いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2008/09/14 8:41:03|聖書
パン と 杯 U
イエスは、パンと杯、即ちパンとぶどうの実で造った物を比喩して、“私のからだ”、“私の血”と言いながら弟子達に与えた。
イエスは、弟子達に何かを与えようとなされているのだが、それは、どういう事だろうか。
ルカによる福音書22章です。お手元の聖書で、確認しながらお読みください。

(それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。 「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」 )19節

(食事の後、杯も同じようにして言われた。 「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」 )20節



(私の思索)
イエスの意図は、弟子達にも分からなかったようです。聖書を読み進めていくと、弟子達も分からなかった様子が書かれています。

さて、ルカが私たちに伝えたかった事は何だろう。
翻訳の問題による誤解を少しでも回避するため、手元にあるもので比較をして置こう。
<新改訳>
これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。
この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
<口語訳>
これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい
この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
<新共同訳>
これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。
この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。
<比較結果>
翻訳の問題を発見できるほどの差は、感じられない。

神の御計画を理解するための重要な環境条件は何か。
@ イエスが望んでいた過越しの食事の中で、言われた言葉という事を忘れてはならない。
A この後、イエスは十字架に向かい、殺され、葬られ、三日目によみがえり、弟子達に現れたのち天に帰られるという聖書の記述が続く。十字架の苦しみと、“死”に向かうのである。
B この部分だけではなないのだが、イエスの言葉を理解するには、時刻、日付、年などの概念が一様ではない事を忘れてはならない。一日は千年の様であり、千年は一日の様なのだ。
だから、文章の前後関係をどこまで考慮するのか、注意する必要があろう。

さて、過越しの祭りの中で“私のからだ”、“私の血”と言いながら弟子達に与えると言われたのは、肉と血である。過越しの子羊の肉と血は、すぐに連想されるはずなのだが、弟子達には理解できない。
たぶん、イエスのからだが傷つけられ、血を流し、いのちを失う事など想像も出来ないのだ。
福音書が書かれたのは、イエスが死に、葬られ、三日目によみがえって弟子たちの前に現れ、天に帰られ、過越しの50日目に、聖霊(神の霊)が弟子達に激しくくだり、弟子達が伝道活動をするようになってからだ。
即ち、弟子達は、前述の事柄を目撃した後で、聖霊の助けを得て、ようやく神の御計画を感じ取ったのです。

神の計画とは何か。
「あなたがたのために与える、わたしのからだです。」 という言葉に含まれている意味だろう。
イエスのからだ、即ち、人の心の苦楽を理解し、神の意図を理解できるような霊を宿すからだを、信じる一人一人に与えると言われたのだろう。

15節で、イエスが 「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」 と言っておられるのは、そのために赦しの計画、即ち 「わたしの血による新しい契約」 を過越し祭りの第一日目に、宣言したいと望んでおられたのだと、私は思いたい。

イエスは、人間としてのからだを離れ、本来の霊のからだとしての働きに戻られる事を、意識し始めておられたのではないだろうか。
その後にも、神の御計画をイエスが実践されたように、この世の中で実践していく身体が必要だ。
だから、それをあなたがたに与えると言われたのだと考える事が出来ます。
(他の受け止め方もあると思いますが・・・・・)

しかし、問題が残ります。その個人(弟子達を初め私や貴方)に実践する力が有るのかという問題です。

一つの対処策が、次の事です。

「わたしを覚えてこれを行ないなさい。」 とは、 「記念するため」 という訳語にも現れているように、イエスの身体が十字架の上で死んだこと、それも私たちに与えて下さるために死んだ事を、覚える・(記念する)・思い出すために、あの儀式を繰り返して実行しながら、福音の奥深さを味わいなさいと言われた。
私は、自分でも驚くほど忘れ易く、事々の関連性など理解出来ない事を、イエスは先刻御存知であるということだ。


(私の脳裏をかすめる言葉)
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 ヨハネ15章13節


(私の感想)
部分と全体の関連を把握することが、これほど困難な作業になるとは、予想できなかった。







2008/09/09 11:25:07|聖書
パン と 杯 T
過越しの食事が、ある程度進んでからでしょうか、イエスは、ぶどうの実で造った飲み物とパンの話を始めます。
ルカによる福音書22章です。お手元の聖書で、確認しながらお読みください。


(そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。 「これを取って、互いに分けて飲みなさい。」 )17節

(あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」 )18節

(それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。 「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」 )19節

(食事の後、杯も同じようにして言われた。 「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」 )20節



(私の思索)
17節、杯がどんな形をしており、どの程度の大きさなのか知らない。
イエスは、 「ぶどうの実で造った飲み物」 が入れられた杯を、手に持って感謝をささげてから、 「互いに分けて飲みなさい。」 と弟子達に渡しました。
20節でもう一度、 「この杯」 と言って、杯が取り上げられるのは、別の杯ではなく弟子達を一巡し、イエスのところに戻っていた杯であろう。


18節、 「神の国が来る時までは、・・・・・・飲むことはありません」 とは、16節の 「過越しが神の国において成就するまでは」 と、ほぼ同じ意味と受け取れる。イエスは、現代に至っても飲んでいないでしょう。

19節から、難しさがピークに達します。
この難しい部分こそ、聖書記者のルカが、読む者に伝えたい大切な部分に違いないが、どのように受け止めるべきなのか。
先ず、可視的な部分から入ろう。

種なしパンの起源は、出エジプト記12章に書かれてあるので、読んでいただければ幸いです。
ここでは、種なしパンにかかわる部分だけを、引用させていただこう。(以下、出エジプト記12章)

(エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。)33節
(それで民は練り粉をまだパン種を入れないままで取り、こね鉢を着物に包み、肩にかついだ。)34節
・・・・・略・・・・35〜38節
(彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種の入れてないパン菓子を作った。
それには、パン種がはいっていなかった。
というのは、彼らは、エジプトを追い出され、ぐずぐずしてはおられず、また食料の準備もできなかったからである。)39節

あえて要約すると、時間不足でまともな調理が出来なかったのだ。

予備知識なしで勝手に想像すると、煎餅より少し大きめで、曲げても割れず、焼色が部分的に付いているが、全体として白っぽい色調の食べ物だったろう。

現代の種なしパンの外観画像が、以下のページで見られます。調理法を工夫し、表面に液状調味料を塗布して、十分時間を使って焼いた物を、イスラエルの街頭で販売している様です。
http://www.makuya.or.jp/hikari/skikou/matzah.htm
また、一部の教会内で用いられている 「ホスチア」 と呼ばれている物の外観画像が、以下のページで見る事が出来ます。それぞれ参考まで。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/Hostia_i_komunikanty.JPG

ルカ22章に戻りましょう。
19節でルカが、イエスの行為を想い起しながら、受け取った事は何だろうか。
1つの、同じパンが弟子たち全員に渡ったという点が重要か。
種なしパンであった事の意味はどうか。
手に持って感謝をささげた事、裂いた事などに深い意味を見出すべきなのか。

例えば、イエスが 「これは・・・・私のからだです」 と言っている事と合わせて、以下のように考えるという事だ。
Tコリント12章16節に  「たとい、耳が、 『私は目ではないから、からだに属さない。』 と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。」 という文章があります。
信徒同士で意見が合わなかった時、イエスの心を思い起こして、協力しあうように、パウロが指導している部分です。
1つの同じパンが、弟子たち全員に渡ったという点が重要だと論じる根拠になるからです。
しかし、実はイエスの生涯の、一挙手一投足が、イエスを信頼する者にとって参考になると思うのです。

だから、19節で見落としてならない事は、イエスが語った言葉です。
当たり前だろうとおっしゃいますか。その通り当たり前です。
「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
この言葉は、イエスが過越しの食事を弟子達と一緒にしたかった、理由の重大な1つでしょう。

文字通り理解しようとするなら、困惑するだけの内容です。
謎解きのキーワードは、後半の言葉ですが、信仰の先輩達がこの謎を解きました。
「これを行ないなさい」 の意味を、目の前でイエスが行なったように、1つのパンを裂いて全員で食べる事であると理解し、あの儀式としたのです。
それで、聖体祭儀・聖体礼儀・聖餐式などと呼ばれている儀式を行なうようになったのでしょう。
20節のポイントは、血のように赤いぶどう液だと思います。可視的推移は、皆さんが想像してください。

