宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2018年10月上旬

8日

出かけに小雨が降ってきたので、出直して10:00になってしまいました。

二杉橋では水の量は豊かでしたが澄んでいました。昨日は気温30度超、夏のような気分でしたが、河原の草むらは秋の気配、幾分勢いを失って、中に何かいれば見えそうです。

カルガモが、まず7羽、その後、上人橋までの間に、10羽くらいの群れで46羽になりました。セグロセキレイ、ハクセキレイもペアで時々出てきます。

今日のトピックスは、今季の初めてさんたちです。

睦橋下の護岸にカルガモに混じって小ガモ2羽、雌ではなくエクリプスのようです。

公園の西池にヒドリガモ雄1羽、カルガモ2羽と一緒でした。どうやって合流したり離れたりしているのか毎年不思議に思います。或いは街中の公園に行っているものもあるのかも知れません。反対に帰り遅れたツバメが1羽、くり返し水面をかすめては飛び上がっていました。或いはほんとうにこれで今季最後のツバメかもしれません。

大岩橋の少し上の林から、今季初カケスの声が聞こえました。

少し前にも幼鳥を見かけましたが、滝沢ハム近くの桜並木で、エナガ7羽が、ツリツリという声とともに移動していきました。

チュウサギの大きな群れは姿を消し3羽のみ、ダイサギは孤立して4カ所で見られました。

ヒヨドリも群れで動いていました。高橋付近で15羽+の群れ、赤津川では30+の群れが飛び交っていたほか、2羽、6羽、9羽と必ず鳴きながら飛んでいます。

赤津川で、カワセミが河畔の草に留まっていましたが、ゆっくり見ようと自転車を止めて間もなく飛び去ってしまいました。一瞬のご褒美でした。

花は季節を追ってどんどん変わって行きます。先日見た花々は姿を消し、ノコンギクの仲間が、紫、白、薄紫とあちこちで咲いていました。桜はそろそろ葉を落としはじめ、もうじき鳥たちの姿を見せてくれるでしょう。

 

鳥リスト

カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、シジュウカラ、ツバメ、ヒヨドリ、エナガ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ,ホオジロ








永野川2018年9月下旬

28日

愚図ついていた天気がやっと晴れて、風もない探鳥日和です。9:00に家を出ました。

二杉橋付近は、雨が続いたため水量が増え、ほとんど中州は見えません。

カルガモが7羽の群れが浮いていました。その後2羽の姿が多く、高橋上の岸辺の14羽が最高で47羽になりました。

カルガモと一緒にイソシギが見えました。その後、公園と合流点で1羽ずつ、全部で3羽、この頃では多い方です。

公園の川で、一瞬ホバリングしているものが見え、良く見直すとカワセミが小さい魚を加えて下流に飛んでいきました。飛んだ先は見えませんでした、一瞬の幸せでした。

公園の西池にカイツブリが2羽、どう見ても1羽が一回り小さく、親子ではないかと思います。一定の距離を置いて移動しているようで、あるいは親離れの最初でしょうか。合流点でも1羽、羽が膨らんでいるので、もしかして雛がいるのか、と思いましたが、そのまま潜水してしまい、浮き上がった所で、盛んに羽繕いをしていました。

ダイサギが大砂橋近くの谷津田、赤津川などで、1羽ずつ4羽見えました。

チュウサギが大岩橋上流で3羽、赤津川の田で、4羽、11羽の群れで、総計18羽となりました。もう渡っていくのかも知れません。

赤津川の田で、イワツバメが15羽、上空でしばらく舞いながら、移動していきました。今年は3、4羽の群れしか見ませんでしたので、最後の幸せでした。こちらももう渡っていくでしょう。ツバメは見なくなりました。

稲は半分ほど刈り取られましたが、先回と同様スズメは総計で13羽、と少ないです。あるいは稲田の中に紛れているのでしょうか。

ヒヨドリが3羽ずつ二カ所で、賑やかに鳴いていきました。そろそろ秋の気配、探鳥のベストシーズンが近づきます。

 

鳥リスト

カルガモ、キジバト、カワウ、ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、イソシギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、イワツバメ、ヒヨドリ、スズメ、セグロセキレイ,ホオジロ








