一九二二、五、二一、の日付を持つ「小岩井農場」は、パート一〜パート九(パート五、六、八を除く)まで、計591行の長詩です。パート五、六は草稿のみ残りますが、パート八はタイトルも実体もありません。
「真空溶媒」と異なり、〈わたくし〉が〈小岩井農場〉を歩行しているのは確かです。歩行しながら、描き出される風景の底深く、作者の人間への想いがあるように思われます(注1)。そんななかで風はどのように描かれるでしょうか。
〈風〉の文字で表現されているのは、パート一に1例、パート四に1例、パート七に2例で、詩の量に比して少ないと思われます。
まず1例ずつ考察していきます。
1、パート一
……前略
山ではふしぎに風がふいてゐる
嫩葉がさまざまにひるがへる
ずうつと遠くのくらいところでは
鶯もごろごろ啼いてゐる
その透明な群青のうぐひすが
(ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
ハンスがうぐひすでないよと云つた)
馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に濾された日光のために
いよいよあかく灼けてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雲が展けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草
松木がおかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰欝にふるびて見える
詩では、〈わたくし〉が、橋場線小岩井駅で汽車を降りて、鞍掛山をめざして小岩井農場を歩き眼にする風景や心象が断片的に次々に描かれながら繋がっていきます。
パート一では、いっしょに列車を降りた人たちの行く方向や、知り合いに似た人の乗って行った馬車のことを気にかけながら〈歩測〉の時のように早足で進みます。〈こここそ畑になつてゐる〉は賢治の望みが農耕地等の自然にあったのを感じさせます。
そこから目を転じた山は穏やかな〈ひわいろ〉で、そこだけ風が吹いて若葉は揺れ、心地よい風景です。でも、また去って行った馬車が気になります。
賢治は「屈折率」(一九二二、一、六、)を残しています。それに呼応して、〈わたくし〉は、冬ここへきたときの思い出のうえに、今、この同じ場所で動きだした春の息吹を深く享受して、続いて行く〈小岩井のきれいな野はらや牧場〉に心休めています。〈風〉の言葉はないのですが、風を感じる心躍る表現です。それは季節を動かしているものに風を感じるからかもしれません。
そこからまた歩行は続いて行きますが、風は一瞬の目の移動や心の高揚によって、現実にも心の中にも吹いて、作者の心の安らぎを感じさせ 表現上でも転換点となっています。
2、パート四
……前略……
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
往つたりきたりなんべんしたかわからない
(四列の茶いろな落葉松)
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
風やときどきぱつとたつ雪と
どんなによくつりあつてゐたことか
それは雪の日のアイスクリームとおなし
(もつともそれなら暖炉もまつ赤だらうし
muscoviteも少しそつぽに灼けるだらうし
おれたちには見られないぜい沢だ)
……中略
ここでも、〈わたくし〉は、冬来た時を思い出しています。風はその思い出の中に吹いて、雪を吹きあげている馬車や、〈ひと〉の口笛のセレナーデのメロディと〈よくつりあって〉、それは〈雪の日のアイスクリームとおなし〉素敵な贅沢でした。でも暖炉のそばのアイスクリームとは違うと〈おれ〉は思っています。ここで主体の表現がなぜか〈おれ〉に変わっています。ちなみにmuscoviteは白雲母で、耐熱材としてストーブの覗き窓に使われます。
……中略……
春のヴアンダイクブラウン
きれいにはたけは耕耘された
雲はけふも白金と白金黒
そのまばゆい明暗のなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
(雲の讃歌と日の軋り)
それから眼をまたあげるなら
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
亜鉛鍍金の雉子なのだ
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一疋が飛びおりる
山鳥ではない
(山鳥ですか? 山で? 夏に?)
