雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2013/07/27 22:22:00|その他
夏の夜の民話語りの会  〜箏の調べにのせて〜  
栃木語り部の会による≪夏の夜の民話語りの会≫が27日夜18:00〜20:00迄嘉右衛門町の旧柳田肥料店奥座敷で、要予約先着50名様限定で開かれました。日中は予報に反し晴れ間が覗いてましたが夜迄持ってくれるかどうか?心配しながら、駐車場確保に配慮し30分前に出かけました。やはり残念ながら夜の天気は予報通り雨になってしまいました。
民話語りを聞くのは去年9月30日に朗読コンサート 〜語り人稗田遼子が語る大平民話〜 大平図書館以来で二度目でした。
語り部の話に耳を傾け、その話し方、声の抑揚、顔付目付き、背景を想像しながら聞き入るのは、読んだり見たりの普段の情報収集と違い、声と肌で感じる風情があり面白いものだと再認識しました。 ロケーションも非常によかった。古い民家の奥座敷に薄暗い電灯の明かりと、生憎と思った雨が静寂を突き破り物憂げな寂しさと哀愁を醸し出し、衣装もお箏の奏者や語り部ばかりでなく聴衆も和服で来ている女性が多く、日常を乖離した何かが起こりそうな雰囲気を予見させる。

今回、4つの演題『信太狐』『おいてけ堀・歌う骸骨』『根無し藤・蜘蛛化け』『栃木の怪談・小泉八雲の因果話』の話があり、時間の経つのも忘れて聞き入りました。
『信太狐』はシノダのダキツネと読み、大阪阿倍野と泉州の狐のお話。語り部の川元さんが一生懸命に話す姿が、素人染みた言葉の詰まりやミスも埋め合わせて新鮮に跳ね返ってきました。
『おいてけ堀』と『歌う骸骨』は語り部志鳥さんの表情と語り口が聞く側を引き付ける魅力があり、思わず感情移入させられそうになりました。話の最後の「おしまい!」の言葉には、もう一つ聞かせてよと思わず叫びたくなりました。
『根無し藤』と『蜘蛛化け』は唯一の男性語り部で、大平町からの友情出演であり、特に『根無し藤』は山田の大中寺に由来する、雨月物語に出てくる紫頭巾の話で、七不思議にも例えられるお話で興味深く聞けました。『蜘蛛化け』も『根無し藤』もどちらもお坊さんの話で、とてもそのお年には見えない語り部の町田さん曰く、「話し手も八十を過ぎるとお坊さんの話が多くなるんですよね」は真面目なお顔に似合わず多面的に印象深かった。
トリを務めた語り部間中さんの『栃木の怪談』と『小泉八雲の因果話』では『栃木の怪談』の登場人物の役になり切った語り口が怪談話に釣込まされ、引き込まれ、傍にあった扇風機の風が急にヒンヤリと感じる位迫力を感じました。『小泉八雲の因果話』は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が下野に来た時の話で、耳なし芳一を髣髴させる話に一層興味がそそられました。
後ろでBGMを担当してくださった下野市から応援に参加した箏演奏のアンサンブル翠(みどり)の4人の奏者は皆名取の腕の持ち主で、開演の前と後に奏でてくれた邦楽アンサンブルは見事なハーモニーを醸してくれました。語り部の話を盛り立て、話のの中に溶け込んだ箏の効果音と擬音が、語りの進行を盛り挙げてくれ、その絶妙な間合いは、かなりの事前練習を繰り返したのではと、日頃ギターの合奏練習で四苦八苦している我が身には、強く連想されました。聴取者の出足を挫くと思われた今夜の雨でさえ、雨音(正確に言えば雨垂れ)までも効果音に替え、語りの音響効果を醸したかのようでした。
こんなお話は、子供達にも小学校の課外授業で取り入れてくれたらいいのにと思っていたら、休憩時の町田さんとの話では大平の西小学校にて公演されたりしていると伺い安心しました。
実に楽しい2時間を創造して頂きありがとうございました。いろんな方々の後援もあったみたいで街造りに、市民創りに大いに貢献するものだと思いました。
こんな素晴らしい文化の香りを若い人も交えて、もっともっと多くの栃木市民に伝えてあげられたらいいのにネ・・・  お願いしますよ。。。!







2013/07/25 9:09:09|太陽の陽子と和さん
センスのいい団扇の絵手紙
一昨日、太陽の陽子さんから品のいい片流れの団扇に白百合が描かれた絵手紙が届いた。
この扇子のような団扇の裏側には住所と名前と暑中見舞いの挨拶が記してある。
いつもながら大胆な構図で繊細な植物画と筆文字が力強く躍動する。
今年の夏はパソコンと睨めっこしながらこの団扇をふんだんに使わせて頂く事にしよう!

