宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2023年9月上旬

6日  5:30〜7:30  曇 22℃
 
曇り気味でしたが、明日からの予報は、もっと悪いので思い切って出かけました。
まもなく上空の雲は途切れ、大平周辺の山も雲が切れていきました。
 
サギのコロニーにはまったくサギの姿は見えなくなりました。
 
永野川に入るとカルガモが2羽、少し登って中州周辺に3羽、ダイサギが1羽確認出来ました。草が茂っているのでそこまででした。上空を白いサギ1羽通過しました。
ガビチョウの声が少し弱々しく聞こえてきました。
セグロセキレイが2羽、1羽、3羽、と飛びかっていました。水量は多いのですが、うまく岸を渡って歩いています。
 
上人橋から上流を見ると中洲にアオサギが1羽、ダイサギが1羽みえました。ここもまだ草が青々と茂って見にくくなっています。
突然コジュケイの声が聞こえてきました。以前岸に草地が広がっていたころ、初めてここで見ました。
公園で樹木にキジバト1羽、モズが川岸の草地で二カ所で鳴いていました。
大岩橋付近の山林でキジバトが凄く端正な形でじっとしていました。
大砂橋下の中洲を跳び回ってコサギが1羽、水が多くてなかなか着地できる場所が無いようでした。足先の黄色がなんとか確認出来ました。
カルガモも4羽、3羽、見えています。カルガモには丁度良い水深のようです。
滝沢ハムの植え込みの大木は葉をたくさん茂らせているので、この季節はスルーなのですが、エナガの声が聞こえたようで振り返ると、大木の上の方を15羽ほどのエナガが移動していました。。少し引きかえしましたが、葉の陰に隠れてしまっていました。もうそんな季節なのですね。これからは、心して歩こうと思います。
赤津川に入ったとき、イソシギが2羽、川面を昇って行きました。今までは飛ぶ姿や声で確認していたのですが、飛んでいるときの羽の模様、白線がはっきり見え、図鑑でも確認しました。
赤津川入り口の民家には今日もオナガが見来ていました。
浸水したイネもあり、すでに刈り取られた田もありましたが、セッカの声が聞こえていました。ヒバリはもう鳴きませんでした。
少し登ると田にチュウサギが4羽。こちらははっきり確認出来ました。
合流点と赤津川でツバメが1羽ずつ確認出来ました。もう渡っていく時季の、淋しい飛行でした。季節が移っていきます。
 
曇っていると、いまいち視界が悪いのですが、帰ってくるなり雨となり、今後の天気も悪そうです。良いチャンスを逃がさず、幸いでした。
 
キジバト:公園の樹木に1羽、大岩橋付近森林に1羽、計2羽。
コジュケイ: 上人橋付近で声。
カルガモ:二杉橋付近、中洲で2羽、3羽、上人橋上で4羽、2羽、公園川で3羽、大砂橋付
近中洲で4羽、3羽、滝沢ハム付近1羽、赤津川3羽、計25羽
ダイサギ:二杉橋上中洲で1羽、上人橋上中洲で1羽、滝沢ハム近く田で1羽、合流点で1羽、赤津川で1羽、1羽、計6羽。
コサギ: 大砂橋近く中洲で1羽。
アオサギ:大砂橋付近で1羽、池で2羽、永野川二杉橋付近1羽、計4羽。
サギSP:二杉橋上空、1羽、上人橋上空1羽、計2羽。
イソシギ: 赤津川で2羽。
モズ:公園草地で3カ所、計3羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
オナガ:赤津川合流点近くの民家の樹木で1羽。
ツバメ:合流点付近で1羽、赤津川で1羽、計2羽。
セッカ:.赤津川田で1羽。
セグロセキレイ:二杉橋〜上人橋、2羽、1羽、3羽、公園で2羽、1羽、3羽、大砂橋で2羽、合流点で1羽、1羽、計16羽。
エナガ: 滝沢ハム植え込み大木で15羽。
ガビチョウ:二杉橋付近1羽、上人橋近くで1羽、公園で1羽、滝沢ハム近くで1羽、計4羽。
 

 







