宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
短歌に吹く風―文学の始め―(五) 輝く風、雨空の風――ドイツトウヒとサクラ――
  「大正六年四月」の括りは、短歌数も多く、自然詠で風とともに光を詠みこんだものになっています。風を詠う短歌はここでも樹木を詠みこんでいます。
 
一、ドイツトウヒ
 
461わがうるはしき/ドイツたうひよ(かゞやきのそらに鳴る風/なれにもきたれ)
461a462わがうるはしき/ドイツたうひは/とり行きて/ケンタウル祭の聖木とせん
 
 〈ドイツたうひ〉は、マツ科トウヒ属針葉樹オウシュウトウヒの別名ドイツトウヒです。ヨーロッパ原産の針葉樹で、日本には明治時代の中頃移入されました。50メートルにも達する高木で、円錐形の樹形が美しく公園や庭園に植えられ、クリスマスツリーにも使われます。
 高等農林学校創設当時から、本館周辺は、外国産のトウヒ類やモミ類を主体にした常緑針葉樹に包まれた景観を目指していました。賢治は在学中、その発達していく円錐形を見ていたと思われます。
 〈わがうるはしき〉という形容は、修辞としては平板で大仰なのかも知れませんが、賢治の樹木への想いを強く感じます。その大仰さを受け入れるのが〈(かゞやきのそらに鳴る風/なれにもきたれ)〉という語句で、大切なものに、自分の感じる最も素晴らしい〈風〉を送りたいと言う気持ちが溢れています。
 さらに〈ケンタウル祭の聖木とせん〉とその想いは膨らんでいきます。
 
 「ケンタウル祭」といえば思い浮かぶのは、1924(大正13)年成立の「銀河鉄道の夜」初期形第一次稿から最終形までに登場する、カンパネルラとジョバンニが銀河の旅の途中で見た風景です。
 
「ケンタウル露をふらせ。」いきなりいままで睡ってゐたジョバンニのとなりの男の子が向ふの窓を見ながら叫んでゐました。
あゝそこにはクリスマストリイのやうにまっ青な唐檜(たうひ)かもみの木がたってその中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の螢(ほたる)で も集ったやうについてゐました。 「あゝ、さうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」 「あゝ、こゝはケンタウルの村だよ。」カムパネルラがすぐ云ひました。
 
また、初期形第三次稿から書き加えられる地上での場面で、子どもたちが繰り広げる七夕を思わせる行事〈ケンタウル祭〉の描写には
 
「ケンタウルス、露をふらせ」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、楽しさうに……
 
が登場します。ここでのみ〈ケンタウルス〉の語が使われます。〈ケンタウル祭〉はケンタウルス座の祭で、星座の人物、ケンタウルスが露を降らせると言う設定を感じます。
 
 この語の初出は、この大正六年の短歌です。賢治がこの「祭」を創造したのは何故だったのでしょう。「「銀河鉄道の夜」を発想した時期に書いたものか」(注1)という説もあり、発想の時期を特定できれば、それは納得できる理由となります。
 〈ケンタウル〉は上半身が人間で下半身が馬という、ギリシャ神話に登場するケンタウルス族の姿を表した星座から取っていると思われます。宇宙情報センターHPによれば、この星座を日本で観測できるのは、5月〜8月の約4ヵ月間で、見頃は春、6月上旬に20時に正中するとのことです。
 花巻では、8時頃に南あるいは南西、銀河が地平線で南に流れる北上川と交差する所に、上半身の部分だけが現れ、賢治がその頃の祭の名前として選んだのではないかと言われます。(注2)
 また仏教の教えでは、仏教が流布する以前の古代インド鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが、釈尊に教化された、八種の天部、天,竜,夜叉乾闥婆 (けんだつば) ,阿修羅迦楼羅 (かるら) ,緊那羅 (きんなら) ,摩ご羅伽 (まごらか) があり、ケンタウルスと同じ半人半獣の「緊那羅」「緊那羅(きん なら)」(梵名:kimunara)、乾闥婆(けんだつ ば)」(梵名:ガンダルヴァgandharva、迦楼羅 (かるら) garudaも存在します。また、「ケンタウルス座」が位置する方位には,仏教の護法善神である「閻魔天」や「羅刹天」 がいて,それぞれ「聖」なる水牛や獅子に乗り,そ の姿はキメラの怪人に似ているとする説もあります。(注2)。
 天体と仏教の世界と両方に知識のあった賢治が、〈聖なる〉存在として意識して、自らの「祭」としたのでしょうか。賢治が誰かと「ケンタウルス祭」を祝ったという事実が見つかれば面白いのですが、管見した限りではありませんでした。
 一方、ギリシャ神話では、星座の馬人の名はフォーローといい、仲間がヘラクレスの放った毒矢に射られた時、それを助けようとして誤ってその矢で自分を刺し命を落としました。大神ゼウスはフォーローを悼んで星座としたのがケンタウルス座だといいます。この話を賢治が知っていたら、大正6年の段階でも感激したかも知れませんし、人のために命を落とす、という、「銀河鉄道の夜」の発想に関係するかも知れません。
 星座には関係なくギリシャ神話の半人半馬の怪物ケンタウロスのドイツ語読みケンタウルスを、祭の名に用いたものであるとする説もあります。盛岡高等農林学校で馬の飼育管理とドイツ語を学び、また馬産県岩手に育って馬への関心の強かった賢治が、馬を祝福することで春の農耕の始まりに豊饒を祈るドイツにもある風習を学び、さらに人間の上半身と馬体の下半身をもつケンタウルを、理性と本能的欲望との葛藤に悩む自分になぞらえ、若い男性としての高揚感をケンタウル祭と表したとします(注2) 。ただ、筆者の私感ですが、賢治が理性と本能的欲望との葛藤を感じたとすれば、もっと否定的な感情となると思われ、この歌にあるような高揚感に至ったかと言うとそれは疑問です。
 賢治がキメラ――ギリシャ神話に登場する頭がライオン、胴体が山羊、尾が蛇、という神――転じて複数の遺伝情報を持つ細胞からなる個体、さらに二つの性状を具有する個体―に関心があった事は、その後の詩などにも明らかです。「犬」(『春と修羅』)、〔はつれて軋る手袋と〕(「春と修羅第二集」)では、含まれる二つのものの葛藤を描いていますが、この短歌で感じるのは、爽やかな感情で、もっと外面的な明るさ、輝き、そして、ある種の「聖性」です。その意味では、「銀河鉄道の夜」の場面と、昼と夜の違いだけであまり変わらない気がします。
 〈聖木〉は、既にあったクリスマスツリーの概念と同じものだと思います。モミやトウヒなどがクリスマスと関係してくるのは、カソリック教会がゲルマン人にキリスト教を布教するために,樫などの樹木を崇拝するゲルマンの土着信仰を利用して、キリスト教の「祭」の中に「唐檜」や「もみ」を「クリスマスツリー」として取り入れたことによるといいます(注2)。
 この短歌で一番賢治が言いたかったのは、実際に目にした、風の中に堂々と揺れる緑のドイツトウヒへの感動で、それを表そうとした言葉が〈聖木〉だったのではないでしょうか。それを心の中で作り上げていた「ケンタウル祭」のための樹木としたのだと思います。
 
