宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2017年10月上旬

9日

よく晴れて、気温が季節外れに高くなりました。少し遅れて9:30ころ出かけました。

二杉橋付近では水かさが増して、少し上流で、岸辺に張り付くようにダイサギが1羽、アオサギが1羽だけが見えました。

エナガ:今日の嬉しい光景は、エナガです。公園の東の駐車場のサクラの木に、チーチーという声がして、エナガ13羽が飛び回っていました。カラ類はいませんでした。

キセキレイ:もう一つ、嬉しい光景は、久しぶりのキセキレイです。合流点の堰を横切る鳥影が、何かとても身軽に見えました。キセキレイでした。セキレイの中では幾分の小ささが、そう感じさせたのでしょうか。

 ダイサギ:上人橋、大岩橋上の河川敷、赤津川2カ所、で1羽ずつバラバラに6羽でした。

 アオサギ:公園の東池、大岩橋、赤津川岸、合流点、それぞれ1羽ずつ5羽、いつもひっそりと〈佇む〉という言葉が似合います。ほんとうの生きる現場ではもっと生々しいものがあるのでしょうけれど。

カルガモ:睦橋の手前、護岸ブロックの上に1羽ずつ乗って19羽並んでいて、珍しい光景でした。近くの水中にも8羽、5羽、公園の東池にも21羽、赤津川でも4羽と、まとまっていました。群れが大きくなってきたようです。

モズ:公園の川岸の低木で、小鳥がずっと鳴き続けているのですが、動きも姿も見えません。そのうち、枝が動いて一声モズの声が聞こえ、モズの鳴き真似だったのか、と納得しました。他にモズの声のみ聞こえたのが、5例でした。

セグロセキレイ・ハクセキレイ:今日は公園の川の中州が少し出来始めたので、中州で4羽、大岩橋上の中州で1羽でした。

ハクセキレイ:公園で、羽色がグレイの若鳥とみられる個体1羽、顔の白さが目立っていたのはなぜでしょう。

ヒヨドリ:高橋付近の民家の屋敷林で、10羽ほど盛んに鳴きながら、飛び交っていました。樹木のあるところでは鳴き声が盛んに聞こえていますが、動きが捉えられません。カウントの力をつけたいと思います。

スズメ:実りの秋なのに、スズメが極端に少ない気がします。スズメのカウントも難しいのですが、このくらいの数ならきちんと数えられそうです。頑張ってみたいと思います。

ムクドリ:赤津川で、6羽の群れが通り過ぎました。

コジュケイ:大岩橋付近の山林で、季節外れとも思える声が聞こえました。

カイツブリ:公園の東池は、片隅に浮き草のない場所が少しあります。カルガモが多数そこにいたのですが、カイツブリが1羽、その浮き草の端をつついていました。ひょっとしてまた営巣でしょうか。

カワウ:何もいない公園の西池に、カワウが1羽、潜水を繰り返していました。ここにも餌となる魚が棲んでいるということでしょうか。

ドバト:赤津川の岸から少し離れた、稲の刈り取りが終わった田で、鳩大で、キジバトとも違う黒っぽい個体が数羽見えました。かなり遠かったので、少し近づいてみたら、1羽が、少し明るい灰色と赤い模様が見え、ドバトでした。この辺はドバトが多いのですが、田に下りているのは珍しく、いつもケリの降りる場所なので、一瞬ケリかと思いました。

 

よいお天気だったのに、鳥種が少ないのは、気温の急上昇のせいでしょうか。このような季節の逆戻りは鳥にとっても暮らしにくいのでしょう。

セイタカアワダチソウが今年は綺麗に咲いています。いずれ鳥たちの食べ物となるでしょう。

ススキやヨシが一斉に穂を出しました。川岸など限られた場所ですが、今年はヨシがよく茂って存在感があります。

 

鳥リスト

コジュケイ、カルガモ、カイツブリ、カワウ、アオサギ、ダイサギ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、エナガ、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ








永野川2017年9下旬

 

