宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2016年6月下旬
26日

 梅雨晴れ間の爽やかな日でしたが、空にはうろこ雲があり、天気は崩れるかもしれません。
 朝6時少し前に出かけました。
 上人橋から入ると、合流点の河川敷でもヒバリが囀っていました。道を挟んで反対側の錦着山裏でもいつもの通りのヒバリの声がありました。
 ヒバリは、赤津川沿いでは、いつもの場所と少し上流の田で計5羽ほど、加えて、今まで聞かなかった空き地の草むらでも大変大きな声で2、3羽囀っていました。
 シジュウカラが赤津川の両岸の電線で1羽ずつ鳴いていました。川岸に低木はありますが、ここの場所では珍しいことです。
 ムクドリ7羽川を越えて行きました。
 赤津川沿いの田では、1、2匹の声ですが、2種類の蛙の声が聞こえました。滝沢ハム近くの田ではアマガエルの群れの声が聞こてきました。蛙の季節はこれからなのでしょうか。
 キジの声は2回ほど聞こえましたが、姿は見せませんでした。途中で会った散歩の人が、「この辺は良くキジの声がしていますね。」と声をかけてくれました。気にかけている人がいるのに、今年は少ないようです。
 公園内の工事はどうにか終わったようで、水もきれいに流れるようになりました。さっそくセグロセキレイが2羽来ていました。
 滝沢ハム近くのサクラの木でコゲラの声がしましたが、クヌギ林ではスズメのみでした。
 調整池にはカルガモ2羽、前回と同様、田などでカップルのカルガモを何回かみかけました。
 モズも多くあちこちで4羽、キチキチキチと鳴くものもいました。
 大岩橋の山林では、変わらずヒヨドリの声が聞こえ、何種類かの声はすべてヒヨドリでした。3日ほど前にも来てみたのですが、先回聞いたサシバらしき声はしませんでした。大岩橋を少し遡ると山沿いに田の開けたところがあり、サシバも生息できるのではと思います。少し気をつけて行きたいと思います。

 今年はホトトギスを一度しか聞きません。ヤブカンゾウが咲き始め、キリギリスも鳴いていました。またひとつの季節の変わりです。鳥は大変少なかったのですが、早朝の探鳥は気持ちがよいものでした。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カイツブリ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ

 
 







