宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2018年6月上旬

8日

9:00の時点でも以外に暑くなっていましたが、今後の天気の見通しが不明瞭なので出かけることにしました。

トピックスはカワセミとホトトギスです。

永野川で、カワセミの声が聞こえ、岸のヨシに魚を加えた1羽を見つけました。呑み込むかな、と少し待ってみましたが、咥えたまま上流に飛んで、一瞬見えなくなってしまいました。

帰路、2時間後に通るとまた声が聞こえ、今度は2羽がヨシに留まっていました。今度は2羽一緒に飛んで、少し上の、土手のヨシが少し途切れているところに消えました。よく見えませんが、穴があるようにも思えました。営巣中なのかも知れません。5月11日の記録の幼鳥は、誤りだったのかも知れません。あるいは繁殖は何度も行われるのでしょうか。

二杉橋の少し上で、かすかにホトトギスの声を聞きました。ウグイスの声にかき消されてしまいましたが、大岩橋まで行くと、鳴き続ける声がはっきりと聞こえました。今季初、昨年は聞き逃しましたので、今日はラッキーでした。

ダイサギが上空で十文字に飛び交う一瞬に遭遇しました。珍しい光景です。

スズメが10羽単位でよく群れていました。また、公園の芝生に、幼鳥が30羽くらい走り回っているのが見えました。皆、同じ方向に一斉に動くので、愉快でした。

ホオジロが睦橋の手前の土手で囀ったのをはじめとして公園2回、大岩橋で3回、とすべて囀りでした。

カイツブリは、浮巣の上に1羽が座っていたました。降りても卵は見えません。潜っていた親がビニール状の白いものを加えて巣に近づいたので、どうするのかと思ってみていたのですが、ずっと動かず、見るのを中断しました。

4日に上人橋近くで、オオムシクイより高くよく響く声を聞き、もしかしたらメボソムシクイか?と思っていたのですが、今日は聞けませんでした。ネットで、カオジロガビチョウの声を聞いてみると、何か似ています。というかだんだん記憶が薄れてしまっています。オオムシクイの声は確かだったと思いますが、その他の声は、もう一度聞かないと判断は難しく、来年を期するよりほかないかも知れません。

公園では、珍しくハシブトガラスが8羽、滝沢ハムから飛び立って、空を舞っていました。ハシボソカラスは1羽のみでした。

赤津川では、ヒバリが賑やかです。

電信柱の頂点にカワウが停まって、口を空き上空を見上げていて、電信柱と一体になっているように見えました。初めて見たシーンです。

畦にカルガモが1羽座っているのが見えました。抱卵中かも知れませんが、回りには何にもなく、とても無防備でした。

ヨシが元気に育ちはじめました。ヨシは見た目も美しく生き物の環境としても価値あるものだと実感します。

次からは、早朝出かけないと、少し辛いかも知れません。お天気と時間とをにらみ合わせて、進めたいと思います。もうムシクイには会えないと思いますが。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ,ホトトギス,イカルチドリ、モズ,ハシハボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、ヒバリ、カワセミ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ 

 

 

 








短歌に吹く風―文学の始め―(四)――ひのきの光と影

  次に風の表現が現れるのは、〈大正六年一月より〉からです。
この括りは、第一日昼、第二日夜、第三日夕、第四日夜、第五日夜、第六日昼、第七日夜、第x日という章立てがされ、430から449までが最後の一首を除いて「ひのき」を詠みこんでいます。先の稿で書いたように、既に
  
でも、ヒノキには、般若心経の一句「波羅羯諦」を言わせ、乱れ咲くケシに対比させて、偉大なものとして描いています。
 ここでも、寮の窓からの風景で、毎日、時には日に二度も詠んでいます。
 
第一日昼
430 なにげなく/窓を見やれば/一もとのひのきみだれゐていとゞ恐ろし
431 あらし来んそらの青じろさりげなく乱れたわめる/一もとのひのき    
432 風しげく/ひのきたわみてみだるれば/異り見ゆる四角窓かな
433 ひかり雲ふらふらはする青の虚空/延びたちふるふ/みふゆのこえだ
 
