宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2018年10月中旬

永野川緑地公園、ビギナー探鳥会のお知らせ

 日時 12月22日() 9時集合 11時解散 
                       申込不要、雨天中止

 集合 栃木市岩出町 永野川緑地公園西駐車場
                     (栃木工業高校  西)

 問い合わせ 日本野鳥の会栃木県支部
  
пG028−625−4051(火・木・金9〜16) 

     Mail;wbsj-tochigi@nifty.com
 
または事務局ホームページをご覧下さい。

 セキレイ類、カワセミ、カイツブリ、カワラヒワなどのほか渡ってきたツグミ、シメなど。うまくいけばカルガモのほかにヒドリガモ、ヨシガモも見られます。

 

17日

天気予報が外れて良い天気になりました。予定していた金曜日が雨のようなので、11時に時間を取って出かけました。

風が強く北西の空が真っ黒な雲で覆われ迷ったのですが、太平山が全部綺麗に見えていたので、少し気を強く持って決行しました。

太平山予報は的中し、二杉橋に着いた時は黒い雲もなくなっていました。川の水は綺麗に澄み水かさもあったので、カルガモが元気に泳いでいました。12羽の群れが最大ですが、大きい群れが多くて全体で57羽になりました。

コガモはカルガモに混じって3羽発見しました。まだ増えてきません。ヒドリガモはいなくなっていました。

今日のトピックスは、今季初カワラヒワです。

睦橋付近で、7羽の群れが岸から岸へ行ったり来たりしていました。スピードがあって1羽1羽の模様を眺められませんが、その軽い動きと小さな声はこの季節のものです。その後も群れでの移動が多く、18羽、12羽、で37羽になりました。

キセキレイが、合流点の堰の上をなぜか危なっかしく横切っていましたが、赤津川のほうに飛び去ってしまいました。セグロセキレイも永野川、公園、大岩橋などあちこちで見え6羽になり、ハクセキレイは公園の芝生で2羽、ここで見られる全部の種類を見ることが出来ました。

モズは電線や、梢などで4羽が鳴いていましたが、はっきり姿を見せたのは赤津川沿いの電線のみで、これは高鳴きといえる声でした。

二杉橋付近でカイツブリ、赤津川でバン、どちらも1羽ずつ、豊富な水の上ではとても小さく見えました。

カワセミは公園の東池の岸にいたのが目の前を横切ってきえました。また赤津川でも川を遡っていくのが見えました。一瞬の青い光です。東池は浮き草が繁茂して水も汚れていますが、必ずしも清流にいないのがカワセミで、そのために皆の憧れになるのでしょう。今年ももうじきビギナー探鳥会ですが、この会だけに足を運んで下さる方の前に現れてくれることを祈ります。

公園の秋咲きのサクラが咲いていました。これは台風のための狂い咲きではなく、れっきとした今咲く桜です。5本のなかの3本の元気がなく心配です。ただでさえ公園の外れに、あまり顧みられずひっそりと咲く桜ですから、どうか元気でいてほしいと思います。

桜の葉は、ほとんど散りました。ほかの木でも鳥が姿を見せてくれるのももう少しです。

 

鳥リスト

カルガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、アオサギ、バン、イソシギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒヨドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ,ホオジロ

 

追記

18日朝、住宅地の我が家の庭にジョウビタキが今季初飛来しました。

我が家を縄張りにしてしばらくいてくれるので楽しみです。

 








「石と賢治のミュージアム」(一関市東山町松川)を訪ねて

石と賢治のミュージアム」の主催で毎年行われる「グスコーブドリの大学校」は、とても充実した内容で、参加したいと思いながら、日程や体力などを考えて望みが叶いませんでしたが、一人でも短時間でも、「石と賢治のミュージアム」だけなら行けると思い立ちました。また昨年お亡くなりになった斎藤文一先生のご蔵書が寄贈され閲覧可能であることを知ったのもその大きな理由でした。

 

 この地で長く農村改革の思いを発信していた鈴木東蔵氏は、大正13年土地改良材としての石灰石粉を製造する「東北砕石工場」を創業しました。賢治との関わりは、昭和4年、東蔵氏が製品の改良のための相談に、病床の宮沢賢治を訪ねたことから始まります。共に農村の救済を目指していた2人は、以後往復書簡を交わします。

