宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
9月の詩   2篇
     一九六   〔かぜがくれば〕 〔一九二四、〕九、一〇、
 
かぜがくれば
ひとはダイナモになり
  ……白い上着がぶりぶりふるふ……
木はみな青いラムプをつるし
雲は尾をひいてはせちがひ
山はひとつのカメレオンで
藍青やかなしみや
いろいろの色素粒が
そこにせはしく出没する    (「春と修羅第二集」)
  
  九月は、高気圧と低気圧が交互に日本付近を通過し、低気圧による雨によって塵などが洗いながされた後にくる高気圧は、澄んだ晴天と風をもたらします。
  風は人の衣服にも潜り込み、人間全体がダイナモ(発電機)になったようにふるえます。雲は風に乗って交錯します。それは明暗となって、山の色を瞬時に変えていき、山は巨大なカメレオンのようです。
また風は木々の葉もひるがえし、山はモザイクのように光と色の粒子が点滅します。
 藍青は、あるいは〈藍靛〉(らんてん・らんじょう)を意味するかもしれません。『日本国語大辞典』(小学館)によれば、藍から作った染料、インディゴの古名です。
  色名インディゴは『色の手帖』(尚学図書編 小学館 1986)によれば〈暗い青〉です。〈藍色〉が〈くすんだ青〉と記され、それよりもわずかに黒ずんでいます。
  賢治の悲しみは、〈(かなしみは青々ふかく)〉(「春と修羅」)をはじめとして、〈青〉と関連して表現される例は多く見受けられます。
   九月、澄明さを増す空の下、風と一体になって立ちつくすとき、〈かなしみ〉も、一つの色となって、色鮮やかな風景の中に溶け込むのです。

  ほぼ一年後、賢治が作ったのが次の詩です。
 
   「三七七 九月」  一九二五、九、七、
 
キャベジとケールの校圃(はたけ)を抜けて
アカシヤの青い火のとこを通り
燕の群が鰯みたいに飛びちがふのにおどろいて
風に帽子をぎしゃんとやられ
あわてゝ東の山地の縞をふりかへり
どてを向ふへ跳びおりて
試験の稲にたゞずめば
ばったが飛んでばったが跳んで
もう水いろの乳熟すぎ
テープを出してこの半旬の伸びをとれば
稲の脚からがさがさ青い紡錘形を穂先まで
四尺三寸三分を手帳がぱたぱた云ひ
書いてしまへば
あとは
Fox tail grassの緑金の穂と
何でももうぐらぐらゆれるすすきだい
   ……西の山では雨もふれば
     ぼうと濁った陽もそゝぐ……
それから風がまた吹くと
白いシャツもダイナモになるぞ
   ……高いとこでは風のフラッシュ
     燕がみんな灰になるぞ……
北は丘越す電線や
汽笛のcork screwかね
Fortuny式の照明かね
   ……そらをうつした潦(みづたまり)……
誰か二鍾をかんかん鳴らす
二階の廊下を生徒の走る音もする
けふはキャベジの中耕をやる
鍬が一梃こわれてゐた         (「春と修羅第二集」)
               (カッコ内の平仮名は原文のルビ)
 
 季節は同じ、風が吹き、人がダイナモになることも共通していますが、背景が農学校の畑となり、多くの事実が書き込まれます。
 賢治は稲の生育状況を見回っています。
〈乳熟期〉は、出穂後2週間程度、籾を潰すと白い乳液の出る時期で、このときひどい残暑に見舞われると玄米の質が低下すると言われます。
  〈……高いとこでは風のフラッシュ/ 燕がみんな灰になるぞ……〉を見れば、この時も暑く、賢治は米のでき具合を心配し始めていたのでしょう。
 