「銀河鉄道の夜」― 天上への道を吹く風
 「銀河鉄道の夜」の風の描写を追ってみると、そのほとんどが自然の風景の中のものでないことに気づきます。思えば、「銀河鉄道」は、実際の風景の中を走っているのではなく、カンパネルラの天上への旅の途中、賢治が想定する「中有(ちゅうう)」の世界なのです。
 中有は仏教用語で、人の死後次の生を受けるまでの霊魂の状態で、日本では死後49日間とし、死後49日目に法要が行われるのもその由縁によります(注1)。
 このことについては「「ひかりの素足」―死と向き合う風」、「「ひかりの素足」―死と向き合う風」追記 「中有」という時間、生きて還ること」でも記したので、ここでは、「銀河鉄道の夜」で描かれる風を追いながら風景を確認し、その後、別稿で「中有」について改めて考えて行こうと思います。
 
 描かれる季節は、登場する星座から、初夏から初秋にかけての物語と思います。
 時間や星座については、白鳥の停車場23時、鷲の停車場2時、ということから地球の一回転を24時間に分割し、経度によって定義されている各地の標準時に則り、星図と合わせて、停車場の位置を特定する試みが行われています。
 カンパネルラが乗車したときに貰った星座早見表とよく似ている地図や、ジョバンニが時計屋のショウウインドウで熱中した「星座絵図」は、一戸直蔵『趣味乃天文』(1921 大鐙閣)の口絵から想像したとも考えられ、これは賢治在学当時の盛岡高等農林学校の図書館にも所蔵されていました。(注2)
 物語は「ケンタウル祭」の夜に始まります。物語に描かれる学校が夏休み中ではないのは説明できないのですが、「銀河のお祭」と明記されている「ケンタウル祭」は、星座名ケンタウルスから付けられていることからは七夕を、「もみの木に豆電球を飾る」という記述にはクリスマスツリーを、「カラスウリの灯り」を流すことからは8月16日の、盛岡の盆行事、舟っこ流しの風景も連想させます。さまざまな祭を描きこんで、華やいだ人びとの思いとその中のジョバンニの孤独や、後に来る「別れ」の悲傷と対比させているのではないでしょうか。

 「銀河鉄道の夜」には、初期形一、初期形二、初期形三、第四次稿の4つの形態が残されています。ここでは、賢治が最終的に表現したかった形と思える第四次稿をテキストに進めたいと思います。文中に作品の章題を太字で示し、特記する事柄を斜体太字で表します。

 第四次稿では一〜九迄の章立てがなされ、冒頭に、初期形三までにはなかった、一、午后の授業、二活版所、三、家の三章が書き加えられます。ここで、ジョバンニの現実での境遇―母子家庭、学校での孤立、カンパネルラへの想い―が記され、物語の背景を描くと共に、導入の役割を果たします。
 初期形三までに登場していた賢治の思想を代弁する「ブロカニロ博士」は登場しなくなり、全体はジョバンニが見た夢と規定されます。ここには「少年小説」を目指して改稿を進めていた賢治が、より現実に添う形での物語展開を試みたと思われます(注3)。

 ジョバンニは病床の母と暮し、朝は新聞配達、放課後は印刷屋で活字拾いをしていて、学校では気力が出ません。父が北方で働いているはずなのですが、級友たちのあらぬ疑惑と嘲りを受けています。以前から友達だったカンパネルラもジョバンニを気遣いながらも進んでかばってくれるわけではありません。

四、ケンタウル祭の夜
 ケンタウル祭の夜、ジョバンニは母の所へ来るはずの牛乳が来ず、川へ瓜を流しに行く級友たちからは父のことで蔑まれ仲間に入れてもらえません。親友のカンパネルラは気にかけてくれているようでしたが級友たちと一緒に行ってしまいました。

五、天気輪の柱
 重なる疎外感から逃れるように、駆け上った丘の上から見た風景には、

 
子供らの歌ふ声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしづかにそよぎ、ジョバンニの汗でぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはづれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。  
 
と、風は「遠くで鳴」る存在で、わずかにジョバンニの汗を乾かす程度に吹いています。現実から離脱していく前触れのように、静かなタッチは一層淋しさが増します。丘の上から見る列車の楽しそうな風景を思い、悲しくて見上げた銀河ですが、先生の説明のようにがらんとした冷たいところ」とは思えず、林や牧場のある野原に感じられ、琴座の星は涙に揺れて変形し、町も次第にたくさんの星のように感じられます。そのことが次からの風景にも繋がっていきます。

