宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
1月の永野川、2月のビギナー探鳥会

まずは永野川ビギナー探鳥会のお知らせです。 指導員さんのお話を楽しく聞きながら、鳥を見ましょう。
 
期日 2月16日(土) 9時集合(12時解散) 雨天中止
集合 永野川緑地公園西駐車場(パークセンター前)
見どころ カワセミ、セキレイなど水辺の鳥のほかツグミ、ジョウビタキ、オオジュリンなどの冬鳥、うまくいけばベニマシコ
問い合せ 日本野鳥の会栃木県事務局(028-652-4051)
 
2013年初めての探鳥、今季はカラ類が本当に多く、滝沢ハムの林でヤマガラ2羽に加えて、シジュウカラ、エナガ12羽の混群に会いました。カラ類は、小さな声で鳴きながら早く動くので、こちらも元気づけられるような気がします。
永野川の高橋下で、川原をつつくタシギを見つけました。2010年1月に、公園内で記録して以来です。2006年9月に新井町の湛水田(なぜ湛水だったかは不明)で5羽見つけたことがあります。そのような環境があれば、飛来は可能なのでしょうか。
滝沢ハムの北側の田では、ケリの13羽の群れに会いました。ここでは年一度一羽の個体を見るのがやっとなので驚きです。
 
中旬、コガモがやっと増えて二杉橋下で76羽、上流、赤津川と合わせて101羽になりました。
準絶滅危惧種コサギ11羽の群れもいて、少し安心しました。
二杉橋上の草むら、公園内の河畔でウグイスがかなり上まで出てきて姿を見ることが出来ました。
永野川の睦橋と高橋の間で、シメを4羽が次々に現れ、また第五小近くの河畔でエナガ4羽、比較的住宅に近いこの場所での確認は珍しいことです。
公園のワンド跡の草むらで、オオジュリン今季初めて8羽、あまり人を恐れず次々とススキを登ったり降りたりしていた。昨年は2月になってからの確認で、数も少なかったので、これも感激です。
公園内、桜の木でタヒバリ1羽確認しました。以前は10羽以下ですが群れで確認できたのに、2009年から少なくなり、2010年4月に3羽以来確認できませんでした。
下旬、寒さを避けて11時くらいに出かけると意外と鳥が多いようです。ツグミも元気に飛び、バンもそちこちで泳ぎ始めていました。
カシラダカ7羽の群れが桜の枝に上って来ていました。やはりシジュウカラ、エナガは元気で、以前はあまり見なかった二杉橋上の河畔や公園入り口でエナガ7羽、大岩橋上ではエナガ6羽、シジュウカラ5羽が混群を作っていました。
岩出方面の山の上にワシタカ2羽、沸き上がるように舞いました。かなり遠かったのですが、腹面白っぽく、羽が円い感じとトビよりも小さく、羽ばたきが多いことで、オオタカだと思いますが。
 公園の池が凍結して以来、ヒドリガモは来なくなりました。
今年は大岩橋上の河川敷のブッシュが茂り、カシラダカやカワラヒワ、ホオジロなどがたくさん潜んでいて、時々舞い立ち、楽しませてくれます。この状態を何とか数字で表し、保存できるために使いたいのですが。
ヤナギの芽も大きくなって、春ももう少しです。
 
鳥リスト
カイツブリ、バン、アオサギ、ダイサギ、コサギ、コガモ、カルガモ、オナガガモイソシギ、タシギ、イカルチドリ、ケリ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワセミ、ウグイス、ホオジロ、オオジュリン、カシラダカ、ヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、ヤマガラ、シジュウカラ、エナガ、メジロ、シメ、ジョウビタキ、ツグミ、スズメ、キジ、トビ、オオタカ、キジバト、ハシボソカラス、ハシブトカラス
 
 







 「水仙月の四日」―冬から春への風
  まず描かれる、広い雪原は太陽の光を受け、〈いちめんまばゆい雪花石膏の板〉と表現される美しい光景です。雪花石膏は細かい結晶の集まったなめらかな白色半透明の鉱石で西洋では美しい肌にたとえられるといいます。
親の橇を押す手伝いをして町へ行った小さな子供が、多分ご褒美のザラメを持って、カルメ焼きを作ることを考えながら一人で帰ってきます。
吹雪を起こそうと、〈雪婆んご(ゆきばんご)〉、〈雪童子(ゆきわらす)〉、〈雪狼(ゆきおいの〉がやってきます。雪童子は子供を見つけて、ヤドリギの枝をプレゼントします。
その後、あたりは一変します。
 