北は丘越す電線や
汽笛のcork screwかね
Fortuny式の照明かね
 
  〈cork screw〉は、らせん状の、コルク栓抜き、らせん飛行などの意味がありますが、〈汽笛のcork screw〉とは何でしょうか。らせん飛行のように広がっていく汽笛の音、あるいは拡がる暑さでしょうか。
  〈Fortuny式の照明〉は、明治40(1907)年、イタリアの服飾デザイナー Mariano Fortuny(1871-1949)がデザインしたランプで、大きな傘型シェードとその中心にあるクロームメッキされたリフレクターで、グレアを取り除きながら光を柔らかく反射し拡散するもので、現在も販売されているといいます。
   照明器具としては光の拡散はすぐれたものですが、暑さを憂いている賢治がその語を用ちいたのは、照りつける太陽への恨みだったのでしょうか。
 
  もうひとつ、この詩だけにみられる風の表現、〈ぎしゃん〉は賢治の 造語のオノマトペです。
  賢治のオノマトペの造り方は独特のものがあり、これはいくつかの既成語の語感や音感を一つの語に凝縮させているものです(注)。
  私たちは、〈ぎしゃん〉から、〈ぐしゃっ〉、〈がしゃん〉にまでイメージを広げます。さらに〈ぐしゃん〉を〈ぎしゃん〉とすることで、鋭角的なイメージが加わり、帽子がただ潰されるのではなく、折りたたまれるように潰されたことをイメージすることができます。
  さらにいえば〈ぎしゃん〉はなにか心に突き刺さるような鋭さがあり、帽子が飛びそうになったという、小さなことにまでナイーブになっている賢治を感じてしまいます。
  それでも最終章には、午後の授業や、壊れた鍬という現実が淡々と描かれます。賢治はこの時はすでに、農学校をやめる決意をしています。多くの憂いを胸にしまって、現実を歩こうという意思なのかもしれません。
  最初の詩を作った時、賢治は、まだ村の決定的な旱害に接していません。風は賢治を包んで、鮮やかな風景を作っています。〈かなしみ〉さえその風景の中に溶けています。
  二つ目の詩で風は、深く現実を映して賢治の前にあったと言えるのかもしれません。
 
注 
  滝浦真人「宮沢賢治のオノマトペ 語彙・用例集(詩歌篇)―補論・〈見立て〉られたオノマトペ(『共立女子短期大学文科 紀要第三十九号 』1996)
 
参考
  「浮世絵の中に流れる風」(ブログ 「宮沢賢治 風の世界」2012、7)
  『宮沢賢治絶唱 かなしみとさびしさ』(勉誠出版 2011)







7月の永野川

  上旬、そろそろ夏本番、ひざなかの探鳥は身にこたえるので、朝6時に出かけてみました。全体に霧がかかっているようで、あまり鳥の姿はありません。ホオジロの囀りが聞こえるくらいです。探鳥は早朝!と言われていますが、ここではそうともいえないような気がします。
ムクドリの幼鳥が8羽、電線に身を寄せて止まっていました。
  今年は、カルガモのヒナも、カイツブリの巣も全く見ず、カワセミにもしばらく会いません。気分的にゆとりのないせいか、あるいは何かが変わってしまったのでしょうか。
  新井町で、田んぼの一角からカエルの声が沢山聞こえるところがありました。アマガエルとも、トウキョウダルマガエルとも違って、少し低い声でした。もちろんウシガエルではありません。
  上人橋近くの山林から、コジュケイの地鳴きが聞こえました。このあたりに、何羽くらい生息しているのでしょう。囀りもこの時期よく耳にします。
  ヤブカンゾウが一斉に花をつけました。
 
  中旬、よく晴れていましたが、早朝の空気はひんやりと心地よいものです。
  上人橋の近くで、いつもホオジロが囀っています。同じ個体ではないのでしょうが、なぜか安心します。ツバメが2、3羽ずつですが、ひっきりなしに頭上を飛び交います。
  新井町の田んぼで、チュウサギ2羽、かなり遠かったのですが、嘴が黄色くて先だけが黒いのが見えました。少し離れて、嘴の黒い個体がいて、それはダイサギであろうと判断しました。
  200mくらい離れたところで、ツバメの群れが急に飛び立ったと思ったら、なかにヒヨドリ大の白っぽく、尾の長い個体がいました。ツバメの慌てた様子から、猛禽ではないかと思います。ひらひらと大きく羽ばたきながら、そのうちツバメからは離れて飛んで行きました。
 赤津川の川岸に、ナワシロイチゴがつややかな赤い実をつけていました。苗代の時期は過ぎてはいますが、この色は恐らくナワシロイチゴだと思います。
 公園では今年初めて、遠慮がちにアブラゼミが声をあげていました。
 ネムが咲き、アレチマツヨイグサは澄んだ黄色をあちこちで咲かせ始めました。鳥と共に、花や実を楽しんだ探鳥でした。
 
