宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
短歌に吹く風 (一) 〜われらいま校歌をうたふ先生もうたふ〜     

 賢治は中学時代に、同郷の石川啄木に触発されて短歌を詠み始め、そこから文学に開眼していきました。妹トシ、シゲ、賢治によって木版刷り罫紙48枚に筆写された歌稿Aと、賢治の自筆による、藍色400字詰め原稿用紙に筆写された歌稿Bとが残されています。この稿では主に歌稿Bに拠ります。
 
 最も早い短歌の記録は、
〔明治四十二年四月より〕と括られる、1909(明治42)年、賢治13才からの短歌で、盛岡中学校入学の様子や、寮生活の模様を描いています。風を描いたものは2首あります。
 
0a1 中の字の徽章を買ふとつれだちてなまあたたかき風に
    出でたり  
 淡々とした叙景歌ですが、〈中の字の徽章〉によって中学入学の事実、〈つれだちて〉で、父と一緒の面はゆさ、父から離れてこれから始まる独立した生活への期待と不安などが伝わってきます。  
 風が〈なまあたたか〉いのは何を表すのでしょう。4月という季節、冬が去ったという実感、新しい生活への不安、爽やかな希望を感じさせるものでもないこの感覚は、〈実感〉でしょうが、どんな思いがあったのでしょう。
 
0e1 のろぎ山のろぎをとればいたゞきに黒雲を追ふその風ぬ  
   るし
0f1 のろぎ山のろぎをとりに行かずやとまたもその子にさそは
  れにけり
 
 〈のろぎ〉は、盛岡周辺では「のろぎ石」、「滑石」と呼ばれ、主に北上山脈で採れ、雑貨屋で売られていたと言います。子どもたちが地面に描いて遊ぶのには必需品でした。凝灰岩の熱水変質によって生成した粘土鉱物の集合体で、白色を呈するカオリナイト、セリサイト、セリサイト-モンモリロナイト混合層鉱物などの粘土鉱物からなり、粘土鉱物の含有量によって石筆に適した硬さのものから水に溶ける柔らかいものまで様々でした。
 〈のろぎ山〉は南昌山に連なる山で、賢治は、中学校の寮で一緒だった同級生の藤原健次郎とともに水晶や「のろぎ石」を採取していたことが知られています。 南昌山は古くから天候を司る霊峰として地元の信仰を集め、「南昌山が曇れば雨が降る」と言い伝えられていました。
 南昌山周辺の地理を見ると、矢巾から煙山ダムに行く途中にあった「高橋商店」は、「鳥をとるやなぎ」に出てくる〈権兵衛茶屋〉のモデルで、物語では、そこで〈私〉は、健次郎がモデルと思われる〈慶次郎〉に、その近くに鳥を吸い込む楊の木のあることを教えてもらい、2人は後日一緒に出かけます。
この周辺の河原でも〈のろぎ〉は取れ、さらにここから〈のろぎ〉を拾いながら遡ると、「のろぎ山」の急斜面に着きます。でも、そこから先進むことが困難だったようです。
この短歌も、黒雲がかかって、言い伝えの通り雨の前兆の生ぬるい風が現れたことを詠っています。雨の前兆として吹く〈ぬるい〉風を表すと同時に、黒雲を追い払ってほしいと願う賢治には、その風が手ぬるいと感じたのかも知れないともいわれています。(注1)
 この二作には、〈のろぎ〉の取れる綺麗な川や、鳥を吸い込んでしまう木のある野原のような大自然への憧れがあると思います。あるいはそれは、盛岡に出てきて初めて知った世界だったのかも知れません。
 
この年の短歌の風が二作とも、〈ぬるい〉のは、なぜでしょう。

 「明治四十四年一月より」に括られる、1911(明治44)年からの短歌で、詠われている風は、
 
20 みなかみのちさきはざまに秋風の(建てられし)
   村やさびしき田に植ゆる粟

20 みなかみのちさきはざまに建てられし村やさびしき田に  
         植ゆる粟(歌稿A)
 