六、銀河ステーション
 「銀河ステーション、銀河ステーション」という声とともに明るい明るい世界となり、いつか、ジョバンニは軽便鉄道に乗っていました。
 そしてカムパネルラも乗っていたのです。「みんなはね、ずゐぶん走ったけれども送れてしまったよ。ザネリもね、ずゐぶん走ったけれども追ひつかなかった」という言葉は、ザネリも皆もこの汽車には乗れなかった、ということ、つまりカンパネルラのみが死に向かっていることを表すのですが、ジョバンニが気づけるはずはありません。銀河の旅が始まると、風三例、すべて、窓のそとで、風に「さらさらさらさら」、ゆられてうごいて、波を立てているススキとともに描かれます。

 
青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすゝきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てていゐるのでした。    
 
その小さなきれいな汽車は、そらのすゝきの風にひるがへる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした

向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすゝきが風にひるがへるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたやうに見え、また、たくさんのりんだうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のやうに思われました       
 
 銀河の中を走るのですが、空は星いっぱいの空間ではなく、「桔梗色の空が広がり」、星の代わりに「三角標」が点々と続きます。夜空の地図とは、賢治にとって身近な地上の地図の「三角点」が三角標となり、独自の空間を作り上げています。
 ススキを揺らす風に、次第にそこにリンドウが加わり、向こう岸の風景では、「やさしい狐火のやう」と形容されます。
 ススキとリンドウの広がる風景は地上の高原の風景です。それは果てなく続く、ときには恐怖を感じる風景ではないでしょうか。死に関して言えば、未だに想像できない死後の世界への入り口です。

七、北十字とプリオシン海岸
 ここでカンパネルラは「……誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ」という、この作品での重要主題とも言える「ほんたうの幸せ」への思いを述べますが、ジョバンニには理解できません。
 星座を辿って南転していく旅では、停車場や事柄はすべて星座名から来ていて、汽車は白鳥の停車場で止ります。北十字は、はくちょう座の骨格を成す十字形の星を表します。
 「河原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、また稜から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やら」、「銀河の水は、水素よりももっとすきとほって」、「二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えた」と記述され、透き通ったものの中に色彩を散りばめています。
 白鳥の駅で降りた二人はプリオシン海岸で化石の発掘をしている人に出会います。プリオシンとは地層年代のひとつで、400万年 〜150万年前の地層ですが当時は作中の記述のとおり120万年前とされていました。賢治が愛し名づけた花巻市郊外の北上川の川原、イギリス海岸は、プリオシン時代に属し、賢治も1922年にこの川原でクルミの化石とウシの足跡の化石を発見しています。

 
ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ      
 
発掘をしている学士の言葉で、さらに化石を調べることは他への証明のためであるという言葉が続き、ここでは風は「空(から・くう)」の暗喩です。

 
そしてほんとうに、風のやうに走れたのです。息も切れず膝もあつくなりませんでした。
 
 その次の例では、「風のやうに」走れる、という直喩表現です。
 
八、鳥を捕る人

 
ごとごと鳴る汽車のひびきと、すゝきの風との間から、ころんころんと水の湧くやうな音が聞えて来るのでした。
 
 次の停車場からは、「鳥を捕る人」が乗車してきます。風はまだススキの間を吹くのですが、その人が「鶴の声」と名づける音の表現が加わります。
 「鳥を捕る人」はサギや鶴や雁を捕って一瞬で菓子にしてしまう仕事をしています。菓子を美味しいと思いながら、ジョバンニたちは鳥捕りの話は理解できず、軽蔑してしまいます。次の章では鳥捕りが気の毒でたまらなく、鳥捕りの幸せになるためなら、何でもやってあげたいとさえ思いますが、鳥捕りは消えて仕舞っていました。

