宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2018年3月中旬

17日

一昨日の高温、昨日の雨の低温、に続き、今日はよく晴れても肌寒さが残ります。10:00ころ出かけました。

二杉橋付近は、川底が半分見えるくらい水が戻っていましたが、イカルチドリの声がするだけで鳥影は見えませんでした。

五小のいつもの場所のサクラでカワラヒワが囀っていましたが、ウグイスは地鳴きのみ、上人橋の近くまで来て、やっと1羽の拙い囀りが聞こえました。

先回3月5日とあまり気温は変わらないと思いますが、寒さから暖かく変化した日の方が、逆よりも鳥の動きが活発になるのかも知れません。

睦橋付近で、カルガモ3羽漂い、キセキレイがブロックを上下して見え隠れしていました。

高橋付近の土手の草むらから、ホオジロが3羽一瞬に飛び出してまた隠れ、ハシボソカラスが3羽上空をよぎりました。

公園に入ると、上空をトビが1羽弧を描き、上面、下面をみせながら飛び、カワウが1羽上空を、ツグミが川を横切って飛びました。

ワンド跡の草むらでは、今日はカワラヒワの15羽+の声が聞こえましたが、姿を見せませんでした。その後大岩橋の河川敷林では7羽が群れていましたが、後は3羽、2羽と淋しくなりました。

対岸のニセアカシアが一瞬動いてシメが1羽確認できました。今年はほんとに少なくこのまま季節が変わってしまいそうです。

川に水が増えてはいますが、公園の池がカモの居場所のようで、東と西を合わせて、カルガモ25羽、ヒドリガモ18羽になりました。

コガモは、見えにくかったのですが滝沢ハムの池に10羽+、赤津川に入って8羽、5羽と、めっきり減っています。昨年12月中旬、60羽ほど渡ってきたのを見ましたが、その後はどこへ行ってしまったのでしょう。

大岩橋の河川敷林でもシジュウカラの声が2回ほど聞こえたのみ、赤津川ではヒバリの囀りも聞こえず、かといってケリも見えず、モズが2羽見えたのみでした。

 

もしかしてツバメが?と期待していたのですが外れました。でもヒメオドリコソウが顔を見せたほか、ようやく菜の花が咲き始めました。

カワヅザクラが、ちらほらとほころび始めていて、あらためて花の色の濃さを感じました。ソ

メイヨシノも蕾が膨らみ薄緑色になってきています。

季節が順調に進んでくれることを祈ります。

 

鳥リスト

カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ1、ダイサギ2、イカルチドリ、トビ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、キセキレイ、ツグミ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ

 

 








永野川2018年3月上旬

 

5日

予報よりも天気がよく、10時ころ出かけてみました。

今日のトピックスは囀りです。

二杉橋から入ってすぐ、西側岸の草むらからウグイスが囀っていました。綺麗な囀りと、まだ慣れない警戒声に近い短いもの、2羽が少し離れたところにいるようです。上人橋までの間で、地鳴き3羽、第五小付近の東岸でちらっと姿を見せたのも地鳴きでした。

公園内の樹木でカワラヒワが1羽囀っていました。近くで11羽の群れもいましたが、囀りはその1羽のみでした。カワラヒワもたくさん現れて、赤津川の35羽を最高に、11・9・4・1・1で計61羽でした。今年は100羽単位の群れに出会っていません。

滝沢ハム北側の田で、ヒバリが囀っていました。昨日我が家の近くの空き地でも囀りを聞いたばかりです。

公園の川岸の低木で、ホオジロが囀っていました。かなり長く途切れることなく、本格的な感じです。ホオジロはたくさん見られて、二杉橋〜上人橋で6羽、公園で6羽、滝沢ハム草むらで1羽と計13羽になりました。

 

 もう一つ、ヨシガモがまた飛来しました。公園の東池で、カルガモ35羽に混じって3羽、雄のみです。丹念に周囲を探しましたが、全部カルガモでヨシガモ雌と見られるものはいません。ヒドリガモが2羽いましたが、これも確実にヒドリガモでした。前回の飛来は17年12月下旬、やはり3羽、しか確認できませんでした。だけの行動もあるのでしょうか。どこかを回遊してまたここに来ているのでしょうか。

永野川、赤津川とも水が無いので他のカモは少なくて、コガモが赤津川で2羽、ヒドリガモが西、東池で合わせて6羽、カルガモが54羽でした。

 

 先日の雨で、いくらか水たまりができ、二杉橋から聖人橋までの間には、ハクセキレイ6羽、セグロセキレイ7羽、キセキレイ1羽、ダイサギ1羽、ツグミ、イカルチドリが現れました。

 草むらの鳥もたくさん確認できました。

 アオジ:二杉橋近くの川岸の草むらで2羽、赤津川の川岸でも1羽、はっきり目視できました。

 シメ:公園のハリエンジュに1羽、大岩橋の河川敷林で2羽、滝沢ハムの近くの低木で1羽、計4羽、少なかった今季、最大だった気がします。

シジュウカラ:大岩橋の河川敷林で7羽ほどの群れが移動していました。道際の樹木が伐採された功罪で、奥の草原がよく見える様になりました。見ていると、たくさんの影が動きます。狙い場かも知れません。

カシラダカ:滝沢ハム草むらの丈の高い草に、久しぶりに1羽、今年は季節の始まりに群れで見てからあまり見ることがなかったので嬉しいころでした。

スズメ:15羽程度の群れがよく動いたほか、50+の群れも見られました。

ムクドリ:少数の群れでよく動き、あちこちで遭遇しました。

カラス類:この場所にはカラス類は少ないので、今日もハシボソカラス6羽、ハシブトカラス4羽でした。赤津川でハシフトガラスが;川から鯵くらいの大きさの魚の頭と骨のみのものを加えて飛び上がりました。川はすっかり乾いているので、どこかの生ゴミでしょうか。または以前食べ残された川の魚でしょうか。

