宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2018年8月上旬

10日

暑さが収まると台風の予兆の強風で出かけられず遅くなりました。加えて色々あって早朝にも出かけられず、9:00に出ましたが、既に暑く、鳥は極端に少なくなりました。

上人橋から入ると、昨夜の雨で水かさが増し、岸の草は緑を強めて勢いを増しているようでした。ツバメが2羽飛びだし、赤津川に入ると10羽ほどの群れが現れました。あとは2羽ずつ時々飛び計26羽になりました。ツバメはやはり夏鳥で元気なのでしょうか。

赤津川ではダイサギが上空を2羽、1羽と飛び、1羽が嘴を鳴らしながら飛んできました。

ハシブトカラスが多く、公園の池付近で6羽が鳴いて飛び回り、これだけでも不気味でうるさいものです。また高橋で若鳥らしい5羽が道路で群れていて、車がきてもなかなか動きません。でも車は待ってくれて無事でした。

ハシボソカラスは滝沢ハムの大木の頂で、1羽がじっと口を開けて停まっていたほか、クヌギ林では若鳥1羽が歩いていました。

公園の池ではカイツブリ成鳥2羽が、繁殖声をあげていました。また営巣するかも知れません。若鳥は見えませんでした。

公園の平地の低木でモズの声がしました。キチキチキチという、1羽だけの声でした。

永野川高橋脇の民家の大木でムクドリの声がするので見るとおそらく50羽以上が実を食べていました。子どものころ、ムクドリのいるのはムクノキと思っていましたが、今度もう一度確かめてみます。

今年は木の実が豊作のようです。滝沢ハムの林では、昨夜の風でクヌギ、エゴノキが若い実を落としていましたが、まだたくさんありました。

ウグイスは定位置で鳴いていますが、声の数は少なくなりました。

もう、ツクツクホウシが鳴き始めました。ここは我が家よりも一足早いようです。

次はなんとかよい時間を取って、ゆっくり鳥たちにも会いたいと思います。

 

鳥リスト

カルガモ、カイツブリ、ダイサギ、アオサギ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ホオジロ 

 








永野川2018年7月下旬

26日

上人橋付近を通ったら、カワセミが1羽、遡って行きました。ここは最近まで少し規模の大きい護岸工事をやっていたのですが、川底が平らになって浅瀬を作っています。この浅瀬にはカルガモの群れ、アオサギも常駐している感じです。

近くの山林からヒグラシの声が聞こえました。この地に住んでから初めての聞く気がします。

 

27日

明日からは下り坂の予報で、この時間しかとれなかったので9:30出発しました。

あまり暑さは感じません。

涼しいうちに日陰のない赤津川を廻った方がよいと思い、上人橋から入りました。全く鳥の気配はなく、河川敷の草も一部枯れが出ているような感じでした。ツバメが1羽、すっと飛びました。少し行くと電線に3羽並んで留まっていました。おそらく若鳥かと思います。

アオサギが合流点手前の草むらに潜んでいました。アオサギが多く8羽になりました。公園の1羽は頭に飾りバネをつけていました。また1羽が大きな声で鳴きながら飛んでいって、また体も大変おおきく見え、密かにコウノトリを期待してしまいました。

赤津川は水がほとんどありません。

トビが久しぶりに舞いました。滝沢ハム近くでも1羽、高橋付近でも1羽、計3羽となりました。大岩橋付近の山林から、久しぶりにノスリが舞い上がりました。反対方向に飛んで行ってしまったのですが、白っぽい羽に、黒い斑紋が見えました。今日はワシタカは狩りが忙しかったようです。

公園の西池で、成長したカイツブリのヒナ1羽を見つけました。もう大きさは成鳥並みですが、顔には、まだら模様が見えました。もう1羽は、育たなかったのでしょうか。成鳥が、東池と、合流点に見え計3羽となりました。

公園の川で、小さなヒナ1羽を連れたカルガモを見つけました。遅い孵化だったのでしょうか。この大きさで見られたのは初めてです。前にも書きましたが、今年はカルガモがよく育って、あちこちで6羽、5羽の群れを見て、計29羽となりました。