永野川2016年6月中旬
19日
  日中の暑さを避けて6時ころ出かけました。
 二杉橋から入りましたが、早朝だから鳥がいる、というわけでもないようでウグイスの囀りのみ聞こえます。少し遡ったところでアオサギが1羽、川べりで羽づくろい中でした。
 睦橋から上人橋の間でツバメ2羽、カルガモ2羽のみ、錦着山裏の田でヒバリ、小さな田でもヒバリにとっては大切な場所のようです。
 合流点付近でムクドリ3羽、その後赤津川でも3羽、チュルチュルという声が際立ちます。
 このところツバメは1羽で飛ぶ場合が多いのですが、合流点近くの電線に9羽留っていて、久しぶりで見る、五線紙と音符の風景です。
 赤津川に入りセグロセキレイ1羽、河川工事が始まって以来、久しぶりの感じです。今日は公園の中や睦橋付近などで合計9羽確認できました。思えば日曜日で工事はお休みです。
 一瞬キジの声が響きましたが姿は見えませんでした。
 道路上を歩くカルガモ2羽、この辺では珍しい風景です。田から川を越えて反対の田に行くのかもしれません。ヒナは連れていませんでした。少し奥の田で、  水田に2カップル4羽のカルガモがいました。そのほか1例を除いてはすべてカップルでした。繁殖はこれからなのでしょうか。
 公園の川で久しぶりにトビが低空を飛んでいました。しばらくすると、お定まりのように、自分より小さい烏に追われて、特有のピーヒョロ、という声で鳴いていました。
 大岩橋南の山林でヒヨドリの声に混じって何か違う声が聞こえました。ヒヨドリの囀りよりも単調な感じでピークイ、ピークイを繰り返しているように聞こえました。以前読んだ野鳥本に感動的なサシバのお話があって、その時の声がこの文字です。実際にサシバの声を聞いたことはありません。家に帰って、「野鳥鳴き声図鑑」を聞き、「バードリサーチ」と「宇都宮で野鳥を楽しもう」でもお教えをいただきました。でもやはりもう一度私が声を聞かなければ確認はできそうにもありません(聴力も記憶力も自信が無くて)。
 探鳥の記録を見ると2010年5月中旬に記録残っていました。恐らくこれはビギナー探鳥会の時の記録で、私は聞いていなかったのですね。できれば近いうちにもう一度確かめに行かねばなりません。サシバが来るとすれば、また一つ目的が増えました。
 公園の調整池はこのところ鳥の姿が見えなかったのですが、今日はカイツブリが1羽、池の中央に潜水を繰り返していました。
時間や天候によるのかもしれませんが、今年はアマガエルなど多数で鳴く蛙の声がほとんど聞こえません。ウシガエルは二杉橋から上流まであちこちで聞こえましたが。
 ヨシは大分伸びて来たようですが、やはり菜の花の枯れたものが混じって、見た目が悪いし、ヨシの成長も妨げているようです。思えばヨシ、ススキなどは、芽生えから、穂立ち、枯れ姿までどれを見ても見苦しくないものです。もし育成や人工的な栽培ができるのなら、よい景観の材料となるでしょう。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ1、カイツブリ、キジバト、アオサギ、トビ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ

 
 







風と黒雲―「県技師の雲に対するステートメント」 一九二七、六、一、(「春と修羅第三集」)―
 
神話乃至は擬人的なる説述は
小官のはなはだ愧づるところではあるが
仮にしばらく上古歌人の立場に於て
黒く淫らな雨雲に云ふ
小官はこの峠の上のうすびかりする浩気から
またここを通る野ばらのかほりあるつめたい風から
また山谷の凄まじくも青い刻鏤から
心塵身劬ひとしくともに濯はうと
今日の出張日程に
辛くも得たる数頃を
しかく貴重に立つのであるが
そもそも黒い雨雲よ
おまへは却って小官に
異常な不安を持ち来し
謂はゞ殆んど古事記に言へる
そら踏む感をなさしめる
その故けだしいかんとならば
過ぎ来し五月二旬の間
淫らなおまへら雨雲族は
西の河谷を覆って去らず
日照ために常位を欠けば
稲苗すべて徒長を来し
あるひは赤い病斑を得た
おほよそかゝる事態に於て
県下今期の稲作は
憂慮なくして観るを得ず
そらを仰いで烏乎せしことや
日日にはなはだ数度であった
然るに昨夜
かの練達の測候長は
断じて晴れの予報を通じ
今朝そら青く気は澄んで
車窓シガーのけむりをながし
峡の二十里 平野の十里
旅程明るく午を越すいまを
何たる譎詐何たる不信
この山頂の眼路遥かなる展望は
怒り身を噛むごとくである
第一おまへがここより東
鶯いろに装ほひて
連亘遠き地塊を覆ひ
はては渺茫視界のきはみ
太洋をさへ犯すこと
第二にはかの層巻雲や
青い虚空に逆って
おまへの北に馳けること
第三 暗い気層の海鼠
五葉の山の上部に於て
あらゆる淫卑なひかりとかたち
その変幻と出没を
おまへがやゝもはゞからぬ
これらを綜合して見るに
あやしくやはらかな雨雲よ
たとへ数箇のなまめく日射しを許すとも
非礼の香気を風に伝へて送るとも
その灰黒の翼と触手
大バリトンの流体もって
全天抛げ来すおまへの意図は
はや瞭として被ひ得ぬ
しかればじつに小官は
公私あらゆる立場より
満腔不満の一瞥を
最后にしばしおまへに与へ
すみやかにすみやかに
この山頂を去らうとする
 