二、サクラ
 
472花さける/さくらのえだの雨ぞらに/ゆらぐはもとしまれにあらねど。
473さくらばな/日詰の駅のさくらばな/風に高鳴り/こゝろみだれぬ。   
473a474焼杭の柵にならびて/あまぞらを/風に高鳴る/さくらばななり
473b474あまぞらの風に/高鳴るさくらばな/ならびて黒き/焼杭の棚
473c474あまぞらの風に高鳴り/さくらばな/あやしくひとの/胸をどよもす  
474さくらばな/あやしからずやたゞにその/枝風になりてかくもみだるは
  
 日詰駅は、紫波郡志波町北日詰字八反田、東北本線、石鳥谷駅と紫波中央駅との間にあり、1890年開業、1908年国有化、2004年盛岡駅管理の業務委託駅となっています。
 史料はありませんが賢治の片恋の相手とされる女性―賢治が中学卒業時入院していた岩手病院の看護婦―の出身地が日詰でした。その説に基づいて2010年、駅前に「さくらばな/日詰の駅のさくらばな/風に高鳴り/こゝろみだれぬ。」の歌碑が建立されました。
 日詰駅舎は1975年ころまで開業当時のものだったそうです。現在の駅前には桜はありませんが、歌碑の建立時の岩手日報の記事によると、駅前在住の方のお話として、60年くらい前には、ホーム沿いにきれいな桜並木があったとのことです。
 
賢治の短歌に、その恋が現れるのは、「大正三年四月」の括りの三首です。
 
92 まことかの鸚鵡のごとく息かすかに/看護婦たちはねむりけるかな
112 すこやかに/うるはしきひとよ/病みはてゝ/わが目 黄いろに狐ならずや
175 君がかた/見んとて立ちぬこの高地/雲のたちまひ(まま) 雨とならしを
 
