宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
風が語るお話―「鹿(しし)踊り(をどり)のはじまり」
 
そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあひだから、夕陽は赤くなゝめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊りの、ほんたうの精神を語りました。
 
   「鹿踊りのはじまり」の冒頭部分です。「鹿踊りのはじまり」は、1924年、唯一生前出版された童話集『注文の多い料理店』の最後を飾りました。
  賢治作品で風は、物語の語り手にもなります。「サガレンと八月」、「氷河鼠の毛皮」など、風はその場の状況を明確に描きだしながら、物語を展開させます。
 ここでは、ススキの野原にそそぐ美しい夕陽の風景のなか、風は人の言葉となって主体に物語を聞かせ、主体がそれを語るという入れ子構造になっています。
  背景は同じススキの野原です。湯治場へ出かける嘉十は、弁当の団子を食べ、団子を一つ鹿たちのために残して立ち去りますが、手拭を置き忘れます。
  取りに戻った嘉十は、6頭の鹿が集まって来て、いままで見たこともないその手拭を取り囲んでいる所に遭遇します。そして鹿の言葉を聞くのです。それは、〈鹿どもの風に揺れる草穂のやうな気もち〉を感じることができたからでした。
 
嘉十はにわかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるへました。鹿どもの風にゆれる草穂のやうな気もちが、波になって伝はって来たのでした。
嘉十はほんとうにじぶんの耳を疑いました。それは鹿のことばがきこえてきたからです。
「ぢゃ、おれ行って見で来べが。」
「うんにゃ、危ないじゃ、も少し見でべ。」
こんなことばもきこえました。
「何時だがの狐みだいに口発破などさ罹ってあ、つまらないもな、高で栃の団子などでよ。」
「そだそだ、全ぐだ。」
こんなことばも聞きました。
「生ぎものだがも知れないぢゃい。」
「うん。生ぎものらしどごもあるな。」
こんなことばも聞えました。そのうちにとうとう一疋が、いかにも決心したらしく、せなかをまっすぐにして環からはなれて、まんなかの方に進み出ました。
  みんなは停ってそれを見てゐます。
  進んで行った鹿は、首をあらんかぎり延ばし、四本の脚を引きしめ引きしめそろりそろりと手拭に近づいて行きましたが、俄かにひどく飛びあがって、一目散に遁げ戻ってきました。廻りの五疋も一ぺんにぱっと四方へちらけようとしましたが、はじめの鹿が、ぴたりととまりましたのでやっと安心して、のそのそ戻ってその鹿の前に集まりました。(中略)
 
  鹿は、最初怖がっていた手拭が、何もしないものと分けると安心して団子をわけあい、順繰りに歌いだします。
 
 太陽はこのとき、ちやうどはんのきの梢の中ほどにかかって、少し黄いろにかゞやいて居りました。鹿のめぐりはまただんだんゆるやかになって、たがいにせわしくうなずき合ひ、やがて一列に太陽に向いて、それを拝むやうにしてまっすぐに立ったのでした。嘉十はもうほんとうに夢のやうにそれに見とれていたのです。
 一ばん右はじにたった鹿が細い声でうたひました。
 「はんの木の
  みどりみぢんの葉の向さ
  ぢゃらんぢゃららんの
  お日さん懸がる。」
 その水晶の笛のやうな声に、嘉十は目をつぶってふるへあがりました。右から二ばん目の鹿が、俄かに飛びあがって、それからからだを波のやうにうねらせながら、みんなの間を縫ってはせまわり、たびたび太陽の方にあたまをさげました。それからじぶんのところに戻るやぴたりととまってうたいました。
 「お日さんを
  せながさしょえば、はんの木も
  くだげで光る
  鉄のかんがみ。」
 はあと嘉十もこっちでその立派な太陽とはんのきを拝みました。右から三ばん目の鹿は首をせわしくあげたり下げたりしてうたいました。(中略)
 
  この鹿たちの動きは、「鹿(しし)(おどり)」の動きを表しています。
鹿踊は江戸時代の南部氏領、伊達氏領、現在の岩手県、宮城県、愛媛県に受け継がれてきて、祭などの時、その場を舞台にして踊られます。地域によって違う流派があり、花巻市は「春日流」の発祥地です。
  鹿をデホルメした頭を被った8人あるいは12人で、仲立ちを中心にして役割を持って演じ、身に付けた太鼓を鳴らし、頭の長い角を地面に打ち付け、地面を踏みならして踊る勇壮でリズミカルなものです。
  賢治はその踊りのなかに、鹿の動きを見いだしたのでしょう。それとも、鹿踊りの起源は、ほんとうに鹿の動きだったのでしょうか。〈はじまり〉という言葉は謎めいて、読者を引き込む一つの魅力となっていると思います。
 