 
 第一日はまず、窓からヒノキを見た驚きに始まり、窓という枠の中の構図を感じ取ります。
431,432でのみ、〈風〉という語が使われますが、4首とも、風に動くヒノキの風景です。
 〈嵐〉直前の青空がいっそう不気味であるという心象も描かれます。433は青空と光を詠みこんでその中で震える姿を書き、風は全面には出ていません。
 
第二日夜
434 雪降れば/今さはみだれしくろひのき/菩薩のさまに枝垂れて立つ
435 わるひのき/まひるみだれしわるひのき/雪をかぶれば/菩薩すがたに
 
 第二日夜には、ヒノキは雪に包まれました。その静かな姿は菩薩のようでした。昨日のヒノキの姿に〈わるひのき〉という洗練されていない語が使われたのは、今の情景とあまりに違っていたからでしょうか。
 
第三日夕
436 たそがれに/すつくと立てるそのひのき/ひのきのせなの銀鼠雲
437 窓がらす/落つればつくる四角のうつろ/うつろのなかの/たそがれのひのき
 
 第三日、窓の枠に囲まれた、風もなく静かな夕暮れのヒノキの姿で、銀色の雲さえ流れています。
 
第四日夜
438 くろひのき/月光澱む雲きれに/うかがひよりて何か企つ
439 しらくもよ夜のしらくもよ/月光は重し/気をつけよかのわるひのき
 
 夜の風景で、ヒノキは黒い塊となって、月光の中で、雲に何か仕掛けているように見えます。賢治はヒノキの姿に、悪い意志を感じ取って、〈わるひのき〉と言う言葉をつかい、で牽制しています。
 
第五日夜
440 雪おちてひのきはゆるゝ/はがねぞら/匂ひいでたる月のたわむれ
441 うすらなく/月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
442 (はてしらぬ世界にけしのたねほども/菩薩身をすてたまはざるはなし
441a442月光の/さめざめ青き三時ごろ/ひのきは枝の雪を撥ねたり
 
 月夜です。月光の中で枝の雪を払い落とす瞬間を捉えています。月光は、〈月光瓦斯〉とも表現され、〈匂ひいでたる〉という共感覚的な表現を生むほど、美しく描かれています。そこでまた、世界の果てまで、その身を捨てて加護をおよぼす菩薩の姿を見ます。
 
第六日昼
443 年わかき/ひのきゆらげば日もうたひ/碧きそらよりふれる綿ゆき
 
 あらためて見ると、ヒノキは、樹齢が若く、太陽の光の中で歌っているようです。でもまた雪が降ってきました。東北特有の雪空です。
 
第六日夜
444 ひまはりの/すがれの茎のいくもとぞ/暮るゝひのきをうちめぐりゐる
 
 暮れかかる光の中で、ヒノキの根元に枯れているヒマワリを見つけます。
 
第七日夜
445 たそがれの/雪にたちたるくろひのき/しんはわづかにそらにまがりて
446 (ひのき、ひのき、まことになれはいきものか われとはふかきえにしあるらし)
447 むかしよりいくたびめぐりあひにけん、ひのきよなれはわれをみしらず
 
 毎日ヒノキを見続けてきた賢治は、ヒノキが生きて、自分と関わりのある生き物なのかもし得ないと思い始めます。でも、ヒノキはやはり自分のことは知らないのだ、と言う諦めが生まれます。
 
