宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
4月の永野川、5月のビギナー探鳥会のお知らせ
 まず、ビギナー探鳥会のお知らせ。
  日  時 5月18日(土) 9時集合12時解散
  集合場所 永野川緑地公園西駐車場(栃木市岩出町)
  担当 日本野鳥の会栃木 事業企画委員会
芽吹き始めたヨシや花をつけた草木の中で、ゆっくり鳥を見ましょう。セキレイやカワセミ、オオヨシキリのほか、うまくいけば渡りの途中のコムクドリに会えるかもしれません。

ビギナー探鳥会についてのお問い合せは
 日本野鳥の会栃木 (рO28―625−4051)まで

 4月になって、暖かい日が続きました。もうソメイヨシノは散り初めました。
キジがあちこちで声をあげています。そろそろ繁殖の時期なのでしょうか。スズメやカワラヒワ、カルガモなどもカップルが目立ちます。
 オオジュリンやカシラダカはもういませんが、ヒドリガモは公園の調整池に19羽、集まって帰って行くのでしょうか。
普通の鳥たちを見ていても、季節の変わり目を感じられるのは幸せです。
上人橋付近の山林で、コジュケイの声を今季初めて聞きました。このところ姿を見せてはくれないのですが、今年もいてくれたのか、と思うと嬉しくなります。
高橋付近の、屋敷林を持つ住宅でエナガが2羽、久しぶりでした。ここは、いつもヒヨドリの声でにぎわい、屋敷林が里山であること、実感します。永野川の水も戻ってきました。

中旬
ホオジロの囀りを始めて聞きました。
ヤナギやクヌギ、ニセアカシアが芽吹き、公園の八重桜の濃ピンクが映えます。公園の土手の法面には、オドリコソウ、ホトケノザ(サンガイグサ)、オオイヌノフグリなどが花をひろげ、クルミも花をつけました。
 公園のシンボルのようなクワの大木はやっと芽吹いたばかりです。
ヒヨドリが15羽くらいの群れで何回も飛んで行きました。ツグミが田んぼに11羽群れていました。そろそろ渡る準備でしょうか。
それに対して、シメ3羽、ジョウビタキも1羽確認でき、ヒドリガモもまだ7羽残っていました。
新井町の住宅裏の田んぼの用水路の橋の下に見慣れない鳥影が一瞬目に入りました。よく見ると緋色の長めの嘴と、茶褐色背模様と、横腹の縞模様が確認できました。2009年5月のビギナー探鳥会以来のクイナです。
こんなところに1羽、これは渡りの前なのか、それともどこか近くで繁殖しているのでしょうか。
こういう一瞬の幸福な出会いがあるので、探鳥はやめられません。

下旬
中旬からの冷え込みが治まって、やっと本当に暖かくなってきたようです。
カルガモはめっきり減って来ましたが、公園の池にはヒドリガモ3羽、二杉橋にはコガモが22羽集まっていました。
キジも9羽、ヒバリも6羽と目立ちます。
二杉橋付近の草むらがなくなり、ウグイスの声も聞こえなくなりました。因果関係がはっきり分かる例だと思います。
この一カ月、少し注意してカラスを見ていました。この地形ではハシボソカラスが多いといわれましたが、ここではハシブトカラスの方が多いようです。今までも時々会う大群は、ほとんどハシブトカラスでした。ちなみに今回、ハシブトカラス9、ハシボソカラス2、不明2、でした。住宅地に近い、ということでしょうか。

鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、クイナ、バン、イカルチドリ、トビ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、セッカ、ムクドリ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、







3月の永野川
    3月の声を聞いてだいぶ暖かくなりました。
今季はオオジュリンが多かったと思いますが、特に3月上旬、赤津川の川岸、公園内、大岩橋上などの草むらで20羽カウント出来ました。
永野川の高橋下の川岸で、シロハラ、アカハラがあまり距離を置かずにいました。ここではとても珍しいことです。今年はやはり鳥の飛来が多いのでしょうか。
 
3月13日、公園内の上空をツバメ5羽通り過ぎました。昨年は3月下旬だったので、初認とはいえませんが、かなり早いことになります。いつの間にかツバメの季節になったのです。
公園の川をブルドーザーがやって来て、何を始めるのかと一瞬凍りましたが、通り抜けただけでした。でもその音に追われるように、見つからなかったイカルチドリや、草むらからはアオジやホオジロが飛んで、思わぬ数となりました。
19日、雨上がりで気温も5月下旬、といわれました。
カシラダカはもう姿を見せませんがオオジュリンは赤津川岸を中心に11羽見えました。
 ヒバリも元気に囀ります。この急な高温を鳥たちは何と思うのでしょうか。二、三日後には低温も予想されるのに。
 
