宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
2019/05/01 23:23:25|わたしたちと兄
みんな一緒に

2018年12月、一番元気だった86才のK姉が大腿骨骨折で入院しました。「大腿骨骨折」=「寝たきり」という不吉な思いがよぎりましたが、見舞いに行った他の姉から、とても元気だった、という知らせを受け、身勝手ですが安心してしまいました。年が明けたらと思い、正月に入ると自分が座骨神経痛になり、胃腸の不調も重なって、暖かくなったら、と思い、つい4月下旬になっていました。

姪の知らせでは歩行ができないので病院から施設入所したということでした。姪と連絡を取り、幸い一緒に訪ねることが出来ました。週一、家族で面会に来ているそうです。面会室に義兄と二人座った車椅子のK姉がいました。

一番、ショックだったのは、姉が「今日はもう帰れると思った」と二回口にしたことでした。家の事情や自分の体の状態を把握できていなかったのです。慌てて、「足の訓練をすればもう少しで帰れるよ」といいました。姉は「そうだね。目が悪くなる前は、あんなに歩いていたのに」と答えてくれましたが、私の言葉が救いになってはいなかったのは分ります。

環境の変化は、恐いものです。昨年7月に連絡したときは元気で、周辺の友人たちのこと、もう一人の姉のことも普通に話し、今度涼しくなったら会おうと約束してくれたのでした。

よく話し、短歌を作り、好きなDVDを買い揃えて音楽を聴き、賢治が好きな姉です。義兄と一緒に、実家の広い庭を花でいっぱいにしていたこと、いつも姉妹の集まる場所を作ってくれたこと、料理が上手で周辺の人にも教え、いつも手のかかる花豆の煮物やキャラ蕗を出してくれたことを思うと、胸が痛みました。

この施設は、宿泊場所とデイサービスの場所が隣り合い、歩行の出来ない姉は、毎日デイサービスで過ごし、宿泊場所ではほんとに寝るだけのようで、プライバシーもどの位保てるのか疑問でした。CDをあげようか、という私の問いにも、はっきり答えられなかったのは、一つには状況がよく分らないのかもしれませんが、姉が居づらいのは確かです。また機能訓練はどの位やってくれているのでしょうか。少しでもK姉の希望が持てるような時間があるのでしょうか。

かといって、介護する立場からすれば、とにかく預かってくれるところを探すだけでも大変だったと思います。姪にしても教職にあり、息子も大学生と受験前の高校生、婚家の親御さんの面倒も見なければならず、実家にいる義兄と姉の施設と、週一訪ねて面倒を見るだけでも大変なことです。

 

姉の施設で、他の姉にも会えれば良いと思い、施設にいて週末には帰宅するM姉のところに連絡を取ったら、甥が一緒に来てくれました。M姉は、昨年義兄が他界してから、めっきり症状が悪くなったようです。ただ、足も体も丈夫で、穏やかに笑っています。姉からこちらに話しかけてくれることはあまりありません。ここでも甥は土日にM姉と過ごすために実家に戻る生活です。

 

前日、もう一人の姉に、K姉の施設を訪ねるので一緒に行こうか、と電話しました。姉はデイサービスの日なので来られなかったのですが、今度一緒に、と言ったら、それ以降、ここ何年か聞いたことのなかった弾んだ声が聞こえてきました。

K姉の所を訪ねた翌日に、姉から電話があり、様子を聞いてくれました。みんなに会えたことを話すととても喜んでくれて、施設への行き方や周辺のことなど、詳しく尋ねられました。とてもしっかりして、滑舌もよくなっていて、私まで温かな気持ちになりました。ただ姉のほうが高齢なので、K姉が帰りたがっていたことは言えず、元気で車椅子だったことだけ話しました。

姉の家では、義兄が施設に入所していて、やはり週一家族で面会に行くそうです。こちらは部屋も個室でデイサービスは無く、ホールに一人でいることが多く、あまり人との接触がないようでした。訪ねていってもあまり会話も出来なくてつまらない、と姉は言っていました。でもそういう相手を思いやる感情が持てるのは、まだ元気な証拠でしょうか。以前は義兄も家に帰るといって暴れたりして、姉も心痛の様子でした。ということは同居している甥夫婦の大変さが思われます。

