宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2017年4月上旬

10日

2、3日雨模様でしたが、やっとよい天気になり、少し遅く10時ころ家を出ました。

今日のニュースは、待望の今季初のツバメの飛来です。大岩橋から上流を眺めていたとき、1羽が風に乗って旋回していました。

その後、赤津川で4羽、合流点付近で2羽、7羽と確認できました。

 

二杉橋の上流は、全く水の流れが止まっていて、大きめの水たまりができたところで、コガモ7羽、カルガモ10羽が泳いでいました。

ウグイスは、2カ所で本格的に囀っていました。

高橋付近で、ホオジロが草むらで地鳴き、ハクセキレイとセグロセキレイが1羽ずつ、キジの鳴き声が久しぶりで聞こえました。

公園の低木でカワラヒワが3羽、土手上の並木でコゲラの声、エノキの枝にシメ1羽、ぐっと鳥の数が少なくなっています。

調整池のヒドリガモは7羽、カイツブリ1羽、アオサギ1羽、ヒドリガモは分散しているのか、渡ってしまったのかめっきり少なくなりました。

大岩橋付近の畑をキジが歩いていました。キジもしばらく見なかったのでうれしくなりました。これで2羽目。その後赤津川で2羽、錦着山裏の田で1羽、と計6羽確認しました。

滝沢ハムのクヌギ林近くでツグミが1羽、路上でしばらく留まっていました。ツグミはもう渡ってしまったのでしょうか。今日はこの1羽だけでした。

公園内の川の上をカワウが旋回して西へ飛んでいきました。

赤津川に入って、ダイサギが1羽、2羽と佇んでいます。嘴付近の感じからダイサギと思うのですが、小さめの個体もいて、自信が持てません。

モズが、電線や木の枝でかなり激しい声で鳴いていました。高い所ではないのですが、今の時期の声は何の意味があるのでしょうか。

赤津川もたまり水状態ですが、バン2羽、小ガモ9羽の群れが泳いでいました。どんなに少なくても、水に集まる鳥たち、いかに水が大事かわかります。早く川が再生することを祈ります。

陶器瓦店の前の橋に一瞬1羽の鳥が飛び込み、ツバメかと思ったのですが、なにか青が感じられて、橋の下流側に回ってみると、カワセミが留まっていました。すぐに下流に飛び去っていきましたが、やはりカワセミは美しく、会うと嬉しくなります。

戻り道で、赤津川の西岸で、ヒバリが2カ所で囀っていました。これも定位置ですが、東岸からは声は聞こえませんでした。

合流点近くでセグロセキレイ3羽、上人橋で4羽、と今日は最後になって増えてきた感じです。

上人橋上の岸の草むらでアオジ3羽、声と姿をはっきり確認できました。

 

公園も付近の学校も保育園もソメイヨシノは満開で、空気が桜色になるようです。これは人工的に作られた風景ですが、ほとんどの人が好感を持つでしょう。これは人工とはいいながら、自然の成り立ちに逆らわず育てているからかも知れません。

田んぼでは、アマガエルが鳴き始めていました。今日も季節が変わっていきます。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、ダイサギ、アオサギ、バン,カワセミ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ヒバリ、ツバメ,ヒヨドリ、ウグイス,ムクドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ








永野川2017年3月下旬

30日

風もなく、とても暖かです。

上人橋から入ります。いくらか水のあるところで、カルガモ7羽とダイサギ1羽、遠くでホオジロが囀っていました。

合流点まで行くと枯れ草にモズが1羽、穏やかな枯れ草色の中で顔つきが鋭く見えました。

アオサギが1羽、これはいつものことのはずですが、なぜか黒い冠毛が目につきましたが、

河川敷で、イカルチドリの声が聞こえ、しばらく探して、2羽が鳴きながら飛び回っているのを見つけました。

田んぼではない、公園の草地でヒバリが囀っていました。ここもシーズンになるとよく耳にするところです。

赤津川に入ると、ヒバリの囀りが両岸で計5羽、セッカの上昇の声も聞こえました。バンも2羽ずつ2カ所で、額板が赤くなっているのは1羽だけでした。

岸の草むらにアオジ2羽、カワラヒワ3羽、もうカシラダカの声も聞こえなくなっています。中程の水深が少しあるところで、小ガモが13羽、10羽、2羽、と群れていましたが、この前

