宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
〈風が吹く〉こと (2)―伝える風―クロモジとマグノリア
 前々回、「冬の風」で書いた、「シグナルとシグナレス」では、シグナルの言葉をひそかに伝えるのは西風でした。
ここでは風が伝える香りについて考えてみます。


「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」
 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと云った。
「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」
   子熊はまた云った。
「だから溶けないで残ったのでしょう。」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが丁度銀の鎧のやうに光ってゐるのだった。しばらくたって子熊が云った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとさうだ。」
 ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(筆者注:コキエ、昴のこと)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のやうだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」
「いいえ、お前まだ見たことありません。」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう。」
「そうだろうか。」子熊はとぼけたやうに答へました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光をあびて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。(「なめとこ山の熊」)

「なめとこ山の熊」では、熊の親子の幸せそうな姿を目にした小十郎が、自分の気配が風によって伝わらないことを願います。賢治はそんな小十郎をねぎらうように、クロモジの香りを送ったのです。

クロモジはクスノキ目クスノキ科クロモジ属、低山や疎林の斜面に自生する落葉低木で2m〜5mくらい、多くは2m前後です。緑色の木肌に黒い斑紋が出来る様子からクロモジの名前が付いたといわれます。
葉や枝にクスノキ目特有の芳香があり、それを利用して楊枝が作られるほか、かつては抽出した油が香料や化粧品に使われました。
 東北、北越では、狩りの獲物に突き刺して神への供物にするのも、その香りを利用したものでしょう。
クロモジは4月に黄色い小さな花を付けますが香りはなく、木も傷つけなければ芳香は出ませんが、賢治はそこにいつも香りを描き、他の作品でも象徴的に使われます。

すぐ向うに一本の大きなほうの木がありました。「ああもうあの日から四日たってゐるなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。」
 署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほいが風にふうっと漂って来た。
「ああいい匂だな。」署長が云った。
「いい匂ですな。」名誉村長が云った。(「税務署長の冒険」)

 税務署長が密造酒の探索に出たのは恐らく四月、クロモジは花を付けていたでしょう。四日間の山中での苦労や密造人への対応の辛さを一瞬忘れさせてくれるものとして、風はそこにクロモジの香りを運んでくれたのです。
 
「兄さん。ヒームカさんはほんたうに美しいね。兄さん。この前ね、僕、ここからかたくりの花を投げてあげたんだよ。ヒームカさんのおっかさんへは白いこぶしの花をあげたんだよ。そしたら西風がね、だまって持って行って呉れたよ。」(「楢の木大学士の野宿」)

クロモジの香りはモクレン属の花と同時に描かれることが多いようです。
「なめとこ山の熊」でも親子熊の会話に、コブシの古名、方言〈ひきざくら〉が登場します。
「楢の木大学士の野宿」では、岩頸は、大好きな山に、風に託してカタクリやコブシの花を届けます。実際には香りがどのくらい強いかわかりませんが、風に頼んだのはきっとコブシの花の香りだったでしょう。賢治は花の美しさに香りを感じていたのだと思います。

いきなり険しい灌木の崖が目の前に出ました。
  諒安はそのくろもじの枝にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなやさしいものを諒安によこし ました。
  諒安はよじのぼりながら笑ひました。……中略……  
  諒安は眼を疑ひました。そのいちめんの山谷の刻みにいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いてゐるのでした。その日のあたるところは銀と見え陰になるところは雪のきれと思はれたのです。
(けはしくも刻むこころの峯々に、いま咲きそむるマグノリアかも。)斯う云う声がどこからかはっきり聞えて来ました。諒安は心も明るくあたりを見まわしました。(「マグノリアの木」)

 「マグノリアの木」では、クロモジの香りを運ぶものは風ではなく霧です。
修行僧と思われる諒安は、西域を想像させる地をさまよううち崖に阻まれます。クロモジの木を支えに登ると、黄金の平原が開け、周囲の谷には、〈マグノリアの木〉の白い花と芳香に満ちています。マグノリアは、モクレン目モクレン科のモクレン属の学名で、園芸関係では、モクレン、コブシ、オオヤマレンゲなどに広くこの言葉が使われます。
その情景は絶対の〈覚者の善〉と説かれます。

