宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2019年7月上旬

8日

昨日はよく晴れていましたが朝から強風で見合わせ、今日は、このところのお天気のなかで一番晴れに近い日、風も無かったので、5:30に家を出ました。

二杉橋では、ウグイスの声が聞こえるのみ、カルガモが5羽、2羽と岸辺に休んでいました。

第五小付近でいつものカワラヒワの囀りが聞こえました。今日は高橋付近、公園内でも聞こえ、そろそろシーズンなのかも知れません。

コゲラの声が高橋付近の民家の大木、大砂橋の下の山林と2カ所で聞こえました。

ホオジロの囀りが岸辺で断続的に聞こえ上人橋まで7羽確認出来ました。公園内で、さえずりが聞こえた方角で、低木のてっぺんに飛び上がった個体がいて、確かに口を開けているのですが、どう見てもです。少しすると地鳴きが聞こえました。が頂上で鳴く風景は初めて見たような気がします。

ツバメが多く、永野川では4羽でしたが、公園では6羽、3羽、3羽、……と飛び計23羽となりました。

赤津川に入るとイワツバメ4羽確認、先日飛び込むのが見えた橋の付近では見かけず、もう巣立ったのでしょうか。

公園の岸の低木なかで、ヒヨドリくらいの大きさの鳥が動き、ヒヨドリとはまた違う感じの声で鳴きつづけていました。ピーピョピョピョピーという感じです。ガビチョウかも知れない、と思い、鳴き声図鑑に当たってみると、カオジロガビチョウの囀りに似ている気がしましたが、ヒヨドリの囀りとも思えてしまって、結局カウントには入れませんでした。

バードリサーチからのお返事の中に偶然、ガビチョウが増えているというお知らせがありました。もう一度鳴き声図鑑などに当たってみましたが自信が持てないので、カウントはせず、これからの課題としました。

カイツブリのヒナは、親鳥の半分くらいの大きさにまで成長していました。成鳥と一緒でしたが、なぜか距離を置いている感じでした。その少し後、どこかから別の成鳥が出てきたら、ヒナがピーピーピーと鳴いて、駆け寄る感じで近づき、その後は離れませんでした。こちらが母鳥なのでしょうが、もう1羽は父親か、それとも別の家族でしょうか。

大岩橋上の山林の奥からノスリの声が聞こました。ここは本来いるべき場所なのでしょうか。この辺りで昨年はサシバを見かけました。サシバは追われてしまったのでしょうか。どうか共存していてほしいものです。

鳥種は少なかったのですが、ガビチョウ?体験や、カイツブリの親子関係などが見られ面白い時間でした。

 

ヤブカンゾウが公園の法面では盛りです。他の場所のものより幾分小さめですが、植物図鑑でも、この形の花はヤブカンゾウしかないので、地質と数が関係しているのでしょうか。

クズや、小さな体で赤い実をつけているナワシロイチゴが一本ありました。もし叶うなら、こういう植物が再生してほしいものですが、周辺の雑草を見ると刈り取りが入るのも近いのかも知れません

アレチマツヨイグサも咲き始めの澄んだ黄色です。ここで、オオマツヨイグサも以前見たことがあります。また少しでも花が戻ってくれれば嬉しいのですが。

 

 

鳥リスト

キジ、カイツブリ、カルガモ、アオサギ、ノスリ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ,ウグイス、ヒヨドリ、モズ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ








永野川2019年6月下旬

7月1日

6月下旬は、雨や雑用に祟られて、ついに出かけられず、7月1日にやっと雨の落ちない日が来ました。

5:30頃出かけました。時折、霧が体にかかることもありましたが、大平山の霧は薄く、少しずつあがっているような感じでした。

 

今日のトピックスはヒナたち。

公園に入ったところの芝生で、カルガモが2羽、成鳥ではなく幾分小さめ、何か慌てたように飛びさりました。

公園の川辺で、散歩中の犬が吠え、川の中で一瞬逃げるカルガモの群れに気づきました。確かにまだ小さなヒナが8羽と親鳥1羽、慌てて水中に生えたツルヨシの影に隠れて、それ以後見えませんでした。でも今季初のカモヒナです。

公園に行ってみると、カイツブリ1羽いて、何か膨れている感じでした。よく見ると小さな赤い嘴が見えて、すっぽり羽の中に背負われているのが分りました。何羽いるのか、見えやすい状態になるまで待ちました。結局1羽のみでしたが、先回の時はヒナを見落としていたのです。1羽ですが、今年も繁殖できたのです。とても嬉しくなりました。

少しして親の背中から下りたヒナは、しきりに親に鳴きかけているようでした。写真に撮りたい2ショットでしたが、うまく行きませんでした。でもこの目で見ることが1番と思い、暫く見続けていました。

赤津川では、道路をヨチヨチ?と歩く、コスズメ11羽の群れがいて、やはりシーズンなのだな、と思います。

公園の電線に6羽が並んで停まっているツバメも、自立したばかりのヒナでした。

 

