宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
短歌に吹く風―文学の始め―(六)流れる風
 〈大正六年五月〉は、5月から6月までの作歌を括った496〜540まで、盛岡周辺の野山を歩いた記録と盛岡の祭「ちゃがちゃが馬子」の様子を描いたものなどです。
 
501口笛に こたふる鳥も去りしかば/いざいかんとて/なほさびしみつ
 
を含む、498〜503は、簗川周辺の野山に鳥の声を聞く孤独な賢治がいて、私の好きな短歌です。
 
〈風〉という言葉を詠みこんだものは次の一首のみです。「夜の柏ばら」6首、「ひるのかしわばら」3首には入っていませんが、同じ時の情景です。
 
530すゞらんのかゞやく原を滑り行きて/風のあし指の/なきわらひかな
 
スズランの咲き揃う高原の吹きおろす風の姿を捉えて見事です。特に〈風のあし指の/なきわらひかな〉は、風を眼に見えるように、そして感覚を持つものとして捉えます。また、風を体感的に捉えていて賢治の風に対する親近感がわかります。
歌稿Aでは、この短歌の先駆形は〈すゞらんのかゞやく原を滑りゆきてわがあし指の泣き笑いかな〉でした。こちらだと賢治自身の体感そのものですが、〈風のあし指〉と推敲したことで風の風景が大きく広がるように思います。
この背景は柳沢から岩手山に向かう一帯で、当時はスズランの咲く野原だったと言います。賢治は、柳沢から岩手山に何度も登っています。スズランの咲く季節であること、528〈……ひとしく四人眠り入りしか〉から見て、この年の6月に、弟清六、従弟宮澤安太郎・岩田磯吉と、岩手山麓に遊んだ時の作歌とみられ、道に迷って野宿した結果、登頂は果たせませんでした。この10月にも同様の道を辿り、登頂に成功しました。この時のことは歌稿616〜618、短篇「柳沢」にも投影されています。
 
次の〈大正六年七月より〉541〜645は、翌年大正7年4月までの作歌が含まれます。606〜610までは、9月に亡くなった祖父の死に関するものです。
547〜550は、賢治と嘉内が2人だけで岩手山登山したときの作品です。嘉内の日記によると、それは大正6年7月14、15日で、「アザリア」発行を祝って同人4人と秋田街道を歩いた1週間後でした。
 
547柏ばら/ほのほたえたるたいまつを/ふたりかたみに/吹きてありけり
548雲の海の/上に凍りし/琥珀のそら/巨きとかげは/群れわたるなり
549ましろなる/火花とゞろに/空は燃ゆる/霧山岳の/風のいただき
550岩手やま/いたゞきにして/ましろなる/そらに火花の湧き散れるかも
 
風を詠みこんだものは649のみです。 
霧山岳は岩手山の古名で、山頂を渡る風を詠んだものです。賢治はこのときの思い出を嘉内に当てて、書簡94(大正七年十二月)、書簡164(大正九年五月)と時間を経てもなお鮮明に書き綴っていて、二人にとって、大切な記憶だった事が感じられます。
 
……さてまた、あけがたとなり、われわれは、はや七合目 かの大きな赤い岩の下にたどりつき、つめたい赤い土に腰をおろし、東だか、北だかわからないそらを見れば、あゝこれは明るく冷たい琥珀の板で上手に張られ、またはこれは琥珀色の空間であつて夢の様な中世代の大とかげらがうかびたち、また頂にいたり、一人の人は感激のあまり皮肉のあまりゲートルを首に巻きつけ、また強い風が吹いて来て霧が早く早く過ぎ行きわたくしの眼球は風におしつけられて歪み、そのためかまたはそうでなく本統にか白い空に灼熱の火花が湧き、すみやかに散り……(書簡94)
 
とあり、確かに白い火花を見ていたのです。それも風を必死でよけていたせいかもしれません。
ここでの風は、強く人間に向かって、見る風景も変えてしまうものだったようです。
 
613きれぎれに/雨をともなふ西風に/うす月みちて/虫のなくなり
614つきあかり/風は雨をともなへど/今宵は虫の鳴きやまぬなり
615赭々とよどめる鉄の澱の上に/さびしさとまり/風来れど去らず  
 
 これらの短歌は、大正6年10月1日に、当地には台風による集中豪雨が発生した時の作歌と見られます。台風がひととき弱まって月がのぞき、虫の声が聞こえてきます。台風が全く去ったとは言えない一瞬の静けさは、なおさら不安が募り、鳴く虫への心配も感じられる気がします。
 615の〈赭々(あかあか)〉で、〈〉(そほ)は古代、鉄分の多い粘土を焼成し顔料にした酸化第二鉄の色で、赤黄土色です。賢治はこの文字を好んで使い、詩だけでも40件近く、顔色、芽吹きの色、など多用されます。
 
