宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
1月の永野川(2014)とビギナー探鳥会のお知らせ
 
 
永野川緑地公園ビギナー探鳥会
日  時 2月15日(土)9時集合 12時解散
集  合 栃木市永野川緑地公園西駐車場
主  催 日本野鳥の会栃木
申込不要 雨天中止
会費200円 (会員100円)
双眼鏡と図鑑の無料貸し出しがあります。
 
年3会の探鳥会のなかで、もっとも鳥の種類が増える時期です。
カシラダカ、ツグミ、シメ、オオジュリンなど冬鳥も増え、
カワセミが高い確率で出現します。
 
9日 
  今年初めての探鳥です。雨が上がり比較的暖かな日となりました。
赤津川泉橋上でカワセミが鳴きながら飛び立ち少し上流でとまり、また飛び立ち、
2回繰り返して消えました。同じ個体でしょうが、下流に向かっても、飛びました。
  公園の中では確か違う個体が2羽、ホバリングして小さな魚を捉え川の中の石に停まることを繰り返していました。また永野川第五小付近でも下降していく姿も捉えました。今日はカワセミのあたり日です。
  新井町、赤津川岸の廃瓦工場の空き地の草むらで、このころよく小鳥の声を聞いていました。今日は動きが激しくいくらか小さめの影が動いたので待つこと5分、ようやくカシラダカが7羽草むらを飛びかう姿を捉えることができました。
 
  公園のヨシ原がアレチウリにからまれている姿は、枯れてますます痛々しくなりました。ヨシは順調に育つのでしょうか。このまま一斉に刈り取られることなく、ヨシを保護してほしい。何か指針がないと個人で動くことは難しいのですが、何か行動すべきか、と思います。
アレチウリの中にも、鳥は生息できるのでしょうが、やはり景観も大切でしょうから、〈ヨシの茂る場所〉にしたいものです。
  赤津川の合流点にある大きな桑の木で、エナガの声がするのでみると、16羽もいて、人を恐れることなく近くまで来てくれ、肉眼で充分観察できました。今年はエナガが多く、元日には住宅地の我が家にも来てくれました。
  上空を恐らくはチョウゲンボウ、ハト大で下面が白く、尾が長く、羽ばたきは少なかったのですが、特徴的な姿を見せてくれました。
カワラヒワも50羽の群れを確認、調整池のヒドリガモも18羽になりました。
  カルガモ、コガモは少ないのですが、冬鳥はいよいよ本番です。
 
16日
  昨日の気温の低さが残っていましたが、風もなく幾分楽でした。
スズメが上人橋上の河川敷でまず20羽程の群れで飛び立ち、その後もあちこちで群れをなして羽音を響かせて、何ともいえず、豊かな暖かな気分でした。
  赤津川の新井町の田で、キジ♂2羽の羽が、順光で肉眼でも、羽の色がすべて美しく輝いていました。この時期の♂二羽は、まだ同一巣で生まれた兄弟が一緒に行動しているのでしょうか。
  カワセミはもう繁殖を始めているとのお話で、12月に見たカワセミ2羽は、♀が若くてもツガイとのことでした。
  川沿いではなく園路のあるほうの公園内の草むらで、ホオジロが次々と飛び7羽、ほかでも一羽二羽と飛びました。カシラダカやオオジュリンは確認することができませんでした。

  永野川の西側の岸の木の枝にシメ1羽、公園内と併せて2羽でした。昨年も このあたりに1羽ずっといました。シメは同じ場所を目指して渡ってくるのでしょうか。
  エナガが3羽大岩橋下の川岸の木の枝に、声が大きいので対岸でも聞こえて、やっと捉えることができました。
  珍しく、永野川二杉橋付近で、コガモ25羽の群れに会いましたが、公園の  池のヒドリガモ、カルガモともに1羽もいなくなって、少し不安です。街中の巴波川などにも見かけるので、そちらに移ってしまったのかもしれません。
  ツグミも所々で1羽ずつ3羽、この季節としては淋しい数です。鳥の種類も少なく、カワセミやオオジュリンにも会えず、少し淋しい探鳥でした。
 
