まず、『屋根の上が好きな兄と私』は、賢治の二番目の妹、岩田シゲさんが七〇才を過ぎたころにお書きになった回想録です。身近な人以外にかけない、伝記としては第一級です。
すぐ下の妹トシさんには書けなかった、少し年齢の離れた、賢治にとっては「可愛い妹」が書いた記録だと思います。今まで知られなかった宮沢家の日常が、静かな語り口で綴られます。
タイトルともなった「屋根の上が好きな兄と私」では、少し秘密めいた冒険に心を躍らせる妹の楽しい時間が、空一杯の桜鳥(ムクドリの地方名)とともに描かれます。賢治が屋根に妹を残して梯子を外す、という悪戯も、普通の兄妹の普通の関係が描かれて面白く、空近くにいると考えることがあって沈黙してしまう賢治の姿も印象的です。
また、今まで知られなかった、家庭での賢治の姿が新鮮です。
賢治が自宅の庭で育てたパセリを料理屋さんが重宝したこと、そのお礼に貰った数々の美味しいもののこと、好物の鮭を貰った時、父が「賢衆(賢さん)のご馳走か」と喜んでいたこと、間違いで貰ったウナギの話など、何か身近に感じられるお話です。
また賢治が、砂糖を煮詰めるとき浮いたゴミを取るために卵白を入れることを試したり、糸から染めて反物を作る母のために媒染剤を入れてあげ、とても美しい反物に仕上がったことなど、家族を思う賢治の姿を知りました。
そして、母イチさんが、当時の家制度の中、また大店(おおだな)を支える質素な暮らしの中で、苦労を重ねながらも、なお失わなかった明るさや繊細な気持ちが描かれています。特に関西旅行での喜びや感動を素直に家族に伝える母の姿は、賢治の作品の奥にある底抜けの明るさ、透明さに引き継がれたものと思います。
大正10年の賢治の家出の後、帰るまでずっと陰膳を備え続けた母の話は、祈るしか方法のない、辛い母の姿を象徴しています。父子の宗教上の対立については、細かくは書かれてはいませんが、家中を巻き込んだ法論のあとの家出でした。
長男と言うことで、常に厳しく育てられていた賢治のことも、折に触れて描かれます。その果ての最初の抵抗、それも宗教という、人の生き方に関しての相克でした。賢治の思いの強さ、父への反発と同時に感じたであろう申し訳なさ、その葛藤は重いものだったでしょう。また政次郎氏の親としての苦悩も重いものだったと思います。
この本の監修、解説を担当された栗原敦氏が、詩「原体剣舞連(はらたいけんばひれん)」についての、父政次郎さんとシゲさんの会話を紹介下さっています。
賢治の死後、詩中の〈消えてあとない天(あま)のがはら〉を、政次郎氏が、はかない命を美しく詠っている、と褒めたので、シゲさんが思わず、賢治が生きているときに、今の一言を言ってあげればよかったのにと言うと、政次郎氏は泣き笑いの顔で「人にはそれぞれ役目があるもんだもや」といったそうです。
この本では、賢治の家、そして日常の生活を描きながら、その奥にある、その時代の家族の想いを充分に描き出しています。
もう一冊は、第158回直木賞を受賞した、門井慶喜『銀河鉄道の父』です。このごろ賢治より親の思いのほうが気になっている私は、題名に引かれて手に取りました。
冒頭に描かれる、旅先で賢治の誕生の知らせを受ける父の喜び、子どもに対面しながら内面に喜びを押し隠す姿、赤痢を患う子に体調を壊すまでに看病する姿には親の思いは溢れています。賢治の成長を見る目、そして子どもたちの成長や生活を描く眼は細かく筆致は見事で、「父でありすぎ」た政次郎の姿を浮き彫りにしています。
ただ、父と息子の葛藤や悩みについては、物足りない気がします。
賢治が法華経に帰依するきっかけとなった島地大等『漢和対照 妙法蓮華経』を読む姿に接しての父の反応を描いた場面では、まともに仏教の経典を読んでいる、という認識しか持ちませんでした。その後、日々法華経に心酔していく賢治と、浄土真宗の篤信家である父の論争は、どちらも正論で、何日も続いたことが書かれますが、その後の内面に触れることはありません。好んで息子と争う父親はいないのだ、と言う言葉のみが記されます。