もう一つのトピックス、猛禽たち。

大岩橋の山林に向かって、カラスより小さめか、と思う鳥が、しきりに羽ばたきながら消えて行きました。尾は細く、体は白っぽく見え、大きさなどからオオタカだと思いましたが、遠くて一瞬の鳥の情景を正確に判断が出来ないのは悔しいことです。

もう一つ、赤津川の田んぼの民家の近くの電線に、確かに猛禽と思われるものが停まっていました。トビはよくいる場所ですが、トビよりは小さめで、毛並みが、ばさついてい感じです。近くに寄ってみると、顔も違っています。飛ぶ姿を見たいと待っていたら、尾羽はトビのようにはっきりしたバチではなくばさばさしていました。やはりノスリです。

バードリサーチのお話では今年はノスリが増えていて、身近な田畑や、広場などでも見つかるということでした。

 

久しぶりで二杉橋から入りましたが、このところの雨で、水は濁ってはいないのですが量は増えて中州は全くありません。

ウグイスが変わらず鳴いていましたが、「谷渡り」が増えています。

睦橋手前で、草むらをよぎってホオジロ大の鳥が飛び、すぐ草むらに隠れてしまいました。喉が黒かった気がしましたが、この時期で該当する鳥は思いつかないので、ホオジロとしました。

ハクセキレイが2羽、透明な感じの声で鳴いて飛びました。

上空をアオサギが単体で3度、2羽で1度北へ飛びました。公園では上空をゴイサギ2羽、3羽、ダイサギは2羽、上空を行き、カワウが水辺をかすめて下っていきました。

上人橋付近で山からコジュケイの声が聞こえました。どこまで登れば見えるのでしょう。

公園のワンドで、飛翔する鳥がいて、よく見るとモズでした。その後も2度飛び、赤津川でも電線に留まるものがいて、今日は4羽、暫くぶりの数のように思えます。

公園の芝生と川をセグロセキレイが行き来しながら5羽、これも久しぶり、中州がないので、行き所を失っているようです。

 

二杉橋のすぐ上の西岸の草が20メートルばかりくっきりと刈り取られて、水辺のヨシもなくなっていました。その上は水辺までヨシが覆っていますが、ここも刈り取るのでしょうか。ここはこの辺でも最も自然の残っている場所で、少し上には恐らくカワセミが営巣する場所があるのですが。

茶色かった公園のイヌムギは刈り取られていました。刈り跡を見れば根まで茶色に枯れていて、やはり除草剤によるものだと思いました。結局刈るのならなぜ除草剤なのでしょう。

滝沢ハムの近くのヨシ原にも除草剤を撒いたようで、ヨシ、ススキに除草剤は効かず、先だけが茶色くなっています。背の高い草は、ただ一時汚くなるだけなのに、怒りが湧きます。

アカツメクサの花穂などがすべて黒くなっているのも見苦しいです。ツメクサの花を除草剤で枯らしても、来年は又生えてくるものだし、そのままでも決して見苦しいものではありません。それまでのあいだ、なぜ自然のままにしておけないのでしょうか。

 

川辺のヨシはようやく延びてきていますが、まだヨシキリは来ていません。

工業高校と公園の境に、大きなネムノキが花をたくさんつけていました。20年近く通っているのに初めて見つけました。ヤブカンゾウが咲き、キリギリスも鳴き始め、もう夏の向こうの秋が始まっているのかも知れません。

 

鳥リスト

コジュケイ、キジ、カワウ、カイツブリ、キジバト、カルガモ、ダイサギ、アオサギ、ゴイサギ、オオタカ、ノスリ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、オナガ、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ヒヨドリ、モズ,スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ホオジロ、

 

 








永野川2019年6月中旬

18日

風もなく幾分涼しい朝、自転車の手入れに手間取り少し遅れて5:40家を出ました。

上人橋から入る。ツバメ1、キジ1、ヒバリ1に迎えられます。カルガモ3羽が上空を北に飛んでいき、かなり大きめのアオサギが畦にいて動きません。今日はダイサギよりも多く見かけました。

 

合流点のカイツブリの巣を見に行きましたが、成鳥が1羽いるのみで、巣は無くなっていました。橋桁に乾いた草が絡まっていたので、或いは流れてしまったのかも知れません。

池の巣は痕跡があるのですが、こちらには成鳥もいなくて、反対側の池を見ましたが鳥の姿はありませんでした。

 

その他の鳥は、巣立ちラッシュです。

公園の河川敷ではハシボソカラスの幼鳥2羽と、親鳥らしい1羽がなにやら固まっていて、争っているようにも見え遊んでいるようにも見え、1羽が恐らくカラスの羽を咥えていましたが、それ以上のことはわかりませんでした。