嘉十はもうまったくじぶんと鹿とのちがいを忘れて、
「ホウ、やれ、やれい。」と叫びながらすすきのかげから飛び出しました。
 鹿はおどろいて一度に竿のやうに立ちあがり、それからはやてに吹かれた木の葉のやうに、からだを斜めにして逃げ出しました。銀のすすきの波をわけ、かゞやく夕陽の流れをみだしてはるかにはるかに遁げて行き、そのとほったあとのすすきは静かな湖の水脈のやうにいつまでもぎらぎら光って居りました。
 そこで嘉十はちょっとにが笑ひをしながら、泥のついて穴のあいた手拭をひろってじぶんもまた西の方へ歩きはじめたのです。
 それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとほった秋の風から聞いたのです。
 
 最後にも〈わたくし〉は風から聞いたお話しであることを確認して、物語を閉じます。 ここに描かれる、一面の野原のススキ、燃え落ちようとする夕日の赤さは、風の中で一層輝きます。
  人間には垣間見ることしかできない動物の世界、しかしそこでの、一瞬の鹿との交流は、鹿たちの話す方言のやさしさ、嘉十のつつましい幸せと思いやりと相まって、一つの理想郷をつくっているような気がします。
  風が物語る、〈鹿踊りのほんたうの精神〉とは、あるいはこのことなのでしょうか。賢治は、風に自然界と人間を繋ぐ力を求めていたのかもしれません。







区界高原(くざかいこうげん)―2013年9月22日―

 口笛にこたふる鳥も去りしかば/いざ行かんとて/なほさびしみ   つ。(歌稿AB501大正6年5月)
 
 賢治の短歌集を初めて読んだ時、強く魅かれた一首です。短歌は賢治の文学の出発点ですが、学ぶ機会が少なく、この言いしれぬ孤独感がずっと心にあるのみでしたが、この短歌を含む〔簗川六首〕が区界付近で詠まれたのではないかという情報がありました。
 区界峠を越えて、詩も残している外山高原へ続く道もあり、あるいはここを辿って行ったのかもしれないと思いました。このことについては確認ができていませんが、少しでも、この短歌の世界に触れられればと思い決行しました。
 自宅からは、いくら早くても盛岡に着くのは9時59分でした。10時02分の山田線宮古行きは無理と思い、10時40分の県北交通の宮古行きに乗りました。 
  この路線は昔の街道とほとんど同じということでしたし、昭和3年に開通した山田線に賢治が乗るのは不可能ですから、バスが正解だと思ったこともあります。
 簗川には行政の出張所と簗川(河川)、ダムなどがあるようでした。路線から離れれば森林もありますが、この道の周囲は、古くからある田畑のようで、短歌の雰囲気はありませんでした。
  この辺から、停留所の間隔がどんどん伸びて行きます。ふと窓外を見ると今まで通って来た道は遥か下に見えます。たしか、ガイドブックには、高原は700mとありました。徒歩で峠を越えた人々―あるいは賢治も―のことを思うと愕然としました。
  区界のバス停近くには道の駅があり、普通のドライブコースのようでした。ここから、少し上のウォーキングセンターまで、なだらかな登り道15分程でした。
  ウォーキングセンターの方はとても親切で、区界高原の最高地点、兜明神岳までは、高原コースと、森林コースがあり、高原コースの方がアップダウンが少なく、見晴らしもよくて快適、林もあると教えてくださいました。
  膝に自信がないのと、二時間後にはバスに乗る予定だったので、行ける所まで行く、ということで高原コースを選びました。
途中までは牧草地帯ですが、ふと前方を見ると林の中に道が続いていて、なぜか、空がすぐ近くにありました。よく晴れていたので、青空を、風が雲を飛ばして行きました。
  これが峠なのだ、途中でしたが納得しました。白樺が点在し、野ばらが赤い実をつけていました。もし季節が違えばまた違った植物に会えるのでしょう。鳥の声もかすかに聞こえていました。もしここなら、賢治の短歌が生まれても納得できそうです。
  上までは行けませんでしたが、連なる山並みや、市営区界牧場の牛たちも見えました。
  20分くらい登り、ふと気づけば、「熊注意」の張り紙、クマよけ鈴を持った人に出会い、わが身の無謀さに気づき、ゆっくり周囲を眺めながら降りました。
  途中で宮古から来たというご婦人に会いました。森林コースから高原コースを回って1時間ほどで降りてきたとのことでした。上にはダケカンバやウメバチソウもあったことや、この辺では年に一度くらいはマツタケを採って食べること、マイタケご飯のおいしいことなど話してくれました。
  道路沿いの大木にからんだヤマブドウを見つけて、一房取ってくださいました。
  これが、賢治の世界で、葡萄酒をつくろうと皆が悪戦苦闘しているものか、こんなに豊かに実っているものなのだ、実感しました。
  この方は、津波で、知り合いの人が何人も犠牲になっていて、津波の直後には生きていて良かったという思いだけだったのに、今ではなぜ死んでしまったのか、なぜ助けられなかったのか、と心が痛む日々とのことでした。
 屈託のない笑顔の底の、この悲しみはいつ消えるのでしょうか。私たちにも何かできるでしょうか。想いを残しながら、その方とは、バス停で反対方向に分かれることになりました。