 175の背景は、花巻市の胡四王神社の高みから、日詰方面を展望したものと思われます。さらに晩年制作の文語詩「丘」(文語詩未定稿)には
 
森の上のこの神楽殿
いそがしくのぼりて立てば
かくこうはめぐりてどよみ
松の風頬を吹くなり
 
野をはるに北をのぞめば
紫波の城の二本の杉
かゞやきて黄ばめるものは
そが上に麦熟すらし
 
さらにまた夏雲の下、
青々と山なみははせ、
従ひて野は澱めども
かのまちはつひに見えざり
 
うらゝかに野を過ぎり行く
かの雲の影ともなりて
きみがべにありなんものを
 
さもわれののがれてあれば
うすくらき古着の店に
ひとり居て祖父や怒らん
いざ走せてこととふべきに
 
うちどよみまた鳥啼けば
いよいよに君ぞ恋しき
野はさらに雲の影して
松の風日に鳴るものを 
 
とあり、大正三年の短歌と同様の想いが明確に表現されています。
 
 その女性の縁の駅ということで試みに日詰駅を降りてみた、と仮定しても、駅ではサクラが咲き風に乱されていました。〈ゆらぐはもとしまれにあらねど〉には、それに当惑する賢治の姿が感じられます。大正三年の短歌のようなひたむきさは感じられません。風はサクラの風景をさらに複雑にするものでした。 
 その後、賢治が描くサクラから感じられるのは、七八〔向ふも春のお勤めなので〕(「春と修羅第二集」)の〈蛙の卵のやうだ〉という感情と、〔或る農学生の日誌〕に見られるような、月並みなサクラ賛歌への反発でした。また「土神ときつね」の〈樺の木〉は東北ではサクラを意味します。賢治にとってサクラは性を意識させられる存在でもありました。また桜色、石竹色も性のシンボルとして使われました(注4)。
 この短歌群と関連が感じられる、「風桜」(文語詩稿五十篇)にも、風雨に揺らぐサクラの風景の中に、様々な性を意識した言葉が組み込まれています。
 
風にとぎるゝ雨脚や、     みだらにかける雲のにぶ。
 
まくろき枝もうねりつゝ、   さくらの花のすさまじき。
 
あたふた黄ばみ雨を縫ふ、   もずのかしらのまどけきを。
 
いよよにどよみなみだちて、  ひかり青らむ花の梢。
 
 賢治を誘惑する存在となった雨雲(注5)、〈すさまじき〉と表現されるサクラ、繁殖行動を感じさせる鳥の動き、短歌では漠然としていた思いを集約し、一つの時代を詠った文語詩となったのだと思います。
 
 三年経てば、片恋の想いは心の中で膨らみ、また変形していて、もはや雨空に鳴るサクラのように〈あやしく〉、〈胸をどよもす〉という漠としたものになってしまったのかも知れません。あるいは、この女性とは全く関わりのない感情で詠まれたものかも知れません。
 ここで〈焼杭〉と取り合わせた歌が二首あります。腐食防止に木材を焼いたものと思います。駅周辺に線路侵入を防ぐために杭が並んで打たれ、サクラが植えられている風景は、よく目にするところです。
 何故、焼杭の印象が強かったのでしょうか。あるいは、その黒さが花の色の中に突出して感じられたのかも知れません。「風桜」にも、〈まくろき枝もうねりつゝ、さくらの花のすさまじき。〉と、風景の中の「黒」が印象的です。サクラを動かしている「何か」なのか、あるいはサクラを支えている黒なのか、いずれにしても賢治の心の中の揺れるサクラに拮抗している色と存在なのかも知れません。また考えてみたいと思います。
 

1「読書会リポート」(『賢治研究129』 宮沢賢治研究会 2016、7)
2石井竹夫「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する聖なる植物(中編)」
(『帝京平成大学薬学部人植関係学誌 資料・報告』 2014)
3米地文夫「宮沢賢治が創った「ケンタウル祭」の由来と意義ー短歌や「銀河  
     鉄道の夜」とドイツ語・ドイツ文化との関わりをめぐって」(岩手  
     県立大学総合政策学会編『総合政策 』2009、12 )
4大塚常樹「桃色の花の記号論」(『宮沢賢治 心象の記号論』 朝文社  
     1999)
5「一〇七二県技師の雲に対するステートメント」(「春と修羅第三集」)、〔その恐ろしい黒雲が〕(「疾中」)など

参考文献
 信時哲郎「36風桜」(『宮沢賢治「文語詩稿五十篇」評釈』 朝文社   
     2010)
 小林俊子「風桜」(宮沢賢治研究会編『宮沢賢治 文語詩の森 第三集』 柏 
     プラーノ 2002)
             
 







永野川2018年6月下旬

 大変よく晴れて、6:00でもすでに涼しくはありませんでした。

まずカイツブリ情報です。浮巣は全くなくなっていて、隣の池に、親鳥のペアとヒナ2羽が泳いでいるのが見つかりました。一週間の間にヒナが2羽減ってしまったのです。巣の跡が全くないのも不思議でしたが、「バードリサーチ」さん、「宇都宮で野鳥を楽しもう」さんにお尋ねすると、巣立ちすると、巣の補修もしなくなるので、自然に流れて消滅するとのことでした。思えば巣にいるとき、親鳥がしきりに水草を咥えてきていたのも、補修のためだったのですね。教えていただいたおかげで、何者かに狙われたのか、と疑心暗鬼にならずにすんでよかったと思います。

 

二杉橋付近で、カワラヒワが囀っていました。公園でも地鳴きが聞こえました。そろそろ戻ってくるのでしょうか。

二杉橋から高橋までの間はウグイスの声が途切れることなく聞こえました。公園、大岩橋でもきこえました。

睦橋下で、カルガモが2羽の子連れ、以前見た群れだとすると、6羽は育たなかったことになります。あるいは他の群れかもしれませんが。

ホオジロがあちこちで囀り6羽となりました。公園のワンド跡のヨシ原に一瞬ホオジロに似た小ぶりの鳥が見えましたが、確認できないままに消えてしまいました。あるいは幼鳥かもしれませんが、模様が細かいような気もします。アオジやカシラダカに似ていますが、この時季ここで見られるのは何でしょうか。