青い光霞の漂ひと翻る川の帯 /その骨ばったツングース型の赭い横顔(〔おしまいは〕「春と修羅第三集」)
畦はたびらこきむぽうげ  /また田植花くすんで赭いすいばの穂……〔Largoや青い雲かげや流れ〕「春と修羅第二集」)
そこの黒い転石の上に/うす赭いころもをつけて/ 裸脚四つをそろへて立つひと (〔河原坊(山脚の黎明)「春と修羅第二集」)
 
 ここでの〈赭〉は、田んぼの溝などに浮き出した鉄分の澱みの色、むしろ負の色で、淋しさは増強されたのでしょう。風も吹いてきたのですが、淋しさは癒えることはなかったのです。賢治が救いを求めるように風を追っていたことが分ります。
 
622冴えわたり/七つ森より風来れば/あたまくらみて京都思ほゆ       
 
〈621さだめなく/われに燃えたる火の音を/じっとききつゝ/停車場にあり〉から考えて、賢治は七つ森近くの小岩井駅にいて、前年の3月19日から31日まで、列車で旅した盛岡高等農林二年の時の関西方面の修学旅行を思い出しています。
 
623白樺に/かなしみは湧きうつり行く/つめたき風のシグナルばしら
 
 〈シグナルばしら〉は駅に付設する信号灯だと思います、のちに童話「月夜の電信柱」、「シグナルとシグナレス」を書いた賢治は、交互に点滅する色彩の面白さを、すでに感じていたのでしょうか。
白樺 については、その樹皮を剥がされ細工物に利用される白樺に、悲傷のイメージを持ったと言われます。〈大正五年三月より〉の短歌
 
322白樺の/かゞやく幹を剥ぎしかば/ みどりの傷はうるほひ出でぬ。
 
純黒 ……白樺の薄皮が、隣りの牧夫によって戯むれに剥がれた時、君はその緑色の冷たい靱皮の上に、繃帯をしてやるだらう。……(戯曲断片〔蒼冷と純黒〕)
 
 
などです。
しかしこの短歌の場合は 〈かなしみ〉は悲傷の意味ではなく、別の感情、冷たい風の中の〈シグナルばしら〉と対比できるような美しいものへの感動などではないかと思います。
 
 この後、この括りには〈風〉の言葉はありませんが、
 
645あまぐもは/氷河のごとく地を掻けば/森は無念の 群青を呑み 
 
は、〈あまぐも〉は風の動きを表し、地表をなめ尽くすように駆け抜け、森はのみ込まれ、大きな風景となっています。 この括りの中では、賢治は自然の中を自由に歩きながら、そこに浸って、風を詠み、感情も移入しています。 この次の括りでは、微妙な変化が現れるようです。その背景も考えて行きたいと思います。
 
参考文献
〈賢治の置土産〉18 琥珀の空、巨とかげの雲 岡澤敏男盛岡タイムズHP2007年7月8日
『日本の伝統色 色の小辞典』 日本色彩研究所篇 福田邦夫著 読売新聞社 1987
『色の手帖』 尚学図書 言語研究所編 小学館 1986
「読書会リポート」 『賢治研究』130号〜134号 宮沢賢治研究会


 







永野川2018年8月下旬

26日

予報では暑くなりそうなので、久しぶりに5:30に家を出ました。さすがに涼しく空気も静かです。

二杉橋から入ると早速、岸の丈の高い草の上でホオジロが囀っていました。ホオジロはその後公園や大岩橋でも2羽、また幼鳥2羽にも会いました。

セグロセキレイの声が盛んにして1、2羽、幼鳥が3羽、一緒に久しぶりにイソシギ鳴いて舞い上がりました。確かにイカルチドリとは違うこと改めて確認しました。

睦橋付近でカルガモが8羽、ゆっくり泳ぎ、ダイサギも1羽佇んでいました。

 

トピックスは、この公園について。

しみじみ、鳥の集まるところだ、と思いました。

気づかないで歩いていたとき、護岸から一瞬カワセミが飛び立ってしまい慌てましたが、対岸の木の枝に青いものが閃きました。そしてもう1羽いました。双眼鏡でないと見えないところでしたが、なんとかゆっくりしていてくれて、満足できました。

そこでもセグロセキレイの幼鳥2羽いて、今季初のキセキレイも飛びました。

そして対岸の木に、一瞬ヒヨドリかと思われる鳥が飛び移りました。大きさはヒヨドリですが、なぜかカッコウ類の感じです。ずっと後ろを向いているのでなかなか確認できませんでしたが、一瞬、腹部の模様が見え、眼の感じが丸くアイリングを感じました。逆光気味で悔しい思いで、じっくり眺めていました。確かにワシタカでは無いし、ツツドリかホトトギス加、と思います。背中が黒っぽく、ネット映像ではツツドリに近いのですが……。