昭和6年2月、病癒えた賢治は、「東北砕石工場」に技師として就任します。炭酸石灰の販売や斡旋のために、パンフレットの作成や商品の命名、重い見本を持ってのセールス活動などに従事し、同年9月に主張先の東京で倒れるまで続きます。

「石と賢治のミュージアム」は陸中松川駅近くのゲートから始まるトロッコ道と「太陽と風の家」。旧東北砕石工場を主な施設として、平成11年4月に開館しました。

きっかけは、東山町が平成6(1994)年〜8(1996)年、「宮沢賢治・みちのくフォーラムin東山」を開催し、平成7(1995)年10月に『グスコーブドリの町』を宣言したことです。加えて、平成6(1994)、「東北砕石工場」が東山町に寄贈され、平成8(1996)年に産業分野の近代化遺産として登録されたこともありました。賢治と東蔵氏の農村にかける思いが、東山町及び「東山賢治の会」に引き継がれ、結実したのだと思います。

 

斎藤先生と「石と賢治のミュージアム」との繋がりは、「石と賢治のミュージアム」立ち上げに携わった吉成信夫さんが、平成11 (1999)年、斎藤先生に「第一回グスコーブドリの大学校」の講演を依頼されたのが最初でした。先生はその講演で、東山のエネルギー、精神、風土に惹かれたとおっしゃられたそうです。その後、賢治が全精力をかけて活動した東北砕石工場のある東山町こそが賢治を勉強するのにふさわしい場所だとして、ご自分の全資料・書籍の寄贈を町に申し出られました。それを受けて、平成15(2003)年、斎藤先生のご蔵書5000冊と東蔵氏のご子息鈴木實氏のご蔵書3000冊を所蔵する「双思堂文庫」が開館しました。「双思堂文庫」の名前は、「農民救済」、「みんなの幸せ」に賭ける、宮沢賢治と鈴木東蔵氏の2人の想いと、図書を寄贈くださった斎藤文一先生、東蔵氏のご子息實氏お2人の賢治への思慕に由来するものです。

 

 今から50年近く前だったと思いますが、賢治がまだマイナーだったころ、斎藤先生の小さな記事が新聞に載りました。賢治作品と科学的な事象との関係を述べられたもので、そのような作品へのアプローチを私は初めて知り、それ以来先生は私の秘かな目標となりました。でも斎藤先生は遙か雲の上の存在で、実際には読んだご著書も2冊のみ、晩年になられてから一度だけご講演をお聴きしただけで、ご業績に近づくことなど出来ませんでした。

後に見つけた、私の大好きな童話「十力の金剛石」についてのご論文、「「十力の金剛石」――「黙示録」風の光のヴィジョン――」(『国文学解釈と鑑賞61−11』(至文堂 1996年10月)では、主題となる露の輝きに、水の科学的変化と仏教の「一切衆生悉有仏性」の融合を説かれ、私のこの作品への想いが、一層明確なものになりました。 

 

初めて乗る大船渡線はかなり混んでいたのに、最寄り駅の陸中松川で下車したのは私一人でした。 賢治が通っていた当時は、石灰の輸送や従業員の足も列車で、もっと活況だったのでしょう。少し離れた山には石灰を切り崩した山肌が見え、いくつかの石灰関連の事業所が点在していますが、山並みに包まれて、ひっそりとしていました。

 陸中松川駅は無人駅の上、人影も全く見えず、ミュージアムへの道を聴くこともできませんでしたが、少し離れて所に小さな目印と入り口ゲートがあり、枕木を模した道が続いているので辿っていきました。途中に「蛙のゴム靴」をイメージした彫刻や、「月夜のでんしんばしら」、クワガタ、アンモナイトなどのオブジェ、「太陽と風の塔」など、青い空に溶け込んで、もう賢治の世界でした。

 ミュージアムの中心部「太陽と風の家」では、いつも「グスコーブドリの大学校」に参加している友人が、前もって知らせてくれていたので、館長さんがご案内下さいました。

展示室では東北の気候や農村の貧困、それを石灰によって解決できると信じた賢治や東蔵氏の熱い想いを感じることが出来ました。

化石展示室では、東山町内で採集された鱗木や日本最古のアンモナイト、世界の化石など豊富な収集品があり、一部を除いて触れることもできます。身近にあったという豊富な化石は、賢治の土や地球に対する強い想いにつながっていったのだと思います。