九、ジョバンニの切符
 「白鳥区」の終り、名高いアルビレオの観測所には、屋根の上に青玉宝(サファイア)と黄玉(トパアズ)が輪になってくるくる回って」います。
これははくちょう座の最南端にある三等星で二重星のアルビレオで、全天で最も有名な二重星の一つといわれます。吉田源治郎『肉眼に見える星の研究』(警醒社 大正十一年)にも同様の色の記述があります。
 検札が来て、ジョバンニの持つ切符が重要な話題となります。車掌は、「これは三次空間の方お持ちになったものですか」と言い、鳥捕り曰く「ほんたうの天上にさへいける切符」と言われます。つまりジョバンニだけが違う世界の存在で、 ジョバンニ以外がすべて、すでに命をおとしている人であることが暗に示されます。結果として、ジョバンニは生還することができますが、天上へ行くことはできません。
 鷲の停車場では苹果の香りと共に子供を連れた青年が乗り込んできます。

 
黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹かれているけやきの木のやうな姿勢で男の子の手をしっかりとひいて立ってゐました。
 
 風は、しっかりとした好意的なものへ形容です。青年は家庭教師として教え子を連れてタイタニック号に乗り遭難しましたが、他の人を押しのけても救助のボートに乗り込むことを避け、教え子とともに死を選びました。
 タイタニック号は、イギリスのホワイト・スター・ライン社が北大西洋航路用に計画し、造船家のアレクサンダー・カーライルトーマス・アンドリューズによって設計され、処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没しました。犠牲者数についてはさまざまな説がありますが、乗員乗客合わせて1513人中生還者数は710人で、戦時中に沈没した船舶を除くと20世紀最大の海難事故でした。事故後のアメリカの調査で、救命ボートの数が足りなかったことも言及されていて、そのことは作品にも投影しています。

 
小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいてゐる。ぼくはそのひとにほんたうに気の毒でそしてすまないやうな気がする。 
ぼくはそのひとのさいはひのためにいったいどうしたらいいのだらう。

 
 ジョバンニは難破船の話から、北の海で働いているという父のことを思います。風は厳しい自然条件を表します。
 
きらびやかな燐光の川を進みました。向ふの方の窓を見ると野原はまるで幻燈のやうでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のやう、そこからかまたはもっと向ふからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のやうなものが、かはるがはるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにすきとほった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。
 
 きらびやかな風景と共に、風は「ばらの匂」と言う華やかなものをまとって吹き、死に向かう人びとが、美しくきらびやかな世界を歩いて行くことを表すでしょう。 
 この後、もう一つの風景として同乗の灯台守が配った、「黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」が登場します。そして灯台守によれば、このあたりでは、苹果ばかりでなく、「農業ではすべてはひとりでに望むものができるやうな約束になって」いて、「苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわづかのいいかをりになって毛あなからちらけてしまふのです。」といいます。これは天上界に近い素晴らしさを意味するのでしょうか。さらに

 
川下の向う岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるやうに浸みるやうに風につれて流れて来るのでした。
 
 風は音を運ぶものとなります。青年はなぜか、「ぞくっとしてからだをふるうよう」するという象徴的な描写があり、さらに「だまってその譜を聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋のやうな露が太陽の面を擦めて行くやう」と異次元の広がりを思わせます。これも死に向かう人びとを美しい世界に置きたいという賢治の意思かと思います。

 
向ふの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌のふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱してゐるらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きさうにしましたが思いかえしてまた座りました。かほる子はハンケチを顔にあててしまひました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰ともなくその歌は歌ひ出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一諸にうたひ出したのです。
 
 初期形二では、この賛美歌は「Nearer, My God, to thee 主よみもとに近づかん」とされていましたが、初期形三からは賛美歌名は特定されなくなりました。19世紀イギリスの詩人Sarah Flower Adams サラー・フラー・アダムスが作詞したもので、タイタニック号が遭難したとき、乗船の8人の楽士は避難せずにこの曲を演奏し続けたという史実が伝えられています。
 
そして青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひゞきや風の音にすり耗らされてずうっとかすかになりました。    
 
その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示しその振子は風もなくなり汽車もうごかずしづかなしづかな野原のなかにカチッカチッと正しく時を刻んで行くのでした。
 
 二例は音を消す存在の風と無風状態の記述です。物語も一つの中盤状態です。孔雀や渡り鳥に信号を送るひと、そして新世界交響楽が流れ、カンパネルラは女の子と話が弾み、ジョバンニは疎外されたような悲しみを抱きます。

 スピードを上げて走る汽車の中で座席の人達は半分後の方に倒れかかる風景が描かれます。これは「銀河鉄道」のモデルとなっていた岩手軽便鉄道釜石線は狭軌で、車両の座席が対面型だったことを表すものです(注4)。