 賢治は、〈測候長〉の〈断じて晴れの予報〉を信じて、心に鬱積したものを洗おうと出張の日程を調整して、〈峡の二十里 平野の十里〉、車窓に広がる青空のなか、峠にやってきました。
 しかし、そこには期待していた〈浩気〉―天上の清らかな気、灝気と同義か―も、〈野ばらのかほりあるつめたい風〉も、山々の〈凄まじくも青い刻鏤〉―金属を彫りつけたような鋭い稜線―も無く、心乱される雨雲が満ちていました。思えば、その黒雲のために下の村々では日照不足となり、稲は徒長し、いもち病を起こしていたのです。それにこれ以降も、この雲は東に北にそして上空に移動しながら様々な悪影響を及ぼそうとしています。重なる怒りに賢治は、黒雲から贈られるバリトンのような心地よい心揺さぶられる想いと決別して山を降りようとします。
 
 賢治は最初に、〈上古歌人の立場に於て〉、と宣言します。これは万葉歌人でしょうか。万葉集は全20巻、収録されている作品およそ4540首のなかで、雲の詠み込まれている歌は、およそ200首もあります。賢治は万葉集を読んで、そのことを知っていたので、自分も雲に対して一言言おうとしたのです。
 雨雲は〈異常な不安を持ち来し/謂はゞ殆んど古事記に言へる/そら踏む感をなさしめ〉ます。 この〈古事記に言へる/そら踏む感〉とは、何でしょうか。 
古事記は国作りのお話ですから、神々が雲を踏んで下界に降り立つ場面はたくさんあると思いますが、一例として、『日本古典文学大系 古事記 祝詞』の「邇邇芸命 1天孫降臨」の章に、邇邇芸命(ニニギノミコト)が天空に幾重にもたなびく雲を押し分け、筑紫の日向の高千穂の霊峰に天降ったというくだりがあります。
 
 賢治は、風、雲など自然現象に恋愛感情に近い想いを抱いていることが知られ、この詩は賢治の雨雲に対する、性的な感情が感じられる詩としてよく取り上げられています。この感情は賢治の若い時代から詩中に表れているものと思っていましたが、実際あたってみると、明らかな性的感情の表現は、1927年3月〜8月の日付の詩と、「疾中」収録の詩に集中しています。
 しかし、雲に対しては何らかの感情を揺さぶられる思いがありました。
 
 短歌では、以前考察したことのある、〈かなしみ〉、〈さびしさ〉という言葉を含む短歌(注1)にかぎって歌稿Aから拾ってみると、かなりの確率で出現します。いくつか拾うと
 
大正三年四月
 157 いかに雲の原のかなしさあれ草も微風もなべて猩紅の熱
大正五年三月より
 300 黒雲をちぎりて土にたゝきつけこのかなしみのかもめ落とせよ
大正六年四月
 460 うつろとも雲ともわかぬ青光り影色の丘の肩にのぞめる
大正六年七月
 638 わがそらのうすらあかりにしら\/とわきたつ雲はかなしみの雲
大正七年五月以降
 674 相つぎて銀雲は窓をよぎれどもねたみは青く室に澱みぬ
 678 しろがねの月にむかへばわがまなこかなしき雲をうたがへるかな
 
  賢治作品で〈かなしい〉、〈さびしい〉は、現代の本来の意味だけでなく、広く心の動きを表す場合が多いので、雲に対して心の動揺があったと言えると思います。
 
 『春と修羅』では、
 
……ああ黒のしやつぽのかなしさ/おきなぐさのはなをのせれば/幾きれうかぶ光酸の雲……(「おきなぐさ」一九二二、五、一七)、
……こここそわびしい雲の焼け野原/風のヂグザグや黄いろの渦/そらがせわしくひるがへる……(「真空溶媒」一九二二、五、一八)
 