のように大きな群れは見られません。カルガモも最大の群れ12羽でした。

滝沢ハムまで戻ると、公園の方からウグイスの地鳴きが聞こえました。クヌギ林ではシジュウカラ2羽、コゲラ1羽、シメ1羽、ここは小さくても林です。

大岩橋上、河川敷林で、ツグミが樹頂に留まっていました。今日はここでしか見られませんでした。もう渡ってしまったのでしょうか。なんだか急な気がします。山林にはカケスの声がしましたが、出てきてくれませんでした。

公園の榎の大木に、エナガの声がして、見上げると1羽のみで、いくら探してもそれ以外にはいませんでした。いつも群れを見ているので、どうかしたのかと思います。

カワウが1羽、上空を北に向かって飛んでいきました。珍しくどこかでキジの声がしました。

公園内の川の水はきれいに澄んできましたが、ほとんど鳥の姿はありませんでした。春休みで子ども達が沢山遊びに来ている為かも知れません。

調整池のヒドリガモは西11羽、東9羽、分かれていて数も減りました。

永野川を下ってくると、二杉橋近くの水門に、何か茶色の、鳥には大きすぎるものが眼につきました。よく見るとタヌキでした。とても痩せていて、もちろんおなかも大きくないし、これは水に濡れたせいか尾も細いものでした。2、3分ゆっくり水を飲んで、川岸の草むらに消えていきました。

第五小付近で、ウグイスの囀りが2カ所で聞こえました。今季初です。でもツバメには会えませんでした。

少しずつ、冬鳥が消えていく寂しさの中で、桜のつぼみが膨らみ、夏鳥達がもうじきやってくるのでしょう。変わっていくことがなぜか辛いこの頃です。

 

鳥リスト

キジ、カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、キジバト、カワウ、ダイサギ、アオサギ、バン、イカルチドリ、トビ、コゲラ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、カケス、シジュウカラ、ウグイス、エナガ、ヒバリ、セッカ、ヒヨドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、アオジ、タヌキ


 







永野川2017年3月中旬

19日

  風もなく暖かでした。

 二杉橋から入ると前回にもまして水が涸れていて、取水口とその近くの少し水がたまったところで、キジバト2羽、カルガモ2羽、ダイサギ1羽が、何か身を寄せ合うように見えました。川岸の草むらではホオジロの地鳴き、ウグイスはいませんでした。

 水の涸れた砂利の上をセグロセキレイとキセキレイが争うように走っていました。上人橋までの間、カワラヒワが3羽草むらから飛びだし、アオサギ1羽、ツグミが1羽が出現したのみでした。

上人橋の近くまできて、ここでは珍しいヒバリの囀りを聞きました。田ではなく芝生の方からでした。また、高い樹木の上方から、ホオジロが2羽囀る声が聞こえてきました。

公園の中も静かで、ワンド跡もほとんど鳥の気配なし、ここの川もほとんど水がありません。ハクセキレイが4羽、芝生の上や河川敷で点々としていました。

対岸の草むらで、カシラダカ1羽を見つけたのですが、モズがやってきたので飛び去ってしまいました。

シメが土手の桜の木と歩道脇の桜とを行ったり来たりしていましたが、今日はその2羽のみでした。急に減った気がします。

調整池のヒドリガモは、西に42羽、東に6羽、今年最多です。

大岩橋の河川敷林も静かでした。アオジが1羽、カワラヒワ15羽が草むらから草むらへ飛んでいました。

滝沢ハムのクヌギ林で、カワラヒワ5羽、ツグミが2羽。何か知らない鳥影のように思い、近づいてしばらく見ていましたが雀でした。草むらで、一瞬でしたがアオジ2羽を見ました。

