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2010/01/12 11:05:15|先週の礼拝から | ||
新しい年の戦い | ||
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コメント御礼
“イエス・キリストのいのち”という代価を払って買い取られたのは、実に聖書の神いがいに、類似した例がありませんもの。
貴重なコメント有難うございます。
N・K (2011/07/07 22:00:19) [コメント削除]
貴重なコメント有難うございます。
N・K (2011/07/07 22:00:19) [コメント削除]
聖書にある戦いの歴史
聖書には、幾つもの戦争の記事があります。モーセもダビデも戦いに際して、いかなる時でも神様に伺い、決定しています。人の戦いではなく、神様の戦いと言っても良いでしょう。私たちが偶像に目を向けたとき、また罪を犯し神様に悔い改めをせずに傲慢になっている時に神様は、私たちに敵を送ります。聖書の歴史を見ると皆そうなっています。その敵とは、自分自身の欲望、自己との戦いです。それが聖書が示す聖戦です。主イエスの贖いは、イエス・キリストでなければ出来ない事でした。出エジプト記には、傷のない一歳の雄の羊とありますが、人間は生まれながらに罪を持って生まれているため、贖いの生け贄には誰もなることはできません。ゆえに、主イエス・キリストだけが贖い主になれるのです。万軍の主といわれるように、戦いはいつも私たちと密接な関係にあります。聖霊様の御声に心を傾けて生きる必要があります。神様は、贖いという方法をとられました。聖書の神様のみが執られるやり方です。他には例を見ません。今も生きて私たちと共におられる主の御名を賛美致します。
坂本秀男 (2010/01/12 12:34:53) [コメント削除]
坂本秀男 (2010/01/12 12:34:53) [コメント削除]
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