大岩橋上の、ハリエンジュの林で、ツリツリというエナガの声が聞こえ、3羽が木を上り下りしていました。黒が多めの体で何か毛が毛羽立っているようで、幼鳥だと思います。ここでも繁殖しているのだったら嬉しいことです。秋になったら、また群れで現れてくれるでしょうか。

ハクセキレイが、やはり毛羽だった感じの個体が2羽、連れだって飛んで、その後も同様の個体が飛んでいました。

また永野川で久しぶりにイカルチドリの声が聞こえ、中州を暫く探すと幼鳥らしい個体が2羽、成鳥が2羽、次々に移動していました。繰りかえしていうことになりますが、ここで繁殖していくことは、未来が見え、嬉しいことです。

もう一つ嬉しいこと。

赤津川の瓦店近くの橋で、イワツバメ5羽が出入りしていました。巣は確認できませんでしたが、確かに棲息しています。

公園の川岸、低木の樹頂などでホオジロがさかんに囀っていました。かなり遠くからですが、ワンド跡の低木のいただきではっきりと口を開けて囀る個体を見つけました。永野川では囀りながら2羽が縺れて飛ぶ姿も見えました。カップルだったか同士だったか分りませんでしたが、声は囀りでした。これも棲息の証拠でしょうか。

 

大岩橋付近の山林から今季初ホトトギスを聞きました。タイミングを逃すと一年間は聴くことができないので幸いでした。上人橋付近の山林まで下りてきたときももう1度聞こえました。同一個体かも知れないのですが2羽にカウントしました。

 

大岩橋上の河川敷は、10年ほど前ハリエンジュの大木が切り倒され、ブルドーザーで均されました。その跡に、一斉に生えた木々が今茂っています。エナガだけでなく、もっといろいろな声が聞こえます。豊かな鳥の住処なのです。また伐採が無いことを祈ります。もし手を加えるなら、樹木の育成に向けてのビジョンを持ってほしいと思います。繁茂と伐採を繰返して、何の意味があるのでしょう。そもそも伐採が必要なのでしょうか。

公園のかなり広い部分で、雑草イヌムギが茶色くなっているのは穂が熟して枯れたのとはまた違う異様な気がしました。もしかして今までは撒かなかった所に、広範囲に除草剤を撒いたのでしょうか。繰返しますが薬品アレルギーの人も訪れる場所です。空気を汚し、風景も汚し、何の得があるのでしょう。刈り取るのとそんなにコストが違うのでしょうか。

今年はヨシがあちこちで復活して緑が綺麗ですが、そことの違いに、目を向けていただいていますか。どうかここには除草剤はもちろん刈り取りも入りませんように。

公園にはナツツバキが美しく咲きそろっています。その他の場所にも美しさがあることを感じてほしいものです。

 

鳥リスト

コジュケイ、キジ、カワウ、カイツブリ、キジバト、カルガモ、ダイサギ、アオサギ、ゴイサギ、ホトトギス、イカルチドリ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ,ウグイス、エナガ、ヒヨドリ、スズメ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ








永野川2019年6月上旬

5日

5時に起きてみましたが、どんよりと曇って暗い日でした。でも明日は予定があり、金曜日は天気が悪そうなので出かけることにしました。

上人橋から入ると、さくら保育園のグラウンドで、雀8羽が群れていました。地面を工事したようで、虫が出てきているのかもしれません。

上人橋上の草むらでキジが1羽潜んでいましたが、とても黒っぽい個体でした。

ウグイスが鳴き、狭い田でヒバリ囀っていました。ヒバリは赤津川岸の田8羽のほか、公園内でも1羽、永野川の高橋付近でも囀っていました。

ゴイサギが上人橋で2羽、公園2羽、永野川でも3羽、計7羽、上空を飛んで行きました。どこに営巣して、どこに移動しているのでしょう。この環境で営巣は出来ないのかも知れません。

カワセミが、思いがけず錦着山の方角から、公園の川のほうへ飛んでいきました。赤津川でも1羽が遡って行きました。カワセミ2羽に会えるのは嬉しいことです。カワセミに会うことで、なにかほっとして、今日はよかった、と思ってしまいます。

赤津川岸の田では、田植えがほとんど終わっていて、ダイサギが1羽悠々と田を横切っていました。カエル様のものを捉え振り回しながら歩いて、その大きな嘴がやっと咥えている感じです。あの嘴はダイサギだと思います。

曇っている割に、ツバメは下に下りてこなくて、計15羽でした。

大砂橋下で、ハシブトカラスが21羽鳴きながら旋回して移動していきました。ここではカラス類は少ないので、何かあったかと思いました。

ヒヨドリの声が増えてきました。大岩橋の民家のヒノキに成鳥1とヒナ2が留まっていました。口の大きく羽毛が柔らかそうな2羽と普通の親鳥が1羽、親鳥はすぐ離れてしまいましたが、ヒナは追うこともしないようでした。