公園の川の中央より少し上で、何回かカワセミの声が聞こえ、半信半疑で見ると、1羽が川を下っていきました。

燕は12羽と少なかったのですが、イワツバメを4羽確認できました。

ムクドリ、スズメが5、6羽の群れであちこち飛びました。

公園の川を下っていく白いサギ、今日は嘴の先の黒を見つけたので、チュウサギ、としました。

雨があったので水量は多くなっていましたが、水がとても澄んでいて、大きなものから小さなものまで、魚が時々水面に模様を作っていきます。

今年はヨシの生育がよいようです。昨年は一昨年の台風の対策として土手の草を刈り取った結果、生育しなかったのかも知れません。

ヤブカンゾウが蕾を付け始めました。土手の法面にもあったはずですが、他の雑草が茂り、目につきませんでした。法面の対策、どうなっているのか、「樹木や自生している植物を刈らないで」という声が誤解されてしまっていたら大変だと思いますが、公園課の方針が分りませんのでなんともいえません。いずれにしても、もう元には戻れないと思います。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、チュウサギ、モズ、ハシハボソカラス、ヒバリ、カワセミ、コゲラ、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ 

 








永野川2018年6月中旬

19日

やっとカイツブリのヒナを確認しました。17日の早朝行ってみたときは、巣の上に親鳥が座って、とても膨らんでいました。おそらく気温が低かったので、羽の下に抱えていたのでしょう。少し待ったのですが動かないので諦めて帰りました。

今日午後、行ってみると、浮巣の上に卵が一つ見えるのみでした。またも失敗か、と気落ちしたまま、試しに反対側の池に行ってみました。

そこには何と時々潜水する2羽と、小さな影が4つ見えました。急いで近づいてみると、親鳥2羽、ヒナ4羽が、泳ぎ回っていました。もうかなり大きくなっていて、自由に泳いだり、親鳥を追ったりしていました。赤い大きな嘴が見えましたが、顔の斑紋はよく見えませんでした。

ところが、急いで近くに住む友人に知らせに行って、20分くらいで戻ってみると、池には影も形もありません。午後の光は明るく、池には小魚がたくさん泳いでいるのに初めて気づきました。鳥たちがよく集まるにも、理由があったのです。

がっかりする友人と、もう一度浮巣を見に行くと、浮巣の上にヒナが4羽乗っていて、親たちは潜水しながら、魚を捕ってはヒナに与えていました。

こちらの池は、浮き草に覆われて水面もほとんどなく、親鳥は浮き草の下を潜水してかなり遠くで顔を出したりして、休む暇もありません。ヒナが巣から降りても巣の周辺にしかない水を泳ぐばかりです。

先ほどの、泳ぎ回っていた姿が浮かび、親鳥はヒナをつれて、綺麗な池に遊びに行ったのだろうかと思いました。二つの池は水路でつながっていますが、浮き草で満ちている池を小さなヒナたちはどうやって移動したのでしょう。

友人を誘ったおかげで、図らずもカイツブリの生活?を感じられました。何か人間にも似て――人間に当てはめてはいけないのですが――、温かい気持ちになりました。

いつもは通らない桜並木で、鳴きながら移動するコゲラ2羽を至近距離で見ることが出来たのもラッキーでした。

 

17日

6:00 

今日はここしか時間がないのと、明日から天気予報が下り坂なのとで、早朝探鳥を試みました。気温が低いのに加えて日差しなく寒い日でした。

カイツブリのヒナが孵っていると情報をいただいたので行ってみましたが、おそらく体の下に抱え込んでいるようで見えず、親鳥が大きく膨らんでいました。少し待ったのですが変化がなく、またの機会を待つことになりました。

公園の川で、カルガモのヒナ8羽をつれたペアを発見、ヒナは親鳥の4分の1ほどに大きくなっていました。いつ生まれたでしょう。いつも何かを見落としている気がします。

 

永野川のカワセミはもう見えませんでした。ムクドリが第五小付近で5羽、川から岸へ繰り返し往復していました。

空に大きな鳥影が見え、もしかしてコウノトリ?と思いましたがアオサギでした。大岩橋の付近の山林のかなり高いところにアオサギが2羽停まっているのが見えました。バードリサーチにお聞きしたところ、繁殖に関係のない鳥が、繁殖地を離れてネグラとしているのかも知れない、とのことでした。アオサギが10羽、ダイサギも5羽、ほとんどが上空を飛んでいる状態でしたが、サギ類が多かったと思います。

曇りのせいか、ツバメが多く、上人橋付近で10羽ほどの群れ、公園の中も多く、合わせて31羽となりました。イワツバメも2羽確認しました。

セグロセキレイの幼鳥が目立ちました。滝沢ハム近くの水耕田で虫を探す3羽、公園の川でも幼鳥でした。

日差しが無くあまり視界が効きませんでしたが、今季初カルガモの親子を見られてラッキーでした。近くカイツブリを訪ねてみたいと思います。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、イカルチドリ、コチドリ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ 

 








永野川2018年6月上旬

8日

9:00の時点でも以外に暑くなっていましたが、今後の天気の見通しが不明瞭なので出かけることにしました。

トピックスはカワセミとホトトギスです。

永野川で、カワセミの声が聞こえ、岸のヨシに魚を加えた1羽を見つけました。呑み込むかな、と少し待ってみましたが、咥えたまま上流に飛んで、一瞬見えなくなってしまいました。