 〈秋風〉という決まり言葉の風で、決まり言葉の〈さびしき〉が導かれています。これも実感でしょうが、〈田に植ゆる栗〉という、米を植えることの出来ない山村の〈さびしさ〉も詠っています。

 鳥を中心に東北の自然や生活を描いたコミック、『とりパン』21号の情報では、半端な土地(狭い、形が悪い、水利が悪い)を持っていたとき、そのままにしておくと他人に取られたり、非農耕地として税金が高くなったりするので、取りあえず栗を植えるのだそうです。栗は成長が早く、年一度収穫する以外の手間はかからないからです。生活者の知恵と底力を感じますが、 中学生がそこまで感じ取ることはなかったのでしょう。
 

 以下の短歌では、いずれも、〈風〉のなかに、何かしらの心情を詠いこんでいます。
 
33 いたゞきのつめたき風に身はすべて/剖れはつるもかな           しくはあらじ    
 
 ここでは、登頂した感動をいっそう強く感じさせる風に、そこにすべてを託した心が見えます。背景は不明です。この感動を与えられる山は、中学入学以来、頻繁に登っていたと言われる岩手山と推測されます。
      
40 から草はくろくちいさき実をつけて/風にふかれて秋は            来にけり
40a41こぬかぐさうつぼぐさかもおしなべて/かぼそきその実
           風に吹かるる    
 
 〈から草〉はマメ科ウマゴヤシ属ウマゴヤシで、牧草として江戸時代に移入した帰化植物なので
〈から草〉と呼ばれたのでしょう。草丈は30pほど、「ポラーノの広場」に登場するシロツメクサとは異なり、黄色いマメ科特有の花を付け、トゲのある螺旋状の5ミリほどの種子がつきます。
 コヌカグサは、イネ科ヌカボ属で、草丈は50〜100cm程度になり、花穂は長さ10〜20cm、小穂は長さ2〜2.5mmで紫色になります。実は長さ約1ミリで淡褐色ですが熟して落ちたあとに苞穎が残り賢治はそれを実と捉えたのかも知れません。原産地はヨーロッパで、牧草として導入されましたが積極的に利用されず、雑草化して日本全国に分布し、日当たりの良い道端、畑地、牧草地、樹園地に生えます。
 賢治作品によく登場する〈風穂〉の風景を作る植物です。ここでは、広い野原全体が風に吹かれる大きな風景ではなく、穂先に着く小さな実に目を向けています。
 ウツボグサは、シソ科ウツボグサ属、5〜7月頃で、3〜8 cmの角ばった花穂に紫色の唇形花を密集した花を穂の下から上へと順に咲かせます。夏には花穂が、暗褐色に変化し一見枯れたように見えるところから、夏枯草(かごそう)ともよばれ、枯れかかった花穂は、生薬「夏枯草」として、消炎、利尿剤になります。乾燥した花穂に、4個の種子ができます。
風に吹かれる景色が2首とも種子に注目しているのはなぜでしょう。
 
47 専売局のたばこのやにのにほいもちてつめたく秋の風が
        ふく窓  
47a48 たばこやくにほひつめたく風吹きて/今日も放課の  
     時間となりぬ           
47b48 たばこ焼くにほいつめたくひゞいれる白きペンキの  
      窓を吹く風             
47c48 専売局のたばこを燃せるにほいもて秋の風吹く白き
      窓かな 
 
盛岡市の〈専売局〉は、1905(明治38年)に現在の盛岡駅付近に盛岡煙草製造所として誕生しました。その後、1926(大正15)年12月、専売局盛岡出張所の工場と事務所として盛岡市上田の現在の岩手県立中央病院の場所に移転 し、1972(昭和47)年10月、盛岡市みたけに新工場建設・移転まで操業していました。現在は廃業しています(注2)。
短歌では、学校の放課時に、煙草の匂いが流れた、ということになります。このときは、校舎は盛岡市内丸で、〈専売局〉は駅前の盛岡煙草製造所だった筈ですが、煙草の匂いが届く流れる距離だったのか、あるいは別の意味があるのか謎が残ります。
 また、まだ〈盛岡煙草製造所〉だったのですが、中学生が〈専売局〉という名称を使うのは、周囲での通称だったのかもしれません。
 なぜ、専売局や煙草の匂いが取り上げられたのでしょうか。賢治がまだ幼少時代の1900(明治33)年、「未成年者喫煙禁止法」が制定されていたので、喫煙の経験があったとは思えません。でも何かしら誘惑するものが感じられたのでしょうか。
 秋風は既に冷たく感じられています。東北では秋の中に冬の前触れを感じるといいます。冷たい風が運ぶ、一種危険なものの匂いが、少年の胸に響いたのかも知れません。
 