のように、感情と雲が描かれる場合でも、風景としての要素が高いと思います。
 
 「春と修羅第二集」では、
 
五輪峠のいたゞきで/鉛の雲が湧きまた翔け/南につゞく種山ヶ原のなだらは/渦巻くひかりの霧でいっぱい……以下略(「人首町」一九二四、三、二五、)
 
などは、一つの情景です。それに対して「二九 休息」 一九二四、四、四、では〈Libido〉という明確な言葉を使います。
 
中空は晴れてうららかなのに
西嶺の雪の上ばかり
ぼんやり白く淀むのは
水晶球の滃(くもり)のやう
……さむくねむたいひるのやすみ……
そこには暗い乱積雲が
古い洞窟人類の
方向のないLibidoの像を
肖顔のやうにいくつか掲げ……以下略
 
 Libido(リビドー)は精神分析学上では、すべての行為の隠れた動機となる根源的欲望ですが、一般には性的衝動、性欲の意味で用いられます。〈古い洞窟人類の方向のないLibidoの像〉は〈暗い乱積雲〉に、自分の中の明確にできない欲望を感じ取っているのではないかと思います。
 雷鳴や稲妻を走らせる雨雲の放電現象を電気―エネルギーを放出するもの―として捉え、そこから黒雲=淫らなという概念が生まれた、という説(注2)もあるのですが、そのような論理的なものでなく、むしろ賢治の自然との一体感と、黒雲の生じる時の気圧や温度などによる体感的な感覚から生まれた概念だと思います。賢治がこの言葉を、ほとんど実際に屋外にいる場合の記述に使っていることからもそう言えると思います。
 「一九八 雲」一九二四、九、九では
 
いっしゃうけんめいやってきたといっても/ねごとみたいな/にごりさけみたいなことだ/……ぬれた夜なかの焼きぼっ杭によっかかり……/おい きゃうだい/へんじしてくれ/そのまっくろな雲のなかから
 
むしろ雲は友人のような感覚です。
 「一五五 〔温かく含んだ南の風が〕一九二四、七、五では、自然に対して賢治が心揺さぶられている様子が描かれますが、ほとんどが風の動きや熱の表現で占められています。
 
 「春と修羅第三集」では、「一〇三三 悪意」一九二七、四、八、一〇三七 「宅地」一九二七、四、一三、では〈黒雲〉は風景の一つですが、「一〇一四 春」一九二七、三、二三、〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕一九二七、五、一四、では〈雲が淫らな尾を引いて〉、 一〇二五 燕麦の種子をこぼせば〕一九二七、四、四、では〈黒雲は温く妊んで〉といずれも、性的な意味を含む表現となります。「一〇三〇 春の雲に関するあいまいなる議論」一九二七、四、五、では、はっきりと黒雲=恋愛という主張をしています。
 
あの黒雲が、
きみをぎくっとさせたとすれば
それは群集心理だな
この川すじの五十里に
麦のはたけをさくったり
桑を截ったりやってゐる
われらにひとしい幾万人が
いままで冬と戦って来た情熱を
うらがなしくもなつかしいおもひに変へ
なにかほのかなのぞみに変へれば
やり場所のないその瞳を
みなあの雲に投げてゐる
それだけでない
あのどんよりと暗いもの
温んだ水の懸垂体
あれこそ恋愛そのものなのだ
炭酸瓦斯の交流や
いかさまな春の感応☆
あれこそ恋愛そのものなのだ
 
 さらに一〇三九〔うすく濁った浅葱の水が〕一九二七、四、一八、には、当時心にわだかまっていた女性についてのアイロニックな言葉を雲に投げています。〈基督教徒〉で、〈サラー〉(給与生活者)の女性は、恐らくは当時賢治周辺にいた高瀬露かと思われます。高瀬露の評価は別として、賢治が快く思っていなかったのは確かだとおもいます。
 