   けれども、その立派な雪が落ち切ってしまったころから、お日さまはなんだか空の遠くの方へお移りになって、そこのお旅屋で、あのまばゆい白い火を、あたらしくお焚きなされているやうでした。
   そして西北の方からは、少し風が吹いてきました。
   もうよほど、そらも冷たくなってきたのです。東の遠くの海の方では、空の仕掛けを外したやうな、ちいさなカタッといふ音が聞え、いつかまっしろな鏡に変ってしまったお日さまの面を、なにかちひさなものがどんどんよこ切っていくやうです。
   雪童子は革むちをわきの下にはさみ、堅く腕を組み、唇を結んで、その風の吹いて来る方をじっと見てゐました。狼どもも、まっすぐに首をのばして、しきり   にそっちを望みました。
   風はだんだん強くなり、足もとの雪は、さらさらさらさらうしろへ流れ、間もなく向うの山脈の頂に、ぱっと白いけむりのやうなものが立ったとおもふと、もう西の方は、すっかり灰いろに暗くなりました。
   雪童子の眼は、鋭く燃えるやうに光りました。空はすっかり白くなり、風はまるで引き裂くやう、早くも乾いたこまかな雪がやって来ました。そこらはまるで灰いろの雪でいっぱいです。雪だか雲だかもわからないのです。
丘の稜は、もうあっちもこっちも、みんな一度に、軋やうに切るやうに鳴り出しました。地平線も町も、みんな暗い烟の向うになってしまひ、雪童子の白い影ばかり、ぼんやりまっすぐに立っています。
その裂くやうな吼えるやうな風の音の中から、
ひゅう、なにをぐずぐずしているの。さあ降らすんだよ。降らすんだよ。ひゅうひゅうひゅう、ひゅひゅう、降らすんだよ、飛ばすんだよ、なにをぐづぐづしているの。こんなに急がしいのにさ。ひゅう、ひゅう、向うからさえわざと三人連れてきたぢゃないか。さあ、降らすんだよ。ひゅう。」あやしい声がきこえて    きました。
   雪童子はまるで電気にかかったやうに飛びたちました。雪婆んごがやってきたのです。
   ぱちっ、雪童子の革むちが鳴りました。狼どもは一ぺんにはねあがりました。雪わらすは顔いろも青ざめ、唇も結ばれ、帽子も飛んでしまいました。
  「ひゅう、ひゅう、さあしっかりやるんだよ。なまけちゃいけないよ。ひゅう、ひゅう。さあしっかりやってお呉れ。今日はここらは水仙月の四日だよ。さあしっかりさ。ひゅう。」
  
 子供は巻き込まれて倒れてしまいますが、雪童子はうまく雪をかぶせて守ります。
一夜明け、吹雪は去り、あたりは太陽光に満たされます。
 
まもなく東のそらが黄ばらのように光り、琥珀いろにかがやき、黄金に燃えだしました。丘も野原もあたらしい雪でいっぱいです。
  雪狼どもはつかれてぐったり座っています。雪童子も雪に座ってわらいました。その頬は林檎のやう、その息は百合のやうにかをりました。
   ギラギラのお日さまがお登りになりました。今朝は青味がかって一そう立派です。日光は桃いろにいっぱいに流れました。
 
雪童子が子供の赤いケット(マント)を目印にしておいたおかげで、子供は無事、探
しに来たお父さんに見つかります。
 
この作品は大正13(1924)年、賢治の生前に唯一出版された童話集『注文の多い料理店』に収録されています。
収録された9作品の中でオノマトペの数は総数57語と最も高く、そのなかで34語が、雪・風・雲などの天候に関するものです(注)。
まず、〈東の遠くの海の方では、空の仕掛けを外したような、ちいさなカタッという音が聞え、〉で、あたかもカタッと音がしたかのような、一瞬の空の変化を表します。〈空の仕掛けを外したやうな〉という記述から来ているのですが、〈カタッ〉という語で、時間の短さ、硬質で冷たい冬空を象徴します。   
その苛酷な冬風はオノマトペの総数の三分の一を占める擬音語〈ヒュウヒュウ〉18語で表されています。けれどもそれは吹雪を擬人化した〈雪婆んご〉、〈雪童子〉の会話として描かれているので、吹雪の暗さは薄らぎます。
 また子供がカルメ焼を作ることを想像して言う言葉〈ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。〉も、〈ぐつぐつ〉ではない澄んだ音色が可愛い期待を感じさせます。          
 
