宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
風に包まれて Pt1
 三四五〔Largoや青い雲塕(くもかげ)やながれ〕 一九二五、五、三一、
Largoや青い雲塕(くもかげ)やながれ
くゎりんの花もぼそぼそ暗く燃えたつころ
     延びあがるものあやしく曲り惑(クラ)むもの
     あるひは青い蘿(ラ)をまとふもの
風が苗代の緑の氈(セン)と
はんの木の葉にささやけば
馬は水けむりをひからせ
こどもはマオリの呪神のやうに
小手をかざしてはねあがる
     ……あまずっぱい風の脚
       あまずっぱい風の呪言……
かくこうひとつ啼きやめば
遠くではまたべつのかくこう
     ……畦はたびらこきむぽうげ
       また田植花くすんで赭いすいばの穂……
つかれ切っては泥を一種の飴ともおもひ
水をぬるんだ汁ともおもひ
またたくさんの銅のラムプが
畦で燃えるとかんがへながら
またひとまはりひとまはり
鉛のいろの代を掻く
     ……たてがみを
       白い夕陽にみだす馬
       その親に肖たうなじを垂れて
       しばらく畦の草食ふ馬……
檜葉(ヒバ)かげろへば
赤楊(セキヨウ)の木鋼のかゞみを吊し
こどもはこんどは悟空を気取り
黒い衣裳の両手をひろげ
またひとしきり燐酸をまく
     ……ひらめくひらめく水けむり
       はるかに遷る風の裾……
湿って桐の花が咲き
そらの玉髄しづかに焦げて盛りあがる (「春と修羅第二集」)

()内の片仮名は筆者加筆の振り仮名

 ここに吹くのは初夏の風です。
最初に言葉の意味を考えてみます。

Largo:速度を表す音楽用語  ゆるやかに
蘿(ツタ):つた
マオリ:マオリ族、ニュージーランドにイギリス人が入植する前から先住していた人々で、形質的・文化的にはポリネシア人の系列に属します。それぞれの集落や身分によって異なる、刺青を顔面や全身に施し、ハカという民族舞踊を古くはマオリの戦士が戦いの前に、現在でも宗教上の行事や歓迎の挨拶などでも踊ります。

田植花:落葉小高木のスイカズラ科タニウツギ属タニウツギの別名で田植えの時期に花が咲くのでその名があります。
檜葉(ヒバ):常緑針葉樹で一般にはヒノキやサワラの別名、林業ではヒノキ科
アスナロ属アスナロ、またはアスナロの変種ヒノキアスナロです。
赤楊(セキヨウ):カバノキ科ハンノキ属の落葉高木ハンノキの別名です。前章では春のハンノキの花が登場しましたが、ここでは太陽に輝く葉が描かれます。ハンノキではなく〈赤楊の木〉を使ったのは、詩のリズムを整えるためだと思います。
そらの玉髄:太陽の輝きの形容

むせかえるような暑さの中の代掻きの風景を描いています。詩の主体は〈つかれ切っては泥を一種の飴ともおもひ/水をぬるんだ汁ともおも〉うほど、疲れていますが、周囲は色彩と音に満ちています。
Largoは音の速度を表す記号ですが、実際には音はなく、ゆっくり流れる雲の形容です。共感者(二つの感覚を同時に感ずる特質)だった賢治の耳は音を聞いていたのかもしれませんが。
 カリンの花の周辺には不規則に伸び絡まる木々が元気です。
 風は一面の緑の毛氈のような苗代や、ハンノキの若葉にささやくように吹きます。
大人が馬を使って田を掻くなかで、子供は元気に跳ねまわります。マオリ族の知識は賢治の時代にはどのように伝わってきたのでしょうか。宗教上の踊りを持つ、ということから子供が無意識に飛び跳ねる姿に〈呪神〉を感じています。    
このころ夏鳥として飛来したカッコウは、あちこちの梢などで高いところで囀り、縄張り宣言に余念がありません。
畔は、黄色いキンポウゲやタビラコ、白緑のスイバ、ピンクのタニウツギ、と色彩に満ちています。
そして風はずっと周辺を吹いています。
風の動きを表すために賢治が使った言葉はまず〈風の脚〉です。吹き過ぎて行く風の動き、風が地上の草木などを吹きなびかせて過ぎるのを足で踏み分けて行くのに例えたもので、『海道記』(一二二三年ころ成立)では既に使われています。
賢治作品で、この感覚は大正6年5月の短歌〈すゞらんのかゞやく原をすべり行きて/風のあしゆびの/泣きわらひかな〉に初めて現れます。
「四一九 奏鳴的説明」 一九二五、二、一五 (「春と修羅第二集」)、 〔行きすぎる雲の影から〕「補遺」にも使われます。この2例は光の変化とともに描いて、雲や風景やまた風のためにも生まれる光の明滅からリズムを感じ取り、それを〈脚〉という言葉で表現しています。
ここでは、〈あまずっぱい風の脚〉と、少し熱っぽい風をこの言葉で表して、ずっと体感的なものになっています。さらにマオリ族のように跳ねまわる子供たちから呪術をかけられたように、風も〈あまずっぱい風の呪言……〉となります。
 そして、弧を描いて燐酸を撒く様からの連想で、その周囲にできる風を、〈はるかに遷る風の裾〉と表し、風が水面近くまで吹き渡っていることを示します。