8月の永野川、そして再び公園について
   8月に入って、不安定な天候が続いています。
大丈夫かと思って出かけても、川を北にさかのぼると黒雲が増え雨に変わります。
   観察を半分で切り上げ、翌日また出かけました。
   公園内の永野川には川霧が出ていて美しく、新井町の休耕田に雨で水がたまり、アマサギ7羽とチュウサギ1羽が群れていました。ここではアマサギは珍しいのです。
  囀りをやめたヒバリが2羽、田の縁に出ていて、しばらくぶりで、セッカが1羽、上昇と下降を繰り返していました。
  翌日、昨夜までの雨が上がり朝からよく晴れ、太平山からは霧が昇り、絵画のようです。永野川は、水量が増え流れも速く、カルガモは流れに乗って楽しんでいるようです。
 
 中旬、新井町の赤津川の河川敷の低木に、オオヨシキリが1羽出てきて、少し弱々しく鳴きました。久しぶりでまた会えた!という気持ちでした。バードリサーチのお話では、もう最後のチャンスだろう、ということでした。
 二つの川の合流点近くで、久しぶりでカワセミが一瞬横切って行きました。
 
 下旬になっても、雨に悩まされ、途中で中断を余儀なくされます。
 公園の草地が終わったところに、キジの幼鳥が8羽、何かふざけ合うように走りまわっていました。ほとんどが茶色に見えますが、いくらか雄の色どりが見え始めたものもいました。こんなたくさんの数を一度に見るのは初めてです。一緒に生まれたのでしょうか。モズの幼鳥が2羽、親と一緒に行動しながら、たどたどしく鳴いていました。
   二杉橋近くの民家の電線にムクドリ98羽ずらっと並んで壮観でした。群れが来ると、人間は拒否反応を示すだろうな、と思います。
   もっとクズの花が咲いてもいいと思いますが、香りが伝わるほどではありません。
 
 葛の花踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
                                                                      (釈迢空)
 
   この歌を、深読みしないでそのままに読み、なにごともないようなこの風景の中にある美しさに昔から魅かれています。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、アマサギ、イソシギ、イカルチドリ、カワセミ、モズ、ヒヨドリ、ウグイス、セッカ、オオヨシキリ、ヒバリ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、ムクドリ、ツバメ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ
 