雪童子が子どもに与えた、ヤドリギはクリやブナなど落葉樹の樹冠に着生する常緑の寄生低木で、直径50センチ程の球状に成長し、黄色または赤い粘着性の実をつけます。葉を落とした枝のなかでその黄緑色はよく目立ち、賢治もいうように〈黄金(きん)いろのまり〉で、命あるものの象徴ともいえます。
また、キリスト教伝来以前、ケルトやゲルマンなどにはユール(Yule)という、一年で最も夜の長い時、つまり冬至の祝祭があり、この時にヤドリギが飾られたといわれます。寒く夜の長い国にとっては、日照時間の長くなる季節の到来は最大の喜びだったでしょう。
キリスト教が伝わってから、クリスマスとユールが混同され、クリスマスのシンボルにもヒイラギなどと共にヤドリギが使われます。賢治がそれを意識していたという明確な資料はありませんが、賢治が文芸同人誌『アザリア』を創刊した前年の大正3年には、芥川龍之介はイェイツの「ケルトの薄明」、「春の心臓」を「新思潮」に紹介しています。
 
ここで描かれる風は、時には人の命さえ奪うものです。しかし雪婆んごたちは当然の冬の季節を作りだし、去っていくのです。
〈水仙月の四日〉は立春のころではないでしょうか。賢治が描きたかったのは、厳しい自然と、それを越えてくる春への希望、それを子供の命とヤドリギに託したのではないでしょうか。
 
注 『宮澤賢治 風を織る言葉』(勉誠出版 2013)
 







12月の永野川・永野川ビギナー探鳥会
     
 12月に入って好天が続いています。
滝沢ハムの広葉樹林では、日差しの降り注ぐ中、風もないのに木の葉がとめどなく落ち、シジュウカラが元気で19羽も飛び交っていました。
 
啄木鳥や落ち葉を急ぐ牧の木々(水原秋桜子) 
 
キツツキでも牧場でもないのが残念ですが。
 
草むらも急に勢いをなくして、中に潜む鳥が見えそうです。
カワラヒワが増え始めました。
 
15日の永野川ビギナー探鳥会は思いがけず好天に恵まれ、風もない探鳥日和でした。
公園の調整池では、ヒドリガモが7羽、腹部の白さや、岸に上がっての草をついばむという習性も見せてくれました。
川では、カワセミ、ベニマシコ、シメも何度となく出て、ビギナーさんは勿論、ベテランさんも喜ばれたことでしょう。
昨年よりも鳥の飛来が多いのか、それとも大岩橋上のブッシュが再生してきたためか、まだ探鳥地として成り立っていると思います。
野鳥の会栃木の代表高松さんも参加され、この探鳥地の重要性を公園の管理担当の方にもう一度資料を添えて申し出た方がいいともおっしゃってくれて、諦めかけていた気持ちを奮いたたせてくれました。
赤ちゃんの時から参加している指導員のお子さんは、お話ができるようになり、授業で自然観察を取り入れたいとおっしゃる先生や、障害のある中学生も来てくれました。このような幅広い境遇の人たちの集まることこそ、探鳥会の理想だと思います。
 
探鳥会の余韻を引きずるように翌日も出かけました。
朝10時前、赤津川の川岸に日差しを楽しむように、カイツブリ、カルガモもまだじっとしていましたが、セキレイやホオジロが元気です。滝沢ハムの林、本当に狭い場所ですが、エナガ9羽の群れのほか、シメもやシジュウカラも盛んに鳴いていました。
 大岩橋上の草地の木で、ついに自分の目でベニマシコを見つけました。背の黒い模様の様子からベニマシコ♀と確認できました。意外と尾が長いものですね。
カワラヒワも増えてきましたが、最大31羽のむれで、以前のように100羽単位の群れは最近は見ません。
 二杉橋下にコサギ10羽、ダイサギ2羽、アオサギ1羽、じっと動かず、一つの絵でした。
 
下旬になって、新井町の田んぼにケリが1羽、なぜか1羽で季節に一度やってきます。
ツグミ12羽、ムクドリ31羽、この辺では珍しいことです。ダイサギ、コサギも7〜8羽の群れで見ることができました。
草むらにはたくさんの鳥が鳴いていて、いつもながら自分の非力を悔います。
 
