この作品は、大正10年12月から11年夏ころ成立と考えられる初期作品で、生前未発表です。
吹雪で遭難した小さな兄弟を描きます。
平穏な山の生活を描く「一、山小屋」、吹雪の吹き荒れる山を描く「二、峠」、地獄のさまを描く「三、うすあかりの国」、仏の出現と救いを描く「四、ひかりの素足」、蘇りを描く「五、峠」で構成され、生と死という重い問題を提起していて、たくさんの論考が書かれています。
この稿では、生と死の間で、風がどのように描かれているか、二人の兄弟にとって、そこで見たものは何か、死にゆく者の安寧と生きる者の義務とは何か、それが賢治にとって何だったのか、捉えることができればよいと思っています。
(問題の無い限り引用文のルビは省略します。)
兄弟は、山で炭を焼く父親のもとに来て一晩泊まりました。2人が見た朝の景色は、とても美しいものでした。
……
何といふきれいでせう。空がまるで青びかりでツルツルしてその光がツンツンと二人の眼にしみ込みまた太陽を見ますとそれは大きな空の宝石のやうに橙や緑やかゞやきの粉をちらしまぶしさに眼をつむりますと今度はその蒼黒いくらやみの中に青あをと光って見えるのです、あたらしく眼をひらいては前の青ぞらに桔梗いろや黄金やたくさんの太陽のかげぼうしがくらくらとゆれてかゝっています。
一郎はかけひの水を手にうけました。かけひからはつららが太い柱になって下までとゞき、水はすきとほって日にかゞやきまたゆげをたてていかにも暖かさうに見えるのでしたがまことはつめたく寒いのでした。一郎はすばやく口をそゞぎそれから顔もあらひました。
それからあんまり手がつめたいのでお日さまの方へ延ばしました。それでも暖まりませんでしたからのどにあてました。
その時楢夫も一郎のとおりまねをしてやってゐましたが、とうとうつめたくてやめてしまひました。まったく楢夫の手は霜やけで赤くふくれてゐました。一郎はいきなり走って行って
「冷だぁが」と云いながらそのぬれた小さな赤い手を両手で包んで暖めてやりました。
そうして二人は又小屋の中にはひりました。
お父さんは火を見ながらじっと何か考へ、鍋はことこと鳴っていました。
二人も座りました。
日はもうよほど高く三本の青い日光の棒もだいぶ急になりました。
向ふの山の雪は青ぞらにくっきりと浮きあがり見てゐますと何だかこゝろが遠くの方へ行くやうでした。
にはかにそのいたゞきにパッとけむりか霧のやうな白いぼんやりしたものがあらはれました。
それからしばらくたってフィーとするどい笛のやうな声が聞えて来ました。
すると楢夫がしばらく口をゆがめて変な顔をしてゐましたがとうとうどうしたわけかしくしく泣きはじめました。一郎も変な顔をして楢夫を見ました。
……
その青空に小さな変化が生まれます。楢夫だけが怖がって泣き出します。 それは雪の前兆とも、その変化の兆しの風の音とも思われます。楢夫だけがそれを感じとって恐れます。ここで、風は天候の変化の兆しであり、〈風の又三郎〉は恐怖の対象となっています。
そして死を予感させるような不吉な言葉を口にします。〈「お父さんおりゃさ新らしきもの着せるって云ったか。」〉は死装束を、〈「それがらお母さん、おりゃのごと湯さ入れで洗ふて云ったか。」〉は湯灌を連想させますが、不吉な想いを大人たちは振り切って笑います。
それから二人は、村へ帰る人と一緒に、父親と別れて山を下ることになりますが、途中でその人とはぐれてしまいます。凄まじい吹雪の中、風は次から次へと吹き二人は雪の中に倒れてしまいます。
…… にはかに空の方でヒィウと鳴って風が来ました。雪はまるで粉のやうにけむりのやうに舞いあがりくるしくて息もつかれずきもののすきまからはひやひやとからだにはひりました。兄弟は両手を顔にあてて立ちどまってゐましたがやっと風がすぎたので又あるき出さうとするときこんどは前より一そうひどく風がやって来ました。
その音はおそろしい笛のやう、二人のからだも曲げられ足もとをさらさら雪の横にながれるのさへわかりました。
たうげのいたゞきはまったくさっき考えたのとはちがってゐたのです。楢夫はあんまりこゝろぼそくなって一郎にすがらうとしました。またうしろをふりかへっても見ました。けれども一郎は風がやむとすぐ歩き出しましたし、うしろはまるで暗く見えましたから楢夫はほんたうに声を立てないで泣くばかりよちよち兄に追い付いて進んだのです。
