宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2019年5月下旬

今日から早朝探鳥、5:30頃家を出ましたが、6時にはもう暑くなってきました。

時間を取って二杉橋から見たいのですが、今日も途中が通行止めなので、上人橋から赤津川へ出ました。

上人橋上にカルガモ3羽、ツバメが水面をかすめながら2、3羽と飛びます。上空をゴイサギが1羽飛んでいきました。

セグロセキレイが合流点の河原を飛ぶのが遠くに見えました。このところ河原が減っているのでセキレイ、チドリの類が見られません。イカルチドリの声だけが遠くで聞こえました。

ヒバリが錦着山裏にまた戻ったようで、上流と合わせて8羽になりました。中流では囀りながら空を昇るヒバリを2度、かなり間近でみられました。

カワウが上空を飛び、また下っていきました。その後も2回ほど遡って行ったので、3羽にカウントしました。

キジがあちこちで鳴いて、赤津川河畔ではカップルの姿も見られ、全部で8羽になりました。

赤津川岸で、カワセミの声が聞こえたのに、なかなか見えません。やっと、あまり青いところが目立たない黒っぽい個体を見つけました。若鳥かと思います。カワセミは公園の池でも、まず鳴き声がし、取水口で1羽見つかり、すぐそばで別の少し大きめの1羽が見つかりました。この辺でも繁殖するのかも知れません。

河畔の休耕田でムクドリ7羽の群れ、今のこの数の群れは何なのでしょう。

電線にキジバトが2羽、少し間を置いて留まり、ずっと動かず鳴いていました。た。大岩橋近くの民家のヒノキの大木のてっぺんにもかなり大きめのキジバトがいて鳴いていました。鳴かなければ別の鳥を疑ったかも知れません。こちらも上流まで行って戻ってきた15分後にも動いていませんでした。

大岩橋少し上流の林縁の広葉樹で、聞き慣れない声がずっと聞こえていました。メモしてみるとビーチチチョ、チチチョ、チチチョという感じです。確か昨年教えていただいたオオムシクイにも似ているような気がして、帰って確認すると、聞きなしはビージジロジジロだったので、リズムはあっています。バードリサーチのお話では、今の時期、平地で聞かれるのはオオムシクイとのことです。よく似ている、と言うメボソムシクイの声を聞いてみると、リズムが違っています。昨年私は「ビー」を短い語尾だと思っていたのですが、これは語頭でした。姿を確認できれば嬉しいのですが。今年もう一度会うことも難しいかも知れません。

公園の川で、いくらか小さいように見えるカルガモ4羽の群れがいました。もう雛が成長したのでしょうか。

東池の表面は浮き草に藻が絡まって大変汚くなりました。ウシガエルの声がするのでよく見ると水面に大きな体が見え、その辺りに一面水面に浮いて見えるのはすべてウシガエルで、20匹近くいたようです。藻の混じった汚れた水にまみれた、たくさんの数のウシガエルは、ウシガエルに罪はないのですが、一層不快でした。

上人橋付近まで来ると、今季初コジュケイの声が聞こえました。

公園を歩くと、思いがけない片隅で、エゴが白い花を咲かせていました。この実を求めてまた鳥が来るでしょう。ここを設計され、この木を植えた(あるいは残してくれた)方の気持ちを考えます。ここが変わらずあるように、そして鳥も花も頑張って、と祈ります。

 

鳥リスト

コジュケイ、キジ、カワウ、カイツブリ、カルガモ、バン、ダイサギ、アオサギ、ゴイサギ、イカルチドリ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、オオムシクイ、ヒヨドリ、スズメ、ムクドリ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ

 








永野川2019年5月中旬

17日

気温が高くなりました。9:30で、もう汗ばむ感じです。

いつもの交差点が工事中なので、上人橋へ出て赤津川から廻りました。

合流点で、ホオジロ、カワラヒワが囀っていました。田んぼのヒバリはいなくなりました。

ツバメが、2羽、3羽の少数で飛んできます。今日は全部で10羽でした。

赤津川に入り、カルガモが、1羽、4羽、1羽、少なくなりました。そのほかは、公園の川に2羽のみでした。

カワセミが1羽遡って行きました。声に気づいてすぐ、さっと出てきて消えてしまいます。帰り道にも1羽、下っていきました。同一個体かも知れませんが2羽にカウントしました。