可視的な事は、この程度で終わりにしよう。
信仰の実質に影響する内容は、その個人の信仰経験から差異が生じるような感じを受けているので、じっくり考えて見たい。


(私の脳裏をかすめる言葉)
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。       ルカ11章9節


(私の感想)
2000年の歴史の中で、どれほど多くの方々がこの部分と格闘してきたのだろう。
無学な者が、このテーマと取り組もうとする事に、無理があるのかもしれないと思ったりする。
しかし、 「捜しなさいと」 言われる方は、私に必要なマナを日々与えて下さいます。このテーマは、私がこの世を去る直前まで取り組む価値がありそうだからです。







2008/09/03 14:14:33|聖書
「盛大な宴会」 が成就するまで
一歳のかわいい子羊は、過越しを記念する祝のために、殺され、焼かれ、種なしパンと苦菜と共に、二階の大広間の食卓に、並べられた。あたりが暗くなり始めて、晩餐が始まる。
ルカによる福音書22章です。お手元の聖書で、確認しながらお読みください。


(さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。)14節
(イエスは「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」と言われた。) 15〜16節

(そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、「これを取って、互いに分けて飲みなさい。
あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」と言われた。)17〜18節)



(私の思索)
14節、 「時間になって、」 とは、文脈から食事を始める時刻になってという意味であろう。
但し、レビ記や民数記を読まれた方はすでにお気づきのように、時刻が定まっている訳ではない。
私個人では、「暗くなってきた頃」程度に受け止めているが、日没以後の常識的な時刻になって、食卓に着いたのであろう。いよいよ最後の晩餐が始まる。

15節、イエスが話を始めるが、その話が何を意味するのか分かりにくい。
「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」 と言われた。

イエスの望みが、何なのかが気になった。
聖書を大雑把に読んでいくと、人間が、アダムとエバの時代から、神から離れた状態になったので、誰もが神の意思を理解できなくなり、神の裁きをまともに受けるなら、神の判定は全員罪人だ。
それを神は良しとされず、イスラエルを選び、特別に言葉をかけて育て、エジプトの苦役から開放するために、“過越し”という選別方法を提示して、ことばを信じて行なったイスラエルの家族の長子の命を奪わなかった。その後も多くの預言者たちを通して、神の裁きとイスラエルに対する憐れみが示されてきた。

しかし、イスラエルの指導者たちは、神を求めず、知ろうとせず、神に従う事を望まなかった。
それで神は、そのひとり子をこの世に遣わし、先にユダヤ人の血塗られた家を過越したように、神の子羊を、過越しの子羊として・・・・・・・・ ← ← こうしたストーリーが、最近の私の感覚の中にありました。

もし、単純にそうならば、イエスの十字架は、過越しの子羊が殺される、陰暦14日の午後3時頃であったほうが、ユダヤ民族の立場で考えるなら、相互を関連付けて考え易い。
イエスは、それを望まないで、 「苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」 と言う。(陰暦の15日が始まる夕食を弟子達と一緒に食べたい)
私の感覚は、所詮思い込み程度であった。私の聖書読み取りに、甘さがあった。

旧約の律法を少し注意深く読めば、子羊が必要なのは、過越し祭だけではないから、過越し祭りに一致しすぎる必要がないばかりか、一致しすぎると、 「過越しの子羊」 以外の役割が無いのでは?というような誤解を生む事になりかねない。

前述の通りであっても、過越しの祭りの中で、極めて目立つ事件となるイエスの十字架刑は、神が計画した 「過越しの子羊」 であることに変わりはない。
それより、過越しの席上で、イエスが何を語られたかが、重要であろう。
ルカは、何か重大な事を聞き取ったのである。

16節、 「過越しが神の国において成就するまでは」 とは何か。
これを理解するための情報も、手元にない。
只、ルカ14章15節と16節以降の例え話によって表現されている 「盛大な宴会」 が、それらしく感じてくる。(引用しませんので、直接確認してください。)
そして 「盛大な宴会」 に参加できるとは、 「第一の復活にあずかる者」 だと感じている。
これも、思い込みに過ぎないのだろうか。

実現は、少し先の事だろうが、イエスは、貧しい人や、各種の障害者や、見捨てられているような人を含めて、どんな人でも恵みに与らせようとしており、私個人にとっては、この世に於ける残された人生の問題だから、今後も機会を見つけて追及したいテーマである。