主体は、大変疲れていますが、周囲の風景は彩りに満ち、鳥は鳴き、子供も活力いっぱいに描かれ、雲の流れも音楽です。
風も、〈風の脚〉、〈風の呪言〉、〈風の裾〉と、韻を踏むようにちりばめられ、風に包まれて流れる時間を感じさせます。
この時、賢治は農業の実践に入る決意をしていました。農業への未来の希望が、この詩の色彩と音を生んでいるのだと思います。

参考
小林俊子「風の修辞―「春と修羅第二集」・「春と修羅第二集補遺」において」(『宮沢賢治絶唱 かなしみとさびしさ』(勉誠出版 2011)










風が吹き…… 
 三二六  〔風が吹き風が吹き〕   一九二五、四、二〇、

風が吹き風が吹き
残りの雪にも風が吹き
猫の眼をした神学士にも風が吹き
吹き吹き西の風が吹き
はんの木の房踊る踊る
偏光! 斜方錐! トランペット!
はんの木の花ゆれるゆれる
吹き吹き西の風が吹き
青い鉛筆にも風が吹き
かへりみられず棄てられた
頌歌訳詞のその憤懣にも風が吹き
はんの木の花おどるおどる
       (塩をたくさんたべ
        水をたくさん呑み
        塩をたくさんたべ
        水をたくさん呑み)
    東は青い銅のけむりと
    いちれつひかる雲の乱弾
吹き吹き西の風が吹き
レンズ! ヂーワン! グレープショット!
はんの雄花はこんどはしばらく振子になる

 これほど、風がたくさん吹いている詩はないでしょう。
全21行の詩のなかで、〈風が吹き〉という言葉は9行あり、その他のほとんどの行に、風に関する言葉―〈ゆれる〉・〈おどる〉・〈振子〉―などがあります。
 そのなかに、ところどころに謎めいた言葉がちりばめられています。
まず、言葉を調べてみましょう。

