宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
8月の永野川、そして再び公園について
   8月に入って、不安定な天候が続いています。
大丈夫かと思って出かけても、川を北にさかのぼると黒雲が増え雨に変わります。
   観察を半分で切り上げ、翌日また出かけました。
   公園内の永野川には川霧が出ていて美しく、新井町の休耕田に雨で水がたまり、アマサギ7羽とチュウサギ1羽が群れていました。ここではアマサギは珍しいのです。
  囀りをやめたヒバリが2羽、田の縁に出ていて、しばらくぶりで、セッカが1羽、上昇と下降を繰り返していました。
  翌日、昨夜までの雨が上がり朝からよく晴れ、太平山からは霧が昇り、絵画のようです。永野川は、水量が増え流れも速く、カルガモは流れに乗って楽しんでいるようです。
 
 中旬、新井町の赤津川の河川敷の低木に、オオヨシキリが1羽出てきて、少し弱々しく鳴きました。久しぶりでまた会えた!という気持ちでした。バードリサーチのお話では、もう最後のチャンスだろう、ということでした。
 二つの川の合流点近くで、久しぶりでカワセミが一瞬横切って行きました。
 
 下旬になっても、雨に悩まされ、途中で中断を余儀なくされます。
 公園の草地が終わったところに、キジの幼鳥が8羽、何かふざけ合うように走りまわっていました。ほとんどが茶色に見えますが、いくらか雄の色どりが見え始めたものもいました。こんなたくさんの数を一度に見るのは初めてです。一緒に生まれたのでしょうか。モズの幼鳥が2羽、親と一緒に行動しながら、たどたどしく鳴いていました。
   二杉橋近くの民家の電線にムクドリ98羽ずらっと並んで壮観でした。群れが来ると、人間は拒否反応を示すだろうな、と思います。
   もっとクズの花が咲いてもいいと思いますが、香りが伝わるほどではありません。
 
 葛の花踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
                                                                      (釈迢空)
 
   この歌を、深読みしないでそのままに読み、なにごともないようなこの風景の中にある美しさに昔から魅かれています。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、アマサギ、イソシギ、イカルチドリ、カワセミ、モズ、ヒヨドリ、ウグイス、セッカ、オオヨシキリ、ヒバリ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、ムクドリ、ツバメ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロ
 
        公園の記録
  上旬
   公園の土手の法面とその対岸の草地に除草剤をまいたようで、黒く、見苦しく枯れていました。2mくらいの、桑や、ニセアカシヤもそのまま黒くなっているのに、枯れていない草もあります。 どういう基準で撒いたのでしょう。
   昨年の話では、維持管理課では、公園内は子供も利用するので、除草剤は撒かない、ということだったのですが。
これでは、景観上も衛生上も、草を刈らないでいることより、問題でしょう。
 そんな中、キツネノカミソリが2、3株、花をつけていました。散布後、花芽が出たのでしょうか。キツネノカミソリは、小学生向けの植物図鑑によれば、「山の花」です。ここの植生の多様さを物語るのではないでしょうか。
    除草剤について、維持管理課に、問い合わせていたのですが回答がありませんでした。それで、環境基本計画にもからめて、環境課にも問い合わせてみたところ、維持管理課で、自宅まで釈明に来て下さいました。内容は、咋年と同じで、周辺住民の要望によるもの、と繰り返されました。
    いままでも年三回除草剤は撒いていた、というのですが、こんな兆候が現れたのは初めてです。おまけに木が黒くなっているのは気付かなかったといいます。現場に一緒に行って説明を受ければよかったと後悔しました。詰めが甘かったですね。
   除草剤の薬品名につても回答はなく、地中に残留はしないもの、ということです。ただ、除草剤については来年度からは自粛の方向とのことです。
   わざわざ自宅を訪ねてくれたのは、早く回答するため、といいますが、正式回答を避けたかったのだと思います。これも詰めが甘かったと反省しています。
    芝塚山公園の木の伐採についてもお尋ねしてみました。
   周辺住民の落葉への苦情からやったことだそうで、大変喜ばれたと言います。ここは最低でも樹齢50年を超えています。その成長の年月をどう思っているのでしょう。また、この木をよりどころに、どれほどの虫や鳥たちが生きて来たことか。丸坊主になった山を見て苦情を言う人は、誰もいないのでしょうか。
   もうひとつ、びっくりしたことは、うずま公園のヤドリギも見苦しいので除去せよという声もあるそうです。おまけに、維持管理課ではヤドリギだけ減らすことは無理なので、伐採する以外にない、といいます。
ヤドリギの景観の美しさを感じない人もいるでしょうが、樹木の病気と考える人の存在、それを調べもせず、適切な処理を模索しない行政の姿勢にも怒りを覚えます。いろいろ考えて、鳥を見に行くのもつらくなりました。
   下旬、除草剤の跡はだれも文句を言わないのか、黒くよごれたままで、こんな状態が普通になっていくのが怖いと思います。
川の北側の草地は刈り取りが終わっていましたが、昨年より少し広めに残っているような気もしますが理由はわかりません。
 