 

姉たちが、『私たちと兄』の原稿を書いてくれたのが2017年でした。たった2年の間に、姉たちの環境も体も変わってしまったのです。これが老いるということなのか、でも現実ですから受け止めなくてはなりません。

いろいろな状況にはありますが、姉たちは皆、甥や姪がしっかりサポートしてくれて、幸せだと思います。

 

K姉の施設に行った帰り、電車の少し離れた場所に乗っている男性の横顔が、なぜか兄にそっくりでした。もちろんそれは私の勝手な思い込みなのですが、顔の角度をどうか変えないで、と願いながら暫く見ていました。

 

兄、姉とみんな一緒に過ごせた気がした三日間でした。

これを書いているとき、気づかないうち「令和」になりました。新しい時代を、過去のことは楽しい思い出として大事に仕舞い、これから何をするのが姉妹にとって一番良いのか考えて過ごしたい、また会える機会を作って行きたいと思います。








永野川2019年4月下旬

27日

雨の予報もありまましたが風もなく、まずまずのお天気だったので9:30に家を出ました。

二杉橋から入ると、昨日からの雨で大分水が増えていて、コガモが21羽群れていました。コガモはその後高橋付近で2羽のみ、計23羽となりました。21羽の群れはもう渡りの準備でしょうか。

ウグイスも3カ所で囀っています。

チドリの鳴き声がして、ヤブの脇から行方を追うと、2羽が争うように遡って行きました。2羽の声が違うようでしたが、姿は細かい所まで確認できませんでした。鳴き声図鑑で聞くと両方ともイカルチドリに近い気がします。このところ、河原の状態が良くなくて、なかなかチドリを間近で見られません。

ツバメが増え、二杉橋から公園、赤津川までに合計22羽になりました。イワツバメは姿を消していました。

ホオジロが岸の草むらで囀っていて、上人橋までに3羽、公園で5羽、大岩橋河川敷林で1羽と9羽になりました。繁殖シーズン真っ只中でしょうか。公園の中の草むらでは、綺麗な茶色が目立つが留まっていました。

高橋手前で、カワセミが1羽、岸の比較的近くでじっと留まっていました。嘴は黒くでした。近かったせいか、とても大きく、背中の青さが目立ちました。大砂橋の少し下の北側の岸にも留まっていて、こちらは向きが悪くて、背中は見えませんでした。

アオサギが上空を2羽で飛んで行きました。上人橋上の河川敷の草むらで1羽、赤津川の田に1羽で4羽、この頃少なくなりました。ダイサギも上人橋付近2羽、池に1羽、赤津川で上空に1羽、計4羽のみでした。

ヒヨドリが、高橋付近で15羽飛びました。そろそろ群れを作って移動の準備でしょうか。

セキレイ類も以前より目立ち、セグロセキレイ上人橋までに3羽、大岩橋で1羽、赤津川で2羽、計6羽、ハクセキレイは、二杉橋周辺で2羽確認できました。

ツグミが目立ちました。まだ群れにはなっていないようで、公園内で、単体で5羽見えました。

シメが、公園の桜並木で1羽、大砂橋近くの林縁で2羽、まだ残っていてくれたか、と嬉しい気持ちになりました。

公園の土手の桜並木にいたとき、対岸の遙か向こう、先日も声を聞いた滝沢ハムのほうでイカルの声がしました。でもそこに辿りついたときは声も姿もありませんでした。シメの群れもいませんでした。

公園の池のヒドリガモは3羽になっていました。もう渡ってしまったようです。カイツブリが1羽、潜水を繰り返していました。

赤津川にはいつもの場所でヒバリが囀り、1羽が囀りながら上空に昇るのが見え、ヒバリの長い尾、羽の形を確認できました。

 