帰路、2時間後に通るとまた声が聞こえ、今度は2羽がヨシに留まっていました。今度は2羽一緒に飛んで、少し上の、土手のヨシが少し途切れているところに消えました。よく見えませんが、穴があるようにも思えました。営巣中なのかも知れません。5月11日の記録の幼鳥は、誤りだったのかも知れません。あるいは繁殖は何度も行われるのでしょうか。

二杉橋の少し上で、かすかにホトトギスの声を聞きました。ウグイスの声にかき消されてしまいましたが、大岩橋まで行くと、鳴き続ける声がはっきりと聞こえました。今季初、昨年は聞き逃しましたので、今日はラッキーでした。

ダイサギが上空で十文字に飛び交う一瞬に遭遇しました。珍しい光景です。

スズメが10羽単位でよく群れていました。また、公園の芝生に、幼鳥が30羽くらい走り回っているのが見えました。皆、同じ方向に一斉に動くので、愉快でした。

ホオジロが睦橋の手前の土手で囀ったのをはじめとして公園2回、大岩橋で3回、とすべて囀りでした。

カイツブリは、浮巣の上に1羽が座っていたました。降りても卵は見えません。潜っていた親がビニール状の白いものを加えて巣に近づいたので、どうするのかと思ってみていたのですが、ずっと動かず、見るのを中断しました。

4日に上人橋近くで、オオムシクイより高くよく響く声を聞き、もしかしたらメボソムシクイか?と思っていたのですが、今日は聞けませんでした。ネットで、カオジロガビチョウの声を聞いてみると、何か似ています。というかだんだん記憶が薄れてしまっています。オオムシクイの声は確かだったと思いますが、その他の声は、もう一度聞かないと判断は難しく、来年を期するよりほかないかも知れません。

公園では、珍しくハシブトガラスが8羽、滝沢ハムから飛び立って、空を舞っていました。ハシボソカラスは1羽のみでした。

赤津川では、ヒバリが賑やかです。

電信柱の頂点にカワウが停まって、口を空き上空を見上げていて、電信柱と一体になっているように見えました。初めて見たシーンです。

畦にカルガモが1羽座っているのが見えました。抱卵中かも知れませんが、回りには何にもなく、とても無防備でした。

ヨシが元気に育ちはじめました。ヨシは見た目も美しく生き物の環境としても価値あるものだと実感します。

次からは、早朝出かけないと、少し辛いかも知れません。お天気と時間とをにらみ合わせて、進めたいと思います。もうムシクイには会えないと思いますが。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ,ホトトギス,イカルチドリ、モズ,ハシハボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、ヒバリ、カワセミ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ 

 

 

 








短歌に吹く風―文学の始め―(四)――ひのきの光と影

  次に風の表現が現れるのは、〈大正六年一月より〉からです。
この括りは、第一日昼、第二日夜、第三日夕、第四日夜、第五日夜、第六日昼、第七日夜、第x日という章立てがされ、430から449までが最後の一首を除いて「ひのき」を詠みこんでいます。先の稿で書いたように、既に
  
でも、ヒノキには、般若心経の一句「波羅羯諦」を言わせ、乱れ咲くケシに対比させて、偉大なものとして描いています。
 ここでも、寮の窓からの風景で、毎日、時には日に二度も詠んでいます。
 
第一日昼
430 なにげなく/窓を見やれば/一もとのひのきみだれゐていとゞ恐ろし
431 あらし来んそらの青じろさりげなく乱れたわめる/一もとのひのき    
432 風しげく/ひのきたわみてみだるれば/異り見ゆる四角窓かな
433 ひかり雲ふらふらはする青の虚空/延びたちふるふ/みふゆのこえだ
 
 
 第一日はまず、窓からヒノキを見た驚きに始まり、窓という枠の中の構図を感じ取ります。
431,432でのみ、〈風〉という語が使われますが、4首とも、風に動くヒノキの風景です。
 〈嵐〉直前の青空がいっそう不気味であるという心象も描かれます。433は青空と光を詠みこんでその中で震える姿を書き、風は全面には出ていません。
 
第二日夜
434 雪降れば/今さはみだれしくろひのき/菩薩のさまに枝垂れて立つ
435 わるひのき/まひるみだれしわるひのき/雪をかぶれば/菩薩すがたに
 
 第二日夜には、ヒノキは雪に包まれました。その静かな姿は菩薩のようでした。昨日のヒノキの姿に〈わるひのき〉という洗練されていない語が使われたのは、今の情景とあまりに違っていたからでしょうか。
 
第三日夕
436 たそがれに/すつくと立てるそのひのき/ひのきのせなの銀鼠雲
437 窓がらす/落つればつくる四角のうつろ/うつろのなかの/たそがれのひのき
 
 第三日、窓の枠に囲まれた、風もなく静かな夕暮れのヒノキの姿で、銀色の雲さえ流れています。
 
第四日夜
438 くろひのき/月光澱む雲きれに/うかがひよりて何か企つ
439 しらくもよ夜のしらくもよ/月光は重し/気をつけよかのわるひのき
 
 夜の風景で、ヒノキは黒い塊となって、月光の中で、雲に何か仕掛けているように見えます。賢治はヒノキの姿に、悪い意志を感じ取って、〈わるひのき〉と言う言葉をつかい、で牽制しています。
 