26日
  風もなく暖かな日でした。
上人橋付近で、住宅の屋根を掠めてチョウゲンボウが1羽南に飛びました。尾の長さ頭部の丸さ、大きさなど図鑑の通りの姿でした。
公園の川岸の、ヤナギの木の近くの草むらにカワセミが、水を浴びたり、離れた中州でとまったり、しばらくとどまっていました。数メートル離れたところにもダイビングする1羽を見つけました。カワセミを見ると、来てよかった、と思います。
  滝沢ハム工場の敷地内の樹木にダイサギが6羽留っていました。樹木に留るコサギの群れは見たことがありましたが、ダイサギは初めてです。どういう現象でしょうか。 
  草むらでスズメが群れていると賑やかです。時々飛び立つのはホオジロで公園内では7羽が群れて移動していました。
大岩橋上の草むら、赤津川の瓦の廃工場の草むらでも声はするのですが、姿を見せてくれず、カシラダカ1羽やっと出てきてくれました。これでは正確な記録は取れないのではないか心配になります。
  相変わらず、カルガモ、コガモともにすくないのですが、公園の池にはヒドリガモが6羽戻っていました。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、ヒドリガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、コサギ、アオサギ、バン、イカルチドリ、イソシギ、トビ、チョウゲンボウ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ
 
 

 







風のように……
 
  賢治作品では、風は形容のために、どのように使われるでしょうか。詩のなかの暗喩については、以前ほんのすこし触れましたので、ここでは童話に描かれる風について考えてみます。
  まず、〈風のように〉 という直喩は全部で27例ありました。風に関する言葉は童話中に523例ありますから、その中では数量としては多くはないかもしれませんし、他の作家の作品と比べてみないと正確な答えは出ません。
  内容は、〈走る〉など速い動作の形容が最も多く、21例ありました。
〈風のように走る〉という形容は、普通によく使われる形容ですが、ここで賢治の特色と言えば、それが物語のなかで、その場を盛り上げるのに重要な役割を持っていることではないかと思います。

 
 
ホモイが悦んで躍りあがりました。
「うまいぞ。うまいぞ。もうみんな僕のてしたなんだ。狐なんかもうこわくも何ともないや。おっかさん。僕ね、りすさんを小将にするよ。馬はね、馬は大佐にしてやらうと思ふんです。」
 おっかさんが笑ひながら、
「そうだね、けれどもあんまりいばるんじゃありませんよ。」と申しました。ホモイは
「大丈夫ですよ。おっかさん、僕一寸外へ行って来ます。」と云ったままぴょんと野原へ飛び出しました。するとすぐ目の前を意地悪の狐が風のやうに走って行きます。(「貝の火」)
 
「むぐらは許しておやりよ。僕もう今朝許したよ。けれどそのおいしいたべものは少しばかり持って来てごらん。」と云ひました。
「合点合点。十分間だけお待ちなさい。十分間ですぜ。」と云って狐は
まるで風のやうに走って行きました。(「貝の火」)

 仔牛が厭きて頭をぶらぶら振ってゐましたら向ふの丘の上を通りかかった赤狐が風のやうに走って来ました。
「おい、散歩に出やうぢゃないか。僕がこの柵を持ちあげてゐるから早くくぐっておしまひ。」
 (「黒ぶだう」)
   
