6、風の中のユートピア―風と草穂
1か月の出張を終えて帰った9月1日の夕方、キューストを待っていたのは、なんとファゼーロでした。ファゼーロは8月10日には帰って、キューストを待っていたそうです。
そして失踪中の事実はこうでした。
どうしても雇い主のもとに帰れなかったファゼーロはそのまま出奔しました。夜道を歩きつづけていた時、皮革業者に助けられ、仕事を手伝いながらセンダ―ドまで行き、皮革の技術を習得したのでした。そして警察の捜索の結果、帰って来たのだそうです。
雇い主からも自由になったファゼーロは、村の人々と森で皮革やハム造りの仕事をするつもりと言います。キューストはすぐにファゼーロとともにその「広場」に急ぎます。野原は風も無く草は穂を出し、つめくさの花は枯れていました。
そこで会った農夫から、デステゥパーゴの真実を聞かされます。決して落ちぶれてはいないで、センダ―ド近くにたくさんの土地を持っていること、会社に財産をつぎ込んだのでは無くて、会社の株がただ同然になって遁げたこと、デステゥパーゴは大掛かりな密造酒、危ない混成酒工場を2年もやっていたこと……、農夫たちも共謀の弱みがあるのでおおっぴらに追求できないが、残された工場を利用して、新しい産業を始めようということ……。キューストはここではまだ半信半疑でした。
わたくしどもはどんどん走りつゞけました。
「そらあすこに一つ、あかしがあるよ。」ファゼーロがちょっと立ちどまって右手の草の中を指さしました。そこの草穂のかげに小さな小さなつめくさの花が青白くさびしさうにぽっと咲いてゐました。
俄かに風が向ふからどうっと吹いて来て、いちめんの暗い草穂は波だち、私のきもののすきまからはその冷たい風がからだ一杯に浸みこみました。
「ふう。秋になったねえ。」わたくしは大きく息をしました。ファゼーロがいつか上着は脱いでわきに持ちながら
「途中のあかりはみんな消えたけれども……」おしまひ何と云ったか風がざぁっとやって来て声をもって行ってしまいました。
「まっすぐだよ、まっすぐだよ。わたくしはあれからもう何べんも来てわかってゐるから。」わたくしはファゼーロの近くへ行って風の中で聞えるやうに云ひました。ファゼーロはかすかにうなづいてまた走りだしました。夕暗のなかにその白いシャツばかりぼんやりゆれながら走りました。
ファゼーロの後をついて広場に向かって行くと、昔の名残のように咲く小さなつめくさをファゼーロとともに確認します。
そして風が吹いて来ました。それは冷たい風でした。ファゼーロのいう〈「途中のあかりはみんな消えたけれども……」〉は〈おしまひ何と云ったか風がざぁっとやって来て声をもって行ってしまい〉ます。ファゼーロは何と言おうとしたのでしょう。作者はなぜそれを消したのでしょう。
おそらく「でも道はついているよ」という意味でしょう。作者はそれを最後までキューストには知らさず、辿りつく過程を書きつづけたのでしょうか。
風は、闇の中のはんのきを〈次から次と湧いてゐるやう、枝と枝とがぶっつかり合ってじぶんから青白い光を出しているやう〉にみせ、また〈のはらはだんだん草があらくなってあちこちには黒い藪も風に鳴りたびたび柏の木か樺の木かがまっ黒にそらに立ってざわざわざわざわゆ〉らし、風は次々に現れる舞台を演出します。
工場は、デステゥパーゴの工場の跡地でした。木材の乾留装置で、薬品の代わりに酢酸を作り、その過程で出来る煙を使って、密造酒を作っていた部屋でハムを作る計画が、話し合われていました。
「さうだ、ぼくらはみんなで一生けん命ポラーノの広場をさがしたんだ。けれどもやっとのことでそれをさがすとそれは選挙につかふ酒盛りだった。けれどもむかしのほんたうのポラーノの広場はまだどこかにあるやうな気がしてぼくは仕方ない。」
「だからぼくらはぼくらの手でこれからそれを拵えやうでないか。」
「そうだ、あんな卑怯な、みっともないわざとじぶんをごまかすやうなそんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸へばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて面白いやうなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえやう。」
「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえてゐるのだから。」
「さあよしやるぞ。ぼくはもう皮を十一枚あそこへ漬けて置いたし、一かま分の木はもうそこにできてゐる。こんやは新らしいポラーノの広場の開場式だ。」
それは、本当の〈ポラーノの広場〉でした。ファゼーロ、ミーロ、年寄達にとっても、そしてキューストにとっても、ユートピア、そして大きな目標のはじまりでした。