雪がもう沓のかゝと一杯でした。ところどころには吹き溜りが出来てやっとあるけるぐらゐでした。それでも一郎はずんずん進みました。楢夫もそのあしあとを一生けん命ついて行きました。一郎はたびたび うしろをふりかへってはゐましたがそれでも楢夫はおくれがちでした。風がひゅうと鳴って雪がぱっとつめたいしろけむりをあげますと、一郎は少し立ちどまるやうにし楢夫は小刻みに走って兄に追ひすがりました。
けれどもまだその峯みちを半分も来ては居りませんでした。吹きだまりがひどく大きくなってたびたび二人はつまずきました。
一郎は一つの吹きだまりを越えるとき、思ったより雪が深くてたうとう足をさらわれて倒れました。一郎はからだや手やすっかり雪になって軋るやうに笑って起きあがりましたが楢夫はうしろに立ってそれを見てこはさに泣きました。
「大丈夫だ。楢夫、泣ぐな。」一郎は云ひながら又あるきました。けれどもこんどは楢夫がころびました。そして深く雪の中に手を入れてしまって急に起きあがりもできずおじぎのときのやうに頭をさげてそのまま泣いてゐたのです。一郎はすぐ走り戻ってだき起しました。そしてその手の雪をはらってやりそれから、
「さあも少しだ。歩げるが。」とたづねました。
「うん」と楢夫は云っていましたがその眼はなみだで一杯になりじっと向ふの方を見、口はゆがんで居りました。
雪がどんどん落ちて来ます。それに風が一そうはげしくなりました。二人は又走り出しましたけれどももうつまづくばかり一郎がころび楢夫がころびそれにいまはもう二人ともみちをあるいてるのかどうか前無かった黒い大きな岩がいきなり横の方に見えたりしました。
風がまたやって来ました。雪は塵のやう砂のやうけむりのやう楢夫はひどくせき込んでしまひました。
そこはもうみちではなかったのです。二人は大きな黒い岩につきあたりました。
一郎はふりかへって見ました。二人の通って来たあとはまるで雪の中にほりのやうについてゐました。
「路まちがった。戻らなぃばわがなぃ。」
一郎は云っていきなり楢夫の手をとって走り出さうとしましたがもうたゞの一足ですぐ雪の中に倒れてしまひました。
楢夫はひどく泣きだしました。
「泣ぐな。雪はれるうぢ此処に居るべし泣ぐな。」一郎はしっかりと楢夫を抱いて岩の下に立って云ひました。
風がもうまるできちがひのやうに吹いて来ました。いきもつけず二人はどんどん雪をかぶりました。
「わがなぃ。わがなぃ。」楢夫が泣いて云ひました。その声もまるでちぎるやうに風が持って行ってしまひました。一郎は毛布をひろげてマントのまま楢夫を抱きしめました。
一郎はこのときはもうほんたうに二人とも雪と風で死んでしまふのだと考えてしまひました。いろいろなことがまるでまわり燈籠のやうに見えて来ました。正月に二人は本家に呼ばれて行ってみんながみかんをたべたとき楢夫がすばやく一つたべてしまっても一つを取ったので一郎はいけないというやうにひどく目で叱ったのでした、そのときの楢夫の霜やけの小さな赤い手などがはっきり一郎に見えて来ました。いきが苦しくてまるでえらえらする毒をのんでいるやうでした。一郎はいつか雪の中に座ってしまってゐました。そして一そう強く楢夫を抱きしめました。
……
ここでの風は過酷です。一刻一刻、兄弟を死の方向に推し進めるものとしてあります。そして、風がやんで静かになった時、ふたりは地獄にいました。
多くの仏教説話にあるように、棘でできた地面をはだしで歩かされる子どもたち、鞭で追いたてる鬼、一郎は必死に楢夫をかばって歩きます。
…… 「楢夫は許して下さい、楢夫は許して下さい。」一郎は泣いて叫びました。
「歩け。」鞭が又鳴りましたので一郎は両腕であらん限り楢夫をかばいました。かばひながら一郎はどこからか
「にょらいじゅりょうぼん第十六。」というような語がかすかな風のやうに又匂のやうに一郎に感じました。すると何だかまわりがほっと楽になったやうに思って
