宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
8月の永野川
8月に入ると暑さの中にも、秋への空気を感じるのか、少しずつ鳥が多くなってきます。
Bird watcherはもちろん、誰でも見つけたら嬉しいカワセミにも、8月には行くたびに会っています。 公園の中の川面を一直線に下っていく姿を一瞬捉えることができたときは、宝物を探し当てたような気分です。 16日には、赤津川の堤防に近い所の用水路に留っていて、横顔、真正面、眼の上の黄色の斑点まで観察できました。嘴の黒い♂でした。
キジの幼鳥は、うっすらと♂♀の違いが表れ始めています。
ムクドリも群れを作って飛ぶようになり、サギ類も、栃木県版レッドリスト2011年版で準絶滅危惧種となったコサギを始め、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、ゴイサギまで来ています。
公園内のヨシ原で、繁殖期を終わったオオヨシキリの姿を3度見ることが出来ました。7月まではここでは鳴き声が聞こえず、今年は来なかったのかとさびしく思っていました。
 ここはかつてワンドとして造成されたのにヨシが茂ってしまったのだと言う声も聞かれますが、川辺のヨシ原とともに貴重なヨシだと思います。
 秋に入れば、Bird watcher垂涎のベニマシコ、カシラダカ、オオジュリンなどの冬鳥や、渡りのノビタキも飛びかいます。
 夏の川岸には、アレチマツヨイグサ、コマツナギが色彩を添えます。また公園の中の土手の法面に、初めてキツネノカミソリを見つけました。
これらも清潔に刈り取りたい、という意見の人もいるようです。
先日、日本野鳥の会栃木代表の高松健比古氏がご一緒して下さり、維持管理課を訪ねました。公園の管理のなかに、野鳥の棲息のことを少し考慮に入れて、刈り取りの時期、回数、場所を考えてもらいたいと思ったからでした。
しかし維持管理課には管理意外の観点は全くないようでした。さらに驚いたことは、刈り取りなどは、年間契約で業者に委託し、刈り取り時期などは考慮していないこと、伸びすぎたと思えば民間人が自由に刈り取りに入れることです。
 以前、環境課に、教育の場として保護してほしい、と申し入れたことがあるのですが、そのときは維持管理課に回すという回答でした。
 高松氏のお話では、環境課、さらに県などにも働きかけ、河川の植生の調査から始めて行かなければならないのではないか、ということでした。
 私はもう少し、水際で頑張って見るつもりです。 

 9月に近付いて、赤津川、永野川川岸のクズやクサギが花をつけ、甘い匂いが満ちています。センニンソウも静かに香っています。
 またクヌギやエゴノキの青い実も膨らみました。それを求めて秋には冬鳥たちが来てくれるでしょう。
 これからの充実を目指して頑張っているような気がする川辺の生物たちです。

八月の鳥リスト(永野川、二杉橋から大岩橋まで・赤津川、緑地公園から平和橋まで)

カワウ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ、ゴイサギ、カルガモ、キジ、イソシギ、イカルチドリ、キジバト、カワセミ、ツバメ、イワツバメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、ウグイス、セッカ、オオヨシキリ、ホオジロ、
スズメ、ムクドリ、ハシブトカラス、ハシボソカラス







風の音―賢治のオノマトペ(擬音語)
どっどどどどうど どどうど どどう、
 青いくるみも吹きとばせ
 すっぱいかりんもふきとばせ
 どっどどどどうど どどうど どどう    「風の又三郎」 九月一日

童話「風の又三郎」の冒頭を飾る挿入歌です。
昭和15年に、日活、島耕二監督によって映画化された時、この歌に付けられたメロディが、映画の評判と共に全国に広まり、当時子供だった人たちの記憶の中に今も残っているようです。
〈九月一日〉は、立春から数えて210日目で、稲の開花と台風の上陸の多い時期とが重なるため、厄日二百十日として認識されてきました。
夏休み明けのこの日、谷川の岸の小さな小学校に都会から高田三郎が転校してきました。子供たちは、三郎がいつも不思議な風を起こすように感じ、伝説の妖精〈風の又三郎〉だ、と思います。
でも三郎と子供たちは、周囲の山や野原に溶け込むように、仲良くなっていきます。
しかし9月12日、子供の一人がこの歌を夢の中に聞いた日、学校へ行くと三郎は転校してしまっていました。村に台風の来た翌朝でした。