        公園、その後

   公園について、短歌を作り賢治作品も好きで、ヤドリギにも愛着を持つ方にも話を伝え、ヤドリギの美しさについて、関係者に広めて下さるようにお願いしてみました。
   早速この方は、維持管理課、市の観光協会に出向いて下さいました。
   維持管理課では伐採の予定はないという返事のみだったそうです。でもこれは現在の状況のみで、今までの対応をみれば、何かあればすぐ伐採に動くと思います。
   観光協会には、ヤドリギについての観光客の好意的な感想も寄せられているそうで、よい感触を得たということでした。
何か有効なことを始められれば、私も頑張ってみようと思います。
 
   私はこれとは別に、市民活動推進センターの方にもお願いをしてみました。
   公園のアダプト制度に関わる方にも伝えていただけそうです。
   除草剤散布後の写真と、ヤドリギの写真をお持ちしました。
  話を聞いて下さる方がいることが、まず嬉しいことでした。
  少しずつでも先が見えてくることを祈ります。
 







9月の詩   2篇
     一九六   〔かぜがくれば〕 〔一九二四、〕九、一〇、
 
かぜがくれば
ひとはダイナモになり
  ……白い上着がぶりぶりふるふ……
木はみな青いラムプをつるし
雲は尾をひいてはせちがひ
山はひとつのカメレオンで
藍青やかなしみや
いろいろの色素粒が
そこにせはしく出没する    (「春と修羅第二集」)
  
  九月は、高気圧と低気圧が交互に日本付近を通過し、低気圧による雨によって塵などが洗いながされた後にくる高気圧は、澄んだ晴天と風をもたらします。
  風は人の衣服にも潜り込み、人間全体がダイナモ(発電機)になったようにふるえます。雲は風に乗って交錯します。それは明暗となって、山の色を瞬時に変えていき、山は巨大なカメレオンのようです。
また風は木々の葉もひるがえし、山はモザイクのように光と色の粒子が点滅します。
 藍青は、あるいは〈藍靛〉(らんてん・らんじょう)を意味するかもしれません。『日本国語大辞典』(小学館)によれば、藍から作った染料、インディゴの古名です。
  色名インディゴは『色の手帖』(尚学図書編 小学館 1986)によれば〈暗い青〉です。〈藍色〉が〈くすんだ青〉と記され、それよりもわずかに黒ずんでいます。
  賢治の悲しみは、〈(かなしみは青々ふかく)〉(「春と修羅」)をはじめとして、〈青〉と関連して表現される例は多く見受けられます。
   九月、澄明さを増す空の下、風と一体になって立ちつくすとき、〈かなしみ〉も、一つの色となって、色鮮やかな風景の中に溶け込むのです。

  ほぼ一年後、賢治が作ったのが次の詩です。
 
   「三七七 九月」  一九二五、九、七、
 
キャベジとケールの校圃(はたけ)を抜けて
アカシヤの青い火のとこを通り
燕の群が鰯みたいに飛びちがふのにおどろいて
風に帽子をぎしゃんとやられ
あわてゝ東の山地の縞をふりかへり
どてを向ふへ跳びおりて
試験の稲にたゞずめば
ばったが飛んでばったが跳んで
もう水いろの乳熟すぎ
テープを出してこの半旬の伸びをとれば
稲の脚からがさがさ青い紡錘形を穂先まで
四尺三寸三分を手帳がぱたぱた云ひ
書いてしまへば
あとは
Fox tail grassの緑金の穂と
何でももうぐらぐらゆれるすすきだい
   ……西の山では雨もふれば
     ぼうと濁った陽もそゝぐ……
それから風がまた吹くと
白いシャツもダイナモになるぞ
   ……高いとこでは風のフラッシュ
     燕がみんな灰になるぞ……
北は丘越す電線や
汽笛のcork screwかね
Fortuny式の照明かね
   ……そらをうつした潦(みづたまり)……
誰か二鍾をかんかん鳴らす
二階の廊下を生徒の走る音もする
けふはキャベジの中耕をやる
鍬が一梃こわれてゐた         (「春と修羅第二集」)
               (カッコ内の平仮名は原文のルビ)
 