第五日夜
440 雪おちてひのきはゆるゝ/はがねぞら/匂ひいでたる月のたわむれ
441 うすらなく/月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
442 (はてしらぬ世界にけしのたねほども/菩薩身をすてたまはざるはなし
441a442月光の/さめざめ青き三時ごろ/ひのきは枝の雪を撥ねたり
 
 月夜です。月光の中で枝の雪を払い落とす瞬間を捉えています。月光は、〈月光瓦斯〉とも表現され、〈匂ひいでたる〉という共感覚的な表現を生むほど、美しく描かれています。そこでまた、世界の果てまで、その身を捨てて加護をおよぼす菩薩の姿を見ます。
 
第六日昼
443 年わかき/ひのきゆらげば日もうたひ/碧きそらよりふれる綿ゆき
 
 あらためて見ると、ヒノキは、樹齢が若く、太陽の光の中で歌っているようです。でもまた雪が降ってきました。東北特有の雪空です。
 
第六日夜
444 ひまはりの/すがれの茎のいくもとぞ/暮るゝひのきをうちめぐりゐる
 
 暮れかかる光の中で、ヒノキの根元に枯れているヒマワリを見つけます。
 
第七日夜
445 たそがれの/雪にたちたるくろひのき/しんはわづかにそらにまがりて
446 (ひのき、ひのき、まことになれはいきものか われとはふかきえにしあるらし)
447 むかしよりいくたびめぐりあひにけん、ひのきよなれはわれをみしらず
 
 毎日ヒノキを見続けてきた賢治は、ヒノキが生きて、自分と関わりのある生き物なのかもし得ないと思い始めます。でも、ヒノキはやはり自分のことは知らないのだ、と言う諦めが生まれます。
 
第x日
448 しばらくは/試験つゞきとあきらめて/西日にゆらぐひのきを見たり
 
ヒノキに想いを通わせて来た賢治は、風に揺らぐヒノキを見つめて、現実を確認しています。
 
449 ほの青き/そらのひそまり/光素(エーテル)の弾条もはぢけんとす/みふゆはてんとて
 
 そして、冬の終わりも近づき、空は静けさの中に、春の明るさを含んで弾けるようになりました。春の予感です。
 
 ここで描かれるのは、単純に風にゆられる、光の中を揺れる、雪をかぶって菩薩の姿になった、月光中のヒノキ、太陽光の中のヒノキ、ヒノキの形に命を感じる瞬間、現実世界の試験のこと、ヒノキ周辺に感じる春の予感、と様々ですが、時を追ってヒノキを見続けていた賢治の姿が浮かびます。
歌稿Aではこの「大正六年一月より」の部分は「ひのきの歌 大正六年一月」としてまとめられています。
また、寮の仲間で発行した文芸同人誌、『あざりあ 第一号』にも「みふゆのひのき 大正六年二月中」として、44〜55 12首を載せています。
 
44 アルゴンの、かゞやくそらに 悪ひ〔のき〕/み〔だ〕れみだれていとゞ恐ろし
45 なにげなく、風にたわめる 黒ひのき/まことはまひるの 波旬のいかり
46 雪降れば昨日のひるの 悪(あく)ひのき/菩薩すがたに すくと 立つかな
47 わるひのき まひるは乱れし わるひのき/雪を被れば 菩薩すがたに
48 たそがれにすつくとたてる 真黒の/菩薩のせなのうすぐも
49 窓がらす 破れしあとの 角うつろ/暮れのひのきはうち淀むなり
50 雲きれよ ひのきはくろく延びたちて/なにかたくらむ 連れ行け、よはぼし
51 くろひのき、月光よどむ 雲きれに/うかゞひよりて 何か くはだつ
52 〔雪〕とけて ひのきは 延びぬ はがねのそら/匂(にほ)ひ出でたる 月のたわむれ
53 うすら泣く 月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
54 ひまはりの すがれの茎は夕暗の/ひのき菩薩のこなたに 立てり
55 あはれこは 人にむかへるこゝろなり/ひのきよまこと なれ〔は〕なにぞや
 
 これらは歌稿A、Bを推敲したものです。ほとんどがヒノキに〈悪ひのき〉か、菩薩の姿を詠みこんだものになり、叙景、感覚的な美しさは少なくなります。 『あざりあ』は賢治にとって初めての自作の発表の場でした。賢治は、ヒノキへの感動を、いかにして知らしめようかと工夫をした結果でしょうか。  
歌稿B「第一日昼」の叙景は、
 