30日

いろいろ行事が入って前回から15日も空いてしまいました。

9時に家を出ると、快晴の筈なのに薄曇りで、探鳥には暑くもなくて快適でした。

二杉橋では、水は澄んで、季節としては普通の水量で、中州もできていました。

オオヨシキリ:二杉橋のすぐ上の西岸にはヨシが茂っていて、一番下流ですが環境としてはこの辺りが一番よい気もします。ヨシの中で、オオヨシキリのような声が一瞬聞こえました。他に似た声の鳥はいるのでしょうか。「バードリサーチ」さん、「宇都宮で野鳥を楽しもう」さんのお話では、まだ可能性もある、というお話しでした。もしそうなら、この狭いヨシ原?も大切にしなければなりません。

カイツブリ:少し上の川岸に、カイツブリが2羽、ペアのようにも見えました。この辺で営巣してくれればよいのですが、もう、季節としては遅いのでしょう。公園の池には、一面に浮き草が茂り、もうカイツブリはいませんでした。

 カワウ:岸辺にカワウがいたのですが、嘴部分の黄色がなぜかとても目立ちました。図鑑には、夏羽という理由しかないので、今まで見落としていたのでしょうか。

 キジ:公園のなかで、今日も、いわゆるケーンというキジの声でない、鶏に似た声を時々よく聞きます。今日もしばらく鳴いていました。

 赤津川沿いの道路で、まだ色づきが完全でないの若鳥が、2,3分もじっとしていて、どうしても通らなければならないので近づくと慌てる様子もなく、草むらに姿を隠しました。それでふと道の反対側の土手を見ると、同じくらいの若鳥2羽と、の若鳥5羽と幾分大きめの多分母鳥が、土手からこぼれるように、次々に走り出て田を通り越してあぜ道の草むらに向かいました。すると、さっきの若鳥が慌てたように道路を越して飛び出して合流していきました。8羽の若鳥が草むらに消えたあと、母親がゆっくりと最後に消えました。親鳥も大変だなと思います。

ダイサギ・チュウサギ・コサギ:ダイサギは公園の川の中州、池、大岩橋周辺に2羽、滝沢ハムの池3羽、赤津川の田に2羽と分散していました。チュウサギと区別できないものはダイサギに入れました。

チュウサギとはっきり確認できたのは赤津川の田の1羽、嘴の感じで確認しました。コサギは滝沢ハムの池に1羽見えました。

イカルチドリ・イソシギ:公園の池の中州にイカルチドリが1羽。イソシギが2羽で鳴きながら飛来しました。

アオサギ:公園の池には、大抵はアオサギが1羽潜んでいます。その他睦橋付近、大岩橋付近、高橋付近に1羽ずつ分散していました。

セグロセキレイ:睦橋下の河川敷に4羽、公園に4羽、1羽がサクラの樹上で鳴いていました。赤津川と公園の池で1羽ずつ、10羽でした。

ヒヨドリ:高橋付近の民家の屋敷林で5羽、公園、大岩橋で3羽、少しずつ増えています。

シジュウカラ:第五小のサクラの木で1羽声がしました。

オナガ:帰り道の永野川西岸の睦橋を下ったところで、珍しく、オナガ11羽の群れが岸の木に留まり、大平山方向に飛んでいきました。

モズ:高鳴きを見つけようとしましたが、姿が見えたのは上人橋付近の電線のみで、あと5羽は激しい声は聞こえましたが、樹頂には見えませんでした。

カルガモ:二杉橋から睦橋までの間に、3羽、1羽、13羽、池に3羽、赤津川に3,3,1と7羽、滝沢ハム池に4羽、計32羽。コガモなどはまだ飛来していません。

ホオジロ:公園のワンド跡で、地鳴き1羽。

キジバト:永野川の睦橋付近で2羽。

 