 季節は同じ、風が吹き、人がダイナモになることも共通していますが、背景が農学校の畑となり、多くの事実が書き込まれます。
 賢治は稲の生育状況を見回っています。
〈乳熟期〉は、出穂後2週間程度、籾を潰すと白い乳液の出る時期で、このときひどい残暑に見舞われると玄米の質が低下すると言われます。
  〈……高いとこでは風のフラッシュ/ 燕がみんな灰になるぞ……〉を見れば、この時も暑く、賢治は米のでき具合を心配し始めていたのでしょう。
 
北は丘越す電線や
汽笛のcork screwかね
Fortuny式の照明かね
 
  〈cork screw〉は、らせん状の、コルク栓抜き、らせん飛行などの意味がありますが、〈汽笛のcork screw〉とは何でしょうか。らせん飛行のように広がっていく汽笛の音、あるいは拡がる暑さでしょうか。
  〈Fortuny式の照明〉は、明治40(1907)年、イタリアの服飾デザイナー Mariano Fortuny(1871-1949)がデザインしたランプで、大きな傘型シェードとその中心にあるクロームメッキされたリフレクターで、グレアを取り除きながら光を柔らかく反射し拡散するもので、現在も販売されているといいます。
   照明器具としては光の拡散はすぐれたものですが、暑さを憂いている賢治がその語を用ちいたのは、照りつける太陽への恨みだったのでしょうか。
 
  もうひとつ、この詩だけにみられる風の表現、〈ぎしゃん〉は賢治の 造語のオノマトペです。
  賢治のオノマトペの造り方は独特のものがあり、これはいくつかの既成語の語感や音感を一つの語に凝縮させているものです(注)。
  私たちは、〈ぎしゃん〉から、〈ぐしゃっ〉、〈がしゃん〉にまでイメージを広げます。さらに〈ぐしゃん〉を〈ぎしゃん〉とすることで、鋭角的なイメージが加わり、帽子がただ潰されるのではなく、折りたたまれるように潰されたことをイメージすることができます。
  さらにいえば〈ぎしゃん〉はなにか心に突き刺さるような鋭さがあり、帽子が飛びそうになったという、小さなことにまでナイーブになっている賢治を感じてしまいます。
  それでも最終章には、午後の授業や、壊れた鍬という現実が淡々と描かれます。賢治はこの時はすでに、農学校をやめる決意をしています。多くの憂いを胸にしまって、現実を歩こうという意思なのかもしれません。
  最初の詩を作った時、賢治は、まだ村の決定的な旱害に接していません。風は賢治を包んで、鮮やかな風景を作っています。〈かなしみ〉さえその風景の中に溶けています。
  二つ目の詩で風は、深く現実を映して賢治の前にあったと言えるのかもしれません。
 
注 
  滝浦真人「宮沢賢治のオノマトペ 語彙・用例集(詩歌篇)―補論・〈見立て〉られたオノマトペ(『共立女子短期大学文科 紀要第三十九号 』1996)
 
参考
  「浮世絵の中に流れる風」(ブログ 「宮沢賢治 風の世界」2012、7)
  『宮沢賢治絶唱 かなしみとさびしさ』(勉誠出版 2011)







7月の永野川

  上旬、そろそろ夏本番、ひざなかの探鳥は身にこたえるので、朝6時に出かけてみました。全体に霧がかかっているようで、あまり鳥の姿はありません。ホオジロの囀りが聞こえるくらいです。探鳥は早朝!と言われていますが、ここではそうともいえないような気がします。
ムクドリの幼鳥が8羽、電線に身を寄せて止まっていました。
  今年は、カルガモのヒナも、カイツブリの巣も全く見ず、カワセミにもしばらく会いません。気分的にゆとりのないせいか、あるいは何かが変わってしまったのでしょうか。
  新井町で、田んぼの一角からカエルの声が沢山聞こえるところがありました。アマガエルとも、トウキョウダルマガエルとも違って、少し低い声でした。もちろんウシガエルではありません。
  上人橋近くの山林から、コジュケイの地鳴きが聞こえました。このあたりに、何羽くらい生息しているのでしょう。囀りもこの時期よく耳にします。
  ヤブカンゾウが一斉に花をつけました。
 