「二度と過越しの食事をする事はありません。」とは何か。
少しくどい表現だが、私流の文章にすれば、「今は、過越しの食事を食べているが、今後・・・・・・成就するまでは、過越しの食事を食べません」という意味でしょう。

イエスは、十字架刑で死に、よみがえって弟子たち等に現れ、天に昇られたが、この時期も、そののち今までも、これからも、今後・・・・・・成就するまでは、過越しの食事を食べませんと言ったのだ。

確かに、その通り推移していると思う。
イエスはよみがえられた後、弟子達に現わされたときに、魚を食べられたが、過越しの食事は食べていない。


(私の脳裏をかすめる言葉)
あなたがたはこう答えなさい。 『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』  出エジプト12章27節


(私の感想)
この部分は何度も読んでいたが、何故か読み落としをしていた。
否、自分の思い込みによって、旧約聖書のストーリーを、都合よく歪曲して感じとり、感覚で受け止めていたようだ。
戒めねばならない。







2008/08/30 22:24:41|聖書
過越の食事の用意 U
14節以降の黙想を始めたが、どの様な準備をしたのか、何も書いていない。
それで、もう一度7節に戻って、弟子達の行動を中心に追いかけて見たくなった。
ルカによる福音書22章ですが、ルカは何も書いていないので、旧約聖書に跳んで関連する要点を把握する作業になる。退屈かもしれませんが、お付き合い願いたい。
尚、お手元の聖書で、確認しながらお読みください。


(さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。)7節

(イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。 「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」 )8節

(彼らはイエスに言った。 「どこに準備しましょうか。」 )9節

(イエスは言われた。 「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人が入る家までついて行きなさい。」 )10節

(そして、その家の主人に、 『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。』 と言いなさい。)11節

(すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」)12節

(彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。)13節

(私の思索)
ルカは、過越しの準備内容について、何も書かなかった。
先にも述べたが、ユダヤの人達のとって、年一回の恒例行事であり、分かりきった内容だから、書く必要を感じなかったのであろう。
私は、日本人(ユダヤ人から見れば、異邦人)ですし、これを読んで下さる方もおそらく日本人でしょうから、調べて書く価値はあるでしょう。

7節、小羊のほふられる・・・・・日の規定は、レビ記23章5〜8節にある。
陰暦の1月14日夕暮れに、過越しのいけにえを、主(神)に奉げると規定しているから、おそらく、14日の午後から、用意しておいた羊を殺して焼き、種なしパン(パンを膨らませるイースト菌のようなものを入れないで焼いたパン)も焼くのであろう。
これに、苦菜を添えて食べなければならない様である。
また、日没後 (ユダヤの暦法で15日の始まり) の夕食時に、家族全員で食べ始めるので、日没前後には準備を完了させなければならない。

出エジプト記12章には、羊の血を家の門柱とかもいに塗布する事や、食事の身支度についてまで、詳細に書いてあるが、以降の書類には出てこない。だから、過越し当日だけの命令と理解してよいのだろう。

さて、13節、 「過越の食事の用意をした。」 事の内容は、次の通り。
傷のない一歳の雄羊を過越しのいけにえとして殺し、火で焼いた。
種を入れない粉をこねて火で焼き、パン菓子を作った。
苦菜を調達した。
これらの事を、弟子達が行なったのか、その家の主人に依頼したのかを知る事が出来ないが、これら食物の必要量を判断して、二階の大広間に整えたのであろう。
これらの他にも、18節に出てくる「ぶどうの実で造った飲み物」等、当時の食習慣で準備したか、あるいは、家の主人が、その好意で提供してくれた物も有った可能性があろう。
エルサレムに近い所に、二階に大広間が有る家を所有する主人が、誰であったか興味があるが、ルカが言及しないのは、重要な事と考えないからであろう。


(私の脳裏をかすめる言葉)
『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』   ルカ15章6節

(私の感想)
日本人の大多数の人々は、家畜を殺す経験を持たないであろう。私が幼い頃、飼っている鶏が、年老いて卵を産まなくなると、農繁期を過ぎた時季に殺されて食卓に出た。しかし、子供達は、殺すところを目撃した事がない。