セグロセキレイが動き出し、合わせて10羽になりました。公園の河原では灰色の幼鳥が2羽見えました。

二杉橋では久しぶりにシジュウカラの声を聞きました。カワラヒワも囀っていました。

ホオジロは、8羽でしたが、ほとんどが草の頂上や木の枝の目立つところで囀っている場面を見ました。繁殖期真っ只中なのでしょうか。

日差しがなく視界が悪いので見えない鳥も多く、声も判別できないことも多かった日でした。

ヨシが少しずつ芽を伸ばしていています。今年はヨシキリが来てくれるでしょうか。

 

鳥リスト

キジ、カワウ、カイツブリ、カルガモ、ダイサギ、アオサギ、ゴイサギ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ、ウグイス、ヒヨドリ、スズメ、セグロセキレイ、シジュウカラ,カワラヒワ、ホオジロ

 

 








「税務署長の冒険」―風はいつもすべてを包んで吹いて―
 「税務署長の冒険」―風はいつもすべてを包んで吹いて―
 
この物語は、密造酒摘発にあたる税務署長のお話で、賢治作品には珍しくサスペンスタッチを取り入れています。
内容には、当時の東北における密造酒の問題―民間に伝わる酒自醸への思い、税制、取り締まりへの批判などを含みながら、ブラックユーモアたっぷりの展開です。
その中で、「風」の表現は五例あり、匂いを運ぶ風、比喩表現、とそれぞれが短くても重要な役割を果たしています。引用文中、斜体で示します。
まずストーリーを追って、その面白さを確認してみましょう。
 
一、濁密防止講演会
赴任した税務署長は、まず学校で濁密(酒の密造)防止の演説会を開きます。
たっぷりの皮肉を込めて濁蜜の実際や酒の礼賛までやりますが、どうも様子がおかしくむしろ歓迎されているよう、あるいは税務署長の腹の底まで見通されている感じです。
 
「……イギリスの大学の試験では(オックス)でさえ酒を呑ませると目方が増すと云ひます。又これは実に人間エネルギーの根元です。酒は圧縮せる液体のパンと云ふのは実に名言です。堀部安兵衛が高田の馬場で三十人の仇討ちさへ出来たのも実に酒の為にエネルギーが沢山あったから〔〕です。みなさん、国家のため世界のため大に酒を呑んで下さい。」(小学校長が青くなってゐる。役場から云はれて仕方なく学校を借したのだが何が何でもこれではあんまりだと思ってすっかり青くなったな)と税務署長は思ひました。けれどもそれは大ちがひで小学校長の青く見えたのはあんまりほめられて一さう酒が呑みたくなったのでした。……
 
「濁蜜をやるにしてもさ、あんまり下手なことはやってもらひたくないな。なぁんだ、味噌桶の中に、醪を仕込んで上に板をのせて味噌を塗って置く、ステッキでつっついて見るとすぐ板が出るぢゃないか。廏の枯草の中にかくして置く、いゝ馬だなあ、乳もしぼれるかいと云ふと顔いろを変えている。
新らしい肥樽の中に仕込んで林の萱の中に置く。誰かにこっそり持って行かれても大声で怒られない。煤だらけの天井裏にこさえて置いて取って帰って来るときは眼をまっ赤にしている。できあがった(もの)だって見られたざまぢゃない。どうせにごり酒だから濁ってゐるのはいゝとして酸っぱいのもある。甘いのもある、アイヌや生蕃にやってもまあご免蒙りませうといふやうなのだ。そんなものはこの電燈時代の進歩した人類が呑むべきもんぢゃない。どうせやるならなぜもう少し大仕掛けに設備を整えて共同ででもやらないか。すべからく米も電気で研ぐべし、しぼるときには水圧機を使うべし、乳酸菌を利用し、ピペット、ビーカー、ビュウレット立派な化学の試験器械を使って清潔に上等の酒をつくらないか。もっともその時は税金は出して貰ひたい。そう云ふにやるならばわれわれは実に歓迎する。技師やなんかの世話までして上げてもいゝ。こそこそ濁酒半分かうじのままの酒を三升つくって罰金を百円とられるよりは大びらでいゝ酒を七斗呑めよ。〔」〕
 
 二、税務署長歓迎会
その後も村の有志たちとの歓迎会に臨み、打ち解けた会話が進むなか、酔ったふりをしていると、酒の種類が変わってきたのが分りました。最後の会話で、酔っていないことがばれ、素早くその場を離れます。その展開も、一つ一つの言葉が効いていて、スリルを感じさせます。
 