上空をトビが3羽、一緒に旋回していました。トビばかり3羽、というのは珍しいことです。

合流点には、水が割と多かったせいか、小ガモが50羽群れて、中にカワウ2羽、カイツブリ2羽、カルガモ4羽が混じっていました。カワラヒワ20羽の今日最大の群れが土手を飛び立ちました。

赤津川も工事は日曜日で休みですが水涸れ、水のある場所も流れがなく沼状態で、マガモ、カルガモが、尾を立てて逆さまになり採餌中でした。

中程で一瞬青く輝いて、カワセミが下ってきて留まりました。相向かいに近い場所で、嘴の鋭さも黒さも確認できました。

 

カワヅザクラは1分咲き、ソメイヨシノの蕾もだいぶ膨らんできました。

ヒメオドリコソウが、足もとにゾロゾロと集まるように咲き出しました。オドリコソウは、小さな花の一つ一つが踊り子に似ていますが、こちらは小さくて、一本全体で踊り子か小人のようです。

 

今年はまだツバメに会えません。昨年もここでは3月下旬に初認ですが、タイミング悪く、見落としたのかもしれません。待たれるこの頃です。

 

鳥リスト

カイツブリ、カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、キジバト、カワウ、ダイサギ、アオサギ、トビ、カワセミ、モズ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ

 








永野川2017年3月上旬

7日

薄曇りで、あまり気温が上がりません。

二杉橋から入ると、川の水がほとんどありません。伏流水が源流なので、この時季は大体水涸れです。いつもながら、ウグイスの地鳴きが聞こえました。

睦橋までにはアオサギ、ツグミ、水のいくらか残った場所に16羽のカルガモ、上空を飛ぶカルガモ10羽でした。

カワラヒワが15羽の群れで、川岸の草むらに群れていました。

上人橋上の川岸の草むらで動きがありシメ1羽、駐車場の桜の木にエナガの声がして4羽いました。

公園のワンド跡に、シジュウカラ2羽、いつもと違う声、囀りでした。上空にトビが出てきました。

大岩橋の河川敷でもシジュウカラがよく鳴いていて、4羽が次々に飛び出しました。山林からはコゲラやカケスの声が聞こえました。

調整池のヒドリガモは再び増えて32羽になりましたが、他の鳥は見えませんでした。

滝沢ハムの手前の桜の木に、メジロが3羽、チュルチュルと鳴いて盛んに動いていました。この公園で見るのは久しぶりです。

滝沢ハムのクヌギ林にシメが4羽群れて鳴きながら飛び交って、小さいけれど、林に来た気分になりました。

草むらの木にキジバトも2羽、静かに留まっていて違う鳥かもと思ってしまいました。

合流点のカワウ1羽、これも定位置です。マガモ2羽、カルガモ9羽とともにいました。なぜかマガモはのみです。アオサギ1羽佇んでいましす。

泉橋から赤津川を遡ると、上空にトビが2羽、トビ同士で争っていましました。

カワセミが1羽、川岸でちょっとの間留まってくれて、相変わらず吸い込まれそうな青い背中です。

ヒバリの囀りは、今日は西岸の田んぼでした。

最上流の橋の近くで、ツグミを追うようにチョウゲンボウが舞い、電線に留まりました。不思議なのは、2羽とも、そのまま少し離れて留まっていたことです。その後、ハクセキレイも後を追って並びました。しばらくして、ツグミ、ハクセキレイは飛び去りましたが、チョウゲンボウは動かきませんでした。