56鉛筆のこなによごれてひゞいれる白きペンキを風がふくな  
     り
(A56鉛筆のこなによごれししてのひらと異端文字とを風が
     ふくなり  )  

 「白いペンキ」ということでは前作と同時期の作とも思えますが、少し時が立っているような気もします。
 「異端」は、「正統」から外れたこと、「正統」と対立する異説で、多くは宗教上、正統を自負する教派が、対立する異説を称していった物です。
 短歌の詠まれた時代の賢治にとっての「正統」が何であったか、つかめません。まだ仏教の宗派の対立を自覚するまでには至っていないし、賢治にとってはキリスト教も「異教」ではありません。強いて言えば、親交のあったプジェ神父の盛岡のカトリック教会に対するハリストス盛岡正公教会、入ってきたばかりのエスペラント文字などかと推測します。いずれにしても歌稿A、歌稿Bと少し意味合いが違ってしまいますが、〈風が吹く〉風景の中に読み込んでいるのは、少しすさんだ情景です。
 
60 潅木のかれは紅き実かやのほの銀にまじりて風に顫ふ
          か。        
 
 潅木は、現在では低木と称され、成長しても樹高が3メートル以下の木です。ここに登場するのは、赤い枯れ葉や実を付ける広葉樹で、萱の穂の銀色と混じって色美しく、風に吹かれていっそう繊細な美しさを呈していることを描きます。「風に顫ふか」という疑問形は、美しさに感動して、改めて風に吹かれていることを確認しているのでしょうか。この表現も短歌の初心者とは思えない巧みさがあります。
 
75 風さむき岩手のやまにわれらいま校歌をうたふ先生もう
        たふ      
  賢治は中学入学以来、頻繁に岩手山に登っています。
年表に確認できるのは、まず2年生の1910(明治43)年6月18日、19日、博物の授業で植物採集の為に登りました。また同年9月23日、上級生7名と同級生3名、青柳亮教諭引率で登っています。1911(明治44)年1学期には単独で登っています。
 この歌を含む、岩手登山を詠った75から79は、「明治四十四年一月より」の最後に〈補〉とされていて、1920〜21年の歌稿編集時に、今まで除外していたそれ以前の作品を追加したと推定できますので、〈先生〉は青柳亮教諭と見て間違いないと思います。青柳教諭についての記述はその後も多く
 
「小岩井農場」下書きメモ 
〈岩手山に関する追懐青柳教諭〉
〈あれが網張りにいく道だ/青柳教諭の追懐〉 
〔痩せて青める汝が頬は〕下書稿「青柳教諭を送る」文語詩未定稿
〈……愛しませるかの女(ひと)捨て/おもはずる軍に行かん/師のきみの頬のうれるふ(ママ)を〉、
「岩手山巓」下書稿一  文語詩稿一百篇
〈風すでにこゝに萎えしを/汝が横頬何ぞさびしき/……/駒草は焼き砂に咲き/
ひとびとは高く叫べど/残りたる雪をふみつゝ/何をかも汝がさびしめる/……〉    
 