44 アルゴンの、かゞやくそらに 悪ひ〔のき〕/み〔だ〕れみだれていとゞ恐ろし 
45 なにげなく、風にたわめる 黒ひのき/まことはまひるの 波旬のいかり
 
となり、〈アルゴン〉という比喩も使いながら、〈悪い〉ひのきや、魔王〈波旬〉が言葉となって詠みこまれます。
〈第七日夜〉のヒノキへの深い思い入れや、戸惑いは
 
55 あはれこは 人にむかへるこゝろなり/ひのきよまこと なれ〔は〕なにぞや
 
という、観念的な表現になります。
〈ひのきよまこと なれ〔は〕なにぞや〉この言葉が、賢治の心だったのかも知れません。
 
 第五日夜の440、441 は、ほぼそのままの状態で
 
52 〔雪〕とけて ひのきは 延びぬ はがねのそら/匂(にほ)ひ出でたる 月のたわむれ
53 うすら泣く 月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
 
となって月光の美しい叙景が残されます。
 
 この推敲の中で加わった〈アルゴン〉とは、連作の日付、 (大正六年二月中)の新月の夜22日、19時に見られるは食変光星で、2.1等〜3.4等の間で明るさが変わるペルセウス座の変光星アルゴルか、と言われます。 アルゴル(algol)とは、アラビア語で「悪魔」を指しますが、ギリシャ神話では、勇者ペルセウスが首を切り落とした怪物ゴルゴンで、星座絵などにはその首の絵がよく見受けられるそうです。賢治は、ゴルゴンとアルゴルを混同してその言葉を使った、とも云われます(注1)。
 もう一つの可能性として原子番号18の元素アルゴンがあります。無色の気体で、高圧電場下に置かれるとライラック(紫)色に発色します。水銀灯蛍光灯等の封入ガス、アルゴンレーザー、アーク溶接時の保護ガス等に用いられ、ここでも光を発します。授業など何らかの場面でその光を体験したとも考えられます。
一方、アルゴンは、ヘンリー・キャヴェンディッシュが存在に気づいて100年後、1892年にレイリー卿ジョン・ウィリアム・ストラット)が大気分析の過程で発見、1904年にレイリー卿は「気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見」によりノーベル物理学賞を、ウィリアム・ラムゼーは「空気中の希ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定」によりノーベル化学賞を授与されました。賢治はまだ8才ですが、あるいはその何年後かにそのニュースを知って意識したかも知れません。
 
 ヒノキを読んだ430〜449は賢治短歌で最初の連作です。短歌の連作は、作歌のレッスン、とも捉えられます。連作は、他にも「アンデルゼン白鳥の歌」、「青びとのながれ」等があり、連作ということだけでは、賢治の関心の高さや感動を証明できないとも云われます(注2)。
また、短歌は表現が一作中に完了してしまうため、ヒノキについてのある時間の中の表現のつながりを求めての連作とも云われます(注3)。
毎日のようにヒノキを見続けたのは、やはりヒノキに感動を呼ぶ原因があったと考えられます。
 ヒノキの自生は福島以南で岩手では自生しておらず、またヒノキは生長が遅く、またヒノキ特有の病気(蝋脂病・ろうしびょう)があって、特に寒冷地ではうまく育たないので、優れた材質ながら植林は薦められない状況でした。
 しかし高等農林学校、という性質上、多くの樹木が研究目的で植えられていたのでしょう。賢治は、珍しい樹木を間近に目にして感動していたのかも知れません。
 またヒノキは木材として極めて優れたものであるのに加えて、その加工品も抗菌作用、血行促進作用などの用途がありました。賢治は、その頃そのことを学び取り、優れた樹木としてのヒノキに惹かれていたのではないでしょうか。
短歌と同時期、大正六年一月の妹トシ宛の手紙(書簡30)には
 
(前略)私もまあ、大抵学校を出てからの仕事の見当もつきました――則ち木材の乾溜、製油、製薬の様な孰れと云へば工業の様な充分自信もあり又趣味もあることですからこれから私の学校の如何に係わらず決して心配させる様な事はありません。(後略)
 
があり、工業的にも優れた材料としてのヒノキが心にあったのだと思います。
 
  賢治が、第一に心を奪われたのは、眼前の状況です。ヒノキは細かな鱗片葉をたくさんならべて、葉面を作り、それらがあつまって枝葉ユニットを大きく水平に展開します。雪が積もりやすく、風にあおられると揺れが大きくなり、大きな想像を生む形状が生まれます。
賢治が感じ取ったのは、「菩薩」とそれと真逆の「わるひのき」の姿でした。〈323 風は樹を/ゆすりて云ひぬ/「波羅羯諦」/あかき〔は〕みだれしけしの一むら〉でもそこに般若心経を感じています。
 
 先行論文では、多くが、賢治の宗教性をもつ短歌、として捉えています。(注4)。また歌壇圏外にあって、口語、文語に渡る独自の詩境を生み出し、ここでは、菩薩への思いのみが詠われた、とします(注5)
 