今日のように、適度な雨がふり良好な水辺が保たれるとよいと思います。鳥見のためだけではなく、鳥―鳥を頂点とするすべての生き物のために!異常気象はなんとか防ぐことは出来ないでしょうか。

珍しい鳥は見られませんでしたが、季節の変わり目が感じられる一日でした。

色の濃い八重桜が満開で、これを最後に永野川のサクラは終わりです。

 

鳥リスト

キジ、カイツブリ、ヒドリガモ、カルガモ、コガモ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、イカルチドリ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、メジロ、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、シメ、ホオジロ

 

付記

この4、5日、我が家の庭で、ウグイスが囀っています。地鳴きの頃は、毎年来ているのですが、囀りは珍しいのです。どこかで営巣してくれないかなと淡い期待を抱いています。








永野川2019年4月中旬

15日

暖かく風もない日です。9:00に家を出ました。風の出る心配があったので、先に赤津川に廻りました。

上人橋から入ると、錦着山裏の田でヒバリが2カ所で囀っていました。ヒバリはこのほか、いつもの赤津川の田んぼ2カ所で囀りが聞こえました。

合流点付近の草むらでホオジロが囀っていました。ホオジロは大岩橋河川敷林の樹上で1羽、永野川畔で1羽いずれも囀りでした。

いくらか水のある赤津川では、コガモ2羽単位で6羽、アオサギも1羽、ハクセキレイ1羽が見られました。コガモは二杉橋付近を加えて計11羽になりました。

カルガモは2羽の単位が多く、二杉橋付近までに計20羽となりました。

ツバメが4羽、2羽翻ります。今日はツバメが多く、赤津川に入ると、2・2・3・2と飛び交い15羽になりました。

イワツバメは1羽確認できただけで、やはり営巣しているらしい橋桁の近くでした。

カワセミが1羽下っていきました。

公園の合流点近くでモズが樹上に留まり、時々飛翔して、旋回しては元に戻っていました。フォバリングはせず、餌を探しているようでした。

滝沢ハム工場の敷地と隣接するようにある、小さな混交林で、イカルの声がしました。ずっと鳴いているので15分ほど待っていましたが、姿は見えません。常緑樹に留まっているのか、イカルは声も大きいので、或いはもっと遠いところにいるのか、諦めて立ち去った後でも鳴いていました。

ところが、その間、シメが次々に飛来して、25羽、ずっとその林の中を飛び回っていました。感激が引き裂かれる思いで、シメの数を数えながら、イカルの行方を追っていました。

もう渡ってしまうのでしょうか。また見たくても今季最後かも知れません。最後のご褒美だったのかと思うと、感激に加えて寂しさでいっぱいになりました。

公園のヒドリガモは15羽になって、ヨシガモはいませんでした。ここでも、前見た群れは渡ってしまい、これは別の群れかも知れません。

キジ、コゲラが時々鳴き、暖かさの中で何かが沸き返るような感じでした。

大岩橋下河川敷林では樹上の巣でハシボソカラスが卵を温めていました。まさに繁殖の現場です。

ソメイヨシノはまだ幾分花びらを残して、あちこちに花びらを撒き、他品種の八重桜が満開、遅咲きの花色の濃い八重桜はまだ堅い蕾でした。

 

鳥リスト

キジ、カイツブリ、ヒドリガモ、カルガモ、コガモ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ、ウグイス、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、イカル、ホオジロ

 








短歌に吹く風8―発表された短歌・贈られた短歌―
  賢治の作歌の記録は大正十年まで記録が残っています。〈風〉という言葉を詠みこんだ短歌を選んで詠んでみましたが、大正七年五月以降という括り以降の短歌、大正十年四月の関西旅行の四一首、東京十首には〈風〉を詠みこんだ短歌はありません。
その他、書簡中の短歌、雑誌発表の短歌がありますが、ABと同風景を読んだものが多くなっています。
 
