2018年12月、一番元気だった86才のK姉が大腿骨骨折で入院しました。「大腿骨骨折」=「寝たきり」という不吉な思いがよぎりましたが、見舞いに行った他の姉から、とても元気だった、という知らせを受け、身勝手ですが安心してしまいました。年が明けたらと思い、正月に入ると自分が座骨神経痛になり、胃腸の不調も重なって、暖かくなったら、と思い、つい4月下旬になっていました。
姪の知らせでは歩行ができないので病院から施設入所したということでした。姪と連絡を取り、幸い一緒に訪ねることが出来ました。週一、家族で面会に来ているそうです。面会室に義兄と二人座った車椅子のK姉がいました。
一番、ショックだったのは、姉が「今日はもう帰れると思った」と二回口にしたことでした。家の事情や自分の体の状態を把握できていなかったのです。慌てて、「足の訓練をすればもう少しで帰れるよ」といいました。姉は「そうだね。目が悪くなる前は、あんなに歩いていたのに」と答えてくれましたが、私の言葉が救いになってはいなかったのは分ります。
環境の変化は、恐いものです。昨年7月に連絡したときは元気で、周辺の友人たちのこと、もう一人の姉のことも普通に話し、今度涼しくなったら会おうと約束してくれたのでした。
よく話し、短歌を作り、好きなDVDを買い揃えて音楽を聴き、賢治が好きな姉です。義兄と一緒に、実家の広い庭を花でいっぱいにしていたこと、いつも姉妹の集まる場所を作ってくれたこと、料理が上手で周辺の人にも教え、いつも手のかかる花豆の煮物やキャラ蕗を出してくれたことを思うと、胸が痛みました。
この施設は、宿泊場所とデイサービスの場所が隣り合い、歩行の出来ない姉は、毎日デイサービスで過ごし、宿泊場所ではほんとに寝るだけのようで、プライバシーもどの位保てるのか疑問でした。CDをあげようか、という私の問いにも、はっきり答えられなかったのは、一つには状況がよく分らないのかもしれませんが、姉が居づらいのは確かです。また機能訓練はどの位やってくれているのでしょうか。少しでもK姉の希望が持てるような時間があるのでしょうか。
かといって、介護する立場からすれば、とにかく預かってくれるところを探すだけでも大変だったと思います。姪にしても教職にあり、息子も大学生と受験前の高校生、婚家の親御さんの面倒も見なければならず、実家にいる義兄と姉の施設と、週一訪ねて面倒を見るだけでも大変なことです。
姉の施設で、他の姉にも会えれば良いと思い、施設にいて週末には帰宅するM姉のところに連絡を取ったら、甥が一緒に来てくれました。M姉は、昨年義兄が他界してから、めっきり症状が悪くなったようです。ただ、足も体も丈夫で、穏やかに笑っています。姉からこちらに話しかけてくれることはあまりありません。ここでも甥は土日にM姉と過ごすために実家に戻る生活です。
前日、もう一人の姉に、K姉の施設を訪ねるので一緒に行こうか、と電話しました。姉はデイサービスの日なので来られなかったのですが、今度一緒に、と言ったら、それ以降、ここ何年か聞いたことのなかった弾んだ声が聞こえてきました。
K姉の所を訪ねた翌日に、姉から電話があり、様子を聞いてくれました。みんなに会えたことを話すととても喜んでくれて、施設への行き方や周辺のことなど、詳しく尋ねられました。とてもしっかりして、滑舌もよくなっていて、私まで温かな気持ちになりました。ただ姉のほうが高齢なので、K姉が帰りたがっていたことは言えず、元気で車椅子だったことだけ話しました。
姉の家では、義兄が施設に入所していて、やはり週一家族で面会に行くそうです。こちらは部屋も個室でデイサービスは無く、ホールに一人でいることが多く、あまり人との接触がないようでした。訪ねていってもあまり会話も出来なくてつまらない、と姉は言っていました。でもそういう相手を思いやる感情が持てるのは、まだ元気な証拠でしょうか。以前は義兄も家に帰るといって暴れたりして、姉も心痛の様子でした。ということは同居している甥夫婦の大変さが思われます。
姉たちが、『私たちと兄』の原稿を書いてくれたのが2017年でした。たった2年の間に、姉たちの環境も体も変わってしまったのです。これが老いるということなのか、でも現実ですから受け止めなくてはなりません。
いろいろな状況にはありますが、姉たちは皆、甥や姪がしっかりサポートしてくれて、幸せだと思います。
K姉の施設に行った帰り、電車の少し離れた場所に乗っている男性の横顔が、なぜか兄にそっくりでした。もちろんそれは私の勝手な思い込みなのですが、顔の角度をどうか変えないで、と願いながら暫く見ていました。
兄、姉とみんな一緒に過ごせた気がした三日間でした。
これを書いているとき、気づかないうち「令和」になりました。新しい時代を、過去のことは楽しい思い出として大事に仕舞い、これから何をするのが姉妹にとって一番良いのか考えて過ごしたい、また会える機会を作って行きたいと思います。