追伸で東京のお友達が9月1,2,3日の八尾の風の盆に行きたがっているので調べて欲しいとの事。
お安い御用と引き受けてはみたものの、人口2万足らずの八尾の小さな町に25〜30万人の観光客が押し寄せるのだから、交通手段も含め入念な検証が必要になろう。
宿は取れないし、車は町中には乗入れ出来ず近くの最寄駅から電車で行くしかなかろう。
結論は出せないが9月2日(月)昼頃栃木を出、夕方八尾の先の駅から電車で八尾に入り深夜まで踊りを見、タクシーで駅に戻り、深夜便の帰郷。又は2年前に利用した栃木交通のバスツアー利用。
独特の男踊り女踊りは味わい深いので出来ることならまた是非行きたいものだ。

今日はお墓参り以外に予定がないので、きっちりと調べてみるとするか・・・








2013/07/24 13:13:13|法事と月命日
日留賀岳登山が中止の挙句・・・
         作業前                   作業後

先週は曇りの天気予報だったので、今日は日留賀岳登山を予定していたのだが、昨夜相棒から中止にしようと連絡が入った。雨の登山の体験も必要かと敢えて天気が崩れるのを承知で計画したが、相棒もまだ傷の後遺症が癒えてないし、無理することもあるまいと昨夜中止を決めた。29日の黒岩山の予定を日留賀岳に替えて黒岩山は来月回しになりそうだ。

今朝は9時過ぎ迄雨は落ちてこなかったが、今にも降りそうな空模様。“お墓の満天星躑躅がボサボサだね”と母に言うと“直ぐ行って刈ってきな!”“でも雨が降るよ”“今は降ってないよ”
母に云われるまでもなく、どうせ本降りにはならないだろうと高を括って、刈込鋏をもって9時半に川連の共同墓地に向かった。ウインドガラスに雨跡が滴れるがワイパーを使用する程でもなかった。
どんよりとした天気で畑に囲まれた墓地は人一人いなかった。新聞紙を満天星躑躅の下に敷き刈込を始めた。去年大胆に刈込んだ関口の墓の前の満天星は、こじんまりと葉を伸ばしていた。福田の墓の方はかなりボサボサなので今回は殆ど葉を残さないまでに刈込んでいった。
切込んだ枝葉はゴミ袋5袋分に及ぶ。1時間程で少し雨足が強くなってきた。今日は雨の中、山に行く積りだったので、濡れる事は厭わない。我慢して作業を続けTシャツが汗と雨でびしょ濡れ。
30分も経たない内に、本降りになってきた。切り落とした枝葉を大まかに集めて、細かいゴミはそのままにしてお墓を離れることにした。明日は25日の月命日、お花とお線香を供えに又来る積りなので残りはその時に掃除する。だいぶ体が濡れていた。家に帰って風呂を沸かし、濡れた着物を全部取り替え一風呂浴びた。やはり山に行かなくて正解だったかもしれない。







2013/07/21 21:21:00|モンブランと稲門会
稲門会の霧ヶ峰ハイキング     7月21日
     満開のニッコウキスゲ            八ヶ岳の肩に薄っらと浮かぶ富士山

栃木稲門会山歩きの会の歴史の重みにびっくり。1972年7月の鬼怒沼湿原に始まり2011年11月の妙義山まで実に54回を数え、年に1〜2度のペースで開催。2006年9月には50回記念の祝賀会が開かれ、設立発起人の一人長老の海老沢先輩に感謝の花束贈呈が行われるなど、堅実な運営が営まれてきた。
そんな山歩きの会の継続を図る為、今回の山歩きの候補地を挙げて欲しいと連絡があり、気軽に美ヶ原王ヶ塔と霧ヶ峰車山を推薦しました。どちらも深田久弥の日本百名山の山であり、距離的にみてもバス移動で小一時間だし、しかも登山の高低差が極めて少なく、車山に至ってはリフトを使って簡単に登れる山だからでした。しかしこれでは登山に相応しい山とは言えず、せめて3〜4時間の山登りを入れるよう要請があり、車山1本に絞り込みました。
ビーナスラインの車山肩駐車場から車山1925m山頂に登り約40分、一旦車山湿原迄降り、30分で蝶々深山1839m15分で物見岩1785mを経由し、約1時間で八島湿原の八島ビジターセンター迄8q強のハイキングコースを選び、7月中旬のニッコウキスゲ最盛期に推しました。(実際はM先輩と山猿A君が企画)