ここでも川岸にマガモ1羽が川岸にうずくまっていました。

コガモは、今日は赤津川にのみ、12,7,14とまとまっていました。水涸れのためか、このところこちらに場所を移したようです。

鳥種は少なかったのですが、お馴染みさんに加えて、チョウゲンボウやメジロなどいつもはいない鳥がいて、幸いなひとときでした。

 

鳥リスト

カルガモ、コガモ、マガモ、ヒドリガモ、キジバト、カワウ、ダイサギ、アオサギ、チョウゲンボウ、トビ、カワセミ、コゲラ、モズ、カケス,ハシボソカラス、ハシブトカラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、ウグイス,エナガ、メジロ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、セグロセキイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、

 

追記

2017、3、5

久しぶりに、栃木市大平町の永野川沿いを歩いてみました。

川岸のオオジュリンやカシラダカが目的でしたが、午後のせいもあるのか、全く会えず、カモが泳ぐばかりでした。

ただマガモのペアが四組ほどいたのが、上流と違うところです。

川連の田ではヒバリが鳴き、カワラヒワの30羽の群れが見えました。

その近くで、カラスとバトルを繰り返すオオタカ、多分らしく、カラスより小さめで、腹面は白い印象でした。

 

2017、3、6

栃木市富士見町内でウグイスのさえずりを聞きました。永野川でも、我が家の周辺でもまだです。

うずま公園のレンジャクは、まだ来ません。

 








「一〇〇五 〔暗い月あかりの雪のなかに〕 一九二七、三、一五」―書きかえられていく詩の中の風―
  
一〇〇五 〔暗い月あかりの雪のなかに〕 一九二七、三、一五、
 
暗い月あかりの雪のなかに
向ふに黒く見えるのは
松の影が落ちてゐるのだらうか
ひるなら碧くいまも螺鈿のモザイク風の松の影だらうか
やっぱり雪が溶けたのだ
あすこら辺だけあんなに早く溶けるとすれば
もう彼岸にも畑の土をまかないでいゝ
やっぱり砂地で早いのだ
毎年斯うなら毎年こゝを苗床と
球根類の場所にしやう
その球根の畦もきれいに見えてゐる
みちをふさいで巨きな松の枝がある
このごろのあの雨雪に落ちたのだ
玉葱とぺントステモン行って見やう
あゝちゃうどあの十六のころの
岩手山の麓の野原の風のきもちだ
雪菜は枯れたがもう大丈夫生きてゐる
なにかふしぎなからくさもやうは
この月あかりの網なのか
苗床いちめんやっぱり銀のアラベスク
ヒアシンスを埋めた畦が割れてゐる
やっぱり底は暖いので
廐肥が減って落ち込んだのだ
ヒアシンスの根はけれども太いし短いから
折れたり切れたりしてないだらう
さうさうこゝもいちめん暗いからくさもやう
うしろは町の透明な灯と楊や森
まだらな草地がねむさを噴く
巨きな松の枝だ
この枝がさっき見たのだったらうか
     昆布とアルコール
川が鼠いろのそらと同じで
南東は泣きたいやうな甘ったるい雲だ
音なくながれるその川の水
     五輪峠やちゞれた風や
ずうっとみなかみの
すきとほってくらい風のなかを
川千鳥が啼いてのぼってゐる
     「いちばんいゝ透明な青い絵具をもう呉れてしまはう」
どこか右手の偏光の方では
ぼとしぎの風を切る音もする
早池峰は雲の向ふにねむり
風のつめたさ
     「水晶の笛とガラスの笛との音色の差異について」
町は犬の声と
ここは巨きな松の間のがらん洞
     風がこんどはアイアンビック
 