と年月を経てもなお、賢治の心の中に重要な部分を占めています。
 青柳亮(1889〜1942)は松江市生まれ、東京外国語学校卒業後、1910年盛岡中学校教師嘱託となりましたが、1911年1月、松江聯隊に入隊の為、中学校を去ります。賢治とは1年足らずの交流でしたが、そのときの追憶は、年を経て回顧され、師を思いやる痛切な思いに満ちています。
青柳は、中学時代から演劇への芽生えがあり、東京外国語学校においては、専攻外国語によるシェークスピア劇の上演があり、参加していたと推定されます(注)。その情熱は中学生になったばかりの賢治にも受け継がれ、のちの賢治の演劇活動にもつながったのでないでしょうか。
 〈先生もうたふ〉の一句は、同じ歌を一緒に歌ってくれた教師、それまで尊敬の念はあっても遠かった教師との距離が一瞬に縮まった喜びが感じられます。〈風さむき〉と置くことで、大きな自然のなかで見つけた心の結びつきの暖かさが際だってきます。
  賢治の短歌の初期の部分を読んでみました。すでに事実を見つめる眼の確かさ、畳語などの巧みな使い方など、文学の芽生えを感じさせます。残った疑問を解消しながら、少しずつ読み進んでいきたいと思います。
 
注1 小川達雄『隣に居た天才 盛岡中学生宮沢賢治』(河出
   書房新社 2005)
注2 国内たばこ工場(盛岡工場、米子工場、小田原工場)の
   廃止について
   (「JT news rerease」日本たばこ産業株式会社   
    2009)
注3 島田隆輔『青柳亮「メドレー先生を偲ぶ」を読む―
  「青柳教諭を送る」稿の生成にかかわって』(『宮沢賢治研  
  究Annual vol.25』  2015 宮沢賢治学
  会イーハトーブセンター)
 
参考文献 上記図書

 
 







永野川2017年7月上旬

7日

よく晴れて、気温も高そうですが、朝、用事が出来てしまい、永野川に着いたのは10時を廻っていました。

二杉橋、西岸から入りました。雨が降ったので水量は多く、比較的澄んでいました。少し登ったところで、川岸に残った中州にカルガモ3羽みつけました。

カイツブリ:池では巣の上に卵が3個丸見えになっていて、親鳥が近くで潜水を繰り返していました。卵には太陽がさんさんと降り注いでいます。しばらくして、巣に上がってきた親鳥が、立ち上がるような姿勢で、羽を震わせ続けていました。羽を乾かすというよりは、風を送っている、という感じでした。卵の熱を取っているのでしょうか。それにしても、炎天に曝された卵は大丈夫なのでしょうか。おそらくペアの片方の親鳥は、かなり離れたところに泳いでいました。

赤津川では、少し大きくなった幼鳥が1羽、ピッピと鳴きながら泳いで、何か親を訪ねているようにも見えましたが、周辺に親鳥は見えませんでした。顔や体に白い模様があって、嘴などもカイツブリだと思うのですが、首を振る様子がバンに似ていました。ただ頻繁に潜水していたのでやはりカイツブリなのでしょうか。

 カルガモ:公園の川に4羽の幼鳥と成鳥1羽を見つけました。先日、親子連れを見たところには、いなくなっていたので、同じ親子が、こちらに移ってきて幼鳥が3羽いなくなったのかも知れません。

 赤津川では、ほとんど成鳥と同じくらいに育った幼鳥―やはり親と比べると羽などがすっきり新しい感じ―が2羽と、成鳥1羽が、川中央の草が流れついて溜まったところに寄り添っていました。親離れできない子どもたちのように見えました。

 ムクドリ:公園の芝生の木陰で7羽が地面を突いて採餌中でした。時々何羽かが、口を開けて上を向いている感じでした。カラスなどにも見られますが、これも体温調節でしょうか。

カワラヒワ:上人橋付近で囀る1羽に加えて、2羽がピリピリと鳴きながら川を渡っていきました。久しぶりに黄色い羽の模様を見ました。

 アオサギ:赤津川で1羽、帰りに永野川を下ってくると、川岸に、間隔をおいて3羽のアオサギが、なぜか同じ姿勢でじっとしていました。

 コジュケイ:大岩橋近くの山林で、一瞬、どこかで聞いた大きな声が聞こえ、次にチョットコイの声が聞こえてきました。少し離れたところで、その声と、コッコッコという声も聞き取れました。少なくとも2羽はいて、コジュケイの声を一度に3種類聴くことができたことになります。