  下旬、このところ雨が多くて、今日も朝方まで雨、8時半ころやっと出かけました。帰るころにはかなり暑くなり、温暖化と我身の老いを感じさせられます。
  ヨシが茂りきれいな緑色になりました。洪水のあとすっかり荒れて、心配していましたが、洪水後は土地が豊かになる、ということなのかもしれません。
  我が家もそうですが、今年は蝉の声が少ないようで、特にアブラゼミの声を聞きません。ミンミンゼミも時々元気に鳴きますが、蝉しぐれ、という感じではありません。キリギリスの声がにぎやかです。
  今まで見えなかったカルガモの親子、ほとんど親と同じ大きさになった子連れ6羽を二か所で見ました。いままでチャンスを逃していたのでしょう。
  新井町の田んぼでは、名前の分からないカエルの声はまだ続いていました。
  モズがところどころで、キチキチキチという声をあげ始めました。これはまだ高鳴きではないのでしょう。幼鳥もいました。
公園を土手から俯瞰してみると、やはり自然として残したほうがよいところがあると思います。たしかに道際に繁茂する雑草は見苦しいですが、ヨシ原に続く草地はやはり広い範囲で茂っていた方が、生物のためにもよく、また豊かな自然を感じる公園となるでしょう。
  クズの繁茂も問題かもしれないのですが、クズの花の美しさや、在来種であることを考え、土止めなどにうまく利用出来ないのでしょうか。ただ刈り取るだけでは翌年の一層の繁茂を招くのではないでしょうか。
  法面で、ある一種類の草のみが抜かれていました。善意の行為だとは思うのですが、これがよい結果を生むかどうかは分かりません。あるいは個人的に嫌いな植物を抜いていたのかもしれません。知識と組織力を生かした公園管理が望まれます。(私はつくづく無知な弱者です。)
  クズやクサギが蕾をつけはじめました。クサギの花は、葉や幹とは全く違う芳香を放ちます。今度来るときにはむせかえるような香りに満ちていることでしょう。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、カイツブリキジバト、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、ゴイサギ、イカルチドリ、ヒヨドリ大の猛禽、モズ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ
 
 







 風に包まれてPt3―「サガレンと八月」
   
「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 西の山地から吹いて来たまだ少しつめたい風が私の見すぼらしい黄いろの上着をぱたぱたかすめながら何べんも何べんも通って行きました。
「おれは内地の農林学校の助手だよ、だから標本を集めに来たんだい。」私はだんだん雲の消えて青ぞらの出て来る空を見ながら、威張ってさう云ひましたらもうその風は海の青い暗い波の上に行ってゐていまの返事も聞かないやうあとからあとから別の風が来て勝手に叫んで行きました。
「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、しらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 もう相手にならないと思ひながら私はだまって海の方を見てゐましたら風は親切に又叫ぶのでした。
「何してるの、何を考えてるの、何か見ているの、何かしらべに来たの。」(中略)
 
  「サガレンと八月」の冒頭部分、砂浜に座っている主人公に、風はひっきりなしに語りかけて行きます。この風の言葉は、風のすべてを表しているようです。
  まず一定の速度で強弱を持って繰り返される風のリズムが感じられます。「風の音―賢治の擬音語(オノマトペ)」でも触れたように、風の息―瞬間風速の最大値と、吹き始めの値(最小値)との差―の大きいことを感じさせます。
  そして心を持って人に語りかけ、宇宙と繋がって、物語を運んでくるものとしての風が描かれます。
 