今日がその日です。5時半に栃木市運動公園西駐車場から25人乗りのマイクロバスで出発。参加者は12名。旅行の良し悪しを左右する天気は長野県松本市、立科町どちらも9時から午後3時までは晴れマーク。道路の混雑もなく、栃木から北関東、関越、上信越、中部横断の高速道を乗り継ぎ国道254号142号で白樺湖を通り車山肩まで3時間足らずの8時半前に到着。群馬県では遠景の見通しが良くなかったのに長野県に入ると見通しが良くなり、浅間山、四阿山、北八ヶ岳蓼科山、霧ヶ峰が近づくと南アルプスの仙丈ヶ岳、甲斐駒、鳳凰三山の左に八ヶ岳の阿弥陀岳、赤岳、横岳、その肩に富士山が浮かんでいました。右に転ずると中央アルプスの木曽駒、その右奥に御岳山と日本の屋根が次々に車中から姿を見せてくれました。
車山登山に取りかかると乗鞍岳、霞沢岳の右に残雪の穂高の山々も見えてきました。大キレットの右に南岳、中岳、大喰岳、槍ヶ岳、常念岳と続きますが槍の穂だけは雲に隠れて最後まで見えませんでした。水晶岳や鹿島槍ヶ岳、五竜岳、黒姫妙高の山々など百名山が引く手数多でした。

遠景ばかりでなく高山植物も見事でした。ニッコウキスゲは柵で囲まれた箇所は見事に真黄色に染まっていましたが、2年前は登山道にもちらほら見えたのに、すっかり見えなくなってました。鹿の食害の所為でしょう。でもハクサンフウロ、アカバナシモツケ、ナデシコ、コバイケイソウ、シシウド、ウスユキソウ、カラマツソウ、イブキトラノオなどが散策道に散らばっていました。

  物見岩にて 恐るべし老人パワー!  
あえて名は差し控えますが、実に元気です…ね


11時過ぎに物見岩山頂で昼食をとり、午後1時前にバスの待っている八島Pに到着。
歩いても疲れない楽しい山旅でした。万歩計は16,742歩。







2013/07/04 18:25:02|にっぽん百名山
好事魔多し・・・下山後、とちの木病院直行
6月30日から車中一泊と山小屋2泊の北岳間の岳縦走の山旅は、天気には充分に恵まれたとは言えませんでしたが、素晴らしい経験の連続でした。
芦安駐車場は、去年7月31日から8月1日にかけて甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳に登った時以来、キタダケソウも盛りを過ぎたせいか駐車の車もそう多くはありませんでした。
登山初日は贅沢にも午後1時に北岳肩の小屋に小屋泊まり。佐藤さんという我々と同世代の単独登山者から色々な話が聞け有意義でした。彼は既に百名山は3年前に制覇し、今回の登山は完全に花目当て。この時季この山は、老若男女を問わず単独行の登山者が多いのには驚きました。テント客は少なかったが連泊の方も含め小屋には40人程泊り客がいました。
二日目は4時半に陽が昇り、5時朝食後6時出発。富士山や甲斐駒、仙丈、八ヶ岳連峰が雲の上に見えましたが、北アルプスの山々は姿を隠していました。ブロッケン現象が槍ヶ岳以来の御目見え。雲の中に七色の小円の中に手を振る自分の姿が写し出されました。
お目当ての北岳は小屋から標高差190mを約30分で登頂。間の岳がまったりとした雄大な姿で横たわっていました。其の先に西農鳥岳と農鳥岳、右手には塩見岳が聳えています。
急な岩場を北岳山荘に下る途中、八本歯の頭との分岐に出ました。ここを途中まで下り右に折れるトラバースの道の行止りの先(現在進入禁止)にキタダケソウの大群落がありました。花も然ることながら葉っぱに特徴があり北岳だけに自生する固有種です。もともと花にはあまり興味はないが、この山のお花畑は、こんな私をも充分に堪能させてくれる程、花だらけの山でした。キタダケソウはさて置き、チョウノスケソウ、オヤマノエンドウ、ハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、キバナシャクナゲ、ハクサンシャクナゲ、イワベンケイなど3000mの高山を埋め尽くしてしまいます。
実は今回、同行した相棒のスーさんの他にも、頼りになる力強い見方がありました。小山の一匹狼さんから手書きのコースルート案内図を戴きました。A3まで拡大して渡されたそのコース図には、道中のピークや山小屋の標高や細々とした説明が記してあり、花の観場所、ハシゴや岩場、雪渓や急登箇所などが細かく並べ立ててあり大変助かりました。
北岳山荘にザックをデポし、間の岳に登り、お目当ての北岳の雄姿はガスで顧みられませんでしたが、8時間の山歩きは南アルプスを十二分に堪能出来ました。
三日目は朝目を覚ますと、窓辺からヒューヒュービュービューと凄い風の音。6時に小屋を出ようとすると、先に小屋を出た登山者が“天気を舐めてたよ”と呟きながら戻ってきて、防水具を纏い直してました。我々もザックカバーとウインドブレ―カー、オーバーズボンを身につけ風速10mを越える霧雨混じりの悪条件の中登山開始。
6:20に北岳山荘を出て8:00北岳肩の小屋着。このペースだと12時前に広河原に帰れそう。小太郎分岐、二股分岐、草すべりの雪渓を越え白根御池小屋に9時半着。何も見えず花も無視した下山はかなり順調だった。特に相棒の足のスピードにはかなり余裕があった。