 

今季初の囀りを聞くことができ、シメやカシラダカ、ヨシガモも見てラッキーでした。運と言うよりしかたない出会いですが、これからも、その機会をたくさん作っていきたいと思います。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、ヨシガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、イカルチドリ、ケリ、トビ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、ツグミ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ








永野川2018年2月下旬

28日

諸事情が重なり、先回から時がたってしまいました。時間も遅くなりましたが、期限ギリギリなので、12:40ころでかけました。

薄曇りですが、気温は高く、気づけばもう風は南から吹いています。

上人橋から赤津川へ入りました。上人橋の付近もほとんど水が無くなって、いくらかの水たまりに、ダイサギが2羽見えました。

合流点までの間の川岸の草むらでガサガサという音と共にキジが現れました。また少し行くとキジが出てきました。その後も、赤津川川岸の草むらで、2羽のが一緒にいたり、公園の草むら、大岩橋の河川敷林でも1羽と、計6羽も現れました。キジが少なくなったと、ここを歩いている人がよく嘆いていましたので、少しほっとした気分です。

この場所では、カワラヒワが1羽丈の高い草に留まっていたのを始め、スズメ30+、アオジ2羽、ホオジロ3羽、ツグミ2羽、河原にセグロセキレイ1羽、ムクドリ7羽、記録できました。かつては、ここでアオジの群れや、カシラダカの群れを見たところでした。鳥の数が減った落胆と共に足が遠のき、いつも帰り道となって見過ごしてしまっているものもあるのかも知れません。

赤津川に入って泉橋までの間は、水が澱んでいて、カルガモ13羽・12羽・4羽・4羽と姿を見せました。次にカルガモが現れたのは、公園の東池で21羽、西池で7羽でした。

コガモも泉橋下で2羽・3羽・7羽、滝沢ハムの調整池に、はっきりと全部は見えなかったのですが、15羽+来ていました。ヒドリガモも公園の池に2羽ずつ4羽でした。水が無くている場所がないのでしょう。

合流点付近で、上空に猛禽が1羽現ました。一瞬トビか、と思いましたが、小さめで尾が長く、下面しか見えませんでしたが、羽が膨らんだ感じ、カラスくらいの大きさなどから、オオタカだと思います。

赤津川も水が全くなく川底まで乾いています。

川岸の草むらからキジバトが3羽飛び立ち、その後、一瞬遅れて、腹まで充分伸びきった猫の見事なジャンプが見えました。この辺りは近頃野良猫が多く問題なのですが、こういう情景はなんとも愉快です。

今日はキジバトが多く、公園にも3羽、大岩橋の河川敷林でも4羽・10羽、滝沢ハム付近でも2羽・2羽と24羽となりました。この辺では滅多に10羽の群れは見えません。

大岩橋の山林で、カケスの鳴き声を聞きました。3羽くらいいる様です。姿を見られないのが残念でした。

公園の川もまったく水が無く、乾いた砂利がむき出しです。ただワンド跡の草むらで、エナガ6羽が、次々と草の茎を渡っていきました。滝沢ハムの草むらにも4羽、すぐ目の前に留まってくれて、充分楽しめました。まったく逆のいい方ですが図鑑を再現したようでした。

永野川の上人橋から二杉橋までも、ほとんど水がありません。アオサギ3羽、セグロセキレイ3羽、ダイサギ、ツグミなどがちらほらと見えただけでした。

 

水が無い川はなんとも淋しい風景です。ここは伏流水の川なのでしかたないのですが、この渇水状態は初めての気がします。川―水があるからこそ、生物の生きる糧を生み、命がはぐくまれるのですが。

 

しばらく行かないうちに、オオイヌノフグリが咲きそろっていましたが、何か淋しいのは、元気がないせいです。昨年はなぜか?と思うほど咲いていた菜の花もまだ小さく、蕾が地面に張り付いている感じです。雨の少なさのせいもあるでしょうが、必要以上の刈り込みや除草剤のせいではないでしょうか。

公園の方角から見た滝沢ハムのクヌギ林はすっかり葉を落として、日差しを浴び明るく、鳥がいれば見つけられそうでした。鳥も明るく危険なところにはなかなか出てこないのかも知れません。

体調も戻り、少し過ごしやすい季節にもなったので、もう少し時間をかけて鳥をみたいと思います。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、カケス、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ツグミ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ

 

 

 








佐々木喜善『聴耳草紙』と宮沢賢治作品における非慣習的オノマトペ
はじめに
昨年、佐々木喜善『聴耳草紙』に初めて触れ、描かれる人々のたくましさと同時に、オノマトペの豊かさに圧倒された。川越めぐみ(注1)は東北方言の日常語のオノマトペと比較して賢治のオノマトペの特徴が類似しているという印象を持ったという。
宮沢賢治のオノマトペに惹かれてきた筆者も、そこに共通する何かを感じた。それは何か。オノマトペを拾い出すと、その成り立ちが賢治と共通する部分があり、またそれぞれ独自性も感じられた。言葉を整理しながら、その特色を解明していきたい。
 