けれどもそれもまた風がみんな一語づつ切れ切れに持って行ってしまひました。もうほんたうにだめなやつだ、はなしにもなんにもなったもんぢゃない、と私がぷいっと歩き出さうとしたときでした。向うの海が孔雀石いろと暗い藍いろと縞になってゐるその堺のあたりでどうもすきとほった風どもが波のために少しゆれながらぐるっと集って私からとって行ったきれぎれの語を丁度ぼろぼろになった地図を組み合せる時のやうに息をこらしてじっと見つめながらいろいろにはぎ合せてゐるのをちらっと私は見ました。
また私はそこから風どもが送ってよこした安心のやうな気持も感じて受け取りました。そしたら丁度あしもとの砂に小さな白い貝殻に円い小さな孔があいて落ちているのを見ました。つめたがいにやられたのだな朝からこんないい標本がとれるならひるすぎは十字狐だってとれるにちがひないと私は思ひながらそれを拾って雑嚢に入れたのでした。そしたら俄かに波の音が強くなってそれは斯う云ったやうに聞えました。(中略)
 
 主人公は、ひっきりなしに話しかけてくる風に少し辟易しながらも、水平線のあたりにいる、以下の終章には、風に包まれて、五感すべてを使って風を感じとり、それを読者に伝えようとしている作者が浮かび上がります。
 
そして、ほんたうに、こんなオホーツク海のなぎさに座って乾いて飛んで来る砂やはまなすのいい匂を送って来る風のきれぎれのものがたりを聴いているとほんたうに不思議な気持がするのでした。それも風が私にはなしたのか私が風にはなしたのかあとはもうさっぱりわかりません。またそれらのはなしが金字の厚い何冊もの百科辞典にあるやうなしっかりしたつかまえどこのあるものかそれとも風や波といっしょに次から次と移って消えて行くものかそれも私にはわかりません。ただそこから風や草穂のいい性質があなたがたのこころにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません。 
 
  〈サガレン〉は、サハリン―北海道の北にある、樺太島 (現ロシア共和国サハリン州)―の日本語読みです。1945年までは日本が南半分を領有していました。
   賢治は大正12(1923)年7月31日に、樺太島、豊原市の王子製紙に農学校の教え子の就職を依頼するために、青森、北海道を経由で樺太に向かいました。宗谷本線で稚内へ、稚泊鉄道連絡航路で樺太大泊港にわたり、そこから東海岸線で豊原に降り、さらに同線で終着駅栄浜、この旅の最終地に出ます。
この旅では、大正11(1922)年に亡くなった妹トシへの挽歌詩群(五篇)を残しました。詩では、妹の行方を追い、妹との通信を願いながら、その身を案じ続けます。
  そのひとつ、栄浜で発想された「オホーツク挽歌」(一九二三、八、四)には、賢治の行動を示す〈午前十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル)〉という部分があります。
  朝顔、チモシー、ハマナス、ヤナギラン、ツリガネニンジンなど花いっぱいの浜辺や、陽の光に透く貝殻などを詠いながら、消えることないトシの面影に、妹を失った自分一人の悲しみばかりにとらわれることを責め、この美しい風景のなかで、彼岸に去った妹を確認し、〈ナモサダルマフンダリカサスートラ〉(南無妙法蓮華経の梵語読み)と読み込んでいます。
   賢治がサガレンを訪れたのはこの時だけで、童話とも共通する、ハマナスやヤナギランやトドマツ、海岸線などが描かれ、この童話の原風景が、そのときのサガレンの東海岸、栄浜と推定されます。
この童話の後半は、趣の違う、タネリという子供が、母の言いつけに背いてクラゲをすかして物を見たことから、ギリヤークの犬神に連れさられチョウザメの下男にされる、という未完のお話になっています。
  ギリヤーク民族の居住地が、北緯五十度線の国境の少し南にあり、栄浜から汽船の便がありました。
  この地への想いもあった賢治は、栄浜での時間の中に、一瞬の幻想体験があり、それを童話の後半としたのではないか、といわれます。そして、この童話の前半には、トシの行先、浄土を、後半には地獄を象徴的に描いたのではないかといわれます。(注)
 