公園のワンド跡の丈の高い草に、ホオジロのヒナが1羽留まっていました。以前は一瞬で見えなくなったのですが、今日はしばらく停まっていてくれました。ホオジロの特徴の過眼線などがうっすらと現れ始め、小さな脚で懸命に羽繕いをしているところに、降り注ぐ太陽光が可哀想に思えました。ホオジロの囀りは大岩橋上で一度聞いたのみでした。ウグイスはまだ3カ所で囀っていましたが、一時よりめっきり少なくなりました。季節は廻って行くようです。

公園の川の近くで、ムクドリ15羽の群れが頭上を行き過ぎた、と思ったら、次に100羽プラスの群れが一瞬に通り過ぎてしまいました。

二杉橋近くで、水の減った浅瀬で、久しぶりにコサギ4羽とチュウサギ2羽の群れを見ました。繁殖が終わってコロニーから離れたものだろうということです。

時間も遅く、鳥種も少なかったのですが、いろいろな鳥の季節の変わり目を見たような気がします。

 

鳥リスト

カルガモ、カイツブリ、キジバト、コサギ、チュウサギ、ダイサギ、アオサギ、ノスリ、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ 








永野川2018年7月中旬

17日

:30出発、先日より、幾分過ごしやすい朝です。

大岩橋付近の山林から、ワシタカだと思われる聞き慣れないピョーと言う感じの声を聞きました。ヒヨドリよりも規則的で、声の大きさはヒヨドリほどと思われ、大きさも多分同じくらいなのかと思います。語尾がピョピョピョピョと変化する感じでした。

帰って鳴き声図鑑を聞き、他の図鑑で文字で書いた鳴き声を見て、ツミと確信できました。今年、庭で確認したとき大きさもヒヨドリくらいでした。鳴いている姿が見えればいいのですが、山林への入り口もよく分りません。バードリサーチのお話では、今雛の巣立ちの時期で鳴き声も盛んに聞こえるとのことでした。どちらかというと親鳥の苦労を思ってしまいます。

二杉橋では、昨夜の雨で少し水かさが増して、カルガモが12羽泳いでいました。カルガモは多く、公園の中の11羽の親子をはじめ、もう親子の大きさがほとんど同じくらいになった10羽前後の群れが赤津川の田、その他で見られ計53羽になりました。

ウグイスほとんどが囀りで、8カ所で聞こえました。

ツバメは、帰り際の7時過ぎに増えだして、赤津川で10羽の群れ、イワツバメも3羽混じっていて、計24羽になりました。

睦橋近く、水中で羽を干すカワウが1羽見られましたが、1、2分で泳ぎ出しました。以前見たものは、川を往復してくる間1時間ほどそのままのものもいました。

池のカイツブリは巣立ちしてどこかに移動したようで全く見えませんでした。赤津川で別の1羽がいましたが、岸の茂みの中に1羽潜んでいるようで、あるいは、繁殖を始めるかも知れません。

全体に川の中州に草がたくさん茂ってきました。何か鳥に会えそうな気がしますが、よく見えないと言う部分もあります。

先週のハグロトンボに続いて、今季初めて、アキアカネのオレンジ色タイプか、と思うものがみえました。地域としてはもっと赤いものが見えるのかも知れないのですが、あまり知識が無くはっきりしません。

もう少し頑張って暑さを乗り切り、秋を待ちたい気分です。でも夏の鳥にももっと会っておきたいですね。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、アオサギ、ツミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、イワツバメ,ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ 

 








永野川2018年7月上旬

10日

5:30ころ家を出ましたが既に蒸し暑くなっていました。

今日はカルガモ情報です。

公園の川で、ヒナ9羽を連れたペアに会いました。もう体長は親の4分の3ほどになっていましたが、綺麗に隊列を組んで進んでいきます。永野川でもあまり大きさの違わない5羽の群れ、赤津川でもヒナ3羽つれたペア、2羽連れたペアなど、今年はみな順調に育っているようでうれしいことです。総数33羽になりました。