 「貝の火」で、ヒバリの子供を助けた兎の子ホモイは、鳥の王様から美しい宝珠を貰います。周囲の動物達から、敬いの言葉をかけられ、よい気分になったホモイは次第に尊大になっていきます。キツネはそんなホモイに取りいって、悪事をそそのかします。ホモイがいい気分になって野原に出たときに、〈風のやうに走って〉キツネが登場します。ホモイは、以前意地悪をされたキツネへの恐れを感じます。
  キツネは盗んだパンをホモイに食べさせるために〈風のやうに〉走りさります。陰で悪事をやるキツネの恐ろしさ不気味さを表しています。
ちなみに、翌日すでにホモイを信用させた狐が、堂々とホモイの前に現れる時は〈向ふの向ふの青い野原のはずれから、狐が一生けん命に走って来て、ホモイの前にとまって〉となります。
  「黒ぶだう」のキツネの登場の場合も同様です。牧場の子牛をそそのかして牧場から逃げ出させるキツネです。
いずれも一瞬現れるもの、消えるものへの、不安、恐怖などを強調して、〈風のやうに〉は効果的に使われているのではないでしょうか。
 
  その他の走ることの形容でも、「セロ弾きのゴーシュ」の猫が逃げていく場面、「税務署長の冒険」では、密造の現場に検討をつけた税務署長が、山から駆け降りる場面と、密造者が署長を素早く縛りあげる場面の2か所、「土神ときつね」では、恋人の桜の木の前で土神と鉢合わせしたキツネが逃げ出す場面など、いずれも必死の心情が含まれています。
 
  他の動作の形容は唯一、「カイロ団長」で〈からだはまるでへたへた風のやうになり、世界はほとんどまっくらに見えました。〉と、風の捉えどころのなさを、弱った体の形容に使っています。
 
  唯一の状態の形容としては
 
河原からはもうかげろふがゆらゆら立って向ふの水などは何だか風のやうに見えた。(「或る農学生の日誌」)
 
 これは風の透明性と動きを形容に使っています。
 
隣りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹かれてゐるけやきの木のやうな姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立ってゐました。(「銀河鉄道の夜」)
 
  ここでは、直接、〈風のやうに〉という形容でなく、間に他の言葉を入れて、一層具体的になります。
 
  音の形容に風を使う例は、「かしわばやしの夜」では柏の木の不気味な声、「セロ弾きのゴーシュ」ではバイオリンの美しい音です。
  「ひかりの素足」、「四又の百合」では、いずれも仏の言葉で、徳を表す、尊くよい音でもあり空気でもある不思議さを表します。
 
正遍知のお徳は風のやうにみんなの胸に充ちる(「四又の百合」)
 
  〈正遍知〉は仏の称号(属性)を表す十号のなかで、宇宙のあまねく物事、現象について正しく知るという仏の徳性の一つでここでは仏を表します。正遍知のお出でを待ちわびる小さな国の人々の気持ちを綴った作品で、風は、仏の高い徳と心地よさ、最高のものを表します。
 
「にょらいじゅりゃうぼん第十六。」というやうな語がかすかな風のやうに又匂のやうに一郎に感じました。(「ひかりの素足」)
 
  「如来寿量品第十六」は、賢治の信奉した「妙法蓮華経」の一部で、最も重要な教えを説く巻とされるものです。雪原で遭難し生死の境をさまよう子供の心に届く、尊く安らかな響きを表します。一郎はこの後生還します。
 
タネリは、ぎくっとして立ちどまってしまひました。それは蟇の、這ひながらかんがへてゐることが、まるで遠くで風でもつぶやくやうに、タネリの耳にきこえてきたのです。(「タネリはたしかにいちにち噛んでいたやうだった」)
 
  野原で会ったヒキガエルは、意味不明な言葉を子供に吐きます。〈遠くで風でもつぶやくよう〉な言葉は、聞き取りにくくて低いガマの声から感じられる〈蟇の考え〉をうまく表現しています。
 
そこをがさがさ三里ばかり行くと向ふの方で風が山の頂を通っているやうな音がする。(「なめとこ山の熊」)
 
 これは、遠くにある見えない滝の音の形容です。
 
豚は実にぎょっとした。一体、その楊子の毛を見ると、自分のからだ中の毛が、風に吹かれた草のやう、ザラッザラッと鳴ったのだ。(「フランドン農学校の豚」・及び初期形)
 