 
 たうもろこしの木がほとんどいちめんに植えられてさやさや風にゆらぎ    
 
 トウモロコシやコロラドの高原を思わせる風景、インデイアンの狩りの風景が広がり、川ではカワラナデシコが咲き、橋を架ける工兵の姿や、発破の音など、現実に近い風景も描かれ、発破によって躍り上がる銀色の魚に、皆夢中になり、ジョバンニも女の子とも打ち解けていきます。

 双子座では、童話「双子の星」にもあるような「小さな水晶のお宮」が二つ並び、暫くして蠍座が現れます。それは「ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりも美しく酔ったやうにその火は燃えている」と記されます。
 その赤さについて、女の子は、それまで多くの命を奪った蠍が、自分の命が失われようとしたときに、初めて他者のために自分を差し出そうという思いで真っ赤な火となって闇を照らすようになったという逸話を話します。

 ケンタウルス座に近づくとケンタウル祭で賑わう人びとの姿が描かれます。地上を立つときとおなじ情景です。ここから原稿が1枚分抜けているので、次の展開が少し唐突になります。
 男の子がボール投げの自慢をしていると、突然青年がつぎのサウザンクロスの駅―南十字星で、下車することを告げます。ここは、「ほんたう」の神のすむ天上に向かう駅と規定されています。
 別れの辛いジョバンニは、天上の神は「うその神様」で、天上に行くよりもここでもっと良いところをこしらえなければいけないのだ、と力説します。そして本当の「神様」論争が始まり、ジョバンニの「ほんたうのほんたうの神様」の声は切なく響きます。
 光りで彩られた十字架、苹果の匂い、ハレルヤコーラスの響く中を喜びにみちて乗客は下車していき、キリストを彷彿させる白い着物の人が迎え、やがてすべてが霧につつまれ、胡桃の木とリスが現れます。

 
汽車の中はもう半分以上も空いてしまひ俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹き込みました 
 
 列車にはカムパネルラとジョバンニが残されました。風は空虚を表します。
南十字星の近くにある全天で最も目立つ暗黒星雲、不吉な「黒い石炭袋」を通り過ぎます。これは一部がケンタウルス座と、はえ座に重なっています。K. Mattila は、1970年、完全に真っ黒ではなく、星雲が覆っている星の光を反射し、周りの天の川に比べ10%程度の強さで光を放っていることを証明しました。
 カンパネルラと二人きりになったジョバンニは、例え暗黒星雲のなかでも二人一緒に進むことを願っていますが、カンパネルラは母の住む「ほんたうの天上」に向かって消えてしまいます。ジョバンニの悲痛な叫び声が残ります。
 
 ジョバンニは元の丘の上に覚醒しました。現実を思い出したジョバンニは、母への牛乳を受け取り、カラスウリを流しに行った川に向かい、カンパネルラが級友のザネリを助けようとして溺死したことを知ります。
 川幅いっぱいに、今旅していた銀河が映り込んでいる風景は象徴的です。ジョバンニはカンパネルラの生存を信じていますが、事故後45分たったと、カンパネルラの父は息子を失った現実を認めています。その45分は、銀河鉄道の3時間となり、二人の旅「中有」だったと思われます。
 カンパネルラの父は、ジョバンニに父親の生存と帰還を伝えて励ましてくれました。ジョバンニは様々な思いを胸に現実の世界に戻り、母にいろいろ報告することを考えながら街に向かいます。
 
 この物語の中で風は、少しずつ天上界に近づいていく情景を反映し最後にはカンパネルラを失った空虚も表します。風が現実味を感じさせない分だけ、何か乾いたものに感じられるのは私だけでしょうか。