永野川2018年9月中旬

16日

雨の予報が思いがけず外れて、良いお天気となったので、9:00ころから出かけました。

二杉橋から入ると、このところの雨で水量が増え、中州は草しか見えず、水もいくらか濁っていました。

カルガモが1羽2羽と見える程度、睦橋近くで10羽の群れが最大で、計25羽にとどまりました。

公園の中の川の流れが変わって、遊歩道側には土砂が堆積し草も生えてしまったので、鳥が見えにくくなりました。対岸に草と林が取り払われた部分があったので、行ってみると、反対側から見えなかった流れにカルガモが5羽いました。とても敏感になっていて、ちょっと顔を出しただけなのに鳴いて飛び去ってしまいました。ここにも来るようにしないと正確な記録はできないのかもしれません。

モズがあちこちで鳴き始め7例になりましたが、姿を見たのは2例だけ、まだ激しい鳴き方ではないので、高鳴きとは言えないのでしょうか。

そういえば今年は稲田の雀よけの放送も聞きませんでしたし、大量の雀の群れにも会いませんでした。2週間近く来なかったせいでしょうか。ツバメは公園、合流点、赤津川岸で、1羽ずつ、これも先週からめっきり減っています。

カイツブリは西池で1羽、赤津川で1羽、どちらも若鳥のようです。

バン1羽、陶器瓦店の前の川岸のブッシュで、嘴の赤みが減っていました。それとも、小ぶりだったので、幼鳥かもしれません。

大岩橋の少し上の中州で、チュウサギが2羽、盛んに空を向いていました。これは何の行為なのでしょう。

ダイサギは、大きさだけの判断ですが、大岩橋、赤津川で上空を1羽が飛んでいきました。

土手の法面、公園内の芝生にヒガンバナが目立ちました。ここは花火大会の前まで、人の腰くらいまで草が生えていたのでした。キツネのカミソリと同様、これは意図して育てて、時期を見て草を刈っているのでしょうか。私としては一面に同じ花が咲く風景は人工的で好きではありませんが、一つの目的を持って管理されているとしたら、全く闇雲に草を刈るのに比べたら、一歩前進と思い、行政に感謝しなければなりません。

 

葛の花が咲き始めました。釈迢空の短歌を思い出します。

 

島山

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり。

 

何ということもないこの短歌が好きです。新鮮な自然の香りが伝わってきます。

赤津川で、何年ぶりかで、イタチを見ました。70年以上昔の私の田舎の姿がここにはあるのかもしれません。

ノビタキなどが渡る時季になったと教えていただきました。ゆっくり注意して見届けたいと思います。

 

鳥リスト

カルガモ、キジバト、カワウ,ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、バン、イソシギ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、スズメ、セグロセキレイ








永野川2018年9月上旬

 

8日

台風が相次いで到来して、晴れの日を探すのが難しいこのごろです。9:00で暑くなりましたが、明日からお天気が悪くなりそうなので出かけることにしました。

二杉橋では、さほど水は増えていませんでしたが、濁っていました。

カルガモが睦橋までの間に4・3・2・2・1、高橋付近で25羽、2羽、赤津川でも3羽と数が増えてきました。

アオサギは、二杉橋の近くで1羽見たのを皮切りに5羽となりました。

高橋付近でムクドリ30羽+の群れが電線、田、住宅の庭と次々に飛び回っていました。

公園の川で、イソシギが綺麗な白線を見せて少し鳴いて飛び去りました。合流点でも1羽、少し大きめでしたが、尾を振りながら歩き、首の白い切れ込みをあるのでイソシギだと思います。  

近くに一目で幼鳥と分るイカルチドリもいました。しばらくぶりですが、成鳥のように走り回らず、何か不安げに見えます。

 

ツバメが少なくなっていました。もう9月も半ばに近いのですね。公園に入って2羽、2羽、帰りの二杉橋付近で1羽と計5羽。旅立ちが始まったのでしょうか。

大岩橋の下の河川敷林で、今季初ウグイスの地鳴きが聞こえました。

大岩橋上の対岸の神社のスギの大木の頂上にチュウサギが3羽留まっていました。白さが際だって大きく見えましたが、なんとか嘴を確認してチュウサギとしました。後は合流点で1羽見えました。

ダイサギは大岩橋下の川の中に1羽、公園の合流点付近で1羽、確認できました。なんとか頑張って確認を心がけています。

赤津川半でモズの声を聞いて、民家の庭木の頂上にいる雄1羽を発見しました。見たのは今季初かもしれません。

時間の遅かったこと、花火大会の準備で人が多かったこと、広範囲で芝が刈られたこと、などで鳥種が少ない日でした。ホオジロも繁殖を終え、ツバメも渡りの準備を始めたのかも知れません。