佐々木喜善と宮沢賢治
佐々木喜善(一八八六〜一九三三)は、一九〇八(明治四十一)年、二十二才の時、同じ下宿だった新進作家水野葉舟を介して柳田国男を知り、喜善の知る遠野市土淵町周辺の昔話を柳田に伝えた。柳田はそれをもとに1910(明治四十三)年『遠野物語』を完成する。それ以後喜善は柳田の影響を受けながら、座敷童子、オシラサマの研究に取り組み、1922(大正11)年、『江差郡昔話』(郷土研究社)、一九二六(大正十五)年『紫波郡昔話』を完成する。
さらに、辷石谷江という語り手と出会う。その身振りを交え、リズムや韻律を感じさせる話しぶりに、語り手と語りの場の重要性を認識し、その結果を一九二七(昭和二)年、『老媼夜譚』に著わす。そのオノマトペをはじめ豊かな表現は、喜善が優れた聞き手であったことに加えて、臨場感を大切に書き留めたことによる。   
『聴耳草紙』は、一九三一(昭和六)年成立、それまでの資料を集大成し、三〇三話を一八三番にまとめている。著者凡例によると「昔話」だけでなく、伝説や神祠由来譚、言葉の調子の面白さのみで成り立つ話まで収集したという。
宮沢賢治との接点は、『月曜日』第一巻第2号一九二六(昭和三)年に発表した「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」を読んだ佐々木喜善が、そこに民俗学とは違う「詩の領分」を感じ、賢治に『月曜』を求めたのが最初である。
昭和七年、喜善に『民間伝承』第二号を送られた宮沢賢治は、喜善宛ての手紙で「方言の民話」に心引かれた旨を記している。
この年、喜善は五月二〇日から二八日まで、花巻と黒沢尻でエスペラントの講習会を開いた際、三度賢治を訪問し、意気投合していたことが窺える。
一方、賢治作品のオノマトペの部分は、ほとんどが初稿成立の段階のままで推敲されていない。初稿成立の時期は、『聴耳草紙』成立以前で、また、賢治が『聴耳草紙』に触れたという記録はなく、直接の影響を受けたとは考えにくい。賢治の生まれ育った土地と喜善が昔話を収集した地域とが共通であったこと、両者の言葉への想いが相通ずるものがあったことなどのためであろう。
 この稿では、そのことも踏まえた上で、賢治作品と『聴耳草紙』のオノマトペの共通性と独自性を検討したい。
 一方、伊能梅陰(嘉矩)『遠野方言誌』(注2)によると、遠野方言の特徴一つとして、標準語と比べて、一部の音の転換があるという。それは概ね以下のようになる。
母音の転換:ア音→イ(ボオフラ→ボオフリ)、イ音→ア・ウ・エ・オ・、ウ音→ア・イ、エ音→イ、オ音→エ・ウである。
母音イの発音転換は→エ(イヌ→エヌ)・ユ、母音ウの発音転換は→イ(ウゴク→イゴク)・オ、である。
その他、促音の挿入、子音の直音と拗音の相互転換、拗音、重母音の拗音化―OE→YE、IE→YE、UI→YE、発頭語Uの消滅、子音ではK→H、S⇄H、M⇄Bの転換、語の文字の位置を転換することなどである。
賢治は、効果的な表現を生むために、慣習的オノマトペの音の転換が見られるが、方言とどう関わってくるのだろうか。
さらに話し手の言葉が聞き取り手によって書き取られた『聴耳草紙』の場合、賢治作品の場合、この音韻転換がそれぞれにどう関わってくるのか検討したい。
 
方言の認定については以下の文献の記載を基準とした。文中ではアルファベットで表記する。
A、小野正弘編『日本語オノマトペ辞典』 小学館 二〇〇七
B、PDF東北方言オノマトペ用例集 国立国語研究所 二〇一一
C、藤原与一編『日本語方言辞書』 東京堂 一九九六
D、『日本方言大辞典』三冊 小学館 一九八八     
E、『日本国語大辞典 第二版』小学館
 
T、賢治作品と『聴耳草紙』に共通して出現する非慣習的オノマト
賢治作品における、方言由来の非慣習的オノマトペは、主に童話において、村人や動物の言葉に用いて、その時代や地域性を象徴する。ここでは、両者に共通する言葉を拾って検討する。同じ意味を持つ慣習的オノマトペは←で記す。
 
@  にがにが、にかにか←にこにこ
にがにが
『聴耳草紙』では、「爺と婆の振舞」で、娘や孫が大勢集まった喜びの形容一例である。
賢治作品では「短い木ペン」で二例、「サガレンと八月」一例で、これも喜びの笑いの形容である。主体はいずれも村童である。
 詩〔鉄道線路と国道が〕(「春と修羅・第二集」)では、この国に〈むかしから棲んでゐる/三本鍬をかついだ巨きな人が/にがにが笑ってじっとながめ〉、〔このひどい雨のなかで〕    (「春と修羅 詩稿補遺」) では、〈オリーヴいろの縮みのシャツも買って着る/そしてにがにがわらってゐる〉と、山男を思わせる巨人と農民への、少し皮肉を込めた書き手の思いを含んでいる。
にかにか
『聴耳草紙』には例がない。
「なめとこ山の熊」の商店主が下心を隠して笑う様の形容と同時に、毛皮を買って貰った猟師の喜びも同形で表している。
 「イーハトーボ農学校の春」では、生徒が春を迎えて喜ぶ笑いの形容、「税務署長の冒険」では、密造の探索の為に変装した署長が満足げに笑う様で語基の四回繰り返しが使われる。
Aでは方言として、「なめとこ山の熊」を例に引いて思惑ありげで嫌みを帯びた笑い、と捉えている。
 Eでは〈にかにか〉は方言(秋田)として愛想よく笑う様、〈にがにが〉は思惑ありげな笑いと、両方を採っている。
 賢治作品では、その差はあまり感じられないが、〈にがにが〉は農村の子ども、詩では田舎者や山男へ風刺的な描写として描き、書き手の作中人物への心情によって変化しているようにも思える。
 