 賢治がこの物語を書いた背景には、1922年11月、最愛の妹トシを亡くしたことがあります。その悲しみは一連の挽歌群、「無声慟哭」の4篇(1922年11月)、「オホーツク挽歌」の5篇(1923年8月)の長詩に残されました。その中、死んでいった妹は何処に行ったのか、幸せな場所にいるのか、妹とともに行きたい、妹ひとりのことを祈ってはいけない、という様々な想いが重く全篇に溢れています。
 1924年「薤露青」に至って、やっと、「……あゝ いとしくおもふものが/そのままどこへ行ってしまったかわからいことが/なんといふいゝことだらう……」ということで自分を納得させています。
 これらはこの物語に中で、さらに発展し、「ほんたうのしあわせ」とは何か、の問いに向かっています。
 まず、カンパネルラは、ザネリを救って死にますが、ジョバンニやカンパネルラの父母の悲しみはどうするのか。カンパネルラは良いことしたのだから許されると思うと言います。
 青年は青年は難破する船から、他の乗客を救って死に至りますが、青年の家族、子供たちの家族の悲しみはどうなるのか。青年はそうすることによって助かった人びとのためになり、相殺されると考えています。蠍が我が身を棄てて他者のためになろうとする意思を持って輝く蠍座の思いも同じでしょうか。
 
 この作品は多くの思い問題を含みながら、少年の想いに溢れ、美しく、時にきらびやかに描かれます。次の稿で書き残した部分を充たしたいと思います。
 

1:岩本裕『日本佛教用語辞典』(平凡社 1988)
2:加倉井厚夫「銀河鉄道の夜」を天文で読み解くために(『イーハトーヴ学 
 大事典』 弘文堂 2010)
3:小林俊子(「宮沢賢治 少年小説:ユートピアとファンタジー」(『賢治研 
 究 142』 宮沢賢治研究会 2021 7)
4:ますむらひろし『銀河鉄道の夜 四次稿編 2』 後書き「ゴロナニロ博
 士式ロングシートの実験」) その他。
 

 







永野川2023年8月下旬
27日 5:00〜7:00 晴 22℃
  幾分涼しく、湿度が低く過ごしやすい朝です。
 ずっと通行止めだった、さくらこども園西側の岸を久しぶりで通ってみました。洪水位以前は、赤津川に行くとき、いつもここを通っていたのでした。川の風景、中洲の様子を眺めることができるのですが、今は中洲に草が茂っていて小さい鳥は見えにくいのです。セグロセキレイが1羽、1羽、1羽、岸のコンクリートの上を飛んでいました。
 思いがけずカワセミが2羽、後を追うように昇って行きました。
 ツバメが1羽下ってきました。まだ残っていたのでしょうか。
 赤津川の入り口の民家の樹木にオナガが1羽、三週間前にもこの辺りでみました。オナガを見ることは、以前はほとんど無かったのですが。
 赤津川に入ったところでカルガモ13羽、ほとんど大きさの区別がつかなくなったファミリーのようです。
 またツバメが1羽遡って行きました。
 上空を白いサギが1羽、上空を飛んでいきました。
 カルガモが2羽、5羽、3羽と泳いでいて、モズが三カ所で鳴いていました。
 滝沢ハム池にダイサギが1羽、他のものは見えません。このところ池の状態がよくないのかも知れません。
 大岩橋付近でも、モズが二カ所で鳴いていました。キジバトが山林に向けて飛びました。
 大砂橋近く中洲ではアオサギ1羽が歩いていました。
 河川敷の草むらでホオジロの声がして1羽川のほうへ飛び、1羽が岸ベの草むらにいました、足音に気づいて、取水口の鉄の構造物に飛び乗り、ずっと囀っていました。少し小さいようでまた毛並みが整っていませんでした。明らかに囀りの声でしたが、今の時季どうなのでしょう。
 公園に入ったところで、岸の草むらから、オオヨシキリの声がしていました。よく見ると以前よりはヨシが茂り草むらも広くなっているようです。ここでも繁殖できたのかも知れない、と思ったのですが、バードリサーチのお話では、渡りの前であちこち移動しているのだそうです。
 上空を白いサギが4羽、7羽、と飛んでいきました。
 岸の樹木でコゲラの声が響いていました。
 公園の池の樹木にチュウサギが3羽、アオサギ2羽留っていました。上空を白いサギが3羽飛んでいました。
 西池には、浮き草を避けるようにカルガモが3羽来ていました。
 ガビチョウの声は、上人橋付近と大岩橋付近で聞こえましたが、幾分弱くなった気もします。 
 永野川を下ると、上人橋付近、セグロセキレイが2羽、二杉橋近くに2羽、睦橋付近にハクセキレイ2羽、セキレイ類にはよく会える日でし た。 
 まだ暑いのですが、何処かに秋の気配がするようです。もうじき来る秋の鳥との出会いを思って、静かに歩きました。
 