  「詩ノート」に収録の作品です。「詩ノート」は、フールスキャップ紙と呼ばれる横罫ノート用紙に縦書きで記され、「春と修羅第三集」収録作品のうち42篇の最も初期の形態を示すものを含みます。
   発想年月日の一九二七、三、一五は、作者は農業に従事して2年目です。おそらく北上川沿いの林の近くの自耕の地を臨んでの、夜の詩です。
 作者は、歩きながら、次々に風景を読み込んでいきます。
風の表現は、〈岩手山の麓の野原の風のきもちだ〉、〈五輪峠やちゞれた風や〉、〈すきとほってくらい風のなかを〉、〈ぼとしぎの風を切る音もする〉、〈風のつめたさ〉、〈風がこんどはアイアンビック〉6例あり、過去と現在、自分の周辺と離れた場所、触感と強弱のリズム、と対照的なものが描かれ、多様です。
 畑には、当時は珍しく、現実離れしていて周囲の農民の反感を買ったといわれるヒアシンスの球根が埋められています。〈螺鈿のモザイク風の松の影〉のような地面を見つけて、雪解けの早さを感じ取り、今年の農作業計画に思いを巡らせ、玉葱とペントステモンを思いつきます。
 ペントステモンはペンステモンのことでしょうか。現在ではオオバコ科イワブクロ属(ペンステモン属)に分類されますが、かつてはゴマノハグサ科に分類され、現在でも一部はゴマノハグサ科属するものもあります。
 作者が〈ペントステモン〉と記したのは、属名の「ペンステモン(Penstemon)」が、ギリシャ語の「pente(5)」と「stemon(雄しべ)」(1本の仮雄しべと4本の雄しべがあること)に由来していることによるのかもしれません。あるいは当時はそう呼ばれていたのかもしれません。北米原産の多年草で、釣り鐘型や筒状の花をつけ、木立性から這い性のものまで多数あり、花色も豊富で常緑性です。高温多湿を嫌うので、砂地を発見した作者はすぐ思い立ったのでしょうか。
 そして、小さな希望と未来を見つけた作者は、その気持ちを〈あゝちゃうどあの十六のころの岩手山の麓の野原の風のきもちだ〉と真正面に受け止めます。そこにはアイロニーや屈折したものは見られません。〈雪菜〉や、〈ヒアシンス〉も、今は問題あっても丈夫に育ちそうです。畑一面、月は〈なにかふしぎなからくさもやう〉をつけています。
 しかし、川は空の色を写してねずみ色、風景は、〈甘ったるい〉雲や〈ちゞれた〉風、気持ちを写して風景が少しずつ変わっていきます。
 五輪峠は花巻市東和町、遠野市、奥州市の境界となっている峠で、標高は556mです。この詩の発想地から望めるものではないと思います。行頭を下げて記される詩句は、心の深層が描かれる場合が多いようです。
 作者は1924年3月24日から25日にかけて、一泊二日で五輪峠を越えて水沢の緯度観測所へ出かけたようです。そこで「五輪峠」など5篇と、そこから文語詩に改稿されたもの1篇が残されました。
 
……
そのまちがった五つの峯が
どこかの遠い雪ぞらに
さめざめ青くひかってゐる
消えやうとしてまたひかる
 
……(「五輪峠」一九二四、三、二四、 「春と修羅第二集」
 
……
そのうしろにはのっそり白い五輪峠
五輪峠のいたゞきで
鉛の雲が湧きまた翔け
 
……(「人首町」一九二四、三、二四 「春と修羅第二集」)
 
……
ひかりうづまく黒の雲   ほそぼそめぐる風のみち
苔蒸す塔のかなたにて 大野青々みぞれしぬ
(五輪峠」(文語詩稿 五十篇)
 