 ウグイスはすべて谷渡りで鳴いていました。

 

 鳥たちの繁殖も終わりに近づき、少しだけ季節が廻っています。 

 土手はヤブカンゾウが満開となりました。アカツメクサも混じって咲いていて結構元気です。

 滝沢ハム付近の桜並木で、ニイニイゼミが鳴き始めました。私の周辺ではここだけで聞くことができます。

 トンボがたくさん飛び、ときにシオカラトンボのような大きな種類の物が飛びはじめました。蝶も多いし、子どもたちが生物観察に来てもよいところなのですが、あまり姿は無いようです。熱中症のほうが心配なのかも知れません。確かに気候も変ってきました。

 

 鳥リスト

コジュケイ、カルガモ、カイツブリ、カワウ、アオサギ、シボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ








永野川2017年6月下旬

29日

曇っていても気温が高く蒸し暑い日です、9時半ころ出かけました。

緑地公園のカルガモがいなくなったという知らせに心配しましたが、いました!それも、まだ1羽も襲われることなく、前と同じ7羽のヒナが以前の倍くらいに育っていました。もう、少しずつ距離を置いて親の周囲を泳いでいます。他の場所では、成鳥のみ6羽、7羽の群れが公園や赤津川で見られました。

カイツブリは、池の4分の1くらいを覆った睡蓮風の水草の中に巣を作って、1羽が抱卵中で、じっと動きませんでした。もう1羽が、離れたところで潜水を繰り返していました。かなり目立つ場所なので、このまま無事にヒナを迎えることが出来るか気になるところです。

ツバメは少なく、二杉橋から高橋までの間に4羽、公園に入ってから、1、1、3,1と増え始め、滝沢ハム付近の田の電線に4羽が並んで留まっている風景を見ました。

鳥全体が少ない中、いつもは少ないムクドリが、第五小付近で11羽、川に向かって飛び、少し上った高橋付近の民家の屋敷林に50羽+の群れが飛び込みました。また公園のなかでは33羽の群れが飛びました。川岸の低木やヨシ原の中もムクドリの声で一杯でした。

大砂橋の手前の山林で規則的な囀りの声を聞きました。確かにメジロです。私の中では庭に来る鳥のイメージが強いのですが、やはり山のでした。

上人橋近くの電線で、カワラヒワ1羽が囀っていました。よく第五小付近でも1羽囀るカワラヒワを見ます。孤独に囀っているという感じです。

ホオジロは、上人橋、公園のワンド、大岩橋上で、1羽で、思い切り上を向いて、口をいっぱい開けて囀っていました。図鑑で見る、典型的な囀りの姿勢でした。

赤津川ではカラスと争うトビ、久しぶりでした。

ヒバリは公園の大岩橋下、赤津川で囀っていました。公園は少し草が茂り始めたようです。

 

土手の法面では小さめのヤブカンゾウがたくさん蕾を付け始めました。ここは以前、多様な植物のあったところですが、今はその時々、雑草が茂っては消えていきます。今はハルジョオンが、何か痩せた感じでそちこちに花を付けています。昔、田舎で見た、牛を覆い隠すほどの豊かさはありません。ここも、もうすぐ刈られるでしょう。

公園の児童遊園の隣接地が広範囲に除草剤を撒かれました。今年の公園管理の姿勢は危ないと思います。行政では、「安全な薬を撒いています」としか説明しません。せめて薬剤名くらい公表すべきです。

私たちが毛髪にまで振りかけられたDDTが、今は危険な薬剤として消えている、という事実を忘れてはいけません。食品添加物なども、「安全」と言われていた物が、のちに危険性が報じられてきている、という事実も思い、慎重になることが重要です。

 

 鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、チュウサギ、ゴイサギ,バン、イカルチドリ、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、メジロ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ホオジロ

 

付記

先日庭で、雀のけたたましい声が聞こえたので出てみると、オナガが子スズメを咥えて芝生から飛び上がり木の枝で体勢を整えて、飛び去っていきました。餌台でリンゴを食べる綺麗な鳥のオナガもやはり雑食でした。