9風来たり、高鳴るものは、やまならし、あるいはポプラ、さとりのねがひ。          『校友会会報第三十二号』
 
 この歌の元となっているのは「大正五年三月より」に括られている次の二首です。
 
296A風きたり高鳴るものはやまならしあるいはポプラさとりのねがひ
296B風きたり/高鳴るものはやまならし/またはこやなぎ/さとりのねがひ
 
 発表に際しては、信条を伝えた短歌が多くなっている、といえるかもしれません。
 
45なにげなく、風にたわめる黒ひのきまことはまひるの波旬のいかり
           「あざりあ第一号」   大正六年二月中
 
 この歌を含めて十二首44から55までが「みふゆのひのき」というタイトルで載せられています。
 
みふゆのひのき
44 アルゴンの、かゞやくそらに 悪ひ〔のき〕/み〔だ〕れみだれていとゞ恐ろし
45 なにげなく、風にたわめる 黒ひのき/まことはまひるの 波旬のいかり
46 雪降れば昨日のひるの 悪(あく)ひのき/菩薩すがたに すくと 立つかな
47 わるひのき まひるは乱れし わるひのき/雪を被れば 菩薩すがたに
48 たそがれにすつくとたてる 真黒の/菩薩のせなのうすぐも
49 窓がらす 破れしあとの 角うつろ/暮れのひのきはうち淀むなり
50 雲きれよ ひのきはくろく延びたちて/なにかたくらむ 連れ行け、よはぼし
51 くろひのき、月光よどむ 雲きれに/うかゞひよりて 何か くはだつ
52 〔雪〕とけて ひのきは 延びぬ はがねのそら/匂(にほ)ひ出でたる 月のたわむれ
53 うすら泣く 月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
54 ひまはりの すがれの茎は夕暗の/ひのき菩薩のこなたに 立てり
55 あはれこは 人にむかへるこゝろなり/ひのきよまこと なれ〔は〕なにぞや
                 
 ヒノキを密教の魔王波旬(密教胎蔵界曼荼羅で快楽を射こむもの)として捉えています。また保阪嘉内宛書簡63(大正7、5、19)では、維摩経の挿話―魔王波旬が帝釈天に化け、持世菩薩のもとに天女を捧げようとするが、市井の賢者維摩詰が化けの皮をはがして菩薩を救う―を引いて、魔性と聖性の区別の難しさも記しています。
 ヒノキへの関心は、既に〈323 風は樹を/ゆすりて云ひぬ/「波羅羯諦」/あかき〔は〕みだれしけしの一むら〉とも詠まれました。この歌の関連を感じさせるのは童話、「ひのきとひなげし」ですが、ここでは徳のある医者に化けているのが悪魔、〈ひのき〉には魔性はなくひなげしを悪魔から救う存在です。
 この元となっているのは、歌稿Bでは〈大正六年一月より〉の430から449まで、8日間を記録するように、ヒノキを詠んでいるものです。歌稿Aでは「ひのきの歌」というタイトルがつけられていますが、この歌は入っていません。
 
430 なにげなく/窓を見やれば/一もとのひのきみだれゐていとゞ恐ろし
431 あらし来んそらの青じろさりげなく乱れたわめる/一もとのひのき    
432 風しげく/ひのきたわみてみだるれば/異り見ゆる四角窓かな
433 ひかり雲ふらふらはする青の虚空/延びたちふるふ/みふゆのこえだ
434 雪降れば/今さはみだれしくろひのき/菩薩のさまに枝垂れて立つ
435 わるひのき/まひるみだれしわるひのき/雪をかぶれば/菩薩すがたに
436 たそがれに/すつくと立てるそのひのき/ひのきのせなの銀鼠雲
437 窓がらす/落つればつくる四角のうつろ/うつろのなかの/たそがれのひのき
438 くろひのき/月光澱む雲きれに/うかがひよりて何か企つ
439 しらくもよ夜のしらくもよ/月光は重し/気をつけよかのわるひのき
440 雪おちてひのきはゆるゝ/はがねぞら/匂ひいでたる月のたわむれ
441 うすらなく/月光瓦斯のなかにして/ひのきは枝の雪をはらへり
442 (はてしらぬ世界にけしのたねほども/菩薩身をすてたまはざるはなし
441a442月光の/さめざめ青き三時ごろ/ひのきは枝の雪を撥ねたり
443 年わかき/ひのきゆらげば日もうたひ/碧きそらよりふれる綿ゆき
444 ひまはりの/すがれの茎のいくもとぞ/暮るゝひのきをうちめぐりゐる
445 たそがれの/雪にたちたるくろひのき/しんはわづかにそらにまがりて
446 (ひのき、ひのき、まことになれはいきものか われとはふかきえにしあるらし)
447 むかしよりいくたびめぐりあひにけん、ひのきよなれはわれをみしらず
448 しばらくは/試験つゞきとあきらめて/西日にゆらぐひのきを見たり
449 ほの青き/そらのひそまり/光素(エーテル)の弾条もはぢけんとす/みふゆはてんとて
 