        公園の記録
  上旬
   公園の土手の法面とその対岸の草地に除草剤をまいたようで、黒く、見苦しく枯れていました。2mくらいの、桑や、ニセアカシヤもそのまま黒くなっているのに、枯れていない草もあります。 どういう基準で撒いたのでしょう。
   昨年の話では、維持管理課では、公園内は子供も利用するので、除草剤は撒かない、ということだったのですが。
これでは、景観上も衛生上も、草を刈らないでいることより、問題でしょう。
 そんな中、キツネノカミソリが2、3株、花をつけていました。散布後、花芽が出たのでしょうか。キツネノカミソリは、小学生向けの植物図鑑によれば、「山の花」です。ここの植生の多様さを物語るのではないでしょうか。
    除草剤について、維持管理課に、問い合わせていたのですが回答がありませんでした。それで、環境基本計画にもからめて、環境課にも問い合わせてみたところ、維持管理課で、自宅まで釈明に来て下さいました。内容は、咋年と同じで、周辺住民の要望によるもの、と繰り返されました。
    いままでも年三回除草剤は撒いていた、というのですが、こんな兆候が現れたのは初めてです。おまけに木が黒くなっているのは気付かなかったといいます。現場に一緒に行って説明を受ければよかったと後悔しました。詰めが甘かったですね。
   除草剤の薬品名につても回答はなく、地中に残留はしないもの、ということです。ただ、除草剤については来年度からは自粛の方向とのことです。
   わざわざ自宅を訪ねてくれたのは、早く回答するため、といいますが、正式回答を避けたかったのだと思います。これも詰めが甘かったと反省しています。
    芝塚山公園の木の伐採についてもお尋ねしてみました。
   周辺住民の落葉への苦情からやったことだそうで、大変喜ばれたと言います。ここは最低でも樹齢50年を超えています。その成長の年月をどう思っているのでしょう。また、この木をよりどころに、どれほどの虫や鳥たちが生きて来たことか。丸坊主になった山を見て苦情を言う人は、誰もいないのでしょうか。
   もうひとつ、びっくりしたことは、うずま公園のヤドリギも見苦しいので除去せよという声もあるそうです。おまけに、維持管理課ではヤドリギだけ減らすことは無理なので、伐採する以外にない、といいます。
ヤドリギの景観の美しさを感じない人もいるでしょうが、樹木の病気と考える人の存在、それを調べもせず、適切な処理を模索しない行政の姿勢にも怒りを覚えます。いろいろ考えて、鳥を見に行くのもつらくなりました。
   下旬、除草剤の跡はだれも文句を言わないのか、黒くよごれたままで、こんな状態が普通になっていくのが怖いと思います。
川の北側の草地は刈り取りが終わっていましたが、昨年より少し広めに残っているような気もしますが理由はわかりません。
 
        公園、その後

   公園について、短歌を作り賢治作品も好きで、ヤドリギにも愛着を持つ方にも話を伝え、ヤドリギの美しさについて、関係者に広めて下さるようにお願いしてみました。
   早速この方は、維持管理課、市の観光協会に出向いて下さいました。
   維持管理課では伐採の予定はないという返事のみだったそうです。でもこれは現在の状況のみで、今までの対応をみれば、何かあればすぐ伐採に動くと思います。
   観光協会には、ヤドリギについての観光客の好意的な感想も寄せられているそうで、よい感触を得たということでした。
何か有効なことを始められれば、私も頑張ってみようと思います。
 
   私はこれとは別に、市民活動推進センターの方にもお願いをしてみました。
   公園のアダプト制度に関わる方にも伝えていただけそうです。
   除草剤散布後の写真と、ヤドリギの写真をお持ちしました。
  話を聞いて下さる方がいることが、まず嬉しいことでした。
  少しずつでも先が見えてくることを祈ります。
 







9月の詩   2篇
     一九六   〔かぜがくれば〕 〔一九二四、〕九、一〇、
 
かぜがくれば
ひとはダイナモになり
  ……白い上着がぶりぶりふるふ……
木はみな青いラムプをつるし
雲は尾をひいてはせちがひ
山はひとつのカメレオンで
藍青やかなしみや
いろいろの色素粒が
そこにせはしく出没する    (「春と修羅第二集」)
  
  九月は、高気圧と低気圧が交互に日本付近を通過し、低気圧による雨によって塵などが洗いながされた後にくる高気圧は、澄んだ晴天と風をもたらします。
  風は人の衣服にも潜り込み、人間全体がダイナモ(発電機)になったようにふるえます。雲は風に乗って交錯します。それは明暗となって、山の色を瞬時に変えていき、山は巨大なカメレオンのようです。
また風は木々の葉もひるがえし、山はモザイクのように光と色の粒子が点滅します。
 藍青は、あるいは〈藍靛〉(らんてん・らんじょう)を意味するかもしれません。『日本国語大辞典』(小学館)によれば、藍から作った染料、インディゴの古名です。
  色名インディゴは『色の手帖』(尚学図書編 小学館 1986)によれば〈暗い青〉です。〈藍色〉が〈くすんだ青〉と記され、それよりもわずかに黒ずんでいます。
  賢治の悲しみは、〈(かなしみは青々ふかく)〉(「春と修羅」)をはじめとして、〈青〉と関連して表現される例は多く見受けられます。
   九月、澄明さを増す空の下、風と一体になって立ちつくすとき、〈かなしみ〉も、一つの色となって、色鮮やかな風景の中に溶け込むのです。