A  そっこり←こっそり
伊能前掲書では、遠野方言の語法として、語中の文字の位置転換をあげている。Bに、方言として〈そこそこ、そっこら〉の項に、〈忍びやかにひとしれず物事をする様。こっそり、こそこそ〉がある
『聴耳草紙』では、「雁々弥三郎」で、雁が咥えていた弥三郎を野原の草の上に落とすことの形容である。 
賢治作品でも「鹿踊りのはじまり」で鹿の歌う挿入歌の中に、ススキの下に隠れ咲くウメバチソウを形容し、鹿の言葉として方言を賢治が意図して使ったといえる。
 
B  ペかペか、ポッカ、ぽかっ←ピカピカ・ポカン
二語基の〈ペカペカ〉(「蛇の嫁子」)と、一語基+りの〈ペカリ〉(「糸績女」・「貉堂」)、〈ペサッ〉(「旗屋の鳩」)、〈ペッカリ〉、〈ぽかっ〉、〈ポッカッ〉(「大工と鬼六」)があり、前者は現れたり消えたり意味、後者は消える意味合いが強い。
賢治作品では、〈ぺかぺか〉(「銀河鉄道の夜」)二例、「光の素足」一例で、点滅を表す。〈ぽかっ〉(「山男と四月」・「シグナルとシグナレス」))は一例ずつ三例とも消える意味、「ひのきとひなげし」では、あっけにとられる意味である。
〈ペカペカ〉につては        共通語では〈ピカピカ〉だが、い→えの母音転換の効果によって、弱くはかなげな明かりを表現できる。〈蛍のやうに〉(「銀河鉄道の夜」)のごとくである。                         
C  わりわり、ワリワリ
『聴耳草紙』では、「樵夫の殿様」、「豆子噺」、「猿の聟」、「屁っ放り嫁」で、林を鳴らす、逃げる、猿が出てくる、吹き倒れる、などにおいて、物事が続けて起こることの形容である。
賢治作品では、「牛」(文語詩稿一百篇)で、海上で波が打ち寄せる様の形容で、
震える意味合いが加わる。
Aでは、力まかせに押したり引いたりする様、音、方言で「状態が激しい様、」とあり、その状態の強烈さも表したのかも知れない。
 
D  のんのん、のんのんのんのん
『聴耳草紙』では一例、「夢見息子」で、続けて追いかけていく様の形容である。
賢治作品では、「グスコーブドリの伝記」、「グスコンブドリの伝記」一例、「ペンネンネンネンネンネネムの伝記」六例、「オツベルと象」三例、自動車、地震、脱穀機などで地面が揺れる形容で、またそれが次々と続いていることを表す。四語基の繰り返しはそれを強調している。
東北方言においては、Aでは、勢いの盛んな様を表すとあり、雪が継続して降る状態なども表す。継続ということが条件なのであろう
 
U『聴耳草子紙』と賢治作品における非習慣的オノマトペ
方言によるオノマトペは、方言話者には、習慣的オノマトペだが、標準語使用者から見ると非習慣的オノマトペであり、新鮮な表現となる。
一、方言と認定できるオノマトペ
方言の認定は、認定者の知識や感覚に左右される。ここでは数は少ないが、前記文献に方言と記載のあるものについて言及したい。
 
@  〈グレグレ〉めかして(「蛇の嫁子その1・その2」)は、Aによれば、(青森・岩手)で、急いで事をなす、または「ぐるぐる」の意である。
 
A  〈ザンブゴンブ〉と酒を飲ませた(「炭焼長者」)は、Cによれば仙台で「ザブザブ」 の意味である。
 
B〈チンプカンプ〉と瓜がと流れてきた(「蛇の嫁子その1」)は、Dによれば岩手方言で「浮き沈みながら水の上を流れる意」である。
〈チンボコ カンボコ〉(「瓜子姫子」その1)、〈ツプカプカ〉(「蛇女退治」)、〈ップカプン〉(「蛇女退治」)、〈ツンプカプ〉(「蛇女退治」)、〈ツンプコ、カンプコ〉 「きりなし話」)、〈ツンブツンブ〉(「瓜子姫子その3」)は、いずれもこの語からか派生した言葉であろう。促音から始まる言葉が採録されていることは興味深い。〈ツブン〉と橡の実が沈む(「きりなし話」)、〈ツポリ〉と橡の実が回転して (「きりなし話」)も同様の派生語と思われるが、語尾の撥音によって沈むこと、回転を表している。
 
C  〈ションション〉(と狐がやってきて 「獺と狐」その2)・ションションションション(「田螺と狐」)は、Eでは、滋賀の方言ではあるが、得意げな様、洒落ている様、しゃんしゃん、とある。地方は違うが、『聴耳草紙』ではすべて狐の歩き方の形容であり、狐の気取った様を表しているのかも知れない。
 
D〈ガッパリ〉と重い蓋が開く(「お月お星譚」)は、Eでは山形の方言として、たくさん、甚大の意味とする。
 
、慣習的オノマトペの変化による非慣習的オノマトペ
『聴耳草紙』では、方言のほかに、慣習的オノマトペとは一部が入れ替わっていることで、成り立つものがある。前章で、方言として取り上げた言葉も同様の成り立ちのものもあり、賢治作品とも共通する。ここでは、比較することで、双方の独自性を確認する。賢治作品については田守育啓による非慣習的オノマトペの作り方の分類(注3)、滝浦真人の造語論(注4)を援用して比較したい。
 