 下旬、その日は午後になっても10度まで上がりませんでしたが、鳥は比較的多く、上人橋上で、久しぶりにカワセミ1羽横切りました。
河原や、土手にキジが4羽全て♂でした。
ダイサギの嘴の先のみが黄色く残っている個体も見えました。
コガモはほとんど見えず、カルガモもめっきり減りましたが、公園の調整池ではヒドリガモが18羽来ていて今季最多でした。集まって帰って行くのでしょうか。
草むらでは、オオジュリンやカシラダカが見えなくなった分、アオジが合流点近く、赤津川岸、大岩橋上などあちこちで9羽と元気です。
セッカも鳴き始め、やはり春は近付いているようです。
そして五小の近くで、ウグイスが、一瞬囀りました。ずっと待っていました。

例年、この時期、伏流水を水源としている永野川は、水がほとんどなくなり、鳥は少なくなります。今年はそれに加えて、睦橋下から二杉橋下まで、河川敷一面、ブルドーザーでならされ、土砂も盛られたようです。治水工事なら掘削が必要なのでは、と思います。これでは単に河川敷の草地をなくすためにやっているようです。
加えて二杉橋上の川岸が一部土手の上から下まできれいに刈り取られました。この草むらや篠竹の藪は、アオジやウグイスの生息の場でした。草むらや竹藪はある程度は復活するでしょうが、鳥が帰ってくるのには時間がかかります。

二杉橋から少し離れた片柳町に、芝塚山公園という200メートルほどの丘があります。戦前からある公園で、「緑の丘」という印象の、周辺の人々の散歩コースです。
その広葉樹の大木の枝が、ほとんど伐採されていることを昨日初めて知りました。
静かな木陰を作っていたこと、また多くの生物がそこにいたことを、関係者は知っていたのでしょうか。これも回復を待つのみですがここまで切って果たして回復するのでしょうか。
伐採の方法もいろいろあり、もっと多くの意見と折り合うやり方を考えてほしいと思います。
都市公園のあり方も基本から考えなおすことも必要ではないでしょうか。

鳥リスト
カワウ、カイツブリ、バン、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、イカルチドリ、イソシギ、ケリ、アオサギ、ダイサギ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、タヒバリ、カワセミ、ウグイス、ホオジロ、アオジ、オオジュリン、アオジ、ヒバリヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、ツバメ、シジュウカラ、エナガ、シメ、アトリ、セッカ、ジョウビタキ、ツグミ、シロハラ、アカハラ、ムクドリ、スズメ、キジバト、チョウゲンボウ、キジ、ハシボソカラス、ハシブトカラス







〈風が吹く〉こと (2)―伝える風―クロモジとマグノリア
 前々回、「冬の風」で書いた、「シグナルとシグナレス」では、シグナルの言葉をひそかに伝えるのは西風でした。
ここでは風が伝える香りについて考えてみます。


「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」
 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと云った。
「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」
   子熊はまた云った。
「だから溶けないで残ったのでしょう。」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが丁度銀の鎧のやうに光ってゐるのだった。しばらくたって子熊が云った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとさうだ。」
 ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(筆者注:コキエ、昴のこと)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のやうだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」
「いいえ、お前まだ見たことありません。」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう。」
「そうだろうか。」子熊はとぼけたやうに答へました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光をあびて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。(「なめとこ山の熊」)

「なめとこ山の熊」では、熊の親子の幸せそうな姿を目にした小十郎が、自分の気配が風によって伝わらないことを願います。賢治はそんな小十郎をねぎらうように、クロモジの香りを送ったのです。

クロモジはクスノキ目クスノキ科クロモジ属、低山や疎林の斜面に自生する落葉低木で2m〜5mくらい、多くは2m前後です。緑色の木肌に黒い斑紋が出来る様子からクロモジの名前が付いたといわれます。
葉や枝にクスノキ目特有の芳香があり、それを利用して楊枝が作られるほか、かつては抽出した油が香料や化粧品に使われました。
 東北、北越では、狩りの獲物に突き刺して神への供物にするのも、その香りを利用したものでしょう。
クロモジは4月に黄色い小さな花を付けますが香りはなく、木も傷つけなければ芳香は出ませんが、賢治はそこにいつも香りを描き、他の作品でも象徴的に使われます。

すぐ向うに一本の大きなほうの木がありました。「ああもうあの日から四日たってゐるなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。」
 署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほいが風にふうっと漂って来た。
「ああいい匂だな。」署長が云った。
「いい匂ですな。」名誉村長が云った。(「税務署長の冒険」)