鳥リスト
カワウ、カイツブリ、バン、ダイサギ、、コサギ、アオサギ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、トビ、オオタカ、イソシギ、イカルチドリ、ケリ、カワセミ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、ウグイス、ジョウビタキ、ツグミ、ホオジロ、アオジ、カシラダカ1、ヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、シジュウカラ、エナガ、ベニマシコ、シメ、スズメ、ムクドリ、キジバト、キジ、ハシボソカラス、ハシブトカラス
 
 







冬の風 「シグナルとシグナレス」から
      
賢治作品には冬の風が描かれることは少なく、童話では、「シグナルとシグナレス」、「ひかりの素足」、「水仙月の四日」など数点です。
「シグナルとシグナレス」は、冬の風の中の恋のお話です。
舞台はおそらく花巻駅付近、〈シグナル〉は東北本線の信号機で男性、〈シグナレス〉は支線の軽便鉄道の信号機で、シグナルを英語の女性名詞にならって変化させて、女性であることを表しています。
 
その間に本線のシグナル柱が、そっと西風にたのんでこう云いました。
『どうか気にかけないで下さい。こいつはもうまるで野蛮なんです礼式も何も知らないのです。実際私はいつでも困ってるんですよ。』
 軽便鉄道のシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低く、
『あら、そんなことございませんわ。』と云いましたが何分風下でしたから本線のシグナルまで聞えませんでした。
『許して下さるんですか、本統を云ったら、僕なんかあなたに怒られたら生きている甲斐もないんですからね、』
『あらあら、そんなこと。』軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困ったというように肩をすぼめましたが、実はその少しうつむいた顔は、うれしさにぼっと白光を出していました。
『シグナレスさん、どうかまじめで聞いて下さい。僕あなたの為なら、次の十時の汽車が来る時腕を下げないで、じっと頑張り通してでも見せますよ』わずかばかりヒュウヒュウ云っていた風が、この時ぴたりとやみました。
『あら、そんな事いけませんわ。』
『勿論いけないですよ。汽車が来るとき、腕を下げないで頑張るなんて、そんなことあなたの為にも僕の為にもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと云うんです。僕あなたの位大事なものは世界中ないんです。どうか僕を愛して下さい』
 
シグナルはシグナレスに恋していますが、本線付きの電信柱(シグナルがついている柱)は、身分違いの恋として反対して邪魔しようとしています。
風は激しく吹き、その音に電線の音、電車の音も加わって声も届きにくなか、恋する思いは全篇に切々と記されていきます。
そのうち、風の止まった一瞬に思いを伝えあい、身振りだけで意思を通じ合うことも知ります。しかし、風で聞こえないはずの電信柱への悪口も、他の電信柱に聞かれて伝えられてしまい、それもできなくなってしまいました。二人は、地上を離れて天上に生きることを祈ります。祈りの言葉が悲しみを静かに深くします。
 
『あゝ、お星さま、遠くの青いお星さま。どうか私どもをとって下さい。ああなさけぶかいサンタマリヤ、まためぐみふかいジョウジスチブンソンさま、どうか私どものかなしい祈りを聞いて下さい。』
『えゝ。』
『さあ一緒に祈りませう。』
『えゝ。』
『あわれみふかいサンタマリヤ、すきと〔ほ〕るよるの底、つめたい雪の地面の上にかなしくいのるわたくしどもをみそなわせ、めぐみふかいジョウジスチブンソンさま、あなたのしもべのまたしもべ、をみそなわせ、ああ、サンタマリヤ。』
『あゝ。』
 