それでももうぐたぐたになって何もかもわからないというふりをしていました。それにくらべたら村の方の人たちこそ却って本当に酔ってしまったのでした。そのうちに税務署長は少し酒の匂が変って来たのに気がつきました。たしかに今までの酒とはちがった酒が座をまわりはじめてゐました。署長は見ないふりをしながらよく気をつけて盃を見ましたが少しも濁ってはいませんでした。どうもおかしい。これは決してここらのどの酒屋でできる酒でもない、他県から来るのだってもう大ていはきまってゐる。どうもおかしいと斯う署長はひとりで考へました。そのうちさっきの村会議員が又やって来てきちんと座って云ひました。
「いや、もう閣下、ひどくご無礼をいたしました。こんな乱雑な席にご光来をねがいまして面目次第もございません。ただもうほんの村民の志だけをお汲み下されまして至らぬところ又すぎました処は平にご容謝をねがいます。」
署長はすっかり酔った風をしながら笑って答へました。「いや、君、こんな愉快なうちとけた宴会ははじめてだよ。こんなことならたびたびやって来たいもんだね。斯う出られたら困るだらう。」 村会議員はちらっと署長を見あげました。本当はまだ酔ってゐないなと気がついたのです。署長が又云ひました。「どうも斯う高い税金のかかった酒を斯う多分に貰っちゃお気の毒だ。一つ内密でこの村だけ無税にしやうかな。」「いや、ハッハッハ。ご冗談。」村会議員は少しあわてて台所の方へ引っ込んで行きました。「もう失礼しやう、おい君。」署長は立ちあがりました。
「もうお帰りですか。まあまあ。」村長やみんなが立って留めやうとしたときそこはもう商売で署長と白鳥属とはまるで忍術のやうに座敷から姿を消し台所にあった靴をつまんだと思うともう二人の自転車は暗い田圃みちをときどき懐中電燈をぱっぱっとさせて一目散にハーナムキヤの町の方へ走ってゐたのです。
 
三、署長室の策戦
署長は部下のデンドウイ属を村に潜入させ、調べさせます。署長の作戦がとても愉快です。
 
「変装して行って貰ひたいな。一寸売薬商人がいゝだろう。あの千金丹の洋傘があった筈だね。」「は、ございます。」「ぢゃ、ライオン堂へ行ってこれでウィスキーを一本買ってねそれから広告をくばってやるからと云って何かのちらしを二百枚も貰ひたまえ。そいつを持って入って行くんだ。君の顔は誰も知ってやしない。どうもあの村はわからないとこがある。どうも誰かがどこかで一斗や二斗でなしにつくってゐる。一つ豪胆にうまくやって呉れ給え。」「は、畏まりました。」……
 
でもデンドウイ属はすぐ欺されます。
 
「人が集ったらいづれ酒を呑まないでゐないからと存じまして(お弔いの家の)すぐその前のうちへ無理に一晩泊めて貰ひました。するとそのうちからみんな手伝ひに参りまして道具やなんかも貸したのでございます。私は二階からぢっと隣りの人たちの云ふことを一晩寝ないで聞いて居りました。すると夜中すぎに酒が出ました。もう一語でもきゝもらすまいと思ってゐましたら、そのうち一人がすうと口をまげて歯へ風を入れたやうな音がしました。これはもうどうしても濁り酒でないと思っていましたら、」「ふんふん、なかなか君の観察は鋭い。それから。」「そしたら一人が斯う云ひました。いゝ、ほんとにいゝ、これではもうイーハトヴの友もなにも及ばないな。と云ひました。イーハトヴの友も及ばないとしますととても密造酒ではないと存じました。」
 
「すうと口をまげて歯へ風を入れたやうな音」を、デンドウイ属は、「澄んだ良い酒を飲んだ音」と理解したのですが、これは、濁っていない密造酒を、試すように口に入れた形容ではないかと思います。一瞬の行動を賢治は風を使って表しています。
 
次に、署長は別の部下シラトリ属に調査を命じます。
 
あのね、この前の村会議員のとこへ行ってね、僕からと云ふ口上でね、先ころはごちさうをいたゞいて実にありがたう、と、ね、その節席上で戯談半分酒造会社設立のことをおはなししたところ何だか大分本気らしいご挨拶があったとね、で一つこの際こちらから技術員も出すから模範的なその造酒工場をその村ではじめてはどうだろう、原料も丁度そちらのは醸造に適してゐると思うと斯う吹っかけて見てじっと顔いろを見て呉れ給へ。きっと向ふが資本がありませんでと斯う云ふからね、そしたらどうでせう半官半民風にやらうぢゃありませんかと斯うやって呉れ給へ。そしてその返事をもうせき一つまでよく覚え込んで帰って呉れ給へ。
 
と言う署長の作戦に対して、相手はうまく乗ってくれず、
 
「仕方ありませんからそこを出て村の居酒屋へいきなり乗り込んであった位の酒を瓶詰のもはかり売のも全部片っぱしから検査しました。」「うんうん。そしたら。」「そしたら瓶詰はみんなイーハトヴの友でしたしはかり売のはたしかに北の輝です。」「北の輝の方がいくらか廉いんだな。」「さうです。」「たしかに北の輝かね。」「さうです。それから酒屋の主人に帳簿を出さしてしらべて見ましたが酒の売れ高がこのごろ毎年減って行くやうであります。」
 