  「オホーツク挽歌」と同時体験ともいえるこの童話の、前半に描いたものは風だけです。そこで風は限りなく透明で、人に語りかけるように訪れてまた去っていき、香りさえも運んでくる、透明なはずなのにどこか遠くに見えて、人を安らかにする……。
  栄浜での体験は、揺れる心象をそのままスケッチして詩となり、物の本質を確実に表そうと構築されて童話となったのだと思います。
  風は、賢治の心にも、一つの答えを出してくれたに違いありません。この童話が、美しいだけでなく、いつも心を揺さぶるのは、そのせいかもしれません。
 

  鈴木健司『「オホーツク挽歌」と「サガレンと八月」−とし子からの通信』 国語と国文学第69巻−第9号 1992年9月東京大学国語国文学会)
 
参考
  小林俊子『宮沢賢治 風を織る言葉』(勉誠出版 2003)
 







6月の永野川〜二年目
6月の永野川〜二年目
 
この章を書き始めて、2年目に入りました。歩くフィールドは同じです。
何か新しいことがお伝えできるよう、また、変わらぬ風景が残っているよう祈りつつ。
 
 上旬、今年は梅雨入りが早く、不安定な天気が続きます。歩く範囲は4kmほどですが、上空の空模様によって、霧雨が降る場所と晴れている場所がありました。
 オオヨシキリは、上人橋付近、公園内の両川岸、と広い範囲で囀っています。今年は個体数が多いようです。
 大岩橋上の河畔の梅の木で、ウグイスがずっと囀って、待つこと15分、やっと姿を確認できました。隣に大きな桑の木がたくさん実をつけ、スズメが盛んについばんでいて、そちらばかりが目に入りましたが、やはり、果実は食べないウグイスは隣の、梅の枝を行き来して樹皮をつついていました。
 ムクドリ75羽の群れが、公園をあちこち移動していました。ここでは、ムクドリは少なく、こんな大群は初めてです。どこかから移動してきたのでしょうか。大群の上、体も声も大きく、圧巻です。街中では嫌われるのでしょう。
 モズやツバメの幼鳥も危なげに木の枝を移動しています。
 公園の中の草地が去年と同じくらいの広さが刈り取られました。繁殖期過ぎるまで待って、という願いを聞いてくれたのかもしれません。もう一度確認したほうがよいのかもしれません。
 嘴が黄色く先が少し黒いチュウサギを見つけました。バードリサーチにうかがったところ、これはすでに繁殖を終えて冬羽に換羽中とのことでした。
 公園の中央、多分カワセミスポットで、ここ一カ月ほど観察小屋と人工の枝を立てて、撮影をしていた人を見かけました。今日は小屋も枝も取り払われて、周辺の草が赤く枯れていました。観察も撮影も個人の意思ですが、皆で大事に思っている草地を壊さないでほしいと思います。
 
 中旬、相変わらず不安定な天気で、いつもどこかに黒雲があるような気がして、なにか気の急く探鳥が続きます。
 今年は確かにオオヨシキリが確かに多く、公園内のワンドの跡地では、あちこちで声がして、11羽はいるようです。対岸にも3羽、錦着山側でも1羽、嬉しいことです。
 バードリサーチのお話では、他の場所のヨシ原が減って移って来たか、ここのヨシ原が増えたのか、どちらかということです。
 ここでは目立ってヨシ原は増えていません。少し離れた赤津川岸に少しヨシが目立つ所があるくらいですが、そこにはオオヨシキリの声はしません。とすると、どこかでヨシ原が減っているということになり、それも困ったことです。この狭い公園のヨシ原も大事にしなければ、と思います。
 泉橋下で、1mを超す蛇が泳ぐ姿がいました。頭を出して泳ぐのですね。初めて見ました。
 
 下旬、朝までの激しい雨があがり、久しぶりに爽やかな天気でした。
 川の水が増え、川辺を歩く鳥はほとんどいません。
オオヨシキリの声はまったくしなくなりました。ヒナが孵化するとあまり鳴かなくなるとのことでした。ヨシ原の中を見とおし、地鳴きの声を聴きとれる力がほしい、来年の課題にします。
 川ではオハグロトンボが飛び、草むらではキリギリスの声が聞こえ始めました。キツネノカミソリが、刈られてしまった土手に細々蕾をつけました。
 次の季節の始まりです。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、オオタカ、コゲラ、モズ、イカルチドリ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、オオヨシキリ、ムクドリ、セッカ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ、