それは〈「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえてゐるのだから。」〉―考えていることはすべて実現できる―という明るい予感に支えられるものでした。
風は〈吸えば元気がつ〉く、ユートピアの条件として捉えられます。
〈酒を呑まずに水を呑〉んだ乾杯を、作者は次のように描きます。
「こんどは呑むんだ。冷たいぞ。」ファゼーロはまたみんなにつぎました。コップはつめたく白くひかり風に烈しく波だちました。
「さあ呑むぞ。一二三、」みんなはぐっと呑みました。私も呑んでがたっとふるへました。
ここでも風は、一つの情景を作ります。〈白く冷たく波立つ〉世界は、みんなの心にある、これからの厳しさへの予感だと思います。そのような予感を抱きながらもなお、希望に燃えている心を描くために、冷たい水が用意されたのだと思います。
そして、みんなで歌った〈ポラーノの広場のうた〉も風は持って行ってしまいます。それは、いつ消えるかわからないユートピア、しかし、しっかり掴まえておかなくてはならないもの、という暗示かもしれません。 そして私たちはまっ黒な林を通りぬけてさっきの柏の疎林を通り古いポラーノの広場につきました。そこにはいつものはんのきが風にもまれるたびに青くひかってゐました。わたくしどもの影はアセチレンの灯に黒く長くみだれる草の波のなかに落ちてまるでわたくしどもは一人づつ巨きな川を行く汽船のやうな気がしました。
夜の野原の草の波を作る風の中で、なぜか作者は皆が一人づつ大きな川の中を行く汽船の様だと言います。それは草の波に埋もれる実風景かも知れませんが、個々の人と、とその共同体、を表している様にも思えます。それこそが一番大切なものだと。
いつものところへ来てわたくしどもは別れました。そこにほんの小さなつめくさのあかりが一つまたともっていました。わたくしはそれを摘んでえりにはさみました。 「それではさよなら。また行きますよ。」ファゼーロは云ひながらみんなといっしょに帽子をふりました。みんなも何か叫んだやうでしたがそれはもう風にもって行かれてきこえませんでした。そしてわたくしもあるきみんなも向ふへ行ってその青い風のなかのアセチレンの火と黒い影がだんだん小さくなったのです。
最後のみなの叫びは風が持って行ってしまい、キューストのところには、聞こえませんでした。最後を吹く風は〈青い〉風でした。プロローグの〈青いむかしふうの幻燈〉と同じように、最終的には、この場面はキューストの中に、一つの幻想のように残されていたのではないでしょうか。
ここで問題となるのは、最終稿で削除される初期形です。そこではキューストは未来に向けての理想を述べ自分もファゼーロたちの仲間になりたいと言いながら、すぐに否定し、ファゼーロの姉ロザーロへの想いを確信すると同時に吹き消しています。
この理想は、熱く読むものの心をとらえるものですが、物語の展開からすると、少し生硬だと思われます。また迷いの心が現れて、作者の納得できるものではなかったのかもしれません。
物語の先駆形「ポランの広場」との関連とともに、次の稿に詳察したいと思います。
7、みんなのユートピアとキューストの今―エピローグ
それから7年たちました。ファゼーロたちの組合は、苦難の中にも、〈面白く〉続いて3年後からは、〈立派な一つの産業組合〉を作って、ハムと皮革、酢酸、オートミールなどをモリーオやセンダ―ドまで販路を拡げていました。
キューストは、組合の手助けや助言をしていましたが、仕事の都合でモリーオを離れ、農事試験場や大学で仕事を転々とした後、トキーオの新聞社で博物のコラムを書く生活をしています。そんなある日、キューストの所に、「ポラーノの広場のうた」の楽譜が届きます。
ポラーノの広場のうた
つめくさ灯ともす 夜のひろば
むかしのラルゴを うたひかわし
雲をもどよもし 夜風にわすれて
とりいれまぢかに 年ようれぬ
まさしきねがいに いさかふとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきゞともしつゝ、
はえある世界を ともにつくらん
それは、見ただけでファゼーロ、ミーロ、ロザーロの歌とわかるものでした。
それは、〈つめくさ〉の広場に、共に悩み、苦労の末につくりあげる〈栄えある世界〉がえがかれています。それは、ファゼーロたちとともにキューストも夢見たユートピアそのものです。
ユートピアを作り上げたファゼーロたち、援助という形でしか参加できなかったキュースト、作者はそこに理想を作るものは実際に汗する人たちであることを、ある悲哀を持って書きつづったと思います。
それがこの物語の放つ哀愁の根本となっていると思います。
そこに作者の実人生を重ねることは簡単ですが、敢えて、物語の展開にのみ即して考え、作者が何を訴えたかったのか、今後も考えたいと思います。