と、うまくだまされて帰ってきます。
 
「おかしいな。前にはあの村はみんな濁り酒ばかり呑んでゐたのにこのごろ検拳が厳しくてだんだん密造が減るならば清酒の売れ高はいくらかづつ増さなければいけない。」「けれどもどうも前ぐらゐは誰も酒を呑まないやうであります。」「さうかね。」「それに酒屋の主人のはなしでは近頃は道路もよくなったし荷馬車も通るのでどこの家でもみんな町から直かに買ふからこっちはだんだん商売がすたれると云ひました。」「おかしいぞ。そんなに町からどしどし買って行くくらゐの現金があの村にある筈はない。どうもおかしい。よろしい。こんどは私が行って見やう。どうもおかしい。明日から三四日留守するからね。あとはよく気をつけて呉れ給へ。さあ帰ってやすみ給へ。」
税務署長は唇に指をあて、眼を変に光らせて考へ込みながらそろそろ帰り支度をしました。                                  
 
四、署長の探偵
 
署長は自ら出かけることにしました。作中で署長が 「科学的なもん」というやうに、変装の仕方も具体的で、東京を思わせる「トケウ」から来た椎茸の買い付け人に適した身なりが描かれます。
 
 税務署長のその晩の下宿での仕度ときたら実際科学的なもんだった。
まず第一にひげをはさみでぢゃきぢゃき刈りとって次に〔揮〕発油へ木タールを少しまぜて茶いろな液体をつくって顔から首すじいっぱい〔に〕手にも〔〕塗った。鼻の横や耳の下には殊に濃く塗ったのだ。それからアスファルトの屋根材の継目に塗りつける黒いペイントを〔顎〕のとこへ大きな点につけてしばらくの間じっとそんな油や何かの乾くのを待ってたが、それがきれいに乾くとこんどは鏡台の引出しをあけてにせものの金歯を二枚出して犬歯へはめました。すると税務署長がすっかり変ってしまって請負師か何かの大将のやうに見えて来た。それから署長は押し入れからふだん魚釣りに行くときにつかふ古いきうくつな上着を出して着ておまけに乗馬ズボンと長靴をはいた。そして葉書入れを逆まにしてしばらく古い名刺をしらべてゐたがその中からトケウ乾物商サヘタコキチと書いたやつをえらんでうちかくしへ入れた。独りものの署長のことだから実際こんなことができたのだ。それから帽子をかぶり洋傘を持って外へ出たけれども何と思ったかもう一ぺん長靴をぬいでそれを持って座敷へあがった。古い新聞紙を鏡の前の畳へ敷いて又長靴をはいてちゃんと立って鏡をのぞいてさあもうにかにかにかにかし出した。
 
村人との対応も見事です。小売酒屋に行くと、村人はすぐぼろを出します。
  
「どうもせいがきれていけない。一杯くれませんか。えゝ瓶でない方。ううい。いゝ酒ですね。何て云ひます。」「北の輝です。」「これはいゝ酒だ。ここへ来てこんな酒を呑まうと思はなかった。どこで売ります。」「私のとこでおろしもしますよ。」「はあ、しかし町で買った方が安いでせう。」「そうでもありません。」……
 
組合の事務所へ行くと
 
「どうでせうね。わたしあ東京の乾物屋なんだが貸しの代りに酒をたくさんとったのがあるんだがどうでせう。椎蕈ととり代えるのを承知下さらないでせうかね。安くしますが。」「さあだめだろう。酒はこっちにもあるんだから。」「町から買ふんでせう。」「いゝや。」「どこかに酒屋があるんですか。」「酒屋ってわけぢゃない。」 さあ署長はどきっとしました。「どこですか。」「どこって、組合とはまた別だからね。」若者はぴたっと口をつぐんでしまひました。さあ税務署長はまるで踊りあがるやうな気がした。もうたゞ一息だ。少くとも月一石づつつくってあちこち四五升づつ売ってゐるやつがある。今日中にはきっとつかまへてしまふぞ。……
  
「どこね、会社へかね。」会社、さあ大変だと署長は思った。
「ああ会社だよ。会社は椎蕈山とはちかいんだろう。」
「ちがふよ。椎蕈山こっちだし会社ならこっちだ。」
「会社まで何里あるね。」「一里だよ。」「どうだろう。会社から毎日荷馬車の便りがある だろうか。」「三日に一度ぐらいだよ。」
 
署長は密造を確信して山を踏み分けて行きます。そこでは
 
どこかで蜂か何かがぶうぶう鳴り風はかれ草や松やにのいゝ匂を運んで来た。
ちょっとふりかへって見るとユグチュユモトの村は平和にきれいに横たわりそのずう
っと向うには河が銀の帯になって流れその岸にはハーナムキヤの町の赤い煙突も見えた。
署長はちょっとの間濁密をさがすなんてことをいやになってしまった、
 