 税務署長が密造酒の探索に出たのは恐らく四月、クロモジは花を付けていたでしょう。四日間の山中での苦労や密造人への対応の辛さを一瞬忘れさせてくれるものとして、風はそこにクロモジの香りを運んでくれたのです。
 
「兄さん。ヒームカさんはほんたうに美しいね。兄さん。この前ね、僕、ここからかたくりの花を投げてあげたんだよ。ヒームカさんのおっかさんへは白いこぶしの花をあげたんだよ。そしたら西風がね、だまって持って行って呉れたよ。」(「楢の木大学士の野宿」)

クロモジの香りはモクレン属の花と同時に描かれることが多いようです。
「なめとこ山の熊」でも親子熊の会話に、コブシの古名、方言〈ひきざくら〉が登場します。
「楢の木大学士の野宿」では、岩頸は、大好きな山に、風に託してカタクリやコブシの花を届けます。実際には香りがどのくらい強いかわかりませんが、風に頼んだのはきっとコブシの花の香りだったでしょう。賢治は花の美しさに香りを感じていたのだと思います。

いきなり険しい灌木の崖が目の前に出ました。
  諒安はそのくろもじの枝にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなやさしいものを諒安によこし ました。
  諒安はよじのぼりながら笑ひました。……中略……  
  諒安は眼を疑ひました。そのいちめんの山谷の刻みにいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いてゐるのでした。その日のあたるところは銀と見え陰になるところは雪のきれと思はれたのです。
(けはしくも刻むこころの峯々に、いま咲きそむるマグノリアかも。)斯う云う声がどこからかはっきり聞えて来ました。諒安は心も明るくあたりを見まわしました。(「マグノリアの木」)

 「マグノリアの木」では、クロモジの香りを運ぶものは風ではなく霧です。
修行僧と思われる諒安は、西域を想像させる地をさまよううち崖に阻まれます。クロモジの木を支えに登ると、黄金の平原が開け、周囲の谷には、〈マグノリアの木〉の白い花と芳香に満ちています。マグノリアは、モクレン目モクレン科のモクレン属の学名で、園芸関係では、モクレン、コブシ、オオヤマレンゲなどに広くこの言葉が使われます。
その情景は絶対の〈覚者の善〉と説かれます。

花も大きく香りの強いものもあるマグノリア属の花に比べると、クロモジは目立たなくて香りも実際には届きません。
でも春先の風に吹かれるクロモジの細い枝と黄色い花は、春の象徴のように、人を安らかにし、また実用にもなりました。
賢治にとって、マグノリア属の花は高い精神性と宗教性を持っていたのに対して、クロモジは人の身近にあって、多くの人に手を差し伸べる存在だったのかもしれません。









〈風が吹く〉こと(1) 季節のうつろい
    賢治は風を沢山の比喩に用いていますし、風を表すのにも巧みな比喩を使います。しかし〈風が吹く〉という事実だけでも、そこに多様の意味を持たせています。
特に多く、印象深く感じられる、季節の変化を表している場合を考えてみます。
 先月記した、「水仙月の四日」でも風は吹雪とそののちに来る春を予感させるものでした。
「或る農学生の日誌」では、春の訪れを感じるのは、なぜか〈冷たい風〉のなかです。日記体の文章でもあり、二例繰り返し登場します。
季節の変化は、まず、確実に日照の変化があり、温度変化は徐々に現れます。ここでも、日の明るさによって春の到来を感じても、風はまだ冷たく、風を体に受けることによって、日の暖かさをいっそう強く感じているということでしょうか。

まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。(「或る農学生の日誌」)

風は寒いけれどもいい天気だ。(「或る農学生の日誌」)

反対に、「十月の末」では、秋の気配は、散り落ちた柳の葉、青空に浮く秋の雲などとともに、急にやってくるようです。そこに吹く冷たい風は、もう秋の風になっています。

それはツンツン、ツンツンと鳴いて、枝中はねあるく小さなみそさざいで一杯でした。
  実に柳は、今はその細長い葉をすっかり落して、冷たい風にほんのすこしゆれ、そのてっぺんの青ぞらには、町のお祭りの晩の電気菓子のような白い雲が、静に翔けているのでした。
「ツツンツツン、チ、チ、ツン、ツン。」
  みそさざいどもは、とんだりはねたり、柳の木のなかで、じつにおもしろそうにやっています。柳の木のなかというわけは、葉の落ちてカラッとなった柳の木の外側には、すっかりガラスが張ってあるような気がするのです。(「十月の末」)