花も大きく香りの強いものもあるマグノリア属の花に比べると、クロモジは目立たなくて香りも実際には届きません。
でも春先の風に吹かれるクロモジの細い枝と黄色い花は、春の象徴のように、人を安らかにし、また実用にもなりました。
賢治にとって、マグノリア属の花は高い精神性と宗教性を持っていたのに対して、クロモジは人の身近にあって、多くの人に手を差し伸べる存在だったのかもしれません。









〈風が吹く〉こと(1) 季節のうつろい
    賢治は風を沢山の比喩に用いていますし、風を表すのにも巧みな比喩を使います。しかし〈風が吹く〉という事実だけでも、そこに多様の意味を持たせています。
特に多く、印象深く感じられる、季節の変化を表している場合を考えてみます。
 先月記した、「水仙月の四日」でも風は吹雪とそののちに来る春を予感させるものでした。
「或る農学生の日誌」では、春の訪れを感じるのは、なぜか〈冷たい風〉のなかです。日記体の文章でもあり、二例繰り返し登場します。
季節の変化は、まず、確実に日照の変化があり、温度変化は徐々に現れます。ここでも、日の明るさによって春の到来を感じても、風はまだ冷たく、風を体に受けることによって、日の暖かさをいっそう強く感じているということでしょうか。

まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。(「或る農学生の日誌」)

風は寒いけれどもいい天気だ。(「或る農学生の日誌」)

反対に、「十月の末」では、秋の気配は、散り落ちた柳の葉、青空に浮く秋の雲などとともに、急にやってくるようです。そこに吹く冷たい風は、もう秋の風になっています。

それはツンツン、ツンツンと鳴いて、枝中はねあるく小さなみそさざいで一杯でした。
  実に柳は、今はその細長い葉をすっかり落して、冷たい風にほんのすこしゆれ、そのてっぺんの青ぞらには、町のお祭りの晩の電気菓子のような白い雲が、静に翔けているのでした。
「ツツンツツン、チ、チ、ツン、ツン。」
  みそさざいどもは、とんだりはねたり、柳の木のなかで、じつにおもしろそうにやっています。柳の木のなかというわけは、葉の落ちてカラッとなった柳の木の外側には、すっかりガラスが張ってあるような気がするのです。(「十月の末」)

「四又の百合」でははっきりと〈九月の風〉を感じ、それは〈すきとほったするどい秋の粉〉で、〈数しれぬ玻璃の微塵のやう〉という視覚からも捉えられています。

風がサラサラ吹き木の葉は光りました。
「この風はもう九月の風だな。」
「さようでございます。これはすきとほったするどい秋の粉でございます。数しれぬ玻璃の微塵のやうでございます。」
「百合はもう咲いたか。」
「蕾はみんなできあがりましてございます。秋風の鋭い粉がその頂上の緑いろのかけ金を削って減らしてしまひます。今朝一斉にどの花も開くかと思われます。」(「四又の百合」)

季節の変化とともに起こるものとして、種子を飛ばす風があります。「いちゃうの実」、「おきなぐさ」を見てみます。
  
その明け方の空の下、ひるの鳥でも行かない高い所を鋭い霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。
   実にその微かな音が丘の上の一本いちゃうの木に聞える位澄み切った明け方です。
   いちゃうの実はみんな一度に目をさましました。そしてドキッとしたのです。今日こそはたしかに旅立ちの日でした。みんなも前からそう思っていましたし、昨日の夕方やって来た二羽の烏もそう云いました。……

  ……そうです。この銀杏の木はお母さんでした。
  今年は千人の黄金色の子供が生れたのです。
  そして今日こそ子供らがみんな一諸に旅に発つのです。
 
  ……突然光の束が黄金の矢のように一度に飛んで来ました。子供らはまるで飛びあがる位輝やきました。
  北から氷のように冷たい透きとほった風がゴーッと吹いて来ました。
「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」子供らはみんな一度に雨のように枝から飛び下りました。
  北風が笑って、
「今年もこれでまずさよならさよならって云ふわけだ。」と云ひながらつめたいガラスのマントをひらめかして向ふへ行ってしまいました。……(「いちゃうの実」)

   ……奇麗なすきとほった風がやって参りました。まず向うのポプラをひるがへし、青の燕麦に波をたてそれから丘にのぼって来ました。
  うずのしゅげは光ってまるで踊るようにふらふらして叫びました。
「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがたうございました。」
 そして丁度星が砕けて散るときのやうにからだがばらばらになって一本ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のやうに北の方へ飛んで行きました。そしてひばりは鉄砲玉のやうに空へとびあがって鋭いみじかい歌をほんの一寸歌ったのでした。(「おきなぐさ」〈うずのしゅげ〉はオキナグサの別名)