@  語基の繰り返し
語基を繰り返して三語基の語は、『聴耳草紙』には、〈クルクルクル〉(「三人の大力男」・「狐がだまされた話」)、〈パンパンパン〉(「鼻と寄せ太鼓」)、〈ゴロゴロゴロ〉(「きりなし話シダクラの蛇」)〈コロコロコロッ〉(「豆子噺」)の五例ある。確実に三回の現象は一例で、あとは話の調子を整えるためである。
 四語基の語は〈どんどんどんどん〉(「糞が綾錦」)一例で、これは変わらず続くことの表現である。 
語基+撥音の二回繰り返しは、〈ピシャンピシャン〉(「夢見息子」)一例、基+りの二回繰り返しは、〈ニヤリニヤリ〉(「糸績女」)、〈びしりびしり〉・〈スルリスルリ〉(「田螺と狐」)、〈ソロリソロリ〉(「窟の女」・「瓜子姫子その7」・「物知らず親子と盗人」)、とぼりとぼり(「夢見息子」)、パタリパタリ(「獺と狐その2」)の八例で、       これらは慣習的オノマトペとしても使われる語だが、ゆっくりした感じを出す。
賢治は、作品数も多いが童話に限っても多数の例があり、それぞれ表現上の意味を持って使われている(注5)。三語基は五十一例、時間の短さ、三拍の囃し詞を表す。語基+りの二回繰り返しは、四十七例あり、〈と〉を伴わない場合があるが、『聴耳草紙』ではほとんどが〈と〉を伴って安定した形である。語基+撥音の二回繰り返しは二十一例あり、発音の共鳴・響きを効果的に使っている。
四語基の語は一八二例と特に多く、継続、数の多さ、を表すが、状態の強調も含めた感情も伝える。また文中のところどころに同じ四語基の語をくり返すことでで、読むものの緊迫感も増す。
賢治が、繰り返しの持つ効果を考えて使っていたことがうかがえる。
 
A  〈ら〉の添加
川越めぐみ前掲書では、山形寒河江市方言のオノマトペには〈ら〉が語基の後
につき程度が大きくなったことを表すという。筆者の周辺(栃木県南部・東北系方言圏)でも、男性や老人は時に〈ら〉をつけ、〈ちょいら〉←〈ちょい〉、〈ぐいら〉←〈ぐい〉などと使う。
◎+促音+〈ら〉
〈カッチラカッチラ〉(「兎の仇討ち」)・カチッカチッ(「雷神の手伝い」)←カチカチは、火打ち石の音で、促音と〈ら〉で独特のリズムを生み、ユーモアを感じさせる。
◎母音(い→え)・子音転換(ち→も)+促音+ら
ぐいら(「和尚と小僧譚」)←ぐい、グエラ(「瓜子姫子・鬼の豆」)←ぐいら←ぐい、バエラ(「蕪焼笹四郎」)←ばあッ、〈ベッチャラ、クッチャラ〉(「爺婆と黄粉」)←ベチャクチャ、〈ちっくらもっくら〉(「田螺長者」)←チクチクと広範囲に使われる。方言として定着していた〈ら〉の添加、い→えの転換、子音転換に加えて、話の場を盛り上げようとする、話者の創意によるものと思われる。
 
B  +撥音
ごおんごおん(姉のはからい)←ごおごおは鼾の音と響きの大きさを象徴する。
 
C  母音転換
母音は一般に、あ(外への広がり・大きい)→え(横に広い)→う→お(内部への広がり・細い・丸い)→い(細い・鋭い)という印象を与える役割があり、オノマトペでもその語感を象徴的に用いているものもある。
◎い→あ
伊能梅陰前掲書で遠野方言では、イはア・ウ・エ・オすべてに転換する。
『聴耳草紙』では、〈ひょっくら〉(山男と牛方・傘の絵)←ひょっくり、〈むッ
くら〉(「和尚と小僧譚」) 〈むっくらむっくら〉(「眼腐・白雲・虱たかり」)←むっくり、がある。母音転換によって、のどかさ、動作の緩慢を表現し、言葉の面白さを強調しているとも取れるが、効果は明確ではない。〈ら〉の添加とともに方言であった可能性もある。
賢治では〈どかどか〉(胸がどかどか) 「タネリはたしかにいちいち噛んでいたやうだった」・「風の又三郎」)←どきどきで、胸の高鳴りの大きさを強調し、体感的で臨場感があり、〈ア〉への転換効果を感じられる。
◎い→え
〈しんめりしんめり〉食って(「猿と蟹」)←しんみりは、餅を横取りして食う蟹への話者の皮肉が〈エ〉に感じられるが、これも方言の可能性が高い。        
賢治作品では、前述のように〈ぺかぺか〉←ピカピカがあるが、母音転換によって鋭さを和らげる効果がはっきりしている。
◎う→あ
〈ぱんぱん〉(「雁の田楽」)←ぷんぷん   では、匂いの広がりを〈あ〉の効果によって象徴する意図あるいは話者の創意による強調表現ともいえるが、伊能梅陰前掲書に従えば方言の可能性がある。
◎う→い
〈ザッキリ〉眉間に切りつけ(「夢見息子」)←ザックリ、〈ジタジタ〉に切り裂く(蛇の聟その4)←ずたずたは、いずれも〈い〉の効果によって切り口の鋭さが感じられるが、伊能梅陰前掲書に従えば方言による一字転換の可能性もある。
賢治の〈ぷりぷり〉・〈プリプリ〉←プルプルは、「めくらぶだうと虹」、「風野又三郎」、「土神ときつね」、「インドラの網」、「ツェねずみ」、「二十六夜」、「マリブロンと少女」、など童話で八例使われ、いずれも怒りや緊張による震えを表す。  
『聴耳草紙』では形状を表すが、賢治は精神的な震えの繊細さを表現する効果を上げている。あるいは、そのために方言を用いたとも思われる。
お→あ
伊能梅陰前掲書には、お→あの転換の記載は無い。
〈ペラリ〉と食べる(「鬼の豆」・「糞が綾錦」)←ペロリは動作の大きさ、〈ペラリ〉とよくなって (「人間と蛇と狐」)←ケロリ、は動作・進行の速さを感じる。
〈マヤマヤ〉(「蜂聟」)←もやもやは、霧の状況の強調と思われるが、母音転換の効力を使うのでなく、語感で語りの面白さを演出していると思われる。
賢治では、〈ガツガツ〉←ごつごつでは、二例とも岩石の堅く厳しい様(「マグノリアの木」・「ペンネンネンネンネンネネムの伝記」)で、転換によって岩の状態の大きさを表す
◎お→え
伊能梅陰前掲書には、「お→え」への転換を指摘している。
〈ぽれぽれ〉(「地蔵譚」)←ぽろぽろは、地蔵が金の粒を排泄するという特殊な場面の強調を感じるが、方言の可能性がある。
賢治の〈ケホン〉←ごほん(「カイロ団長」)では、雨蛙がウイスキーを飲んで咳き込む様子で、後述する静音の効果で雨蛙の小さな体から出る咳の軽さを表す。一方、愚かなネズミの頭の割れる音〈ペチン〉←パチン(「クンねずみ」)と同様、賢治の〈え〉には、主体に対する皮肉や侮蔑の意味を含まれると思う。
 