  ほぼ一年後、賢治が作ったのが次の詩です。
 
   「三七七 九月」  一九二五、九、七、
 
キャベジとケールの校圃(はたけ)を抜けて
アカシヤの青い火のとこを通り
燕の群が鰯みたいに飛びちがふのにおどろいて
風に帽子をぎしゃんとやられ
あわてゝ東の山地の縞をふりかへり
どてを向ふへ跳びおりて
試験の稲にたゞずめば
ばったが飛んでばったが跳んで
もう水いろの乳熟すぎ
テープを出してこの半旬の伸びをとれば
稲の脚からがさがさ青い紡錘形を穂先まで
四尺三寸三分を手帳がぱたぱた云ひ
書いてしまへば
あとは
Fox tail grassの緑金の穂と
何でももうぐらぐらゆれるすすきだい
   ……西の山では雨もふれば
     ぼうと濁った陽もそゝぐ……
それから風がまた吹くと
白いシャツもダイナモになるぞ
   ……高いとこでは風のフラッシュ
     燕がみんな灰になるぞ……
北は丘越す電線や
汽笛のcork screwかね
Fortuny式の照明かね
   ……そらをうつした潦(みづたまり)……
誰か二鍾をかんかん鳴らす
二階の廊下を生徒の走る音もする
けふはキャベジの中耕をやる
鍬が一梃こわれてゐた         (「春と修羅第二集」)
               (カッコ内の平仮名は原文のルビ)
 
 季節は同じ、風が吹き、人がダイナモになることも共通していますが、背景が農学校の畑となり、多くの事実が書き込まれます。
 賢治は稲の生育状況を見回っています。
〈乳熟期〉は、出穂後2週間程度、籾を潰すと白い乳液の出る時期で、このときひどい残暑に見舞われると玄米の質が低下すると言われます。
  〈……高いとこでは風のフラッシュ/ 燕がみんな灰になるぞ……〉を見れば、この時も暑く、賢治は米のでき具合を心配し始めていたのでしょう。
 
北は丘越す電線や
汽笛のcork screwかね
Fortuny式の照明かね
 
  〈cork screw〉は、らせん状の、コルク栓抜き、らせん飛行などの意味がありますが、〈汽笛のcork screw〉とは何でしょうか。らせん飛行のように広がっていく汽笛の音、あるいは拡がる暑さでしょうか。
  〈Fortuny式の照明〉は、明治40(1907)年、イタリアの服飾デザイナー Mariano Fortuny(1871-1949)がデザインしたランプで、大きな傘型シェードとその中心にあるクロームメッキされたリフレクターで、グレアを取り除きながら光を柔らかく反射し拡散するもので、現在も販売されているといいます。
   照明器具としては光の拡散はすぐれたものですが、暑さを憂いている賢治がその語を用ちいたのは、照りつける太陽への恨みだったのでしょうか。
 
  もうひとつ、この詩だけにみられる風の表現、〈ぎしゃん〉は賢治の 造語のオノマトペです。
  賢治のオノマトペの造り方は独特のものがあり、これはいくつかの既成語の語感や音感を一つの語に凝縮させているものです(注)。
  私たちは、〈ぎしゃん〉から、〈ぐしゃっ〉、〈がしゃん〉にまでイメージを広げます。さらに〈ぐしゃん〉を〈ぎしゃん〉とすることで、鋭角的なイメージが加わり、帽子がただ潰されるのではなく、折りたたまれるように潰されたことをイメージすることができます。
  さらにいえば〈ぎしゃん〉はなにか心に突き刺さるような鋭さがあり、帽子が飛びそうになったという、小さなことにまでナイーブになっている賢治を感じてしまいます。
  それでも最終章には、午後の授業や、壊れた鍬という現実が淡々と描かれます。賢治はこの時はすでに、農学校をやめる決意をしています。多くの憂いを胸にしまって、現実を歩こうという意思なのかもしれません。
  最初の詩を作った時、賢治は、まだ村の決定的な旱害に接していません。風は賢治を包んで、鮮やかな風景を作っています。〈かなしみ〉さえその風景の中に溶けています。
  二つ目の詩で風は、深く現実を映して賢治の前にあったと言えるのかもしれません。
 
注 
  滝浦真人「宮沢賢治のオノマトペ 語彙・用例集(詩歌篇)―補論・〈見立て〉られたオノマトペ(『共立女子短期大学文科 紀要第三十九号 』1996)
 
参考
  「浮世絵の中に流れる風」(ブログ 「宮沢賢治 風の世界」2012、7)
  『宮沢賢治絶唱 かなしみとさびしさ』(勉誠出版 2011)