背後の大木では、コゲラの声が確かに2羽分聞こえました。見上げているとエナガのような形で、模様の薄い幼鳥が2羽、盛んに移動していました。2羽で動くのは、珍しいのか、と思っていましたが、バードリサーチさんのお教えでは、有り得るとのことでした。

同じ場所で動かずに、私にとっては珍しい鳥五種類を見てしまいました。

 

公園の中ほどで、50羽単位のムクドリが移動していくのが見えました。赤津川でも22羽の群れが電線に停まっていました。鳥たちも繁殖を終えて動き始めたようです。

カイツブリは赤津川で1羽、合流点で1羽、池にはいませんでした。

上人橋近くの電線で囀る鳥がいたのですが、ちょうど真下に入ってしまい、真っ白い腹面しか見えません。何か珍しい鳥かと思いましたが、セグロセキレイでした。今日はセグロセキレイの囀りをたくさん聞きましたが、幼鳥がたくさん出てきているのに、これからも繁殖でしょうか。

久しぶりの早朝探鳥で、たくさんの子どもたちや、動き始めた鳥たちの一面を見ることが出来ました。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、ダイサギ、アオサギ、カッコウ類、カワセミ、コゲラ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、エナガ、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、キセキレイ、ホオジロ








永野川2018年8月中旬

17日

天気は快晴、でも気温は上がらず、風も吹いてさわやかな探鳥日和です。9:00に家をでました。

二杉橋西岸のヨシの茂みの前に、ゴイサギ幼鳥が1羽、ずっと動きません。ここでめったに見られないので、どこかから風に飛ばされてきたのでしょうか。黄色い脚が印象的です。

川も流れが穏やかで水が澄んでいて、カルガモが1、2、3羽と群れています。二杉橋の少し上で、アオサギが水に腹をつけるくらいに低い姿勢でいました。遠かったので一瞬ほかの珍しいカモかと思いましたが、少し立つと立ち上がりました。

トピックスは、カワセミです。永野川高橋下、東岸の新しく出来たコンコリートの護岸にカワセミが2羽、少し離れて歩いていました。コンクリートの斜面を歩くカワセミは初めて、それも2羽、得したような気になりました。ペアでもないようで、少ししたら、上下に分かれて飛んでいきました。

あと二つは植物です。

キツネノカミソリが公園の法面の5カ所に花をつけていました。一週間前は目につかなかったので、短期間で咲くようです。

2週間前に法面が全部刈られてしまい、今年はもう野草の花は見られないと思っていたのですが、刈時と花の時期がずれて、またその後の雑草も伸びる前で花を見ることが出来たのでしょう。

絶えていなくて本当によかったと思う反面、以前のようにキツネノカミソリを覆うほどの雑草が伸びず、多種類の植物の中で自然に花を見ることが出来たことを思い返します。この「自然の状態」は、今の管理の状態を越える管理―以前はびこっていなかった雑草を抜き取って、なおかつそれまであった植物を植え替えるなど―がなされなければ、生まれないのです。

もうひとつ、先日ムクドリが食べていたのは、エノキのようです。実が橙色に色づいていました。公園のなかにあるエノキも同じ実をつけていました。公園には数本のエノキがあり、鳥たちが集まるのも当然です。

公園の東池は、また水草が水面を覆ってしまい、なかほどにカイツブリ成鳥が1羽見えました。高橋近くで、潜水を繰り返すごく小さい個体がいて、計2羽になりました。

ウグイスの囀りは聞こえなくなりました。季節も少しずつ少しずつ変化しています。よりよい探鳥の出来る日を楽しみにしています。

 

鳥リスト

カルガモ、カイツブリ、キジバト,カワウ,ダイサギ、チュウサギ、アオサギ、カワセミ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、スズメ、セグロセキレイ

 








永野川2018年8月上旬

10日

暑さが収まると台風の予兆の強風で出かけられず遅くなりました。加えて色々あって早朝にも出かけられず、9:00に出ましたが、既に暑く、鳥は極端に少なくなりました。

上人橋から入ると、昨夜の雨で水かさが増し、岸の草は緑を強めて勢いを増しているようでした。ツバメが2羽飛びだし、赤津川に入ると10羽ほどの群れが現れました。あとは2羽ずつ時々飛び計26羽になりました。ツバメはやはり夏鳥で元気なのでしょうか。