D  母音省略四語基繰り返し
〈わわわわ〉(「瘤取り爺々1」) ←わあわあは、泣き声の激しさ、性急さを表す、話者の演出と思う。
                                
E  子音転換
伊能梅陰前掲書では子音ではK→H、⇄H、M⇄Bの転換が指摘される。   
◎〈タチリタチリ〉(「地蔵譚」)←タラリタラリは、酒の垂れる音で少量さを
強調する。話者の演出と思うが、大変体感的である。     
◎〈テラリ〉と撫でる(「御箆大明神」)←サラリは、篦でなでると放屁するという話の中で、〈テラテラ〉にも通じる肉感的で不潔な音は、話者の悪意も感じられる。これも特殊な場面の演出であろう。
◎〈ドチン〉と坑が堕ちた(「黄金の牛」)←ドシンは、重みを強調して効果的である。
〈ぽやぽや〉と湯気がたつ(「馬鹿聟噺饅頭と素麺」)←ほかほかは、湯気の暖かさの強調である。
◎ヒンともシンとも(三人の大力男)←ウンともスンともは、人気の無い静かさ、
状況の厳しさを強調する。ここでは母音〈い〉の効果も大きい。または方言のS音とH音との相互転換を考えると、〈シン〉を二つ重ねた強調的言い方か、とも思われる。
賢治の、〈どしゃっ〉(「フランドン農学校の豚」)←びしゃつは、恒常的に豚が殴られている音だが、適当に扱われる豚の状況を象徴するように、適切な言葉を当てたようにも思える。あるいは「通常は使わない動詞と共に使う」、という賢治の方法にも当てはまる。
◎拗音化+促音+り
伊能梅陰前掲書は子音の直音と拗音の相互転換を指摘する。
〈ジャクリ、ジャクリ〉」と搗きながら(「豆子噺」・「爺婆と黄粉」) ・〈ジャックリ〉と掘る(「きりなし話蛇切り」) ←ざくざく は、促音を加えて、〈り〉によってリズム感と動作の遅速を表す。
◎濁音化+り
伊能梅陰前掲書では清音が濁音化し、濁音が半濁音化するが、濁音が静音化することは希であるという。
〈どがどが・ドガドガ〉と火を燃やす(「南部の生倦」・「隠れ里」)←どかどか、〈ドガリ〉と坑が堕ちて(「黄金の牛」)←ドカリは、規模の大きさが感じられる。
賢治の、「時計ががちっと鳴る(「耕耘部の時計」))←かちっ、も同様に、大きな時計の針の動きと音の大きさを象徴しようとしたものである。
賢治には清音化を効果的に使った場面の方が多い。薬を〈かぷっ〉と呑む(「山男の四月」)←がぶっ、〈キクッ〉とのさまがえるの足が曲がる (「カイロ団長」)←ギクッのように、主体の置かれた特殊な立場を、皮肉を込めて描くのに効果的である。
    
F  動詞にする。
〈ぶらめかす〉←ブラブラ・〈わくめかす〉←わくわく(「話買い2」)では、一般的にオノマトペの動詞化は、「擬態語+する」であるが、「+めく」、「+つく」の形を取ることもある。賢治にも見られるのは、ざわつく(「ひのきとひなげし」)、〈ざわっとする〉」(「かしはばやしの夜」)など擬音語でも作られるが、通常の範囲で理解できる。
『聴耳草紙』では、この言葉に対する〈めく〉→〈めかす〉という他動詞化は一般的ではなく理解できにくい。これも方言か、あるいは話者の演出であろうか。
 