賢治にとって、季節ごとに吹く風は、季節を動かす重要なも
のでした。
そして、種子を運び、命を繋ぐものは風は、〈すきとほった風〉
です。〈透明な風〉は賢治にとって最高の価値を持ち、多くの
作品に登場します。
賢治は自然界で最も大切なものとして、生命のつながりを捉え
ていたのではないでしょうか。 或る農学生の日誌 自然 春 四月










2月の永野川、永野川ビギナー探鳥会、うずま公園(三月)のヒレンジャク
   
まず永野川ビギナー探鳥会のお話です。2月16日はよく晴れましたが風が強く、体感温度0度と予想された日でした。
集合時間の9時、トビが風にとばされるように頭上で舞って、腹面の模様や尾羽の様子も良くみえました。
鳥の姿も少ない中、スズメがパークセンターの屋根の上にとまっているのや、芝生際で懸命に餌をとる所を観察して、指導員さんの何を食べているのだろう、という問題提起で盛り上がりました。日頃は丁寧に見ない鳥たちの出番でした。
川べりも寒かったのですが、時間がたつにつれ、セグロセキレイやハクセキレイ、キセキレイ、などが順よくあらわれて、その違いを観察しました。
カワラヒワは30羽くらいの群れで一斉に飛んで、黄色の翼の模様に見とれました。
シメがそこここに現れ、プロミナ入れてもらって、ゆっくりその顔をながめたりしているうち、指導員さんが、はるかかなたに二羽のカワセミを発見してくれて、皆で期待しながら待ちました。
私たちの気持ちを察するように、近くの川岸の木にとまって餌をとった後ずっと留まっていました。寒さに負けなかった皆へのご褒美でした。
確か中学生の時にここでお会いしたと思う人や、初めて参加された方が感激して下さる姿も嬉しいことです。 
以前も来られた、お祖父様に連れられた5歳と6歳くらいの兄弟が低いプロミナを懸命に覘き、最後まで飽きずにいたことも嬉しいことでした。
特に嬉しかったのは、小学生の時に来てくれた人が、今年は農学部進学が決まり、カラスの研究をすることになったと報告してくれたことでした。伝統ある探鳥部にも絶対入るといいます。野鳥の会にとって、頼もしい後継者が生まれました。
こんな成長の姿を見ることが出来るビギナー探鳥会は本当に貴重な場所です。
 
ビギナー探鳥会での鳥リスト
カイツブリ、アオサギ、ダイサギ、カルガモ、イカルチドリ、イソシギ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワセミ、ホオジロ、オオジュリン、モズ、カワラヒワ、シジュウカラ、シメ、ツグミ、コゲラ、スズメ、キジ、キジバト、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス
、巴波川沿い、室町と境町が接する所のうずま公園には、エノキ、サクラなどの大木があり、枝にヤドリギがたくさんついています。 その実を目当てに、レンジャクが渡りの途中で立ち寄ることがあります。
 3月3日、4羽のヒレンジャクに会いました。4年ぶりくらいです。川にも降りて、至近距離で見ることが出来ました。
今年はヤドリギもたくさん実をつけていますので、まだしばらくは滞在するかもしれません。(ただし、鳥のことはあてになりません。会えたら幸運!)
ここには意外にも、ヒドリガモ20羽のほか、オナガガモ、カルガモ、コサギ、ツグミ、アカハラ、シメ、ヒヨドリ、スズメ、カワセミも来て、探鳥地としてもなりたつのかもしれません。
 
 2月初旬は、雪も降り気温の低い日が続きました。
そんな中でキジバトが何時になく多く、公園の草むらで、あちこちで2羽、3羽と現れます。
 滝沢ハム所有の草むらでは、ジョウビタキ、シメ、シジュウカラなどが元気です。7日には、寒さのなか、新井町、赤津川沿いの田んぼでヒバリが囀り始めました。昨年よりは2週間早いきろくです。
 