永野川2017年6月中旬

 

19日

雨の予報が外れ、いくらか日差しも感じられました。これなら視界も効きそうなので、9時ころ家を出ました。

今日のトピックスは親子の話です。

カイツブリ:カイツブリの営巣が気になって、上人橋から入り、合流点上に行ってみましたが、全くなくなって、カイツブリの姿も見えません。雨もさほど多くはなかったのですが、流されたのでしょうか。あるいはブログに場所を記入したので、人間が近づいて壊したのかも知れません。もう場所を特定するのは止めようと思います。公園のもう一カ所では、ペアが巣作りをしているのが確認できました。

カルガモ:公園で7羽の雛をつれたカルガモに会いました。4年ぶりです。まだ親鳥の10分の1くらいで、7羽がピッタリとくっついて、親からも離れません。まさに絵に描いたような親子の姿です。近くに成鳥2羽がいましたが、家族ではないようです。他には、6羽の群れが2カ所で見られました。そろそろ繁殖期が過ぎたのかも知れません。

カワセミ:二杉橋の少し上の西岸に、一瞬青い物が2つ縺れて動いたようでした。2羽のカワセミでした。1羽は少し小さく色も背中の青以外は幾分薄くヒナのようです。あるいは親子なのかも知れません。最初は近い位置にいたのに、1メートルくらい離れた場所にずっと留まって動きません。親はダイビングを試みて2回目で魚を捕らえました。給餌するのかと思って見ていたのですが、自分で食べてしまいました。ヒナのほうも近づきもしませんでした。親子だったら、もう独立の時期に来ていたのかもしれません。

カワセミは、調整池、赤津川でも見られ、幸せにひたっていたところに、また親子の姿を見て、幸運度も最高になりました。

 

 オオタカ・チョウゲンボウ:上人橋付近で、空を舞う小型の猛禽を見ました。羽の形などからチョウゲンボウではないかと思います。また大岩橋近くの山林に飛び込む姿も同じで、尾の先が黒いのが確認できたので、これもチョウゲンボウだと思います。

 公園の上空を、ハシブトカラスより少し小さめで白っぽくて腹面に横斑の有る鳥を確認しました。これはオオタカだと思います。

 このところ、よく猛禽類を見つけます。冬鳥は去って鳥種が少なくなった分、ゆっくり観察しているのかも知れません。

 モズ:赤津川畔の電線で、尾を振りながら、ギチギチギチと鳴き続ける1羽、10分ほど歩いて帰るまで、ずっと鳴き続けていました。色も薄く、少し小さめでした。

 アオサギ・チュウサギ・ゴイサギ:アオサギは上人橋、二杉橋で、チュウサギは公園の川で、みかけました。二杉橋付近では上空をゴイサギが3羽通り過ぎました。ゴイサギはこの季節だけ上空を通過し、留まっているのはほとんど見たことがありません。

 キジ:滝沢ハム付近の田で、キジが、首を伸ばして、イヌムギの穂を食べていました。初めて見る光景です。蒔いた種を食べてしまう、という話ですから、草食であることには間違いないのですが、ごく自然な採餌の姿でした。

 ヒバリ:赤津川のほかに。公園の草地、合流点付近の草むらでも囀っていました。

 ツバメ:公園と永野川で12羽、少なめでした。晴れていて、下りて来なかったのでしょうか。

 コジュケイ:今季初大岩橋の河川敷で鳴き声を聞きました。

 スズメ:ほんとうに多く、大きな木のなか、草むらの中、何処にも多数がいて、よく見ると、小さくて色が薄く頼りなげな子スズメがたくさん独り歩きを始めていました。 

いろいろな親子が物語を展開しています。季節とともに成長し、次の場面を作っていくのでしょう。

 

 鳥リスト

キジ、コジュケイ、カルガモ(ヒナも)、カイツブリ、キジバト、アオサギ、チュウサギ、ゴイサギ、イカルチドリ、オオタカ、チョウゲンボウ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ

 