カイツブリは、池では繁殖声が聞こえましたが、姿は見えませんでした。池の浮き草が取り払われ、もしまた繁殖するようであれば、見やすくなるかも知れません。赤津川の合流点の少し上でも単独の個体を見つけました。

二杉橋の電線にキジバトが3羽、ここではちょっと珍しい光景です。

ツバメ、多分ヒナと思われるものが5羽、第五小近くの電線に留まっていました。そろそろヒナが巣立ち始めたのでしょうか。

二杉橋付近のウグイスがいつもと違って、警戒声を繰り返しているもの目立ちました。もうそろそろ繁殖を終えているのでしょうか。

しばらく見えなかったセグロセキレイが二杉橋から上人橋までに4羽、赤津川で3羽、公園でも1羽、ハクセキレイも2羽、と増えてきました。雨があまりひどくなく水位も上がっていないためかもしれません。

赤津川の田ではほとんど田植えが終わりましたが、ヒバリは相変わらず鳴き続け、水耕の終わった田に、イカルチドリが3羽、セグロセキレイと共に、餌を採っていました。

ホオジロはあちこちで囀って、声だけのものも含めて8羽になりました。

上人橋付近で、久々にカワウ1羽水中にいました。

ダイサギが1羽、公園の川にいて、嘴を確かめようと近づく度に少しずつ逃げられ、果たせませんでしたが、顔の感じとしてダイサギと思います。

大岩橋付近で、ハシボソカラスが2、3羽ずつ群れていました。滝沢ハム付近では巣立った幼鳥と見られるものが4羽、この辺はハシボソカラスの生息域のようです。

赤津川ではアマガエル以外の蛙の声が聞こえました。少しネットで聞いてみるとトノサマガエル、トウキョウダルマガエルに似ていました。

公園ではアブラゼミに加えてミンミンゼミが鳴いていたのには驚きました。今年はニイニイゼミも聞かずに過ぎたようです。

ヤブカンゾウは半ばを過ぎましたが、公園の土手の法面にたくさん咲いていました。

葛の蔓も目立ってきました。クズは有害とも言えますが、在来種であり、花も美しく蔓も利用できます。ヨシも綺麗に伸びてきました。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、アオサギ、イカルチドリ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ 








短歌に吹く風―文学の始め―(五) 輝く風、雨空の風――ドイツトウヒとサクラ――
  「大正六年四月」の括りは、短歌数も多く、自然詠で風とともに光を詠みこんだものになっています。風を詠う短歌はここでも樹木を詠みこんでいます。
 
一、ドイツトウヒ
 
461わがうるはしき/ドイツたうひよ(かゞやきのそらに鳴る風/なれにもきたれ)
461a462わがうるはしき/ドイツたうひは/とり行きて/ケンタウル祭の聖木とせん
 
 〈ドイツたうひ〉は、マツ科トウヒ属針葉樹オウシュウトウヒの別名ドイツトウヒです。ヨーロッパ原産の針葉樹で、日本には明治時代の中頃移入されました。50メートルにも達する高木で、円錐形の樹形が美しく公園や庭園に植えられ、クリスマスツリーにも使われます。
 高等農林学校創設当時から、本館周辺は、外国産のトウヒ類やモミ類を主体にした常緑針葉樹に包まれた景観を目指していました。賢治は在学中、その発達していく円錐形を見ていたと思われます。
 〈わがうるはしき〉という形容は、修辞としては平板で大仰なのかも知れませんが、賢治の樹木への想いを強く感じます。その大仰さを受け入れるのが〈(かゞやきのそらに鳴る風/なれにもきたれ)〉という語句で、大切なものに、自分の感じる最も素晴らしい〈風〉を送りたいと言う気持ちが溢れています。
 さらに〈ケンタウル祭の聖木とせん〉とその想いは膨らんでいきます。
 
 「ケンタウル祭」といえば思い浮かぶのは、1924(大正13)年成立の「銀河鉄道の夜」初期形第一次稿から最終形までに登場する、カンパネルラとジョバンニが銀河の旅の途中で見た風景です。
 