第x日
448 しばらくは/試験つゞきとあきらめて/西日にゆらぐひのきを見たり
 
ヒノキに想いを通わせて来た賢治は、風に揺らぐヒノキを見つめて、現実を確認しています。
 
449 ほの青き/そらのひそまり/光素(エーテル)の弾条もはぢけんとす/みふゆはてんとて
 
 そして、冬の終わりも近づき、空は静けさの中に、春の明るさを含んで弾けるようになりました。春の予感です。
 
 ここで描かれるのは、単純に風にゆられる、光の中を揺れる、雪をかぶって菩薩の姿になった、月光中のヒノキ、太陽光の中のヒノキ、ヒノキの形に命を感じる瞬間、現実世界の試験のこと、ヒノキ周辺に感じる春の予感、と様々ですが、時を追ってヒノキを見続けていた賢治の姿が浮かびます。
歌稿Aではこの「大正六年一月より」の部分は「ひのきの歌 大正六年一月」としてまとめられています。
また、寮の仲間で発行した文芸同人誌、『あざりあ 第一号』にも「みふゆのひのき 大正六年二月中」として、44〜55 12首を載せています。
 
44 アルゴンの、かゞやくそらに 悪ひ〔のき〕/み〔だ〕れみだれていとゞ恐ろし
45 なにげなく、風にたわめる 黒ひのき/まことはまひるの 波旬のいかり
46 雪降れば昨日のひるの 悪(あく)ひのき/菩薩すがたに すくと 立つかな
47 わるひのき まひるは乱れし わるひのき/雪を被れば 菩薩すがたに
48 たそがれにすつくとたてる 真黒の/菩薩のせなのうすぐも
49 窓がらす 破れしあとの 角うつろ/暮れのひのきはうち淀むなり
50 雲きれよ ひのきはくろく延びたちて/なにかたくらむ 連れ行け、よはぼし
51 くろひのき、月光よどむ 雲きれに/うかゞひよりて 何か くはだつ
52 〔雪〕とけて ひのきは 延びぬ はがねのそら/匂(にほ)ひ出でたる 月のたわむれ
53 うすら泣く 月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
54 ひまはりの すがれの茎は夕暗の/ひのき菩薩のこなたに 立てり
55 あはれこは 人にむかへるこゝろなり/ひのきよまこと なれ〔は〕なにぞや
 
 これらは歌稿A、Bを推敲したものです。ほとんどがヒノキに〈悪ひのき〉か、菩薩の姿を詠みこんだものになり、叙景、感覚的な美しさは少なくなります。 『あざりあ』は賢治にとって初めての自作の発表の場でした。賢治は、ヒノキへの感動を、いかにして知らしめようかと工夫をした結果でしょうか。  
歌稿B「第一日昼」の叙景は、
 
44 アルゴンの、かゞやくそらに 悪ひ〔のき〕/み〔だ〕れみだれていとゞ恐ろし 
45 なにげなく、風にたわめる 黒ひのき/まことはまひるの 波旬のいかり
 
となり、〈アルゴン〉という比喩も使いながら、〈悪い〉ひのきや、魔王〈波旬〉が言葉となって詠みこまれます。
〈第七日夜〉のヒノキへの深い思い入れや、戸惑いは
 
55 あはれこは 人にむかへるこゝろなり/ひのきよまこと なれ〔は〕なにぞや
 
という、観念的な表現になります。
〈ひのきよまこと なれ〔は〕なにぞや〉この言葉が、賢治の心だったのかも知れません。
 
 第五日夜の440、441 は、ほぼそのままの状態で
 
52 〔雪〕とけて ひのきは 延びぬ はがねのそら/匂(にほ)ひ出でたる 月のたわむれ
53 うすら泣く 月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
 