田んぼの遙か向こうに、アオサギが1羽、ダイサギが1羽、ダイサギはチュウサギとの区別が確認できないので取りあえずダイサギとしました。

イソシギが1羽遡って、私の探鳥範囲を超えていきました。

道路に、コスズメらしい4羽が歩いていました。そのおぼつかない足取り、人を警戒しない感じ、やはりコスズメだと思います。

滝沢ハムのクヌギ林で、ハシボソカラスが2羽寄り添っていました。よく見ると、1羽が少し小さく嘴が大きく見え雛のようです。1羽が少し離れた場所に飛び移りましたが、雛は動きませんでした。親鳥の帰りを待つつもりでしょうか。2羽とも雛ならば一緒に動くのではないか、と思いました。

大岩橋上の道路に、ホオジロが1羽クモを追って飛び出し、着地したときは咥えていたのですが、私に気づいて飛び立ちクモを放してしまいました。クモは懸命に逃げ命拾い、ホオジロは食料を失いました。

公園のカイツブリはペアとなって浮巣を作っていました。浮き草が少なくなって、浮巣がはっきり区別出来るようになっていました。まだ卵も雛も確認できませんが、どうか無事に雛が生まれて成長しますように。

新しく見つけた滝沢ハムの植え込みと公園の四阿付近は、木の葉がよく茂って鳥が見つからなくなりました。でも鳥が潜んでいるには違いないので、ゆっくり待つ時間を持ちたいと思います。

 

滝沢ハムの手入れされた雑木林、刈り込まれたヨシ原に、どうも除草剤が撒かれたようです。ヨシ、ススキはいくらか伸びてきているのですが、これからどうなるのか心配です。川の近くの遊歩道の際にも除草剤が撒かれました。その他、以前除草剤が撒かれた池の周囲や児童遊園付近は草が刈り込まれていました。なぜ全部刈り込みという手段を取らないのでしょう。少しの場所なのに。もう少しのところで今年は及第点なのですが。

大岩橋上の山林で、桐の木が一本、花をたくさんつけていました。ハリエンジュの蕾は膨らみましたが、甘い匂いが感じられないのは、まだ満開ではないのでしょうか。

赤津川や永野川の岸にはノバラの白い花が満ちていました。このまま赤い実まで見られたら、と思います。

 

ウシガエルが鳴き始めました。またいつものアマガエルではないカエルも鳴き始めました。これは、トウキョウダルマガエルのようです。子供時代にはたくさんいましたが、今の我が家の周辺では聞こえないので、やはり珍しいものになってしまったのでしょうか。

 

周囲の緑が今年は豊かなような気がします。夏、もうそろそろ早朝探鳥に切り替えた方がよいのかも知れません。

 

鳥リスト

キジ、カイツブリ、カルガモ、ダイサギ、アオサギ、イソシギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ヒヨドリ、スズメ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ

 

 

 








2019/05/14 22:52:01|わたしたちと兄
Mちゃんとの手紙
M姉のところのMちゃんから、コメントを貰いました。
とても嬉しかったので、ブログの本文に載せます。

お礼
お手紙の御礼にこのような公の場を借りることは少し憚られるのですが、ご丁寧なお手紙にお応えする文章力もありませんので失礼ながらこの場を使わせて頂きました。M姉の長男です。
電話を頂きましたことに感謝致します。
「みんな一緒に」とタイトルを付けて頂いたように、タイミングよく皆さんにお会いできたことに感謝します。逆にいろいろとお気遣いを頂きまして恐縮致します。

母は状況の把握に時間がかかり、またすぐに忘れてしまうため、実感があるのかどうかすぐにはわかりませんが、血のつながりとは不思議なものです。後日聞いたところ、しっかりと記憶にありました。

ブログを少し拝見しまして、自然を見ることは楽しいことなのですね。
父の遺した庭に関わるようになって、最初はつらい仕事でしたが、今まで無関心だった植物のことが僅かですが分かるようになりまして、少し楽しくなり始めました。
母が所有している牧野植物図鑑などを使うほどではありませんが、これから少しずつ知識を深められばと思っています。

歳を重ねることは、このような事かと当事者として実感することが多くなりました。
誰でも自然にかえるとは分かっていても、それをどのように迎えればまたは寄り添えばよいのか、多くの迷いがあります。
そのような中で、自分の人生の中で出会った人に再会できることはとても有意義なことと感じます。
みんなさんで会う機会を楽しみにしておりますが、お手伝いできることがございましたら
ご遠慮なく、ご相談ください。