この擬音語〈どっどどどどうど どどうど どどう、〉は、風の音を表すものですが、それにとどまらず、未熟なクルミやカリンをも吹き飛ばす強い風の勢いとこの時期の湿った風を感じさせると同時に、効果的な囃子言葉でもあります。
加えてこの言葉は、風の息―瞬間風速の最大値と、吹き始めの値(最小値)との差―の大きいことを意味しているもので、花巻地方に吹く風は、他の地方に比べ、その割合が多いといいます(注1)。
私が初めて花巻を訪れたとき聞いた風の音は、大木をゴウーと過ぎて行くのでなく、何か立ち止まるような、息づくようなもので、いままでに経験したことがなく、長いこと疑問に思っていました。

賢治は教え子沢里武治にはこの風の音を〈どっ どどどどう どどどう どどどう〉と伝えていたそうです(注2)。こちらのほうが、実際の「風の息」のリズムをよく捉えています。

このリズムは古くから賢治の中に育っていたようです。初期の童話「十力の金剛石」のなかで、雨の音を使った囃子言葉も

ザッ、ザ、ザ、ザザァザ、ザザァザ、ザザア、
  ふらばふれふれ、ひでりあめ、
  トパァス、サファイア、ダイヤモンド。

で、リズム形態は全く同じです。
「かしはばやしの夜」(一九二一)のなかで、カシワの木が即興に作った歌の囃子言葉では、

風はどうどう どっどゞゞゞゞう 

で、滑稽さが強調され、リズミカルさを欠きます。
「風の又三郎」後半、雷雨の兆しの中で、誰が歌ったともわからず聞こえてくる声、

風はどっこどっこ又三郎

では、からかうようなリズムとなっています。

賢治はいつも風の中に身を置いて、その息を感じとって来たのでしょう。それを、童話の場面に適した形に変えて、効果的な囃子言葉を作っていたのだと思います。
このリズムは、賢治の作品の様々な場面に登場しますが、それはまた後日書きたいと思います。

 それにしても、近頃の人間の生活を全て飲み込むような暴風雨には、この音を感じる余裕はありません。温暖化による熱帯性の豪雨、開発による地盤の弱体化、このあたりでゆっくり考えてみるべきかもしれません。

注1 麦田穣「風の証言」―童話「風の又三郎」の風のオノマトぺ(『火山弾』第四二号 火山弾の会 1997、5)
注2 堤照實「けんじ分室」の五年間」(『エディター』 1978、4)

参照 「童話に吹く風―賢治の風の音」(小林俊子『宮沢賢治 風を織る言葉』 勉誠出版 2003)










賢治のもう一つの浮世絵―青と白の世界
  賢治のもう一つの浮世絵―青と白の世界

宮澤賢治の詩のジャンルに「文語詩」があります。七五調を基本とした文語の定型詩で、脚韻や対句なども考慮に入れられています。
主に晩年、それまでの生き方をみつめ直すように書き始められます。それまでの作品を文語詩化したものと文語詩として書きはじめられたものがあります。
死の直前の昭和8(1933)年8月、賢治によって「文語詩稿五十篇」、「文語詩稿一百篇」として清書された一五一篇と、そこに入れられなかった「文語詩未定稿」一〇一篇が残っています。
  
    春章作中判

    春章作中判 一、

ましろき蘆の花噴けば
青き死相を眼にたゝへ
大太刀舞はす乱れ髪

    春章作中判 二、

白紙を結ぶすはだしや
死を嘲ける青の隈
雪の反射のなかにして
鉄の鏡をかゝげたり    (「文語詩未定稿」)


前回紹介した「浮世絵展覧会印象一九二八、六、一五、」の一部を文語詩に改作、発展させたもので、江戸時代中期の浮世絵師、勝川春章[享保十一(1726)年〜寛政四(1792)]の描いた役者絵を詠っています。
「 春章作中判 一、」に改作されたのは以下の部分です。