中旬、コガモが少しずつ動き始め、ツグミやホオジロ、バンなども多数みられるようになりました。オオジュリンや、カシラダカなどの冬鳥も、今年は赤津川河畔の法面の草むらや、大岩橋上の草むらで多数が動いています。
カモたちは分散してしまったようです。二杉橋近くのカルガモは数羽になってしまいましたがここでは珍しいマガモが3羽混じっていました。コガモは上流で20羽くらいずつ群れていました。
大岩橋上の草むらの反対側の岸から見ていると、カシラダカやオオジュリン、ホオジロなどが、草むらの方に飛び移ました。
草むらの側で見ると、シジュウカラが11羽次々に現れては消えて行き、またカシラダカやオオジュリン、アオジ、ホオジロなどが飛びかっていきました。
そしてここでは滅多に見られないアトリが1羽、樹上に現れ、飛び去って行きました。アトリは群れでしか見たことがありません。もしかして草むらの中には、もっといたのでしょうか。大岩橋上の草地は、宝庫です。 
 
下旬
最後の28日は、三月下旬の暖かさ、ということでした。公園内の側では、カラスがゆっくり水浴びをして(カラスの行水ではありませんでした)ずぶぬれでした。
中州をセキレイに交じって、タヒバリが1羽ゆっくりと歩いていました。図鑑通りの茶色の多いしっかりした体つきでした。もしかすると、1月に見た、樹上にいていくらか緑がかった腹に縦班のある尾をよく振っていたものは、ビンズイだったのでしょうか。先日、赤津川上流ではビンズイとタヒバリ両方を見られるという情報を得たばかりです。
今年はカシラダカやオオジュリン、アオジなど草むらの鳥が元気です。赤津川岸、公園内のヨシ原、滝沢ハムの所有地、とどこでも見ることが出来ました。シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、シメなども数が飛びぬけて多いようです。全生息数を把握することはできませんが多様な鳥が生きている、ということを感じられます。
この環境を、どうやれば守っていけるのでしょうか。
二杉橋上の河川工事や、土手の法面の刈り取りが始まっています。これがどのように影響して行くのか、はっきりとした数字で表せたら、そして行政や市民が納得してくれたら……。大きな望みです。
 
 
鳥リスト
カワウ、カイツブリ、バン、アオサギ、ダイサギ、コガモ、カルガモ、マガモ、ヒドリガモ、イカルチドリ、イソシギ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、タヒバリ、カワセミ、ウグイス、ホオジロ、アオジ、オオジュリン、ヒバリ、ヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、シジュウカラ、エナガ、ヤマガラ、シメ、ジョウビタキ、カシラダカ、ツグミ、コゲラ、スズメ、キジ、キジバト、ムクドリ、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス
 
 
 







1月の永野川、2月のビギナー探鳥会

まずは永野川ビギナー探鳥会のお知らせです。 指導員さんのお話を楽しく聞きながら、鳥を見ましょう。
 
期日 2月16日(土) 9時集合(12時解散) 雨天中止
集合 永野川緑地公園西駐車場(パークセンター前)
見どころ カワセミ、セキレイなど水辺の鳥のほかツグミ、ジョウビタキ、オオジュリンなどの冬鳥、うまくいけばベニマシコ
問い合せ 日本野鳥の会栃木県事務局(028-652-4051)
 
2013年初めての探鳥、今季はカラ類が本当に多く、滝沢ハムの林でヤマガラ2羽に加えて、シジュウカラ、エナガ12羽の混群に会いました。カラ類は、小さな声で鳴きながら早く動くので、こちらも元気づけられるような気がします。
永野川の高橋下で、川原をつつくタシギを見つけました。2010年1月に、公園内で記録して以来です。2006年9月に新井町の湛水田(なぜ湛水だったかは不明)で5羽見つけたことがあります。そのような環境があれば、飛来は可能なのでしょうか。
滝沢ハムの北側の田では、ケリの13羽の群れに会いました。ここでは年一度一羽の個体を見るのがやっとなので驚きです。
 