など、この詩の語句に類似したものが見られます。発想時になぜ五輪峠の風景が浮かんだかは更に詳考が必要ですが、屈折した心の中に浮かんだ過去の、心象風景であると言えます。
 まもなく、風は〈すきとほってくら〉くなり、〈川千鳥〉や〈ぼとしぎ〉も風を切って登場します。〈ぼとしぎ〉はオオジシギの方言、〈川千鳥〉は「川辺にいる千鳥」で冬の季語にもなっていて、普通にこの季節にいるイカルチドリでしょうか。
〈いちばんいゝ透明な青い絵具〉は〈すきとほっ〉た風の暗喩と思います。それを貰うのは川千鳥なのでしょうか。風は冷たく、〈水晶の笛とガラスの笛との音色の差異〉に思いを巡らすほど透明です。
 我に返れば、町では犬の鳴き声、松の並木のあいだの大きな空間です。そして風は〈こんどはアイアンビック〉に変わって、弱く強く吹き付けます。
 アイアンビック(iambic)は、英語の弱強格で、弱い発音から始めて、強い発音に移り繰り返し、行末は同じ母音で韻を踏みます。シェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の名高いバルコニーのシーンや、ともに夜を明かしたときのシーンなどに用いられ、二人の言葉の交わしあいは、詩的なリズム感にあふれます。作者は、弱く強く、吹いてくる風に、この言葉を使うことによって、この夜に、特異なエキゾチックなものを感じたのかもしれません。アルファベット表記にしなかったのは、この言葉は常用されるものとして作者の中にはあったのでしょうか。
 この作品を、「春と修羅第三集」編集の意図を持って推敲したものが、一〇〇五〔鈍い月あかりの雪の上に〕一九二七、三、一五、(「春と修羅第三集」)です。ここでも最終行は、〈風がいまつめたいアイアンビックにかはる〉です。
また、この詩との関連は言及されていませんが、〔鉛いろした月光の中に〕(口語詩稿)には、同様の風景の中に、貧しい母親と、河原に捨てられた嬰児の話が描かれ、〈あわたゞしく鳴く犬の声と/ふたゝび冷たい跛調にかはり/松をざあざあ云はせる風と〉があります。
 〈跛調〉は、相良守峯が、1935年10月刊『世界文芸大辞典』(中央公論社)で、アイアンビックを〈跛行的〉と同義と捉えていること、また作者の「雑メモ16」に書かれている、山本茂『韻文講話』にも〈アイアンバス、トロキーなどは……足の踏み方のその調子を採ったものである〉という記述があります(注)。吹き始めに弱かった風が一瞬強くなり、またその強弱を繰り返す風、作者はこの二つの言葉で捉えていました。
  「風の又三郎」の挿入歌の擬音語〈どっどど どどうど どどうど どどう〉や、実際に作者が教え子に聞かせた〈どっ、どどどどう、どどどう、どどどどう〉も、風の中に、この弱強格を捉えています。これは「風の息」(瞬間風速の最大値と吹き始めの値との差が大きいことを示すもので、花巻地方に吹く風は、他の地方に比べその割合が多いといいます(注2)。 
 
 この詩の推移について整理してみます。まず「一〇〇五 〔暗い月あかりの雪のなかに〕 一九二七、三、一五が「詩ノート」に記され、1931年頃、「春と修羅第三集」の編集を試みた作者が、手を加えたものが、次の一〇〇五 〔鈍い月あかりの雪の上に〕 一九二七、三、一五、(「春と修羅第三集」)です。
  
鈍い月あかりの雪の上に
松並の影がひろがってゐる
ひるなら碧く
いまも螺鈿のモザイク風した影である
こんな巨きな松の枝さへ落ちてゐる
このごろのあの雨雪で折れたのだ
そこはたしかに畑の雪が溶けてゐる
玉葱と ペントステモン
なにかふしぎなからくさ模様が
苗床いちめんついてゐる
川が鼠いろのそらと同じで
音なく南へ滑って行けば
あゝ その東は縮れた風や五輪峠や
泣きだしたいやうな甘ったるい雲だ
  松は昆布とアルコール
  まだらな草地はねむさを噴く
早池峰はもやの向ふにねむり
ずうっとみなかみの
すきとほって暗い風のなかを
川千鳥が啼いて溯ってゐる
町の偏光の方では犬の声
風がいまつめたいアイアンビックにかはる
 