キジバト:大岩橋付近に1羽。
カルガモ:赤津川で13羽、2羽、5羽、3羽、公園西池で3羽、計2
 6羽。
ダイサギ:滝沢ハム池で1羽、公園池で1羽、計2羽。
アオサギ:大砂橋付近で1羽、池で2羽、永野川二杉橋付近1羽、計4  
 羽。
サギSP:赤津川上空1羽、公園上空4羽、7羽、池上空3羽、計15
 羽。
モズ:赤津川で三カ所、大岩橋付近で二カ所、計5羽。
カワセミ:合流点付近2羽、赤津川で2羽、計4羽。
コゲラ:公園樹木で1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
オナガ:赤津川合流点近くの民家の樹木で1羽。
ツバメ:合流点付近で1羽。赤津川で1羽、計2羽。
オオヨシキリ: 公園川の岸で二カ所声。
ハクセキレイ:永野川睦橋付近で2羽。
セグロセキレイ:合流点で1羽、1羽、1羽、永野川で1羽、2羽、1  
 羽、計7羽。
ホオジロ:大砂橋付近河川敷草地で2羽。
ガビチョウ:公園で1羽、大岩橋森林で1羽、計2羽。

 







永野川2023年8月中旬
18日 5:00〜7:00 曇 25℃

 陽射しはないのですが、意外と暑く気分がよくありませんでした。
 二杉橋から入ると、ツバメが4羽ほど行きかいました。
 岸辺にカルガモが4羽来ていました。
 少し上の中洲にダイサギ4羽、水辺にチュウサギ4羽、コロニーが近いせいかサギ類が増えているのが唯一の救いです。
 セグロセキレイが2羽、1羽と飛んでいました。
 上人橋のところで、カワセミが1羽、遡っていきました。
 ここでもガビチョウの声がしています。
 
 公園の川では、岸辺にアオサギが1羽いました。
 近くにいたのを気づかないうちに、イソシギが1羽飛び立ち、遡って行きました。
 セグロセキレイも2羽、ここには必ずセグロセキレイがいるのも救いです。
 樹木でモズが1羽鳴き声を立てていました。
 公園の池は一面に水草で覆われていて、鳥の居場所もないようです。公園管理者は何かの得点があるのでしょうが、何のために植えているのか疑問です。
 
 大岩橋の河川敷林でウグイスの囀り、今日はここのみでした。そろそろ囀りの季節も終りでしょうか。
 河川敷の草むらでホオジロの地鳴きがかすかに聞こえました。
 山林からはガビチョウの声がしました。
 大砂橋付近ではセグロセキレイが2羽のみでした。
 
 赤津川に入るとカルガモが群れで20羽、うち12羽はファミリーのようで、小さめのものが11羽、よくここまで、あまり欠けずに育ったと思います。これだけの数のヒナの群れは今まで見たことがありませんでした。
 ダイサギが田の中に1羽、1羽、採餌していました。
 田の畦にキジ♂が1羽突然現れました。
 
 蒸し暑く、少し疲れ気味で、鳥の発見が少なかったようです。
 キツネノカミソリが花を付けていました。昨年の記録だと7月31日には咲いていたので、今年は見損なったか咲かなかったか心配していました。
 三カ所で、しっかりと咲いていました。これを見ると、かつてあった、平地よりも少し奥深い環境を見つける思いで嬉しいことです。
 
キジ:赤津川のあぜ道に♂1羽。
カルガモ:二杉橋近く4羽、赤津川で12羽、8羽、計24羽。
ダイサギ:二杉橋近く中洲で4羽、赤津川で1羽、1羽、計6羽。
アオサギ:合流点1羽、公園で1羽、計2羽。
イソシギ:公園の川を遡って1羽。
モズ:公園の樹木で1羽。
カワセミ:永野川上人橋近くで1羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
ツバメ:永野川二杉橋〜上人橋4羽、2羽、赤津川3羽、計9羽。
ウグイス:大岩橋河川敷で1羽。
セグロセキレイ:二杉橋〜上人橋2羽、1羽、公園2羽、1羽、大砂橋付近2羽、計8羽。
ホオジロ:大岩橋河川敷草地1羽地鳴き。
ガビチョウ:上人橋付近1羽、大岩橋森林で1羽、計2羽。