あるくのははやい 流れてゐる
オレンヂいろの日光のなかを
雉子はするするながれてゐる
啼いてゐる
それが雉子の声だ
いま見はらかす耕地のはづれ
向ふの青草の高みに四五本乱れて
なんといふ気まぐれなさくらだらう
みんなさくらの幽霊だ
内面はしだれやなぎで
鴇いろの花をつけてゐる
(空でひとむらの海綿白金がちぎれる)
それらかゞやく氷片の懸吊をふみ
青らむ天のうつろのなかへ
かたなのやうにつきすすみ
すべて水いろの哀愁を焚き
さびしい反照の偏光を截れ
いま日を横ぎる黒雲は
侏羅や白堊のまつくらな森林のなか
爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
水は濁つてどんどんながれた
いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けやうか
大びらにまつすぐに進んで
それでいけないといふのなら
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
そんなさきまでかんがへないでいい
ちからいつぱい口笛を吹け
口笛をふけ 陽の錯綜
たよりもない光波のふるひ
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
またほのぼのとかゞやいてわらふ
みんなすあしのこどもらだ
ちらちら瓔珞もゆれてゐるし
めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
緑金寂静のほのほをたもち
これらはあるひは天の鼓手、緊那羅のこどもら
(五本の透明なさくらの木は
青々とかげらふをあげる)
わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
きままな林務官のやうに
五月のきんいろの外光のなかで
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい
(コロナは八十三万二百……)
あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
(コロナは八十三万四百……)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
(コロナは七十七万五千……)
どのこどもかが笛を吹いてゐる
それはわたくしにきこえない
けれどもたしかにふいてゐる
(ぜんたい笛といふものは
きまぐれなひよろひよろの酋長だ)
みちがぐんぐんうしろから湧き
過ぎて来た方へたたんで行く
むら気な四本の桜も
記憶のやうにとほざかる
たのしい地球の気圏の春だ
みんなうたつたりはしつたり
はねあがつたりするがいい
周辺の現実の溢れる春の風景は、まばゆく白金、金に輝く雲、〈雲の讃歌と日の軋り〉を歌うヒバリやオレンジ色の日光の中流れるキジの出現に、くらめきながら桜並木に至ります。サクラは〈幽霊〉です。日の光を遮る黒雲には〈侏羅や白堊のまつくらな森林のなか/爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ〉風景を見ます。幻想の始まりです。その中で、煩悶を振り切るように、〈一人で歩いて行く〉という信念がに至ります。透明な子どもたちの群れの幻想、さらに高揚した心は、農学校の実習で聞こえた〈太陽マジック〉のうた(コロナは八十三万二百……)を聞きます。サクラは〈記憶の中に遠ざかり〉幻想も消え、やっとたのしい地球の春を、体の内から感じるのです。 〈風〉の代わりにあふれるものは光と幻想でした。
3、パート七
……前略……
シヤツポをとれ(黒い羅沙もぬれ)
このひとはもう五十ぐらゐだ
(ちよつとお訊ぎ申しあんす
盛岡行ぎ汽車なん時だべす)
(三時だたべが)
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
博物館の能面にも出てゐるし
どこかに鷹のきもちもある
うしろのつめたく白い空では
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
雨をおとすその雲母摺りの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕麦なのだ
(燕麦播ぎすか)
(あんいま向でやつてら)
この爺さんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない厩肥車と
けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼鉛の労働なのか
(こやし入れだのすか
堆肥ど過燐酸どすか)
(あんさうす)
(ずゐぶん気持のいゝ処だもな)
(ふう)
この人はわたくしとはなすのを
なにか大へんはばかつてゐる
……中略……
パート七では、雨の中、人間と直接にコンタクトを取る〈わたくし〉がいます。他のパートでは見られないことです。