うすく濁った浅葱の水が
けむりのなかをながれてゐる
早池峰は四月にはいってから
二度雪が消えて二度雪が降り
いまあはあはと土耳古玉のそらにうかんでゐる
そのいたゞきに
二すじ翔ける、
うるんだ雲のかたまりに
基督教徒だといふあの女の
サラーに属する女たちの
なにかふしぎなかんがへが
ぼんやりとしてうつってゐる
それは信仰と奸詐との
ふしぎな複合体とも見え
まことにそれは
山の啓示とも見え
畢竟かくれてゐたこっちの感じを
その雲をたよりに読むのである
 
 一〇五三〔おい けとばすな〕一九二七、五、三、では、雲は〈山の上には雲のラムネ〉と清浄な気配です。
 一〇八八〔もうはたらくな〕一九二七、八、二〇、になると、
 
……けれどもあゝまたあたらしく/西には黒い死の群像が湧きあがる/春にはそれは、/恋愛自身とさへも云ひ/考へられてゐたではないか……
 
 日照不足と豪雨で倒れてしまった稲を前に奔走する賢治の姿を描き、雲への想いが変化していることが分かります。
 「詩ノート」の「春と修羅第三集」に収められなかった、〔沼のしづかな日照り雨のなかで〕一九二七、七、一〇、でも、
 
……雨が、雲が、水が、林が/おまへたちでまたわたくしなのであるから/われわれはいったいどうすればいゝのであらう……
 
 一体と思っていた自然が、刃向ってくるのを感じた詩になっています。
 「一〇八八 祈り」一九二七、八、二〇、では、農民の対極にある雨雲が、〈稔りある秋を待つのに/無心に暗い雨ぐもよ〉と詠われます。
 
 賢治の心の変化は、その年の、旱害と多雨を繰り返した気候が、次第に農民に被害をもたらしていったことによるのではないでしょうか。
 この詩の発想の前年、1926年4月に教師を辞め、農民として自耕する生活をしながら、期待に満ちて農村のために空や風や雲と共に働きはじめました。この年は豊作でした。
 この詩の発想の年、雲は日照を妨げ、凶作がせまってきました。1927年、7月中旬の方眼罫手帳の記録には日照不足を憂えるメモがあり、年譜(注3)によれば測候所に調査を依頼しています。
 岩手県の稲の収穫高について概略すると、日照不足による凶作が頻繁に起こっています(注4)。
 
1902(明治35)年 冷夏・暴風雨による大凶作 収穫高21.9万石 減収率62%
1905(明治38)年 冷夏・暴風雨による大凶作 収穫高19.3万石 減収率67%
1913(大正2)年  凶作 収穫高82.0939万石 
1924(大正13)年 旱害 収穫高106.5866万石
1926(大正15)年 豊作 収穫高114.7774万石
1927(昭和2)年 冷害による凶作106.1578万石
 