となって月光の美しい叙景が残されます。
 
 この推敲の中で加わった〈アルゴン〉とは、連作の日付、 (大正六年二月中)の新月の夜22日、19時に見られるは食変光星で、2.1等〜3.4等の間で明るさが変わるペルセウス座の変光星アルゴルか、と言われます。 アルゴル(algol)とは、アラビア語で「悪魔」を指しますが、ギリシャ神話では、勇者ペルセウスが首を切り落とした怪物ゴルゴンで、星座絵などにはその首の絵がよく見受けられるそうです。賢治は、ゴルゴンとアルゴルを混同してその言葉を使った、とも云われます(注1)。
 もう一つの可能性として原子番号18の元素アルゴンがあります。無色の気体で、高圧電場下に置かれるとライラック(紫)色に発色します。水銀灯蛍光灯等の封入ガス、アルゴンレーザー、アーク溶接時の保護ガス等に用いられ、ここでも光を発します。授業など何らかの場面でその光を体験したとも考えられます。
一方、アルゴンは、ヘンリー・キャヴェンディッシュが存在に気づいて100年後、1892年にレイリー卿ジョン・ウィリアム・ストラット)が大気分析の過程で発見、1904年にレイリー卿は「気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見」によりノーベル物理学賞を、ウィリアム・ラムゼーは「空気中の希ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定」によりノーベル化学賞を授与されました。賢治はまだ8才ですが、あるいはその何年後かにそのニュースを知って意識したかも知れません。
 
 ヒノキを読んだ430〜449は賢治短歌で最初の連作です。短歌の連作は、作歌のレッスン、とも捉えられます。連作は、他にも「アンデルゼン白鳥の歌」、「青びとのながれ」等があり、連作ということだけでは、賢治の関心の高さや感動を証明できないとも云われます(注2)。
また、短歌は表現が一作中に完了してしまうため、ヒノキについてのある時間の中の表現のつながりを求めての連作とも云われます(注3)。
毎日のようにヒノキを見続けたのは、やはりヒノキに感動を呼ぶ原因があったと考えられます。
 ヒノキの自生は福島以南で岩手では自生しておらず、またヒノキは生長が遅く、またヒノキ特有の病気(蝋脂病・ろうしびょう)があって、特に寒冷地ではうまく育たないので、優れた材質ながら植林は薦められない状況でした。
 しかし高等農林学校、という性質上、多くの樹木が研究目的で植えられていたのでしょう。賢治は、珍しい樹木を間近に目にして感動していたのかも知れません。
 またヒノキは木材として極めて優れたものであるのに加えて、その加工品も抗菌作用、血行促進作用などの用途がありました。賢治は、その頃そのことを学び取り、優れた樹木としてのヒノキに惹かれていたのではないでしょうか。
短歌と同時期、大正六年一月の妹トシ宛の手紙(書簡30)には
 
(前略)私もまあ、大抵学校を出てからの仕事の見当もつきました――則ち木材の乾溜、製油、製薬の様な孰れと云へば工業の様な充分自信もあり又趣味もあることですからこれから私の学校の如何に係わらず決して心配させる様な事はありません。(後略)
 
があり、工業的にも優れた材料としてのヒノキが心にあったのだと思います。
 
  賢治が、第一に心を奪われたのは、眼前の状況です。ヒノキは細かな鱗片葉をたくさんならべて、葉面を作り、それらがあつまって枝葉ユニットを大きく水平に展開します。雪が積もりやすく、風にあおられると揺れが大きくなり、大きな想像を生む形状が生まれます。
賢治が感じ取ったのは、「菩薩」とそれと真逆の「わるひのき」の姿でした。〈323 風は樹を/ゆすりて云ひぬ/「波羅羯諦」/あかき〔は〕みだれしけしの一むら〉でもそこに般若心経を感じています。
 
 先行論文では、多くが、賢治の宗教性をもつ短歌、として捉えています。(注4)。また歌壇圏外にあって、口語、文語に渡る独自の詩境を生み出し、ここでは、菩薩への思いのみが詠われた、とします(注5)
 