 〈はんの木の房〉
〈はんの木〉は、ブナ目カバノキ科ハンノキ属ハンノキで、山野の低地や湿地、沼に自生し、樹高は15〜20m、直径60cmほど、過湿地で森林を形成する数少ない樹木です。生産力の低い環境でも適応性が強く、早期緑化や立地回復、砂防造林樹種として選ばれます。同属のヤシャブシは根粒菌を持ち空中窒素を固定するので、土壌改良にも役立ちます。
 早春に、葉に先だって雄花の穂は黒褐色の円柱形で尾状に垂れ、雌花穂は楕円形で紅紫色を帯び雄花穂の下部につきます。〈房〉はそれを言ったのでしょう。
〈偏光・斜方錐・トランペット〉
〈偏光〉 電場および磁場が特定の(振動方向が規則的な)方向にのみ振動する光で、一部の結晶や光学フィルターを通すことによってつくられるものです。
〈斜方錐〉 鉱物を形作るものは結晶ですが、結晶は幾何学的な配列の繰り返しによって形作られています。そこには6つのグループに分けられる対称性があります。その中の一つが斜方晶系で、3本の結晶軸が互いに直行し、異なる軸長を持っているもので、かんらん石、霰石、黄玉などがあります。霰石は「十力の金剛石」に〈野ばらの枝は茶色の琥珀や紫がかった霰石でみがきあげられ…〉と使われます。〈斜方錐〉は斜方晶系という言葉からきていると思われますが未解決語です。
なお、その中の一つ単斜晶系を賢治は風の形容に〈ああこの風はすなわちぼく/且つまたぼくが/ながれる青い単斜のタッチの一片といふ〉(「一五二 林学生」 一九二四、六、二二 春と修羅第二集)と使います。単斜晶系は三本の結晶軸がすべて違った長さを持ちひとつの軸は他に二本の軸と直行するもので、白雲母、ヒスイ輝石、孔雀石、単斜硫黄などがありますが必ずしも青くはありません。二つとも、風の中にきらめく光に、鉱物の結晶を重ねていたのではないでしょうか。
話は少しそれますが、賢治のフィールド、北上川の下流の中州には、現在でも赤いジャスパー、黄緑色の蛇紋岩、緑黄色の緑れん石、青黒い角閃石、などの色とりどりの礫(れき)、また高温水晶と呼ばれる、透明な礫がたくさん発見できると言います。賢治が〈石こ賢さん〉といわれるほど鉱物好きで、鉱物や宝石関係の仕事に就きたいと願っていたことは有名ですが、賢治の鉱物へのこだわり、そして透明なもの、彩りを持つものへの憧れは、ここから生まれたのかもしれません。
 また、進学した盛岡高等農林学校の研究室には、当時日本では東大など限られた場所にしか無かった岩石標本や、様々の分析器具、試薬がそろっていました。またドイツ製の偏光顕微鏡は、平凡な石をカットして偏光プリズムを通すと、予想もつかない輝きを見せます。賢治は一つの石の持つ多くの様態を知り、またその生成や変化の気の遠くなるような時間を感じて、世界観をどれだけ深く大きくしたことでしょう。前述の〈偏光〉はそこに見た色彩を風景に感じていたのかもしれません。
〈偏光!斜方錐!トランペット!〉は三つ合わせて、春の光の輝きを表そうとしたのでしょうか。トランペットの響きも、輝きとして捉えたのです。
〈レンズ! ヂーワン! グレープショット!〉
〈ジーワン〉は競馬などでは最高ランクの格付けを表す語ですが、銃に関する語でこれが登場するのは戦後のことですのでまだ解明できません。グレープショットは葡萄玉ともいわれ、 小型の鉄球を細長い布でくるみ、捩って螺旋状に纏めた対人・対騎兵用散弾です。 纏めた形状が葡萄に似ています。これは、前の行の〈いちれつひかる雲の乱弾〉をうけて、銃関係の言葉関係の言葉をつづったのだと思います。
〈猫の眼をした神学士〉
〈猫の目〉は変わりやすいものの例えとしてマイナスイメージがあります。〈神学士〉は現実を知らない人の比喩でしょうか。あるいは周辺の無理解な人への批判か、現実の凶作などに対処できなかった賢治自身かもしれません。

〈頌歌 〉は詩の一形式Odeの訳語です。賢治の時代、J.Keats(1795〜1821)“Ode to the Neighchingale” ,P.B.Shelly(1792〜1822)“Ode to the West Wind”,W.Wordsworth(1770〜1832) “Ode to the Duty”に接する可能性があります。またSir Walter Scott (1771~1832)、“Donald Caird’s Come Again”が「夜」(「補遺詩篇T」)に使われているなど、深い認識があったと思われます。

詩の発想された前年、一九二四年八月、賢治は自作の劇「飢餓陣営」、「植物医師」、「ポランに広場」、「種山ヶ原の夜」を農学校の生徒と上演しています。それは打ち上げに狂喜乱舞するほどの熱の入れようでした。しかし、一九二四年九月、文部省は学校劇禁止令を出し、賢治は農学校で生徒に演劇をやらせることが出来なくなっています。
前述の〈頌歌〉は下書稿一では〈戯曲〉、下書稿一の訂正では〈詩〉でした。この語には演劇禁止令の深い傷をこの一行に秘め、推敲の末、あからさまな表現を避けてこの言葉が選ばれたのではないでしょうか。
同年は旱魃による凶作で、賢治は農学校の生徒を通じてその悲惨な状況を知り、教師としての無力さ、さらに科学でも人の力でもどうにもできない物のあることを実感します。自負していた分、深い失望が加わります。
またこの年、四月に春に詩集『春と修羅』、十二月に童話集『注文の多い料理店』を出版しますが、世間の理解を得ることはできませんでした。一九二五年一月、三陸方面への旅での詩は絶望に満ち、二月以降四月まで詩作はとだえます。詩作が復活したのは四月二日、饒舌な風景描写の中に皮肉を込めた数編の後、一九二五年四月四月一三日の教え子への書簡(205)で、賢治は農学校の教師を辞め、農業の実践によって農村を救おうという決心を記しています。
その後、この詩は書かれます。
行頭を下げて書かれた(塩をたくさんたべ/水をたくさん呑み/塩をたくさんたべ/水をたくさん呑み)があります。これは掲げた理想―農村を実戦で救うこと―の奥ふかく沈殿するように、塩と水とに象徴される厳しい生活があることを、感じていたのだと思います。
この詩の発想された四月二十日の平均風速は水沢では1.8m、盛岡では3・9m、最大でも午後一時に北西9・03mで、その日の風速に合わない風の描写はこの詩だけです(注)。
この風は、賢治の心の中に吹いていた風でした。実際に風の中にいたら賢治は風をもっと鮮やかに表現をしたのではないかと思います。〈風が吹き〉という平明な言葉の中に、失望や反発、諦め、そしてそこからの出発の前の一瞬の静寂を描きます。春の日差しの中に佇む賢治の姿が見える気がします。


