この物語は、物語の中に登場する〈昔ばなし〉の〈ポラーノの広場〉―つめくさの花に記された明かりを数えると、誰でもが行くことができ、そこに行けば楽しい音楽があり、誰もが上手に歌うことができるようになる―を実際に探そうとするお話です。それは主人公の過去の追憶として書き始められます。
「ポラーノの広場」に〈哀愁にみちた物語〉というフレーズがついて回るのは、ひとつには、それが追憶によって語られるせいかもしれません。そしてそれは一つの魅力ともなっています。
また、この追憶が、この主人公が、実際の広場の運営に携わることをせず、遠い都会へと離れ、傍観者となった立場でのものであることが、作者の実人生における農村活動との関わりにつなげて考えられ、哀愁すなわち作者の挫折として、否定的にとらえる論調もあります。
でも真実は何でしょうか。もしそれだけであれば、この作品が感動を生むことはありません。作者の実人生に寄り添って展開する部分もある物語の本当の意味は何か、物語全体の哀愁に、風はどんな色付けをしているのか、少しずつ書き綴り、私のこの作品へのオマージュとしたいと思います。
一方、この物語を作者は、「風野又三郎」、「銀河鉄道の夜」、「グスコーブドリの伝記」とともに「少年小説」として捉えていたようで、「歌稿B」第一葉余白(創作メモ53)には、〈少年小説/ポラーノの広場/風野又三郎/銀河ステーション/グスコーブドリの伝記〉、のメモがあるほか、創作メモ54、創作メモ56にも同様の書き込みが見られます。それは何を意味するのでしょうか。
天沢退二郎「〈少年〉とは誰か―四つの《少年小説》あるいは四次元論への試み」(注1)は、「ポラーノの広場」は風の物語であるという指摘に基づき、展開されています。私が魅かれる原因の一つは、ここにあったのかもしれません。既に40年近く前にこれが書かれているという事実は、風を追って来た私としてはめげますが、風によって展開していくお話に、賢治が本当に描いたものは何か、賢治の心の中の風を少しでも掴みたいと思います。
T追憶の繋がり
1、序章―語られはじめる過去
そのころわたくしはモリーオ市の博物局に勤めて居りました。
十八等官でしたから役所のなかでもずうっと下の方でしたし俸給もほんのわづかでしたが、受持ちが標本の採集や整理で、生れ付き、好きなことでしたから、わたくしは毎日ずゐぶん愉快にはたらきました。殊にそのころ、モリーオ市では競馬場を植物園に拵え直すといふので、その景色のいゝまはりにアカシヤを植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたままわたくしどもの役所の方へまはって来たものですから、わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもってその番小屋にひとり住むことになりました。わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきゐをつけて一疋の山羊を飼ひました。毎朝その乳をしぼってつめたいパンをひたし〔〕てたべ、それから黒い革のかばんへすこしの書類や雑誌を入れ、靴もきれいにみがき、並木のポプラの影法師を大股にわたって市の役所へ出て行くのでした。あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波、
またそのなかでいっしょになったたくさんのひとたち、ファゼーロとロザーロ、羊飼のミーロや顔の赤いこどもたち、地主のテーモ、山猫博士のボーガントデステゥパーゴなど、いまこの暗い巨きな石の建物のなかで考へてゐるとみんななつかしい青いむかし風の幻燈のやうに思はれます。
では、わたくしはいくつかの小さなみだしをつけながらしづかにあの年のイーハトーヴォの五月から十月までを書きつけませう。……
主人公レオーノ・キュースト(以下キューストと記す)は、〈標本の採集や整理〉という好きな職業に就き、好きなレコードと蓄音機を持って、〈植物園に拵え直す〉という納得できる目的を持った競馬場の番小屋に一人で住んでいます。これは、若者の理想的な暮らしを意味するとともに、家からの独立という、作者の潜在的な希望の象徴だと思います。
〈植物園に拵え直す〉という〈競馬場〉にも、大きな意味があります。
天沢退二郎「『ポラーノ広場』あるいは不在のユートピア―プロローグをめぐって―」(注2)では、競馬場→植物園という用途変更はそれ自体夢魔の住みつく場所ととらえ、キューストが少年たちの夢の場所への探索に連れ立つのを可能にしている、としています。