 「春と修羅第三集」編集に当たっての、作者の意図は、詩法メモ8(東北砕石工場花巻出張所用箋裏)によると〈第三詩集 手法の革命を要す/殊に擬集化 強く 鋭く/行をあけ〉、〈「感想手記 叫び/心象スケッチに非ず/排すべきもの比喩」〉に覗うことができます。その結果、「一〇〇五 〔暗い月あかりの雪のなかに〕から消えた部分は、
 
あすこら辺だけあんなに早く溶けるとすれば
もう彼岸にも畑の土をまかないでいゝ
やっぱり砂地で早いのだ
毎年斯うなら毎年こゝを苗床と
球根類の場所にしやう
玉葱とぺントステモン行って見やう
あゝちゃうどあの十六のころの
岩手山の麓の野原の風のきもちだ
雪菜は枯れたがもう大丈夫生きてゐる
 
ヒアシンスを埋めた畦が割れてゐる
やっぱり底は暖いので
廐肥が減って落ち込んだのだ
ヒアシンスの根はけれども太いし短いから
折れたり切れたりしてないだらう
 
など、現実の記述と心情です。また、
 
「いちばんいゝ透明な青い絵具をもう呉れてしまはう」
 
「水晶の笛とガラスの笛との音色の差異について」
 
という比喩が消え、  
 
ぼとしぎの風を切る音もする
 
という目に見えないものは消されています。   
 また、関連は認められていない〔鉛いろした月光のなかに〕(「口語詩稿」)があります。
 「口語詩稿」は作品番号や制作年月日が記されない口語詩のうち、「春と修羅第二集」、「春と修羅第三集〉作品の発展形でない作品で、専用詩稿用紙に記された54篇を新校本全集編集時にまとめたものです。発想時期はほとんどが大正15年4月から、昭和3年7月まで、羅須地人協会時代のもので、「詩ノート」時代とほぼ一致しています。
 
みどりの巨きな犀ともまがふ
こんな巨きな松の枝が
そこにもここにも落ちてゐるのは
このごろのみぞれのために
上の大きな梢から
どしゃどしゃ欠いて落されたのだ
その松なみの巨きな影と
草地を覆ふ月しろの網
あすこの凍った河原の上へ
はだかのまゝの赤児が捨ててあったので
この崖上の部落から
嫌疑で連れて行かれたり
みんなで陳情したりした
それもはるか昔のやう
それからちゃうど一月たって
凍った二月の末の晩
誰か女が烈しく泣いて
何か名前を呼びながら
あの崖下を川へ走って行ったのだった
赤児にひかれたその母が
川へ走って行くのだらうと
はね起きて戸をあけたとき
誰か男が追ひついて
なだめて帰るけはひがした
女はしゃくりあげながら
凍った桑の畑のなかを
こっちへ帰って来るやうすから
あとはけはいも聞えなかった
それさへもっと昔のやうだ
いまもう雪はいちめん消えて
川水はそらと同じ鼠いろに
音なく南へ滑って行けば
その東では五輪峠のちゞれた風や
泣きだしさうな甘ったるい雲が
ヘりはぼんやりちゞれてかゝる
そのこっちでは暗い川面を
千鳥が啼いて溯ってゐる
何べん生れて
何べん凍えて死んだよと
鳥が歌ってゐるやうだ
川かみは蝋のやうなまっ白なもやで
山山のかたちも見えず
ぼんやり赤い町の火照りの下から
あわたゞしく鳴く犬の声と
ふたゝびつめたい跛調にかはり
松をざあざあ云はせる風と
 
 嬰児の死体遺棄事件を主な内容としています。冒頭の松の木の描写と、川の風景、〈五輪峠とちゞれた風〉、遠望する町、〈跛調〉の風はおなじですが、嬰児の死体遺棄事件を反映して、
 