公園に秋咲きのサクラが咲いていました。昨年は返り咲きかと思いましたが、今年は5本全部、小ぶりの花が見事に咲いていました。多くの品種を植えた設計者には感謝します。

今の時期に、アレチウリが一斉に繁茂してしまっていました。でもママコノシリヌグイやノコンギクなど秋の花が咲き始めました。もっと大切にこれらの花を育てて行ければと思います。このところ知らない間に秋が来ている気がします。(先日2日間の旅行なのに、帰ったらキンモクセイの香りが迎えてくれました。)

稲が実っている割合にスズメは少ない気がします。

サクラは葉を落し初めて、もうじき本格的な探鳥シーズンとなります。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ,アオサギ、ダイサギ9、チュウサギ、コサギ、イカルチドリ、イソシギ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、シジュウカラ、ヒヨドリ、オオヨシキリ、スズメ、セグロセキレイ、ホオジロ1

 








永野川2017年9月中旬

 

15日、久しぶりの好天です。明日から台風が接近、悪天候の予報なので、前回から間がないのですが決行、9時前に家を出ました。二杉橋からはいると、雨続きで水量はありましたが澄んでいました。

エナガ:今日のトピックスはエナガ、今季初です。児童遊園近くの、樫の木の前を通りかかると、ツリツリという声を久しぶりで聞き、思わず立ち止まりました。なかなか視界に入らなかったのですが、しばらく待つと、常緑の枝をくぐるように9羽が飛び交っていました。あまり恐れることなく同じ場所にいてくれたので、ふかふかの白い胸や黒くて丸い目もゆっくり見ることができました。近くにシジュウカラも4羽、コゲラの声もして、典型的な混群です。秋が来るのだ、と実感しました。

ダイサギ:公園の川、合流点、大岩橋上の河川敷、二杉橋上、と1羽ずつ、嘴の感じで確認できました。大岩橋上の1羽は、遠かったのですが、他のチュウサギと比較して確認できました。

チュウサギ:大岩橋上の河川敷、近くから見る場所がないので苦労します。でも先日と同様、アオサギ3羽、ダイサギ1羽とともに確認。それからこれも先日と同様、赤津川畔の田で9羽の群れ、これは典型的なチュウサギでした。

コサギ:合流点で1羽、これも先日と同様です。

アオサギ:大岩橋上3羽に加えて、池、合流点、赤津川に1羽ずつ、数が増えました。

ゴイサギ:合流点の堰の上に1羽、とてもひっそりと留まっていました。ここでとどまっているのは近頃珍しいことです。以前は4、5羽の群れが、赤津川畔などでも見られたのですが。

カワウ:合流点に1羽。少したって近くを通ると、こちらに向かって頭上を飛んで来ました。とても大きく感じられます。大群が来たら恐怖でしょう。

カイツブリ:先日はペアがいて、卵を抱いているように見えたのですが、またしても巣もなくなり、1羽のみが泳いでいました。天敵のカラスが確かに池の周囲には多いのですが、人為的な理由かもしれません。この夏3度目の失敗です。今年はもう繁殖しないでしょうか。赤津川では1羽、これはまだ成鳥になりたてのようで、先頃いた幼鳥が成長したのかも知れません。

ハクセキレイ・セグロセキレイ:滝沢ハムの林で、ハクセキレイが2羽、地面を走っていました。黒とグレイ、親子かもしれません。コサメビタキやカラ類を気にして樹上ばかり見ていたので、突然河原の鳥が出現して、決して珍しくはないのですが意外な気がしました。セグロセキレイも、川の水が多いので、二杉橋、上人橋、公園で1羽ずつのみでした。

カルガモ:川沿いに1羽、3羽、と少数の群れが多かったのですが、合流点で17羽、13羽の群れが見えました。コガモが混じっていないかと思って探したのですが、まだ来ていないようでした。

イカルチドリ・イソシギ:睦橋下の河川敷で、イカルチドリが鳴きながら地面を移動していました。声がまず聞こえしばらく待って確認できました。イソシギは少し登ってところで、やはり鳴きながら移動してきたものと公園の中州でも1羽、久しぶり2羽確認できました。

キジ:公園の川を北から南に横切って渡っていきました。大きな鳥の飛翔は珍しいのでわくわくしましたが、若いのキジでした。赤津川畔でも若いのキジが走っていました。

 

