三浦喜代子先生のお話から 主要テキスト:創世記46章29節
T.ヨセフと父ヤコブの再会 『ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた』(創世記46章29節) ヨセフは信仰の父アブラハムの孫ヤコブの11番目の息子です。 ヤコブはヨセフを溺愛しました。このことがヨセフに災いをもたらすことになりました。 ヨセフ物語は創世記の後半の大部分を占めており、神様がいかにヨセフを重要な人物として扱い、私たちにどんなにたくさんのことを教えたいかがわかります。 ヨセフは来るべきイエス様を表わしているといわれます。 ヨセフの生涯にイエス様の生涯を重ね合わせることができます。 ヨセフには神様からいただいた特別の能力がありました。 意味深長な夢を見ること、また人の夢の意味を説き明かす超能力がありました。 兄たちは 『あの夢見る者』 とヨセフをあざ笑い、また激しく憎みました。 ある時兄たちの計略でヨセフはエジプトに売られ奴隷にされました。さらに無実の罪で牢に投げ込まれ、あらゆる辛酸をなめ尽くしました。 しかしヨセフには一筋の信仰があり、また神の加護がありました。 時のパロの夢を説き明かしたことから信任を得て、飢餓対策の長として一躍宰相に任官されます。 飢饉の最中に10人の兄たちがヨセフのもとに食料を求めてやってきます。ヨセフの勧めでヤコブ一族はエジプトに移住することになり、こうして、ヨセフとヤコブは20年の歳月を経て奇跡的に歓喜の再会を果たします。 ヨセフは幼子のようにアッバ、父よ、と叫んで父の首に抱きついたことでしょう。
U.放蕩息子と父親との再会 『こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家まで遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。(ルカ15章20節) イエス様のたとえ話にあります放蕩息子は、父親からもらった財産を使い果たし、ついに乞食同然に落ちぶれ、豚の餌で餓えを凌ぐ有様でしたが、飢饉の最中に父の家を思いだし、帰郷していきます。 息子が家を出てからどのくらいの年月が経ったかわかりませんが、息子が家に近づくと遙か彼方から走り寄ってくる人影がありました。 それは父親だったのです。息子は父の前に跪いて「アッバ 父よ」と赦しを乞い、涙ながらに歓喜の再会を果たします。
V.昇天したイエス様と父なる神様の再会 聖書にはありませんが霊想の中で思いますに、イエス様は父なる神様のもとを離れて地上に下り、ベツレヘムの家畜小屋に生まれ、33年間の苦難に満ちた生涯を送りました。 最後は、十字架にかかり、墓に葬られ、三日目に死人の中からよみがえり天に昇りました。 天に帰ったイエス様を父なる神様は、御国の門前で両手を広げて抱きしめられたのではないでしょうか。イエス様は『アッバ 父よ』と叫んで、父なる神様のみふとろに飛び込んだことでしょう。それは、涙と歓喜の再会ではなかったでしょうか。
W.私たちと神様との再会 私たちにも再会があります。 やがて天に帰ったその時、顔と顔を合わせて栄光の主とお会いで きるのです。その時、私たちはヨセフのように、放蕩息子のように、神様に抱きついて、『アッバ 父よ』と叫び、歓喜の涙に暮れるでしょう。神様もまた走り寄って抱きかかえてくださると信じます。 再会は希望の福音です。その日を待ち望みながら、雄々しく信仰生活を送っていこうではありませんか。 この約束を自分のものするためには、まず、イエス・キリストを自分の罪からの救い主と信じて清められ、人生を神に明け渡すことです。
|