  豚の毛が使われた楊子(歯ブラシ)を自分の餌の中に見つけて、ささくれ立つ豚の心情を表します。〈風に吹かれた草〉は、寒さや荒れた野原も連想させ、効果的です。
 
  〈風のやうに〉は、ごく普通に使われる言葉ですが、賢治は使われる場面によって意味を変え、物語の効果的な描写にしています。
賢治の童話で、状況が心に響いてくるのは、〈風〉を媒体として使っている場合が多いからではないでしょうか。
 暗喩による形容については、次の機会に考えてみたいと思います。
 

 







12月の永野川と永野川緑地公園ビギナー探鳥会(2013)
 
  21日のビギナー探鳥会、よく晴れて風もなく暖かでした。
まず双眼鏡のピント合わせ方の時、焦点となったのがツグミでした。
今季初めてです。そしてその後も現れませんでした。ツグミが少ないという情報が実感としてせまってきます。
  ヒヨドリが、公園内の川岸の木の枝から水に飛び込んでは上がる動作を繰り返していました。リーダーさんのお話では、ヒヨドリの行為としては、大変珍しい水浴びというお話です。
  私には確認できませんでしたが、その浅瀬の奥のブッシュから一瞬クイナが顔を出しました。この場所では、数年前にも確認しました。生息しているのではないかもしれませんが、この場所はやはり鳥たちに適した環境なのでしょう。
 草むらでは、たくさんの声が聞こえるのですが、姿を見せてくれません。ホオジロやスズメが何例か出た後、やっとオオジュリン2羽をプロミナに入れてもらえました。今季初です。渡良瀬遊水地ではたくさん見ることができるそうですが、ここでは数が少ないので、出会えるととても嬉しくなります。
  ヤナギの木にシメが1羽、これも今季初でした。かつてはシメが木の枝に群れをつくったこともあり、シメを見るためにここにきてくれたベテランさんもいらしたのですが、ここ2、3年、2、3羽確認出来ればよい方です。
  公園の池でヒドリガモとカルガモの大きさを比較している時、お目当てのカワセミが飛びました。皆で飛翔を追い掛けましたが、ついには、吸い込み口に飛び込んでしまいました。
  公園内で、遥か彼方の岸辺に、色の薄いカワセミの若鳥♀1羽、捉えて下さったリーダーさんには感謝です。
このところ私自身も2週間ほど来られず、今季初の冬鳥にたくさん出会いました。
  今日はビギナーさんがほとんどで、たくさんの質問を投げかけてくれ有意義な会でした。中学生や熟年の方も多く、幅広い人々が鳥を好きになってくれたら素敵です。
 
ビギナー探鳥会の鳥リスト
カルガモ、ヒドリガモ、クイナ、イカルチドリ、イソシギ、カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、オオジュリン、
 
12月6日
  風もなく暖かな日、出かけるのが11時ころになりました。
  幸先良く、上人橋付近で、シジュウカラ、カワラヒワ3羽に出会い、橋の上流で、カイツブリ2羽、電線にキジバト2羽、コガモが3羽と色とりどりでした。
  赤津川と永野川の合流点近くで、ダイサギで、嘴が黄色で足の黒い個体に交じって、嘴、脚が白っぽい個体が見えました。図鑑によると亜種ダイサギ冬羽、ということです。バードリサーチのお話では、必ずしも〈亜種ダイサギ〉の色ではないとのことですが、初めての出会いでした。
  滝沢ハム近くの以前チョウゲンボウと思われる個体を見た近くで、今回は電線にじっとしている個体に会いました。尾の横縞、嘴と足の黄色、眼の近くの黒い縦線も観察でき、チョウゲンボウの♀と確認しました。
  コガモは28羽と増えているのに対して、カルガモが先回から減り始め、今日は12羽でした。当たり前にたくさんいる鳥がいないのはさびしいことです。
  大岩橋上の山林の林縁のエナガ4羽、上人橋付近にも見られ(これは同じものかも)、公園内の桜の木にも見られました。エナガに会うと、なぜか楽しくなります。
 