 この作品は、「一〇七二 峠の上で雨雲に云ふ」一九二七、六、一、(「詩ノート」80・81ページ)から発展したもので、作品番号、発想日付とも同じです。
 
黒く淫らな雨雲よ                                                          
  ……もし翻訳者兼バリトン歌手
    清水金太郎氏の口吻をかりて云はゞ……
わたくしはこの峠の上のうすびかりする灝気から
またこゝを通るかほりあるつめたい風から
また山谷の凄まじい青い刻鏤から
わたくしの暗い情炎を洗はうとして
今日の旅程のわづかな絶間を
分水嶺のこの頂点に登って来たのであるが
全体 黒いニムブスよ
  ……翻訳家兼バリトン歌手
    清水金太郎氏の口吻をかりて云はゞだ……
おまへは却ってわたくしを
地球の青いもりあがりに対して
一層強い慾情を約束し
風の城に誘惑しやうとする
けだしそのまがりくねった白樺の枝に
つぐみが黒い木の実をくはえて飛んできて
わたくしを見てあわてゝ遁げて行ったこと
平たく黒い気層のなまこ
五葉山の鞍部に於て
おまへがいろいろのみだらなひかりとかたちとで
あらゆる変幻と出没とを示すこと
おまへの影が巨きな網をつくって
一様にひわいろなるべき山地を覆ひ
わたくしの眼路から
ほとんどそれらの彫刻を迷はせること
これらを綜合して見るに
あやしくやわらかなニムブスよ
  ……いゝかな
    翻訳家兼バリトン歌手の
    清水金太郎氏に従へばだぞ……
最后にそれらの凄まじい明暗で
もう全天を被ふべく
且つはそこからセロの音する液体をそゝぐべく
    ……白極海のラルゴに手をのばす……
みだらな触手をわたくしにのばし
のばらとつかず胸ときめかすあやしい香気を風に送って
湖とも雲ともわかぬしろびかりの平原を東に湛え
たうたうまっくろな尾をひるがへし
    ……一点なまめくその下の日かげ……
わたくしをとらうと迫るのであるか
 
 背景は同じですが、ここでは、主として雨雲に心乱される賢治の心象が描かれます。〈もし翻訳者兼バリトン歌手/清水金太郎氏の口吻をかりて云はゞ〉に続いて自分の心中を述べる形が3回使われています。
 清水 金太郎(しみず きんたろう、1889〜1932)は、バリトン歌手で、田谷力三とともに大正期の浅草オペラを代表するスターでした。賢治が浅草オペラの熱烈な愛好者だったことは伝記的事実です。
 灝気(こうき)は天上の清らかな気で、中国由来の言葉です。賢治はこのとき、天にも通じる清らかな気と清らかな香りの冷たい風を期待して、寸暇を惜しんで峠に昇って来たのです。すっかりオペラの歌い手になったような高揚した気分だったのでしょう。
 しかしそこにあった黒雲に、賢治の心は乱れます。風は、期待していた〈かほりあるつめたい風〉はなく、慾情に満ちた〈風の城〉であり、〈あやしい香気〉を運ぶ風で、すっかり黒雲の側のものでした。それでも賢治は黒雲の誘惑に身を任せ、浸っています。この詩には古代への思いも、農作物への憂いもありません。
 賢治が、「春と修羅第三集」の編集のために、この詩を「詩ノート」から選び、推敲したのは、黒雲拡がる悪天候が続き、農作物への影響が出始めた後のことだったのではないでしょうか。
 書簡231(7月19日付盛岡の測候所の福井規矩三宛)の稲作相談の礼状は(注5)、詩中の〈練達の測候長〉に天気の予報を尋ねたことを裏付けるものだと思います。
 黒雲への情熱から一歩引いた時、その情熱だけを描いた詩を受け入れられず、冷静な詩作者として、古代詩歌や神話を書き込み、農村への憂いを書き込み、黒雲から離れようとする自分を描いたのだと思います。
 賢治がここで古事記や万葉の世界を取り入れたのは、雲を征服するように降り立った神々や、雲を詩の対象として歌い込んだ万葉歌人に、雲に誘惑されていないものを感じとり、そこに自分を引き上げたいと思ったのではないでしょうか。
 
 風は、いずれも抽象的な使い方で、一つは心を洗おうとする清らかな風、他方は〈非礼の香気〉―黒雲の誘惑―を送る風、〈一層強い慾情〉のあふれる〈風の城〉〉、真逆な二つです。
 「春と修羅第三集」以降、「疾中」の〔風がおもてで呼んでゐる〕でも〈風がおもてで呼んでゐる……おまへも早く飛びだして来て……うつくしいソプラノをもった/おれたちのなかのひとりと/約束通り結婚しろ」と〉と誘惑する風が描かれます。 また〔その恐ろしい黒雲が〕では誘惑する黒雲とともに〈あゝ友たちよはるかな友よ/きみはかゞやく穹窿や/透明な風 野原や森の/この恐るべき他の面を知るか〉と、風、雲、そして自然は一体となっていて人間の計り知れない多くの貌を持つことを知ってしまった気持ちが書かれています。
 