長くなりまして申し訳ありません。
改めまして、このような機会とお手紙を頂きましてありとうございました。

M姉長男  (2019/05/12 12:40:53)

Mちゃんへ
姉妹という、いわばアウトサイダーの思い入れに、暖かいお返事をいただき有難うございました。
そのMちゃんの暖かさが、姉の穏やかな表情に繋がっているのだと思いました。姉が少しでも記憶にとどめてくれるなら本当に嬉しいです。またいつかお会いできますよう。               
小林俊子  (2019/05/12 23:28:41)







永野川2019年5月上旬

 

7日

予報に反してよく晴れたので、9:30出かけました。晴れている割に肌寒い日です。

コースを変えて、上人橋から赤津川に入りました。合流点付近でツバメが1羽、2羽、と舞い、その後も増えて、公園では4、5羽ずつ舞い、合計で24羽になりました。イワツバメは見られませんでした。

合流点付近で、チドリの声が聞こえましたが、姿が確認できず声も不確かですが、イカルチドリに入れました。このところ近寄れるところに河原がないのでチドリに会えません。コチドリのアイリングを見たいのですが。

カルガモが、合流点で2羽、上空を飛んで行きましたが、その後二杉橋付近で1羽、計3羽のみ、どこかに移動してしまったようです。ヒドリガモはいなくなりました。コガモは10羽、二杉橋の近くの岸に並んでいました。最後に渡る群れでしょうか。

公園の東池には、また浮き草のような植物が一面に茂ってしまいました。それに埋まるように、カイツブリが1羽じっとしていました。浮巣は見えないのですが、或いは浮き草に隠れてしまっているのかもしれません。

モズが高橋付近の樹木で繁殖行動していました。その他は1羽ずつですが目立ち、計4羽にな

赤津川岸の耕された田で、ムクドリが餌を探し咥えて飛び立ちました。公園のなか、永野川河畔の民家で1羽ずつ、こちらもどこかで営巣中でしょうか。セグロセキレイも大岩橋河川敷林で綺麗に囀っていました。ホオジロもあちこちで8羽、すべて囀りでした。

大岩橋の下で、ダイサギが1羽、嘴黒、脚黒でダイサギと思いましたが、「宇都宮で野鳥を楽しもう」を見るとチュウサギも来ているようです。今度は心して確認したいと思います。

二杉橋の近くの護岸を久しぶりにイソシギが斜めに歩いていました。河原と浅瀬が揃っているところが少なくなり、河川敷には雑草が繁茂するようになったせいか、シギ、チドリ類、セキレイ類になかなか会えません。

キジがあちこちで、突然現れ、計6羽、まだ家族連れを見ていませんが、繁殖はこれからでしょうか。

ヒドリガモ、ツグミ、シメは見えなくなり、ヒヨドリもめっきり減って3羽、まだサシバ、オオヨシキリなど夏鳥も現れず、鳥種がめっきり少ない日でした。まだ渡り途中のコムクドリなど見られるでしょうか。いろいろ期待しているのですが。

河川敷のハリエンジュが堅い蕾を下げ、フジは山でも藤棚でも盛りです。アメリカハナミズキ、ユリノキが花をつけました。公園もいよいよ夏に近づきました。

 

鳥リスト

キジ、カイツブリ、カルガモ、コガモ、ダイサギ、イソシギ、イカルチドリ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ホオジロ8、








2019/05/01 23:23:25|わたしたちと兄
みんな一緒に

2018年12月、一番元気だった86才のK姉が大腿骨骨折で入院しました。「大腿骨骨折」=「寝たきり」という不吉な思いがよぎりましたが、見舞いに行った他の姉から、とても元気だった、という知らせを受け、身勝手ですが安心してしまいました。年が明けたらと思い、正月に入ると自分が座骨神経痛になり、胃腸の不調も重なって、暖かくなったら、と思い、つい4月下旬になっていました。

姪の知らせでは歩行ができないので病院から施設入所したということでした。姪と連絡を取り、幸い一緒に訪ねることが出来ました。週一、家族で面会に来ているそうです。面会室に義兄と二人座った車椅子のK姉がいました。