三物音や動物の声、・聞きなし・囃し詞
『聴耳草紙』の、物音や動物の声は、狐の声〈グエゲラグエンのグヮエン〉(「狐の話」)、猿の声が〈クヮエンヒ〉 (「猿になった長者」)など多数あるが、東北出身者にも分らなかった。一人だけ花巻在住者のお話では、キツネの声は擬音語としては標準語と同じ〈コンコン〉を使うが、キツネの実際の声は、〈ギャー〉に近い声という。とすれば、むしろ〈グエゲラグエンのグヮエン〉の方が近いといえる。これらは、擬音語となっていない擬音で、話し手が表現効果を上げるために、その場で創作し、それを採話者が文字に当てはめたと思われる。
賢治の場合、マナヅルの声〈ピートリリ、ピートリリ〉(「連れて行かれたダアリア」)、ヨタカの声〈キシキシキシキシキシッ〉(「よだかの星」)など通常の使われ方ではないが、作品の内容を象徴して、読者は納得でき、表現上の効果が上がっている(注6)。また詩では、ホトトギスの声〈to-te"-to-to……〉(〔鳴いてゐるのはほととぎす〕口語詩稿)、羯阿迦(ぎやあぎあ)(「春谷暁臥」「春と修羅・第二集」)など、音感を捉え作品の雰囲気に合わせてアルファベットを使ったり、漢字の意味や視覚からの印象も加えたりして新しい語形を作っている(注4)。あくまで、文字表記による作品の表現上の効果を考えている点が異なる。
聞きなしでは、『聴耳草紙』では、〈シンパシンパ ゴヘゴヘッ〉(「新八と五平」)酒を注ぐ音)←新八・五平、など、物語の内容から聞きなされることがほとんどで、駄洒落に近いが、わかりやすく、聴くものへのサービスである。また、オオヨシキリの声で比較すると、〈アタタチ、アタタチ〉(「鳥の譚葦切鳥」)←痛いに対して、賢治「よく利く薬とえらい薬」では、〈「清夫さん清夫さん、/お薬、お薬お薬、取りですかい?……〉は速く連続して鳴く声のリズムにストーリーを読み込んでいる。詩「陽ざしとかれくさ」では、カラスの声を〈(これかはりますか)/(かはります)……)で表し人の内面を象徴させている(注6)。賢治が文字で表す文学作品としての表現効果を考えていることが分る。
囃し詞では、『聴耳草紙』の囃し詞は、ほとんどがオノマトペや擬音をもとに元に作られている。「盲坊と狐」で、僧侶が村人と共に、悪い狐を琵琶の音に合わせて退治する場面で歌われる歌は、〈ジャンコ、ジャンコッ(僧侶の琵琶の音)/あっグエゲラグエンのグヮエン(狐の鳴き声)/そうらっジエンコ、ジエンコッ(琵琶の音)/やらッどっちり、ぐわッチリ(槌の音)……〉 (括弧内は筆者注)で、 歌がすべてオノマトペを使った囃し詞で、リズミカルで、ユーモアに満ちたものになっている。また「御箆大明神」の囃し詞十九例はすべて放屁の音で、話者によって様々な囃し詞が創作される。
賢治の場合は、〈どっどど どどうど どどうど どどう〉(「風の又三郎」)のように、独自のリズムを作り(注7)、さらに挿入歌の各節の定位置にオノマトペを変形した同形の囃し詞を使うなど、脚韻の効果を持たせることも多い(注6)。 
この章に関してはさらに詳しい比較、分析を、次の機会に公表したい。
 
おわりに
『聴耳草紙』は、情報の送り手―語り部―は出身地の方言で話し、受け手―採話する佐々木喜善が文字化した作品を読者は読むことで成りたつ。
喜善と話者との関係は伝承社会内のものではないが、喜善が語りの場や語り部を重視して採話しているので、柳田国男の『遠野物語』が、柳田による古典日本語で綴られるのと比べて、方言や地方色がにじみ出て、伝承社会内の話にかなり近いとはいえる。特にオノマトペに関しては、物語の状況を直接伝えるもので、語られる言葉に最も近い形で文字化されていると思われる。
方言という非慣習的オノマトペが、慣習的オノマトペの一部転換によることが多いのも、一つの特色である。これは制定された標準語が、方言の一部転換があったか、という方が正しいのかも知れない。これは標準語と方言の、地域的な違いというだけの理由だろうか。
賢治の作品は、ほとんどの場合、標準語で書かれている。賢治の標準語との接点は、 1904(明治37)年〜1909(明治42)年1900(明治))の小学生時代、1900(明治33)年、第三次小学校令改正により、国定読本を通して「標準語」が学校教育を通じて全国に広められた時代と重なる。周囲の言葉と違う標準語を学校で正しい言葉として教えられ、それを実行したのである。また短いが滞京期間にも、正しい言葉として東京語になじむ努力をしたと思われる。
賢治が方言を使うのは、村人の言葉、山野に住む動物の言葉で、これは表現効果のためである。そこに慣習的オノマトペの一部変化が多いのは、あるいは方言と標準語と双方を知る為かも仕入れない。今後の考察の課題としたい。
そして、賢治は登場者の会話に使う方言の表記には苦心している跡が窺える。短歌に見える、〈は+a〉は〈ぴゃ〉、等、当時の国語調査委員会の調査表に登場する表記が使われているという (注8)。また、調査表には見られないが、〈な+ぃ〉で、中間母音æを著わす方法などを取る。正しい標準語を使うという意識と同時に、方言の音感も正しく伝えようとしている。また使われる方言の響きは美しく、最愛の妹の言葉に花巻方言を使っていることからも、賢治が方言を尊重していたことが窺える。
『聴耳草紙』と賢治作品におけるオノマトペの相違は、伝達関係の仕組みの違いによる。前者が地方の言葉を話し、それを採話者も忠実に再現しているが、賢治は書き言葉による効果的な伝達を目的とし、賢治自身の個性によって、独自の方法を用いて作られた言葉である。
地から生まれた言葉と、それに文学作品としての輝きを加えた言葉との、共通性と相違点を感じ取るべきなのであろう。
 