 一方、「県技師の雲に対するステートメント」、「峠の上で雨雲に云ふ」、〔風がおもてで呼んでゐる〕、〔その恐ろしい黒雲が〕ではいずれも、賢治は直接風の中にはいません。黒雲と風の関係を自覚してしまったとしても、もしそこに、一瞬の風が吹いていたら、詩は全く変わっていたのではないでしょうか。
 風は吹かず、黒雲に寄せる情熱を肯定できなくなった時でも、賢治は絶望することを自分に許さず、万葉集や古事記を取り込むことで、立ち直ろうとしています。その後の心象については別の機会に検証したいと思います。
 
注1小林俊子『宮沢賢治 かなしみとさびしさ』 勉誠出版 2011
  2鈴木貞美「モダニスト 宮沢賢治」2011 鈴木貞美HP
  3堀尾青史『宮沢賢治年譜』 筑摩書房 1991
  4堀尾青史前掲書
   大島丈志『宮沢賢治の農業と文学 過酷なイーハトーブのなかで』 
   蒼丘書林 2013
  5堀尾青史前掲書

 
 
 







永野川2016年6月上旬
 一気に夏になったような天気です。二杉橋から入るといつも通りカワラヒワ、ウグイス、ホオジロの囀りがにぎやかでした。相変わらず水は澱んでいますが水量は減って中州が少し現れています。中州で見るのは珍しいキジの♀がぽつんと佇んでいました。
 睦橋付近でセグロセキレイの若鳥が一羽石の上を歩き、イカルチドリが鳴いて下っていきました。
 ダイサギが一羽上空を飛び、ツバメは1羽、2羽と下ってきます。
 川の中でカワセミの声が聞こえましたが、篠が繁っている場所で姿は見えませんでした。
 上人橋付近で川岸のサクラの木にヒヨドリが2羽、珍しく姿を見せました。錦着山裏にはヒバリはいませんでした。
 合流点でカイツブリ1羽、自分の頭よりも大きい獲物を必死で呑み込もうとしていました。はっきり見えないのですが、太めの魚かエビのようでしたが、あるいは人間の投げ込んだ生ごみかもしれません。何回も水に落としては拾い上げ、必死に食べていましたが、5分ほどであきらめたのか、お腹がいっぱいになったのか、やめてしまいました。
 赤津川では変わらずヒバリが両岸で囀っていましたが、蛙の声は聞こえませんでした。
 泉橋近くで川の中にチュウサギ1羽、黄色い嘴の先が黒くなっていました。
 栃木陶器瓦付近で。休耕田の低木に小さめのモズ2羽、一緒に行動しているようでした。茶色が強く、♀若鳥でしょうか。
 合流点付近で、緑地公園の南の山林あたりから、今季初ホトトギスの声が聞こえました。その時だけでしたが、聞き逃さなくてよかったと思います。
 滝沢ハムのクヌギ林でコゲラの声がしましたが、他のカラ類などの混群は見えませんでした。 
 公園の工事はだいぶ進んで、土砂は片付き、かなり水は浅くはなりましたが川は復活していました。その砂利の多い浅瀬に早速アオサギが1羽来ていました。ここは鳥たちのお気に入りの場所なのかもしれません。やはり大事にしなければならない場所なのだと思います。
 川岸ではシオカラトンボが見え、オカトラノオが群生しているのも見つけました。さまざまな逆風の中で、生物が元気に育って行くことを祈るばかりです。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カイツブリ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、ホトトギス、イカルチドリ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ

 
 