……
青い死相を眼に湛え
蘆の花咲く迷の国の渚に立って
髪もみだれて刃も寒く
怪しく所作する死の舞
……

描かれている浮世絵は「中村仲蔵・夜陰野道抜刀」(細版)と推定されます(注1)。 抜き身を構え死相を浮かべて渚に立つ侍が描かれています。演じているのは初代中村仲蔵[元文元(1736)年〜寛政二(1790)年]で、実悪役者として名高く、他の扇面に描かれた絵にもニヒルな雰囲気が漂います。ただし、この絵には〈蘆〉が描かれていません。

「春章作中判 二、」は、

……
白衣に黒の髪みだれ
死をくまどれる青の面
雪の反射のなかにして
鉄の鏡をさゝげる人や
……

の部分を改作し、描かれているのは「大谷弘次・雪中鏡持ち」(細判)と推定されます。雪のなかで、素足で輝く鏡を持ち、顔に隈(くまどり)を持つのはこの絵のみです。(注)。
ただし下書稿一、二にあった〈白衣に黒の髪みだれ〉の光景はむしろ「 春章作中判 一、」に近いものがあります。 
これは文語詩化する際に、行の調整の必要から一度は「春章作中判 二、」に組み込み、他の絵からのイメージで〈白紙を結ぶすはだしや〉を書き入れましたが、〈白〉のイメージが重なることを避けて〈白衣に黒の髪みだれ〉を抹消したのだと思います。
また二つの絵の大きさは細判(約30.3p×15.1p)で、中判(約26.5p×19.5p)ではありません。賢治が訪れた日に出品された勝川春章の作品で中判の役者絵はありませんでした。なぜ賢治が明確に〈中判〉としたのかは謎です。
賢治は文語詩化の際に意図したのは、記憶をそのまま描いたり、直接的な心象を詠いあげたりするのではなく、一つの詩世界として構築し直すということだったのだと思います。
歌麿、春信、北斎なども描かれた「浮世絵展覧会印象」のなかで、文語詩ではなぜ春章の役者絵だけが選ばれたのでしょう。
それは、芝居という架空の世界の多様な題材や、人の生死の境というぎりぎりの場面に、日常にはない修羅を見たからではないでしょうか。それまでの生き方や人の本質を書き残そうとした文語詩のなかで、この詩の目的は絵を借りて〈修羅〉の世界を描くことにあったと思います。
歌舞伎の舞台化粧である隈(くまどり)で、赤系統は荒事など正義を表し、青系統は実悪、鬼畜、怨霊などを表します。勝川春章の時代、まだ非褪色の藍(インディゴブルー)は用いられていませんでしたから、役者絵の青は、賢治の時代でも、ほとんど残っていなかったと思います。ここに賢治が残した〈青〉という言葉は、賢治の心象が感じとった修羅の色でした。
 
注 杉浦静「巨きな四次の軌跡をのぞく窓―「浮世絵展覧会印象」(東京ノート)の浮世絵―」(『賢治研究』50号・宮沢賢治研究会・1989)による。
この展覧会に出品された作品はすべて松方幸次郎所蔵のもので、現在はすべて東京国立博物館に収められている。その目録『御大典記念徳川時代各派名作浮世絵展覧会目録』、『東京国立博物館図版目録浮世絵篇・上』を比較参照した結果の結論。

参照 小林俊子「春章作中判」『宮沢賢治 文語詩の森 第二集』(柏プラーノ・ 2000)








 七月の永野川
    七月の永野川

 今年は梅雨明け前から猛暑が続き、早朝以外は出かけられなくなりました。
6日に赤津川の永野川との合流点の上で、カイツブリの浮巣を発見しました。まだヒナは見えず、親1羽が抱卵中でした。
しかし予報通りその夜には大雨となり、天気の回復を待って行った9日には流されていました。

この場所は釣り堀の機能があるようです。
土手の法面が刈りこまれたと思ったら、15日には除草剤までが撒かれ、中学生の釣り大会の準備中でした。
法面にはノバラやカンゾウなど花も咲き、昆虫や鳥も多いのです
ここでの釣りの一番の利点は、〈自然の中で釣りをする〉ということではないでしょうか。自然の中の危険を察知し対処していくことも、除草剤が川を汚染する、という事実を教えることも教育ではありませんか。