佐藤泰平「『春と修羅』第一集、第二集、第三集の〈気象スケッチ〉と気象記録」(「宮沢賢治研究Annualvol.3」1993)
参考文献
堀秀道『宮澤賢治はなぜ石が好きになったのか』 どうぶつ社2006)
宝石と生活研究会『おもしろサイエンス宝石の科学』(日刊工業新聞社 2011)小林俊子「表現から見た賢治の転換期」(『宮沢賢治 風を織る言葉』 勉誠出版 
2003)







4月の永野川、5月のビギナー探鳥会のお知らせ
 まず、ビギナー探鳥会のお知らせ。
  日  時 5月18日(土) 9時集合12時解散
  集合場所 永野川緑地公園西駐車場(栃木市岩出町)
  担当 日本野鳥の会栃木 事業企画委員会
芽吹き始めたヨシや花をつけた草木の中で、ゆっくり鳥を見ましょう。セキレイやカワセミ、オオヨシキリのほか、うまくいけば渡りの途中のコムクドリに会えるかもしれません。

ビギナー探鳥会についてのお問い合せは
 日本野鳥の会栃木 (рO28―625−4051)まで

 4月になって、暖かい日が続きました。もうソメイヨシノは散り初めました。
キジがあちこちで声をあげています。そろそろ繁殖の時期なのでしょうか。スズメやカワラヒワ、カルガモなどもカップルが目立ちます。
 オオジュリンやカシラダカはもういませんが、ヒドリガモは公園の調整池に19羽、集まって帰って行くのでしょうか。
普通の鳥たちを見ていても、季節の変わり目を感じられるのは幸せです。
上人橋付近の山林で、コジュケイの声を今季初めて聞きました。このところ姿を見せてはくれないのですが、今年もいてくれたのか、と思うと嬉しくなります。
高橋付近の、屋敷林を持つ住宅でエナガが2羽、久しぶりでした。ここは、いつもヒヨドリの声でにぎわい、屋敷林が里山であること、実感します。永野川の水も戻ってきました。

中旬
ホオジロの囀りを始めて聞きました。
ヤナギやクヌギ、ニセアカシアが芽吹き、公園の八重桜の濃ピンクが映えます。公園の土手の法面には、オドリコソウ、ホトケノザ(サンガイグサ)、オオイヌノフグリなどが花をひろげ、クルミも花をつけました。
 公園のシンボルのようなクワの大木はやっと芽吹いたばかりです。
ヒヨドリが15羽くらいの群れで何回も飛んで行きました。ツグミが田んぼに11羽群れていました。そろそろ渡る準備でしょうか。
それに対して、シメ3羽、ジョウビタキも1羽確認でき、ヒドリガモもまだ7羽残っていました。
新井町の住宅裏の田んぼの用水路の橋の下に見慣れない鳥影が一瞬目に入りました。よく見ると緋色の長めの嘴と、茶褐色背模様と、横腹の縞模様が確認できました。2009年5月のビギナー探鳥会以来のクイナです。
こんなところに1羽、これは渡りの前なのか、それともどこか近くで繁殖しているのでしょうか。
こういう一瞬の幸福な出会いがあるので、探鳥はやめられません。