注1:「東北方言オノマトペの特徴についての考察―宮沢賢治のオノマトペの場合」(東北大学大学院文学研究科 言語科学専攻05,12)
注2:国書刊行会 1975復刻、原本1926
3:「解明!宮沢賢治のオノマトペの法則5賢治オノマトペの法則一覧」(『賢治オノマトペの謎を解く』 大修館書店 2010) では、賢治が慣習オノマトペを一部変化させて、音感、音の象徴するものを表現するために非慣習オノマトペにする場合を次のように分類した。
☆子音の転換―1濁音→清音、2清音→濁音、3しゃ→ちゃ、4にょ→の
☆母音の転換―1う→お、2う→い、3う→え、4あ→お、5あ→い、6あ→う、7あ→え、8い→え、9い→あ、10い→う、11お→あ、12お→え、13え→あ
☆モーラの転換―1ぴ→ど、2きゅ→き
☆音の挿入
1促音の挿入、2撥音の挿入、3母音挿入、4モーラの挿入
☆音の位置を変える
☆語基の反復
 また、用法による特殊性については下記の通りである。
☆通常使われない動詞と一緒に使ったもの☆通常一緒に用いられている動詞と正反対の意味の動詞と一緒に使われるもの☆通常使われない名詞(主体・対象)と一緒に使われたもの☆通常使われない名詞、動詞といっしょに使ったもの☆比喩的な使用☆動詞として使う☆様態副詞のオノマトペを結果副詞的に使う☆動詞の省略
注4:「宮沢賢治のオノマトペ 語彙・用例集(詩歌篇)補論・〈見立て〉られたオノマトペ」(『共立女子短期大学文化紀要第39号』 1996)では「宮沢賢治のオノマトペ 語彙・用例集 (詩歌篇) 補論・〈見立て〉られたオノマトペ」(『共立女子短期大学文化紀要第39号』 1996)は、造語論の立場から、次にように分類する。
☆語形、用法とも、通常の範囲☆語形自体は既存のもので、連語関係にずらしがあるもの☆既成語の語幹や接辞から派生させた新語形 語のオノマトペ化☆既成語の語感に基づいて造られた新語形☆音感を語彙化することによって造られた新語形 音の疑似語彙化 ☆文字の視覚印象や字義からの連想等に訴えた新語形
注5小林俊子「宮沢賢治のオノマトペ―慣習的オノマトペの〈繰り返し〉と
〈組み合わせ〉(『宮沢賢治 絶唱 悲しみとさびしさ』 勉誠出版 2011)
注6:小林俊子「宮沢賢治のオノマトペ」(『宮沢賢治 風を織る言葉』第二部 
勉誠出版 2003)
注7:中村節也『宮沢賢治の宇宙音感』 コールサック社 2017
注8:大野真男・竹田晃子「宮沢賢治による方言表記の工夫と地域に根ざした
国語観『賢治学第4輯』 岩手大学宮澤賢治センター編 東海大学出版部2017)
 
テキストは、佐々木喜善『聴耳草紙』(筑摩書房 1933)、『新校本宮澤賢治全集』による。
 
参考文献
『佐々木喜善と宮沢賢治』(遠野市立博物館平成25年度夏季特別展図録2013) 
石井正己『遠野の民話と語り部』(三弥井書店2002)
大野真夫「昔話を対象とした談話記述のための枠組み」岩手大学教育学部附属教育工学センター教育工学研究第10号p63−71) (1988)
大野真夫「辷石谷江と昔話のことば」(石井正己編『昔話を語る女性たち』三弥井書店2008)・「昔話を語る言葉」(石井正己編『昔話を愛する人々へ』三弥井書店 2011)

 
 







永野川2018年2月中旬

 

 

風邪が長引いてしまい、上旬の探鳥ができませんでした。

14

午後になりましたが、暖かかったので出かけてみました。

相変わらず、永野川の二杉橋付近では、ほとんど水がありません。

少し残った流れに、ダイサギ、アオサギ、イソシギ、セグロセキレイ2羽が歩いていました。アオサギが体を縮めて不自然な格好をしていたのですが、突然その辺りを飛び回り始めました。その後また突然に一声鳴いたと思ったら、もう1羽がどこかから現れ、2羽で飛び去りました。何の意味があるのでしょうか。

水は無いのですが、鳥はよく現れました。睦橋までの間の草むらで、ホオジロが2羽鳴き声と共に現れました。次に藪の隙間から鳥影が見えました。ウグイスが2羽でした。声に頼らず、姿を見られたのはトピックスと言えるかもしれません。

続けてキセキレイ2羽、イカルチドリ2羽、ツグミ1羽、暖かいせいでしょうか。

カワラヒワ:公園のワンド跡で、5羽、対岸のハリエンジュに15羽、大岩橋で12羽、赤津川で7羽、8羽、永野川高橋付近で22羽、5羽で、総数72羽になりました。

カワセミ:公園の倒れた桑の木に、カワセミが留まっていました。少しずんぐりした感じ、あるいは若鳥でしょうか。2、3分で飛び立ってしまいましたが、これもご褒美でした。

エナガ:公園で、声が聞こえましたが見えませんでした。結局、見たのは帰り道の睦橋付近で7羽でした。

カルガモ:公園の東池で31羽、西池で5羽、赤津川で44羽、いつもとは違う場所で80羽でした。

コガモ:こちらもいつもと違う場所、合流点で36羽でした。

ヒドリガモ:しばらくぶりで、公園の東池で9羽、西池で10羽と戻ってきました。

しばらく見かけなかったトビが公園で1羽、赤津川で1羽、ゆっくりと飛び回っていました。暖かな空気が感じられるような飛び方でした。

赤津川もほとんど水が無くて、田にケリが2羽、ちょうど舞い上がって白い模様を見せてくれました。

電線にいたハシボソカラスが、田の畦に向かって飛び下りたのですが、すぐそばにキジがいましたが、逃げるでもなく争うでもなく、これも不思議な関係でした。

 

暖かい空気の中、山の色が、少し笑い始めているようでした。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、イソシギ、イカルチドリ、ケリ、トビ、カワセミ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、ツグミ、カワラヒワ、シメ1、ホオジロ