今年はヒナ連れのカルガモは、先月ヒナ6羽親1羽の群れを一回見ただけでしたが、15日に、もう成鳥と同じ大きさでキチンと隊列を組む6羽に会いました。無事ここまで育ったようです。
カルガモと一緒に、胸の黄色みを帯びたマガモとの交雑種が2羽ずつ二か所で見えました。大きな群れになってしまうと識別できないせいもありますが、今の時期のみ見える現象です。
全体カラス類は少なく、ハシボソカラスのみ数羽、ということもあります。ただ時として30羽以上のハシブトカラスの群れに遭遇することもあるので、私の観察の範囲では把握できていない部分もあります。
滝沢ハム所有の広葉樹の木立に営巣していたハシボソカラスが巣立ち、いつでも2羽で行動しています。これも発見です。
常連という感じで、同じ場所に特徴のある鳴き方をするウグイスや囀っているカワラヒワがいたりする中で、このところ少しずつカワウが増えてきています。またこの辺では珍しく、6羽のアオサギの群れや35羽のムクドリの群れにも会いました。
ヒヨドリが増え始め、トビ、モズもちらほらとみかけるようになりました。季節がめぐっても、出来る限りよりよい自然が残っていくことを願っています。

七月の鳥リスト(永野川、二杉橋から大岩橋まで・赤津川、緑地公園から平和橋まで)

カワウ、カイツブリ、アオサギ、ダイサギ、カルガモ、カモ交雑種、イカルチドリ、セグロセキレイ、ホオジロ、ツバメ、イワツバメ、ウグイス、カワラヒワ、シジュウカラ、コゲラ、ヒバリ、セッカ、スズメ、ムクドリ、キジバト、モズ、ヒヨドリ、コジュケイ、キジ、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、
  







六月の永野川

ヨシは緑を増やし始め、少し安堵するこの頃です。


二杉橋上流付近にもかなりのヨシがあります。ここは最も住宅地に近いのですが、冬のアオジをはじめ意外と観察できる鳥が多いのです。3年前、草むらや低木が刈られる前に、ここでコジュケイを初めてみました。


 公園の中の草刈は一段落しました。


以前花壇だった公園の最も北側の部分は、イヌムギ(牧草)が茂っていて確かに刈られてすっきりした面もあります。ヒバリなどの繁殖が終わっていたことを祈ります。


 川沿いのヨシは残して下さったのは有難いことです。出来ればそこに続く草むらをあと幅5メートル残していただけたら多くの生物が棲息出来るでしょう。


 児童遊園と川の間の土手の法面、ここはエノキ、オニクルミ、クヌギ、ハリエンジュなどの樹木、オドリコソウ、ハナウド、マツヨイグサその他、思いがけず多種類の植物があり、それに従って多種類の昆虫の幼虫も棲息できる場所です。


 歩行にはそれほどの影響もないので、刈り取りは最低限、特にこれから秋の刈り取りはやめてほしいと思います。


かつての風景の記憶が次第に薄れていき、現状を受け入れかけている自分を恐いと思います。


 先日、ここで、小学生の虫採りの授業があると聞きました。それは広い意味の環境や生態系の授業でもあります。こんな身近なフィールドを残したいと思いませんか。


  


6月の鳥リスト(永野川二杉橋から大岩橋まで・赤津川緑地公園から平和橋まで)


 


 今の時期、一年で最も鳥の少ない時期です。


6羽のヒナを連れたカルガモがひと組見られました。


 


カワウ、アオサギ、ダイサギ、ゴイサギ、カルガモ、イカルチドリ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワセミ(幼鳥)、ホオジロ、オオヨシキリ、ヒヨドリ、ツバメ、イワツバメ、ウグイス、コゲラ、カワラヒワ、シジュウカラ、ヒバリ、セッカ、スズメ、キジ、コジュケイ(山側からの声のみ)、キジバト、ムクドリ、トビ、ハシブトカラス、ハシボソカラス