天気がよいと、観察する側も余裕があるせいか、鳥たちも気分がよいのか、多くの鳥種に会えるようです。赤茶けた広場はまだ変わりませんが、鳥たちの元気さに救われます。

彼岸花が盛りですが今年は色が悪いような気がします。それにしても増えてきている気がします。「彼岸花の群生」のような風景を望む人がいるのかも知れません。それもまた自然ではありません。

ススキがちょうど綺麗に穂を出していて、少し頂いて帰りました。今年は川沿いのススキが全く無くなってしまって、なんとか美しいのは一カ所残った草地のみです。間違った手を入れなければススキは残るのです。もちろんススキを残すために手を入れて守っていく場所もあるのですが、せめてここだけは公園のような手入れはしないでほしいと思います。

気がつけばツバメがいなくなっていました。でもエナガも来て、今年も秋が待たれます。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ、ゴイサギ、イカルチドリ、イソシギ、コゲラ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、エナガ、ヒヨドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ

 








短歌に吹く風―文学の始め―(二)〜 ちいさき蛇の執念の赤めを綴りたるすかんぽの花に風が吹くなり  

 次の括りは「大正三年四月」です。

この年、賢治は中学校を卒業しますが、希望した進路に進めず、おまけに肥厚性鼻炎が悪化したために4月中旬から盛岡市岩手病院に入院、疑似チフスの疑いがあって5月中旬まで入院しました。付き添っていた父政次郎も腹部腫瘍で治療を受けることになります。

 短歌は、
 

80 検温器の/青びかりの水銀/はてもなくのぼり行くとき/目をつむれりわれ

 

という病床詠から始まります。

進学を許さない父への反発、しかしその父親が自分の看病のために病を得たことは、賢治にとって負い目となって父親に反発もできない複雑な心境は次のような具体的な短歌となっています。 
 

86 学校の/志望はすてん/木々のみどり/弱きまなこにしみるころかな
115a116 ぼろぼろに/赤き咽喉して/かなしくも/また病む父と/いさかふことか

 

そして、病の体や心を安らげてくれるのが、看護婦たちの存在でした。この思いは退院後も大事に持ち続けられます。

92 まことかの鸚鵡のごとく息かすかに/看護婦たちはねむりけるかな
112 すこやかに/うるはしきひとよ/病みはてゝ/わが目 黄いろに狐ならずや
175 君がかた/見んとて立ちぬこの高地/雲のたちまひ 雨とならしを

 

風が詠われるようになるのは、退院後の生活が始まってからです。

116 風木々の梢によどみ桐の木に花咲くいまはなにをかいたまん
117 雲はいまネオ夏型に光して桐の花桐の花やまひ癒えたり

 

116が風を読んだ最初の短歌ですが、同時期の117を読めば、それは桐の花の咲く時期、そして病癒えてすぐだった事が分ります。

まず桐の花に眼が行かず、〈木々の梢〉に〈よどむ風〉を見つけるのは、風に対する思いが若年から並外れていたのではないかと思います。確かに賢治は風を見ていたのではないか、という思いを強くします。

そして桐の花はあたかも病み上がりの体を癒やすように迎えてくれたのでしょう。ちなみにキリは、足利時代に遠野南部家が大和から苗を移して以来普及して、春にはその花と香りが広く親しまれます。また県産の桐材は光沢が強く淡紫色をおび「南部の紫桐(むらさききり)」として知られ、昭和30年に県の花に指定されています。
 

 123 風さむし屋根を下らんうろこ雲ひろがりて空はやがて夜なり      
132 さみだれにこのまゝ入らん風ふけど半分燃えしからだのだるさ    

 

風を求めて賢治は屋根に登ってみたのでしょうか。しかし病んだ体には〈風はさむ〉く、またある日は風に触れてはみたものの体はだるく、近づく〈さみだれ〉に、時の流れていく空しさを感じてしまいます。

妹シゲさんの『屋根の上が好きな兄と私』(蒼丘書林 2018)には、屋根に登るのが好きだった賢治との想い出が綴られます。

 

