前くらいに、少し離れた場所で、ホトトギスの小さな声を聴いので、もっと遠いところかと思っていました。探したのですが確認できず、おそらく近くに休んでいた散歩の人が動き出した時点で飛び立ったようで、声が聞こえなくなりました。
 その20分くらい後、公園の南側の芝生の、桑の木やハリエンジュの大木に所で、さっきより近く声を聞ききました。息を止めて、じっと探してみましたが確認できず、飛び立った様子もなく、声は聞こえなくなりました。
 その10分後二杉橋付近では、もう太平山方面からの遠い声となりました。また、この前聞いた大岩橋の上流では今日は聞こえませんでした。
以前、バードリサーにお聞きした時、この範囲では一羽が移動しているのだ、ということでした。動きの速さと範囲の広さを実感しました。遭遇したのは幸運でした。
 公園の中央のハリエンジュの大木にコゲラ2羽、すぐ北の方へ飛んだのですが、2羽いっしょのコゲラを見るのは珍しことです。
 滝沢ハムの雑木林に、ハシブトカラスの幼鳥が3羽いて、眼の前の木の枝に飛び移ってきました。攻撃する意図ではなく全く無防備に人間に近づく感じです。まだ幼いからか、それとも私が無害だと思ったのでしょうか。
 オオヨシキリは、前回聞いた赤津川河畔では聞こえませんでしたが、大岩橋と大砂橋の中間点くらいのヨシ原で、わずかですが聞こえました。周囲はホオジロの囀りがとても賑やかでした。やはりここは人から遠い、鳥の棲みやすい河川敷なのでしょうか。
 今日も鳥種は少なかったのですが、鳥たちの営みの一端を見た気がして、またホトトギスが公園内にも来ることを実感でき、楽しい時間でした。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カワウ、アオサギ、ダイサギ、コゲラ3、ホトトギス、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、オオヨシキリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