 風に包まれて Pt2
 
 
一五五 〔温く含んだ南の風が〕 一九二四、七、五、
 
温く含んだ南の風
かたまりになったり紐になったりして
りうりう夜の稲を吹き
またまっ黒な水路のへりで
はんやくるみの木立にそゝぐ
    ……地平線地平線
      灰いろはがねの天末で
      銀河のはじが茫乎とけむる……
熟した藍や糀のにほひ
一きは過ぎる風跡に
蛙の族は声をかぎりにうたひ
ほたるはみだれていちめんとぶ
    ……赤眼の蠍
      萓の髪
      わづかに澱む風の皿……
蛍は消えたりともったり
泥はぶつぶつ醗酵する
    ……風が蛙をからかって、
      そんなにぎゅっぎゅっ云はせるのか
      蛙が風をよろこんで、
      そんなにぎゅっぎゅっ叫ぶのか……
北の十字のまはりから

三目星(カシオペーア)の座のあたり
天はまるでいちめん
青じろい疱瘡にでもかかったやう
天の川はまたぼんやりと爆発する
    ……ながれるといふそのことが
      たゞもう風のこゝろなので
      稲を吹いては鳴らすと云ひ
      蛙に来ては鳴かすといふ……
天の川の見掛けの燃えを原因した
高みの風の一列は
射手のこっちで一つの邪気をそらにはく
それのみならず蠍座あたり
西蔵魔神の布呂に似た黒い思想があって
南斗のへんに吸ひついて
そこらの星をかくすのだ
けれども悪魔といふやつは、
天や鬼神とおんなじやうに、
どんなに力が強くても、
やっぱり流転のものだから
やっぱりあんなに
やっぱりあんなに
どんどん風に溶される
星はもうそのやさしい
面影(アントリッツ)を恢復し
そらはふたゝび古代意慾の曼陀羅になる
    ……蛍は青くすきとほり
      稲はざわざわ葉擦れする……
うしろではまた天の川の小さな爆発
たちまち百のちぎれた雲が
星のまばらな西寄りで
難陀竜家の家紋を織り
天をよそほふ鬼の族は
ふたゝび蠍の大火をおかす
   ……蛙の族はまた軋り
     大梵天ははるかにわらふ……
奇怪な印を挙げながら
ほたるの二疋がもつれてのぼり
まっ赤な星もながれれば
水の中には末那の花
あゝあたたかな憂陀那の群が
南から幡になったり幕になったりして
くるみの枝をざわだたせ
またわれわれの耳もとで
銅鑼や銅角になって砕ければ
古生銀河の南のはじは
こんどは白い湯気を噴く
       (風ぐらを増す
        風ぐらを増す
そうらこんどは
射手から一つ光照弾が投下され
風にあらびるやなぎのなかを
淫蕩に青くまた冴え冴えと
蛍の群がとびめぐる 
 
 この詩の中には、なんとたくさんの風が描かれていることでしょう。
風は、地平線でけむる〈銀河のはじ〉、さそり座のアンタレス、カシオペア、いて座、たくさんの星座とともに描かれることで、宇宙を駆け巡るものとしてあり、そしてそこに身を置く自分の心がいかに昂ぶっているかを描きます。
 
 まず、星に関する言葉の意味を考えてみます。
北の十字:十字の形をした、はくちょう座の骨格をなす部分。
射手:いて座
南斗:いて座の一部の星の並びで北の北斗七星に対して南斗六星と   呼ばれます。
疱瘡:天然痘。ウイルスにより全身に膿疱ができ、治った後に跡が残ります。ここでは〈青白い疱瘡〉と、一面にちりばめられた星々の形容です。
   星に関しては加倉井厚夫氏がHP上で、「〔温く含んだ南の風が〕の創作」として詳説されていて(注1)、この日、大正13年7月5日の空の様子も知ることが出来ます。
   天空図の中央、東寄りにはくちょう座、南の空にいて座、木星、さそり座、北に〈三目星〉(カシオペア座)があります。
 