二人に同情した近くの倉庫の屋根が、呪文唱えさせると、二人だけの風のない静かな夜空のなかにいて、幸せを確かめ合うことができました。
 
実に不思議です。いつかシグナルとシグナレスとの二人はまっ黒な夜の中に肩をならべて立っていました。
『おや、どうしたんだろう。あたり一面まっ黒びろうどの夜だ』
『まあ、不思議ですわね、まっくらだわ』
『いいや、頭の上が星で一杯です。おや、なんという大きな強い星なんだろう、それに見たこともない空の模様ではありませんか、一体あの十三連なる青い星は前どこにあったのでしょう、こんな星は見たことも聞いたこともありませんね。僕たちぜんたいどこに来たんでしょうね』
『あら、空があんまり速くめぐりますわ』
『ええ、あああの大きな橙の星は地平線から今上ります。おや、地平線じゃない。水平線かしら。そうです。ここは夜の海の渚ですよ。』
『まあ奇麗だわね、あの波の青びかり。』
『ええ、あれは磯波の波がしらです、立派ですねえ、行って見ましょう。』
『まあ、ほんとうにお月さまのあかりのような水よ。』
『ね、水の底に赤いひとでがいますよ。銀色のなまこがいますよ。ゆっくりゆっくり、這ってますねえ。それからあのユラユラ青びかりの棘を動かしているのは、雲丹ですね。波が寄せて来ます。少し遠退きましょう、』
『ええ。』
『もう、何べん空がめぐったでしょう。大へん寒くなりました。海が何だか凍ったようですね。波はもううたなくなりました。』
『波がやんだせいでしょうかしら。何か音がしていますわ。』
『どんな音。』
『そら、夢の水車の軋りのような音。』
『ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス派の天球運行の諧音です。』
『あら、何だかまわりがぼんやり青白くなって来ましたわ。』
『夜が明けるのでしょうか。いやはてな。おお立派だ。あなたの顔がはっきり見える。』
『あなたもよ。』
『ええ、とうとう、僕たち二人きりですね。』
『まあ、青じろい火が燃えてますわ。まあ地面も海も。けど熱くないわ。』
『ここは空ですよ。これは星の中の霧の火ですよ。僕たちのねがいが叶ったんです。ああ、さんたまりや。』
 
二人は夜空の見える地上で、二人同じ夢を見ていたのでした。二人の深い溜息で作品は終わっています。
 
この作品は、大正12(1923)年5月、「岩手毎日新聞」に11回連載された、数少ない生前発表作品です。
大正11(1922)11月に妹トシを亡くし、その後創作をしなかった賢治が4月に詩「東岩手火山」を書き、童話「やまなし」を「岩手毎日新聞」に発表しました。それに続くものとも言えるでしょうか。賢治はどんな思いで作品を書き、発表という手段を選んだのでしょうか。
シグナルは人間の都合で同じシグナルを発信し続けねばならず、それを変えることも移動することもできません。そこには土地に縛られる農民の姿を見ることもできます。(注1)
風は思いを伝えてもくれますが、妨害もします。ここでは風は現実の世界を表すのでしょうか。夢の世界では風はありませんでした。冬の風は、厳しいものとして賢治のなかにあったのかもしれません。
 
  • 天沢退二郎「解説」(『新修宮沢賢治全集第十三巻』 筑摩書房)
参考文献 信時哲郎「シグナルとシグナレス」(『宮沢賢治大事典』 勉誠出版)
 
 
 
 







11月の永野川
 
11月に入ると風が幾分冷たくなります。
滝沢ハム周辺の草むら、広葉樹の植え込みを、鳥は好きなようです。
初旬、今季初めてカシラダカ5羽を確認しました。草むらからは小さな声が沢山聞こますが姿を見せるのは稀です。
ホオジロの声はチチチッと3回繰り返すことが多く、なんとか分かりますが、カシラダカ、アオジ、シメなどそれぞれ特徴はあっても、フィールドでひとつだけきくと、分かりません。
植え込みでは、エナガ10羽、シジュウカラ4羽の群れ、ヤマガラ1羽、シメ1羽、カラ類は動きが早くなかなかゆっくり見ることが出来ません。鳥も身を守るのに必死です。
大岩橋上の河畔で今季初めてアオジ2羽を確認できました。緑の頭と褐色の羽の図鑑どおりの♂でした。こんなに特徴がつかめたのは初めてです。
下旬、滝沢ハム所有の広葉樹林で、ヤマガラ2羽、至近距離で図鑑の通りのずんぐりして愛らしい姿を見せてくれました。シジュウカラも4羽次々に現れては去っていきます。
大岩橋上のブッシュで、聞きなれないピーという声がしていると思ったら、一瞬7羽のウソが飛んで、反対側の樹林に入ってしまいました。大きさ、鳴き声、嘴の形、おぼろげに見えた色などからウソと確認しました。数年前も一度もここで見たことがありました。あるいは草むらや木々が伸びて餌場などが復活したのかもしれません。
川では、この頃キセキレイが2羽確認できています。バンの額盤が赤くなってきました。カルガモ、コガモは依然増えてきません。
運動公園や自宅にはツグミが来てますが、ここではまだ見えません。
もうじき本格的な冬です。たくさんの冬鳥が来てくれるよう祈っています。
 
鳥リスト
カイツブリ、バン、アオサギ、ダイサギ、コサギ、コガモ、カルガモ、ヒドリガモ、イソシギ、イカルチドリ、カワセミ、セグロセキレイ、キセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ、アオジ、カシラダカ、ヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、シメ、ウソ、コゲラ、ウグイス、ジョウビタキ、スズメ、キジバト、トビ、チョウゲンボウ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、