一番、ショックだったのは、姉が「今日はもう帰れると思った」と二回口にしたことでした。家の事情や自分の体の状態を把握できていなかったのです。慌てて、「足の訓練をすればもう少しで帰れるよ」といいました。姉は「そうだね。目が悪くなる前は、あんなに歩いていたのに」と答えてくれましたが、私の言葉が救いになってはいなかったのは分ります。

環境の変化は、恐いものです。昨年7月に連絡したときは元気で、周辺の友人たちのこと、もう一人の姉のことも普通に話し、今度涼しくなったら会おうと約束してくれたのでした。

よく話し、短歌を作り、好きなDVDを買い揃えて音楽を聴き、賢治が好きな姉です。義兄と一緒に、実家の広い庭を花でいっぱいにしていたこと、いつも姉妹の集まる場所を作ってくれたこと、料理が上手で周辺の人にも教え、いつも手のかかる花豆の煮物やキャラ蕗を出してくれたことを思うと、胸が痛みました。

この施設は、宿泊場所とデイサービスの場所が隣り合い、歩行の出来ない姉は、毎日デイサービスで過ごし、宿泊場所ではほんとに寝るだけのようで、プライバシーもどの位保てるのか疑問でした。CDをあげようか、という私の問いにも、はっきり答えられなかったのは、一つには状況がよく分らないのかもしれませんが、姉が居づらいのは確かです。また機能訓練はどの位やってくれているのでしょうか。少しでもK姉の希望が持てるような時間があるのでしょうか。

かといって、介護する立場からすれば、とにかく預かってくれるところを探すだけでも大変だったと思います。姪にしても教職にあり、息子も大学生と受験前の高校生、婚家の親御さんの面倒も見なければならず、実家にいる義兄と姉の施設と、週一訪ねて面倒を見るだけでも大変なことです。

 

姉の施設で、他の姉にも会えれば良いと思い、施設にいて週末には帰宅するM姉のところに連絡を取ったら、甥が一緒に来てくれました。M姉は、昨年義兄が他界してから、めっきり症状が悪くなったようです。ただ、足も体も丈夫で、穏やかに笑っています。姉からこちらに話しかけてくれることはあまりありません。ここでも甥は土日にM姉と過ごすために実家に戻る生活です。

 

前日、もう一人の姉に、K姉の施設を訪ねるので一緒に行こうか、と電話しました。姉はデイサービスの日なので来られなかったのですが、今度一緒に、と言ったら、それ以降、ここ何年か聞いたことのなかった弾んだ声が聞こえてきました。

K姉の所を訪ねた翌日に、姉から電話があり、様子を聞いてくれました。みんなに会えたことを話すととても喜んでくれて、施設への行き方や周辺のことなど、詳しく尋ねられました。とてもしっかりして、滑舌もよくなっていて、私まで温かな気持ちになりました。ただ姉のほうが高齢なので、K姉が帰りたがっていたことは言えず、元気で車椅子だったことだけ話しました。

姉の家では、義兄が施設に入所していて、やはり週一家族で面会に行くそうです。こちらは部屋も個室でデイサービスは無く、ホールに一人でいることが多く、あまり人との接触がないようでした。訪ねていってもあまり会話も出来なくてつまらない、と姉は言っていました。でもそういう相手を思いやる感情が持てるのは、まだ元気な証拠でしょうか。以前は義兄も家に帰るといって暴れたりして、姉も心痛の様子でした。ということは同居している甥夫婦の大変さが思われます。

 

姉たちが、『私たちと兄』の原稿を書いてくれたのが2017年でした。たった2年の間に、姉たちの環境も体も変わってしまったのです。これが老いるということなのか、でも現実ですから受け止めなくてはなりません。

いろいろな状況にはありますが、姉たちは皆、甥や姪がしっかりサポートしてくれて、幸せだと思います。

 

K姉の施設に行った帰り、電車の少し離れた場所に乗っている男性の横顔が、なぜか兄にそっくりでした。もちろんそれは私の勝手な思い込みなのですが、顔の角度をどうか変えないで、と願いながら暫く見ていました。

 

兄、姉とみんな一緒に過ごせた気がした三日間でした。

これを書いているとき、気づかないうち「令和」になりました。新しい時代を、過去のことは楽しい思い出として大事に仕舞い、これから何をするのが姉妹にとって一番良いのか考えて過ごしたい、また会える機会を作って行きたいと思います。