「ケンタウル露をふらせ。」いきなりいままで睡ってゐたジョバンニのとなりの男の子が向ふの窓を見ながら叫んでゐました。
あゝそこにはクリスマストリイのやうにまっ青な唐檜(たうひ)かもみの木がたってその中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の螢(ほたる)で も集ったやうについてゐました。 「あゝ、さうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」 「あゝ、こゝはケンタウルの村だよ。」カムパネルラがすぐ云ひました。
 
また、初期形第三次稿から書き加えられる地上での場面で、子どもたちが繰り広げる七夕を思わせる行事〈ケンタウル祭〉の描写には
 
「ケンタウルス、露をふらせ」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、楽しさうに……
 
が登場します。ここでのみ〈ケンタウルス〉の語が使われます。〈ケンタウル祭〉はケンタウルス座の祭で、星座の人物、ケンタウルスが露を降らせると言う設定を感じます。
 
 この語の初出は、この大正六年の短歌です。賢治がこの「祭」を創造したのは何故だったのでしょう。「「銀河鉄道の夜」を発想した時期に書いたものか」(注1)という説もあり、発想の時期を特定できれば、それは納得できる理由となります。
 〈ケンタウル〉は上半身が人間で下半身が馬という、ギリシャ神話に登場するケンタウルス族の姿を表した星座から取っていると思われます。宇宙情報センターHPによれば、この星座を日本で観測できるのは、5月〜8月の約4ヵ月間で、見頃は春、6月上旬に20時に正中するとのことです。
 花巻では、8時頃に南あるいは南西、銀河が地平線で南に流れる北上川と交差する所に、上半身の部分だけが現れ、賢治がその頃の祭の名前として選んだのではないかと言われます。(注2)
 また仏教の教えでは、仏教が流布する以前の古代インド鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが、釈尊に教化された、八種の天部、天,竜,夜叉乾闥婆 (けんだつば) ,阿修羅迦楼羅 (かるら) ,緊那羅 (きんなら) ,摩ご羅伽 (まごらか) があり、ケンタウルスと同じ半人半獣の「緊那羅」「緊那羅(きん なら)」(梵名:kimunara)、乾闥婆(けんだつ ば)」(梵名:ガンダルヴァgandharva、迦楼羅 (かるら) garudaも存在します。また、「ケンタウルス座」が位置する方位には,仏教の護法善神である「閻魔天」や「羅刹天」 がいて,それぞれ「聖」なる水牛や獅子に乗り,そ の姿はキメラの怪人に似ているとする説もあります。(注2)。
 天体と仏教の世界と両方に知識のあった賢治が、〈聖なる〉存在として意識して、自らの「祭」としたのでしょうか。賢治が誰かと「ケンタウルス祭」を祝ったという事実が見つかれば面白いのですが、管見した限りではありませんでした。
 一方、ギリシャ神話では、星座の馬人の名はフォーローといい、仲間がヘラクレスの放った毒矢に射られた時、それを助けようとして誤ってその矢で自分を刺し命を落としました。大神ゼウスはフォーローを悼んで星座としたのがケンタウルス座だといいます。この話を賢治が知っていたら、大正6年の段階でも感激したかも知れませんし、人のために命を落とす、という、「銀河鉄道の夜」の発想に関係するかも知れません。
 星座には関係なくギリシャ神話の半人半馬の怪物ケンタウロスのドイツ語読みケンタウルスを、祭の名に用いたものであるとする説もあります。盛岡高等農林学校で馬の飼育管理とドイツ語を学び、また馬産県岩手に育って馬への関心の強かった賢治が、馬を祝福することで春の農耕の始まりに豊饒を祈るドイツにもある風習を学び、さらに人間の上半身と馬体の下半身をもつケンタウルを、理性と本能的欲望との葛藤に悩む自分になぞらえ、若い男性としての高揚感をケンタウル祭と表したとします(注2) 。ただ、筆者の私感ですが、賢治が理性と本能的欲望との葛藤を感じたとすれば、もっと否定的な感情となると思われ、この歌にあるような高揚感に至ったかと言うとそれは疑問です。
 賢治がキメラ――ギリシャ神話に登場する頭がライオン、胴体が山羊、尾が蛇、という神――転じて複数の遺伝情報を持つ細胞からなる個体、さらに二つの性状を具有する個体―に関心があった事は、その後の詩などにも明らかです。「犬」(『春と修羅』)、〔はつれて軋る手袋と〕(「春と修羅第二集」)では、含まれる二つのものの葛藤を描いていますが、この短歌で感じるのは、爽やかな感情で、もっと外面的な明るさ、輝き、そして、ある種の「聖性」です。その意味では、「銀河鉄道の夜」の場面と、昼と夜の違いだけであまり変わらない気がします。
 〈聖木〉は、既にあったクリスマスツリーの概念と同じものだと思います。モミやトウヒなどがクリスマスと関係してくるのは、カソリック教会がゲルマン人にキリスト教を布教するために,樫などの樹木を崇拝するゲルマンの土着信仰を利用して、キリスト教の「祭」の中に「唐檜」や「もみ」を「クリスマスツリー」として取り入れたことによるといいます(注2)。
 この短歌で一番賢治が言いたかったのは、実際に目にした、風の中に堂々と揺れる緑のドイツトウヒへの感動で、それを表そうとした言葉が〈聖木〉だったのではないでしょうか。それを心の中で作り上げていた「ケンタウル祭」のための樹木としたのだと思います。
 