今まで滝沢ハムの所有かと思っていた、ヨシやススキ、低木に手が加えられず成育していた場所は、市の所有だったのか、延びたヨシまで綺麗に全部刈られていました。公園の外れで、花火にも関係なく人の通行の邪魔にもならないのですが。もう冬場のヨシ原は望めません。

ヒガンバナが咲き始め、センニンソウや名前も知らないピンクや黄色いマメ科の花が咲き乱れていました。今年は花の勢いが良いようです。

河川敷が何年かぶりで草むらになりました。恐らくたくさんの生物が隠れていると思います。冬もこのままの状態であってくれれば、たくさんの鳥たちもやってくるでしょう。祈りに似た気持ちで期待しています。

 

鳥リスト

カルガモ、キジバト、ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、イカルチドリ,イソシギ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ

 








短歌に吹く風―文学の始め―(六)流れる風
 〈大正六年五月〉は、5月から6月までの作歌を括った496〜540まで、盛岡周辺の野山を歩いた記録と盛岡の祭「ちゃがちゃが馬子」の様子を描いたものなどです。
 
501口笛に こたふる鳥も去りしかば/いざいかんとて/なほさびしみつ
 
を含む、498〜503は、簗川周辺の野山に鳥の声を聞く孤独な賢治がいて、私の好きな短歌です。
 
〈風〉という言葉を詠みこんだものは次の一首のみです。「夜の柏ばら」6首、「ひるのかしわばら」3首には入っていませんが、同じ時の情景です。
 
530すゞらんのかゞやく原を滑り行きて/風のあし指の/なきわらひかな
 
スズランの咲き揃う高原の吹きおろす風の姿を捉えて見事です。特に〈風のあし指の/なきわらひかな〉は、風を眼に見えるように、そして感覚を持つものとして捉えます。また、風を体感的に捉えていて賢治の風に対する親近感がわかります。
歌稿Aでは、この短歌の先駆形は〈すゞらんのかゞやく原を滑りゆきてわがあし指の泣き笑いかな〉でした。こちらだと賢治自身の体感そのものですが、〈風のあし指〉と推敲したことで風の風景が大きく広がるように思います。
この背景は柳沢から岩手山に向かう一帯で、当時はスズランの咲く野原だったと言います。賢治は、柳沢から岩手山に何度も登っています。スズランの咲く季節であること、528〈……ひとしく四人眠り入りしか〉から見て、この年の6月に、弟清六、従弟宮澤安太郎・岩田磯吉と、岩手山麓に遊んだ時の作歌とみられ、道に迷って野宿した結果、登頂は果たせませんでした。この10月にも同様の道を辿り、登頂に成功しました。この時のことは歌稿616〜618、短篇「柳沢」にも投影されています。
 
次の〈大正六年七月より〉541〜645は、翌年大正7年4月までの作歌が含まれます。606〜610までは、9月に亡くなった祖父の死に関するものです。
547〜550は、賢治と嘉内が2人だけで岩手山登山したときの作品です。嘉内の日記によると、それは大正6年7月14、15日で、「アザリア」発行を祝って同人4人と秋田街道を歩いた1週間後でした。
 
547柏ばら/ほのほたえたるたいまつを/ふたりかたみに/吹きてありけり
548雲の海の/上に凍りし/琥珀のそら/巨きとかげは/群れわたるなり
549ましろなる/火花とゞろに/空は燃ゆる/霧山岳の/風のいただき
550岩手やま/いたゞきにして/ましろなる/そらに火花の湧き散れるかも
 
風を詠みこんだものは649のみです。 
霧山岳は岩手山の古名で、山頂を渡る風を詠んだものです。賢治はこのときの思い出を嘉内に当てて、書簡94(大正七年十二月)、書簡164(大正九年五月)と時間を経てもなお鮮明に書き綴っていて、二人にとって、大切な記憶だった事が感じられます。
 
……さてまた、あけがたとなり、われわれは、はや七合目 かの大きな赤い岩の下にたどりつき、つめたい赤い土に腰をおろし、東だか、北だかわからないそらを見れば、あゝこれは明るく冷たい琥珀の板で上手に張られ、またはこれは琥珀色の空間であつて夢の様な中世代の大とかげらがうかびたち、また頂にいたり、一人の人は感激のあまり皮肉のあまりゲートルを首に巻きつけ、また強い風が吹いて来て霧が早く早く過ぎ行きわたくしの眼球は風におしつけられて歪み、そのためかまたはそうでなく本統にか白い空に灼熱の火花が湧き、すみやかに散り……(書簡94)
 