 21日午後、ビギナー探鳥会の後、赤津川と永野川を廻ってみました。
  カワラヒワが、3・5・3羽と見えましたが、以前のような100羽単位の群れにはこの頃会いません。
  赤津川新井町地内にバン4羽、額盤の色が無いもの(若鳥)が1羽混じっていました。
  滝沢ハムの草むらで少し太めで、白い過眼線があり腹が黄褐色で背が緑褐色のものが一瞬見え、別の鳥かと思いましたが、おそらくはアオジです。
  公園の草むらでホオジロが飛び始めて朝と合わせて10羽ほど観察できました。
今回は少し間をあけてしまい、時間も少なかったのですが、近いうちに、またゆっくり冬鳥に会いに行きたいと思います。
 
12月26日
  雨の予報のなか午後になって少し持ち直し何とか持ちそうなので、出かけました。
いつもと反対にまず公園の中をまわると、桜の木にシジュウカラが3羽、冬になったな、という感じです。
  公園のヤナギの木付近の水辺に、カワセミが2羽つかず離れず、ずっと飛びかっていました。
  1羽は恐らく先日ビギナー探鳥会の時に見た胸の色の薄い幼鳥で、その時に見えなかった嘴の下の赤が見えました。今の時期、これは親子?ツガイ?、知識が足りません。少し上流に移って、ホバリングして採餌する姿も見えました。また第5小付近でも河畔の木の枝で餌を狙う姿も見て、とても楽しい日となりました。
  ヤナギの木にシメが1羽、ビギナー探鳥会の時に見た個体でしょうか。
  カルガモの27羽の群れて舞い降りるのに会いました。少しずつ増えていくのでしょうか。
  草むらには小さな声が聞こえるのですが、曇り空の下は寒く、なかなか出てきてくれません。カワラヒワが33羽(12・9・6・3・3)、スズメも20羽くらいの群れで時々飛び立ちます。
  滝沢ハム付近の桜の木に、カシラダカ1羽、ようやく見つけました。今季初です。もう少しよい天気の時に出かけ、あの草むらから出てくる小鳥たちに会いたいも
のです。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、ヒドリガモ、コガモ、カイツブリ、キジバト、ダイサギ、亜種ダイサギ♀、アオサギ、クイナ、バン、イカルチドリ、イソシギ、オオタカ、トビ、カワセミ、コゲラ、チョウゲンボウ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ、オオジュリン、
 

 
 
 
 







三陸への旅

 

三三八  異途への出発 一九二五、一、五、
 
月の惑みと
巨きな雪の盤とのなかに
あてなくひとり下り立てば
あしもとは軋り
寒冷でまっくろな空虚は
がらんと額に臨んでゐる
 ……楽手たちは蒼ざめて死に
   嬰児は水いろのもやにうまれた……
尖った青い燐光が
いちめんそこらの雪を縫って
せわしく浮いたり沈んだり
しんしんと風を集積する
 ……ああアカシヤの黒い列……
みんなに義理をかいてまで
こんや旅だつこのみちも

じつはたゞしいものでなく
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
 ……底びかりする水晶天の
   一ひら白い裂罅のあと……
雪が一さうまたたいて
そこらを海よりさびしくする