左右の沢からせせらぎの音が聞こえる尾根道で、10m先に下っていた相棒が、突然前のめりになって一回転した。スリップした瞬間の“アッー!”という悲鳴とすぐ後に“ウッー!”と呻き声が聞こえた。20p位の平たい石の上でスリップし、1m位の段差のある下の石の上に背中から転げ落ち、膝と肘を打付けたようだ。背中は幸いにもリュックがクッション代わりになってなんともなかったようだが、膝と肘は防ぎようがなかった。特に肘はしこたま打付けたようだった。それでも、自力で少しずつ足を動かし、岩を避けた地面に体を移動するがそのまま暫くは蹲ったままだった。
私は為す術がなく、ただ茫然と立ち竦むだけだった。暫くして膝を引き寄せながら、“膝は痛みが弱くなって何とか歩けそうだけど、肘は血が滲んでいて痺れてる! もう少し休ませてくれ!”と顔面蒼白、悲惨な姿で呟く。骨折か骨に皹が入ったかのどっちだろうかと心配する。20分近く休んでいると、足は大丈夫だし、リュックを担げれば何とかなると立ち上がった。肘は少し動かすだけで激痛が走るみたいだ。指先は何とか動く。右腕を庇い何とかリュックを背負いゆっくりと下山を続けた。少し霧がはれてきた登山道を下りながら、途切れた会話の中で“広河原山荘かインフォーメーションセンターで応急処置か指示を仰ごう”そんな言葉しか出てこなかった。
12時10分前に山荘に駆け込むと、ここでは何もできないからとインフォーメーションセンターを指示された。バスターミナル二階のセンターには若い髭の男性がいて、状況を納得するとその時点でだいぶ腫れ上がってきた肘の応急湿布を施し、電話で救急センターを通して麓の病院に掛け合ってくれた。南アルプス市と韮崎市の二つの病院を紹介してくれ、12時のバスが出たばかりなので次は2時のバスだがどうしましょうと問うてきた。一刻も早く肘の状態を診察してもらいたい相棒に代わり、タクシーを使ってでも早く芦安の駐車場まで戻りたい意向を示すと、そこに居合わせた薬師小屋の若主人が私の車で芦安まで送ってあげると手を差し伸べてくれました。
ありがたい言葉に甘えて、12時30分、ジムニーに乗せてもらい芦安に下る。途中で携帯の電波が通じた処で病院に電話すると、午後の診察は3時からだという。もう一つの病院は午後早く閉まるとのことで、咄嗟にこの時間なら栃木に帰って地元の病院に向かうことを考えた。相棒に無断でとちの木病院に連絡すると午後の外来は4時から5時半までだとの返事。傷の具合を伺いながら“どっちみち麓の病院をナビで調べてウロウロ探すよりも、ほんの1時間も我慢すれば栃木の地元で診察してもらえるよ”と質すと本人も納得してくれた。小屋の若主人に拒否されながらもバス代替わりのお礼を渡し、1時30分過ぎに中部横断道の白根ICから帰路に就く。途中関越の高坂SAですっかり忘れていた昼食をとりに寄った。時計は3時を回っていた。
栃木インターを降りるとその足でとちの木病院に直行。5時を少し回っていたが整形外科の受付を済ますとすぐに診てもらえた。担当医は高尾医師、栃高の一級後輩、スポーツ整形の権威で相棒の知っている人だった。院長の松岡先生も二つ後輩だし、何かと縁あり。レントゲンを撮った後、しばらく診察室に立て篭もっていた相棒の、出てきた顔は照れ笑を殺したような、うれしそうな顔だった。“骨折はなく、打撲で今晩は少し痛むだろうが、直ぐによくなる”と告げられたそうだ。ギブスで固定された右腕を三角巾で吊るした格好で慢心の笑み。
“迷惑かけたお詫びに今日の旅費は全部俺が持つよ!” よく言うよ、年金生活者のくせして!  傷が思いの外軽くてホッとしてそう言わせた言葉でしょうが、診断の結果がそれ程嬉しかったのでしょう!

天気にやや恵まれず、山小屋滞在が長く、強風と雨に祟られ、外傷事故を経験した、貴重な3っ日間の山旅でした。
ちなみに三日目の万歩計は25,312歩でした。







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