紫外線で光る石、音の出る石、その他岩手県以外からも幅広く蒐集した美しい鉱石の数々、知識は無くても美しさだけでも圧倒されます。職員の方々の賢治や石に対する深いご見識と情熱を感じました。

 

 「双思堂文庫」は一部を除いて開架式で手に触れる事ができる、というのも希有なことです。斎藤先生のご蔵書は、ご専門の科学書はもちろん、賢治研究書、仏教関係書、賢治の本棚にもあったという『化学本論』、また美術雑誌『みすず』、「月面着陸」や「オウム真理教」関係のスクラップなど、その幅広さに圧倒されました。

 賢治の高等農林学校時代の同人誌『アザリア』のガリ版刷のコピーに初めて触れて胸が熱くなりました。また、なかなか目にすることが出来なかった、賢治研究誌『イーハトーボ』のコピーもありました。 

そのほか、東蔵氏あての賢治の書簡や「雨ニモマケズ」手帳も、高品質コピーで見ることができます。蒐集、保存にかける職員の方々の姿勢に心から敬服いたします。

 

 その後の予定もあって2時間ほどで失礼しました。心に残る暖かさや宝石の輝きは、農村のために命を賭けた賢治や東蔵氏、その想いを引き継いだ東山町、東山賢治の会、ミュージアムの職員の皆さんの想いなのだと思いました。

付近の山から、まだ私の居住地では聞けないカケスの声がしました。今度はもっとゆっくりと、双思堂文庫の本を読み、化石や宝石を見て、賢治も歩いたはずの工場跡や周辺の石灰の山、砂鉄川の水辺も歩きたいと思います。

 








永野川2018年10月上旬

8日

出かけに小雨が降ってきたので、出直して10:00になってしまいました。

二杉橋では水の量は豊かでしたが澄んでいました。昨日は気温30度超、夏のような気分でしたが、河原の草むらは秋の気配、幾分勢いを失って、中に何かいれば見えそうです。

カルガモが、まず7羽、その後、上人橋までの間に、10羽くらいの群れで46羽になりました。セグロセキレイ、ハクセキレイもペアで時々出てきます。

今日のトピックスは、今季の初めてさんたちです。

睦橋下の護岸にカルガモに混じって小ガモ2羽、雌ではなくエクリプスのようです。

公園の西池にヒドリガモ雄1羽、カルガモ2羽と一緒でした。どうやって合流したり離れたりしているのか毎年不思議に思います。或いは街中の公園に行っているものもあるのかも知れません。反対に帰り遅れたツバメが1羽、くり返し水面をかすめては飛び上がっていました。或いはほんとうにこれで今季最後のツバメかもしれません。

大岩橋の少し上の林から、今季初カケスの声が聞こえました。

少し前にも幼鳥を見かけましたが、滝沢ハム近くの桜並木で、エナガ7羽が、ツリツリという声とともに移動していきました。

チュウサギの大きな群れは姿を消し3羽のみ、ダイサギは孤立して4カ所で見られました。

ヒヨドリも群れで動いていました。高橋付近で15羽+の群れ、赤津川では30+の群れが飛び交っていたほか、2羽、6羽、9羽と必ず鳴きながら飛んでいます。

赤津川で、カワセミが河畔の草に留まっていましたが、ゆっくり見ようと自転車を止めて間もなく飛び去ってしまいました。一瞬のご褒美でした。

花は季節を追ってどんどん変わって行きます。先日見た花々は姿を消し、ノコンギクの仲間が、紫、白、薄紫とあちこちで咲いていました。桜はそろそろ葉を落としはじめ、もうじき鳥たちの姿を見せてくれるでしょう。

 

鳥リスト

カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、シジュウカラ、ツバメ、ヒヨドリ、エナガ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ,ホオジロ