赤津川ではダイサギが上空を2羽、1羽と飛び、1羽が嘴を鳴らしながら飛んできました。

ハシブトカラスが多く、公園の池付近で6羽が鳴いて飛び回り、これだけでも不気味でうるさいものです。また高橋で若鳥らしい5羽が道路で群れていて、車がきてもなかなか動きません。でも車は待ってくれて無事でした。

ハシボソカラスは滝沢ハムの大木の頂で、1羽がじっと口を開けて停まっていたほか、クヌギ林では若鳥1羽が歩いていました。

公園の池ではカイツブリ成鳥2羽が、繁殖声をあげていました。また営巣するかも知れません。若鳥は見えませんでした。

公園の平地の低木でモズの声がしました。キチキチキチという、1羽だけの声でした。

永野川高橋脇の民家の大木でムクドリの声がするので見るとおそらく50羽以上が実を食べていました。子どものころ、ムクドリのいるのはムクノキと思っていましたが、今度もう一度確かめてみます。

今年は木の実が豊作のようです。滝沢ハムの林では、昨夜の風でクヌギ、エゴノキが若い実を落としていましたが、まだたくさんありました。

ウグイスは定位置で鳴いていますが、声の数は少なくなりました。

もう、ツクツクホウシが鳴き始めました。ここは我が家よりも一足早いようです。

次はなんとかよい時間を取って、ゆっくり鳥たちにも会いたいと思います。

 

鳥リスト

カルガモ、カイツブリ、ダイサギ、アオサギ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ホオジロ 

 








永野川2018年7月下旬

26日

上人橋付近を通ったら、カワセミが1羽、遡って行きました。ここは最近まで少し規模の大きい護岸工事をやっていたのですが、川底が平らになって浅瀬を作っています。この浅瀬にはカルガモの群れ、アオサギも常駐している感じです。

近くの山林からヒグラシの声が聞こえました。この地に住んでから初めての聞く気がします。

 

27日

明日からは下り坂の予報で、この時間しかとれなかったので9:30出発しました。

あまり暑さは感じません。

涼しいうちに日陰のない赤津川を廻った方がよいと思い、上人橋から入りました。全く鳥の気配はなく、河川敷の草も一部枯れが出ているような感じでした。ツバメが1羽、すっと飛びました。少し行くと電線に3羽並んで留まっていました。おそらく若鳥かと思います。

アオサギが合流点手前の草むらに潜んでいました。アオサギが多く8羽になりました。公園の1羽は頭に飾りバネをつけていました。また1羽が大きな声で鳴きながら飛んでいって、また体も大変おおきく見え、密かにコウノトリを期待してしまいました。

赤津川は水がほとんどありません。

トビが久しぶりに舞いました。滝沢ハム近くでも1羽、高橋付近でも1羽、計3羽となりました。大岩橋付近の山林から、久しぶりにノスリが舞い上がりました。反対方向に飛んで行ってしまったのですが、白っぽい羽に、黒い斑紋が見えました。今日はワシタカは狩りが忙しかったようです。

公園の西池で、成長したカイツブリのヒナ1羽を見つけました。もう大きさは成鳥並みですが、顔には、まだら模様が見えました。もう1羽は、育たなかったのでしょうか。成鳥が、東池と、合流点に見え計3羽となりました。

公園の川で、小さなヒナ1羽を連れたカルガモを見つけました。遅い孵化だったのでしょうか。この大きさで見られたのは初めてです。前にも書きましたが、今年はカルガモがよく育って、あちこちで6羽、5羽の群れを見て、計29羽となりました。

公園のワンド跡の丈の高い草に、ホオジロのヒナが1羽留まっていました。以前は一瞬で見えなくなったのですが、今日はしばらく停まっていてくれました。ホオジロの特徴の過眼線などがうっすらと現れ始め、小さな脚で懸命に羽繕いをしているところに、降り注ぐ太陽光が可哀想に思えました。ホオジロの囀りは大岩橋上で一度聞いたのみでした。ウグイスはまだ3カ所で囀っていましたが、一時よりめっきり少なくなりました。季節は廻って行くようです。

公園の川の近くで、ムクドリ15羽の群れが頭上を行き過ぎた、と思ったら、次に100羽プラスの群れが一瞬に通り過ぎてしまいました。

二杉橋近くで、水の減った浅瀬で、久しぶりにコサギ4羽とチュウサギ2羽の群れを見ました。繁殖が終わってコロニーから離れたものだろうということです。

時間も遅く、鳥種も少なかったのですが、いろいろな鳥の季節の変わり目を見たような気がします。

 

鳥リスト

カルガモ、カイツブリ、キジバト、コサギ、チュウサギ、ダイサギ、アオサギ、ノスリ、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツバメ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