 

それ以降の、「大正三年四月」の中で風を詠った作品は、いずれも心情を表して、それも少し屈折しています。

 

149 ちいさき蛇の執念の赤めを綴りたるすかんぽの花に風が吹くなり   

 

〈すかんぽ〉はタデ科スイバの別名です。同じタデ科イタドリも〈すかんぽ〉と呼ばれることがありますが、イタドリの花は普通は白いのでここではスイバだと思われます。

土手や野原に普通に見られ、高さ50cm80cmで、春から夏にかけて茎の先が円錐花穂となり、直径3oの花をたくさんつけ、花が終わった萼片が紫紅色です。確かに花、というよりも円形の集合体です。

北原白秋の童謡「すかんぽの咲くころ」(初出『「赤い鳥』
1925(大正14)年7月号)には、〈土手のすかんぽジャワ更紗〉と表現されています。ジャワ更紗は、花など動植物の写生や点描などが格子や斜稿と組み合わされた細かい模様です。

白秋が花全体の景色を捉えたのに対して、賢治は花の一つ一つを見て、蛇の眼を感じています。集合体となった蛇の眼は恐ろしかったと思います。それが〈執念〉という言葉になったのかも知れません。でも、そこには、すべての情景を包み込んで風が吹いています。

 

157 いかに雲の原のかなしさあれ草も微風もなべて猖紅の熱    

 

賢治は空を見上げて救いを求めているようですが、あれ草を吹くのは身体の熱を感じさせるような微風で、それも〈猩紅の熱〉と感じるほど不気味でした。

 

176 城趾のあれ草にねて心むなしのこぎりの音風にまじり来    

 

ここでは、〈心むなし〉という言葉が使われます。風に乗って聞こえてくるのは、のこぎりの

音で、建設を思わせる現実的な明るい音ですが、あるいはそれでいっそう自分の身上のむなしさを感じたのかも知れません。

 連想されるのは、明治43年、石川啄木が25歳の時に発表した〈不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心 〉です。こちらは、15歳のころを10年後に回想した歌で、空と一体化していく清新な思いを描いています。

啄木に影響されて短歌を詠み始めた賢治の心中にはこの短歌があったと思います。そして無意識に〈城跡に……〉と詠み始めた賢治でしたが、回想ではなく今の自分の短歌となりました。
 

 178 風ふけば草の穂なべてなみだちて汽車のひゞきのなみだぐましき  

 

 前作と同時期の作かも知れません。〈汽車〉は、その場所からの出発を感じさせると思います。しかし、賢治にとって、現状は〈出発〉とはほど遠いものでした。〈なみだぐむ〉までの心情を思うと胸が痛みます。

 

215 秋風のあたまの奥にちさき骨砕けたるらん音のありけり    

 

少し時が過ぎての、この短歌では、〈あたまの奥のほね〉が砕ける音を聞いています。年譜(1)によれば、この年の9月ころ家業への嫌悪と進学への思いからノイローゼ状態となり、父から盛岡高等農林学校への受験を許された、とあります。

あるいは〈あたまの奥の骨〉が砕け〉る音は、この精神状態を表すのかも知れません。風は〈秋風〉という決まり言葉で捉え、時の経過や冬に向かう厳しさなどへの焦りを表しています。

 

228 たらぼうのすこし群れたる丘の辺にひつぎと風とはこばれて来し   

 

 227から229まで、葬儀の風景が詠われ、賢治も参列者であったことが推定されます。

229には〈喜田先生は/逝きたまへけり〉とありますが、賢治の小学校、中学校の教職員名簿(注2)には記載が無く、別の場所での師弟関係か改姓された方かもしれません。ちなみに225には〈顔あかき/港先生〉が登場しますが、こちらは盛岡中学校の数学化学担当教諭でした。

〈たらぼう〉はウコギ科タラノキの別称、あるいはその若芽、楤穂 (タラボ)を表します。落葉低木で、春サクラの咲く時期に樹頂に出た若芽を食用にします。227から、この時期は稲の〈とりいれすぎ〉で、タラノキは葉を落とし棒状の物が並んでいる寒々とした風景が連想されます。