永野川2016年5月下旬
 薄曇りで歩きやすい日です。二杉橋から遡りました。
 水は澱んでほとんど流れていません。工事車両は1台程度ですが、土砂の量は川の4分の3くらいを占めています。ウグイスの声だけが元気です。五小を過ぎたあたりでダイサギ1羽水の中を歩いていました。
 かなり上空をアオサギが4羽、北の方へ飛んでいきました。この辺では1羽でいることが多いので、もしかして他の鳥か、とも思いますが、大きさ、遠くから見た色調からはアオサギと思われます。
 睦橋近くで、ホオジロが囀っていました。
 岸辺の家の屋敷林でコゲラの声がしました。ここはかなり大きな木が揃っていて、冬にはシメや、ヒヨドリの大群がいるので、時間をかければ、かなりの種類の鳥が見られるのかもしれませんが、民家なのでそうもできません。
 上空をゴイサギ1羽飛びました。例年、通過する姿だけが見られます。
 川岸の畑2か所で、砂浴びをするスズメが見られました。今日は気温は低めですが、陽だまりの砂は熱くは無いのでしょうか。
 錦着山裏では、いつもどおりヒバリが囀っていました。1羽が囀りながら旋回して飛ぶのが見えました。
 ツバメも曇りがちなせいか低いところを2羽、3羽と飛んでいて、22羽確認できました。
 姿は見えないのですがキジの声が時々聞こえます。赤津川沿い、大岩橋、公園などで8例も観察できました。
 合流点でカイツブリ1羽、今年は浮巣を見損なったかもしれません。
 赤津川岸、栃木陶器瓦の手前の橋とその手前の橋との間で、モンシロチョウが50羽ほど舞っていました。一羽ずつだと美しいのですが、数が多いと少し不気味です。どこかでいっせいに羽化したのでしょうか。もしかして岸辺の菜の花が食草? 洪水は生態系も変えるのかもしれません。
 大岩橋の右岸の藪で、コジュケイの大きな声が聞こえました。至近距離のだったのですが見えません。探していると、いつものチョットコイという声の間に、キーという声と、コッコッコというニワトリ風の小さな声も聞こえ、名前の中の〈鶏〉という字を実感できました。近くにいることは間違い無く、人の気配を感じても逃げるようすも無いので、なんとか見たかったのですが諦めて移動しました。対岸から見えるかなと淡い希望を持って行ってみました。声ははっきり聞こえたのですが、藪の中で見えるはずはありません。
 公園の中の歩道工事は八割がた済んだようで、土砂が減り澄んだ水が現れていましたが、鳥はいませんでした。
 ワンド跡では、倒れたままでヤナギは芽を吹いていて、ヨシも幾分育っているようです。ここも菜の花の枯れたもの、イヌムギ、ツルヨシなどが混じっていて、大きなヨシ原にはなっていません。ヨシの育成はできないのでしょうか。公園としての見た目の美しさや浄化機能もあるのでは、と思うのですが、そう思うのは私だけでしょうか。
 牧場状態だったイヌムギはついに刈りとられ、汚い芝生となりました。ここも何かきれいな草原性の草を育てられないのでしょうか。
 永野川東岸を下って、二杉橋手前の大木が10本程残された所で、大木の下の方の枝に、モズの幼鳥が留っていました。まだ羽毛が生え換わったばかりのようで、肩に羽毛がいくらか残って風に揺れていて、何か儚なげです。そして♂なのに過眼線が頼りなく見えるような可愛さを残していました。飛ぶ気配も、しっぽを回す気配もなく、本当に不安げに周囲をみているようでした。感情を移入するのは行けないのですが、モズの一つの時期を見た気がしました。これから少しずつたくましくなっていくのでしょう。
 本当に鳥は少ない日でしたが、コジュケイの声をゆっくり聞き、モズの幼鳥をゆっくり見られて面白い鳥見でした。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、カイツブリ、アオサギ、ダイサギ、ゴイサギ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ホオジロ