 
 先に記したように、1924年は凶作でした。賢治は、農学校の生徒を通じて伝わる凶作の惨状には心を痛め、教師という立場の無力感、そしてこれから先への不安は大きいものでした。
  1924年12月に、初めての童話集『注文の多い料理店』を盛岡の光原社から出版します。童話集への抱負は、序文、広告文に綴られる読者への熱い想いや、出版社に語った、社名には〈光〉を入れること、装丁の色、青にこだわったことなど、強いものが感じられます。
  しかし童話集は売れず、児童文学雑誌『赤い鳥』には広告文を載せることができますが、主催者鈴木三重吉には賢治の真意を理解してもらうことができませんでした。
重なる絶望や不安のなか、賢治は1925年1月5日から9日まで、三陸海岸の旅に出ています。1924(大正13)年11月に種市まで延長したばかりの八戸線に乗って種市まで行きました。そこには賢治が鉄道好きで、新しく開通した路線に好んで乗っていたという事実もうかがえます(注1)。
  木村東吉氏(注2)によれば1月5日東北本線下り 21時59分発の夜行列車で、 積雪の花巻を発ち、1月6日未明八戸で八戸線に乗り換え、6時5分に種市につき、乗合自動車か徒歩で久慈に向かったとみられます。さらに海岸線を徒歩で辿り、また貨客船に乗ったりしながら釜石まで行き、釜石線で花巻に帰っています。
この旅では「旅程幻想詩群」と呼ばれる詩7篇、断片2篇、そこから発展した文語詩二篇を残しました。
  「異途への出発」は、その第一日、発想されます。暗く冷たい風景は、賢治の心そのままのようです。
  〈あてなくひとり下り立てば〉からは、列車から降りた時点の心象と思われます。木村氏の推定にしたがうと、これは6日未明の描写、ということになります。〈こんや旅だつこのみちも〉に矛盾するかもしれませんが、〈ひとり下り立てば〉を花巻の自宅とするとこの雪への臨場感、漠とした広さと、空虚さは似合わないと思います。賢治にとって、そこから新線の開通している八戸が旅の出発点だったのでしょうか。
〈月の惑み〉の読み・意味とも確定できません。心を表す場合の〈クラム〉を使って〈クラミ〉と読み、〈寒冷でまっくろな空虚〉ということから、月のない暗さを表すと仮定します。
  1925年1月5日の月齢は9.96(注3)で、6日の未明にはすでに月明はありません。〈いちめんそこらの雪を縫って〉、〈尖った青い燐光が〉見えるのは、降る雪の形容ですが、これは駅の明かりのせいかもしれません。
  さらに、風という語と、擬態語の用い方は、賢治の心象を一層効果的に表します。
  風の表現は、〈しんしんと風を集積する〉と使われます。これは雪の降るさまですが、〈風〉と表現することで、雪のはかなさ、軽さ、風景の広さを捉えた表現となっています。
  〈しんしんと〉は〈森森〉〈深深〉など、奥深く静寂な様を表す漢語の擬態語です。これは静けさだけでなく、作者の心に沁み込むような寂しさも感じさせます。
ここで、もう一つの擬態語〈がらん〉は、〈寒冷でまっくろな空虚は/がらんと額に臨んでゐる〉と用いられます。
  〈がらん〉は擬態語では広く空虚でさびしい様を表します。この語を〈額(ひたい)〉ととも使うことによって、周囲の茫漠とした空虚から、作者の心情のむなしさまでを感じさせます。
  さらに擬態語として用いるときは、普通〈がらんとした〉、〈がらんとして〉とするところを〈がらんと〉で切ることによって、いっそう不安定なおぼつかない思いが感じられます。
 
 6日の6時5分に種市に到着し、南下する途中の海岸で詠まれたのが「三四三曉穹への嫉妬」(一九二五、一、〔六〕)です。
近くの普代村で産出される薔薇輝石を詠み込み、明け方の空の星々に溶け込むように賢治の心は研ぎ澄まされています。これは、後に文語詩「敗れし少年の歌へる」に発展します。
 