下旬
中旬からの冷え込みが治まって、やっと本当に暖かくなってきたようです。
カルガモはめっきり減って来ましたが、公園の池にはヒドリガモ3羽、二杉橋にはコガモが22羽集まっていました。
キジも9羽、ヒバリも6羽と目立ちます。
二杉橋付近の草むらがなくなり、ウグイスの声も聞こえなくなりました。因果関係がはっきり分かる例だと思います。
この一カ月、少し注意してカラスを見ていました。この地形ではハシボソカラスが多いといわれましたが、ここではハシブトカラスの方が多いようです。今までも時々会う大群は、ほとんどハシブトカラスでした。ちなみに今回、ハシブトカラス9、ハシボソカラス2、不明2、でした。住宅地に近い、ということでしょうか。

鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、クイナ、バン、イカルチドリ、トビ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、セッカ、ムクドリ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、







3月の永野川
    3月の声を聞いてだいぶ暖かくなりました。
今季はオオジュリンが多かったと思いますが、特に3月上旬、赤津川の川岸、公園内、大岩橋上などの草むらで20羽カウント出来ました。
永野川の高橋下の川岸で、シロハラ、アカハラがあまり距離を置かずにいました。ここではとても珍しいことです。今年はやはり鳥の飛来が多いのでしょうか。
 
3月13日、公園内の上空をツバメ5羽通り過ぎました。昨年は3月下旬だったので、初認とはいえませんが、かなり早いことになります。いつの間にかツバメの季節になったのです。
公園の川をブルドーザーがやって来て、何を始めるのかと一瞬凍りましたが、通り抜けただけでした。でもその音に追われるように、見つからなかったイカルチドリや、草むらからはアオジやホオジロが飛んで、思わぬ数となりました。
19日、雨上がりで気温も5月下旬、といわれました。
カシラダカはもう姿を見せませんがオオジュリンは赤津川岸を中心に11羽見えました。
 ヒバリも元気に囀ります。この急な高温を鳥たちは何と思うのでしょうか。二、三日後には低温も予想されるのに。
 
 下旬、その日は午後になっても10度まで上がりませんでしたが、鳥は比較的多く、上人橋上で、久しぶりにカワセミ1羽横切りました。
河原や、土手にキジが4羽全て♂でした。
ダイサギの嘴の先のみが黄色く残っている個体も見えました。
コガモはほとんど見えず、カルガモもめっきり減りましたが、公園の調整池ではヒドリガモが18羽来ていて今季最多でした。集まって帰って行くのでしょうか。
草むらでは、オオジュリンやカシラダカが見えなくなった分、アオジが合流点近く、赤津川岸、大岩橋上などあちこちで9羽と元気です。
セッカも鳴き始め、やはり春は近付いているようです。
そして五小の近くで、ウグイスが、一瞬囀りました。ずっと待っていました。

例年、この時期、伏流水を水源としている永野川は、水がほとんどなくなり、鳥は少なくなります。今年はそれに加えて、睦橋下から二杉橋下まで、河川敷一面、ブルドーザーでならされ、土砂も盛られたようです。治水工事なら掘削が必要なのでは、と思います。これでは単に河川敷の草地をなくすためにやっているようです。
加えて二杉橋上の川岸が一部土手の上から下まできれいに刈り取られました。この草むらや篠竹の藪は、アオジやウグイスの生息の場でした。草むらや竹藪はある程度は復活するでしょうが、鳥が帰ってくるのには時間がかかります。

二杉橋から少し離れた片柳町に、芝塚山公園という200メートルほどの丘があります。戦前からある公園で、「緑の丘」という印象の、周辺の人々の散歩コースです。
その広葉樹の大木の枝が、ほとんど伐採されていることを昨日初めて知りました。
静かな木陰を作っていたこと、また多くの生物がそこにいたことを、関係者は知っていたのでしょうか。これも回復を待つのみですがここまで切って果たして回復するのでしょうか。
伐採の方法もいろいろあり、もっと多くの意見と折り合うやり方を考えてほしいと思います。
都市公園のあり方も基本から考えなおすことも必要ではないでしょうか。

鳥リスト
カワウ、カイツブリ、バン、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、イカルチドリ、イソシギ、ケリ、アオサギ、ダイサギ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、タヒバリ、カワセミ、ウグイス、ホオジロ、アオジ、オオジュリン、アオジ、ヒバリヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、ツバメ、シジュウカラ、エナガ、シメ、アトリ、セッカ、ジョウビタキ、ツグミ、シロハラ、アカハラ、ムクドリ、スズメ、キジバト、チョウゲンボウ、キジ、ハシボソカラス、ハシブトカラス







〈風が吹く〉こと (2)―伝える風―クロモジとマグノリア
 前々回、「冬の風」で書いた、「シグナルとシグナレス」では、シグナルの言葉をひそかに伝えるのは西風でした。
ここでは風が伝える香りについて考えてみます。