「にょらいじゅりょうぼん。」と繰り返してつぶやいてみました。すると前の方を行く鬼が立ちどまって不思議さうに一郎をふりかへって見ました。列もとまりました。どう云うわけか鞭の音も叫び声もやみました。しぃんとなってしまったのです。気がついて見るとそのうすくらい赤い瑪瑙の野原のはずれがぼうっと黄金いろになってその中を立派な大きな人がまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。どう云ふわけかみんなはほっとしたやうに思ったのです。
……
「にょらいじゅりょうぼん第十六。」―「如来寿量品第十六」―は、『妙法蓮華経』(『法華経』)の第十六章で、教えを説く釈迦牟尼仏の寿命の量(永遠)、常在不滅、人の心を戒めるために稀に姿を現すこと、などを説き、『法華経』後半の最も重要な部分とされています。その重要な章の題が聞こえることで、地獄からの脱却を示しています。
ここで風は〈風のやうに匂のやうに〉と、仏の教えが苦痛を消し去ることの比喩となっています。それは〈黄金いろの輝く立派な大きな人〉の登場でした。
……
その人の足は白く光って見えました。実にはやく実にまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。まっ白な足さきが二度ばかり光りもうその人は一郎の近くへ来ていました。
一郎はまぶしいやうな気がして顔をあげられませんでした。その人ははだしでした。まるで貝殻のやうに白くひかる大きなすあしでした。くびすのところの肉はかがやいて地面まで垂れてゐました。大きなまっ白なすあしだったのです。けれどもその柔らかなすあしは鋭い鋭い瑪瑙のかけらをふみ燃えあがる赤い火をふんで少しも傷つかず又灼けませんでした。地面の棘さえ又折れませんでした。
「こはいことはないぞ。」微かに微かにわらひながらその人はみんなに云ひました。その大きな瞳は青い蓮のはなびらのやうにりんとみんなを見ました。みんなはどう云ふわけともなく一度に手を合せました。
「こはいことはない。おまへたちの罪はこの世界を包む大きな徳の力にくらべれば太陽の光とあざみの棘のさきの小さな露のやうなもんだ。なんにもこはいことはない。」
いつの間にかみんなはその人のまわりに環になって集って居りました。さっきまであんなに恐ろしく見えた鬼どもがいまはみなすなほにその大きな手を合せ首を低く垂れてみんなのうしろに立ってゐたのです。
その人はしづかにみんなを見まはしました。
「みんなひどく傷を受けてゐる。それはおまへたちが自分で自分を傷つけたのだぞ。けれどもそれは何でもない、」その人は大きなまっ白な手で楢夫の頭をなでました。楢夫も一郎もその手のかすかにほほの花のにほひのするのを聞きました。そしてみんなのからだの傷はすっかり癒っていたのです。
一人の鬼はいきなり泣いてその人の前にひざまづきました。それから頭をけはしい瑪瑙の地面に垂れその光る足を一寸手でいたゞきました。
その人は又微かに笑ひました。すると大きな黄金いろの光が円い輪になってその人の頭のまはりにかゝりました。その人は云ひました。
「ここは地面が剣でできてゐる。お前たちはそれで足やからだをやぶる。さうお前たちは思ってゐる、けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ、さあご覧。」
その人は少しかゞんでそのまっ白な手で地面に一つ輪をかきました。みんなは眼を擦ったのです。又耳を疑がったのです。今までの赤い瑪瑙の棘ででき暗い火の舌を吐いてゐたかなしい地面が今は平らな平らな波一つ立たないまっ青な湖水の面に変りその湖水はどこまでつづくのかはては孔雀石の色に何条もの美しい縞になり、その上には蜃気楼のやうにそしてもっとはっきりと沢山の立派な木や建物がじっと浮んでゐたのです。それらの建物はずうっと遠くにあったのですけれども見上げるばかりに高く青や白びかりの屋根を持ったり虹のやうないろの幡が垂れたり、一つの建物から一つの建物へ空中に真珠のやうに光る欄干のついた橋廊がかかったり高い塔はたくさんの鈴や飾り網を掛けそのさきの棒はまっすぐに高くそらに立ちました。それらの建物はしんとして音なくそびえその影は実にはっきりと水面に落ちたのです。
またたくさんの樹が立ってゐました。それは全く宝石細工としか思はれませんでした。はんの木のやうなかたちでまっ青な樹もありました。楊に似た木で白金のやうな小さな実になってゐるのもありました。みんなその葉がチラチラ光ってゆすれ互にぶっつかり合って微妙な音をたてるのでした。