競馬は、古くは神事に始まり、ついで馬産農家の飼育した馬のコンテストの場となりました。「競馬場」は馬産県、岩手県にとって、当時の農民にとっても、ある種栄光の場所であり、現在のようなマイナスイメージはありません。そしていつも発展的意味を持って移転が繰り返され、跡地は農地や学校として利用されてきました。(注3)
〈植物園に拵え直す〉―現実にはありませんでしたが、植物園は作者にとって、発見可能な場所、農業の向上を目的とした高等農林の施設としてあり、理想の場所への変更の象徴でしょう。
〈あのイーハトーヴォのすきとおった風、〉、まず最初に追憶される風は、イーハトーヴォという理想郷を意味する透明なものです。〈夏でも底に冷たさをもつ青いそら〉も、透明な空気の象徴です。〈うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波、〉は溢れる緑―豊かな自然です。
序章で描かれるのは、〈美しい過去〉、一番の理想です。それは、キュースト自身にとっての〈美しかった過去〉です。
キューストはそれ以降、自分の周囲以外の世界を知ります。その現実と、その中で見つけた理想を心中に置いて振り返るとき、序章での世界は、いっそう透明で輝く世界になるのです。
この物語で感じられる〈哀愁〉は、追憶という形で書きはじめられ、更に新しい追憶が積み重ねられていき、その一つ一つが象徴的にその時を描きながら組み立てられ、結末としての主人公の現在が追憶と絡み合いながら描き出されるからではないでしょうか。
私も一つ一つ見出しを追いかけてみようと思います。
2、遁げた山羊―ファゼーロとの出会い
逃げた山羊を探しに行って、キューストは少年ファゼーロと知り合います。ファゼーロは、姉とともに、農家に雇われている少年でした。この一章に、作者は自分とは違う生活を強いられている人々のいるのを知る場面を描きました。
日曜日でも休めない少年、鞭で脅して働かせる雇い主、有力者に差し出されそうな少年の姉、など、一つ一つに社会の一面が象徴的に描かれ、賢治の作家としての能力を感じます。
そして少年が〈ポラーノの広場〉を求めていることが初めて記されます。少年の心の中の希望の明かりのようなものが、現実の社会の描写の中に描かれ、そのギャップが照らし出されます。
……
「磁石もついてゐるよ。」 すると子どもは顔をぱっと熱らせましたがまたあたりまへになって
「だめだ、磁石ぢや探せないから。」とぼんやり云ひました。
「磁石で探せないって?」私はびっくりしてたづねました。
「ああ。」子どもは何か心もちのなかにかくしてゐたことを見られたというやうに少しあわてました。「何を探すっていふの?」子どもはしばらくちゅうちょしてゐましたがたうたう思い切ったらしく云ひました。「ポラーノの広場。」「ポラーノの広場? はてな、聞いたことがあるやうだなあ。何だったらうねえ、ポラーノの広場。」「昔ばなしなんだけれどもこのごろまたあるんだ。」「あゝさうだ。わたしも小さいとき何べんも聞いた。野はらのまんなかの祭のあるとこだらう。あのつめくさの花の番号を数へて行くといふのだろう。」
「ああ、それは昔ばなしなんだ。けれども、どうもこの頃もあるらしいんだよ。」「どうして。」
「だってぼくたちが夜野原へ出てゐるとどこかでそんな音がするんだもの。」「音のする方へ行ったらいゞんでないか。」「みんなで何べんも行ったけれどもわからなくなるんだよ。」
「だって、聞えるくらいならそんなに遠い筈はないねえ。」
「いいや、イーハトーヴォの野原は広いんだよ。霧のある日ならミーロだって迷うよ。」
「さうさねえ、だけど地図もあるからねえ。」「野原の地図ができてるの。」「ああ、きっと四枚ぐらいにまたがってるねえ。」「その地図で見ると路でも林でもみんなわかるの。」
「いくらか変っているかもしれないがまあ大体はわかるだらう。じゃ、お礼にその地図を買って送ってあげやうか。」「うん、」子どもは顔を赤くして云ひました。……
〈ポラーノの広場〉―昔ばなしに描かれる、つめくさの花の明かりに映しだされる番号を数えてたどり着く野原の中の祭―誰でもが行くことができ、そこに行けば楽しい歌があり、誰でもが上手に歌えるようになる―それが現実にあるかもしれない、厳しい現実のなかで耐えているファゼーロの唯一の望みは、熱く伝わってきます。