ユダヤの人達の習慣を知り得ないが、羊を飼育する者にとって、一歳の羊は愛らしい盛りであったろう。
“過越しのいけにえ”として、どんな思いをしながら殺したのだろうか。
子供達も、それを見るのだろうか。
馴れてしまうと、何も感じなくなり、残虐さがエスカレートするいじめ問題を思い出してしまったが、子羊のいけにえ準備も、馴れてしまうと簡単な作業なのだろうか。

私は、家畜類の処理業者が、神経症を患ったという報告を聞いた事がない。
私にも、慣れで鈍ってしまった感性があるかもしれない。きっと鈍った感性の塊かも知れない。







2008/08/19 7:17:58|聖書
過越の食事の用意
ユダの裏切りがあって、急速に十字架が近づいてくる。
ルカによる福音書22章です。お手元の聖書で、確認しながらお読みください。


(さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。)7節
(イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。 「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」 )8節
(彼らはイエスに言った。 「どこに準備しましょうか。」 )9節
(イエスは言われた。 「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家までついて行きなさい。」 10節
(そして、その家の主人に、 『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。』 と言いなさい。)11節
(すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」 )12節
(彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。)13節



(私の思索)
(7節)過越の小羊のほふられる日が来た。・・・・・この表現は、日本人の我々にはわかり難いが、ユダヤ民族にとって毎年一回やってくる、 「あゝそうだね」 程度の言葉なのだろう。
その辺りを確認したい。

過越は、モーセの時代まで遡り、出エジプト記12章1節以後に、エジプトに対する神の怒りと、イスラエルの民が神の怒りの対象外(過越)とされるための方法について、神の約束として記されている。
また、種なしパンは、14節以後に記されていて、過越に対する感謝の方法として、事前に命令されている祭りである。
そうして、21節以降に、過越しの出来事としての記事がある。

重要な事がある。それは、 「子羊のほふられる」 という事だ。
過越の中に出てくる 「子羊」 、 「その血」 の取り扱い方に注目する必要がある。
バプテスマのヨハネが、 「見よ、神の子羊」 と言って、イエスを指し示したように、過越の子羊は、神による、人間の救済に関する、遠大な計画の一部になっていると見られるからだ。
これらの記事は、是非、旧約聖書を直接読んでいただきたい。

もう1つ重要なことがある。それは、神が 「代々守るべき永遠のおきてとして、これを祝わなければならない」 と言われた事である。表現の違いは有るが、14,17、24、25の各節に書かれており、こうした命令によって、イスラエル民族は、過越しの儀式とその信仰を、継承してきたのである。

8節でイエスは、 「わたしたちの過越の食事が出来るように、準備をしに行きなさい。」 と言っている。イエスの一行は、伝道旅行をしている立場だから、準備している部屋があるから、“確認して来なさい”程度と感じてしまうが、そうではない。
各々の家族ごとに、家族の者が、自分達にふさわしく準備したのだ。

9節は、弟子の反応だが、日没後に過越しの食事をする当日なのに、その場所さえ知らされていないので質問している。
弟子達は、何もかもイエス先生にまかせて、おんぶに抱っこ状態で過ごしていたようだ。
細かいことまで、イエスの指示を受けて行動したと受け止める事が大切だと受け止めるべきかもしれない。

10〜13節を読んでいると、エルサレムに入城する時、ロバの子を弟子達に連れて来させた記事(19章29〜35節)を思い出す。イエスは、弟子達に、直後に起きることを予告している。弟子達が、不思議に感じながら、記憶にはっきり残ったのだろうと思わせられる部分だ。
日常的風景だが、 「水がめを運んでいる男に会う」 と予告されるのは、不思議な感覚を覚えるだろう。
イエスは、機会ある度にご自身の“不思議”を弟子達に見せて、弟子達の信仰を覚醒し続けておられたのであろう。


(私の脳裏をかすめる言葉)
イエスは言われた。 「行って、あの狐にこう言いなさい。 『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人を直し、三日目に全うされます。』 」  ルカ13章32節


(私の感想)
聖書の記述は、淡々と進んでいる。しかし、イエスは、これから何が起きるのか、絶えず御存知であった。
その苦しみの激しさは、計り知れない。