賢治が、本郷の文房具屋で、「B形1020イーグル印原稿用紙」を見かけたことで、一気に創作を開始するという場面は、「小説」の山場としては最高であると思います。ただ賢治の膨大で豊かな、そしてきらめくような言葉の世界が生まれるきっかけとしては、それだけでは済まないものがあります。
また、創作が「子どもを作る代わりに」という賢治の言葉は、周囲への言い訳として意味を持つとは思いますが、それが、父のようになりたくてもなれなかったから、と言うのも強引な感じがします。実際に、賢治の膨大な作品を前にして見ると、その根源は何だったのか、謎は永遠の問題、と言う気がしてきます。
またなぜ「小説」ではなく「童話」だったのか、ということに対して、〈性格的に「大人」が駄目だった、大人同士の厳しい関係に耐えられなかった〉と結論づけるのは、事実の半分しか見ていないのではないでしょうか。
賢治は大人、社会の成り立ちなどにも、鋭い眼を向けて、時にはユーモアを持って、作品のなかに書き込んでいます。大人から逃げているとはいえないと思います。
ここでもう一冊、井上ひさし『イーハトーボの劇列車』を思い出しました。賢治作品に深い共感を寄せていた井上ひさしの喜劇作品ですが、大変象徴的に、父子の問題、社会とのつながりの問題を描いています。
第五幕「六字の称名、七字の題目」では、大正10年、法華経に心酔、国柱会に入会して家出した賢治を、政次郎が下宿先に訪ね、宗教論争を繰り広げます。父親の宗教と妥協しないために法華経を唯一の教えとする日蓮宗を選んだのだ、と言う政次郎の言葉から始まり、最終的には、喜劇的な「お題目は七文字、称名は六文字でいまわの際の人にとって称名の方が唱えやすい」、「東京ではなく、花巻をユートピアにするのが法華経の教えなのだ」という父の意見に、賢治は負けを認めてしまいます。しかし自分の勝ちを認めながら、政次郎の「これが家父長のつとめづもんだぢゃい」という声は沈んでいます。
第七幕 「あなたは何者ですか」では、大正15年(1926)12月15日(水)下宿屋上州屋(神田錦町)にいる賢治に、父親の命を受けた花巻署の刑事が、身分を隠してエスペラント語を学習するふりをして近づきます。賢治のやることを探り、羅須地人協会と労農党とのつながりを疑って、協会からも手を引かせようとします。そして、賢治の「私はすで農民なんです。」という悲鳴のような言葉を聞いて、怒ります。
「あんたが百姓だと?!、もう許さねぞ。……。百姓の見方面(づら)して「農民芸術でござい」、「花巻ユートピアでござい」と言っているだけなら不愉快は不愉快だけれどもまだ耐え(こら)えでられる。……自分(ずぶん)のごとばぬけぬけと「百姓でござい」と名乗ってるづな、もう許せねえ」
そのわけとして、地代、肥料代を考えず出来た作物は無料で配るなど、つまり百姓仕事で生活費を得ていないことを指摘するのです。
「キウ・ヴィ・エスタス?(あなたはなにものですか)」という問いに対して、賢治の「ミ・エスタス・インファーノ……私は子どもである」という台詞が用意されます。これは、ついに父の子どもであることから抜け出せなかった悲しみそのままの言葉です。
さらに「やっと花巻をユートピアにする方法を見つけたのに」と言う落胆の言葉が加わります。
賢治について、伝記、小説、喜劇と、三つの方法で描かれ作品、あらためて賢治のことを考えるきっかけとなりました。さらに作品を読み続けていきたいと思います。
テキスト
『屋根の上が好きな兄と私 宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録』
栗原敦・監修 宮澤明裕・編 (蒼丘書林 2017)
『銀河鉄道の父』 門井慶喜(講談社 2017)
『イーハトーボの劇列車』 井上ひさし(新潮社 1980)