二、サクラ
 
472花さける/さくらのえだの雨ぞらに/ゆらぐはもとしまれにあらねど。
473さくらばな/日詰の駅のさくらばな/風に高鳴り/こゝろみだれぬ。   
473a474焼杭の柵にならびて/あまぞらを/風に高鳴る/さくらばななり
473b474あまぞらの風に/高鳴るさくらばな/ならびて黒き/焼杭の棚
473c474あまぞらの風に高鳴り/さくらばな/あやしくひとの/胸をどよもす  
474さくらばな/あやしからずやたゞにその/枝風になりてかくもみだるは
  
 日詰駅は、紫波郡志波町北日詰字八反田、東北本線、石鳥谷駅と紫波中央駅との間にあり、1890年開業、1908年国有化、2004年盛岡駅管理の業務委託駅となっています。
 史料はありませんが賢治の片恋の相手とされる女性―賢治が中学卒業時入院していた岩手病院の看護婦―の出身地が日詰でした。その説に基づいて2010年、駅前に「さくらばな/日詰の駅のさくらばな/風に高鳴り/こゝろみだれぬ。」の歌碑が建立されました。
 日詰駅舎は1975年ころまで開業当時のものだったそうです。現在の駅前には桜はありませんが、歌碑の建立時の岩手日報の記事によると、駅前在住の方のお話として、60年くらい前には、ホーム沿いにきれいな桜並木があったとのことです。
 
賢治の短歌に、その恋が現れるのは、「大正三年四月」の括りの三首です。
 
92 まことかの鸚鵡のごとく息かすかに/看護婦たちはねむりけるかな
112 すこやかに/うるはしきひとよ/病みはてゝ/わが目 黄いろに狐ならずや
175 君がかた/見んとて立ちぬこの高地/雲のたちまひ(まま) 雨とならしを
 