3、つめくさのあかり―夜の野原―なぜつめくさの番号を追うのか。
ファゼーロや友人のミーロは、森の方から、人のざわめきや楽器の音がだんだん強くなるのを感じて、キューストを誘って出かけます。
ポラーノの広場への到達の方法として、つめくさの花に書かれた番号を辿っていくという、昔ばなしから受け継がれたもの、もうひとつ現実として、微かに聞こえる音を頼りに行く、という方法が示されます。
〈つめくさの花に書かれた番号〉を数えながら近づく―ここには大きな魅力が隠されています。月明かりの野原に咲く白つめくさの美しさ、幻想性、物語の背景として、ドリームランドとしての野原を象徴できます。そして大きな夢と、近づくための緻密な方法、そのギャップは、話を「美しい現実」とすることができます。
なぜつめくさの花に描かれる数字を辿る、という設定が生まれたのでしょうか。
須川力「『ポラーノの広場』におけるつめくさの番号」(注4)はその数字に、星団・銀河のNGC星表の番号を見ています。
NGC星表(New General Catalogue of Nebulae and Clusters of Stars)は、星雲、星団、銀河の目録で、番号がつけられ、各天体について、種別やタイプ、天球上の位置(赤経,赤緯)、見かけの光度(等級)、見かけの大きさが表として記載されています。J.ハーシェルが父W・ハーシェルと自身の観測を合わせて5079個の星雲,星団の表を 1864年に出版しました。さらに1888年にJ.ドライヤーが7840個にして改訂出版したものです。
さらにJ.ドライヤーによって、拡張補充されたIC星表(Index Catalogue of Nebulae and Clusters of Stars) 、1908年の第2IC星表があります。
このことについては、既に谷川雁が同様の推理をしめし(注5)、根本順吉も、この番号の到達点は極北がポラーノの広場の場所であるという論(注6)に至りました。ここには、北が作者にとって特別な方向であったこと(注7)も感じられます。
「ポラーノの広場」でのキュースト達の追う番号をもう一度反復してみましょう。
「おや、つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。
なるほど向ふの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのやうな白いつめくさの花があっちにもこっちにもならびそこらはむっとした蜂蜜のかほりでいっぱいでした。
「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」
「さうかねえ、わたしはたった一つのあかしだと思ってゐた。」
「そら、ね、ごらん、さうだろう、それに番号がついてるんだよ。」
わたしたちはしゃがんで花を見ました。なるほど一つ一つの花にはさう思へばさうといふやうな小さな茶いろの算用数字みたいなものが書いてありました。
「ミーロ、いくらだい。」
「一千二百五十六かな、いや一万七千五十八かなあ。」
「ぼくのは三千四百二十……六だよ。」
「そんなにはっきり書いてあるかねえ。」わたくしにはどうしてもそんなにはっきりは読むことができませんでした。けれども花のあかりはあっちにもこっちにももうそこらいっぱいでした。
「三千八百六十六、五千まで数えればいいんだからポラーノの広場はもうぢきそこらな筈なんだけれども。」
「だってさっぱりきみらの云ふやうないゝ音はしないんぢゃないか。」
「いまに聞こえるよ。こいつは二千五百五十六だ。」
「その数字を数えるというのはきっとだめだよ。」
とうとうわたくしは云ひました。
「どうして?」ファゼーロもミーロもまっすぐに立ってわたくしを見てゐます。
「なぜって第一わたしは花にそんな数字が書いてあるのでなくてそれはこっちの目のまちがひだらうと思ふんだ。もしほんたうにいまにその音が聞えてきたらまっすぐにそっちに行くのがいちばんいゝだらうと思ふんだ。とにかくもっとさきへ行ってみやうぢゃないか。ここらならわたしだって度々来てゐるんだから。ここらはまだあの岐れみちのまっ北ぐらいにしかなってないんだ。ムラードの森なんか、まだよっぽどあるだろう。ねえ、ミーロ君。」
「よっぽどあるとも。」
「じゃ、行こう、まあもっと行って花の番号を見てごらん。やっぱり二千とか三千とかだから。」