 歌稿から、雑誌掲載歌への推敲については、当ブログ「短歌に吹く風4」に詳述したのでここでは省略します。 ここでも言えることは、発表した作品は、叙景歌が消えて、ひのきを菩薩、或いは魔王として捉え、信条を重ねています。
 
中秋十五夜
115きれぎれに雨を伴ひ吹く風にうす月こめて虫の鳴くなり  
116つきあかり風は雨をもともなへど今宵は虫鳴きやまぬなり
117其のかみもかく雨とざす月の夜をあはれと見つつ過ぎて来しらん   
「アザリア三輯」
 
 歌稿Bでは次のようになっています。
 
613きれぎれに雨をともなふ西風に/うす月みちて/虫のなくなり
614月明かり/風は雨をもともなへど/今宵は虫のなきやまぬなり
615赭々とよどめる鉄の澱の上に/さびしさとまり/風来れど去らず 
 
115,116は613,614と対応していますが、117に対応する歌は管見の限りでは見つかりませんでした。題材が月ではなく、「中秋十五夜」のタイトルにふさわしくないので、新たに詠み加 えたのかも知れません。ここでは、自身の感情〈さびしさ〉を強く詠みこんでいてふさわしくなかったと思ったのでしょうか。
 
197そら高く風鳴り行くを天狗巣の/さくらの花はむらがりて咲く
大正八年五月二日 書簡145保坂嘉内宛
 
 次の三篇とともに葉書に短歌のみ書かれています。
 
195よるべなく夕暮亘る桑の樹の/足並の辺に咲けるみざくら
196夕暮はエルサレムより飛びきたり/桑の木末をうちめぐりたれ
198天狗巣の花はことさらあわれなり/ほそぼそのびしさくらの梢
 
 天狗巣―天狗巣病は樹木の茎・枝が異常に密生する奇形症状で、サクラでは子嚢菌類タフリナ科に属するサクラ天狗巣病菌が原因です。また一部だけ密生し花が咲かない枝は不気味でもあります。賢治は天狗巣病には興味を示し、「小岩井農場」(『春と修羅』)〈桜の木には天狗巣病がたくさんある。天狗巣は早くも青い芽を出し〉始め数例あり、この短歌群も主題は天狗巣病のようです。
 〈そら高く〉なる風は、揺れるさくらの花を一層際だたせますが、同時に花の咲かない天狗巣病の部分は〈あわれ〉だったのです。〈あわれ〉は古語の〈趣深い〉の意味ではなく〈哀れ〉ではないでしょうか。
 ここで興味を引くのは196の「夕暮はエルサレムより飛びきたり」です。この唐突な言葉には何か意味があるのでしょうか。エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地dすが、「夕暮れ」を関係づける事実は、管見の限りでは見つかりませんでした。観光記事で夕暮れの眺めが素晴らしいという記事が多くありますが、当時でもそのような話が流れていたのでしょうか。
 〔そもそも拙者ほんものの清教徒ならば〕(口語詩稿)下書稿手入れでは、「エルサレムアーティチョーク」(キクイモの英名)が出てきます。
 
そもそも拙者ほんものの清教徒ならば / 或ひは一〇〇%のさむらひならば /これこそ天の恵みと考へ / 町あたりから借金なんぞ一文もせず /八月までは /だまってこれだけ食べる筈 ……
 