永野川2018年9月下旬

28日

愚図ついていた天気がやっと晴れて、風もない探鳥日和です。9:00に家を出ました。

二杉橋付近は、雨が続いたため水量が増え、ほとんど中州は見えません。

カルガモが7羽の群れが浮いていました。その後2羽の姿が多く、高橋上の岸辺の14羽が最高で47羽になりました。

カルガモと一緒にイソシギが見えました。その後、公園と合流点で1羽ずつ、全部で3羽、この頃では多い方です。

公園の川で、一瞬ホバリングしているものが見え、良く見直すとカワセミが小さい魚を加えて下流に飛んでいきました。飛んだ先は見えませんでした、一瞬の幸せでした。

公園の西池にカイツブリが2羽、どう見ても1羽が一回り小さく、親子ではないかと思います。一定の距離を置いて移動しているようで、あるいは親離れの最初でしょうか。合流点でも1羽、羽が膨らんでいるので、もしかして雛がいるのか、と思いましたが、そのまま潜水してしまい、浮き上がった所で、盛んに羽繕いをしていました。

ダイサギが大砂橋近くの谷津田、赤津川などで、1羽ずつ4羽見えました。

チュウサギが大岩橋上流で3羽、赤津川の田で、4羽、11羽の群れで、総計18羽となりました。もう渡っていくのかも知れません。

赤津川の田で、イワツバメが15羽、上空でしばらく舞いながら、移動していきました。今年は3、4羽の群れしか見ませんでしたので、最後の幸せでした。こちらももう渡っていくでしょう。ツバメは見なくなりました。

稲は半分ほど刈り取られましたが、先回と同様スズメは総計で13羽、と少ないです。あるいは稲田の中に紛れているのでしょうか。

ヒヨドリが3羽ずつ二カ所で、賑やかに鳴いていきました。そろそろ秋の気配、探鳥のベストシーズンが近づきます。

 

鳥リスト

カルガモ、キジバト、カワウ、ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、イソシギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、イワツバメ、ヒヨドリ、スズメ、セグロセキレイ,ホオジロ








永野川2018年9月中旬

16日

雨の予報が思いがけず外れて、良いお天気となったので、9:00ころから出かけました。

二杉橋から入ると、このところの雨で水量が増え、中州は草しか見えず、水もいくらか濁っていました。

カルガモが1羽2羽と見える程度、睦橋近くで10羽の群れが最大で、計25羽にとどまりました。

公園の中の川の流れが変わって、遊歩道側には土砂が堆積し草も生えてしまったので、鳥が見えにくくなりました。対岸に草と林が取り払われた部分があったので、行ってみると、反対側から見えなかった流れにカルガモが5羽いました。とても敏感になっていて、ちょっと顔を出しただけなのに鳴いて飛び去ってしまいました。ここにも来るようにしないと正確な記録はできないのかもしれません。

モズがあちこちで鳴き始め7例になりましたが、姿を見たのは2例だけ、まだ激しい鳴き方ではないので、高鳴きとは言えないのでしょうか。

そういえば今年は稲田の雀よけの放送も聞きませんでしたし、大量の雀の群れにも会いませんでした。2週間近く来なかったせいでしょうか。ツバメは公園、合流点、赤津川岸で、1羽ずつ、これも先週からめっきり減っています。

カイツブリは西池で1羽、赤津川で1羽、どちらも若鳥のようです。

バン1羽、陶器瓦店の前の川岸のブッシュで、嘴の赤みが減っていました。それとも、小ぶりだったので、幼鳥かもしれません。

大岩橋の少し上の中州で、チュウサギが2羽、盛んに空を向いていました。これは何の行為なのでしょう。

ダイサギは、大きさだけの判断ですが、大岩橋、赤津川で上空を1羽が飛んでいきました。

土手の法面、公園内の芝生にヒガンバナが目立ちました。ここは花火大会の前まで、人の腰くらいまで草が生えていたのでした。キツネのカミソリと同様、これは意図して育てて、時期を見て草を刈っているのでしょうか。私としては一面に同じ花が咲く風景は人工的で好きではありませんが、一つの目的を持って管理されているとしたら、全く闇雲に草を刈るのに比べたら、一歩前進と思い、行政に感謝しなければなりません。

 

葛の花が咲き始めました。釈迢空の短歌を思い出します。

 

島山

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり。

 

何ということもないこの短歌が好きです。新鮮な自然の香りが伝わってきます。

赤津川で、何年ぶりかで、イタチを見ました。70年以上昔の私の田舎の姿がここにはあるのかもしれません。

ノビタキなどが渡る時季になったと教えていただきました。ゆっくり注意して見届けたいと思います。

 

鳥リスト

カルガモ、キジバト、カワウ,ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、バン、イソシギ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、スズメ、セグロセキレイ