〈ひつぎと風とはこばれて来〉たとは、風の中、柩が運ばれて来たことでしょうが、おそらく賢治は、風を一つの物体、塊のように捉えることができたのだと思います。あるいは風に包まれた棺でしょうか。深い悲しみというよりは、風のように消えていく命のはかなさを感じていたように思います。

 

いつも風の風景には、賢治は心を開き、風に心を映しだしている気がします。それはなぜか、また考えて行きたいと思います。

 

1 『新校本全集第十六巻 ()補遺・資料 年譜篇』

2 『新校本全集第十六巻 () 補遺・資料 補遺・伝記資料篇』

 

※〈149 ちいさき……〉は原文のとおりです。








永野川2017年9月上旬

7日

天候や自分の都合などで、なかなか出かけられないので、雨は午後から、という予報を信じて9時ころ出かけてみました。

公園で9日の土曜日に花火大会なので、取り急ぎ公園だけは見ておこうと思いましたが、すでに準備が始まっていて、車や人の出入りが多く鳥は期待できそうにありません。

 ツバメ:ツバメだけが公園の川面を20羽ほど舞っていました。その他2、3羽ずつ飛び、総計30羽になりました。まだ渡りは終わっていないようです。

 セグロセキレイ:大岩橋から大砂橋までの間で2羽、永野川でも2羽みつけました。公園の中州で幼鳥1羽、グレイなのは知っていましたが、過眼線がはっきりしないことを初めて知りました。 

カイツブリ:公園でカップル風の2羽を見つけました。赤津川では1羽だけが潜水を繰り返していました。

 アオサギ:公園の池に1羽、そして大岩橋の上から上流を見ると、チュウサギに混じって4羽が点在していました。この辺りでは、まとまった数で見るのは、珍しいことです。今日は多く公園で1羽、永野川でも1羽岸辺にいました。

 ダイサギ:公園の川で1羽、これは眼と嘴の位置ではっきりと確認できました。大岩橋上の河川敷でアオサギと共に1羽、永野川第五小付近でも1羽でした。

 チュウサギ・コサギ:大岩橋上の河川敷でアオサギと共にチュウサギ3羽、コサギ1羽。このところいつもコサギが1羽確認できています。

 セッカ:赤津川のいつもの場所でまだ上昇音が聞こえました。

 カワウ:永野川睦橋付近でカワウ1羽、羽を広げて乾かすポーズでしたが、数分後には元に戻っていました。

 カルガモ:合流点付近で19羽の群れ、池で2羽、永野川に入って1,1,4羽。分散していますが、数は増えてきているようです。

 ハシブトカラス:大砂橋下の取水口の鉄塔に小さめのハシボソカラスが10羽、ここではあまり近くで多数のハシブトカラスを見ることがないので珍しかったのですが、やはり鳴き声は大きいですね。

 帰りには霧雨状態になり、鳥はあまり出ませんでした。鳥も晴れた方がよく動くのか、私の視力のためかわかりませんが、次の機会を密かに期待するのも楽しいことです。

 バードリサーチのお便りでは、そろそろコサメビタキやエゾビタキが通過するかも知れないとのこと、視力を研ぎ澄まし、待ちたいと思います。

 ススキが穂を出し始め、彼岸花も蕾をつけ始めました。クズも花を開きました。センニンソウやクサギも花をつけて、どこからともなく香りが流れてきます。香りのする木々は20年前と比べるとめっきり少なくなりましたが、まだ季節を知らせる香りは残っているのは幸いです。

 

 先日広範囲に除草剤をかけた部分をまた草刈りし、茶色い草地になっていました。これこそ二度手間で、その上景観を台無しにして、無駄遣い意外に何者でもありません。来年度は、計画を変えてほしいものです。

 

鳥リスト

カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ツバメ、ヒヨドリ、セッカ、スズメ、セグロセキレイ