この詩も夕暮れ時です。キクイモはアメリカ原産の菊科ヒマワリ属で、根にはイヌリンを多く含みデンプンの材料となり、江戸時代末期に飼料用として伝来しました。この詩にも「清教徒」という宗教に関連する言葉が皮肉めいて使われていますが、地名との関連はないかも知れません。
 
206一むねに四とせの雨よはた風よ君はもだせる人として来ぬ 
謹みて橋本大兄に呈す/口を尖らしたる像及腰折五首      
 
 この短歌を含めた五首が賢治の写真の台紙に書き込まれ贈られました。
「橋本大兄」は橋本英之助、賢治の従兄で幼少の頃よく遊び、盛岡中学校の一学年先輩で、寄宿舎でも一緒で、舎監排斥運動にも関わっていたようです。
「文語詩篇ノート」に、
 
18(賢治の年齢) 1913 寄宿舎舎監排斥
1月 橋本英之助 Pã 
 
の文字があります。友人の門出に際して贈ったものと思われ、五首の中には、「207君は行く太行のみち三峡の険にも似たる旅路を指して」があります。ただし橋本英之助が危険な海外に出かけたということではなく、実家の呉服商を継いだことを意味し、友人の進路への深慮も覗うことができます。「一むねに四とせの雨よはた風よ」は4年間の寮生活を意味しているのだと思われ、風は雨とともに、日々の出来事や思い出を表すもので、このようなごく平板な表現も、現れます。
 
あはれ赤きたうもろこしの毛をとりてかたみに風に吹きけるものを   
「畑のへり」裏表紙                  
 
 「畑のへり」は麻畑の周囲に植えられたトウモロコシを、蛙の眼線で描いたユーモラスな作品です。この裏表紙裏面から表面にかけて書き散らしてあります。 装幀のような感覚でしょうか。童話の内容と違って、詠嘆調の短歌です。意味は明確ではありませんが〈かたみに〉からは感情を交わす、もう一人の人物がいることが考えられます。
 
 短歌は、若い日の賢治が、ひたむきに自分の心情や周囲の風景を綴って、驚くほど新鮮な感覚を読み取ることが出来ました。風は、ほとんどが風の風景の中で詠まれて自然の中に浸らせてくれる大きな力でもあったと思います。発表や贈呈という別の目的を持つと当然ですが変わっていきます。時に観念的になり技巧が空回りします。でもそれが、後に別な巧みさを持って現れるようになるのではないかと思います。詩や童話にどう引き継がれていくのか、今後も読み続けたいと思います。
 
 







永野川2019年4月上旬

 

4月6日、永野川緑地公園のソメイヨシノ、強風にもめげず満開です。

この公園は、カワヅザクラを皮切りに数種のサクラを楽しめる都市

型公園であると同時に周囲の里山の自然の中で、たくさんの生物に出

会うことができます。

 

6日

よく晴れて暖かかったので、9:00ころ出かけましたが、途中で風が出てきました。

二杉橋では水が涸れ、水たまりにカルガモ3羽、ウグイスの声も、いつもより少なくて、弱いようでした。比較的大きなキジバトが砂地を歩いていました。睦橋付近では少し水量があり、セグロセキレイ2羽、岸の草むらでホオジロが地鳴きしていました。

上人橋の上から下の河川敷の草むらを見ると一瞬アオジ3羽が出てきたのですが、すぐ草むらに隠れてしまいました。少量の水があるので、ダイサギ1羽、アオサギ1羽が見えました。

川の中頃で、川を飛び越して対岸に留まったもの.双眼鏡に入れるとシメでした。このごろ数が少なくなり、今日はここのみでしたが、シメを見るとなぜか嬉しくなります。

公園の池ではヒドリガモ33羽集結していました。中に少し頭が大きくナポレオンの帽子状の鳥が見えました。三列風切りが垂れているのが目立ちヨシガモと思えるのですが、光線の加減か、頭から全体に黒っぽくみえました。今季始めに、ここでヒドリガモと一緒に見たことがありますから、恐らくヨシガモと思います。