枯れ草や松やにの豊かな匂いを運ぶ風があり、自然の前で、濁密の摘発など小さなことに思えてしまう署長には、作者の思いが色濃く伝わり、この作品を、ただ面白いだけでない展開を感じさせるものにしています。
密造酒の工場と、出来た酒を荷馬車に積んで松の枝で隠し出発するのを見つけ、「風のやうに三角山のてっぺんから小屋をめがけてかけおり」ます証拠をつかもうと工場に忍び込みますが捕まって、「まるで風のやうにうごいて綱を持って来た」者に署長はくるくるしばられて、」正体がばれてしまいます。その展開をかなりスペースを取って、速いテンポで描き、冒険小説のような筆運びです。素早さを形容する風の比喩が二カ所あります。
いろいろ取引を持ちかけますが、木に吊されてしまいます。なんと、その社長は名誉村長で、監査役が小学校長でした。木に吊された署長は、
 
おもてへ出て見ると日光は実に暖かくぽかぽか飴色に照っていた。(おれが炭焼がまに入れられて炭化されてもお日さまはやっぱりこんなにきれいに照ってゐるんだなあ。)署長はぽっと夢のやうに考へた。
 
 ここでも追うもの追われるもの、すべての立場を超越して、包み込む自然の状況が挿入されます。
 
五、署長のかん禁
署長が気づいたとき、密造者側が、和解工作を提案してきます。それは、したたかな村人を象徴するものでしたが、署長もその立場を曲げる訳にはいきません。
 
「……就きましていかゞでございませう。私どもの会社ももうかっきり今日ぎり解散いたしまして酒は全部私の名儀でつくったとして税金も納めます。あなたはお宅まで自働車でお送りいたしますがこの度限り特にご内密にねがいませんでせうか。」
署長はもう勝ったと思った。「いやお語で痛み入ります。私も職務上いろいろいたしましたがお立場はよくわかって居ります。しかしどうも事こゝに至れば到底内密ということはでき兼ねる次第です。もう談がすっかりひろがって居りますからどうしても二三人の犠牲者はいたし方ありますまい。尤も私に関するさまざまのことはこれは決して公にいたしません。まあ罰金だけ納めて下さってそれでいゝやうな訳です。」
 
その時、警察や税務署の部下たちが駆けつけて、密造者を捕縛、証拠品を確保します。取り締まり側の税務署長、犯人の名誉村長は並んで、ともにクロモジの匂いを感じます。
 
署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほいが風にふうっと漂って来た。
「ああいゝ匂だな。」署長が云った。
「いゝ匂ですな。」名誉村長が云った。
 
そして、風はここでもクロモジの匂いを署長にも密造者にも平等に送ってくれるのでした。
 
この物語の背景について考えます。
1、地理的背景
原稿冒頭のメモ「かゝとに脉ある村人気質を/軽いユーモアを加へて書く」、「村名等をすっかり東北風のこと」とあり、のちに書き換えの意思があったと思われます。「かゝとに脉ある」は「踵に目がある」―油断ならない―と同義でしょうか。
作中の税務署のある都市「ハーナムキヤ」は花巻市、密造酒の工場のある「ユグチュユモト」は花巻市の西方に広がる旧湯口村、旧湯本村を念頭に置いたと思われます。
ハーナムキヤやユグチュモトを見渡せる、頂上に小さな三角標のある丘は、江釣子森の中腹、観音山近くの通称「裏山」と思われます。
賢治の生家豊沢町から花巻農学校まで1.8q、農学校から旧湯口村役場跡まで西方に5q、湯本村役場跡までは北北西に7q、湯口村から江釣子森の中腹、観音山の下を経て湯本村まで約7q、デンドウイ属が内偵した、お弔いのあった家のある「ニタナイ」は旧宮野目村似内で湯口村に隣接しています(注1)。
 
2、東北における密造酒の歴史的背景 
東北地方の酒類の自醸自飲の風習は、自給自足経済政策の一環として、旧藩時代から認められていました。しかし明治政府は財源調達の手段として酒造税制を制定し、明治32年1月自家用酒の製造を全面的に禁止しました。政府にとっては財政上の要請による処置でしたが、農民にとっては生活に密着した飲酒生活を根本的に上からの改革で変えられることになりました。
1911(大正9)年仙台税務署監督局制作の『東北六県酒類密造矯正沿革誌』は、密造に対する農民の強い執念と取り締まりの状況が記されます。農民と税務署との駆け引きやだまし合いの様々な事件が新聞を賑わせました。特に大正九年の「鉢屋森山中大密造事件」は「税務署長の冒険」の展開とそっくりといわれます(注2)。
賢治の母方の祖父宮澤善治は、花巻税務署の所得調査員をしていたので、賢治にとっては、祖父の身を案じる気持ちも働き、密造はより身近な問題だったと思われます (注3)。
藤原隆男氏は、「税務署長の冒険」はこのような歴史的背景によって構想されたと指摘しています。(注4)。
童話「ポランの広場」、「雪渡り」、「葡萄水」、詩「酒買船」(「春と修羅第三集」)、一〇九二「藤根禁酒会へ贈る」一九二七、九、一六、(「詩ノート」)、など多くの作品で飲酒については批判的な言葉を残していますが、貧しい生活の中の農民の楽しみの酒を奪い、時には働き手を拘束することになる密造酒摘発には、すべてに賛成ではなかったのではないでしょうか。
 