もうひとつの、樹木を詠んだ連作に、「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」があります。
 
759 サイプレス/忿りは燃えて/天雲のうづ巻をさへ灼かんとすなり。
760 天雲の/わめきの中に湧きいでて/いらだち燃ゆる/サイプレスかも。
 
 賢治は、雑誌『白樺』の挿絵でゴッホの絵画に触れたといいます(注6)。
これは、ゴッホの絵画「糸杉」を見ての作歌ですが、千葉一幹によれば、ひのき連作の前に、すで
に、絵画ゴッホ「糸杉」を見ていて、「ひのき」の風景に、「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」に見られるのと同様に、対象の属性をそのまま自分の感情として描いている、とします。(注7)。
秋枝美保によれば、ひのきに対していた賢治が、対象に対する感情移入がなされ、それが時にキャラクター化し、擬人化して、「われとなれ」との関係を描くうち、自然の景物に対する特異な「われ」を描き出す、とし、あくまで、賢治は主体的に対象を描いているとします。(注8)。さらに、「心象スケッチ」への移行の段階として、捉えています。(注9)。
また、別の角度では、壱はじめは、445までの叙景までで終わらず、446以降には、自分の想いをヒノキに投入したのは、賢治の意図が「短歌で書かれた物語」としての始まりを意味するとも言われます。(注10)
 
 管見した論考を下地にして、ここでは、賢治の、対象「ひのき」に触れた想いとその表現を中心に筆を進めてきました。
まず対象「ひのき」の風景を捉えたことから始まると思います。風に吹かれる乱れた姿、静止した菩薩の姿の相違に気づき、二面性を持つものへの驚愕、疑問や不安、さらに自己の中の二面性も感じて、最終的に
 
446 (ひのき、ひのき、まことになれはいきものか われとはふかきえにしあるらし)、
447 むかしよりいくたびめぐりあひにけん、ひのきよなれはわれをみしらず
 
になって、〈えにしあるらし〉〈なれはわれをみしらず〉という、自分と「ひのき」との関係性を思いますが、自分の内面を映した姿を感じ取っているのではなく、図式的、観念的なものではないでしょうか。「わるひのき」は「菩薩」に対応する言葉で、内面の感情と言うよりは、外部にある「悪」として捉えていると思います。
 窓を、絵画の枠のように捉えることはしていますが、その、対象に対する心は、「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」とは、違うと思います。
「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」、絵画中の糸杉が、渦巻く雲のなかに、螺旋状になって登っていくように見える風景に、燃え上がる怒りやいらだちを感じ取ったものと言えるのではないでしょうか。この段階では、自分の心情を映すと言うよりも、ゴッホの描いた風景そのものから心情を感じ取った様に思えます。賢治が共感覚的に、風景から言葉や音を、音から色を感じ取ったのと同じものではないでしょうか。
さらに「春と修羅」での内面の修羅と〈ZYPRESSEN〉と表示される糸杉との関係は、周辺の藪や湿地に象徴される内面と対峙して、静かに並んでいる風景として描かれると思います。
これらのこと、また「心象スケッチ」への移行については、稿を新ためたいと思います。 
 
 窓から見えるヒノキになぜこれほどまでに惹かれたのでしょう。
ここに「ひのき」を菩薩にも「わるひのき」にもしているのは、風です。賢治はこのことを理解していたのでしょうか。いつもは、風を見つめ、見えない風も感じ取っている賢治が、ここではひたすら風景全体を感じ、ドラマ化していきます。それだけ風景が醸しだすものが、強烈だったのかも知れません。この捉え方については、今後藻考えていきたいと思います。
 

1加倉井厚夫HP「賢治の事務所」 「「みふゆのひのき」の星」
2 『賢治研究129』 読書会リポート(2016)
3秋枝美保「「春と修羅」と「冬のスケッチ」における表現の革新―「修羅」への階梯、「ゴオホサイプレスの歌」とゴッホ「杉(le Cypres)」 (『論攷宮沢賢治第十一号』2013)
4新間進「宮沢賢治の定形詩歌―その宗教性に触れつつ」(『賢治研究2』1969)、及川亮賢「賢治の短歌と宗教」(『宮沢賢治2』 1982)
5新間進「賢治の短歌史的位相」(『宮沢賢治12』1993
6雑誌『白樺』に掲載されたゴッホに関する記事は第二年二月号(明治44.2〜第一四年三月号(大正12・3)まで一二回にわたる。そのうち「糸杉」に関するものは以下の通り。
第二年六月(明治44年・六月挿絵「プロバンスの田舎道」
第三年一月号(明治45年1月)挿絵「シプレス」
第三年十一月号付録(大正元年11月)「ヴィンセント・ヴァン・ゴオホ」阿部次郎「若きゴオホ」「ゴオホの芸術」武者小路実篤「ゴオホの一面」、虎耳馬「ヴィンセント・ヴァン・ゴオホの手紙」などの記事
第十年六月号 (大正8年6六月)挿絵「杉le Cypres」
7千葉一幹『賢治を探せ』(講談社選書メチエ2003)
 8秋枝美保「「春と修羅」と「冬のスケッチ」における表現の革新―「修羅」への階梯、「ゴオホサイプレスの歌」とゴッホ「杉(le Cypres) (『論攷宮沢賢治第十一号』2013)
9秋枝美保「宮沢賢治 短歌から「心象スケッチ」への移行―「もの」の提示、一九一〇年代の表現革命(『論攷宮沢賢治第十二号』2014)
10壱はじめHP インナーエッセイ 「宮沢賢治の短歌〜現場への橋」