付記

日本野鳥の会栃木編『とちぎの探鳥地ガイド バードウォッチングに行こうよ!』(随想舎)に

永野川緑地公園が取り上げられました。

身近な場所ですが、鳥種は多く、安全な場所なのです。

探鳥会が始まったころにあった、草むらや、林や、ヨシ原は、大分減ってしまいました。私なりに頑張ったつもりですが、力不足を感じずにはいられません。

たくさんの方々がおいでになり、たくさんの声をあげて下さって、この場所が鳥たちの生息地として復活していってほしいと思います。

 

 








永野川2017年6月上旬

6日

薄曇り、少し風も出そうな日で、9時ころ家を出ました。好天が続いたので、二杉橋付近は中州が出来始めていましたが流れは止まっていて、以前のように澄んではいません。

ウグイス:二杉橋の近くの定位置2カ所で、比較的小さな声で鳴いたほか、公園のなかで3回、大岩橋で1回、と広範囲に確認しました。

カワウ:二杉橋付近、公園、赤津川西岸、と3度見ましたが、あるいは移動していた、ということかも知れません。

チュウサギ:二杉橋の少し上で、2羽、嘴は黒くて目先が黄色、チュウサギの特徴そのままでした。さらに赤津川西岸でも同様の嘴のもの1羽、帰りの二杉橋でも、少し大きくダイサギかと思いいましたが、やはり、目先が黄色でした。チュウサギの確認にやっと自信が持てた気がします。

カルガモ;睦橋1、公園4、大岩橋1、赤津川西1、とめっきり少なくなりました。どこかで営巣中でしょうか。

 セグロセキレイ:睦橋付近で2羽が、川から飛んで民家の林に入りました。ここでは珍しい風景です。公園の川では、いつものように1羽が囀っていました。

 ハクセキレイ:1羽のみでしたが公園の川で水浴びしていました。

 カイツブリ・バン:今日のトピックス。赤津川と永野川の合流点近く、短い声が聞こえて、2羽、泥や草を集めて巣作り中でした。今年はここで誕生が見られるかも知れません。流れの落ちる場所より、少し上なので、台風でも流されないでしょう。近くにバン1羽がいました。

 公園の調整池にも1羽。ここは昨年繁殖が見られましたが、今年はどうでしょうか。 

コゲラ:公園の、桜並木から対岸に2回鳴きながら渡っていくのが見えました。

 シジュウカラ:公園のサクラがお気に入りのようで、2羽。ほとんどいつもいるようです。

 スズメ:公園の芝生に一斉に70羽+が散らばるのに会いました。やはり子スズメが多いようで、赤津川岸でも100羽単位で移動していました。

 ホオジロ:大岩橋河川敷林で1羽、囀り続けていました。

アオサギ:大岩橋、高橋、合流点で上空を悠々と飛ぶ姿が見られました。

ノスリ:大岩橋付近の山林で猛禽らしい、大きくて長く伸び平坦な声(ピーイ、ピーイ)がしました。しばらく続いていましたので記憶に残りました。姿は見えませんでしたが、鳴き声図鑑で調べるとノスリでした。ノスリの姿は今まで何度か確認していますが、声は初めて聞きました。このあたりにも普通に猛禽類がいるのかも知れません。先回見た不明の鳥も、小型猛禽だったかも知れません。これもトピックスです。

イカルチドリ・コチドリ:公園で2回千鳥の声を聞きました。その後、帰りの永野川睦橋付近の工事の終わった土手で、イカルチドリとコチドリが、3メートルくらい離れて並んでいてくれました。コチドリの過眼線の黒さとアイリングを、はっきり確認できました。

ヒバリ・セッカ:赤津川の水田で鳴いていました。8割方、田植えが済んでいますが、どこにいるのでしょう。少し残っている麦畑と休耕田の中にいるのでしょうか。

カイツブリやスズメ、皆未来を残すために忙しい季節です。我が家にもシジュウカラが子連れでやってきて、賑やかに虫を食べてくれています。この豊かな循環を断ってはいけないと思います。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カワウ,カイツブリ、アオサギ、チュウサギ、バン、イカルチドリ、コチドリ、ノスリ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ,ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、セッカ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