千鳥が啼いて溯ってゐる
何べん生れて
何べん凍えて死んだよと
鳥が歌ってゐるやうだ
川かみは蝋のやうなまっ白なもやで
山山のかたちも見えず
 
と千鳥の声に、繰り返されてきた間引きの歴史と、遺棄された嬰児の悲しみを聞き取り、風景も靄に包まれます。
〈アイアンビック〉という外来語から、〈跛調〉という漢字表記に変わるのも、その流れの中で起こったことだと思います。
 
またこの詩を文語詩化したものが〔月光の鉛の中に〕(「文語詩未定稿」) で
  
月光の鉛のなかに
みどりなる犀は落ち臥し
 
松の影これを覆へり
 
暗い月光の中に落ちた松の枝の風景のみが残されます。
 
 
 関連作品として、嬰児遺棄事件を中心にした「夜」(「補遺詩篇T」)があります。「補遺詩篇T」は新校本全集編集時に、専用に詩稿用紙以外の独立した用紙に書かれた詩篇あるいはその断片のうち新校本全集の他の部分に掲載された作品の逐次形として扱われなかった口語詩25篇を含み、発想年月日も執筆時期も多様なものがあります。
 
 
    ……Donald Caird can lilt and sing,
                   brithly dance the hehland
                             highlandだらうか
誰かゞ泣いて
誰か女がはげしく泣いて
雪、麻、はがね、暗の野原を河原を
川へ、凍った夜中の石へ走って行く、
わたくしははねあがらうか、
あゝ川岸へ棄てられたまゝ死んでゐた
赤児に呼ばれた母が行くのだ
崖の下から追ふ声が
あゝ その声は……
もう聞くな またかんがへるな
    ……Donald Caird can lilt and sing,
もういゝのだ つれてくるのだ 声がすっかりしづまって
まっくろないちめんの石だ
 
 ここには、放浪の鋳掛屋をユーモラスにリズミカルに詠った、イギリスの詩人 Sir Walter Scott(1771〜1832)の長詩「Donald  Caird’s Come Again」を 引用しています。作品の内容がわからなくても、そのリズムや押韻が、暗い事件の思考を遮るような効果が感じられ、作者の新たな試みと、暗さを耐えがたい心情の一端をうかがえます。
 
 一つの詩が、推敲され、また新しい事実を詠う詩の背景となり、その詩が発展していく様は、作者の表現へのとどまることのない追求を感じさせます。
 また、これは、これまでの多くの綿密な論証の積み重ねで初めて理解できることで、作者の表現を理解することの難しさを感じさせます。
 私感では、推敲された最終形が表現者にとってのすべてではないのか、という思いもあり、先駆形を読んで初めて解明できる世界は、詩の生成の面白さはあっても、作品として受容できない気もします
 今回は、まず〔暗い月あかりの雪のなかに〕を読み、最初に描かれた風に包まれた世界を肌で感じ取れました。作者の意図ではありますが、〔鈍い月あかりの雪の上に〕への推敲で、整理され、叙景詩として完成した分、作者の心のありようが見えなくなり、生き生きした風景を感じられなくなり、巧みな比喩がなくなって、詩の感動が薄れていく気がします。また〈玉葱と ペントステモン〉は唐突で、状況を読み取るのが不可能です。
 しかし作者が到達したい表現が最終形である以上、一つの別な作品として受け入れ、理解しなければなりません。これからの課題です。
 
 
注1
杉原正子「宮沢賢治とウオルター・スコット―比較詩学へのノート」(『比較文学・文化論集第一四号』 東京大学比較文学・文化研究会1997,5)
注2
麦田穣「風の証言―童話「風の又三郎」のオノマトペ」
(『火山弾第四二号』 火山弾の会1997,5)
 
 参考文献
小林俊子『宮沢賢治 風を織る言葉』(勉誠出版 2003)
渡部芳紀編『宮沢賢治大事典』(勉誠出版 2007)
 
テキストは『新校本宮沢賢治全集』に拠った。