それから空の方からはいろいろな楽器の音がさまざまのいろの光のこなと一所に微かに降って来るのでした。もっともっと愕いたことはあんまり立派な人たちのそこにもここにも一杯なことでした。ある人人は鳥のやうに空中を翔けていましたがその銀いろの飾りのひもはまっすぐにうしろに引いて波一つたたないのでした。すべて夏の明方のやうないい匂で一杯でした。ところが一郎は俄かに自分たちも又そのまっ青な平らな平らな湖水の上に立ってゐることに気がつきました。けれどもそれは湖水だったでせうか。いいえ、水ぢゃなかったのです。硬かったのです。冷たかったのです、なめらかだったのです。それは実に青い宝石の板でした。板ぢゃない、やっぱり地面でした。あんまりそれがなめらかで光っていたので湖水のやうに見えたのです。
一郎はさっきの人を見ました。その人はさっきとは又まるで見ちがへるようでした。立派な瓔珞をかけ黄金の円光を冠りかすかに笑ってみんなのうしろに立ってゐました。そこに見えるどの人よりも立派でした。金と紅宝石を組んだやうな美しい花皿を捧げて天人たちが一郎たちの頭の上をすぎ大きな碧や黄金のはなびらを落して行きました。
そのはなびらはしづかにしづかにそらを沈んでまゐりました。
さっきのうすくらい野原で一諸だった人たちはいまみな立派に変っていました。一郎は楢夫を見ました。楢夫がやはり黄金いろのきものを着、瓔珞も着けていゐのです。それから自分を見ました。一郎の足の傷や何かはすっかりなほっていまはまっ白に光りその手はまばゆくいい匂だったのです。
みんなはしばらくただよろこびの声をあげるばかりでしたがそのうちに一人の子が云ひました。
「此処はまるでいゝんだなあ、向ふにあるのは博物館かしら。」
その巨きな光る人が微笑って答へました。
「うむ。博物館もあるぞ。あらゆる世界のできごとがみんな集まってゐる。」
そこで子供らは俄かにいろいろなことを尋ね出しました。一人が云ひました。
「ここには図書館もあるの。僕アンデルゼンのおはなしやなんかもっと読みたいなあ。」
一人が云ひました。
「ここの運動場なら何でも出来るなあ、ボールだって投げたってきっとどこまでも行くんだ。」
非常に小さな子は云ひました。
「僕はチョコレートがほしいなあ。」
その巨きな人はしづかに答えました。
「本はここにはいくらでもある。一冊の本の中に小さな本がたくさんはひっているやうなのもある。小さな小さな形の本にあらゆる本のみな入っているやうな本もある、お前たちはよく読むがいい。運動場もある、そこでかけることを習ふものは火の中でも行くことができる。チョコレートもある。ここのチョコレートは大へんにいゝのだ。あげよう。」その大きな人は一寸空の方を見ました。一人の天人が黄いろな三角を組みたてた模様のついた立派な鉢を捧げてまっすぐに下りて参りました。そして青い地面に降りて虔しくその大きな人の前にひざまづき鉢を捧げました。
「さあたべてごらん。」その大きな人は一つを楢夫にやりながらみんなに云ひました。みんなはいつか一つずつその立派な菓子を持ってゐたのです。それは一寸嘗めたときからだ中すうっと涼しくなりました。舌のさきで青い蛍のやうな色や橙いろの火やらきれいな花の図案になってチラチラ見えるのでした。たべてしまったときからだがピンとなりました。しばらくたってからだ中から何とも云へないいゝ匂がぼうっと立つのでした。
「僕たちのお母さんはどっちに居るだろう。」楢夫が俄かに思いだしたやうに一郎にたずねました。
……
〈そのひと〉のしろく大きな足、高い背、そして蓮の花のようにに青い瞳は、龍樹著『摩訶般若波羅蜜経』(成立年不詳)の注釈書、『大智度論』の四に述べられる、仏の身に備わる三十二の吉相のなかで、一、足下安平立相〈土ふまずがないこと〉、四、足跟広平相(踵がおおきくてしっかりしている)、二〇. 大直身相(身体が広大端正で比類が無い)二九、真青眼相(瞳は青蓮華のように青い)を示すものです。この姿は「小岩井農場」を始め多くの作品に登場します。賢治にとって最も崇敬するものの姿を表現したものだったのでしょう。
『大智度論』を漢訳したのは、『法華経』と同じく鳩摩羅什(344〜413あるいは350〜409)でした。