中旬、コガモがやっと増えて二杉橋下で76羽、上流、赤津川と合わせて101羽になりました。
準絶滅危惧種コサギ11羽の群れもいて、少し安心しました。
二杉橋上の草むら、公園内の河畔でウグイスがかなり上まで出てきて姿を見ることが出来ました。
永野川の睦橋と高橋の間で、シメを4羽が次々に現れ、また第五小近くの河畔でエナガ4羽、比較的住宅に近いこの場所での確認は珍しいことです。
公園のワンド跡の草むらで、オオジュリン今季初めて8羽、あまり人を恐れず次々とススキを登ったり降りたりしていた。昨年は2月になってからの確認で、数も少なかったので、これも感激です。
公園内、桜の木でタヒバリ1羽確認しました。以前は10羽以下ですが群れで確認できたのに、2009年から少なくなり、2010年4月に3羽以来確認できませんでした。
下旬、寒さを避けて11時くらいに出かけると意外と鳥が多いようです。ツグミも元気に飛び、バンもそちこちで泳ぎ始めていました。
カシラダカ7羽の群れが桜の枝に上って来ていました。やはりシジュウカラ、エナガは元気で、以前はあまり見なかった二杉橋上の河畔や公園入り口でエナガ7羽、大岩橋上ではエナガ6羽、シジュウカラ5羽が混群を作っていました。
岩出方面の山の上にワシタカ2羽、沸き上がるように舞いました。かなり遠かったのですが、腹面白っぽく、羽が円い感じとトビよりも小さく、羽ばたきが多いことで、オオタカだと思いますが。
 公園の池が凍結して以来、ヒドリガモは来なくなりました。
今年は大岩橋上の河川敷のブッシュが茂り、カシラダカやカワラヒワ、ホオジロなどがたくさん潜んでいて、時々舞い立ち、楽しませてくれます。この状態を何とか数字で表し、保存できるために使いたいのですが。
ヤナギの芽も大きくなって、春ももう少しです。
 
鳥リスト
カイツブリ、バン、アオサギ、ダイサギ、コサギ、コガモ、カルガモ、オナガガモイソシギ、タシギ、イカルチドリ、ケリ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワセミ、ウグイス、ホオジロ、オオジュリン、カシラダカ、ヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、ヤマガラ、シジュウカラ、エナガ、メジロ、シメ、ジョウビタキ、ツグミ、スズメ、キジ、トビ、オオタカ、キジバト、ハシボソカラス、ハシブトカラス
 
 







 「水仙月の四日」―冬から春への風
  まず描かれる、広い雪原は太陽の光を受け、〈いちめんまばゆい雪花石膏の板〉と表現される美しい光景です。雪花石膏は細かい結晶の集まったなめらかな白色半透明の鉱石で西洋では美しい肌にたとえられるといいます。
親の橇を押す手伝いをして町へ行った小さな子供が、多分ご褒美のザラメを持って、カルメ焼きを作ることを考えながら一人で帰ってきます。
吹雪を起こそうと、〈雪婆んご(ゆきばんご)〉、〈雪童子(ゆきわらす)〉、〈雪狼(ゆきおいの〉がやってきます。雪童子は子供を見つけて、ヤドリギの枝をプレゼントします。
その後、あたりは一変します。
 
   けれども、その立派な雪が落ち切ってしまったころから、お日さまはなんだか空の遠くの方へお移りになって、そこのお旅屋で、あのまばゆい白い火を、あたらしくお焚きなされているやうでした。
   そして西北の方からは、少し風が吹いてきました。
   もうよほど、そらも冷たくなってきたのです。東の遠くの海の方では、空の仕掛けを外したやうな、ちいさなカタッといふ音が聞え、いつかまっしろな鏡に変ってしまったお日さまの面を、なにかちひさなものがどんどんよこ切っていくやうです。
   雪童子は革むちをわきの下にはさみ、堅く腕を組み、唇を結んで、その風の吹いて来る方をじっと見てゐました。狼どもも、まっすぐに首をのばして、しきり   にそっちを望みました。
   風はだんだん強くなり、足もとの雪は、さらさらさらさらうしろへ流れ、間もなく向うの山脈の頂に、ぱっと白いけむりのやうなものが立ったとおもふと、もう西の方は、すっかり灰いろに暗くなりました。
   雪童子の眼は、鋭く燃えるやうに光りました。空はすっかり白くなり、風はまるで引き裂くやう、早くも乾いたこまかな雪がやって来ました。そこらはまるで灰いろの雪でいっぱいです。雪だか雲だかもわからないのです。
丘の稜は、もうあっちもこっちも、みんな一度に、軋やうに切るやうに鳴り出しました。地平線も町も、みんな暗い烟の向うになってしまひ、雪童子の白い影ばかり、ぼんやりまっすぐに立っています。
その裂くやうな吼えるやうな風の音の中から、
ひゅう、なにをぐずぐずしているの。さあ降らすんだよ。降らすんだよ。ひゅうひゅうひゅう、ひゅひゅう、降らすんだよ、飛ばすんだよ、なにをぐづぐづしているの。こんなに急がしいのにさ。ひゅう、ひゅう、向うからさえわざと三人連れてきたぢゃないか。さあ、降らすんだよ。ひゅう。」あやしい声がきこえて    きました。
   雪童子はまるで電気にかかったやうに飛びたちました。雪婆んごがやってきたのです。
   ぱちっ、雪童子の革むちが鳴りました。狼どもは一ぺんにはねあがりました。雪わらすは顔いろも青ざめ、唇も結ばれ、帽子も飛んでしまいました。
  「ひゅう、ひゅう、さあしっかりやるんだよ。なまけちゃいけないよ。ひゅう、ひゅう。さあしっかりやってお呉れ。今日はここらは水仙月の四日だよ。さあしっかりさ。ひゅう。」
  