とあり、確かに白い火花を見ていたのです。それも風を必死でよけていたせいかもしれません。
ここでの風は、強く人間に向かって、見る風景も変えてしまうものだったようです。
 
613きれぎれに/雨をともなふ西風に/うす月みちて/虫のなくなり
614つきあかり/風は雨をともなへど/今宵は虫の鳴きやまぬなり
615赭々とよどめる鉄の澱の上に/さびしさとまり/風来れど去らず  
 
 これらの短歌は、大正6年10月1日に、当地には台風による集中豪雨が発生した時の作歌と見られます。台風がひととき弱まって月がのぞき、虫の声が聞こえてきます。台風が全く去ったとは言えない一瞬の静けさは、なおさら不安が募り、鳴く虫への心配も感じられる気がします。
 615の〈赭々(あかあか)〉で、〈〉(そほ)は古代、鉄分の多い粘土を焼成し顔料にした酸化第二鉄の色で、赤黄土色です。賢治はこの文字を好んで使い、詩だけでも40件近く、顔色、芽吹きの色、など多用されます。
 
青い光霞の漂ひと翻る川の帯 /その骨ばったツングース型の赭い横顔(〔おしまいは〕「春と修羅第三集」)
畦はたびらこきむぽうげ  /また田植花くすんで赭いすいばの穂……〔Largoや青い雲かげや流れ〕「春と修羅第二集」)
そこの黒い転石の上に/うす赭いころもをつけて/ 裸脚四つをそろへて立つひと (〔河原坊(山脚の黎明)「春と修羅第二集」)
 
 ここでの〈赭〉は、田んぼの溝などに浮き出した鉄分の澱みの色、むしろ負の色で、淋しさは増強されたのでしょう。風も吹いてきたのですが、淋しさは癒えることはなかったのです。賢治が救いを求めるように風を追っていたことが分ります。
 
622冴えわたり/七つ森より風来れば/あたまくらみて京都思ほゆ       
 
〈621さだめなく/われに燃えたる火の音を/じっとききつゝ/停車場にあり〉から考えて、賢治は七つ森近くの小岩井駅にいて、前年の3月19日から31日まで、列車で旅した盛岡高等農林二年の時の関西方面の修学旅行を思い出しています。
 
623白樺に/かなしみは湧きうつり行く/つめたき風のシグナルばしら
 
 〈シグナルばしら〉は駅に付設する信号灯だと思います、のちに童話「月夜の電信柱」、「シグナルとシグナレス」を書いた賢治は、交互に点滅する色彩の面白さを、すでに感じていたのでしょうか。
白樺 については、その樹皮を剥がされ細工物に利用される白樺に、悲傷のイメージを持ったと言われます。〈大正五年三月より〉の短歌
 
322白樺の/かゞやく幹を剥ぎしかば/ みどりの傷はうるほひ出でぬ。
 
純黒 ……白樺の薄皮が、隣りの牧夫によって戯むれに剥がれた時、君はその緑色の冷たい靱皮の上に、繃帯をしてやるだらう。……(戯曲断片〔蒼冷と純黒〕)
 
 
などです。
しかしこの短歌の場合は 〈かなしみ〉は悲傷の意味ではなく、別の感情、冷たい風の中の〈シグナルばしら〉と対比できるような美しいものへの感動などではないかと思います。
 
 この後、この括りには〈風〉の言葉はありませんが、
 
645あまぐもは/氷河のごとく地を掻けば/森は無念の 群青を呑み 
 
は、〈あまぐも〉は風の動きを表し、地表をなめ尽くすように駆け抜け、森はのみ込まれ、大きな風景となっています。 この括りの中では、賢治は自然の中を自由に歩きながら、そこに浸って、風を詠み、感情も移入しています。 この次の括りでは、微妙な変化が現れるようです。その背景も考えて行きたいと思います。
 
参考文献
〈賢治の置土産〉18 琥珀の空、巨とかげの雲 岡澤敏男盛岡タイムズHP2007年7月8日
『日本の伝統色 色の小辞典』 日本色彩研究所篇 福田邦夫著 読売新聞社 1987
『色の手帖』 尚学図書 言語研究所編 小学館 1986
「読書会リポート」 『賢治研究』130号〜134号 宮沢賢治研究会