もうひとつの、樹木を詠んだ連作に、「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」があります。
 
759 サイプレス/忿りは燃えて/天雲のうづ巻をさへ灼かんとすなり。
760 天雲の/わめきの中に湧きいでて/いらだち燃ゆる/サイプレスかも。
 
 賢治は、雑誌『白樺』の挿絵でゴッホの絵画に触れたといいます(注6)。
これは、ゴッホの絵画「糸杉」を見ての作歌ですが、千葉一幹によれば、ひのき連作の前に、すで
に、絵画ゴッホ「糸杉」を見ていて、「ひのき」の風景に、「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」に見られるのと同様に、対象の属性をそのまま自分の感情として描いている、とします。(注7)。
秋枝美保によれば、ひのきに対していた賢治が、対象に対する感情移入がなされ、それが時にキャラクター化し、擬人化して、「われとなれ」との関係を描くうち、自然の景物に対する特異な「われ」を描き出す、とし、あくまで、賢治は主体的に対象を描いているとします。(注8)。さらに、「心象スケッチ」への移行の段階として、捉えています。(注9)。
また、別の角度では、壱はじめは、445までの叙景までで終わらず、446以降には、自分の想いをヒノキに投入したのは、賢治の意図が「短歌で書かれた物語」としての始まりを意味するとも言われます。(注10)
 
 管見した論考を下地にして、ここでは、賢治の、対象「ひのき」に触れた想いとその表現を中心に筆を進めてきました。
まず対象「ひのき」の風景を捉えたことから始まると思います。風に吹かれる乱れた姿、静止した菩薩の姿の相違に気づき、二面性を持つものへの驚愕、疑問や不安、さらに自己の中の二面性も感じて、最終的に
 
446 (ひのき、ひのき、まことになれはいきものか われとはふかきえにしあるらし)、
447 むかしよりいくたびめぐりあひにけん、ひのきよなれはわれをみしらず
 
になって、〈えにしあるらし〉〈なれはわれをみしらず〉という、自分と「ひのき」との関係性を思いますが、自分の内面を映した姿を感じ取っているのではなく、図式的、観念的なものではないでしょうか。「わるひのき」は「菩薩」に対応する言葉で、内面の感情と言うよりは、外部にある「悪」として捉えていると思います。
 窓を、絵画の枠のように捉えることはしていますが、その、対象に対する心は、「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」とは、違うと思います。
「大正八年八月より ゴオホサイプレスの歌」、絵画中の糸杉が、渦巻く雲のなかに、螺旋状になって登っていくように見える風景に、燃え上がる怒りやいらだちを感じ取ったものと言えるのではないでしょうか。この段階では、自分の心情を映すと言うよりも、ゴッホの描いた風景そのものから心情を感じ取った様に思えます。賢治が共感覚的に、風景から言葉や音を、音から色を感じ取ったのと同じものではないでしょうか。
さらに「春と修羅」での内面の修羅と〈ZYPRESSEN〉と表示される糸杉との関係は、周辺の藪や湿地に象徴される内面と対峙して、静かに並んでいる風景として描かれると思います。
これらのこと、また「心象スケッチ」への移行については、稿を新ためたいと思います。 
 
 窓から見えるヒノキになぜこれほどまでに惹かれたのでしょう。
ここに「ひのき」を菩薩にも「わるひのき」にもしているのは、風です。賢治はこのことを理解していたのでしょうか。いつもは、風を見つめ、見えない風も感じ取っている賢治が、ここではひたすら風景全体を感じ、ドラマ化していきます。それだけ風景が醸しだすものが、強烈だったのかも知れません。この捉え方については、今後藻考えていきたいと思います。
 