 子供は巻き込まれて倒れてしまいますが、雪童子はうまく雪をかぶせて守ります。
一夜明け、吹雪は去り、あたりは太陽光に満たされます。
 
まもなく東のそらが黄ばらのように光り、琥珀いろにかがやき、黄金に燃えだしました。丘も野原もあたらしい雪でいっぱいです。
  雪狼どもはつかれてぐったり座っています。雪童子も雪に座ってわらいました。その頬は林檎のやう、その息は百合のやうにかをりました。
   ギラギラのお日さまがお登りになりました。今朝は青味がかって一そう立派です。日光は桃いろにいっぱいに流れました。
 
雪童子が子供の赤いケット(マント)を目印にしておいたおかげで、子供は無事、探
しに来たお父さんに見つかります。
 
この作品は大正13(1924)年、賢治の生前に唯一出版された童話集『注文の多い料理店』に収録されています。
収録された9作品の中でオノマトペの数は総数57語と最も高く、そのなかで34語が、雪・風・雲などの天候に関するものです(注)。
まず、〈東の遠くの海の方では、空の仕掛けを外したような、ちいさなカタッという音が聞え、〉で、あたかもカタッと音がしたかのような、一瞬の空の変化を表します。〈空の仕掛けを外したやうな〉という記述から来ているのですが、〈カタッ〉という語で、時間の短さ、硬質で冷たい冬空を象徴します。   
その苛酷な冬風はオノマトペの総数の三分の一を占める擬音語〈ヒュウヒュウ〉18語で表されています。けれどもそれは吹雪を擬人化した〈雪婆んご〉、〈雪童子〉の会話として描かれているので、吹雪の暗さは薄らぎます。
 また子供がカルメ焼を作ることを想像して言う言葉〈ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。〉も、〈ぐつぐつ〉ではない澄んだ音色が可愛い期待を感じさせます。          
 
雪童子が子どもに与えた、ヤドリギはクリやブナなど落葉樹の樹冠に着生する常緑の寄生低木で、直径50センチ程の球状に成長し、黄色または赤い粘着性の実をつけます。葉を落とした枝のなかでその黄緑色はよく目立ち、賢治もいうように〈黄金(きん)いろのまり〉で、命あるものの象徴ともいえます。
また、キリスト教伝来以前、ケルトやゲルマンなどにはユール(Yule)という、一年で最も夜の長い時、つまり冬至の祝祭があり、この時にヤドリギが飾られたといわれます。寒く夜の長い国にとっては、日照時間の長くなる季節の到来は最大の喜びだったでしょう。
キリスト教が伝わってから、クリスマスとユールが混同され、クリスマスのシンボルにもヒイラギなどと共にヤドリギが使われます。賢治がそれを意識していたという明確な資料はありませんが、賢治が文芸同人誌『アザリア』を創刊した前年の大正3年には、芥川龍之介はイェイツの「ケルトの薄明」、「春の心臓」を「新思潮」に紹介しています。
 
ここで描かれる風は、時には人の命さえ奪うものです。しかし雪婆んごたちは当然の冬の季節を作りだし、去っていくのです。
〈水仙月の四日〉は立春のころではないでしょうか。賢治が描きたかったのは、厳しい自然と、それを越えてくる春への希望、それを子供の命とヤドリギに託したのではないでしょうか。
 
注 『宮澤賢治 風を織る言葉』(勉誠出版 2013)