「四又の百合」でははっきりと〈九月の風〉を感じ、それは〈すきとほったするどい秋の粉〉で、〈数しれぬ玻璃の微塵のやう〉という視覚からも捉えられています。

風がサラサラ吹き木の葉は光りました。
「この風はもう九月の風だな。」
「さようでございます。これはすきとほったするどい秋の粉でございます。数しれぬ玻璃の微塵のやうでございます。」
「百合はもう咲いたか。」
「蕾はみんなできあがりましてございます。秋風の鋭い粉がその頂上の緑いろのかけ金を削って減らしてしまひます。今朝一斉にどの花も開くかと思われます。」(「四又の百合」)

季節の変化とともに起こるものとして、種子を飛ばす風があります。「いちゃうの実」、「おきなぐさ」を見てみます。
  
その明け方の空の下、ひるの鳥でも行かない高い所を鋭い霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。
   実にその微かな音が丘の上の一本いちゃうの木に聞える位澄み切った明け方です。
   いちゃうの実はみんな一度に目をさましました。そしてドキッとしたのです。今日こそはたしかに旅立ちの日でした。みんなも前からそう思っていましたし、昨日の夕方やって来た二羽の烏もそう云いました。……

  ……そうです。この銀杏の木はお母さんでした。
  今年は千人の黄金色の子供が生れたのです。
  そして今日こそ子供らがみんな一諸に旅に発つのです。
 
  ……突然光の束が黄金の矢のように一度に飛んで来ました。子供らはまるで飛びあがる位輝やきました。
  北から氷のように冷たい透きとほった風がゴーッと吹いて来ました。
「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」子供らはみんな一度に雨のように枝から飛び下りました。
  北風が笑って、
「今年もこれでまずさよならさよならって云ふわけだ。」と云ひながらつめたいガラスのマントをひらめかして向ふへ行ってしまいました。……(「いちゃうの実」)

   ……奇麗なすきとほった風がやって参りました。まず向うのポプラをひるがへし、青の燕麦に波をたてそれから丘にのぼって来ました。
  うずのしゅげは光ってまるで踊るようにふらふらして叫びました。
「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがたうございました。」
 そして丁度星が砕けて散るときのやうにからだがばらばらになって一本ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のやうに北の方へ飛んで行きました。そしてひばりは鉄砲玉のやうに空へとびあがって鋭いみじかい歌をほんの一寸歌ったのでした。(「おきなぐさ」〈うずのしゅげ〉はオキナグサの別名)

賢治にとって、季節ごとに吹く風は、季節を動かす重要なも
のでした。
そして、種子を運び、命を繋ぐものは風は、〈すきとほった風〉
です。〈透明な風〉は賢治にとって最高の価値を持ち、多くの
作品に登場します。
賢治は自然界で最も大切なものとして、生命のつながりを捉え
ていたのではないでしょうか。 或る農学生の日誌 自然 春 四月










2月の永野川、永野川ビギナー探鳥会、うずま公園(三月)のヒレンジャク
   
まず永野川ビギナー探鳥会のお話です。2月16日はよく晴れましたが風が強く、体感温度0度と予想された日でした。
集合時間の9時、トビが風にとばされるように頭上で舞って、腹面の模様や尾羽の様子も良くみえました。
鳥の姿も少ない中、スズメがパークセンターの屋根の上にとまっているのや、芝生際で懸命に餌をとる所を観察して、指導員さんの何を食べているのだろう、という問題提起で盛り上がりました。日頃は丁寧に見ない鳥たちの出番でした。
川べりも寒かったのですが、時間がたつにつれ、セグロセキレイやハクセキレイ、キセキレイ、などが順よくあらわれて、その違いを観察しました。
カワラヒワは30羽くらいの群れで一斉に飛んで、黄色の翼の模様に見とれました。
シメがそこここに現れ、プロミナ入れてもらって、ゆっくりその顔をながめたりしているうち、指導員さんが、はるかかなたに二羽のカワセミを発見してくれて、皆で期待しながら待ちました。
私たちの気持ちを察するように、近くの川岸の木にとまって餌をとった後ずっと留まっていました。寒さに負けなかった皆へのご褒美でした。
確か中学生の時にここでお会いしたと思う人や、初めて参加された方が感激して下さる姿も嬉しいことです。 
以前も来られた、お祖父様に連れられた5歳と6歳くらいの兄弟が低いプロミナを懸命に覘き、最後まで飽きずにいたことも嬉しいことでした。
特に嬉しかったのは、小学生の時に来てくれた人が、今年は農学部進学が決まり、カラスの研究をすることになったと報告してくれたことでした。伝統ある探鳥部にも絶対入るといいます。野鳥の会にとって、頼もしい後継者が生まれました。
こんな成長の姿を見ることが出来るビギナー探鳥会は本当に貴重な場所です。
 