1加倉井厚夫HP「賢治の事務所」 「「みふゆのひのき」の星」
2 『賢治研究129』 読書会リポート(2016)
3秋枝美保「「春と修羅」と「冬のスケッチ」における表現の革新―「修羅」への階梯、「ゴオホサイプレスの歌」とゴッホ「杉(le Cypres)」 (『論攷宮沢賢治第十一号』2013)
4新間進「宮沢賢治の定形詩歌―その宗教性に触れつつ」(『賢治研究2』1969)、及川亮賢「賢治の短歌と宗教」(『宮沢賢治2』 1982)
5新間進「賢治の短歌史的位相」(『宮沢賢治12』1993
6雑誌『白樺』に掲載されたゴッホに関する記事は第二年二月号(明治44.2〜第一四年三月号(大正12・3)まで一二回にわたる。そのうち「糸杉」に関するものは以下の通り。
第二年六月(明治44年・六月挿絵「プロバンスの田舎道」
第三年一月号(明治45年1月)挿絵「シプレス」
第三年十一月号付録(大正元年11月)「ヴィンセント・ヴァン・ゴオホ」阿部次郎「若きゴオホ」「ゴオホの芸術」武者小路実篤「ゴオホの一面」、虎耳馬「ヴィンセント・ヴァン・ゴオホの手紙」などの記事
第十年六月号 (大正8年6六月)挿絵「杉le Cypres」
7千葉一幹『賢治を探せ』(講談社選書メチエ2003)
 8秋枝美保「「春と修羅」と「冬のスケッチ」における表現の革新―「修羅」への階梯、「ゴオホサイプレスの歌」とゴッホ「杉(le Cypres) (『論攷宮沢賢治第十一号』2013)
9秋枝美保「宮沢賢治 短歌から「心象スケッチ」への移行―「もの」の提示、一九一〇年代の表現革命(『論攷宮沢賢治第十二号』2014)
10壱はじめHP インナーエッセイ 「宮沢賢治の短歌〜現場への橋」
 
 







永野川2018年5月下旬

26日

薄曇りですが、風も少なくて探鳥日和です。9時過ぎでしたが出かけました。なかなか早朝探鳥は実現しません。

二杉橋西岸に、ゴイサギ幼鳥が降りていました。何年ぶりでしょうか。2012年には記録があるのですが、上空だったのか、降りていたのか、記憶が曖昧です。1羽、迷ってきたのかも知れません。

またカワセミの声が聞こえ少し待つと、やはり西岸に、成鳥1羽がヨシに留まっていて、2分ほどで上流に飛んでいきました。しばらく待ちましたがこの前の幼鳥はもう見えませんでした。

少し上で、土手の草むらから飛び立ったのがスズメとは違う感じで、双眼鏡で追ってみると、このところ珍しいカワラヒワ、1羽というのも稀なことです。

今日のトピックスは、ヒバリの幼鳥とゲンゴロウ。

赤津川の、田植えの済んだばかりの綺麗な畦で、ヒバリの幼鳥が、ずっと動かないでいました。大きさはもう大きいのに、冠毛が無く、目の辺りが、とてもすっきりしていて、他の鳥を疑いました。コウテンシの類かと、図鑑で調べましたが、ヒメコウテンシはスズメよりも小さいようです。ネットの写真でそっくりだったのはヒバリ幼鳥でした。容貌からして、とても頼りなさそうで、淋しそうでした。そしてじっと動かないのも、いっそう不安げにみえました。

しばらく双眼鏡に入れていたら、田んぼにゲンゴロウが泳いでいるのを見つけました。何年ぶりでしょうか。田で泳ぐのを見たのは、幼少のころ以来かも知れません。綺麗に澄んだ水を少し波立たせて潜水していきます。ヒバリは動きませんでしたが、ゲンゴロウは遠くへ行ってしまいました。

今日は、カルガモが1羽ずついるのが目立つ気がしました。雌はどこかで抱卵中なのでしょうか。

赤津川の、先回と同じ中程の橋の付近で、今日もイワツバメ5羽、あるいはこの橋のどこかに巣があるのかも知れません。ツバメ20羽に比べると少ないのですが、嬉しいことでした。

カイツブリが営巣を始めました。岸から遠いので、観察は難しいのですが、また訪ねて見たいと思います。今年は孵化が成功しますように。今年の公園管理はずさんなので、清掃とともに始末されないかと心配です。

大岩橋と大砂橋の中間くらいのところの林で、センダイムシクイに似た声が聞こえました。末尾の「ビー」という部分が、短く不明瞭でした。帰ってからバードリサーチにお尋ねすると、オオムシクイではないかということで、音声も送って下さいました。