「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」
 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと云った。
「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」
   子熊はまた云った。
「だから溶けないで残ったのでしょう。」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが丁度銀の鎧のやうに光ってゐるのだった。しばらくたって子熊が云った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとさうだ。」
 ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(筆者注:コキエ、昴のこと)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のやうだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」
「いいえ、お前まだ見たことありません。」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう。」
「そうだろうか。」子熊はとぼけたやうに答へました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光をあびて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。(「なめとこ山の熊」)

「なめとこ山の熊」では、熊の親子の幸せそうな姿を目にした小十郎が、自分の気配が風によって伝わらないことを願います。賢治はそんな小十郎をねぎらうように、クロモジの香りを送ったのです。

クロモジはクスノキ目クスノキ科クロモジ属、低山や疎林の斜面に自生する落葉低木で2m〜5mくらい、多くは2m前後です。緑色の木肌に黒い斑紋が出来る様子からクロモジの名前が付いたといわれます。
葉や枝にクスノキ目特有の芳香があり、それを利用して楊枝が作られるほか、かつては抽出した油が香料や化粧品に使われました。
 東北、北越では、狩りの獲物に突き刺して神への供物にするのも、その香りを利用したものでしょう。
クロモジは4月に黄色い小さな花を付けますが香りはなく、木も傷つけなければ芳香は出ませんが、賢治はそこにいつも香りを描き、他の作品でも象徴的に使われます。

すぐ向うに一本の大きなほうの木がありました。「ああもうあの日から四日たってゐるなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。」
 署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほいが風にふうっと漂って来た。
「ああいい匂だな。」署長が云った。
「いい匂ですな。」名誉村長が云った。(「税務署長の冒険」)

 税務署長が密造酒の探索に出たのは恐らく四月、クロモジは花を付けていたでしょう。四日間の山中での苦労や密造人への対応の辛さを一瞬忘れさせてくれるものとして、風はそこにクロモジの香りを運んでくれたのです。
 
「兄さん。ヒームカさんはほんたうに美しいね。兄さん。この前ね、僕、ここからかたくりの花を投げてあげたんだよ。ヒームカさんのおっかさんへは白いこぶしの花をあげたんだよ。そしたら西風がね、だまって持って行って呉れたよ。」(「楢の木大学士の野宿」)

クロモジの香りはモクレン属の花と同時に描かれることが多いようです。
「なめとこ山の熊」でも親子熊の会話に、コブシの古名、方言〈ひきざくら〉が登場します。
「楢の木大学士の野宿」では、岩頸は、大好きな山に、風に託してカタクリやコブシの花を届けます。実際には香りがどのくらい強いかわかりませんが、風に頼んだのはきっとコブシの花の香りだったでしょう。賢治は花の美しさに香りを感じていたのだと思います。

いきなり険しい灌木の崖が目の前に出ました。
  諒安はそのくろもじの枝にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなやさしいものを諒安によこし ました。
  諒安はよじのぼりながら笑ひました。……中略……  
  諒安は眼を疑ひました。そのいちめんの山谷の刻みにいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いてゐるのでした。その日のあたるところは銀と見え陰になるところは雪のきれと思はれたのです。
(けはしくも刻むこころの峯々に、いま咲きそむるマグノリアかも。)斯う云う声がどこからかはっきり聞えて来ました。諒安は心も明るくあたりを見まわしました。(「マグノリアの木」)

 「マグノリアの木」では、クロモジの香りを運ぶものは風ではなく霧です。
修行僧と思われる諒安は、西域を想像させる地をさまよううち崖に阻まれます。クロモジの木を支えに登ると、黄金の平原が開け、周囲の谷には、〈マグノリアの木〉の白い花と芳香に満ちています。マグノリアは、モクレン目モクレン科のモクレン属の学名で、園芸関係では、モクレン、コブシ、オオヤマレンゲなどに広くこの言葉が使われます。
その情景は絶対の〈覚者の善〉と説かれます。

花も大きく香りの強いものもあるマグノリア属の花に比べると、クロモジは目立たなくて香りも実際には届きません。
でも春先の風に吹かれるクロモジの細い枝と黄色い花は、春の象徴のように、人を安らかにし、また実用にもなりました。
賢治にとって、マグノリア属の花は高い精神性と宗教性を持っていたのに対して、クロモジは人の身近にあって、多くの人に手を差し伸べる存在だったのかもしれません。