賢治作品には冬の風が描かれることは少なく、童話では、「シグナルとシグナレス」、「ひかりの素足」、「水仙月の四日」など数点です。
「シグナルとシグナレス」は、冬の風の中の恋のお話です。
舞台はおそらく花巻駅付近、〈シグナル〉は東北本線の信号機で男性、〈シグナレス〉は支線の軽便鉄道の信号機で、シグナルを英語の女性名詞にならって変化させて、女性であることを表しています。
その間に本線のシグナル柱が、そっと西風にたのんでこう云いました。
『どうか気にかけないで下さい。こいつはもうまるで野蛮なんです礼式も何も知らないのです。実際私はいつでも困ってるんですよ。』
軽便鉄道のシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低く、
『あら、そんなことございませんわ。』と云いましたが何分風下でしたから本線のシグナルまで聞えませんでした。
『許して下さるんですか、本統を云ったら、僕なんかあなたに怒られたら生きている甲斐もないんですからね、』
『あらあら、そんなこと。』軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困ったというように肩をすぼめましたが、実はその少しうつむいた顔は、うれしさにぼっと白光を出していました。
『シグナレスさん、どうかまじめで聞いて下さい。僕あなたの為なら、次の十時の汽車が来る時腕を下げないで、じっと頑張り通してでも見せますよ』わずかばかりヒュウヒュウ云っていた風が、この時ぴたりとやみました。
『あら、そんな事いけませんわ。』
『勿論いけないですよ。汽車が来るとき、腕を下げないで頑張るなんて、そんなことあなたの為にも僕の為にもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと云うんです。僕あなたの位大事なものは世界中ないんです。どうか僕を愛して下さい』
シグナルはシグナレスに恋していますが、本線付きの電信柱(シグナルがついている柱)は、身分違いの恋として反対して邪魔しようとしています。
風は激しく吹き、その音に電線の音、電車の音も加わって声も届きにくなか、恋する思いは全篇に切々と記されていきます。
そのうち、風の止まった一瞬に思いを伝えあい、身振りだけで意思を通じ合うことも知ります。しかし、風で聞こえないはずの電信柱への悪口も、他の電信柱に聞かれて伝えられてしまい、それもできなくなってしまいました。二人は、地上を離れて天上に生きることを祈ります。祈りの言葉が悲しみを静かに深くします。
『あゝ、お星さま、遠くの青いお星さま。どうか私どもをとって下さい。ああなさけぶかいサンタマリヤ、まためぐみふかいジョウジスチブンソンさま、どうか私どものかなしい祈りを聞いて下さい。』
『えゝ。』
『さあ一緒に祈りませう。』
『えゝ。』
『あわれみふかいサンタマリヤ、すきと〔ほ〕るよるの底、つめたい雪の地面の上にかなしくいのるわたくしどもをみそなわせ、めぐみふかいジョウジスチブンソンさま、あなたのしもべのまたしもべ、をみそなわせ、ああ、サンタマリヤ。』
『あゝ。』
二人に同情した近くの倉庫の屋根が、呪文唱えさせると、二人だけの風のない静かな夜空のなかにいて、幸せを確かめ合うことができました。
実に不思議です。いつかシグナルとシグナレスとの二人はまっ黒な夜の中に肩をならべて立っていました。
『おや、どうしたんだろう。あたり一面まっ黒びろうどの夜だ』
『まあ、不思議ですわね、まっくらだわ』
『いいや、頭の上が星で一杯です。おや、なんという大きな強い星なんだろう、それに見たこともない空の模様ではありませんか、一体あの十三連なる青い星は前どこにあったのでしょう、こんな星は見たことも聞いたこともありませんね。僕たちぜんたいどこに来たんでしょうね』
『あら、空があんまり速くめぐりますわ』
『ええ、あああの大きな橙の星は地平線から今上ります。おや、地平線じゃない。水平線かしら。そうです。ここは夜の海の渚ですよ。』
『まあ奇麗だわね、あの波の青びかり。』
『ええ、あれは磯波の波がしらです、立派ですねえ、行って見ましょう。』
『まあ、ほんとうにお月さまのあかりのような水よ。』
『ね、水の底に赤いひとでがいますよ。銀色のなまこがいますよ。ゆっくりゆっくり、這ってますねえ。それからあのユラユラ青びかりの棘を動かしているのは、雲丹ですね。波が寄せて来ます。少し遠退きましょう、』
『ええ。』
『もう、何べん空がめぐったでしょう。大へん寒くなりました。海が何だか凍ったようですね。波はもううたなくなりました。』
『波がやんだせいでしょうかしら。何か音がしていますわ。』
『どんな音。』
『そら、夢の水車の軋りのような音。』
『ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス派の天球運行の諧音です。』
『あら、何だかまわりがぼんやり青白くなって来ましたわ。』
『夜が明けるのでしょうか。いやはてな。おお立派だ。あなたの顔がはっきり見える。』
『あなたもよ。』
『ええ、とうとう、僕たち二人きりですね。』
『まあ、青じろい火が燃えてますわ。まあ地面も海も。けど熱くないわ。』
『ここは空ですよ。これは星の中の霧の火ですよ。僕たちのねがいが叶ったんです。ああ、さんたまりや。』
二人は夜空の見える地上で、二人同じ夢を見ていたのでした。二人の深い溜息で作品は終わっています。
この作品は、大正12(1923)年5月、「岩手毎日新聞」に11回連載された、数少ない生前発表作品です。
大正11(1922)11月に妹トシを亡くし、その後創作をしなかった賢治が4月に詩「東岩手火山」を書き、童話「やまなし」を「岩手毎日新聞」に発表しました。それに続くものとも言えるでしょうか。賢治はどんな思いで作品を書き、発表という手段を選んだのでしょうか。
シグナルは人間の都合で同じシグナルを発信し続けねばならず、それを変えることも移動することもできません。そこには土地に縛られる農民の姿を見ることもできます。(注1)
風は思いを伝えてもくれますが、妨害もします。ここでは風は現実の世界を表すのでしょうか。夢の世界では風はありませんでした。冬の風は、厳しいものとして賢治のなかにあったのかもしれません。
- 天沢退二郎「解説」(『新修宮沢賢治全集第十三巻』 筑摩書房)
参考文献 信時哲郎「シグナルとシグナレス」(『宮沢賢治大事典』 勉誠出版)