確かに、「チヨチヨチヨ」(本当はジジロジジロとのこと)と繰り返して、短く「ジジ」というところは、この鳥だと思え、記録に入れさせて貰いました。初めての鳥に会えるのは本当に嬉しいことです。

公園で、雨蛙ではない蛙の声が今年も聞こえ始めました。鳥種は少なかったのですが、初めてのオオムシクイの声を聞き、ゲンゴロウも見つけました。カイツブリの幸運を祈ります。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ゴイサギ(幼鳥)、コチドリ、イカルチドリ、トビ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、カワセミ、コゲラ、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、オオムシクイ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ 

 








永野川2018年5月中旬

17日

明日からは天気が下り坂のようなので出かけることにして、9:30ころ上人橋から赤津川に入りました。

合流点付近で、ウグイス、ムクドリ、カワウ、ハシボソカラスが1羽ずつ現れました。赤津川に入っても、田植えが始まっていて、いまいち鳥は少ないようです。

カルガモもペアか、単体、数も全12羽でした。川岸で寝ているもの、また上空をペアで移動しているもの、など多様です。

アオサギがペアで田の縁に居るのが見えました。ずっとペアで移動しているので、あるいは繁殖行動中なのかもしれません。アオサギが全4羽で他のサギは見られませんでした。

カワウが多く、単体でカワを上り下りしているものが見え、3羽としました。

ツバメは2羽、3羽と飛んで全9羽でした。

 

今日のトピックスはイワツバメです。

赤津川、栃木インター近くの橋から折り返し、中程まできたとき、一瞬ツバメの尾羽の短さに気づきました。腰も白く、イワツバメでした。

もちろん今季初、しばらくぶり、と言う気がして過去の記録を辿ると、2016年6月以来でした。2015年10月には、渡りの前の40羽の群れを見ています。

あるいはもう少したくさん来ているのかも知れません。この次も見られるでしょうか。

 

滝沢ハムのクヌギ林で、規則的な人工音のようなキチキチという長く続く声を聞きました。鳴き声図鑑で聞くと、モズの警戒音に近いようでした。

 

この公園周辺で、鳥を50種も見たと言う方に会いました。アカゲラも、ウの大群も、ヒヨドリの渡りもご覧になったとのことです。定年後、毎日の散歩の時に見ているというお話で、まだそんなに長い間ではなさそうなのに、凄い味方を得た、と言う気がしました。

記録を送って受けてくれる機関があるのでしょうか。調べてみたいと思います。

 

今日はただただ蒸し暑く、周囲の植物を観察する気になりませんでした。児童遊園付近の芝生にシロクメクサの群落がたくさんあり、よい香りが漂っていました。それはそれでよいことだと思いますが、芝生なので、目障りに思う人もいるでしょう。除草剤で黒く焦げる姿は見たくありません。芝生は芝生として適切な管理をしてほしいものです。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、キジバト、カワウ、アオサギ、コチドリ、トビ、モズ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ホオジロ

 

付記

7:00ころ、家の庭で、アオバヅクの声を聞きました。10年ぶりくらいでしょうか。我が家の庭木が、今夏はまだ剪定していないせいかもしれません。もし長くいてくれるなら、庭の手入れは止めてもいいと思います。明日が楽しみです。








永野川2108年5月上旬

 

11日

悪天候が続き、前回から2週間空いてしまいました。幾分気温は低めでしたが、快晴で、9:00ころ家を出ました。早朝探鳥に切り替えようと思いつつ、朝、雨のことが多く、日が過ぎてしまい、この日この時間になりました。

二杉橋付近は雨で中州がなくなり、鳥はほとんど見えません。

取水口の辺りに、嘴が黒くて周囲が黄色いところは、マガモ雌に見える小さめのカモが、全く孤立した状態で留まっていました。最初はカイツブリかと思ったくらい、大きさはコガモ程度にも見え、謎でした。最近見た孤立した謎のカモも、この個体だったのかも知れません。

上空をゴイサギが、駆け抜けていきました。ここでは滅多に降りませんが、時折上空で見かえます。生息の条件がないと言うことでしょうか。

 