 7日、貨客船の船上からで発想された、「発動機船 一」(「口語詩稿」)では〈冴え冴えとしてわらひながら/こもごも白い割木をしょって/発動機船の甲板につむ/頬のあかるいむすめたち〉と、明るい海と働く娘たちに心を和ませながら、やはり、〈……あの恐ろしいひでりのために/みのらなかった高原は/いま一抹のけむりのやうに/ この人たちのうしろにかゝる……〉と、逃げるように出て来た内陸部の凶作のことにまた向き合うようになります。
 
 この旅を反映した童話に「ポラーノの広場」があります。
主人公キューストは〈海産鳥類の卵採集の為〉、イーハトーヴオ海岸地方に28日間の出張を命ぜられます。

イーハトーヴォ海岸の一番北のサーモの町に立ちました。その六十里の海岸を町から町へ、岬から岬へ、岩礁から岩礁へ、海藻を押葉にしたり、岩石の標本をとったり古い洞穴や模型的な地形を写真やスケッチにとったりそしてそれを次々に荷造りして役所へ送りながら二十幾日の間にだんだん南へ移って行きました。

  さらにキューストは船で〈隣の県のシオーモ(塩釜)〉の港まで行き、さらにセンダ―ド(仙台)の大学まで行きます。盛岡から汽車でいける海岸で〈サーモ〉は八戸の鮫(さめ)港で、そこから六十里はほぼ八戸から牡鹿半島までに相当します。   キューストは海岸の人達の温かい歓迎を受け、〈わたくしは何べんも強く頭をふって、さあ、われわれはやらなければならないぞ、しっかりやるんだぞ〉と心に誓います。 この海岸が賢治にとってどんなに美しく、また温かく豊かな想いを満たしてくれたか分かります。
 
  9日の「三五八 峠 」(一九二五、一、九、)では、釜石湾は 〈一つぶ華奢なエメラルド 〉と表現され、叔父と子どもたちの健やかな姿を思う作者がいます。風も、〈白樺を海の光へ伸ば〉す力として描かれ、〈二十世紀の太平洋を指している〉、という前向きな心情を表現します。さらに終行で〈あたらしい風が翔ければ/ 白樺の木は鋼のやうにりんりん鳴らす 〉となり、未来に向けての風が描かれ、〈りんりん〉というラ行音の擬音語も、その心情を暗喩するように澄んでいます。

  三陸への旅の詩群は、賢治の深い絶望から立ち直りまでを描きます。そこには賢治の心に寄り添うように、多様な風がありました。

追記
 三陸海岸には賢治の足跡をたどり賢治の詩碑が建てられています。詩碑については、浜垣誠司氏のHP「宮澤賢治の詩の世界」「石碑の部屋」に詳しい情報があります。 
 三陸海岸は東日本大震災で多大な被害を受け、いまだにほとんど復興していません。平井賀港の碑のように流されて他の場所に移されたもの、島越駅のように詩碑のみ残り駅舎や人家の全て流された場所もあります。住民の皆さんが平和な生活を取り戻せるよう、何かできればよいと思います。
 

1信時哲郎「鉄道ファン・宮沢賢治―大正期・岩手県の鉄道開業日と賢治の動向」
 (「賢治研究96」宮沢賢治研究会 2005、7)
2木村 東吉:『宮澤賢治 《春と修羅 第二集》研究』 (渓水社,2000)
2HP「計算サイト」
 
 
 
 

   
   

 
 