7月の永野川

  上旬、そろそろ夏本番、ひざなかの探鳥は身にこたえるので、朝6時に出かけてみました。全体に霧がかかっているようで、あまり鳥の姿はありません。ホオジロの囀りが聞こえるくらいです。探鳥は早朝!と言われていますが、ここではそうともいえないような気がします。
ムクドリの幼鳥が8羽、電線に身を寄せて止まっていました。
  今年は、カルガモのヒナも、カイツブリの巣も全く見ず、カワセミにもしばらく会いません。気分的にゆとりのないせいか、あるいは何かが変わってしまったのでしょうか。
  新井町で、田んぼの一角からカエルの声が沢山聞こえるところがありました。アマガエルとも、トウキョウダルマガエルとも違って、少し低い声でした。もちろんウシガエルではありません。
  上人橋近くの山林から、コジュケイの地鳴きが聞こえました。このあたりに、何羽くらい生息しているのでしょう。囀りもこの時期よく耳にします。
  ヤブカンゾウが一斉に花をつけました。
 
  中旬、よく晴れていましたが、早朝の空気はひんやりと心地よいものです。
  上人橋の近くで、いつもホオジロが囀っています。同じ個体ではないのでしょうが、なぜか安心します。ツバメが2、3羽ずつですが、ひっきりなしに頭上を飛び交います。
  新井町の田んぼで、チュウサギ2羽、かなり遠かったのですが、嘴が黄色くて先だけが黒いのが見えました。少し離れて、嘴の黒い個体がいて、それはダイサギであろうと判断しました。
  200mくらい離れたところで、ツバメの群れが急に飛び立ったと思ったら、なかにヒヨドリ大の白っぽく、尾の長い個体がいました。ツバメの慌てた様子から、猛禽ではないかと思います。ひらひらと大きく羽ばたきながら、そのうちツバメからは離れて飛んで行きました。
 赤津川の川岸に、ナワシロイチゴがつややかな赤い実をつけていました。苗代の時期は過ぎてはいますが、この色は恐らくナワシロイチゴだと思います。
 公園では今年初めて、遠慮がちにアブラゼミが声をあげていました。
 ネムが咲き、アレチマツヨイグサは澄んだ黄色をあちこちで咲かせ始めました。鳥と共に、花や実を楽しんだ探鳥でした。
 
  下旬、このところ雨が多くて、今日も朝方まで雨、8時半ころやっと出かけました。帰るころにはかなり暑くなり、温暖化と我身の老いを感じさせられます。
  ヨシが茂りきれいな緑色になりました。洪水のあとすっかり荒れて、心配していましたが、洪水後は土地が豊かになる、ということなのかもしれません。
  我が家もそうですが、今年は蝉の声が少ないようで、特にアブラゼミの声を聞きません。ミンミンゼミも時々元気に鳴きますが、蝉しぐれ、という感じではありません。キリギリスの声がにぎやかです。
  今まで見えなかったカルガモの親子、ほとんど親と同じ大きさになった子連れ6羽を二か所で見ました。いままでチャンスを逃していたのでしょう。
  新井町の田んぼでは、名前の分からないカエルの声はまだ続いていました。
  モズがところどころで、キチキチキチという声をあげ始めました。これはまだ高鳴きではないのでしょう。幼鳥もいました。
公園を土手から俯瞰してみると、やはり自然として残したほうがよいところがあると思います。たしかに道際に繁茂する雑草は見苦しいですが、ヨシ原に続く草地はやはり広い範囲で茂っていた方が、生物のためにもよく、また豊かな自然を感じる公園となるでしょう。
  クズの繁茂も問題かもしれないのですが、クズの花の美しさや、在来種であることを考え、土止めなどにうまく利用出来ないのでしょうか。ただ刈り取るだけでは翌年の一層の繁茂を招くのではないでしょうか。
  法面で、ある一種類の草のみが抜かれていました。善意の行為だとは思うのですが、これがよい結果を生むかどうかは分かりません。あるいは個人的に嫌いな植物を抜いていたのかもしれません。知識と組織力を生かした公園管理が望まれます。(私はつくづく無知な弱者です。)
  クズやクサギが蕾をつけはじめました。クサギの花は、葉や幹とは全く違う芳香を放ちます。今度来るときにはむせかえるような香りに満ちていることでしょう。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、カイツブリキジバト、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、ゴイサギ、イカルチドリ、ヒヨドリ大の猛禽、モズ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