カイツブリも1羽見えました。またここで繁殖してくれるといいのですが。

公園の岸の草むらから、アオジの囀りに似た声を聞きました。少し不規則でしたが、フェイスブック上で聞いた声に似ていました。

草むらでは他の地鳴きの声も聞こえるのですが、強風のため現れてくれず確認できません。

上空をツバメが1羽よぎりました。今季初です。その後赤津川に入って、2羽、3羽と飛び交い総計6羽、3月末に友人の見た群れは散ってしまったようです。

大岩橋上の山林のへりでメジロの囀りが聞こえました。ここでは以前にもメジロに会いました。

赤津川は水量があり、コガモ2羽、ハクセキレイ2羽、ヒバリが2カ所で囀りました。一つ目の橋まで行ったのですが、強い西風が体の側面から吹き、道路から落ちそうな危険を感じたので引き返し始めたとき、川岸の草むらで、チッチという声がしてカワセミが動きました。10秒くらい近くを移動していて、青い背中が風の中で輝いていました。これをご褒美に今日は帰ることにしました。

 

7日

日差しは幾分少ないのですが、風もなく暖かでした。10:00になりましたが出かけ、上人橋から赤津川に入りました。

田んぼにツグミがじっと動かずにいました。余り動かないので人工物かと思いましたが、双眼鏡では、ツグミでした。

昨日と同じ辺りで、カワセミが遡っていき、少しして下ってきました。また遡って行く個体があり、3羽としたい気分ですが2羽にしました。

ヒバリがいつもの所より少し上流でも囀っていました。

水のある所ではカルガモが2羽の単位でいることが多く計7羽となりました。カイツブリも2羽、ここでも繁殖するかも知れません。

いくらか民家のある辺りで、一瞬腰の白さを目立たせてイワツバメが飛びました。この時季に観察できるのは久しぶりです。見ていると3羽となりました。どうも橋桁に巣があるようですが、民家の前でゆっくり観察できませんでした。ツバメの姿は2羽と、目立ちませんでした。

後にバードリサーチのお話では、宇都宮ではヒメアマツバメが観察されたとのことです。つい「いないもの」として行き過ぎてしまいますが、よく確かめなければならないと思いました。今日見た個体は、確か腹部が白かったので、イワツバメだと思いますが、一瞬の記憶で、何か羽の形が違う個体がいたような気がします。

少し上流で、バン1羽、額板が見事に朱色になっていました。昨年からいた個体が成鳥となったのかも知れません。

 

鳥リスト

キジ、カイツブリ、ヒドリガモ、カルガモ、コガモ、ヨシガモ,キジバト、アオサギ、ダイサギ、カワセミ、バン、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ、ウグイス、メジロ、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、シメ、ホオジロ、アオジ

 

追記

4月5日の朝日新聞「天声人語」に、巴波川でのセイヨウアブラナへの取り組みの記事が載りました。今の野生の菜の花はほとんど外来種セイヨウアブラナで、ダイコンのような根があり、それに寄生した虫を餌にモグラが増えて土手を崩しているということです。国交省利根川上流河川事務所では、撲滅のために少しずつアブラナを刈って実験、3年目になるということでした。

永野川でも、平成27(2015)年の洪水の翌年から、一面に土手を覆おう菜の花が現れススキやヨシも駆逐された感じで、美しいというよりは少し不気味でした。

このところ永野川では菜の花は減って、雑草に覆われ、場所によっては土が露出している感もあります。もしかして、除草剤を使って悪影響が出たのではないでしょうか。

山村暮鳥「風景」の〈いちめんのなのはな……〉の風景は、野生ではなく栽培されたアブラナでしょう。私が覚えているのは高崎線の沿線の田んぼに広がる風景です。

アブラナから取れる菜種は、貴重な菜種油の原料で、農家にとっては大きな収入源でもあったといいます。

やはり土手に咲く菜の花の風景は異常だったのか、と淋しい気がします。