ミーロはうなづいてあるきだしました。ファゼーロもだまってついて行きました。わたくしどもはじつにいっぱいに青じろいあかりをつけて向うの方はまるで不思議な縞物のやうに幾条にも縞になった野原をだまってどんどんあるきました。その野原のはずれのまっ黒な地平線の上では、そらがだんだんにぶい鋼のいろに変っていくつかの小さな星もうかんできましたしそこらの空気もいよいよ甘くなりました。そのうち何だかわたくしどもの影が前の方へ落ちているやうなのでうしろを振り向いて見ますと、おお、はるかなモリーオの市のぼぉっとにごった灯照りのなかから十六日の青い月が奇体に平べったくなって半分のぞいてゐるのです。わたくしどもは思わず声をあげました。ファゼーロはそっちへ挨拶するやうに両手をあげてはねあがりました。
にはかにぼんやり青白い野原の向ふで何かセロかバスのやうな顫ひがしづかに起りました。
「そら、ね、そら。」ファゼーロがわたくしの手を叩きました。わたくしもまっすぐに立って耳をすましました。音はしづかにしづかに呟やくやうにふるえてゐます。けれどもいったいどっちの方か、わたくしは呆れてつっ立ってしまひました。もう南でも西でも北でもわたくしどもの来た方でもさう思って聞くと地面の中でも高くなったり低くなったりたのしさうにたのしさうにその音が鳴ってゐるのです。
それはまた一つや二つではないやうでした。消えたりもつれたり一所になったり何とも云はれないのです。
「まるで昔からのはなしの通りだねえ。わたしはもうわからなくなってしまった。」
「番号はこゝらもやっぱり二千三百ぐらゐだよ。」ファゼーロが月が出て一さう明るくなったつめくさの灯をしらべて云ひました。
「番号なんかあてにならないよ。」わたくしも屈みました。そのときわたくしは一つの花のあかしからも一つの花へ移って行く黒い小さな蜂を見ました。
「ああ、蜂が、ごらん、さっきからぶんぶんふるえてゐるのは、月が出たので蜂が働きだしたのだよ。ごらん、もう野原いっぱい蜂がゐるんだ。」これでわかったらうとわたくしは思ひましたがミーロもファゼーロもだまってしまってなかなか承知しませんでした。
「ねえ蜂だろう。だからあんなに野原中どこから来るか知れなかったんだよ。」
ミーロがやっと云ひました。
「さうでないよ。蜂ならぼくはずっと前から知ってゐるんだ。けれども昨夜はもっとはっきり人の笑ひ声などまで聞えたんだ。」「人の笑ひ声、太い声でかい。」「いいや。」
「さうかねえ。」わたくしはまたわからなくなって腕を組んで立ちあがってしまひました。
そのときでした。野原のずうっと西北の方でぼぉとたしかにトローンボーンかバスの音がきこえました。わたくしはきっとそっちを向きました。するとまた西の方でもきこえるのです。わたくしはおもはず身ぶるいしました。野原ぜんたいに誰か魔術でもかけてゐるかさうでなければ昔からの云ひ伝ひ通りひるには何もない野原のまんなかに不思議に楽しいポラーノの広場ができるのか、わたくしは却ってひるの間役所で標本に札をつけたり書類を所長のところへ持って行ったりしてゐたことが別の世界のことのやうに思はれてきました。
「やっぱり何かあるのかねえ。」
「あるよ。だってまだこれどこでないんだもの。」
「こんなに方角がわからないとすればやっぱり昔の伝説のやうにあかしの番号を読んで行かなければならないんだが、ぜんたい、いくらまで数えて行けばポラーノの広場に着くって?」
「五千だよ。」
「五千? ここはいくらと云ったねえ。」
「三千ぐらゐだよ。」
「じゃ、北へ行けば数がふえるか西へ行けばふえるかしらべて見やうか。」……
NGC星表で見ると近い星団星雲は、1256―エリダリス、2556―かに、3426−しし、3866―コップ、5024かみのけです。「ポランの広場」では、3053―しし、3054―うみへび、6027―へび、7000―はくちょうです。
「ポラーノの広場」では5000、「ポランの広場」では7000まで数えれば広場に到達するということになっています。NGC星表では、〈5000〉は赤緯大熊座の少し南、おとめ座、大熊座、「ポランの広場」の〈7000〉は、NGC星表の満点に近い数字です。これは〈極点〉を表すものとして使ったのかもしれません。
またここから類推して、唯一の5ケタ数字〈一万七千五十八〉は、NGC表の数字に時折付記されている、IC星表を示すIを、1として認識したためかもしれません。
NGC星表は、1954年刊の中野繁・広瀬秀雄『全天恒星図』(誠文堂新光社)が日本最初の刊行で、作者が見ることは不可能ですが、盛岡高等農林学校、あるいは図書館等で所蔵していた洋書で見た可能性はあります。作者とNCG星表との接点はこれからの課題です。
