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2008/09/03 14:14:33|聖書
「盛大な宴会」 が成就するまで
一歳のかわいい子羊は、過越しを記念する祝のために、殺され、焼かれ、種なしパンと苦菜と共に、二階の大広間の食卓に、並べられた。あたりが暗くなり始めて、晩餐が始まる。
ルカによる福音書22章です。お手元の聖書で、確認しながらお読みください。


(さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。)14節
(イエスは「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」と言われた。) 15~16節

(そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、「これを取って、互いに分けて飲みなさい。
あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」と言われた。)17~18節)



(私の思索)
14節、 「時間になって、」 とは、文脈から食事を始める時刻になってという意味であろう。
但し、レビ記や民数記を読まれた方はすでにお気づきのように、時刻が定まっている訳ではない。
私個人では、「暗くなってきた頃」程度に受け止めているが、日没以後の常識的な時刻になって、食卓に着いたのであろう。いよいよ最後の晩餐が始まる。

15節、イエスが話を始めるが、その話が何を意味するのか分かりにくい。
「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」 と言われた。

イエスの望みが、何なのかが気になった。
聖書を大雑把に読んでいくと、人間が、アダムとエバの時代から、神から離れた状態になったので、誰もが神の意思を理解できなくなり、神の裁きをまともに受けるなら、神の判定は全員罪人だ。
それを神は良しとされず、イスラエルを選び、特別に言葉をかけて育て、エジプトの苦役から開放するために、“過越し”という選別方法を提示して、ことばを信じて行なったイスラエルの家族の長子の命を奪わなかった。その後も多くの預言者たちを通して、神の裁きとイスラエルに対する憐れみが示されてきた。

しかし、イスラエルの指導者たちは、神を求めず、知ろうとせず、神に従う事を望まなかった。
それで神は、そのひとり子をこの世に遣わし、先にユダヤ人の血塗られた家を過越したように、神の子羊を、過越しの子羊として・・・・・・・・ ← ← こうしたストーリーが、最近の私の感覚の中にありました。

もし、単純にそうならば、イエスの十字架は、過越しの子羊が殺される、陰暦14日の午後3時頃であったほうが、ユダヤ民族の立場で考えるなら、相互を関連付けて考え易い。
イエスは、それを望まないで、 「苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」 と言う。(陰暦の15日が始まる夕食を弟子達と一緒に食べたい)
私の感覚は、所詮思い込み程度であった。私の聖書読み取りに、甘さがあった。

旧約の律法を少し注意深く読めば、子羊が必要なのは、過越し祭だけではないから、過越し祭りに一致しすぎる必要がないばかりか、一致しすぎると、 「過越しの子羊」 以外の役割が無いのでは?というような誤解を生む事になりかねない。

前述の通りであっても、過越しの祭りの中で、極めて目立つ事件となるイエスの十字架刑は、神が計画した 「過越しの子羊」 であることに変わりはない。
それより、過越しの席上で、イエスが何を語られたかが、重要であろう。
ルカは、何か重大な事を聞き取ったのである。

16節、 「過越しが神の国において成就するまでは」 とは何か。
これを理解するための情報も、手元にない。
只、ルカ14章15節と16節以降の例え話によって表現されている 「盛大な宴会」 が、それらしく感じてくる。(引用しませんので、直接確認してください。)
そして 「盛大な宴会」 に参加できるとは、 「第一の復活にあずかる者」 だと感じている。
これも、思い込みに過ぎないのだろうか。

実現は、少し先の事だろうが、イエスは、貧しい人や、各種の障害者や、見捨てられているような人を含めて、どんな人でも恵みに与らせようとしており、私個人にとっては、この世に於ける残された人生の問題だから、今後も機会を見つけて追及したいテーマである。

「二度と過越しの食事をする事はありません。」とは何か。
少しくどい表現だが、私流の文章にすれば、「今は、過越しの食事を食べているが、今後・・・・・・成就するまでは、過越しの食事を食べません」という意味でしょう。

イエスは、十字架刑で死に、よみがえって弟子たち等に現れ、天に昇られたが、この時期も、そののち今までも、これからも、今後・・・・・・成就するまでは、過越しの食事を食べませんと言ったのだ。

確かに、その通り推移していると思う。
イエスはよみがえられた後、弟子達に現わされたときに、魚を食べられたが、過越しの食事は食べていない。


(私の脳裏をかすめる言葉)
あなたがたはこう答えなさい。 『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』  出エジプト12章27節


(私の感想)
この部分は何度も読んでいたが、何故か読み落としをしていた。
否、自分の思い込みによって、旧約聖書のストーリーを、都合よく歪曲して感じとり、感覚で受け止めていたようだ。
戒めねばならない。





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