  中旬、よく晴れていましたが、早朝の空気はひんやりと心地よいものです。
  上人橋の近くで、いつもホオジロが囀っています。同じ個体ではないのでしょうが、なぜか安心します。ツバメが2、3羽ずつですが、ひっきりなしに頭上を飛び交います。
  新井町の田んぼで、チュウサギ2羽、かなり遠かったのですが、嘴が黄色くて先だけが黒いのが見えました。少し離れて、嘴の黒い個体がいて、それはダイサギであろうと判断しました。
  200mくらい離れたところで、ツバメの群れが急に飛び立ったと思ったら、なかにヒヨドリ大の白っぽく、尾の長い個体がいました。ツバメの慌てた様子から、猛禽ではないかと思います。ひらひらと大きく羽ばたきながら、そのうちツバメからは離れて飛んで行きました。
 赤津川の川岸に、ナワシロイチゴがつややかな赤い実をつけていました。苗代の時期は過ぎてはいますが、この色は恐らくナワシロイチゴだと思います。
 公園では今年初めて、遠慮がちにアブラゼミが声をあげていました。
 ネムが咲き、アレチマツヨイグサは澄んだ黄色をあちこちで咲かせ始めました。鳥と共に、花や実を楽しんだ探鳥でした。
 
  下旬、このところ雨が多くて、今日も朝方まで雨、8時半ころやっと出かけました。帰るころにはかなり暑くなり、温暖化と我身の老いを感じさせられます。
  ヨシが茂りきれいな緑色になりました。洪水のあとすっかり荒れて、心配していましたが、洪水後は土地が豊かになる、ということなのかもしれません。
  我が家もそうですが、今年は蝉の声が少ないようで、特にアブラゼミの声を聞きません。ミンミンゼミも時々元気に鳴きますが、蝉しぐれ、という感じではありません。キリギリスの声がにぎやかです。
  今まで見えなかったカルガモの親子、ほとんど親と同じ大きさになった子連れ6羽を二か所で見ました。いままでチャンスを逃していたのでしょう。
  新井町の田んぼでは、名前の分からないカエルの声はまだ続いていました。
  モズがところどころで、キチキチキチという声をあげ始めました。これはまだ高鳴きではないのでしょう。幼鳥もいました。
公園を土手から俯瞰してみると、やはり自然として残したほうがよいところがあると思います。たしかに道際に繁茂する雑草は見苦しいですが、ヨシ原に続く草地はやはり広い範囲で茂っていた方が、生物のためにもよく、また豊かな自然を感じる公園となるでしょう。
  クズの繁茂も問題かもしれないのですが、クズの花の美しさや、在来種であることを考え、土止めなどにうまく利用出来ないのでしょうか。ただ刈り取るだけでは翌年の一層の繁茂を招くのではないでしょうか。
  法面で、ある一種類の草のみが抜かれていました。善意の行為だとは思うのですが、これがよい結果を生むかどうかは分かりません。あるいは個人的に嫌いな植物を抜いていたのかもしれません。知識と組織力を生かした公園管理が望まれます。(私はつくづく無知な弱者です。)
  クズやクサギが蕾をつけはじめました。クサギの花は、葉や幹とは全く違う芳香を放ちます。今度来るときにはむせかえるような香りに満ちていることでしょう。
 
鳥リスト
キジ、コジュケイ、カルガモ、カイツブリキジバト、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、ゴイサギ、イカルチドリ、ヒヨドリ大の猛禽、モズ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ
 
 







 風に包まれてPt3―「サガレンと八月」
   
「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 西の山地から吹いて来たまだ少しつめたい風が私の見すぼらしい黄いろの上着をぱたぱたかすめながら何べんも何べんも通って行きました。
「おれは内地の農林学校の助手だよ、だから標本を集めに来たんだい。」私はだんだん雲の消えて青ぞらの出て来る空を見ながら、威張ってさう云ひましたらもうその風は海の青い暗い波の上に行ってゐていまの返事も聞かないやうあとからあとから別の風が来て勝手に叫んで行きました。
「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、しらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 もう相手にならないと思ひながら私はだまって海の方を見てゐましたら風は親切に又叫ぶのでした。
「何してるの、何を考えてるの、何か見ているの、何かしらべに来たの。」(中略)
 
  「サガレンと八月」の冒頭部分、砂浜に座っている主人公に、風はひっきりなしに語りかけて行きます。この風の言葉は、風のすべてを表しているようです。
  まず一定の速度で強弱を持って繰り返される風のリズムが感じられます。「風の音―賢治の擬音語(オノマトペ)」でも触れたように、風の息―瞬間風速の最大値と、吹き始めの値(最小値)との差―の大きいことを感じさせます。
  そして心を持って人に語りかけ、宇宙と繋がって、物語を運んでくるものとしての風が描かれます。
 