3、作品の背景―探偵小説の誕生―
この作品や、設定の似ている「毒もみの好きな署長さん」、「探偵」と言う語の登場する「ペンネンネンネンネンネネムの伝記」、「青木大学士の野宿」が成立したのは、1921(大正10)年から1924(大正13)年と推定されます。
この間、1920(大正9)年、のちに探偵小説隆盛の中心的存在となる雑誌『新青年』(博文館)が創刊されます。
『新青年』には、『冒険世界』の後身として、第一次世界大戦の勝利の結果獲得した海外領土への植民を奨励する国策に添うために、農村の二、三男に向けての情報を発信する目的がありました。編集の森下雨村は、それだけに留まらず、SFや、海外探偵小説の翻訳、スポーツ記事や、懸賞漫画など幅広く載せました。国内の探偵小説のほか、1922(大正11)年新年号別冊「正月探偵名作集」ではコナン・ドイル、モーリス・ルブラン、エドガー・アラン・ポーなどの翻訳と、馬場胡蝶「アラン・ポーの研究」を載せたほか、小阪井不木「科学的研究と探偵小説」で「大都市の生活が科学的であるだけ、それだけ犯罪を行ふには如何にも都合がよい」という理論を展開しました。さらに8月には、小阪井は血液の分析など科学的方法による犯罪解明を説きました。その「都市」と「科学」という二つの要因で、大正時代の探偵小説は成立していきます(注5、6、7)。1923(大正12)年、4月に日本初の本格的探偵小説と言われる江戸川乱歩「一銭銅貨」が掲載され、次第に都会向けの雑誌に変身しました。さらに1923(大正12)の関東大震災とそこからの復興は、都市機能の変化と国民意識の変化をもたらし『新青年』、探偵小説もさらに変化していきます。前記の探偵の登場する作品の時代的背景として日本の探偵小説の誕生があったと言えます(注5)。
『新青年』と賢治との直接の接点は証明されていませんが、1921(大正10年)12月、農学校への就職を決めていた賢治が手に取った、ということも考えられます。村人の言葉など具体的事実から内偵を進める方法はまさに科学的です。署長自らの変装の手順について、作品中の「税務署長のその晩の下宿での仕度ときたら実際科学的なもんだった。」という言葉は、作者が『新青年』を意識していたのではないかと思わせます。
この作品は、東北が舞台ですが、周辺の農村の農民に対する地方都市ハーナムキヤの官僚という設定があり、さらに中央官庁大蔵省から任命され若くして地方の税務署のトップになった税務署長と地元採用の部下との関係も描かれます。内偵に入る署長に「トケウ乾物商サヘタコキチ」の名刺を持たせるなど、中央から来ている人物であることを暗示させるための細かい配慮がされています。
風はいつも物語の節目で吹きます。それは作者の、密造者の立場(貧しさ、安価な酒への需要、酒による村の憩い)と、摘発をせざるを得ない官吏の立場、双方を思いやる心と、人間の営みなど超越して存在する自然への畏敬の念を表していると思います。
 

1佐々木久春「『税務署長の冒険』考」
(『作品論 宮沢賢治』 双文社出版 1984)146〜150頁
2澤口勝弥「宮沢賢治『税務署長の冒険』―その社会的背景と租税思想―」
(『宮沢賢治研究Annualvol.28』1998 宮沢賢治学会イーハトーブセンター)
150〜157頁
3那珂川裕次郎(酒主邦夫)「密造の話」(『宮沢賢治は社会の諸問題をどう見ていたか』電子書籍2019) 
4藤原隆男「自家用酒の製造過程について―密造酒問題の歴史的背景―」
(岩手史学会編『岩手の歴史と風土』)
5大島丈志「「税務署長の冒険」論―「探偵」と「税務署長」をめぐる同時代言説からの考察」
(『文学17−1』  岩波書店2016)105〜109頁
6川崎賢子「大衆文化成立期における〈探偵小説〉ジャンルの変容」
(7『近代日本文化論7 大衆文化とマスメディア』 岩波書店 1999)77〜79頁
7山下武『『新青年』をめぐる作家たち』 筑摩書房 1996 9〜14頁