ビギナー探鳥会での鳥リスト
カイツブリ、アオサギ、ダイサギ、カルガモ、イカルチドリ、イソシギ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワセミ、ホオジロ、オオジュリン、モズ、カワラヒワ、シジュウカラ、シメ、ツグミ、コゲラ、スズメ、キジ、キジバト、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス
、巴波川沿い、室町と境町が接する所のうずま公園には、エノキ、サクラなどの大木があり、枝にヤドリギがたくさんついています。 その実を目当てに、レンジャクが渡りの途中で立ち寄ることがあります。
 3月3日、4羽のヒレンジャクに会いました。4年ぶりくらいです。川にも降りて、至近距離で見ることが出来ました。
今年はヤドリギもたくさん実をつけていますので、まだしばらくは滞在するかもしれません。(ただし、鳥のことはあてになりません。会えたら幸運!)
ここには意外にも、ヒドリガモ20羽のほか、オナガガモ、カルガモ、コサギ、ツグミ、アカハラ、シメ、ヒヨドリ、スズメ、カワセミも来て、探鳥地としてもなりたつのかもしれません。
 
 2月初旬は、雪も降り気温の低い日が続きました。
そんな中でキジバトが何時になく多く、公園の草むらで、あちこちで2羽、3羽と現れます。
 滝沢ハム所有の草むらでは、ジョウビタキ、シメ、シジュウカラなどが元気です。7日には、寒さのなか、新井町、赤津川沿いの田んぼでヒバリが囀り始めました。昨年よりは2週間早いきろくです。
 
中旬、コガモが少しずつ動き始め、ツグミやホオジロ、バンなども多数みられるようになりました。オオジュリンや、カシラダカなどの冬鳥も、今年は赤津川河畔の法面の草むらや、大岩橋上の草むらで多数が動いています。
カモたちは分散してしまったようです。二杉橋近くのカルガモは数羽になってしまいましたがここでは珍しいマガモが3羽混じっていました。コガモは上流で20羽くらいずつ群れていました。
大岩橋上の草むらの反対側の岸から見ていると、カシラダカやオオジュリン、ホオジロなどが、草むらの方に飛び移ました。
草むらの側で見ると、シジュウカラが11羽次々に現れては消えて行き、またカシラダカやオオジュリン、アオジ、ホオジロなどが飛びかっていきました。
そしてここでは滅多に見られないアトリが1羽、樹上に現れ、飛び去って行きました。アトリは群れでしか見たことがありません。もしかして草むらの中には、もっといたのでしょうか。大岩橋上の草地は、宝庫です。 
 
下旬
最後の28日は、三月下旬の暖かさ、ということでした。公園内の側では、カラスがゆっくり水浴びをして(カラスの行水ではありませんでした)ずぶぬれでした。
中州をセキレイに交じって、タヒバリが1羽ゆっくりと歩いていました。図鑑通りの茶色の多いしっかりした体つきでした。もしかすると、1月に見た、樹上にいていくらか緑がかった腹に縦班のある尾をよく振っていたものは、ビンズイだったのでしょうか。先日、赤津川上流ではビンズイとタヒバリ両方を見られるという情報を得たばかりです。
今年はカシラダカやオオジュリン、アオジなど草むらの鳥が元気です。赤津川岸、公園内のヨシ原、滝沢ハムの所有地、とどこでも見ることが出来ました。シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、シメなども数が飛びぬけて多いようです。全生息数を把握することはできませんが多様な鳥が生きている、ということを感じられます。
この環境を、どうやれば守っていけるのでしょうか。
二杉橋上の河川工事や、土手の法面の刈り取りが始まっています。これがどのように影響して行くのか、はっきりとした数字で表せたら、そして行政や市民が納得してくれたら……。大きな望みです。
 
 
鳥リスト
カワウ、カイツブリ、バン、アオサギ、ダイサギ、コガモ、カルガモ、マガモ、ヒドリガモ、イカルチドリ、イソシギ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、タヒバリ、カワセミ、ウグイス、ホオジロ、アオジ、オオジュリン、ヒバリ、ヒヨドリ、モズ、カワラヒワ、シジュウカラ、エナガ、ヤマガラ、シメ、ジョウビタキ、カシラダカ、ツグミ、コゲラ、スズメ、キジ、キジバト、ムクドリ、トビ、ハシボソカラス、ハシブトカラス