花巻(2013、9、23)
  賢治忌9月21日から、花巻では多くの関連行事が開催されます。
体調や時間の許す限り訪れるのが私にとっての決まり事でもあり喜びでもあります。
今年は「さいかち淵」のモデル地を訪ねました。昨年、地図を頼りに歩き、ついにたどり着けずに、諦めたところです。今年は、地元の方から情報を得ておこうと相談したところ、案内していただけることになりました。車でのアクセスの何と早くて簡単だったことか。(お礼の申し上げようもありません!)
  「さいかち淵」の碑は、花巻市石神町の住宅地のなかにありました。賢治の時代には、豊沢川はこの地点まで溢れて子供たちの水遊び場だったそうで、1941年に公開された日活映画「風の又三郎」の野外ロケはこの近くの豊沢川で行われたそうです。
碑は1972年に地元の有志によって建立され、碑文には、「さいかち淵」の一節〈・・・蝉が雨の降るやうに鳴いてゐる/いつもの松林を通って・・・〉と、それにちなんで、蝉が2匹とまっているように彫られていて、面白いものでした。
  少し離れた豊沢川の道治橋の下流が「まごい淵」です。こちらは1989年公開の映画「風の又三郎 ガラスのマント」のロケ地です。以前はススキの野原だったという広い河原も芝生が整備され、大きなサイカチが二本枝をひろげています。
  河畔にはヤナギやサイカチの大木があり、ススキの白い穂が揺れ、水量は泳げるほどではありませんが、豊かな景色でした。賢治の時代を偲ぶことはできないのかもしれませんが、映画のロケ地として選ばれたことは頷けます。
  ほかに、花巻軽便鉄道の跡、賢治産湯の井戸、鳥谷ヶ崎神社、高常組製作所、賢治の友人阿部孝の実家、鼬ぺい神社も訪ねました。賢治の時代から待ち合わせ場所に使われたという、高常組製作所は当時のハイカラさの残る廃屋でした。
  身照寺にお参りし、ぎんどろ公園で一休みしました。ぎんどろ公園も、杉などが伐採され明るくなっていました。ギンドロは成長していて、以前、耳元で聞こえたと思った葉擦れの音は、遥か高いところで鳴っているようでした。樹木は年とともに変り、公園もその時代の人の考え方によって変わるのだ、ここでもそんな思いがよぎりました。
  午後は、学会主催のエクスカーションで石鳥谷の賢治の足跡を訪ねました。
まず、昭和3年3月15日から1週間余り、石鳥谷町好知八重樫宅で、賢治が「石鳥谷肥料相談所」を開設した跡地へ行きました。
  この肥料相談所の開設に尽力し、賢治の世話人、助手役も務めた、石鳥谷出身で賢治の教え子の菊池信一(大正14年3月花巻農学校卒業、岩手国民高等学校大正15年1月15日〜3月27日在籍)は〔あすこの田はねえ〕の少年のモデルとも言われています。賢治の教えをそのままに、ひたむきに生き、雨ニモマケズ詩碑の建立にも携わりましたが、昭和12年12月、戦争が命を奪いました。
  石鳥谷道の駅構内の石碑は、石鳥谷町地形図をバックに、「三月」(口語詩稿)が彫られています。これは、石鳥谷肥料相談所の様子を描いたもので、深刻な凶作のあとの農民の姿が描かれています。見下ろした田んぼには田んぼアート、「なめとこ山の熊」があり、皆の笑顔を誘っていました。
  森と渓谷をぬって葛丸ダム湖畔の「葛丸」の石碑へ着きました。碑文は歌稿B668の〈ほしぞらは/しづにめぐるを/わがこゝろ/あやしきものにかこまれて立つ〉で、土性調査で野宿した折のものです。今でも人工物はダムのみ、空気も一段と冷たく、ここでの夜を想像して、身も震える思いでした。
  この地では「楢の木大学士の野宿」も発想されたと言います。闇の中で、古生代から続く大地と生息したであろう恐竜を感じとった賢治、思考のスケールが違うと思いました。
  個人的にはアクセスの難しい場所を案内していただき、たくさんの資料をご用意くださった、賢治学会、花巻賢治の会、石鳥谷賢治の会の皆様には心からお礼申し上げます。
  私が訪ねる9月、花巻はいつも晴れて、田は黄金色に色づき、空は青く平和です。賢治の望みを具現しているようで、胸がいっぱいになります。それを支えるように、市民のみなさんの暖かさが、旅の不安を包んでくれます。帰るとまた行きたくなる、花巻は私にとってそんなところです。