 







永野川2023年8月上旬
5日 5:00〜7:00 薄曇 23℃
 
  曇り気味でしたが蒸し暑い感じでした。
 合流点ではセグロセキレイ幼鳥が2羽で動いていました。ゴイサギの幼鳥が1羽、上空を昇って行きました。
ツバメが3羽、1羽と飛び交います。
 水たまりにチュウサギが6羽いて、あとから4羽と飛んできました。コロニーから巣立ったのでしょうか。
 赤津川の流入口にアオサギ1羽、じっとしていました。
 
 赤津川に入ると、アオサギ幼鳥とゴイサギ幼鳥が1羽ずつ離れた場所にいました。
 にはチュウサギ1羽、1羽と離れていました。
 今年はほとんどいなかったセッカが2カ所で下降音と上昇音をくりかえし、かなり大きく聞こえ、1羽ではなさそうです。
 モズの鳴き声がころどころ3カ所で聞こえました。
 キジバト3羽電線にいました。
 カワセミが鳴きながら遡って行き、今日のご褒美です。
 
 公園に入るとウグイスがいままでよりも少し弱い声で囀っていました。
 大岩橋上の河川敷に少し弱いガビチョウの声がして、見ると幼鳥と思える小さめのが1羽留って鳴いていました。まだ眼のまわりの特徴がはっきりせず脚も細いようでした。巣立っているようです。もう一カ所でも鳴き声がきこえました。
 大砂橋近くの中洲で、ダイサギが1羽歩いていました。
 上空を白いサギが6羽、確認出来ないのでSPとしました。
 セグロセキレイ2羽中洲を歩いていました。
 公園のなかの川にカルガモが4羽、多分そのなかの3羽は幼鳥です。
 池には、カイツブリはいませんでした。
 永野川に入るとセグロセキレイ2羽、2羽、川岸を飛んでいました。
 睦橋付近で岸にアオサギ1羽、上空をゴイサギ2羽、遡っていきました。
 浅瀬をコサギと思われるものが1羽、やっと脚を上げてくれて黄色が確認出来ました。
 二杉橋に近い浅瀬にカワウが2羽一緒にいて、一緒に川を下って行きました。
中 洲で動くものがいて、よく見るとカワラヒワが2羽でした。久しぶりです。羽の模様の黄色や嘴のピンクもとてもはっきり見えました。
 橋近くでカルガモが4羽、ファミリーのようだが確実ではありません。
 少し早く出られ、気分的な余裕ができました。
 
キジバト:赤津川で3羽。
カルガモ:公園で成鳥1羽、幼鳥3羽、永野川、二杉橋〜上人橋1羽、1羽、4羽、計13羽。
ダイサギ:大砂橋付近1羽、永野川睦橋付近1羽、計2羽。
コサギ: 永野川睦橋付近1羽。
アオサギ:合流点1羽、赤津川1羽、大砂橋付近1羽、永野川睦橋付近1羽、計4羽。
ゴイサギ:赤津川幼鳥1羽、永野川で上空2羽、計3羽。
モズ:赤津川で3羽、6羽、計9羽。
カワセミ:赤津川で1羽、永野川睦橋付近1羽、計2羽。
スズメ: 特に目立った群れはない。
ムクドリ:赤津川で3羽、6羽、計9羽。
ハシボソカラス: 特に目立った群れはない。
ハシブトカラス: 特に目立った群れはない。
ツバメ:合流点で2羽、赤津川3羽、1羽、公園で2羽、永野川2羽、計10羽。
ウグイス:公園草地で1羽、大岩橋河川敷で1羽、計2羽。
セッカ:. 赤津川で2カ所で複数声、計4羽。
セグロセキレイ:合流点1羽、1羽、大砂橋付近1羽、1羽、公園で1羽、永野川二杉橋〜上人橋2羽、2羽、計9羽。
カワラヒワ:二杉橋付近中洲で2羽。
ホオジロ:大岩橋河川敷草地1羽、1羽、1羽、計3羽。
ガビチョウ:大岩橋上1羽目視、永野川2カ所で声、計3羽。