  賢治は全感覚を通して風を感じ、表現しています。
 まず体感から、〈かたまり〉〈紐〉は、強くぶつかってくる風と細く忍び寄るような風、風が大きな変化をしながら吹き続けるということでしょうか。
  稲を鳴らす〈りうりう〉という音は、強く稲がなびいていることを、〈銅鑼や銅角(下書きではトロムボンのルビ)〉にも聞こえる強い風もあります。
  また、風は、人のみでなく、ホタルをやカエル、そこに棲む生物全部を活気づけ、また浮足立たせているようです。
 そして、眼に見ない風を捉えて〈風跡〉、〈風の皿〉、〈高みの風の一列〉、〈風ぐら〉という言葉で表しています。
  目にするのは〈星を隠す風〉、でも一方で、風は星を隠す悪魔(雲)を溶かし星空を復活もさせます。 そこには、表面には見えない、風の神秘的な力も感じています。それを表す仏教関係の言葉の意味を考えてみます。
西蔵:(せいぞう)歴史的に見たチベットの西南部二分の一程度の   部分に対する中国語による、地域概念の用語。明治末期から昭和期にかけてはチベットの総称として使われる。
〈西蔵魔神の布呂に似た黒い思想〉について、加倉井厚さんは〈星座を覆い隠す黒雲の姿を悪魔の風呂敷として比喩したもの〉と解釈されています。チベットの魔神を想起させる語を使って、雨雲のあやしさを表しています。
難陀竜家:難陀竜王か。仏の世界で八大竜王の第一に挙げられる   竜王で、千手観音の件属二十八部衆の一つでもあり、人の頭上に九頭の蛇を乗せている。密教では雨乞いの神でもある。
大梵天:梵天。仏の守護神である十二天に属し、帝釈天と一対にまつられることが多い。またはそれらの住む天界をさして大梵天という。この詩では、〈大梵天ははるかにわらふ……〉ので、離れた所に存在している場所にある、守護神を指すのかもしれません。
末那(まな):末那識。人間の意識を八つに分けた時の第七番目、自分の存在に執着する根拠となる心の動きで、意識が無くなった状態にも存在し迷いの根源となるもの。
憂陀那:仏が弟子の問いを待たず、その心境そのままに説いたもの。または言葉を発するとき、口中に起こる風(注2)
 
  難陀竜家を装っているのは〈鬼の族〉で、守護神もはるか遠くです。そして風は、人の執着心や迷い、吐く息のような人間臭さをも持っていて、人の耳元に来て、気持ちをざわつかせます。

 
  この7月5日付の詩の背景は、農学校の実習田の水の確保のための見回りです。
  風の流れと星空の中で、宇宙とのつながりを感じ、高揚している賢治が感じられますが、同時に、その奥に潜む邪悪なもの、人にはどうにもできないものを感じ始めているような気がします。
  同じ日付の〔この森を通りぬければ〕では、8ヶ月前に亡くなった妹の影を感じています。そして、7月付の一五七〔ほほじろは鼓のかたちにひるがへるし〕、7月15日付の一五八〔北上川は螢気をながしィ〕を経て、17日付の「一六六 薤露青」になると、妹を失った悲しみが全編を覆っています。
  そこに至って自力ではどうしようもない旱魃の予感が、再び取り戻すことのできない妹を思い出させてしまったのではないかと思います。
  そして、この年、7月23日まで40日あまり雨が降らず、凶作となります。賢治は教え子を通して、初めて凶作を身近に感じることになります。
 でも、私がこの詩を好きなのは、賢治が、天空につながる風を全身で受け止めて、自分もそこに生きる生物のひとつとなって、饒舌に謳いあげているというところです。豊かな賢治の感性をじかに感じるような気がします。
 

1、加倉井厚夫氏HP「賢治の事務所」
2、HP「大智度論仏教用語辞典」