〈そのひと〉の言葉は、すべてのものへのおおきな〈許し〉でした。
ここで描かれる世界は、多くの仏典にもみられるものと思いますが、筆者が考えるのは『阿弥陀経』です。『阿弥陀経』は大多数の宗派で葬儀の際に読まれるものです。そのなかで、〈師〉が、教えを求める人たちのために語った、仏国土の様と共通するものがたくさんあります(注)。
管見した限りですが、『阿弥陀経』に描かれる世界には、鈴をつけた網に飾られ、金、銀、青玉、水晶をめぐらした石垣、金、銀、青玉、水晶、赤真珠、碼碯、琥珀からできている木があり、天上では楽器がいつも演奏され、夜三度、昼三度、天上のマンダーラヴァ(曼陀羅華)の花の雨を降らせ、また白鳥、帝釈鴫、孔雀がいて合唱し、並木には鈴をつけた網が張り巡らされ風に快い音をたてていると記されます。筆者は初めて読んだとき、まるで遊園地のようだと思いました。
ここに賢治は、子どもたちの大好きな博物館や図書館を登場させ、チョコレートを夢見させます。〈そのひと〉の食べさせてくれたチョコレートは、美味しさに加えて、美しい色や花を見せる素敵なものでした。
賢治は、死にゆくものの世界を、現世ではありえない、美しく豪華で、安らかな場所として描き、仏の救済の意思を描いています。
……
するとその大きな人がこっちを振り向いてやさしく楢夫の頭をなでながら云ひました。
「今にお前の前のお母さんを見せてあげやう。お前はもうここで学校に入らなければならない。それからお前はしばらく兄さんと別れなければならない。兄さんはもう一度お母さんの所へ帰るんだから。」
その人は一郎に云ひました。
「お前はも一度あのもとの世界に帰るのだ。お前はすなおないゝ子供だ。よくあの棘の野原で弟を棄てなかった。あの時やぶれたお前の足はいまはもうはだしで悪い剣の林を行くことができるぞ。今の心持を決して離れるな。お前の国にはここから沢山の人たちが行ってゐる。よく探してほんたうの道を習へ。」その人は一郎の頭を撫でました。一郎はただ手を合せ眼を伏せて立ってゐたのです。それから一郎は空の方で力一杯に歌ってゐるいい声の歌を聞きました。その歌の声はだんだん変りすべての景色はぼうっと霧の中のやうに遠くなりました。ただその霧の向うに一本の木が白くかゞやいて立ち楢夫がまるで光って立派になって立ちながら何か云ひたさうにかすかにわらってこっちへ一寸手を延ばしたのでした。
……
ここで、二人の別離が告げられます。死に向かう楢夫はここに留まって学び、一郎は、もとの世界に戻り、楢夫を助けた心を忘れず、〈ほんたうの道〉を学べ、と。
……
一郎が「楢夫」と叫んだとき、まっ白な雪とまばゆい青空の光のなかにいました。一郎は楢夫を抱いたまま助かったのです。楢夫は林檎のやうに赤い頬で、さっき別れた時のやうにかすかに笑って息絶えてゐたのでした。
この作品は、命を奪う自然の恐ろしさと、地獄の世界、そしてそこからの転生と蘇りを描いて、大きなスケールと時間を感じさせます。また全編を通して、小さなものへの優しいまなざしが静かに描かれます。
楢夫の死を描きますが、楢夫のその後の世界が美しく安らかだという設定に、読む人の心は救われます。かすかに笑っていた楢夫はその安寧を示すのでしょう。
しかし生きた一郎のまえには、弟の死という現実が残されて、物語は終ります。賢治にとって、仏の救済とは、あくまで死にゆく者の安らかな世界であり、生きるものは〈ほんたうの道〉を求めて行く、ある意味苦難の道だったのだと思います。この思いはその後「銀河鉄道の夜」をはじめ多くの作品に受け継がれ、終生変わらない賢治の課題であったのだと思います。
ここでの風は、まず不吉な前兆として現れ、次に絶え間なく人を襲い、命を危険にさらす吹雪として描かれます。自然の厳しさの厳然とした体現でもある風、それは物語の展開のなかで迫力ともなり、読む者にいたたまれないほどの切迫感でせまります。そして、救いの前兆として、仏の言葉を乗せた、いい匂いの風があります。
風をみつめつづけた賢治が、その本質を物語の骨組みの中に見ごとに生かしていると思います。
注:中村元・早島鏡正・紀野一義訳注『浄土三部経 下』(観無量寿経・阿弥陀経)(岩波文庫 1964)
参考文献:坂本幸夫・岩本裕訳注『法華経』 上・中・下
(岩波文庫1962・1964・ 1967)