今日のトピックスは、カワセミの親子です。

行きに永野川の岸にヨシの茂っている場所で、カワセミらしい声をききましたが確認できませんでした。帰路、また声がしたので見ると、ヨシに2羽があいつで留まりました。しばらく鳴き交わしていたのですが、双眼鏡に入れる間に1羽がいなくなり戻って来ず、残されたほうはじっと留まっていました。よく見ると幾分小さめ、模様もいくらかぼやけていて、親子のペアだったようです。そういえば昨年もこの場所で、餌を与えない親の姿を見ました。あるいは巣立ちの時だったのかも知れません。

ここは冬にはヨシが消えて、土の土手になるところです。この場所で繁殖しているのなら嬉しいことです。

カワセミは、公園の池でも1羽確認できました。

 

もう一つ、昨年の九月以来見えなかったコサギ1羽、睦橋付近で確認できました。飾り羽が風になびいて綺麗でした。夏に来るのでしょうか。また一つの楽しみとなりました。

 

公園内のハリエンジュで、ツリツリという感じの声がして、探しましたが見つかりませんでした。おそらくエナガの声だと思いますが、この辺で、この季節には、珍しい気もします。

 

赤津川の田の、代掻きの終わった畔にキジ雄が1羽下りていました。肩のオレンジ色の羽が、太陽を浴びて、金色に輝いて見えました。初めて見る光景でした。

 

ツバメが少ない気がします。今日も全13羽で、時折遭うという感じです。ツバメは益鳥、多ければ豊作、と言う気がしてしまいます。

 

枝は葉で覆われ鳥の見にくい季節となりました。前回より早い時間ですが、鳥の数は少なかった気がします。ここでは時間にはあまり関係はないのでしょうか。今日は少し気ぜわしかったせいもあって、じっくり待つゆとりがなかったのかも知れません。

 

今年は、公園一帯の芝生の部分も刈り取らず除草剤(枯れ葉剤)が撒かれています。シロツメクサなど繁茂する草が黒く見苦しいですし、なんいってもこの広い面積全体に撒かれていることには恐怖を感じます。なぜ刈ると言う一手間を惜しむのでしょうか。また芝生用の除草剤(発芽抑制剤)なら、このような醜い姿をさらすこともないのです。管理がうまくいっていないのだと思います。

毎年刈り取られている土手の法面はイヌムギやスカンポ(スイバ)が伸び放題で、ここだけ刈ってないのは以前申し出たことを守ってくれているのかも知れませんが、この状態がよいとは言えません。毎年、荒れ地化が進んでいます。

ただスカンポの穂には濃いピンクとサーモンピンクと白いものがあるのを初めて知りました。グラデーションが美しかったので少し貰って帰りました。

北原白秋の童謡「すかんぽの咲くころ」(初出『「赤い鳥』1925(大正14)年7月号)には、〈土手のすかんぽジャワ更紗〉と言う歌詞があります。ジャワ更紗は、花など動植物の写生や点描などが格子や斜稿と組み合わされた細かい模様です。

宮沢賢治は18才の時の短歌に〈ちいさき蛇の執念の赤めを綴りたるすかんぽの花に風が吹くなり  と詠っています。

この季節、スカンポは 人それぞれに思いを残したようです。

 

滝沢ハム所有の草地がヨシを残して刈り取られたようで、あるいはヨシを育ててくれるのかも知れません。それは嬉しいことです。公園のワンド跡も、手を入れるならその方向で行ってほしいと思います。

 

久しぶりに行った川では緑がまぶしく、コガモもツグミも消えていました。ハリエンジュも散って、芳香に包まれることも出来ませんでした。でも川岸にはノバラが咲き、ヨシも伸び始めています。これからを楽しみに、もう少しまめに足を運びたいと思います。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、マガモ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、ゴイサギ、イカルチドリ、カワセミ、ハシハボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ムクドリ、スズメ、ハクセキレイ、ホオジロ