ちなみに作者の時代にはメシエの星団・星雲カタログが一般に普及していました。フランスのC.メシエが1771年から1784年までに発表したものですが、番号はM1(かに星雲)〜M103で、その後の天文学者によって追記、補充されています。
ここで感じられる番号の不確かさは、人それぞれ、認識する番号が違っていることからも明らかです。しかし番号が書かれていてそれを辿って到達する、ということは、一つの科学的な方法とも言えるのではないでしょうか。表を見ながら星団、星雲を確かめたり、地図の経度や緯度を辿りながら場所を探したりするのに似ています。
実際にツメクサに書かれた番号を実感できる人は少ないと思いますが、納得してしまうのは、〈昔ばなし〉という架空の世界の設定のためだけでなく、こんなところにもあるのだと思います。
それはまた、この物語の中で登場人物が〈昔ばなし〉を信じることから始まっているというこの物語の〈夢〉の部分を裏付けるものなのかもしれません。
また、作者が星団・星雲の表の番号を物語に導入したとすれば、それは、シロツメクサがマメ科シャジクソウ目の、小さな蝶形の花が球状の総状花序(柄のある花が花茎に均等につく)をつくっていることを、単体の星では無く、星雲・星団と見立てたためで、対象に対する優れた見極めだと思います。
……
「ハッハッハッ。お前たちもポラーノの広場へ行きてえのか。」うしろで大きな声で笑ふものがゐました。
「何だい、山猫の馬車別当め。」ミーロが云ひました。
「三人で這ひまわって、あかりの数を数えてるんだな。はっはっはっ、」その足のまがった片眼の爺さんは上着のポケットに手を入れたまゝまた高くわらひました。
「数へてるさ、そんならぢいさんは知ってるかい。いまでもポラーノの広場はあるかい。」ファゼーロが訊きました。
「あるさ。あるにはあるけれどもお前らのたづねてゐるやうな、這いつくばって花の数を数えて行くやうなそんなポラーノの広場はねえよ。」「そんならどんなんがあるんだい。」
「もっといゝのがあるよ。」「どんなんだい。」「まあお前たちには用がなからうぜ。」ぢいさんはのどをくびっと鳴らしました。「ぢいさんはしじゅう行くかい。」「行かねえ訳でもねえよ、いゝとこだからなあ。」「ぢいさんは今夜は酔ってるねえ。」「ああ上等の藁酒をやったからな。」じいさんはまたのどをくびっと鳴らしました。
「ぼくたちは行けないだろうかねえ。」「行けねえよ。あっいけねえ、たうたう悪魔にやられた。」じいさんは額を押へてよろよろしました。甲むしが飛んで来てぶっつかったやうすでした。ミーロが云ひました。
「ぢいさん、ポラーノの広場の方角を教へてくれたら、おいらぁ、ぢいさんと悪魔の歌をうたってきかせるぜ。」
「縁起でもねえ、まあもっと這ひまはって見ねえ。」ぢいさんはぶりぶり怒ってぐんぐんつめくさの上をわたって南の方へ行ってしまひました。……
馬車別当や農民の登場は、そこに現実を感じさせながら、この章ではそれ以上を書かないので、また別の意味の謎を呼び、夢幻の世界にしています。
その後登場するファゼーロの姉―登場人物中たった一人の女性―が、夜の明かりの中で、言葉を交わすことなく消えるのも、現実なのに夢幻です。
〈ポラーノの広場〉という〈昔ばなし〉のなかで、その夜、実際にあったものは、音楽と、その音楽の実態を知っている村人たちでした。それは村人の語り口からしても、〈夢の広場〉とはほど遠いことを感じさせながら、その夜は終ります。
(次回に続く)
注1、『国文学解釈と教材の研究』23−2 1978、2 学燈社
2、『国文学解釈と鑑賞』 至文堂 1984・『〈宮沢賢治〉鑑』筑摩書房
1986
3、小林俊子「ポラーノの広場の競馬場」
(『宮沢賢治 かなしみとさびしさ』 勉誠出版2011)
4、『賢治研究55』宮沢賢治研究会 1991.7)
5、『十代』6−5(十代の会 1986)
6、『弘前・宮沢賢治の会会誌5号 』(1987)
7、このことについては多くの論があり、例えばトシの面影を求めた旅が北に 向いていたことなど。
参考文献
岡村民夫「『「ポラーノの広場」の競馬場 賢治郊外学のために」 (『賢治学』
第2輯 岩手大学宮沢賢治センター編 東海大学出版部刊 2015)
藤井旭『青雲 星団ガイドブック』誠文堂新光社 1972
高橋健一・村山定男『星の本の本』地人書館 1979