まず農夫をみかけ、列車の時間を聞きます。〈ずゐぶん悲しい顔〉で、〈博物館の能面にも出てゐるし/どこかに鷹のきもちもある〉農夫に、近寄りがたさと同時に尊敬の念も抱いています。〈どこかに鷹のきもちもある〉から繋げて、風の表現〈うしろのつめたく白い空では/ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る〉が出てきます。
人との関わりに少しためらいを感じている〈わたくし〉の一瞬の安らぎのようにある自然描写です。農夫と話を続けながら、やはりそこに〈蒼鉛の労働〉を感じずにはいあられません。
幻視かと思われる〈くろい外套の男〉や、〈Miss Robin〉と名付けた若い娘たち、彼女らをからかう〈セシルローズ型〉の〈石臼のやうに〉笑う若い農夫も描かれます。〈セシルローズ〉はJ・セシル・ローズ(1853〜1902)で、イギリスの政治家で、南アフリカの政治と経済を一手に握り、ケープ植民市の首相にまでなった、どちらかと言えば征服者で恰幅の良い写真が残っています。 少し人間的な気持ちを取り戻した作者、そんな中、二つ目の風の表現も鳥に関わります。
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
めざましく雨を飛んでゐる
鳥が体に風を入れて〈ビール瓶のやうに鳴り〉る光景は、ヒバリにも使われています。賢治が鳥の鳴き声にも上空にある風も感じとっていたことがわかります。
〈ぼとしぎ〉・〈ぶとしぎ〉は標準和名オオジシギで、繁殖期のこの季節、上空をはばたきながら大声で鳴く習性があります。鳴きながら降下する時の羽音も〈ザザザザ……〉と大きく、こちらも風の音と言ってもよいものです。ぼとしぎは〈自由射手は銀のそら/ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす〉と書かれるように、その後も空を飛び続けていました。
〈雨でかへつて燃える〉火に不思議な前向きな力も感じながら、初めて寒さを感じる作者でした。
地上の世界を少し近寄りがたく見ながら、空を見て、風を感じ歩いて行く〈わたくし〉がいます。
「小岩井農場」はその長さ、下書稿、手入れ稿の多さ、多くの謎を含んで難解で、先行研究も多数あります。パート五、六の削除、パート八の欠落、また小岩井農場の耕耘部作業日誌などからも明らかになった、実際に歩行した日と日付の相違も、作品成立のための虚構を感じさせます。
歩行しながら、心象や風景をモンタージュの手法で組み上げていき、幻想の世界にまで至るのですが、パート五、六では同僚堀籠との葛藤が主に書かれて〈心象スケッチ〉という意識が一気に下がってしまっていることが、同僚とのことを公表するためらいに加えて、発表が憚られたことの理由としてあげられます。
またパート七の現実世界からパート九の幻想世界への変化は、パート八の欠落によって、不可解さを増します。
風は、実際に吹いているのはパート一の1例のみで、あとは、言葉の繋がりの中から生まれた表現です。〈風〉は、組み立てられたモンタージュから少し外れて、断片をつなぐ役割を果たしていると言えないでしょうか。
また〈風〉という語が使われず、組み立てられた風景の中に隠れているものもありそうです。今後の課題としたいと思います。
(5)1922年5月の風
5月10日日付の「 雲の信号」、12日日付の「風景」では、風は風景の中で主体を包み、よい風景の一つとして爽やかさそのものとして描かれます。
5月17日の日付の「おきなぐさ」、「かはばた」、では、上空から地上へ、また地上から上空へと意味を持って吹きぬける風で、雲の変化をも表し、ひと声や子どもたちの声を感じさせます。
5月18日日付の「真空溶媒」では幻想から戻った意識のなかで、風は屈折して〈ジグザグ〉に吹き雲の描写となります。また幻想のなかでは心がすさむような〈ひどい風〉です。
そして5月21日日付の「小岩井農場」では、断片が組み立てられていく詩の中で、心象や風景というよりは、一つの言葉として使われている傾向があります。
賢治の詩には日付があるので、つい〈心の記録〉的な捉え方をしてしまいますが、そればかりでなく、表現上の技法としても変化していったのかもしれません。これも今後の課題です。
詩の主体は、〈おれ〉、〈わたくし〉とさまざま表され、必ずしも作者賢治〉とはいえませんが、まぎれもなく賢治のひとつの時代―青春―があると思います。青春―平板で時には悪意にも聞こえるこの言葉ですが、賢治の詩の中の〈風〉は変化していく青春そのものを表しているような気がします。
注1
拙稿「宮沢賢治の直喩T 『春と修羅』、「小岩井農場」を中心に―人間への思い―」
(個人ブログ「宮沢賢治 風の世界」2014、11、15)
参考文献
島村輝「小岩井農場」(『宮沢賢治大事典』(渡部芳紀編 勉誠出版 2007)
頓野綾子「小岩井農場」(『国文学解釈と鑑賞65−2』 至文堂 2000)