けれどもそれもまた風がみんな一語づつ切れ切れに持って行ってしまひました。もうほんたうにだめなやつだ、はなしにもなんにもなったもんぢゃない、と私がぷいっと歩き出さうとしたときでした。向うの海が孔雀石いろと暗い藍いろと縞になってゐるその堺のあたりでどうもすきとほった風どもが波のために少しゆれながらぐるっと集って私からとって行ったきれぎれの語を丁度ぼろぼろになった地図を組み合せる時のやうに息をこらしてじっと見つめながらいろいろにはぎ合せてゐるのをちらっと私は見ました。
また私はそこから風どもが送ってよこした安心のやうな気持も感じて受け取りました。そしたら丁度あしもとの砂に小さな白い貝殻に円い小さな孔があいて落ちているのを見ました。つめたがいにやられたのだな朝からこんないい標本がとれるならひるすぎは十字狐だってとれるにちがひないと私は思ひながらそれを拾って雑嚢に入れたのでした。そしたら俄かに波の音が強くなってそれは斯う云ったやうに聞えました。(中略)
 
 主人公は、ひっきりなしに話しかけてくる風に少し辟易しながらも、水平線のあたりにいる、以下の終章には、風に包まれて、五感すべてを使って風を感じとり、それを読者に伝えようとしている作者が浮かび上がります。
 
そして、ほんたうに、こんなオホーツク海のなぎさに座って乾いて飛んで来る砂やはまなすのいい匂を送って来る風のきれぎれのものがたりを聴いているとほんたうに不思議な気持がするのでした。それも風が私にはなしたのか私が風にはなしたのかあとはもうさっぱりわかりません。またそれらのはなしが金字の厚い何冊もの百科辞典にあるやうなしっかりしたつかまえどこのあるものかそれとも風や波といっしょに次から次と移って消えて行くものかそれも私にはわかりません。ただそこから風や草穂のいい性質があなたがたのこころにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません。 
 
  〈サガレン〉は、サハリン―北海道の北にある、樺太島 (現ロシア共和国サハリン州)―の日本語読みです。1945年までは日本が南半分を領有していました。
   賢治は大正12(1923)年7月31日に、樺太島、豊原市の王子製紙に農学校の教え子の就職を依頼するために、青森、北海道を経由で樺太に向かいました。宗谷本線で稚内へ、稚泊鉄道連絡航路で樺太大泊港にわたり、そこから東海岸線で豊原に降り、さらに同線で終着駅栄浜、この旅の最終地に出ます。
この旅では、大正11(1922)年に亡くなった妹トシへの挽歌詩群(五篇)を残しました。詩では、妹の行方を追い、妹との通信を願いながら、その身を案じ続けます。
  そのひとつ、栄浜で発想された「オホーツク挽歌」(一九二三、八、四)には、賢治の行動を示す〈午前十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル)〉という部分があります。
  朝顔、チモシー、ハマナス、ヤナギラン、ツリガネニンジンなど花いっぱいの浜辺や、陽の光に透く貝殻などを詠いながら、消えることないトシの面影に、妹を失った自分一人の悲しみばかりにとらわれることを責め、この美しい風景のなかで、彼岸に去った妹を確認し、〈ナモサダルマフンダリカサスートラ〉(南無妙法蓮華経の梵語読み)と読み込んでいます。
   賢治がサガレンを訪れたのはこの時だけで、童話とも共通する、ハマナスやヤナギランやトドマツ、海岸線などが描かれ、この童話の原風景が、そのときのサガレンの東海岸、栄浜と推定されます。
この童話の後半は、趣の違う、タネリという子供が、母の言いつけに背いてクラゲをすかして物を見たことから、ギリヤークの犬神に連れさられチョウザメの下男にされる、という未完のお話になっています。
  ギリヤーク民族の居住地が、北緯五十度線の国境の少し南にあり、栄浜から汽船の便がありました。
  この地への想いもあった賢治は、栄浜での時間の中に、一瞬の幻想体験があり、それを童話の後半としたのではないか、といわれます。そして、この童話の前半には、トシの行先、浄土を、後半には地獄を象徴的に描いたのではないかといわれます。(注)
 