 175の背景は、花巻市の胡四王神社の高みから、日詰方面を展望したものと思われます。さらに晩年制作の文語詩「丘」(文語詩未定稿)には
 
森の上のこの神楽殿
いそがしくのぼりて立てば
かくこうはめぐりてどよみ
松の風頬を吹くなり
 
野をはるに北をのぞめば
紫波の城の二本の杉
かゞやきて黄ばめるものは
そが上に麦熟すらし
 
さらにまた夏雲の下、
青々と山なみははせ、
従ひて野は澱めども
かのまちはつひに見えざり
 
うらゝかに野を過ぎり行く
かの雲の影ともなりて
きみがべにありなんものを
 
さもわれののがれてあれば
うすくらき古着の店に
ひとり居て祖父や怒らん
いざ走せてこととふべきに
 
うちどよみまた鳥啼けば
いよいよに君ぞ恋しき
野はさらに雲の影して
松の風日に鳴るものを 
 
とあり、大正三年の短歌と同様の想いが明確に表現されています。
 
 その女性の縁の駅ということで試みに日詰駅を降りてみた、と仮定しても、駅ではサクラが咲き風に乱されていました。〈ゆらぐはもとしまれにあらねど〉には、それに当惑する賢治の姿が感じられます。大正三年の短歌のようなひたむきさは感じられません。風はサクラの風景をさらに複雑にするものでした。 
 その後、賢治が描くサクラから感じられるのは、七八〔向ふも春のお勤めなので〕(「春と修羅第二集」)の〈蛙の卵のやうだ〉という感情と、〔或る農学生の日誌〕に見られるような、月並みなサクラ賛歌への反発でした。また「土神ときつね」の〈樺の木〉は東北ではサクラを意味します。賢治にとってサクラは性を意識させられる存在でもありました。また桜色、石竹色も性のシンボルとして使われました(注4)。
 この短歌群と関連が感じられる、「風桜」(文語詩稿五十篇)にも、風雨に揺らぐサクラの風景の中に、様々な性を意識した言葉が組み込まれています。
 
風にとぎるゝ雨脚や、     みだらにかける雲のにぶ。
 
まくろき枝もうねりつゝ、   さくらの花のすさまじき。
 
あたふた黄ばみ雨を縫ふ、   もずのかしらのまどけきを。
 
いよよにどよみなみだちて、  ひかり青らむ花の梢。
 
 賢治を誘惑する存在となった雨雲(注5)、〈すさまじき〉と表現されるサクラ、繁殖行動を感じさせる鳥の動き、短歌では漠然としていた思いを集約し、一つの時代を詠った文語詩となったのだと思います。
 
 三年経てば、片恋の想いは心の中で膨らみ、また変形していて、もはや雨空に鳴るサクラのように〈あやしく〉、〈胸をどよもす〉という漠としたものになってしまったのかも知れません。あるいは、この女性とは全く関わりのない感情で詠まれたものかも知れません。
 ここで〈焼杭〉と取り合わせた歌が二首あります。腐食防止に木材を焼いたものと思います。駅周辺に線路侵入を防ぐために杭が並んで打たれ、サクラが植えられている風景は、よく目にするところです。
 何故、焼杭の印象が強かったのでしょうか。あるいは、その黒さが花の色の中に突出して感じられたのかも知れません。「風桜」にも、〈まくろき枝もうねりつゝ、さくらの花のすさまじき。〉と、風景の中の「黒」が印象的です。サクラを動かしている「何か」なのか、あるいはサクラを支えている黒なのか、いずれにしても賢治の心の中の揺れるサクラに拮抗している色と存在なのかも知れません。また考えてみたいと思います。
 

1「読書会リポート」(『賢治研究129』 宮沢賢治研究会 2016、7)
2石井竹夫「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する聖なる植物(中編)」
(『帝京平成大学薬学部人植関係学誌 資料・報告』 2014)
3米地文夫「宮沢賢治が創った「ケンタウル祭」の由来と意義ー短歌や「銀河  
     鉄道の夜」とドイツ語・ドイツ文化との関わりをめぐって」(岩手  
     県立大学総合政策学会編『総合政策 』2009、12 )
4大塚常樹「桃色の花の記号論」(『宮沢賢治 心象の記号論』 朝文社  
     1999)
5「一〇七二県技師の雲に対するステートメント」(「春と修羅第三集」)、〔その恐ろしい黒雲が〕(「疾中」)など

参考文献
 信時哲郎「36風桜」(『宮沢賢治「文語詩稿五十篇」評釈』 朝文社   
     2010)
 小林俊子「風桜」(宮沢賢治研究会編『宮沢賢治 文語詩の森 第三集』 柏 
     プラーノ 2002)