  「オホーツク挽歌」と同時体験ともいえるこの童話の、前半に描いたものは風だけです。そこで風は限りなく透明で、人に語りかけるように訪れてまた去っていき、香りさえも運んでくる、透明なはずなのにどこか遠くに見えて、人を安らかにする……。
  栄浜での体験は、揺れる心象をそのままスケッチして詩となり、物の本質を確実に表そうと構築されて童話となったのだと思います。
  風は、賢治の心にも、一つの答えを出してくれたに違いありません。この童話が、美しいだけでなく、いつも心を揺さぶるのは、そのせいかもしれません。
 

  鈴木健司『「オホーツク挽歌」と「サガレンと八月」−とし子からの通信』 国語と国文学第69巻−第9号 1992年9月東京大学国語国文学会)
 
参考
  小林俊子『宮沢賢治 風を織る言葉』(勉誠出版 2003)
 







6月の永野川〜二年目
6月の永野川〜二年目
 
この章を書き始めて、2年目に入りました。歩くフィールドは同じです。
何か新しいことがお伝えできるよう、また、変わらぬ風景が残っているよう祈りつつ。
 
 上旬、今年は梅雨入りが早く、不安定な天気が続きます。歩く範囲は4kmほどですが、上空の空模様によって、霧雨が降る場所と晴れている場所がありました。
 オオヨシキリは、上人橋付近、公園内の両川岸、と広い範囲で囀っています。今年は個体数が多いようです。
 大岩橋上の河畔の梅の木で、ウグイスがずっと囀って、待つこと15分、やっと姿を確認できました。隣に大きな桑の木がたくさん実をつけ、スズメが盛んについばんでいて、そちらばかりが目に入りましたが、やはり、果実は食べないウグイスは隣の、梅の枝を行き来して樹皮をつついていました。
 ムクドリ75羽の群れが、公園をあちこち移動していました。ここでは、ムクドリは少なく、こんな大群は初めてです。どこかから移動してきたのでしょうか。大群の上、体も声も大きく、圧巻です。街中では嫌われるのでしょう。
 モズやツバメの幼鳥も危なげに木の枝を移動しています。
 公園の中の草地が去年と同じくらいの広さが刈り取られました。繁殖期過ぎるまで待って、という願いを聞いてくれたのかもしれません。もう一度確認したほうがよいのかもしれません。
 嘴が黄色く先が少し黒いチュウサギを見つけました。バードリサーチにうかがったところ、これはすでに繁殖を終えて冬羽に換羽中とのことでした。
 公園の中央、多分カワセミスポットで、ここ一カ月ほど観察小屋と人工の枝を立てて、撮影をしていた人を見かけました。今日は小屋も枝も取り払われて、周辺の草が赤く枯れていました。観察も撮影も個人の意思ですが、皆で大事に思っている草地を壊さないでほしいと思います。
 
 中旬、相変わらず不安定な天気で、いつもどこかに黒雲があるような気がして、なにか気の急く探鳥が続きます。
 今年は確かにオオヨシキリが確かに多く、公園内のワンドの跡地では、あちこちで声がして、11羽はいるようです。対岸にも3羽、錦着山側でも1羽、嬉しいことです。
 バードリサーチのお話では、他の場所のヨシ原が減って移って来たか、ここのヨシ原が増えたのか、どちらかということです。
 ここでは目立ってヨシ原は増えていません。少し離れた赤津川岸に少しヨシが目立つ所があるくらいですが、そこにはオオヨシキリの声はしません。とすると、どこかでヨシ原が減っているということになり、それも困ったことです。この狭い公園のヨシ原も大事にしなければ、と思います。
 泉橋下で、1mを超す蛇が泳ぐ姿がいました。頭を出して泳ぐのですね。初めて見ました。
 
 下旬、朝までの激しい雨があがり、久しぶりに爽やかな天気でした。
 川の水が増え、川辺を歩く鳥はほとんどいません。
オオヨシキリの声はまったくしなくなりました。ヒナが孵化するとあまり鳴かなくなるとのことでした。ヨシ原の中を見とおし、地鳴きの声を聴きとれる力がほしい、来年の課題にします。
 川ではオハグロトンボが飛び、草むらではキリギリスの声が聞こえ始めました。キツネノカミソリが、刈られてしまった土手に細々蕾をつけました。
 次の季節の始まりです。
 
鳥リスト
キジ、カルガモ、カイツブリ、キジバト、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、オオタカ、コゲラ、モズ、イカルチドリ、ハシブトカラス、ハシボソカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、オオヨシキリ、ムクドリ、セッカ、スズメ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ、